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[92026] 2016年 12月 3日(土)22:14:21【2】hmt さん
今夜は秩父夜祭
12月3日。今夜は秩父夜祭です。祇園祭・高山祭と共に日本三大祭に数えられることもしばしば。
最近はローカルな お祭り切手 も多数発行されていますが、1964年に出たシリーズ切手の「10円」という額面が、この3つが山車屋台祭の中で占めるステータスを物語っているようです。

約1ヶ月前にユネスコの評価機関による無形文化遺産登録勧告のニュースが伝えられ、秩父鉄道の記念乗車券などの準備も進められていました。

今年話題になった「ユネスコの無形文化遺産」との関係に触れると、京都祇園祭は 2009年に既に登録済みでした。【日立風流物と共にそれぞれ単独で登録】
ところが、高山祭と秩父祭とは2011年の審査でこの既登録祭との類似性を指摘され、登録が見送られました。
そこで日本政府は方針転換し、上記4件の祭りと共通の特徴を持つ他の祭り29件を包括し「1件として提案」。

2016年に「山・鉾・屋台行事」というタイトルで登録されることになった日本の祭は、このような経過を経てユネスコ評価機関に認められた「無形文化遺産」だったのでした。

既登録案件を国レベルに拡張し再提出。これは 評価機関による勧告内容で称賛されており、「個別登録でなく一纏めにする」方針が ユネスコの意向に沿った方針転換であることが窺えます。

文化庁サイトユネスコ無形文化遺産について(2016年11月現在)には
現在22件(世界全体では336件)
と記されています。

近日中に2016年12月現在に改訂されるでしょうが、上記のような事情により、22件プラス2016年登録1件を加えた結果は「現在 21件」になると思います。

「山・鉾・屋台行事」の一覧表
その数は全国で33もありますが、せっかくの機会なので開催地と行事名の一覧表を記録しておきます。
いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されており、文化庁サイト国指定文化財等データベースで>重要無形民俗文化財>風俗慣習>祭礼(信仰)という分類に進むと情報を得ることができます。但し「知立の…」だけは>民俗芸能>渡来芸・舞台芸に分類されていました。

*印の2件は 2009年に単独登録されていた案件でしたが、これに替えて 2016年登録「山・鉾・屋台行事」の一覧表33件の一部になりました。

青森県八戸市八戸三社大祭の山車行事---岐阜県大垣市大垣祭のヤマ(車へんに山)行事
秋田県仙北市角館祭りのやま行事---愛知県津島市と愛西市尾張津島天王祭の車楽舟行事
秋田県秋田市土崎神明社祭の曳山行事---愛知県知立市知立の山車文楽とからくり
秋田県鹿角市花輪祭の屋台行事---愛知県犬山市犬山祭の車山行事
山形県新庄市新庄まつりの山車行事---愛知県半田市亀崎潮干祭の山車行事
茨城県日立市*日立風流物---愛知県蟹江町須成祭の車楽船行事と神葭流し
栃木県那須烏山市烏山の山あげ行事---三重県四日市市鳥出神社の鯨船行事
栃木県鹿沼市鹿沼今宮神社祭の屋台行事---三重県伊賀市上野天神祭のダンジリ行事
埼玉県秩父市秩父祭の屋台行事と神楽---三重県桑名市桑名石取祭の祭車行事
埼玉県川越市川越氷川祭の山車行事---滋賀県長浜市長浜曳山祭の曳山行事
千葉県香取市佐原の山車行事---京都府京都市*京都祇園祭の山鉾行事
富山県高岡市高岡御車山祭の御車山行事---福岡県福岡市博多祇園山笠行事
富山県魚津市魚津のタテモン行事---福岡県北九州市戸畑祇園大山笠行事
富山県南砺市城端神明宮祭の曳山行事---佐賀県唐津市唐津くんちの曳山行事
石川県七尾市青柏祭の曳山行事---熊本県八代市八代妙見祭の神幸行事
岐阜県高山市高山祭の屋台行事---大分県日田市日田祇園の曳山行事
岐阜県飛騨市古川祭の起し太鼓・屋台行事---
[92002] 2016年 11月 29日(火)16:57:50hmt さん
長~い新田地名:上土新田下足洗新田川合新田請新田
[91965] グリグリさん
短い読み・長い読みの市区町村の一番最後に「新田」と称する長い読みを参考データとして掲載しています。

引用部分冒頭の記載
以下のリストの「新田」は「村」と同じ意味でもあるので、参考データとして提示します。

「新田(しんでん)」という言葉は、昔からの耕地「本田(ほんでん)」に対して「新たに開発された耕地」を意味するのが第一義でしょう。しかし、それは「地名」や「集落名」にも転用されています。

古代から営々と行なわれた新田開発は、時代により 事業主体・規模なども様々に変化してきました。
しかし、記録で目にする「新田」地名・「新田」村名の多くは、近世由来のものが多いと思います。
なお、明治以降の開発事業には「新開」という言葉が多用されました。[48709]

「新田」は「村」と同じ意味に使われると共に、「新田村」単独 又は「○○新田村」という複合形で「村」と併用されることもありました。
変遷情報検索で「新田村」を検索すると 253件が抽出され、その大部分は背景赤色の旧村です。

町村制の「○○新田村」は10件【1889年と廃止年と2回抽出されるので、実質5件】で 1889年から昭和合併までの約66年間を存続したのは、長野県の「五郎兵衛新田村」[16828]と静岡県の池新田村【→池新田町】だけでした。

これに対して旧村を含まない条件で「新田」を検索すると30件です。明治合併のなかった岐阜県の事例が示すように新田数は抽出件数より多く、「○○新田村」という表現は例外的であり、村と同じ意味で使われるのが普通であったと思われます。

それはさておき、「長~い読みの新田地名」で、ぜひ紹介しておきたい事例があります。
それは 町村制施行前の 旧村名 なのですが、今尾恵介さんの著書『地名の社会学』(角川選書, 2008)p.58に掲載されていた「上土新田 下足洗新田 川合新田 請新田」という長い連称名です。
現在は静岡市葵区流通センター付近、巴川の左岸・諏訪神社方面からの支流が合流するあたりです。
昔は沼地だったが、これを 周辺にあった村人たちの力で 耕地に変えたものと推察します。Mapion

「あげつちしんでん しもあしあらいしんでん かわいしんでん うけしんでん」「読み」が 32かな文字、漢字で 16文字という大記録の旧村名は、明治合併後も千代田村の大字名として残り、静岡市編入後も 1977年の町名変更まで存続しました。

同類で現存する大字、静岡県藤枝市にある 久兵衛市右衛門請新田 は 16かな文字、10漢字です。

今尾さんは、この「上土新田 下足洗新田 川合新田 請新田」という地名を 次のように説明しています。
上土【あげつち】村が開発した上土新田、下足洗村が開発した下足洗新田、川合村が開発した川合新田の3つの新田村があり、これらが更に 新しい村請新田 を開発したところ、こんな寿限無ばりの長名となったのだろうが、さすがに日常的に呼ぶのに不便なので「三請新田」という通称があったという。(中略)これが昭和52年(1977)まで存続していたというのは なかなか驚異的だ。

変遷情報で確認すると、町村制施行の前月に行なわれた明治合併前の旧村です。
読みは32音で変わらないが、「上土…」が「上ヶ土…」となっていました。

市区町村の変遷 静岡県より抜粋
M22/3/1【明治合併】 静岡県安倍郡上ヶ土新田下足洗新田川合新田請新田が安倍郡上ヶ土新田, 川合新田, 川合村など7村、有渡郡下足洗村, 下足洗新田など5町村他と合併→安倍郡千代田村【旧村】
M22/4/1【町村制】 安倍郡千代田村【旧村】→安倍郡千代田村【明治合併前の12町村は大字となる】
S9/10/1【編入】 安倍郡千代田村など5村→静岡市に編入
【Wikipedia:静岡市の町名の変遷より抜粋】
S49/10/1 【分割・新設・住居表示】上土新田下足洗新田川合新田請新田の一部【支流東岸】→流通センター
S52/3/9 【分割・新設】上土新田下足洗新田川合新田請新田の各一部【支流西岸】→牛田、野丈

いろいろな「○請新田」
先に「事業主体も様々」と書きました。新田開発は 幕藩体制側 自らの開発計画に基づく「代官見立新田」や「藩営新田」もありました。落書き帳記事番号4桁の時代からお馴染みの 三富新田はその一例です。

民間で資金を出し合い事業を進める「百姓寄合新田」の代表的なものが「村請(むらうけ)新田」でしょう。
複数の村の共同事業となると連称になり、その一員が新田村の場合、孫会社のような地位になる新田は「○○新田 ☓☓新田 請【=請負】新田」という長い名前になります。

地元資本がその土地の有力者の場合は「土豪開発新田」。信州の「五郎兵衛新田村」は一人でしたが、駿河国の「久兵衛市右衛門請新田」は二人の連名。
都市で蓄財した投資家による「町人請負新田」、「寺社請新田」など外部資本による新田もあります。
[91969] 2016年 11月 20日(日)17:47:27【2】hmt さん
Re:市区町村名とは?
[91965]グリグリさん
椿郷東分村(「つばきごうひがしぶん」ではなく「つばきごうひがし」がより妥当なのでは?)

私はこの村名を「椿郷/東/分村」と解しました。形式的には「椿郷/東分/村」と解釈する余地もあったのかもしれませんが、分村の「分と村の間を分ける」のは不自然であると考えました。

そして、「分村」という部分も「町村名」を構成する必須要素ですから、これを省くわけにはゆきません。
残された道は、町村名が「椿郷東分村」であると考えるしかありません。

「まち」と「ちょう」で「かな表記」の字数が変ってしまいますが、「市町村名」は あくまでも「漢字かな混じりを基本とする日本語の正書法」によるべきであると思います。

「かな表記」はあくまでも便宜上のものであり、「かな表記の字数」に囚われるのは本末転倒です。
「短い読み・長い読みの市区町村」を考える場合、長短を決める基準を「かな」字数でなく、「日本語の音数」【促音・拗音は1、長音は2と数える】に改めてもよいわけです。

長野県北安曇郡にあった自治体「大町」について説明すると、「おおまち」と発音する自治体名の中に、既に町であることを示す部分が含まれているので、屋上屋を架す「大町町」とする必要がなかっただけです。

1954年の「新設合併」に際しては、当然のことながら「新しい自治体名」を定めることになりました。
この場合、慣れ親しんだ「大町」という「地名」を語幹に残し、しかも市になったことを示す語尾を加えた「大町市」を「自治体名」を選んだのは、ごく自然なことと思われます。

山梨県南都留郡谷村の場合。明治22年山梨県令第40号には 「本年7月1日より県下甲府に市制を其他の町村に町村制を施行す」と記されています。西山梨郡の甲府には郡区町村編制法時代からの「町」が多数存在したのですが、甲府以外の地域には町が存在せず、町村制施行地域は245村になりました。南都留郡谷村も当然のように 町村制の「谷村」になりました。その際の分合・改称はなく、従って 明治22年山梨県令第41号の記載事項もありません。

その後、北巨摩郡河原部村→韮崎町(M25)、東山梨郡勝沼村→勝沼町(M29)に続いて谷村も3番目の町になることになりました。
この場合、慣れ親しんだ「地名」の「谷村」を残し、更に町になったことを示す語尾を付した「谷村町」が「自治体名」として選ばれました。

参考までに、大町・谷村と同様に 語幹部が漢字1字である自治体名 に関して、「もとの地名」を論じた過去記事を示しておきます。

[34770] hmt
【神奈川県中井町は】中村と井ノ口村の合併により成立ですから、「井ノ口」に対応する「もとの地名」は「中村」でなく、「中」になるのでしょうか。
[34776] Issieさん
どのような基準にのっとって解釈するかはそれぞれ,だと思うのですが,私は「中村」で1つの地名とみなとしてよいと考えています。「六日町」を「六日」と「町」に,「荒川」を「荒」と「川」に分解できないことはないけれど,それでは地名としては意味がないのと同じように。(中略)
地名としては,「中+村」と分解することはできず,「中村」という一塊の名前なのだと考えます。
[91959] 2016年 11月 18日(金)19:18:20【2】hmt さん
市制町村制施行当時の自治体名称
[91958] 白桃さん
それはさておき、とりあえず基本的な質問をさせていただきたいのですが、

最初は 真面目に答えず、「2件のご質問にお答えすべき当事者の立場にない。」…と交わそうかと考えました。
Q1は 「わかりきったこと」であり、Q2は 私にとっては関心外で、基本的とは考えていない質問だからでした。
でも心を改め、私の知る限りを 真面目にお答えすることにしました(笑)。

Q1 明治の市制町村制度においては、ドコが当該地を市あるいは町村と決定したのか

白桃さんはご存知の上で質問されているのだと思いますが、[34434] Issieさんの記事にあるように「内務省」です。
1889年2月2日付の 明治22年内務省告示第1号で,最初に「市制」が施行される 36市が指定されました。
これに遅れて 佐賀・岐阜・甲府・鳥取の4市が指定されているので、この制度で「最初の市制施行地」と決められた地は 合計40 になります。
その結果、市制施行地を除く3府42県【北海道・沖縄県・島嶼など法律・市制町村制の対象外とされた地域を除外】は、自動的に「町村制施行地」になりました。

内務省の中で「どのように」決めたのか? 
ずっと後ですが、[86139]むっくんさん の記事に、S18.4.17 内務省発地第三六號「市制施行詮議内規」という資料が登場しています。
その前身というか これに類する内規は、おそらく明治時代から 存在したものと推察しますが、情報公開が不十分な時代ですから、調査するのは困難と思います。

Q2 さらに言えば、町と村の名称上の区別を下したのかドコなのか

マガジン 町と村の違いの冒頭に記したことの繰り返しになりますが、「町と村の違い」 はずっと不明確です。

「市制町村制理由」に記録されている当時の考え方の要点は、[63912] okiさんの記事に引用されています。
この記事は、町村制第3条の規定「凡町村ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セズ」の存在も指摘しています。
町と村とは、「従来の区域に応じて、その名称も継続された」と考えるのが自然なようです。

実際には「区域ヲ存」せずに合併した町村の方が多いですし、従来町であったところが町村制の適用後に村になった場合【注】もありますが、農村の数に比べて町は非常に少なかったのが実態ですから(おおむね、村が約60000に対し旧城下町内を除いた町は600くらい)、旧来の町の多くがその名称を保存したでしょう。
【注】
合併に伴う例ですが、近くの埼玉県入間郡大井町他3ヶ村→大井村[78812]を挙げておきます。

okiさんの記事に示されている 大阪府西成郡難波村 明治24年の人口 26405人。これは、姫路市の 24608人より多い。
「元来町ト村トハ人民生計ノ情態ニ於テ其趣ヲ同ジクセザルモノアリテ、細カニ之ヲ論ズレバ均一ノ準率ニ依リ難キモノナキニ非ズト雖モ」という建前論や人口の多寡には目もくれていません。

「町村制」という同一制度の中なのだから、実体は町場化していた難波村についても、旧名称の継続で良いではないか。
このような安易な区別が使われた実例のように思われます。
[91957] 2016年 11月 16日(水)18:04:08hmt さん
名所地名を利用した自治体名 (1)妙高
[91948]に続き、過去に存在した長い読みの市町村から題材を得た記事です。
異彩を放っているのが、リストの中で3行を占めている「みょうこうこうげん」の「妙高」です。
1955/4/10 新潟県中頸城郡妙高々原村→1956/9/30 妙高々原町→1969/10/1 妙高高原町→2005/4/1 妙高市

言うまでもなく、長野から直江津に向かう車窓の左側に特異な山容を示す成層火山・妙高山に由来する自治体名です。
妙高山は 北信五岳の筆頭に挙げられていますが、信濃ではなく越後の山ですね。
赤倉・池の平などの温泉やスキーで知られた名所・行楽地です。

この「妙高」という名を利用した自治体名称が 町村制施行の1889年に 南の長野県境近くで誕生し、100年以上かけ、その範囲を北へと拡大してきた歴史をまとめてみます。

最初は、変遷情報検索により「妙高」を調べた結果です。

異なる漢字を使った「名香山(なかやま)村」を含めて7件の自治体名が抽出されました。
何れも新潟県・越後国中頸城郡の領域にありますが、2つの妙高村は時代も場所も異なるので、以下の文では便宜上 妙高村1と妙高村2に書き分けます。

年代を追ってみると、3期に分けると理解しやすいようです。

第1期は、町村制施行の1889年から 昭和合併の1955年までの 66年間です。
妙高を使った自治体は、妙高山のお膝元である長野県境付近【旧・妙高高原町】に限られていました。

検索結果の1番:妙高村1は 明治合併で旧5村の合併により成立。存続期間約12年半。
検索結果の2番:名香山村は 妙高村1の南側・関川村との合併により成立。存続期間約53年半。通算66年。
語源的には妙高山の古名である「越の中山」が、地名二字化[84087][37482]の影響で「名香山」と表記されるようになり、これが「みょうこう」と音読され、「妙高」の字を当てる現在の名になったと考えられます。
# 妙高から北に流れる頸城の関川は濁音ですが、同じ新潟県内の岩船郡に現存する関川村は清音です。

第2期は昭和合併の1955年から平成合併の2005年までの50年間です。
妙高を名乗る自治体の範囲は北に拡大し、「妙高高原町」と「妙高村2」との二本立てになりました。

戦後の経済復興を背景にした観光産業が盛んになり、田切川より北側の自治体もブランド力のある「妙高」を名乗るようになりました。時代も場所も違うので、妙高村2と表示して区別することにします。

検索結果の3番:妙高村2は 関山駅【信越本線がスイッチバック停車】のある関山村などの 昭和合併で成立。
平成合併までの50年間存続しました。
検索結果の4番:妙高々原村は 名香山村からの改称。こちらが 本家・妙高村を名乗りたかったのだと思いますが ブランド自治体名争い に遅れをとった結果でしょう。妙高々原村の存続期間は約1年半。
検索結果の5番:妙高々原町は 関川の上流・杉野沢村との合併を機会に町になった結果です。13年存続。
検索結果の6番:妙高高原町は踊り字「々」を廃して「高」を連ねた結果です。信越本線の駅名も「田口」から「妙高高原」に改められました。
「妙高高原町」は平成合併まで35年半存続したので、昭和合併と平成合併の間の通算50年が「みょうこうこうげん」時代ということになります。

そして第3期が 10年を越えた平成合併以後の期間です。山岳ブランド「妙高」を名乗る自治体の領域は、合併により高田平野の一角にまで拡大しました。

検索結果の7番:平成合併は妙高高原町・妙高村2を新井市に編入する形になりましたが、名前はブランド力のある「妙高」を使うことになり、全国的にも珍しい「編入/改称」となりました。

妙高山のお膝元の「妙高村1」から始まった「妙高名自治体」の領域は、116年の間に 上越市と境を接する平野部にまで拡大し、更に 10年後の北陸新幹線延伸(2015)では 自治体範囲を越えた「上越妙高駅」も実現しました。


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