23件の市町村合併がありました。内5件が島根県。私が住む市も編入ですが、合併をしました。(多くの方が、この一文で何市かお分かりだと思います。)出身地でも、終の棲家にする予定もないので特別な感慨はありません。合併記念に新市内にある3箇所の温泉施設(山陰の伊香保と呼ばれる温泉の共同浴場も含まれています。)の割引券(300円が10枚)が送られてきましたが、たぶん行かないだろうなと思います。
個人的には、初の書き込みからちょうど1ヶ月の記念日。(記念日などというとこっぱずかしいですが)過去の自分の書き込みや島根、出雲関連等の過去ログをチェックしてみました。ちょっと長くなるのをお許しいただいて、いろいろと反応させてください。
[33522] 自分で書き込んだ内容ですが、郡名を採用した高田ICの話、既出でした。これ以外に名が出ていないので、きっとないのでしょうね。
愛比売命 さん
岩国にお住まいで、島根にも足を踏み入れていらっしゃるのですね。地名コレクションについての書き込み、地元島根のことと勢いよく書いてしまい失礼しました。自分の経験上の呼び方と正式な地名(地名に正式ってあるのでしょうか?)あるいは地図に載る地名とが微妙に異なっていて違和感を持つことがあります。(特に平野など広い範囲をいう場合)
中学生の頃、県内の地名を答えるテストがあり、益田付近の平野を益田平野と答えたら間違いでした。益田市の平野部にある地区の名をとった吉田平野が答えでした。当時先生になぜ?と問い詰め困らせたことを覚えています。以来忘れることの出来ない吉田平野ですが、その後一度もお目にかかれません。近世から合併による益田市誕生(正確には昭和16年の益田、高津、吉田3町合併による石見町誕生まで。その後石見町は益田町に改称、昭和27年に周辺町村を加え、益田市成立)まで、平野部の多くを占めていた吉田村(のち吉田町)の名を取り、吉田平野と呼ばれていたのでしょう。益田市誕生後、吉田より益田の名が知られるようになり、広く益田平野の呼称が使われるようになった、そう捕らえています。
それにしても、中学生当時テストに使われたのは何かの副読本でしたが、ずいぶんと昔に編集したものではないかと勘繰りたくなります。
白桃 さん
島根の人口もちゃんとお調べいただいているんですね。うれしいです。
今でこそ、出雲(今市)と平田と大社(杵築)は人口において随分差がついていますが、大正時代まではいい勝負でした。
[19916]参照。鉄道開通がその後の人口変動に大きな影響を与えたのでしょうね。私は出雲市出身、祖父は平田市出身、そのほか大社町にも親類縁者がおり、あの時山陰線を平田と大社に通せばよかったなんて、うそとも本気ともつかない話をすることがありました。