都道府県市区町村
落書き帳

�O���O������

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[72972]2009年11月28日
白桃
[73035]2009年11月28日
油天神山
[73067]2009年11月28日
じゃごたろ
[73073]2009年11月28日
白桃
[73118]2009年11月30日
ニジェガロージェッツ
[73137]2009年11月30日
白桃
[73144]2009年12月1日
白桃
[73146]2009年12月1日
小松原ラガー
[73160]2009年12月2日
futsunoおじ
[73164]2009年12月2日
EMM
[73252]2009年12月10日
EMM
[73253]2009年12月10日
白桃
[73254]2009年12月10日
hmt
[73258]2009年12月10日
白桃

[72972] 2009年 11月 28日(土)02:37:24白桃 さん
グリグリ劇場「水戸黄門」(石島騒動の巻)
あらすじ:ときは寛文10年(1670年)のこと
船坂峠を越えて備前三石にご老公一行がさしかかったとき、いきなり刺客に襲われる・・・
その頃、讃岐と備前の間で世に言う「石島騒動」が持ち上がっていた。讃岐高松藩2代目藩主松平頼常は光圀の実子であることから、不利な裁きになることを怖れた備前岡山藩では、国家老の神山油天が悪徳商人加賀屋と結託し、黄門暗殺を企てていた。ただ、そのような陰謀は岡山藩主である名君池田光政の耳には入っていなかった。果たして黄門様の運命やいかに!
主なキャスト(俳優は敬称略)
登場人物俳優役回り他
風車の弥七じゃごたろ
隠密ニジェガロージェッツ実は松尾芭蕉
駕籠かき(前)リトルお銀に高速道路代金2両をふっかける
駕籠かき(後)ソーナンス
謎の薬売りペーロケ実は高松藩御雇忍者
かわら版売り星野彼方本筋に全く影響を与えない
傘張り浪人らるふ岡山藩家臣であったがリストラにあう
丹波屋主人今川焼岡山の宿屋の主であるが、ドラマ終盤で重要な役目を演じる
素浪人白桃岡山城下でいつも飲んでいる単なる酔っぱらいセリフなし
大工の熊五郎BANDALGOM前述の素浪人といつも飲んでいる
石島の漁師久兵衛かぱぷう隠密らを石島に案内
慈円futsunoおじ西大寺の僧
格さんいっちゃん実は印籠のセールスマン
小松帯刀小松原ラガー祖父は小早川秀秋。加賀屋にそそのかされ、光圀を襲う
多羅尾坂内MasAka閑谷学校で地理を教える先生
飛猿スナフキん
神山油天油天神山岡山藩国家老(どっちかいえば悪役)
うっかり八兵エぺとぺと
松平頼常N-H
助さん88
飴売りでるでる実は岡山藩御雇忍者
八墓村の子どもあっちゃん
六車宗旦JOUTOU高松藩城代家老
お銀かすみ今回は入浴シーンなし
水戸黄門hmt
池田光政グリグリ
船吉YASU吉井川船頭
加賀屋EMM(どっちかいわなくても悪役)

オフ会に参加されなかった皆様へ:テキトーにキャスティングしたものであり、くれぐれも役柄からご本人をイメージしないでください。
[73035] 2009年 11月 28日(土)11:44:38油天神山 さん
十番勝負
問一:鶴岡市

[72972]白桃さんがEMMさんと私を悪役に配したのは、「十番勝負の前にこいつらを退治してやりたい」という心理の現れではないかという気がしてきました。
[73067] 2009年 11月 28日(土)18:36:05【2】じゃごたろ さん
re: グリグリ劇場「水戸黄門」(石島騒動の巻)
こんばんは、じゃごたろです。
オフ会に参加されました皆様方、お疲れ様でした。

[72972] 白桃 さん

風車の弥七 じゃごたろ
おお筆頭になるとは、まるで主役のようですね。普段は闇に紛れて、不意に現れて人ののど元に噛みつくといったことでしょうか。。。(苦笑)

小松帯刀 小松原ラガー 祖父は小早川秀秋。加賀屋にそそのかされ、光圀を襲う
小松帯刀といえば、幕末の薩摩藩での陰の立役者ではないですか。なんで光圀の時代に登場するのだろうかと思ったのですが、別人がいたのですね。はじめて知りました。

【追記】
ご存じない方への追記。
幕末の薩摩藩というと、西郷隆盛(南州)や大久保利通(一蔵)が有名ですが、藩にあって彼らを陰日向に援助したのが、薩摩藩家老の小松帯刀(こまつたてわき)です。
[73073] 2009年 11月 28日(土)23:23:53白桃 さん
タケシバオー
昔、そう言う名前の競走馬がいたのです。
4歳時クラシックは勝てなかったのですが、3200mの天皇賞、1200mのスプリンターズステークス、ダートも勝つなど、距離、馬場に関係なくオールマイティの馬だったのです。
エライなぁと思います。
今回のスプリント(十番勝負)はめまぐるしくて、老馬はついていくのが精いっぱい。大体、既出解かどうか、売り切れている問題はあるのかないのか、チェックするだけでも大変です。チェックしているうちに、次々と答えが出ているし・・・。

明日は我が家の記念日なんですが、本日、十番勝負の合間をぬってそのイベントを強行し、さきほど帰ってきました。昨晩も[72972]のような馬鹿なコトをやっていて、時代考証やらに結構時間を割いてしまい疲れております。眠くて~、眠くて~。
あらためてお詫び申し上げます。
悪玉-善玉、大役-端役についてのご不満、時代考証等についておかしな点、いろいろあると思いますが、なんの他意、ましてや悪意などあろうはずがございません。ただし、俳優の並び順序についてはアト・ランダムというわけでもないのですが、それを説明すると個人情報漏洩になりますのでご容赦を。また、この戯作はわたしのオリジナルではないということもお断りしておかねばなりません。

余談:池田光政の方が徳川光圀より年長者だったのですね。知らなんだ・・・
[73118] 2009年 11月 30日(月)09:50:44【1】ニジェガロージェッツ さん
なりすましにご注意を(笑)
雪だるま式メタボに丸刈と髭がトレードマークのニジェガロージェッツ(別名チャーリー・チャップマン)です。
第六回岡山オフ会は盛況のうちに終えたようで,ご同慶の至りです。
小生は極貧生活が続き,昨年に続き,今回も参加を見送りました。ところが,岡山には隠密の偽ニジェ[72972]が現れて一騒動起こしたらしく,わたくしのもとに抗議メールが寄せられて困っています。
石島? どこにあるんですか,そんな島。

[73112] MasAka さん
ニジェさんの顔だけは2年前の福岡オフの時と全然違っていて最初戸惑いました(大変失礼ですが)。
一次会場で貴殿の隣りに陣取っていたhennaおっさんは私ではありませんので,どうぞ御気になさらないよう。

[72972] 白桃 さん
小松帯刀 小松原ラガー 祖父は小早川秀秋
小早川秀秋は二十歳そこそこの若くして亡くなっていましたが,孫がいたんですか!
まあ,子さえ作っておけば後の時代に孫が出来てもおかしくないのですが,本当ですか?

[72956] かすみ さん
ニジェさんの嘘にはだまされません。
はて? 何のことでしょう?
[73137] 2009年 11月 30日(月)23:26:56【1】白桃 さん
史実無視の「御野中納言」
[73119]ニジェガロージェッツ さん
ところが,岡山には隠密の偽ニジェ[72972]が現れて一騒動起こしたらしく,わたくしのもとに抗議メールが寄せられて困っています。
じゃぁ、あの人はニジェガロージェッツさんではなく、二ジェガロージェッツさんだったのだ。(カタカナの「ニ」ではなく漢数字の「二」)
それはともかく、
小早川秀秋は二十歳そこそこの若くして亡くなっていましたが,孫がいたんですか!
まあ,子さえ作っておけば後の時代に孫が出来てもおかしくないのですが,本当ですか?
また、[73098]伊豆之国さん
そもそも光圀公は関東一円しか歩いておらず、岡山にやってくるはずなどあり得ないのですがね‥
等々、史学科?を一応卒業している白桃に対してボッケェ疑りマナコ。(笑)
ま、少々のつじつま合わせを兼ねて続編「刺客-小松帯刀の秘密の巻」を・・・

小早川秀秋(「関ヶ原」後は「秀詮」)は関ヶ原戦後、岡山に栄転(55万石)となるが、東軍に寝返ったという自責の念からか精神不安定となり、1602年に20歳ちょっとで亡くなったということです。子はなかったとされておりますが、一説には、秀秋死後に生まれた「羽柴秀行」という側室の子がおり、叔父の木下勝俊(備中足守藩主)に預けられたとのこと。

以上、ここまでは史実と言えないまでも、全くのデタラメは言っておりません。
・・・中断(アルコール入る)・・・
さて、木下家に預けられた秀行ではあるが、肝心の木下家が改易(ここまでは、まだ史実)となり、幼少の秀行は路頭に迷い、結局、西大寺(会陽-裸祭りで有名)に行くことになる。この頃すでに、姓を小早川(羽柴)から小松原に変えていた秀行ではあるが、やがてfutsunoおじ、いやfutsunoお坊さんになり、慈円を名乗ったのである。(聡明な読者なら、ここいらから全くデタラメの白桃ワールドに突入していることはお判り頂けると思います)
慈円はfutsuno修行生活をしていたのであるが、西大寺の人口を一人増やしたことから、話がややこしくなるのである。その子(つまり、小早川秀秋の孫)帯刀は僧侶になることを嫌い、岡山城下で無頼の輩となる。そしてその頃、小松原から小松に苗字を変える。(一説には「加賀小松」、「河内松原」、「相模小原」のうち、当時人口が多かった「小松」を選んだという)この小松帯刀に目をつけたのが、今回の十番勝負でしぶとく完答を果たした岡山藩国家老、神山油天と加賀屋なのである。(ウワー、十番勝負もうヒントが出てる!)
小早川家再興、という油田、いや油天と加賀屋の甘いエサにつられた帯刀が、ご老公を襲うという暴挙に出るのであるが、ニセ格さん、ニセ助さんの活躍で失敗するのである。その後の帯刀の消息は知りません。(風の又三郎の噂では、摂津・灘で杜氏となり、ラガービールを造るのに成功したとか・・・、なお、ちょくちょく薩摩に姿をあらわしたという風聞もあり、幕末・維新で活躍する同姓同名の人物とあながち関係ないこともないのかもしれません)
お話はこれで全て終わりなんですが、ついでです。
格さん、助さん、黄門様もみんな偽物だったとか・・・
「格さん」:日生沖の鹿久居(かくい)島出身の牛窓の船大工、手先が器用で印籠も作り、行商セールスも行っていた。
「助さん」:備中高松で助郷をやっていたという。ニセ者ということがばれた後、心いれかえ八十八箇所詣を行ったことは超有名な話。
「水戸黄門」:御野(みの)郷の中納言(岡電、東山線の停留所に名を残す)に住んでいた正真正銘のご隠居さん。みのの中納言、中納言の唐名は黄門であり、みののこうもん→みとこうもん、とシャレたらしい。

十番勝負、問二のアナグラム解けない・・・

訂正箇所:摂津松原→河内松原
[73144] 2009年 12月 1日(火)00:53:09【1】白桃 さん
加賀屋
今度の週末、職場旅行で七尾市の超有名旅館に泊ります。
「インチキ水戸黄門」でEMMさんにお願いしたあのお役と同名の旅館です。
岡山オフ会の前は、胸がわくわくしていたのですが、今回はいたってさめてます。
でも、能登は初めてですので少しは楽しんでこようと思います。
今更ながらですが、なんで能登にあるのに加賀屋とはこれいかに・・・

ところで今回の十番勝負問二、あやうく黄門市と書くところでした。
[73146] 2009年 12月 1日(火)02:00:14小松原ラガー さん
お前もワルよのぉ・・・
小早川ラ、いや、小松原ラガーです。

帰宅後は喪中はがきの山に囲まれている日々という生活で、右向いて左向いたら十番勝負が閉店前となってしまっていました。まだゆっくり考える、というか眺める時間もとれそうもないので、今回は一軍経験なし(勝ち星、負け星ともになし)となりそうな公算大です。

で、息抜きに・・・

「白桃。。。お前もワルよのぉ。。。」

って、[72972]を見て、キャスティングの詳細も理解せずに瞬時にセリフが出てきたのは私だけでしょうか。(爆)
[73160] 2009年 12月 2日(水)00:11:03futsunoおじ さん
Re:史実無視の「御野中納言」
慈円です。「十番勝負」などに心を惑わされることなく地名コレクションの修行に身を打ち込んでおります。

[73137] 白桃 さん
慈円はfutsuno修行生活をしていたのであるが、西大寺の人口を一人増やしたことから、話がややこしくなるのである。

この件はDNA鑑定の結果、冤罪であることが立証されております。私は仏に仕える身でありそのようなことがあろうはずがありません。当時、寺の周りでうろついていた派遣切りにあったと見られる不審な酔っぱらい浪人を多くの者が目撃しており、その浪人の関与を疑うべきではありませんか。私のDNAを受け継いでいる人物であるなら僧侶になることを嫌うなどあるはずもなく、ましてご老公襲撃という愚挙に及ぶなど到底考えられることではありません。


--おまけ----
今年の「新語・流行語大賞」の発表がありました。来年は某政党にとっては「政権奪還」と行きたいところでしょうが落書き帳としては「地女」ブームの訪れを期待したいものです。その結果、オフ会に<野村沙知代さんのような>「肉食女子」の大量乱入があったら・・まぁそれもいいでしょう。
[73164] 2009年 12月 2日(水)01:37:42【3】EMM さん
加賀屋の身の上
[73144] 白桃さん
今更ながらですが、なんで能登にあるのに加賀屋とはこれいかに・・・
[53087]でちょろっと触れてますが、創業者が加賀国の出身だったから「加賀屋」という屋号にしたそうです(参考)。
逆に加賀国は粟津に来ると「のとや」がありますが、こちらは能登国出身者関係のネーミングなのかどうかは分かりません。
そういえば、[53087]ではのとやの創業以来の年数を100年ばかり間違っていたのに今更ながら気づいてしまいました。
加賀屋は今年で創業以来103年、のとやは創業以来698年。

岡山オフ会の前は、胸がわくわくしていたのですが、今回はいたってさめてます。
とあるアニメ作品の登場人物のセリフで「旅行なんてのはね、どこに行くかじゃなくて誰と行くかなのよ」というのがあったですが、まさにそんな感じ?

#建物や従業員の方々の対応は…まぁ、そちらは実際に見てください。とりあえず、加賀屋の男湯は3フロアにまたがっており、風呂の中に専用エレベーターがあります。

-----

上で触れた「出身地→屋号」というところから考えれば、「グリグリ劇場の加賀屋」の身の上はこんな感じ?

加賀国加賀郡のとある農村(後の河北郡、昭和には金沢市に編入)の生まれ。
長らく越後の縮緬問屋の奉公人であったが、曇り空と冬の雷に飽きたので新天地を求めて北前船に乗り込み、晴れの国・備前国下津井湊で下船して岡山城下で加賀屋を興す。
新参者故にしばらくは芽が出なかったが、岡山藩国家老・神山油天に清国伝来の白桃を献上することで取り入り、ままかりときびだんごの販売を独占することに成功、急成長を遂げる。
ままかり利権のさらなる拡大を図るため石島周辺の漁場に目をつけた事が石島騒動、さらには黄門暗殺計画へと繋がっていく。さぁ黄門様の運命は?

#これを書くのに調べて初めて知りましたが、岡山県で本格的に桃が栽培されるようになったのって明治に入ってからみたいですね。

##更に調べて気づいたこと。
徳川幕府が石島の境界を引いたのが1702年、実際の徳川光圀の生没年が1628年~1701年…
[73252] 2009年 12月 10日(木)01:10:00EMM さん
石島騒動記・悪役二名の共通点
今日はアルコールが入ってますので、ちょろっとだけ。

[73251] 国家老神山油天様

この度の十番勝負、御家老様と加賀屋めの共通点と言えば、完答の他に「土曜の午後に昼寝してしまった」という事でござりますなぁ。何たる偶然。

それはともかく、
白桃さんの瓢箪から酒と一緒に駒が出たんでしょう(笑)。
EMM的にもまぁ結局そういうことなんでしょう…とはいえ、余りにも出来過ぎた結末。
正月は素浪人の逆襲なるか、それとも御家老様と悪徳商人が返り討ち?
…何となく、なんだかんだやっているうちに「摂津の白馬童子」にかっさらわれそうな予感…
[73253] 2009年 12月 10日(木)07:32:36白桃 さん
石島騒動誤認失礼の巻
名無しの素浪人は、いつも飲んでいる大工の熊五郎ではなく、名無しの町人と肥前長崎で飲みながら反省していた・・・
[72972]白桃
その頃、讃岐と備前の間で世に言う「石島騒動」が持ち上がっていた。
石島(井島)騒動は、備前胸上村と直島の住民の間での領有権(漁場権?)争いなのですよね。当時の直島は、備前国であり、天領でありました。ということは、讃岐とか、高松松平藩は関係ないのです。
「国境」でもない単なる境界が今は県境となって、それが小さな島の中に引かれている、のですね。
[73254] 2009年 12月 10日(木)13:20:36hmt さん
石島騒動の巻
[73253] 白桃 さん
当時の直島は、備前国であり、天領でありました。ということは、讃岐とか、高松松平藩は関係ないのです。

釈迦に説法のきらいがありますが、寛文10年(1670年)[72972]当時の直島について

高松松平藩と無関係というのはその通りでした。
直島の当時は、旗本高原氏領から幕府領(倉敷代官所支配)になった寛文12年(角川日本地名大辞典)の直前です。
地理的な所属は、行政面での代官所所在地とは無関係で、倉敷代官所支配地になる前後を通じて「讃岐国」であったと思われます。

時代は後になりますが、[72761]でリンクした天保国絵図でも直島は讃岐国となっており、黒い国境線が明示された石島の北部に“備前内石島”と記されています。

…ということで、直島の「地理的」所属についての見方は、つぎのようになります。

[72750] oki さん
歴史的に見ると、鎌倉時代までの直島諸島は備前国児島郡に属していたものの、(中略)江戸時代に讃岐国の所属と決定したようです。石島北部は、全島が讃岐に奪われた直島諸島のごく一部を、備前側に取り戻した地域と考えられるのかもしれません。

[72972]グリグリ劇場「水戸黄門」(石島騒動の巻)は面白ければよいので、むりやり史実に合わせる必要はないと思いますが、
備前胸上村と直島の住民の間での領有権(漁場権?)争い
に関係した「石島騒動」が存在した可能性は十分にあります。

これにオフ会参加メンバーの役どころを配した腕前は、さすがに史学科で地理を専攻した戯作者[65403]の作品と感心しております。
[73258] 2009年 12月 10日(木)20:09:12白桃 さん
直島が讃岐国だったことは???
[73254]hmt さん
地理的な所属は、行政面での代官所所在地とは無関係で、倉敷代官所支配地になる前後を通じて「讃岐国」であったと思われます。
本件につきましては、江戸時代に備前から讃岐になった、という説が有力ですが、明治初期に児島郡(備前)から香川郡(讃岐)となった、という説もあり証拠物件をいろいろ探したのですが、明確にこうだ、と書いているものが見つかりませんでした。(仕事中でしたから・・・笑)
いずれにしろ、石島(井島)を含む直島諸島の実質的な支配権をめぐり、讃岐松平藩と備前池田藩の間で争いがあり、「樽流し」の伝説からも想像できるように、親藩であった松平藩に優位な裁定が下されたのではないかと思います。また、1672年(資料によっては1671年)に幕府領になったということですが、じゃぁ、1670年が高原氏の支配下にあったかどうかというと微妙なところであります。
結局、[73253]白桃の
当時の直島は、備前国であり、天領でありました。ということは、讃岐とか、高松松平藩は関係ないのです。
大間違いの可能性もある、小間違いなウソでしたね。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示