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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

札幌市についてのメッセージ集

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記事数=12件/更新日:2006年2月11日/編集者:YSK

札幌市に関連した雑学的な話題を集めました。YUTAさんに情報提供を頂きました。感謝いたします☆

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[19085]2003年8月17日
ありがたき
[30586]2004年7月16日
EMM
[33422]2004年9月26日
special-week
[36281]2005年1月1日
紅葉橋律乃介
[37201]2005年1月29日
北の住人
[37730]2005年2月11日
北の住人
[37944]2005年2月19日
北の住人
[38113]2005年2月27日
北の住人
[38129]2005年2月28日
北の住人
[39833]2005年4月14日
北の住人
[42582]2005年6月26日
北の住人
[44369]2005年8月21日
紅葉橋律乃介

[19085] 2003年 8月 17日(日)10:43:22ありがたき さん
大通り≒ゼロ条?
[19006][19066]太白 さん

「無番地」とか「番外地」「地先」というのは聞いたことがありますが、「0番地」「0丁目」というのはありませんよね?

「0丁目」「0番地」と、ゼロを見て座標を連想し、さらに連想して札幌市の地図が思い浮かびました。
元々「丁目」は1から始まって数字が増えていくものですが、札幌をはじめとした条丁目を使った座標式の住所の場合は、その独特の条丁目の数字の振り方からして東西や南北の境目があるにゼロの可能性を連想したくなりますよね。
それをふまえて、札幌市の場合「大通り」という住所は、北1条と南1条の間にあるので、xyの2軸座標とすると、yに相当するのかなって感じがしてきます。
対するx軸はどうだろう?と思って地図を見ると、大通り公園や札幌駅近辺で確認できるところによると、東1丁目と西1丁目の間、2本の道路に挟まれた創成川がx軸のゼロに相当しそうな感じですが。
では、その「東1丁目と西1丁目の間にある2本の道路に挟まれたブロック」は、住所的にはどうなんでしょうか?東1丁目か西1丁目のどちらかに属するのか、はたまた「大通り」のごとく独立した住所なのか?もしや「0丁目」なのか!?川だから住所がないとか?どなたかご存知でしたら教えてください。

東京都区内の首都高速高架下テナントに見られる「地先」の例を思い出せば、「川で住所がない」説もありそうな気も…
[30586] 2004年 7月 16日(金)01:19:58EMM さん
北海道のツクツクホウシは、ずっと土の中で羽化できる日を待っている…らしい
[30550] KMKZさん

従姉が住んでいたのは札幌でした。
また、職場に北海道大学出身の後輩(生まれや育ちは金沢市)がいるのでツクツクホウシのことを聞いてみたところ、
「札幌では聞いたこと無いですね、と言うか、セミが鳴いてるのを聞いた覚えがないんですけど」
とのこと。
(少なくともエゾゼミはいるはずなんですけど…長年アブラゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクホウシ・ヒグラシの声を聞いているとエゾゼミの声はセミの声だと認識しなかったのかも)
じゃあ道南の方にはいて、どこかに北限があるのか、と思ってネット検索で調べてみたんですが、よくわからない。
ただ、「北海道にも分布する」という記述は出てくるのに、「北海道でツクツクホウシの鳴き声を聞いた」と言うことを書いている人がいない。
(北海道では聞いたことがない、と書いてあるページはある)
どういう事ぢゃい、と言うことでさらに調べてみたら、次のページを見つけました。

http://www.santapresentpark.com/funtoki/osanpo/0009.html

とんでもない猛暑にならない限り、北海道では土の中から出てこないみたいです。
また、おそらく数もそんなに多くないでしょうから、羽化して鳴いていたとしても、それを耳にできる人はごくわずかでしょうし、耳にしたとしても「セミの鳴き声」と認識できないのかもしれません。
札幌のような大都市だとなおさらかも。




[30523]で後日回し、と書いたネタまで手が回りません。時代劇の各種考証に関した話だったんですが。
(と、こう書いておかないと自分でも忘れそう)
[33422] 2004年 9月 26日(日)08:16:44special-week さん
市バスがない!

 北海道から今朝帰ってきました。

 さて、北海道(札幌市&函館市)に滞在してショックだったことは、市バスがないということです。どちらの都市も近年まで市バスを運行していましたが、札幌は今年3月末をもって市バスを廃止いたしました。
 市バスが廃止になっても、民間のバスが移譲されて運行しているので、さほど実情は変わらないのですが、それでも交通という公共性の高い事業から「市」が撤退してしまうのは大変残念なことです。
 最近、武蔵野市を代表とするコミュニティーバスの運行が盛んですが、こういったコミュニティーバスって、市バスとはまた“別物”ですよね?市バスとどう違うんじゃい!?と言われたら、返答に窮してしまいますが、政令指定都市である札幌市に市バスがないということは、少なからず私にはショックでした。
 でも、よくよく考えてみれば、同じく政令指定都市の静岡市にも市バスはないんですよねぇ……。
[36281] 2005年 1月 1日(土)02:32:39紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
「手稲市」の夢
 明けましておめでとうございます。あと3ヶ月以内にさらに変動の兆しが見られることと思います。期限はすぐそこまで来ているのですね。

 さて、昨年末、懸案だった昭和27~31年までの月末住民登録人口(当面は空知管内分)の資料を道庁から頂いてきました。毎月末ではないものの、概ね四半期別と言うことで、貴重な資料と言えます。
 ページの都合で「石狩支廳」が先にあり、続いて「空知支廳」・「上川支廳」までが載っています。そんな中、「石狩」の手稲町の昭和27年9月末日現在の登録人口は、男女総数「50,396」人となっています。このまま増えつづければ単独市制も可能では? と思って12月末日現在を見れば、「10,404」人。この急減の理由は?!
 この原因は、すぐに分かりました。27年9月の手稲町、男「5,211」人、女「5.185」人、と言うことで、合計は「10,396」人となります。何のことはない、単なる誤植だったのでした。
 この手稲町も昭和42年3月1日に札幌市へ編入され(合併時は2万数千人台)、その後札幌市の人口急増を受けて(47年に指定都市となり、町域は西区管内に)、平成元年11月6日、西区が「西区・手稲区」に再編されることになります。

 平成16年11月末日現在、札幌市手稲区の住民基本台帳人口は「137,639」人。もし合併しなかったとしたら、「手稲市」という十万都市が生まれていた…のかな?
[37201] 2005年 1月 29日(土)16:16:06北の住人 さん
中の島ブルース
札幌に「きたえーる」という名のスポーツセンターがあるんですが、そこで来月行われる演歌コンサートのチラシに前川清の名が。会場のある豊平区には「中の島」という地名があります。そう、中の島ブルースに歌われている場所です。
当初、この曲は歌詞が異なり3番まで札幌の中の島だったのですが、クールファイブのヒット曲では2番3番に大阪と長崎が加わりました。
この中の島、前にも書きましたが、川に囲まれた地形からというのが由来の様です。大阪と長崎の「中の島」(中之島?)も同じような地形と思いますがまだ調べてはいません。

ちなみに、札幌には「つどーむ」と言う名の屋内競技場や「Kitara(きたら)」と言う名のコンサートホールがあります。
[37730] 2005年 2月 11日(金)17:06:09北の住人 さん
北の祭り
「さっぽろ雪まつり」、これ、「雪」以外平仮名書きですが、今年のスタンプを「札幌」としてしまい修正を余儀なくされた会社の話題がローカル紙面にありました。今日はその真駒内会場(地下鉄自衛隊前)に行ってきました。滑り台が多く子供に人気の場所ですが、小泉首相も登場したようで、ここは今年で最後という事もありかなりの人でした。滑り台は1時間待ちのため断念して、交通資料館に寄って帰りました。

北の祭りというと東北や北陸のようですが、北海道の冬祭りで観光客の多いものに、支笏湖氷濤まつり、層雲峡氷爆まつり、旭川冬まつりなどがあります。祭りというより展覧会ですが。
[37944] 2005年 2月 19日(土)22:10:27北の住人 さん
手稲っていいね
地元札幌シティーの過去の合併について紹介します。先ずは、昭和42年合併の手稲町。

注意していただきたいのは、手稲町域と手稲区域は同じでは無いということ。現在の手稲区には、合併当時札幌市域の「発寒」の一部が「新発寒」として入っており、また逆に手稲町域だった部分が西区に残っています。
西区に残っている町名→西町、西野、福井、平和、宮の沢(手稲区側は西宮の沢に名称変更)
西区側の字、町名の変遷は次の通りです。

手稲町時代(字名)札幌市合併時(町名)札幌市西区西区分区時
手稲東手稲東西町
西野手稲西野手稲西野西野
福井手稲福井手稲福井福井
平和手稲平和手稲平和平和
宮沢手稲宮の沢手稲宮の沢宮の沢
※字名、町名変更時期は正確に記述すると煩雑になりますので、おおよその目安と考えてください。手稲町時代には大字から字への変更、新字設定があります。

手稲町の変遷は次の通りです。
発寒村→手稲村分離→上手稲村と改称、下手稲村分村→下手稲村から山口村分村→上手稲村、下手稲村、山口村合併し手稲村

札幌市合併前後、旧上手稲村域である西野、福井、平和などは宅地開発が進み、札幌市への通勤者が多く、町役場のある手稲(旧下手稲村域)より札幌市中心方向(琴似、山の手地区)への指向が強かった事が、分区時に手稲区域にならなかった要因と思われます。
手稲地区は石狩市への公共交通の分岐点で、石狩市民の一部は手稲を経由して札幌市に通勤、通学をしています。
[38113] 2005年 2月 27日(日)20:12:59北の住人 さん
札幌市の町名について
[38082] wasi さん
他市町村も同じだと思いますが、町名設定と住居表示とは歴史が異なります。札幌市の中心部、北20条辺りから南8条辺りまで、西19丁目辺りから東20丁目辺りまでの一部は、字ではなく町ですが、住居表示が未設定で番地のままです(平成11年の道路地図での話)。現在は順次住居表示実施しているため範囲は狭くなっていると思いますが、昔の札幌区の地域のほとんどは、まだ住居表示が設定されておらず番地のままです。マピオンでも確認できると思います。
明治期の札幌市街地は、当初、京都のように南北・東西の各方向に通名を設定し、住所はその交点で表示していた様です。ところが、市街が急速に拡大したため、通りに名称をつけるのを止め、現在の様に南○条西×丁目と改めました。札幌区発足当初は字名だったようですが、その後町名に変更し、市制施行時は町名となっています。その後の周辺町村併合で、町と字が並立している時期もありました。現在の札幌市には字が設定されていません。

現在の札幌市ですが、地名のついた例えば藤野○条×丁目でも、住居表示区域(N番n号)と未実施区域(N番地)が混在している例もあります。
なお、古くからの街である函館など以外の、開拓期以来の市町村の中心部も、札幌中心部と同様な町字を設定し、N条n丁目やN線n号の名称を付けている例が多いです。(区画割の違いが名称の違いになっているようです。)
ちなみに札幌は今となっては大都市ですが、その生立ちは何も無い田舎というか森林原野に都市を建設したものです。

札幌の地名に関しては、「さっぽろ文庫」の電子本サイトに「札幌地名考」というのがありますので、参考にしてください。ただし、これを見るには、閲覧ソフトと電子本のダウンロードが必要です。また「地名考」となっているように、地名由来には複数の説があったり、伝説的なものも多いので、引用には十分な注意と配慮が必要です。
http://www.sapporobunko.jp/books/books.html
[38129] 2005年 2月 28日(月)06:02:38北の住人 さん
札幌区に吸収された豊平と残りの豊平
札幌市と昭和36年に合併した豊平(とよひら)町について。
注意すべき事が2つあります。合併直前の豊平町には「豊平」という字名はなく、合併前の札幌市に「豊平」という町名があった点と、豊平町域と豊平・南・清田区域は等しくない点です。

1点目は、明治後期に豊平町の市街地である大字豊平村の大部分が、役場所在地と共に札幌市に併合され、残った部分で豊平町が存続し、役場は大字月寒(つきさっぷ、現在の読みはつきさむ)村に移転、大字豊平村の残部(豊平村○番地、だいたい田畑)はその後字美園に変更になりました(大字を廃し字を設定)。
大字平岸(ひらぎし)村・月寒村と豊平村の住民意識違い(職業も一方が農業地域、他方豊平市街地が商工業というように異なる)が豊平町の分裂、札幌区への併合となったようです。また、札幌区は山鼻村、札幌村に対しても同様の併合(村中心地である人口集中地を併合)を行っています。

2点目は 現在の豊平区豊平は、前述の通り合併前の札幌市域であり、南区は豊平川左岸の砥山から川沿・南○条が札幌市域、清田区の平岡10条の大部分が札幌市域であり、合併直前の豊平町域はその残りという事です。(旧豊平町域は、豊平区の豊平・旭町・水車町以外。南区の定山渓と簾舞から真駒内・澄川までの豊平川右岸・山地丘陵地帯。清田区の大部分)

豊平町域の変遷は次の通りです。
 明治初期、麻畑(あさばたけ)村(後の平岸村)、月寒村、豊平村が順じ成立
→月寒村から広島村(現在北広島市)が分立
→平岸・月寒・豊平村合併し豊平村になり、3大字編成、その後町制施行
→大字豊平村の大部分が札幌区(後の札幌市)に併合
→広島村との境界変更による大字広島村を含めた4大字を廃し、字設定
→札幌市と合併、町名設定
→区制施行により、豊平・南区成立(それぞれ旧札幌市域を含む)
→豊平区分区、清田区成立し厚別区と境界変更
 ※隣村との小規模な境界変更は省略しています。
[39833] 2005年 4月 14日(木)22:56:22北の住人 さん
札幌区について
[39768] ふぁいん さん
[39798] ひげねこ さん
[39825] 紅葉橋瑤知朗 さん
以下は、さっぽろ文庫「開拓史時代」(札幌市発行)からです。
『郡役所・区役所は「郡区町村編成法」という法律に基づいて全国的に設けられた地方行政の末端に位置する機関であった。この法律は明治十一年(一八七八)に制定され、開拓使管下には翌十二年施行された。それと同時に従来の行政区画であった大区・小区は廃止され、道内には九〇郡区・八二六町村・二一郡区役所・一三六戸長役場が設置され、郡区役所は翌十三年相ついで開庁し、分署は廃止される。
札幌はそれまで本庁の直轄下にあったが、この時置かれた札幌区役所の所轄となった。札幌区役所は、南二条西五丁目に庁舎を新築し、山崎清躬を区長として明治十三年四月一日に開庁した。当初札幌区役所は札幌市街を含む札幌郡全体を所轄したが、札幌県時代の明治十七年四月一日、札幌市街のみを札幌区と改定し、同時に区役所はこの地域だけを管することになった。札幌郡内の他村は別に設置された札幌・夕張・空知・樺戸・雨龍・上川郡役所の管轄となり、札幌と周辺村落の間には町村行政の区画上、一線が引かれることとなる。』

次は「角川地名大辞典」からです。
『明治22年施行の市制町村制は北海道に適用されず,同32年市制に代わる北海道区制が施行され,函館・札幌・小樽に施行,ついで旭川(大正3年),室蘭(大正7年),釧路(大正9年)の6区になった。区会は設けられたが参事会を有せず,大正11年北海道にも市制施行,上記6市が誕生し,区は消滅した。なお,大正15年町村内の下部組織に,部が改称した区がある。』
[42582] 2005年 6月 26日(日)11:03:45北の住人 さん
北海道の郡名案
北海道大学附属図書館の北方資料データベースで、明治2年 (1869)の松浦武四郎「郡名之儀ニ付申上候書付」の写本が読めます。
北海道の郡名とその語源に興味のある方には面白いと思います。
ちなみにこの中では、札幌の語源は「サツテクホロ」としており(22ページ)、簡単に書くと、「乾いた所」といったような説明がされています。
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A010310000000.html
[44369] 2005年 8月 21日(日)00:34:33紅葉橋律乃介 さん
乾いた川に水は流れるや否や
[44357] 8月20日(土)17:11:49 北の住人さん
「サッポロッペ」 「サッポロペッ」

 基本的に、「川」は「ベツ、ペツ、ベッ、ペッ」が語源の場合が多いですから(漢字で「別」を当てる例が多い)、後者が本来の語源に近いのかも。
 あくまでも「近い」のであって、「正しい」とは限らないのが難しいところ。耳で聴いた場合にどう聴こえたかどうかですから…。

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