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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

特別区、政令市以外の「区」とは?

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記事数=11件/更新日:2005年4月14日/編集者:YSK

現在の東京特別区、政令指定都市の行政区以外に、行政上「区」が存在したことがありました。横浜区、神戸区、釧路区などが存在したのですが、これらは一体どのような経緯で設けられたのでしょうか?また、現在の「区」との違いは何なのでしょうか?

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[10972]2003年3月11日
start
[3520]2002年10月3日
Issie
[6604]2002年12月17日
Issie
[7772]2003年1月16日
Issie
[10976]2003年3月11日
まがみ
[10991]2003年3月11日
Issie
[10997]2003年3月11日
三鈴
[39782]2005年4月13日
紅葉橋律乃介
[39825]2005年4月14日
紅葉橋律乃介
[39831]2005年4月14日
ふぁいん
[39833]2005年4月14日
北の住人

[10972] 2003年 3月 11日(火)14:21:24start さん
政令指定都市制度以前の区
ふと思ったのですが、
政令指定都市という制度が生まれる以前にも日本の大都市には既に「区」がありましたよね。
この「区」というものはどういう位置付けにあって、どんな条件で設置できたのでしょうか?
[3520] 2002年 10月 3日(木)20:38:06Issie さん
東京の区
はじめに…

[3519]
>この線の西側の長野盆地や上田盆地

「東側」ですね。うっかり…

[3491]
>大阪が24区あり、東京が23区。大阪の方が東京よりも狭いにもかかわらず区の数が多い。

1947年までの東京都(東京市)には区が35もあって,大阪市よりもちゃんと区がたくさんありました(なお,当時の大阪市の面積は現在よりもやや小さいものでした)。
1947年3月15日に都心部の区を中心に統合が行われて「22区」になりました。
 麹町区+神田区 → 千代田区
 日本橋区+京橋区 → 中央区
 芝区+麻布区+赤坂区 → 港区
 四谷区+牛込区+淀橋区 → 新宿区
 小石川区+本郷区 → 文京区
 下谷区+浅草区 → 台東区
 本所区+向島区 → 墨田区
 深川区+城東区 → 江東区
 品川区+荏原区 → 品川区
 大森区+蒲田区 → 大田区
 滝野川区+王子区 → 北区
*そのまま:目黒区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,荒川区,板橋区,足立区,葛飾区,江戸川区

1947年3月といえば,5月3日の「日本国憲法」「地方自治法」の施行をひかえた準備が進められていた頃ですから,地方自治法で“市”並みに取り扱うことになっている「特別区制」施行のためなのでしょうね。
ともかく,初めは「22区」でしたが,この年の8月1日に「練馬区」が板橋区から分離して「23区」となっています。

東京市が35区になったのは1932年10月1日に隣接5郡(荏原・豊多摩・北豊島・南足立・南葛飾)の全町村を編入したときのこと。それまでは1889年の「東京市」発足よりも早く1878年から「東京」には「15区」が設置されていました。
同じく「大阪」は「東・南・西・北」の4区,「京都」は「上京・下京」の2区から始まっています。

東京の場合も,大阪も京都も,近代的地方制度が整備される以前,江戸時代以来の地域区分が下敷きになっているように思われます。
特に京都の「上京」「下京」は中世以来の地域区分で,応仁の乱以降,織田・豊臣政権下で都市整備が行われるまでの間は京都は「上京」「下京」の2つの都市に完全に分離していました。
さらに中世以降の「京都」の都市域として生き残ったのは,古代「平安京」のうち「左京」の部分と,平安中期以降に都市化された鴨川左岸(東岸)の白河・祇園・六波羅地区で,「右京」が再び都市化するのは近代になってからのことです。
[6604] 2002年 12月 17日(火)22:20:50Issie さん
Re:町と字
はじめに…
「字」と「町」に制度上の違いがあるのかどうか,私にはわかりません。
お互いの違いを定義した法令があるのかどうか。

まず,「大字」と「字」とは来歴が違います。
「大字」というのは,1889(明治22)年の市制・町村制実施にあたって行われた“明治の大合併”で統合された旧村を区画として引き継いだものです。
たとえば,少し前で話題にした千葉県の「千葉郡幕張村」(のち幕張町。現千葉市花見川区と習志野市のそれぞれ一部)の場合,従来の馬加(まくわり)村・武石村・長作村・天戸村・実籾村の5村が統合されて発足しました。そこで新生「幕張村」は従来の村単位に「馬加」「武石」「長作」「天戸」「実籾」の5つの大字を編成しています。
隣りの「千葉郡津田沼村」(のち津田沼町。現習志野市の主要部分)は,谷津村・久々田村・鷺沼村・藤崎村・大久保新田の5村が合併して発足したものですが,その際に「谷津」「久々田」「鷺沼」「藤崎」「大久保」の5大字を編成しています。

もし従来の「村」または「町」が単独で町村制下の「村」「町」になったとしたら,わざわざ「大字」を編成しないこともよくあります。
たとえば,千葉県(東)葛飾郡の「豊四季村」。ここは町村制施行に際して単独(ほかの村との合併を行わず)で「豊四季村」となったので,新たに“大字”を編成することはありませんでした。のち1914年に「千代田村」(のち柏町,現柏市)に編入され,そのときに「豊四季」という大字が編成されています。

「字」というのは,それぞれの「大字」,つまり旧村の下位区分です。旧村とは,16世紀末から17世紀はじめにかけて行われた検地を通じて編成された近世の「村」を明治になって引き継いだものですが,その村の中の区分として「字」というものがありました。制度上で意味を持つのは,1873(明治6)年に始まる地租改正事業で,個々の土地所有者=地租負担者を台帳に登録する際の“コード”として採用されたことにあります(この際の“登録番号”が「地番」(○○番地)です。裏返せば,官有地はこのような台帳に登録する必要がないので,登録番号=地番が与えられず「無番地(番外地)」となったのです)。
もう一度いえば,それぞれの「(近世)村」の領域を区分する単位として「字」があったのです。

長野市は“住居表示”による新町名の編成がほとんど進んでおらず,県庁所在都市ながら都心地区で「大字長野」「大字南長野」「大字西長野」「大字鶴賀」という“大字つき”の呼称を公式地名として堂々と採用しています。これは町村制施行により「上水内郡長野町」が編成されたときの前身である「長野町」「南長野町」「西長野町」「鶴賀町(の一部)」を引き継いだものです(「大字鶴賀」については,のちに旧鶴賀町のうちの残りの地区を含む芹田村が編入されたときに「大字鶴賀」の下に再統合されています)。
長野の場合,これらの大字の下の区分として,たとえば「大字長野」には「大門町」「権堂(ごんどう)町」「元善(もとよし)町」その他の「町」があります。
このように“都市”では中世末期以来「町」または「丁」(「まち」「ちょう」)という共同体が成立するようになります。京都の上京・(中京)・下京地区にある無数の「町」は,そのような共同体が早い段階に成立したものと考えてよいでしょう。
江戸時代には,特に城下町の「町人地区」でそのような「町」が多く編成されました。個々の「町」(丁)は,農村に編成された「村」がそうであるように,住民の共同体であり自治単位でもありました。

明治維新後,何段階かの試行錯誤を経て結局は1878(明治11)年の「郡区町村編制法」により,江戸時代以来の地域区分を末端の行政区分とすることになりましたが,その際に一定規模以上の都市は「区」に統合されました。たとえば「横浜区」や「新潟区」「神戸区」などは当該都市域内の多くの「町」が統合されて「区」が編制されています。東京や京都・大阪といった大都市では,単独の「区」ではなく,「麹町区」以下の15区(東京),「上京区」「下京区」(京都),「東区」「南区」「西区」「北区」(大阪)という複数の独立した「区」が編制されました(逆に言えば,「東京」「京都」「大阪」という自治体(行政単位)は当時存在しませんでした)。
一方,城下町の区域を統合しても「区」となるほどの大きさがない場合には,盛岡城下町が「(南)岩手郡仁王村」となったように「村」や「町」として編制されたところもあります。

いずれにせよ,こうした経緯を経て,「町」は都市内部の地区呼称である,という“暗黙の了解”が成立したように思われます。
「市制・町村制」下で「市」になった都市の多くでは,「大字○○」という呼称よりは「○○町」という呼称が好んで使用される傾向があるのも,この暗黙の了解によるものではないでしょうか。
でも,それは決して必須事項ではなく,長野市のように都心部で「大字○○」という呼称をそのまま使用している自治体もあれば,多くの自治体がそうであるように「大字○○」も「○○町」も用いず,「○○」で済ましていることも珍しくありませんね。

なお,いわゆる「住居表示」による新町名の場合には「○○町」というフォーマットは用いず,「○○~丁目」という“町名”を用いることになっています。
そのために,名古屋の「栄町」は「栄」と呼ばれることになりました。
住居表示以前の旧町名では「~丁目」というのは「町」の下位区分(つまり“字”)扱いなのですが,住居表示による新町名では「○○~丁目」が“単独の町”扱いとなるようです。

最初に戻って…
「町」と「大字」に違いがあるかどうか,私にはわかりません。
ただ,統計資料上では「町丁字別」での集計が行われます。ここでは,お互いは同一級の地域区分として扱われています。
法令上の根拠がある,というよりは,従来の呼称をそのまま引き継いだものではないか,と私は考えています。

なお,

>京都市上京区今出川通浄福寺西入ル2丁目東上善寺町152 西陣郵便局

これは「東上善寺町」というのが“公式の町名”であって,“今出川通浄福寺西入ル2丁目”というのは京都特有の座標表現による“通称”です。

>それから、「字」を「あざ」と読ませるのはどんな経緯からなんでしょう。

おそらくは「字」という表記が先にあったのではなく,「あざ」という言葉がはじめにあって,それに「字」という字を当てたのでないか,と思います。
[7772] 2003年 1月 16日(木)21:05:58Issie さん
市制・町村制施行以前
[7747] 白桃 さん
>明治22年(1889年)に市町村制度が出来たんですけど、
>確か香川県が1番遅くて翌年になったと思います。どうしてなんでしょうか?

そういえば,「高松市」の市制施行は1890(明治23)年2月15日,「小豆(しょうず)郡土庄(とのしょう)村」への町村制施行も同じ日ですね。つまり,香川県で市制・町村制が施行されたのがこの日。
1888(明治21)年4月1日に公布された「市制・町村制」が丸1年の準備期間を経て,一応「施行された」とされている1889(明治22)年4月1日に全国で30余りの「最初の市」が発足したけれども,「東京市」の発足は5月1日で,つまり「最初の市」には含まれない。東京市に限らず,「豊多摩郡渋谷村」も「南葛飾郡亀戸村」も,つまり東京府で市制・町村制が施行されたのは,その5月1日。
ほかにも,「岡山市」以下,岡山県は6月1日。「名古屋市」以下,愛知県では10月1日。
どうも,府県単位で日付の違うことがあるようですね。それぞれの府県で何か事情があったのだろうと推測できそうですが,何があったのでしょうね。
そう,そう,「香川県」そのものも1888年12月に愛媛県から再分離して三たび設置されたばかり(これで47府県の配置が確定)ですから,これが香川県で市制・町村制の施行が遅れた原因かもしれませんね。
なお,「北多摩郡砧村」も「北多摩郡田無町」も発足は4月1日。ここは東京府ではなく,「神奈川県」だったからです。

市制・町村制が全国で施行された後,1890(明治23)年5月に今度は「府県制」「郡制」が公布されますが,こちらの準備は市制・町村制以上に手間がかかったようで(「郡」の再編を伴ったので),1900(明治33)年4月1日に岡山県でようやく「郡制」が施行されて完成するまで,10年の期間がかかっています。
なお,この制度が北海道や沖縄に施行されるのは大正年間になってからのことです。

>また、市町村制の前、ほんの一時期だと思うのですが、金沢、岡山、和歌山、熊本、名古屋etc.が
>府だか区だかになっていたんじゃないかと記憶しております。
>その当時の3都に次ぐ都市にそのような名称を冠したのでしょうか?

大都市には「区」が設けられていました。
1888年公布・89年施行の「市制・町村制」,1890年公布・1900年までに施行の「府県制」「郡制」で近代日本の地方制度が完成するまで,特に発足後の10年間,明治政府はさまざまな試行錯誤を繰り返してきました。従来,つまり江戸時代の行政区分にこだわらず(言い換えれば,それを否定して),戸籍編成の単位としての「大区・小区制」など。
結局,末端行政単位としては従来の区分を継承するのが合理的であるという結論に達して公布されたのが1878(明治11)年の「郡区町村編制法」でした。ここで江戸時代以来の「郡」「町」「村」が行政区分として“復活”します。
そして,この布告の「第4条」に以下の規定がありました。

三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス

“3府(東京・京都・大阪)”“5港(函館・横浜・新潟・神戸・長崎)”をはじめとする大都市(人口輻輳[ふくそう]ノ地)は,特に郡の区域から切り離して「区」という特別の行政区を設置する。
なかでも巨大な人口を抱え,その領域も広大な都市(つまり,東京・京都・大阪)の場合は,単独の「区」ではなく,それぞれに独立した複数の「区」を設置する,
というものです。
これに基づいて,以下の各区が設置されています。

仙台区
【東京】麹町区,神田区,日本橋区,京橋区,芝区,麻布区,赤坂区,四谷区,牛込区
小石川区,本郷区,下谷区,浅草区,本所区,深川区
新潟区
金沢区
名古屋区
【京都】上京区,下京区
【大阪】東区,南区,西区,北区
堺区
神戸区
岡山区
広島区
赤間関区
福岡区
長崎区
熊本区

「東京」の15区,京都の2区,大阪の4区は,それぞれに独立した単独の行政単位です。反対に,それらを統括して,東京全体・京都全体・大阪全体を管轄する行政単位は存在しません。
ここで「区」と呼ばれた行政単位が,「市制」によって「市」と“改称”された,ということになるのです。
このとき,複数の区が設置されていた3大都市ではそれらの「区」の上に「東京市」「京都市」「大阪市」が設置されたわけですが,内部の「区」が元々独立した行政単位であったので市制施行後も「市」と「区」の権限をめぐって,両者には微妙な関係がありました。
…という経緯を持つ3大都市以外の「市」にその後設置された「区」は,したがって市制施行以前の「区」とは全く別の存在です。

なお,前述の通り,北海道と沖縄には「本土並み」の地方制度がかなり遅れて施行されました。
本土と同様の「市制」が施行されるまで,この2つの地域では特別に「区」の制度が行われていました。以下の「区」が設置されています。

1922.8.1 市制
札幌区
函館区
小樽区
旭川区
室蘭区
釧路区

1921.5.20 市制
那覇区
首里区

それぞれ,本土並みの「市制」が施行されたときに「市」に移行しています。
[10976] 2003年 3月 11日(火)15:15:15まがみ さん
Re: 政令指定都市制度以前の区
[10972]start さん
政令指定都市という制度が生まれる以前にも日本の大都市には既に「区」がありましたよね。
この「区」というものはどういう位置付けにあって、どんな条件で設置できたのでしょうか?
指令指定都市以前の「区」といっても二種類あって、
1.市制町村制以前の、郡区町村編制法に基づいて設置された「区」
2.市制町村制以後の、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸各市に設置された「区」

1. の区については、過去ログ[7772] [6604] [3520]などでIssie さんが詳述されています。位置付けとしては、ほぼ現在の「市」に相当するもので、イメージとしては東京都特別区みたいなものを思い浮かべれば良いと思います。すなわち「区」と名前が付いてはいるものの、独立した行政単位という感じですね。現行の政令指定都市と違って、これらの区の範囲を包含するような「市」は存在しませんでした。

2. の区は、現在政令指定都市に設置されている行政区と同じようなもので、大都市の下に置かれている単なる区分です。独立した行政単位ではなくて、行政を行なうのはこれらの区の範囲を包含する「市」です。ここでいう「区」は、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸のいわゆる六大都市に設置されていました。そして1956年9月1日、地方自治法の改正により現行の政令指定都市制度ができ、現在に至っています。


[7772]Issie さん
横浜区が書かれていないですが、これも含まれますよね。単に記入漏れでしょうか。
[10991] 2003年 3月 11日(火)18:55:10Issie さん
Re^3: 政令指定都市制度以前の区
[10976]まがみ さん
横浜区が書かれていないですが、これも含まれますよね。単に記入漏れでしょうか。

あっ,本当だ。ウチの「本社」所在地ではないか…。いや,単なる書き忘れです。

[10977] start さん
この「区」が設置できたのは東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸だけ、と法律か何かで決められていたのでしょうか。

前のところにも書いたと思いますが,東京・京都・大阪の3市については「市制」施行以前から存在していた複数の「区」がそのまま「市」に包含されたものです。
「郡区町村編制法」では,「区」というものが現在われわれが「市」と呼ぶものに相当していた,と理解するのがいいように思います。その意味で,東京・京都・大阪に設置されていた“複数の「区」”はそれぞれに“単独の自治体”であったわけで,市制施行直後もその性格が引き継がれて,「市」の権限は当初,かえって限定されたものであったようです。

1900年に「市制」が改正されて人口20万以上の「市」には,市域を分割して「区」を設置し,市の職員(吏員)である「区長」を置くことができるようになりました。そして,1911年の改正でその「市」を内務大臣が指定することになり,名古屋・横浜・神戸の3市が相次いで“指定”された,というわけです。

…というわけで,「市制」という名前の法律が根拠になっていました。
[10997] 2003年 3月 11日(火)20:01:51三鈴 さん
勅令指定都市の区・内相指定都市の区
[10991] Issie さま
東京・京都・大阪に設置されていた“複数の「区」”はそれぞれに“単独の自治体”であったわけで,市制 施行直後もその性格が引き継がれて,「市」の権限は当初,かえって限定されたものであったようです。

 市制・町村制公布の翌年にあたる1989(明治23)年に公布された「東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件」という法律の規定で、この3市では市長や助役を置くことができなかったそうです。この法律は1998(明治31)年に廃止されたそうですが、この際に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加されたことで、3市の内部に特例として設けられていた区は、存置されたようです。
 というわけで、細かいことを申し上げるようですが、厳密にいうと、1989(明治23)年~1998(明治31)年の間、3市に存在した区の根拠法は、「市制」ではなく「東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件」ではないかと思うのですが‥‥。

そして,1911年の改正でその「市」を内務大臣が指定することになり,名古屋・横浜・神戸 の3市が相次いで“指定”された,というわけです。

 この1911(明治44)年の「市制改正法律」で、「勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス」という勅令指定都市の仕組と、ご指摘の「内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル」という内相指定都市の仕組が、できたわけですね。
 この仕組のもとで、勅令第239号による指定を受けた東京・京都・大阪の3市では、郡区町村編制法以来引き継いできた区に法人格が付与され、一方、同年内務省令第14号の指定を受けた名古屋市では、新たに行政区が設けられました。
 その後の推移としては、京都市・大阪市の法人区も、名古屋市や1927(昭和2)年に内相指定都市になった横浜市、1931(昭和6)年に内相指定都市になった神戸市の行政区も、ほぼ同じものとして機能していたようですが、法律上は、同じ「市制」を根拠法としながらも、その根拠としている規定は異なっていたという点、意外と知られていないのでは思い、蛇足かとも思いましたが書き込みさせていただきました。
[39782] 2005年 4月 13日(水)23:12:36紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
不自治区
[39768] 2005年 4月13日(水)20:54:56 ふぁいんさん
明治30年5月25日以前にあった札幌区・函館区とは一体???

 明治11(1878)年に郡区町村編制法が公布されています。順次全国で施行され、北海道でも翌12年に施行されています。もとからあった「郡」に郡役所を設けて“自治体”化したわけですが、大きな郡は分割し、人口集中地域は「区」を設け、その中でも特に集中している地域には複数の「区」が設けられています(東京や大阪)。
 市制施行の際に、「区」は「市」という名前で、本物の自治体になっていますね。

 明治22年の表では、ほとんどの区が「市」として載っているわけですが、19年の表では単に地名のみ。で、22年の表に戻ってみて、札幌や函館が「区」として載っている。確かにその通りなんですが、他の「市」とは趣が違うのでは? と思ったんですが…。
[39825] 2005年 4月 14日(木)20:43:46紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
市区町村
[39798] 2005年 4月14日(木)00:42:06 ひげねこさん
函館に「旧函館区公会堂」という重文の建物があるのですが、なんで「区」か疑問に思ってました。ちなみにこの建物、明治43年に建てられたのですが、明治末まで北海道には「区」が存在したということでしょうか。「市」になっていたら、「旧函館市公会堂」のはずですよね。

 北海道では、大正11年まで「区」がありました。明治11~12年にかけて全国的に設置された区とはちょっと違うものですが、範囲が変わったわけではないですから、住民にとっては今の新設合併(中心となる市町村名がそのまま引き継がれる)のような感覚だったのでしょうか(と言うか、一般市民にとってはどっちでも良かった?)。
 沖縄県にも、大正10年まで「区」がありましたね。こちらは明治29年に設置されるまで、郡区編制法自体が適用されていなかった(「郡」というまとまりもない)ようです。
[39831] 2005年 4月 14日(木)22:21:19【1】ふぁいん さん
メンバー登録しました。皆様よろしくお願いします。
皆さんこんばんわ。
私もついにメンバー登録させていただきました。
皆様どうぞこれからよろしくお願いいたします。


[39825] 紅葉橋瑤知朗 さん

私個人的に気になったのが、函館区・札幌区よりも小樽区の方なんですよね。
従来からあった函館区や札幌区と違い、小樽区は明治32年10月1日の北海道・区制施行(函館区・札幌区・小樽区)に
伴って出来た区なのです。

明治32年10月1日に
小樽郡32町村(若竹町・勝納町・潮見台町・新富町・真栄町・川原町・高砂町・土場町・
芝居町・新地町・金曇町・龍徳町・若松町・開運町・信香裏町・信香町・山ノ上町・
有幌町・量徳町・住ノ江町・永井町・花園町・山田町・曙町・入船町・港町・堺町・
住初町・相生町・沙崎町・奥沢村)と
高島郡6町(色内町・手宮町・稲穂町・手宮裏町・南浜町・北浜町)の計38町村を
統合して小樽区となっています。
それまでは、「小樽」という独立した自治体は存在しなかったんです。
そういうことから、小樽もある意味「合併都市」といえるのではないでしょうか?

またそうして考えると、
当時これらの小樽郡や高島郡の各町村は、それぞれかなり狭い面積だったんだろうなと思われます。


[39816] 愛比売命 さん
[39811] EMM さん
[39810] 今川焼 さん
[39806] sutekinaおじ さん

来年には「日本のチリ」もできますよ!!

それは、山梨県の甲府市と中道町と上九一色村の北側地域が
来年3/1に合併して出来る新・甲府市です。
見事なまでにものすごく細長い市域になります。

[39786] EMM さん

私には、EMM さん のヒントは全然さっぱりわかりませんでした。
ムツカシイ・・・・
[39833] 2005年 4月 14日(木)22:56:22北の住人 さん
札幌区について
[39768] ふぁいん さん
[39798] ひげねこ さん
[39825] 紅葉橋瑤知朗 さん
以下は、さっぽろ文庫「開拓史時代」(札幌市発行)からです。
『郡役所・区役所は「郡区町村編成法」という法律に基づいて全国的に設けられた地方行政の末端に位置する機関であった。この法律は明治十一年(一八七八)に制定され、開拓使管下には翌十二年施行された。それと同時に従来の行政区画であった大区・小区は廃止され、道内には九〇郡区・八二六町村・二一郡区役所・一三六戸長役場が設置され、郡区役所は翌十三年相ついで開庁し、分署は廃止される。
札幌はそれまで本庁の直轄下にあったが、この時置かれた札幌区役所の所轄となった。札幌区役所は、南二条西五丁目に庁舎を新築し、山崎清躬を区長として明治十三年四月一日に開庁した。当初札幌区役所は札幌市街を含む札幌郡全体を所轄したが、札幌県時代の明治十七年四月一日、札幌市街のみを札幌区と改定し、同時に区役所はこの地域だけを管することになった。札幌郡内の他村は別に設置された札幌・夕張・空知・樺戸・雨龍・上川郡役所の管轄となり、札幌と周辺村落の間には町村行政の区画上、一線が引かれることとなる。』

次は「角川地名大辞典」からです。
『明治22年施行の市制町村制は北海道に適用されず,同32年市制に代わる北海道区制が施行され,函館・札幌・小樽に施行,ついで旭川(大正3年),室蘭(大正7年),釧路(大正9年)の6区になった。区会は設けられたが参事会を有せず,大正11年北海道にも市制施行,上記6市が誕生し,区は消滅した。なお,大正15年町村内の下部組織に,部が改称した区がある。』

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