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[107191] 2023年 3月 31日(金)13:12:05【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 25日(木)17:15:42 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年12月31日調の現住人口、追加修正等の情報
総務省統計局図書館が所蔵している古資料を調べたところ、

『町村別戸口表 明治廿二年 上 その一』
『町村別戸口表 明治廿二年 上 その二』
『町村別戸口表 明治廿二年 下 その一』
『町村別戸口表 明治廿二年 下 その二』
『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』

とは別に、

『戸籍表 明治二十二年 上』
『戸籍表 明治二十二年 下』

という資料があることに、今更ながら気付きました。現在総務省統計局図書館は工事中のため、古資料の閲覧はできませんが、上記資料はマイクロフイルム化されており、そちらを閲覧してみました。すると明治22年の陸軍・海軍の詳しい内訳がまとまっていました。例えば千葉県印旛郡内の場合

明治廿二年十二月丗一日調 第一師団諸隊下士卒在営現人員区分表 (抜粋)
兵種隊号屯営配置ノ地名下士(合計)
歩兵第ニ連隊三大隊千葉県印旛郡佐倉田町 佐倉旧白内1191,4851,604

明治廿二年十二月丗一日調 砲兵射的学校学校生及下士卒在営現住人員区分表
区分所在地名定期学士下士(合計)
教導中隊千葉県印旛郡下志津村22978109

というわけで、[107039]で披露した折角の考察も大分外れていました・・・

また東京府東京市芝区の3人の陸軍関係者の正体が不明でしたが、発足したばかりの東京憲兵隊の馬丁でした。

明治廿二年十二月丗一日調 憲兵隊場丁在営現住人員区分表
区分所在地名馬丁
東京憲兵隊本部麹町区大手町一丁目一番地1
東京憲兵隊第一管区首部麹町区大手町一丁目一番地6
東京憲兵隊第一管区首部牛込区左内坂町廿一番地ノ内二号・市ヶ谷田町一丁目八番地3
東京憲兵隊第一管区首部芝区栄町七・八番地3
東京憲兵隊第一管区首部下谷区下谷車坂町十八番地ヨリ三十二番地ノ内に至マデ3
大坂憲兵隊大坂市南区順慶町通安堂寺町通4
愛知憲兵隊愛知県名古屋市本町四番地3
宮城憲兵隊宮城県仙台市東二番町七十五番地3

上の事例ですと、市谷左内坂町と市谷田町一丁目を分離できないという問題がありますが、概ね東京市内町丁レベルまで陸海軍在営艦者を分けることができると思います。

以上より、[107043]

2. 千葉県印旛郡の入寄留の内、入寄留の陸海軍在営艦者1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できない。一応[107039]に示す方法で推定値は出しました。

こちらの問題は解決しました。

また東京市, 大阪市, 堺市, 新潟市, 水戸市, 津市, 弘前市, 秋田市, 鳥取市, 福岡市, 久留米市を除く市について『町村別戸口表』に掲載がないという問題がありましたが、『戸籍表』の方には郡区レべルの出入寄留の情報が揃っており、さらに 伊豆七島, 小笠原全体の統計も載っておりました。よって他町村出入寄留の情報が全て揃いそうです。最初に町村別人口がまとまっていた『町村別戸口表』に出会ってしまったために見落としてしまっていましたが、『町村別戸口表』はむしろ『戸籍表』に付属する資料だったようです。

残る問題は

1. 東京府伊豆七島・小笠原島に関しては、細かい町村別人口の情報が完全に欠落。

3. 虫食いのため、茨城県東茨城郡の一部の町村(石崎村、常磐村、河和田村、長岡村、上野合村、伊勢畑村、磯浜町)の出寄留の囚人及懲治人が正確に得られず、現住人口が正確に算出できない。

4. 北海道庁釧路郡に所属する町村(真砂町、米町、洲崎町、幣舞町、浦見町、釧路村、桂恋村、鳥取村、昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村)に関し、郡全体での他町村出寄留は4人となっているものの、町村別の他町村出寄留が空欄となっており、これらの町村のいくつかの現住人口を正確に算出できない。これに関しては対処不能なので、とりあえず各町村の他町村出寄留を0として算出しました。

1と3についてはこれ以上の対処は不能で、2の虫食いの問題は、数年後、古資料閲覧が可能になった以降に、改めて確認します。

新たに情報を得た戸籍表を用いた修正はまあ数日かかりますが、修正結果の公表の方は4月末に行います。

現時点で気付いた修正点ですが、佐倉町、志津村の人口が修正されるほか、

広島県狩小川村の官報計算の現住人口を3,276から3,278に訂正、
飛騨国大野郡高山町の高山監獄の囚人28の処理に一部不具合あり
島根県楯縫郡の鳶巣村と鰐淵村は官報掲載の現住人口が計算値と±1ずれているが、こちらは修正なし
一部戸長役場連合、組合の集計に、範囲の指定の誤りあり

また区分として、東京市、函館区、札幌区内の下位区分について、~町を/町丁/、~村を/大字/として区別していましたが、徴発物件一覧表で町丁だろうが全部「大字●●町一丁目」といった表記をしていましたので、次の更新から全部/大字/に統一します。


なお、第五師団第十二連隊の「屯営配置ノ地名」は「香川県那珂郡丸亀 丸亀旧城内」となっていました。丸亀営所は戸長役場管轄地区の範囲外なのでしょうか。まあそもそも陸海軍兵営と監獄は、出入寄留届の対象外のようですので、丸亀営所の在営者は現状では、
「丸亀営所(元一番~四番丁)」として処理します。

参考までに広島の方は「広島県広島市基町 広島旧城内」、松山の方は「愛媛県温泉郡堀内町 松山旧城内」(堀内町は明治22年末の段階では松山市の一部になっており、「各地方郡市戸口表」「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」が誤って陸軍第五師団歩兵第二十二連隊1,559を温泉郡に加算してしまった原因がここに伺えます)と、大字レベルまでの住所は他の事例では示されています。
[107174] 2023年 3月 30日(木)00:48:15【2】訂正年月日
【1】2023年 3月 30日(木)01:01:05
【2】2023年 5月 25日(木)17:16:18 by オーナー(表組み改善)
YT さん
久栄村?
[107173] サヌカイトさん

一番丁~五番丁の調査、ありがとうございます。それにしても久栄村の件は、色々謎が多いですね。

昭和30年の国勢調査報告書に「付表2 市区町村の廃置分合,境界変更,名称変更一覧表-昭和25年10月2日~昭和30年10月1日」という項目があり、(pdf形式)でダウンロード可能です。これによると

年月日異動地域昭和25年人口 △は減
綾歌郡久万玉村6,172
29.4.1(新)綾歌郡栗熊村3,447
同富熊村2,725

とあって、久栄村の存在は無視されています。

一方香川県側では、例えば昭和29年の『香川県統計年鑑』に収録されている「市町村の廃置分合・境界変更及び名称変更」によると、

昭和25年国勢調査結果表より

などという謎の引用を掲げながら、

年月日合併町村
〃26.4.1綾歌郡富熊村及び栗熊村を廃し、その区域をもって久栄村を設置321141
昭和26.4.1綾歌郡久栄村を久万玉村とする。

と表記しており、久栄村の存在を示しています。

香川県側の証言としては、『香川県議会史 第1巻 (自昭和22年4月至昭和30年3月)』の346~347頁の記述によると、昭和26年3月10日土曜日の香川県議会議会で、以下のことが議決されており、この段階では4月1日付で久万村とすることが決まっています。

午後一時十三分再開

二十五号議案(仲多度郡南村を丸亀市の区域に編入)二十六号議案(綾歌郡栗熊村および富熊村を廃して久栄村とする)の二議案を追加上程、茨木議員が賛成、両議案とも賛成多数で可決承認、二十三、二十四号議案とあわせて陽春四月一日から二市一町八村が、二市一町一村として発足することとなった。

ところがむっくんさによると、[102330]に示したように、香川県報では昭和26年3月20日の段階では既に久万玉村となることが決まってしまっている。

香川縣告示第百二十一号
 綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃して、この区域をもつて新に久万玉村を置き、昭和二十六年四月一日から施行する。
 なお、地方自治法施行令第百七十七條第一項第一号の規定に依る久万玉村の人口は六千百七拾弐人である。
昭和二十六年三月二十日 香川縣知事 金子正則

3月10日と3月20日の間の10日間に何があったのでしょう?昭和25年度3月の残りの議会の記録を読んでも、久栄村を久万玉村とすることに関する議論は掲載されていません。

そして、昭和26年5月21日の官報によると、この段階では既に4月1日付で久万玉村となったことが報告されています。

◎総理府告示第百六十五号
   村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から、香川県綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃し、その区域をもって久万玉村を置く旨、香川県知事から届出があった。 昭和二十六年五月二十一日
    内閣総理大臣 吉田 茂

以上を察するに、3月10日の段階で久栄村は議会で承認されたが、3月20日までに久万玉村となり、4月1日に正式に発足した際には久万玉村・・・というのが大まかな流れ。ところが、香川県内では、議案として久栄村の記録が残っており、例えば『香川県議会史 第1巻 (自昭和22年4月至昭和30年3月)』の年表の昭和26年四月一日・日の項目には、

綾歌郡栗熊村および富久万村を廃しその区域をもって久栄村を置く。綾歌郡久栄村を久万玉村とする。

と、4月1日に正式に久栄村が発足してしまったかのような記述になってしまってます。

あとは、

― (1) 「香川県報」に記載された告示が正しく、久栄村は存在しなかった
― (2) 香川県議会で決定されたように、久栄村は正式に発足したもので、香川県報の告示の記述は言葉足らずである

のどちらの立場を選択するかの問題に帰結されるかと思います。

個人的には(1)が正しく、久栄村は正式には発足しなかったと思われますが、香川県史、香川県統計年鑑、香川県議会史など、香川県側の記述は、この後大分経っても「久栄村」が正式に存在したとするものが多く、脚注で異論として併記が必要かも知れません。
[107168] 2023年 3月 29日(水)14:02:00【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 29日(水)15:56:28
YT さん
Musashite?
[107164] サヌカイトさん

YTさん 丸亀市街問題について
 私のホームグラウンドということで郷土資料をとして手に入れやすいことから図書館で確認してきましたが、明確な記述は得られませんでした。その時メモを持って行き忘れたのでもう1回確認に行って記事にしますが、取り急ぎ香川県史(平成元年)に一から四番丁消滅の根拠記述っぽいのが載っていたことは報告しておきます。

わざわざ報告して頂きありがとうございます。[99158]の投稿からすると、サヌカイトさんは現在高校2年~3年の兄弟なのでしょうか?改めてこちらの落書き帳の年齢幅の大きさに驚かされます。

これはサヌカイトさんにとっては悪魔の囁きかも知れませんが、[107055]で示したように、国立国会図書館デジタルライブラリーの個人向けデジタル化資料送信サービス機能を使うことによって、自宅のパソコンで『香川県史』を閲覧することができます。ただそれによって自分がなすべき仕事が大いに阻害されることは間違いありません。一点問題となるのは、国立国会図書館の利用資格が年齢満18歳以上なことですが、兄の方は既に有資格者だと思います。

私が学生の時は、国立国会図書館の利用資格は満20歳以上でした。ただ当時真面目な大学生だった自分は、せっかく20歳の誕生日を迎えても、朝から晩まで授業を6コマ入れていた平日に全く利用する時間を作ることができず、確か土曜日?は夕方5時には閉まるし、行っても読みたい本を申請し(ぎりぎりOPACはあったかな・・・)、本が閲覧できるまでに30分以上も待たされ、とにかく利用し辛い図書館でした。その頃に比べたら、国立国会図書館は本館の方も大分利用し易くなりました。

おそらく丸亀営所に関する記述があるのは、『香川県史 5 通史編 近代I』(1987年3月)の92頁以降の「丸亀営所」の項目かと思います。こちらを読むと、丸亀一番丁~四番丁は「御用地」となり、さらに明治7夏の段階で丸亀五番丁~十番丁も将来の兵営地に指定されたものの、結局兵営地になったのは五番丁までで、残りは継続して住民が住み続けたことがうかがえます。ただ、結局明治22年末の段階で、一番丁~四番丁に建設された兵営所の住所表記はどうなるのかの問題は解決しませんね。

ちなみにこの県史、wikiの久栄村記述の出元ではないかと疑っております。県の呼びかけに従って早めに合併した模範事例としてわざわざ詳しく書かれており、そこにしっかり存在したと述べられていたので。ちなみに別出典ですが読みは「きゅうえい」だそうです。

こちらが載っているのは『香川県史 7 通史編 現代』(1989年3月)の359頁以降の「内海町と久万玉村」の項目ですね。いずれにせよ、国立国会図書館に利用登録をすれば膨大な数の本を閲覧できるようになります。


それにしても「サヌカイト」とは、なかなかセンスのある名前ですね。思えば自分は埼玉県浦和市生まれ、神奈川県川崎市育ち、最近は東京都稲城市在住なので、日本国内での居住は全て武蔵国内です。さしずめMusashite ムサシャイトかムササイト?となりますが、今更本名をイニシャルにしただけのメンバー名を変えるつもりはありません、


個人情報について

これまでこちらのサイトで個人情報に関する立場を表明したことはありません。ただ私の表の顔に関しては、これまでの自分の仕事をアピールするために個人情報は完全に公開されています。私の本名で検索すれば、ばっちり写真、学歴、職歴、出版物、公式のメールアドレスなどがすべて一発で分かります。将来犯罪を犯して捕まってしまえば、もうネットリンチを逃れることができないことになりそうですが、それも仕方ないような職業についています。今のところ身近な人に自分のこちらでの書き込みを公表したことはありませんが、万が一バレますと・・・「お前は自分の専門と全く関係ないことにこんなに時間を割いているのか!」と上司に言われ、職を失うリスクは多少はありますね。とはいえ、多分ポリティカルコレクトネスに重大に反する書き込みをしたことはないとは思います。

思えば個人情報は、昔は本当にユルユルでした。学校の名簿が事務からいつの間にか名簿業者に流出していたり(学習塾の広告のダイレクトメールの郵便番号が全部間違っていたので、間違った郵便番号が登録されていた学校の事務経由と推測され、また進研ゼミだけは別系統の名簿を使っていることも判明)、大学に合格すれば新聞や週刊誌に名前が出て、図書館に行けば近隣の高額納税者の名前が分かりました。それがいつの間にか法規制で個人情報の収集に制限がかかったのはいいんですが、業者を介してOB会開催した結果、OB会名簿の引継ぎが失われてしまうだとか、子供の小学校の緊急連絡網が存在しないとか、ちょっと行き過ぎているようにも感じます。個人情報に関しては幾分グリグリさんに近い意見になるかと思いますが、一方で職業柄若い人とも頻繁に会話するので、反対意見の方も理解できます。世代間の意見の違いを感じるとともに、自分も結構年増組になってしまったんだなあ・・・と思い知らされます。

【リンク修正】
[107127] 2023年 3月 21日(火)23:30:06【4】訂正年月日
【1】2023年 3月 21日(火)23:35:30
【2】2023年 3月 21日(火)23:44:31
【3】2023年 3月 21日(火)23:54:49
【4】2023年 3月 22日(水)00:06:06
YT さん
丸亀五番丁はおそらく明治23年まで存続、ただし丸亀営所は元一番丁~四番丁に設営
[107123] むっくんさん

これらからすると明治7年に、おそらく、住民の数が0人となった自治体としての丸亀一番町~四番町が無くなり、登記簿上のみに丸亀一番町~四番町が残った。その後、明治23年の市制町村制施行に伴う丸亀町の成立に伴い、他の町村の管轄区域ではない丸亀一番町~四番町(土地の登記簿上のみ存在)が自治体として一瞬だけ復活していることとしていたものと考えます。
#丸亀一番町~四番町のような事例としては、現在の京都市上京区の京都御苑に存在していた西殿町(M19.5.13廃止、M22.4.1に上京区の一部)が挙げられます。

当時の丸亀営所は丸亀五番町にあり、丸亀五番町は丸亀通町外二十二箇町連合を形成する一つの町ではないでしょうか。おそらく、何らかの手違いで丸亀五番町が抜け落ち、その為に丸亀通町外二十一箇町連合となったのでしょう。

考察ありがとうございます。

まず色々調べた結果、『丸亀市史』(閲覧には利用者登録が必要です:[107055]参照)の方に明治21年8月13日付で「丸亀通町外二十二箇町戸長」の人口戸数のデータが乗っており、「丸亀通町外二十一町丁」とするのは誤りであり、たとえ人口がゼロであっても「五番丁」は空欄として登録するべきであることが示唆されました。

一方で、この丸亀市史収録の報告書には・・・御供所町、北平山町、西平山町、瓦町、風袋町、葭町、宗古町、魚屋町、松屋町、米屋町、通町、富屋町、塩飽町、南条町、横町、福島町、六番丁、七番丁、八番丁、九番丁、十番丁の合計21町丁の情報が載っているのですが、浜町と五番丁が欠けています。五番丁は本籍人口ゼロだから仕方ないかもしれませんが、浜町は明治22年の本籍人口が522人ですし、データの収録ミスかも知れません。

さらに厄介なことが判明しました、少なくとも丸亀営所は、一番丁~四番丁の武家屋敷をつぶしたところに作られ、あとから五番丁が兵営地に編入されたと推測されるからです。

まず、国立公文書館デジタルアーカイブの方に『讃岐国丸亀絵図』がありますが、こちらの城絵図は、下の方が北、上の方が南、左の方が東、右の方が西となっています。現在の丸亀城址(丸亀市一番丁)は、中央の内堀の内側のみで、外堀は埋め立てられるか、暗渠になっているかしており、地図の上ではなんとなく過去の外堀・町割の跡を道路で確認できる程度です。

次に明治6年12月3日の山縣有朋による『丸亀兵営建築地所請取方伺』もまた、国立公文書館デジタルライブラリ―で閲覧できますが、この資料の3/7頁目に、まさに丸亀兵営地を作るために陸軍に引き渡される予定の5万9463坪4号9勺4才別紙図面が掲載されています。場所としては城の外堀の内堀に挟まれた地で、「土橋」の位置から、城絵図と比較すると、現在の丸亀城址の北側の、丸亀市大手町一丁目大手町二丁目大手町三丁目に相当する地域であることが分かります。

『新版 角川日本地名大辞典』によると、現在の「丸亀市大手町」は、

昭和25年~現在の丸亀市の町名。昭和57年からは1~3丁目がある。もとは軍用地の一部(丸亀市旧一番丁~四番丁の中央部分)。丸亀城大手門前の一帯にあたり,町名はそこに由来する。

ついでに「四番丁」は、

江戸期~明治7年の町名。丸亀城の外郭内の武家屋敷町の1つ。丸亀平野の北部に位置し,丸亀城の北にあたる。三番丁の南に位置し,南側は内堀に面した。東西に細長い町で,中央は広場となっており,橋を経て大手二の門の正面にあたった。生駒氏時代から家中の居住地であったと推定されるが,町の成立は不明。続く山崎氏時代の城郭図には町割が整い,「侍屋敷」と記されている。京極氏時代の文政11年城郭図には10前後の武家屋敷が記されている。明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない陸軍省が用地を買収し軍用地となり,町は消滅した。買収による取払民家数8軒(丸亀市史)

つまり、一番丁~四番丁は、現在の丸亀城址の北側に、かつての外堀と内堀の間を埋めていた城下町で、北から順番に外堀、一番丁、二番丁、三番丁、四番丁、内堀と東西に延びた町割であったようです。この地の約90家の武家屋敷が明治7年に取り潰されて、丸亀営所になったようです。現在の大手町は、かつての東西に細長い四層構造を南北のラインで東西3つの丁目にぶつ切りにしてしまっています。

丸亀市史』の方に、兵営接地のために取り払われた武家屋敷の所有者一覧と住所が書かれています。すなわち「元一番丁」、「元二番丁」、「元三番丁」、「元四番丁」が該当します。リストには華族として京極一門の名前もあり、割と上級武士の武家屋敷のようです。丸亀営所自体は明治7年9月に新築落成しています。


一方五番丁の方は

江戸期~明治初年の町名。丸亀城の外郭内の武家屋敷町の1つ。丸亀平野の北部に位置し,丸亀城の東にあたる。四番丁の南に位置した。南北に細長い町で,東西でそれぞれ外堀・内堀に面した。生駒氏時代から家中の居住地であったと推定されるが,続く山崎氏時代の城郭図では町割が整い,「侍屋敷」と記されている。京極氏時代の文政11年城郭図には30数軒の武家屋敷が記されている。また当町の北東端には番所があり,土橋を経て城外に至った。明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。

こちらは現在の丸亀城址の内堀の東側に、南北に伸びた武家屋敷で、現在の丸亀市城東町二丁目に相当します。文章からすると後から陸軍に接収された土地です。ただ、『日本歴史地名大系』の方も

外郭内の武家屋敷は北から一番丁―十番丁まであったが、明治初期の丸亀歩兵連隊設置により一番丁―五番丁は消滅した。

とあり、『日本歴史地名大系』や『新版 角川日本地名大辞典』の記述に従うところの五番丁の消滅(?)時期が不明です。

結局具体的な丸亀営所の住所表記は分かりませんが、『陸軍省第十年報: 明治十七年 自一月 至十二月』の方だと、歩兵第十二連隊の営所の住所は、「那珂郡丸亀一番ヨリ九番地マデ丸亀城」となっています。

以上をまとめると、

1.「五番丁」は実態は無くとも居住地としては生きており、「町村別戸口表に掲載なし」という備考を加えた上でデータとして追加するべきである。

2.「通町外二十一町丁」は「通町外二十二町丁」に改訂するべきである。

3.「丸亀営所」は、元一番丁~元四番丁を接収して建設された。よって、「丸亀営所(旧一番丁~旧五番丁)」は「丸亀営所(元一番丁~元四番丁)」と改訂するべきである。



まあ今回改めて感心したのは、よく本丸、天守閣を潰して兵営地を建設しなかったことです!万が一天守閣を潰していたなら、丸亀城は現存十二天守の資格を失っていました。丸亀に関わった陸軍の幹部は、丸亀城の天守閣を潰さずに、あくまでも武家屋敷を潰して外堀と内堀の間に兵営所を建設し、その他の重要な軍備施設は城郭建物を転用していたようです。丸亀城が生き残れたのも、本当に幸運のなせる業と言えるでしょう。

【文章を色々修正/追記】丸亀藩・京極家は幕末尊皇派として行動し、明治維新後も率先して廃藩置県に応じたことから、丸亀城郭存続に効いたのかも知れません。明治時代~昭和時代の丸亀城周辺の地図を掲載しているサイトを見つけました。明治32年の地図(pdfファイル)を見る限り、兵営地があったのは現在の丸亀市大手町三丁目と現在の大手町二丁目で、元一番丁~四番丁の西側の半分という感じです。元一番丁~四番丁の東側は「練兵場」となり、五番丁は「作業場」になっています。
[107114] 2023年 3月 20日(月)14:42:22【3】訂正年月日
【1】2023年 3月 20日(月)18:07:40
【2】2023年 3月 20日(月)21:35:49
【3】2023年 5月 25日(木)17:21:26 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治23年北海度庁の町村別人口4カ所の人口訂正と、明治22年における丸亀営所の所属町村の問題
[107111] 白桃さん

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1890年の(人口)は、YTさんが算出された現住人口(日本帝国民戸口表基準)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。

早速使って頂きありがとうございます。

ただ、[107050]でアップロードしました明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口については、[107077]に加え、北海道庁の一部市区町村に間違いがありましたので、追加訂正します。

【1】

修正前:
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口(官報基準)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)
茅部郡蛯谷村29825655471559559
茅部郡石倉村13712025730268268

修正後
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口(官報基準)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)
茅部郡石倉村29825655471565565
茅部郡蛯谷村13712025730262262

『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』は、明治23年の戸口表に関して、本籍人口と現住戸数をまとめた「各郡区町村別戸口表」と、出入寄留をまとめた「各郡区町村別人口出入表」が分離しているのですが、両者で順番が違っていたのを見落とし、誤って逆にまとめて算出してしまいました。この間違いは『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で気付きました。本籍男~現住戸数の数値は逆で、[出]外国行~[入]他町村入寄留の数値は正しいです。ただし修正するにあたっては、「各郡区町村別戸口表」の順番を優先し、石倉村と蛯谷村を逆にし、出]外国行~[入]他町村入寄留の数値を入れ替えました。結果、現住人口(官報基準)と現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)の数値が変わります。


【2】

修正前:
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口
(官報基準)
現住人口(日本帝国
民籍戸口表基準)
備考
室蘭郡輪西村17118835967504503
室蘭郡元室蘭村8286421,4703001,5201,520M23.5.15改称

修正後:
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口
(官報基準)
現住人口(日本帝国
民籍戸口表基準)
備考
室蘭郡輪西村8286421,4703001,6151,614本籍男171, 本籍女188, 本籍人口359, 現住戸数67を修正
室蘭郡元室蘭村17118835967409409M23.5.15改称; 本籍男828, 本籍女642, 本籍人口1,470, 現住戸数300を修正

こちらはむしろオリジナルは『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』に従ってまとめてました。即ち「各郡区町村別戸口表」の方は元室蘭村、輪西村、各郡区町村別人口出入表」の方は輪西村、元室蘭村の順番に数字が示されており、入力の際にはちゃんと順番を入れ替えて表にまとめました。しかしがら『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で数値がおかしいことに気付きました。明治22年、明治24年の人口と比較すると、明治23年だけ特異的に室蘭村と輪西村の人口が不自然に反転していました。そこで『明治二十四年 徴発物件一覧表』の掲載の値が正しく、「各郡区町村別戸口表」の方で誤って元室蘭村と輪西村の順番を間違えてしまったと判断し、本籍男~現住戸数の数字を輪西村と元室蘭村の間で交換するという修正を行いました。[出]外国行~[入]他町村入寄留の数値は、人口比からも数字的に元データが正しいと判断し、こちらは修正しませんでした。結果、現住人口(官報基準)と現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)の数値が変わります。

以上の間違いは『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で気付きましたが、他の地域については官報掲載の現住人口との比較である程度この手の入力誤りは防げていたと思います。北海道庁・沖縄県・奄美・トカラ・対馬・隠岐に関しては、官報掲載の現住人口によるチェックができないため、このような間違いがほかにあるかも知れません(明治22年に関しては、『町村別戸口表』の方に欄外で官報掲載の現住人口が記載されているため、北海道庁と、そもそも情報漏れの伊豆・小笠原以外は数値のチェックができます)。

この他、戸長役場連合、町村組合管轄の範囲について、SUM関数の指定を誤っている箇所が既にいくつか見つかっていますが、これについてはまあ追加修正は一々メモっていないので、次回の更新で突然の修正がいくつも出てきますがすみません。


なお、今回香川県の過去の人口をまとめていらっしゃいますが、明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。明治22年末の香川県那珂郡は、無籍在監人2人、入寄留の囚人及懲治人208人、入寄留の陸海軍在営艦者1,598人の存在を確認できますが、この内無籍在監人2人は那珂郡丸亀御供所町に加えると、官報掲載の現住人口とも一致することからも、丸亀監獄が丸亀御供所町に存在したことが確認できます。一方で入寄留の陸海軍在営艦者1,598人とは、すなわち丸亀営所に現住戸籍を届けた陸軍第五師団歩兵第十二連隊の下士・卒・生徒であることに相違ありません。問題はその所在地ですが、『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、

明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。

とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。

となると、丸亀営所に居住の兵卒は、どこに現住の戸籍を置いたのでしょう?既に丸亀一番丁~五番丁は消滅しています。仕方ないので「丸亀営所」とでもするしかない町丁名同等地区が存在すると仮定して集計し、戸長役場管轄としては丸亀通町外二十一箇町丁連合の方に合算しましたが、ここの当時の住所の扱いが分かれば、集計方法を今後変えるかも知れません。

【言葉の間違いや繰り返しを一部訂正】
[107077] 2023年 3月 14日(火)01:05:57【3】訂正年月日
【1】2023年 3月 14日(火)01:37:18
【2】2023年 3月 14日(火)09:49:34
【3】2023年 5月 25日(木)17:21:58 by オーナー(表組み改善)
YT さん
徴発物件一覧表との比較による明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口の一部修正
[107050] でまとめた明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口については、[105242] に書きましたように、現在総務省統計局図書館所蔵が耐震改修工事対応のため利用できないため、残った数カ所の再チェックはあと数年実行できなくなりました。

しかしながら、明治23年(1890年)12月31日調については[87941]にまとめたように、『明治二十四年徴発物件一覧表』が存在します。
本書は大字別単位で膨大な情報が掲載されており、その中に大字別人口の情報もあります。8年前、[88602]に示したように、この情報をエクセルファイルにまとめようとしましたが、結局この徴発物件一覧表の人口データは本籍人口と現住人口、その他いい加減な計算結果が入り乱れているものであり、数値のチェックが困難なことから、まとめることを断念しました。今回[107050]で戸籍表に基づく現住人口がある程度まとまったので、改めて大字別人口を盛り込んで行こうと思っています。

ところで、[105313]に示したように、明治23年12月31日調の現住人口に関しては、

2. 虫食いのため、いくつかの町村の出寄留の囚人及懲治人、陸海軍在営艦者の情報が正確に得られず、現住人口が正確に算出できない。

という問題が発生していました。具体的には京都府の相楽郡加茂村、相楽郡当尾村、愛知県の愛知郡千種村、愛知郡鍋屋上野村、知多郡半田町、知多郡亀崎町、知多郡岡田村、碧海郡大浜町、碧海郡中島村、碧海郡占部村、幡豆郡味沢村、幡豆郡五保村、額田郡相見村、額田郡深溝村、西加茂郡藤河村、西加茂郡高岡村、西加茂郡豊原村、東加茂郡介木村、東加茂郡生駒村が該当します。

改めて徴発物件一覧表掲載の人口と比較したところ、少なくとも愛知県知多郡、碧南郡、幡豆郡に関しては、徴発物件一覧表掲載の人口が現住人口に対応しているらしいことが判明しました。他の京都府相楽郡と愛知県西加茂郡は一部現住人口、愛知県愛知郡と東加茂郡は本籍人口、愛知県額田郡は本籍人口と独自算出の混合ということで、他については既に推定値と合致する場合と、本籍人口ベースのだめにそもそも検証不能の場合とが混在します。

町村府県庁本籍官報[出]陸海軍[出]囚人懲治人現住(未確定)徴発物件虫食い箇所
相楽郡加茂村京都府3,7563,734573,7223,717[出]囚人及懲治人
相楽郡当尾村京都府1,4671,452111,4501,450[出]囚人及懲治人
愛知郡千種村愛知県2,7572,612212,6092,757[出]囚人及懲治人
愛知郡鍋屋上野村愛知県1,3491,318201,3161,350[出]囚人及懲治人
知多郡半田町愛知県4,9735,162765,1495,147[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
知多郡亀崎町愛知県5,8466,0501056,0356,034[出]囚人及懲治人
知多郡岡田村愛知県2,0502,017332,0112,014[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
碧海郡大浜町愛知県5,6845,50015125,4735,472[出]囚人及懲治人
碧海郡中島村愛知県1,6251,446211,4431,441[出]囚人及懲治人
碧海郡占部村愛知県2,6772,299442,2912,293[出]囚人及懲治人
幡豆郡味沢村愛知県2,1381,923301,9201,919[出]囚人及懲治人
幡豆郡五保村愛知県2,6862,439022,4372,438[出]囚人及懲治人
額田郡相見村愛知県3,1332,981492,9683,133[出]囚人及懲治人
額田郡深溝村愛知県2,7692,560372,5502,608[出]囚人及懲治人
西加茂郡藤河村愛知県1,6491,595421,5891,589[出]囚人及懲治人
西加茂郡高岡村愛知県2,0132,032332,0262,026[出]囚人及懲治人
西加茂郡豊原村愛知県1,9001,833021,8311,832[出]囚人及懲治人
東加茂郡介木村愛知県1,2371,240101,2391,237[出]陸海軍在営艦者
東加茂郡生駒村愛知県73172300723731[出]陸海軍在営艦者

[107050]の段階では修正を加えていませんが、少なくとも知多郡半田町、知多郡亀崎町、知多郡岡田村、碧海郡中島村、碧海郡占部村、幡豆郡味沢村、幡豆郡五保村については以下のような修正を、次のバージョンで入れることにしました。碧海郡に関しては、項目として隣接する中島村、占部村の数字が一致するよう、大浜町よりも優先して修正しました。

町村府県庁本籍官報[出]陸海軍[出]囚人懲治人現住(未確定)徴発物件虫食い箇所
相楽郡加茂村京都府3,7563,734573,7223,717[出]囚人及懲治人
相楽郡当尾村京都府1,4671,452111,4501,450[出]囚人及懲治人
愛知郡千種村愛知県2,7572,612212,6092,757[出]囚人及懲治人
愛知郡鍋屋上野村愛知県1,3491,318201,3161,350[出]囚人及懲治人
知多郡半田町愛知県4,9735,162785,1475,147[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
知多郡亀崎町愛知県5,8466,0501066,0346,034[出]囚人及懲治人
知多郡岡田村愛知県2,0502,017302,0142,014[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
碧海郡大浜町愛知県5,6845,50015125,4735,472[出]囚人及懲治人
碧海郡中島村愛知県1,6251,446231,4411,441[出]囚人及懲治人
碧海郡占部村愛知県2,6772,299422,2932,293[出]囚人及懲治人
幡豆郡味沢村愛知県2,1381,923311,9191,919[出]囚人及懲治人
幡豆郡五保村愛知県2,6862,439012,4282,438[出]囚人及懲治人
額田郡相見村愛知県3,1332,981492,9683,133[出]囚人及懲治人
額田郡深溝村愛知県2,7692,560372,5502,608[出]囚人及懲治人
西加茂郡藤河村愛知県1,6491,595421,5891,589[出]囚人及懲治人
西加茂郡高岡村愛知県2,0132,032332,0262,026[出]囚人及懲治人
西加茂郡豊原村愛知県1,9001,833021,8311,832[出]囚人及懲治人
東加茂郡介木村愛知県1,2371,240101,2391,237[出]陸海軍在営艦者
東加茂郡生駒村愛知県73172300723731[出]陸海軍在営艦者

ついでに[107043]の明治22年の町村別戸口表の虫食い箇所の表がおかしくなっていたので以下のように修正します。こちらの地区の徴発物件一覧表掲載の明治22年末人口は完全に本籍人口が採用されていたので、徴発物件一覧表のデータから修正はできません。

町村府県庁本籍人口官報掲載[出]囚人及懲治人現住人口(未確定)徴発物件一覧表掲載
東茨城郡石崎村茨城県2,6332,71522,7112,633
東茨城郡常磐村茨城県2,4842,48882,4782,484
東茨城郡河和田村茨城県1,9581,95231,9481,958
東茨城郡長岡村茨城県3,2743,29633,2893,274
東茨城郡上野合村茨城県2,6642,66952,6622,664
東茨城郡伊勢畑村茨城県1,2521,23911,2371,252
東茨城郡磯浜町茨城県8,8968,868138,8508,896

【追加訂正】最後の表に本籍人口と徴発物件一覧表掲載の人口を追加
[107055] 2023年 3月 9日(木)13:01:49YT さん
国立国会図書館デジタルコレクション「送信サービスで閲覧可能」について
YTです。

国立国会図書館デジタルコレクションの個人向けデジタル化資料送信サービスが始まってそろそろ1年になりますが、こちらで誰も言及していないので、改めて紹介します。

ここでもかなりの方が国立国会図書館デジタルコレクションを利用していると思いますが、国立国会図書館デジタルコレクションに登録されている資料の方は、以下の3種類があります・

1.ログインなしで閲覧可能
2.送信サービスで閲覧可能
3.国立国会図書館内限定

この内、

1.ログインなしで閲覧可能

については既に多くの方が利用されていているので省きます。

3.国立国会図書館内限定

については、実際に国立国会図書館でカードを作り、パスワードを設定し、国立国会図書館内の端末にカードを置いて、操作して閲覧する必要があります。必要箇所のコピーを取りたい場合は、その場で会計で現金支払いが必要となります。

今回説明したいのは

2.送信サービスで閲覧可能

です。こちらに関しては、数年前から地方の図書館の端末で閲覧可能でありましたが、結局のところ図書館の端末で出向かないといけないので、それほど便利というわけではありませんでした。

ところが、2022年2月1日 「個人向けデジタル化資料送信サービス」の開始について(令和4年5月19日予定)(付・プレスリリース)を見て頂ければわかるように、去年の5月下旬から、自宅で送信サービス限定の資料を閲覧することが可能となりました。

例えば以前[76316][76317][76319]で紹介しましたが、『統計集誌』に掲載されていた明治3年頃の府藩県三治制下での府藩県別の族籍別人員表や、[77095]で紹介した、蒲生氏郷の子孫が記述した文禄2年の蒲生領での人口調査なんかも、ログインIDとパスワードがあれば簡単に閲覧できます。

また、例えば[99389]でMIさんが

なお、この『高畠町史』は国会図書館のデジタルコレクションに収められてはおりますが、「インターネット公開」ではなく「図書館送信資料」ですから、送信サービス参加館で閲覧可能となっております。しかし全国の図書館は臨時休館を余儀なくされているでしょうし、国会図書館の遠隔複写サービスも受付休止になってしまいました。

と書かれていますがが、該当する箇所も図書館に行かず、直接閲覧可能です。

いずれにせよ、閲覧するには、ログインIDとパスワードが必要です。

自分の場合、十数年前に国立国会図書館でカードを作り、さらに国立国会図書館内の端末で検索する過程でいつのまにかパスワードを設定しました。またIDの延長は3年毎に必要だったようなのですが、自分の場合国立国会図書館でのコピーサービスを仕事で利用する関係で、なんとなく自動で延長を続けていました。どうやって自動延長したか、確かなんかサイトでクリックして簡単に自動延長できたような気がしましたが、その辺の細かい経緯はすっかり忘れてしまいました。昨年新聞記事のコピーを国会図書館に依頼する過程で(ログインIDとパスワードで遠隔依頼でき、料金は後から送られてくる支払い書で銀行口座振り込み)、偶然国会図書館デジタルコレクションの送信サービスが個人で利用できることに気付きました。サービス開始は昨年の5月19日からのようです。

自分が登録した時の詳しい経緯はすっかり忘れてしまいましたが、国立国会図書館の利用者登録(個人)についてによると、

国立国会図書館の利用者登録(個人)は、利用できるサービスの範囲によって次の2種類に分かれています。登録方法については、ご希望の登録種別に該当するページをご参照ください。なお、登録は無料です。

デジタル送信サービスを利用できるのは本登録のみですので、本人確認書類の提示が必要です。

国立国会図書館の利用者登録(個人)について:本登録に詳しいことが書かれております。確実なのは、本人確認書類を持って国立国会図書館に出向いて、カードを作り、ログインIDとパスワードを設定することですが、今ならオンラインでもIDとパスワードを作る方法があるようです。

国立国会図書館オンラインの「新規利用者登録」画面から手続ができます。
本人確認書類を写した画像ファイル(JPEG形式またはPNG形式)のアップロードが必要です。

電子メールアドレスを登録すると、当館から、申込手続画面を案内するメールを送信します。発信元のドメイン名は「ndl.go.jp」です。
電子メールアドレスの登録後24時間以内に申込手続画面にアクセスして、「本登録」を選択して申込手続を行ってください。
登録申込受付後、当館から、登録利用者IDを記したメールを送信しますので、ご確認ください。本人確認が完了するまでは「簡易登録利用者」として当館のサービスをご利用いただけます。
本人確認完了後、「登録利用者(本登録)」としてご利用いただけます。当館から、本人確認完了をお知らせするメールを送信します。

本人確認には5開館日程度かかります。申請の集中等の理由により、手続に相当の日数を要することがあります。あらかじめご了承ください。
本人確認書類として有効なものについては、「本人確認書類について」の項をご参照ください。

ログイン方法や操作方法については国立国会図書館オンラインのヘルプ「9-3新規利用者登録(本登録)(1-b)」をご参照ください。


国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスを個人利用できるようになったことに気付いてない方は、参考までにどうぞ。
[107050] 2023年 3月 8日(水)00:05:43YT さん
明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口 ver 0.50
以前[105313][105314]でアップロードしました明治23年(1890年)明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口の方ですが、こちらの方も組合の情報を追加し、一部データの誤りを訂正してVer 0.50としてアップロードし直しました。

https://u6.getuploader.com/SR1gou/download/931

[107048] かつさん

「組合」というのは、明治21年以降町村制が施行された際、複数の町村が役場業務をまとめて行うために置かれた行政組織です。

もともと町村制施行前は、戸長役場が単一または複数の町村の業務を一括して行い(単独戸長役場、連合戸長役場)、そのために複数の町村を統括する「連合」というのが置かれました。例えば香川県大内郡馬宿村に四つの村を統括する戸長役場が置かれ、[107043]でアップロードしたファイルでは、「馬宿村外三村」という名称でまとめましたが、より正確な呼称は、「馬宿村外三箇村連合」だったようです。

明治21年以降の明治の大合併後も、結局地方によっては人口希薄のために複数の町村をまとめて役場を置く方が効率が良いという事態も発生し、そういうところでは町村制施行前の「連合」に変わって「組合」が置かれたのです。例えば飽田郡の内田村と銭塘村を統括する役場が、銭塘村に置かれ、「銭塘村外一箇村組合」または「銭塘村内田村組合」が設置されたのです。

町村制施行前は大字レベルの細かい町村を統括する戸長役場連合が多数存在したのですが、町村制施行後に置かれた組合は限られた地域にのみ存在しており、結局は徐々に合併等によりこれも解消されていきます。

[107047] オーナーグリグリさん

データの本体の方はエクセルファイルの方ですが、出入寄留の生データが膨大かつ一部欠落もあり、しかも現在世間に知られている、明治22年12月31日調の人口1万人以上の市町村現住人口の表を大幅に訂正する内容となるので、そのままこれを外に見える形の表にするのは難しいかも知れません。エクセルファイルを転がしておいて、各自ダウロードして閲覧する現在の形の方が良いのではないでしょうか?

なお明治22年は試行錯誤が多かったのか、正直データとしては翌年の明治23年の方が内容の誤りが少ないように感じます。
[107046] 2023年 3月 7日(火)19:20:11【2】訂正年月日
【1】2023年 3月 7日(火)21:03:10
【2】2023年 5月 25日(木)17:22:26 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年(1889年)12月31日における人口5000人以上の戸長役場連合など
【訂正】題名が「明治22年(1890年)」からのコピペ処理になっていたので、全部修正!

『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」では、さらに香川県の高松、丸亀、沖縄県の那覇(広義)、北海道庁の福山、江差、小樽の現住人口が掲載されています。この内那覇(広義)は行政区分として存在するもの、北海道道庁の福山、江差、小樽は、「町」の人口を合算した市街のものということで予想はつきます。一方香川県に関しては、おそらく高松が高松城下六十町、丸亀が丸亀城下二十七町と、後に丸亀市に吸収される中府村・地方村の合算だと予想はされるのですが、どう足しても掲載の数字と一致しません。

城下・区域・市街府県庁現住人口官報基準本籍人口
香川郡高松城下(CE)香川県32,87732,18332,635
那珂郡丸亀城下(CF)香川県18,25416,49615,672
那覇(広義)沖縄県40,21240,22035,947
松前郡福山市街北海道庁12,03112,04711,063
檜山郡江差市街(CG)北海道庁13,88613,8999,772
小樽郡小樽市街(CH)北海道庁12,60612,6147,819

備考
(CE) 日本帝国人口静態統計掲載の高松の現住人口32,081は高松城下六十町のものと推定されるが、高松監獄の囚人及懲治人816を加算せず。差分20は計算間違いか(詳細不明)。
(CF) 日本帝国人口静態統計掲載の丸亀の現住人口18,295は丸亀城下二十七町及び中府村・地方村のものと推定されるが、計算間違いか(詳細不明)。
(CG) 日本帝国人口静態統計掲載の江差市街の現住人口13,798は他町村出寄留109、他町村入寄留190、江差分署の囚人7を加除せず。
(CH) 日本帝国人口静態統計掲載の小樽市街の現住人口12,629は他町村出寄留508、他町村入寄留485を加除せず。

連合戸長役場・島役所単位だと、宮古島、八重山島は全体で一つの島役所が管轄しており、およそ行政単位として似つかわしくないほどの巨大な組織になります。香川県では、高松が4つに分割されています。

(開く)明治22年(1889年)12月31日における人口5000人以上の戸長役場連合

今回徴発物件一覧表の情報から組合の情報をさらに加えましたが、これは戸長役場以上に変遷情報をたどるのが困難と思われます。組合に関しては局部的なまとまりもないので、ここでは集計を省略します。
[107045] 2023年 3月 7日(火)19:17:39【2】訂正年月日
【1】2023年 3月 7日(火)20:57:16
【2】2023年 5月 25日(木)17:23:19 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年(1889年)12月31日における日本国内の人口上位501位~1000位市区町村など
順位を1000位まで拡大してみます。神奈川県橘樹郡川崎町は935位ですが、この時点では川崎大師のある神奈川県橘樹郡大師河原村891位の方が人口が多かったようです。現相模原市域で最大の人口を有していた神奈川県高座郡大野村は3175位(現住人口3,327、官報基準3,333、本籍人口3,339)で、これでも圏外です。

(開く)明治22年(1889年)12月31日における日本国内の人口上位501位~1000位市区町村


『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」では追加で沖縄県の間切の人口の情報が掲載されていますので、以下人口5000人以上の間切の人口をまとめます。なお、明治22年版の『町村別戸口表』では沖縄県の間切に関し、
備考 本県ハ郡ノ設ケ無 之ニ付各間切島ヲ郡ニ該当製表ス
との脚注があり、間切は郡市相当として扱われており、間切の現住人口は他町村出入寄留の加除を行わずに算出しました。

間切現住人口官報基準本籍人口
那覇(狭義)27,95527,95923,714
首里26,20526,10226,449
中頭中城間切14,85714,85915,083
宮古島砂川間切13,79413,79413,666
島尻小禄間切12,10811,92011,857
国頭本部間切11,93911,93911,885
中頭西原間切11,80411,80611,990
中頭具志川間切(CD)11,22811,22811,224
中頭美里間切10,85410,85410,861
島尻大里間切10,55210,55210,651
国頭今歸仁間切10,49410,49710,434
中頭読谷山間切10,47310,47610,550
宮古島平良間切9,6879,6879,644
国頭名護間切9,4529,4549,120
中頭浦添間切9,4059,4059,670
国頭羽地間切9,3429,3429,240
中頭宜野湾間切9,2199,2199,342
島尻兼城間切9,0399,0399,116
中頭北谷間切8,8038,8038,929
島尻真和志間切7,6527,6527,711
島尻豊見城間切7,5397,5397,727
宮古島下地間切6,9936,9936,973
島尻南風原間切6,9386,9416,948
国頭国頭間切6,8746,8746,849
中頭与那城間切6,1906,1906,164
国頭大宜味間切6,0446,0456,038
八重山島大浜間切6,0296,0335,850
国頭金武間切5,5875,5875,582
中頭越来間切5,5735,5735,601
島尻玉城間切5,3595,3595,383
中頭勝連間切5,1985,1985,198
島尻東風平間切5,1605,1605,281

備考
(CD) 日本帝国人口静態統計掲載の現住人口11,220は計算間違いか(出入を反転?)。


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