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北海道の支庁名の由来

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記事数=8件/更新日:2004年1月31日/編集者:YSK

渡島、檜山、後志、胆振、石狩、日高、空知、留萌、上川、宗谷、網走、根室、釧路、十勝。以上が北海道における「支庁名」になります。広大な北海道の部分地域名としても重宝なこれらの支庁名の由来にせまってみます。

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★推奨します★(元祖いいね) YSK 太白 ken Issie でるでる そらみつ


[15186] 2003年 5月 14日(水)00:43:31【2】三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・1/2(そのものではありませんが)
[14050]太白さん
三丁目さんの「作風」を若干離れますが、北海道の各支庁名の由来も気になります。アイヌ風じゃないので。
ハイ。書いていて、自分でも本来の作風とは、ちょっと違ってたような気が、なんとなくしました(笑)。

Issieさんが、ご自身のHPで「郡の変遷(北海道)」として、表にまとめておられますが、私は最初は、年表風にしてみます。なお、今回の出典は、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。コピーではなく手書きで写したため、読点の打ち方等が原文と異なる場合があるかもしれません。その場合は、ひらにご容赦を。

1897年(明治30年):郡役所を廃止し、19支庁を置いた(札幌、函館、亀田、松前、檜山、寿都、岩内、小樽、空知、上川、増毛、宗谷、網走、室蘭、浦河、釧路、河西、根室、紗那)。
1899年(明治32年):札幌、函館、小樽に区制が施かれたため、亀田支庁は函館支庁と改称。(注1)
1903年(明治36年):松前支庁を函館支庁に、紗那支庁を根室支庁に併合。
1910年(明治43年):寿都・岩内・小樽3支庁を廃して、さらに室蘭支庁から虻田郡の一部を合わせて後志支庁を新設。これで、現行の14支庁となる。
1914年(大正3年):増毛支庁は留萌支庁と改称した。
1922年(大正11年):札幌支庁は石狩支庁、函館支庁は渡島支庁、室蘭支庁は胆振支庁、釧路支庁は釧路国支庁と改称した。
1932年(昭和7年):河西支庁は十勝支庁、浦河支庁は日高支庁と改称した。
1957年(昭和32年):釧路国支庁は釧路支庁と改称した。

注1:1897年に設置された函館支庁は、函館区が設置されたことにより、支庁管轄区域から分離したたため、函館支庁は廃止され、函館区役所に移管された。
IssieさんのHPを見たときに、支庁の数を19と見つけられなくて、変だなぁと思っていたのですが、1897~1899年にかけて存在した旧・函館支庁とは、函館市街地(函館区)域を管轄していた支庁で、それが1899年に廃止された。そして1897~1899年に亀田支庁だったものが、1899年以降から新・函館支庁となった、と私は理解したのですが、それでよろしいでしょうか、Issieさん?

それで、支庁名の由来そのものの解説はありませんでしたので、まずは、旧国名の由来から。記述に濃淡が見られますが、原文のままご紹介します。

石狩国:国名は、石狩川に由来し、アイヌ語の河川名イシカラ・ペッ[屈曲の多い・川の意]の音訳による。
後志国:国名は、阿倍比羅夫が郡領を置いたという後方羊蹄(しりべし)の語音にちなんだもので、中央部を流れる尻別川のアイヌ語シリ・ペッ[山の・川の意]を採り、音訳して後志と松浦武四郎が名づけた。
渡島国:古く、斉明天皇の頃より「渡島(わたりしま)」は北海道の入口をさしており、また南部津軽の人たちは、この地を「おしま」と呼んだので、渡島と書いて「おしま」と読むことにしたいという、松浦武四郎の建議書によって国名とされた(北海道の地名)。

胆振国:国名は、日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振金且(金辺に且と書きます)(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事により命名(北海道駅名の起源)。
なお、ネット検索で出てきたもので、「胆振」の由来については、日本書紀の話に加えて、下記の記述もありました。
古く新井白石が胆振とは北海道の勇払(イブツ)地域のことではないかと物の本に書いています。明治初年、松浦武四郎が、北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境までを一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」とし、その国名としては「日本書記の胆振に気が付いたので、“胆振”でいかがでしょうか」と北海道開拓使長官に建議したことから、胆振という国名ができました。(北海道大百科事典から)
http://www.yanatec.com/side_pege/muroran-rekisi.htm の「7.開拓の先駆者たち」に記述されています。

日高国:国名は、当地は南向きで暖かく、太平洋岸特有の濃霧も早く晴れ、陽を仰ぐことが多く、「日本書紀」の景行天皇27年に東夷のうちに日高見国ありとの故事から、日高の字を用いて命名したという(北海道駅名の起源、北海道の地名)。
北見国:松浦武四郎の「国名之義ニ付申上候書付」によれば、この地域のソウヤ・モンベツ・シヤリ等の地名は、国名にふさわしくなく、当地一帯が一般的には北海岸などと呼ばれていることや、快晴の日には樺太(サハリン)が見えることなどから北見などはどうであろうか、との武四郎の意見によって北見国とつけられたという。

十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、十勝川の河口が2つ並んでいる形を呼んだとの伝承による。(注2)
根室国:国名は、松浦武四郎の「国郡名建議書」をもとにしたもので、ネモロにちなみ根諸国とする案もあった。ネモロはアイヌ語のニ・ムイにより[木・湾]の意(知床日誌)。
天塩郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のテシホ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
天塩:古くはテシヲ・テシホ・テシユなどと書いた。留萌地方の北西部、天塩川河口域に位置する。地名はアイヌ語のテッシ[梁の意]に由来する(天塩町史)。
注2:「トカチプ」を「萱野茂のアイヌ語辞典」で調べましたが、出ていなかったので、意味は不明です。 to be continued
[15187] 2003年 5月 14日(水)00:47:10【1】三丁目 さん
支庁名の由来(感想編)、と石狩市の難読地名
最初は、19支庁名の由来から全部調べよう、と意気込んでいたのですが、旧国名から書き写し始めたら、途中で挫折してしまいました。でも、残りの、札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西、については、追っかけ調べたいと考えております。郡名にしかないのは河西のみで、それ以外は全て市町名でもあるのが、私には興味深かったです。帯広市のことを詳しく調べる必要がありそうですが、たぶん、内陸だから、開拓が遅かったためではないでしょうか。札幌は、本府が置かれた地だから直接海に面してなくとも、関係ないでしょうし。亀田市はなくなっちゃいましたね。

なお、角川日本地名大辞典には、いろいろなことが書いてあり、非常に面白かったです。私が図書館に半日こもってしまったのも、そのためなのですが、例えば、丘珠空港は陸軍の飛行場で、なんて記述もありましたよ。何度もチェックしたので、打ち終わって、ちょっと気が抜けてしまいました。

[15065]紅葉橋瑤知朗さん
>生振村、花畔村
難読ですが、皆さんならなんと読むでしょう(三丁目さんは13日になったら答えを書き込んでください)。
ご指名頂いて恐縮です(汗)。知っていたのと知らないのが混在だったから、ちょっと焦りました。花畔「ばんなぐろ」は知っていましたが、生振「おやふる」は、調べました。ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは「これは札幌人でも難読地名ですなあ」だそうですが。スイマセン、13日を超えてしまいましたね。
[15221] 2003年 5月 14日(水)20:58:19三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・2/2(そのものではありませんが)
今回の出典も、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

釧路郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のクスリ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
釧路:古くはクスリといい、久寿里・久摺・久須里などとも書いた。地名の由来に関しては、アイヌ語のクッチャロ[咽喉の意]にちなみ、屈斜路湖畔のアイヌを寛永12年松前藩が現在の釧路に移して場所を開いたことによる説(北海道蝦夷語地名解)、クシュル[越える道・通る道の意]の転訛で、釧路川上流から斜里方面や標津方面へ越す交通路があったことによる説(蝦夷地名考并里程記・東夷周覧)、クスリ[薬・温泉の意]にちなみ、かつて悪病が流行したとき、釧路川の水を呑んだ者は一人も死ななかったという伝承による説(戊午日誌)などがある。

空知郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、アイヌ語のソラプチペッ[滝が下る川の意]にちなむ。
檜山郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、往古当地が檜山であったことによる。
上川郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の上流域に位置するところによる。
留萌郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。成立当初は「るるもっぺぐん」と称した。江戸期のル・モツペ場所の地域にあたる。
留萌:古くは「るるもっぺ」「るるもい」「るもえ」ともいい、留萌の漢字表記もあった。地名はアイヌ語のルルモッペに由来し、「此ノ川自然ト奥深ク、汐入ル故ニ号ク」といい(西蝦夷日誌)、「湖ノ静カニ入ル所」の意ともいう(北海道蝦夷語地名解)、1869年(明治2年)開拓史は松浦武四郎提言の地名、留萌(るるもえ)、留持(るるもつ)の中から留萌の漢字名に決定。その後「るるもえ」が「るもえ」となり、住民の大多数が東北・北陸地方の人であったためにエとイの発音が明確でなく、自然にエがイになったという(留萌市史)

宗谷郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のソウヤ場所の一部地域とサンナイ場所の地域にあたる。郡名は場所名による。
宗谷:地名の由来には、アイヌ語のショウヤ[海獣のとまる磯の岳の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ソウヤ[峰の巣の意]と呼ばれていた岩名による説(廻浦日記)、ソーヤ[岩嶼、あるいは裸岩の地の意]による説(北海道蝦夷語地名解・アイヌ語地名考)がある。江戸期にソウヤ場所が開設する前の当地の地名に関しては諸説がある。一般的な説は、元来ウエントマリ[悪い泊の意]と称していたが、場所開設に際しウエントマリの名を嫌って、サンナイ(珊内)近くにあったソーヤという大岩名をつけたとする説である(北海道蝦夷語地名解)。このほか、もとはモンセンルモ、訛ってマウサンルム[風の当たる岬の意]と称したとする説(再航蝦夷日誌)、ヒリカトマリと称したとする説(廻浦日記)、パラキナイと称したとする説(蝦夷地名考并里程記)などがある。

網走郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のアバシリ場所の地域にあたる。
網走:地名の由来は、アイヌ語のアパシリ[我らが発見した土地の意]による(アイヌ語地名解)。また、アパシリはもとチパシリといい、「幣場・島」の意で、かつて網走湖口近く(現大曲付近)の海中にあった帽子岩を指した名称であった。漁民であったアイヌはこの岩に紙の幣場を設け崇拝したという(戊午日誌)。また一説に、アパシリは「漏る所」の意で、窟の入口が雨漏のようにぬれることによるという。

「場所」とは、「江戸期に、支配人、番人などの和人が滞在して交易や漁業を行った拠点」のことです。

なお、檜山支庁経済部林務課「檜山の地名由来とヒノキアスナロの歴史」によると、
「「今回の文献等について調査を実施してきた結果、ヒノキアスナロ(檜)が生育している山を指して、「檜山(ひのきやま)」という記述がされているが、特定の地名を表す「檜山(ひやま)」あるいは「檜山(ひのきやま)」という記述は確認できなかった。
1869年(明治2年)の国郡制施行にあたり、松浦武四郎が明治政府に提出した建議書において、「古くから檜山(ひのきやま)のあったあたりを、郡名として残したい」という事由で、ここで初めて「檜山(ひやま)郡」と命名されていた。
このことから「檜山(ひやま)」の地名由来は、檜山(ひのきやま)からきているものと考えられる。」」だそうです。これといった定説は、ないようですね。

なお、文中で紹介された説の出典略称一覧は、
蝦夷地名考并里程記:松前并東西蝦夷地場所々地名荒増和解休泊里数山道行程等大概書
廻浦日記:竹四郎廻浦日記
戊午日誌:戊午東西蝦夷山川地理取調日誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、注記がありました。

天塩、釧路については、旧国名の記述の中では、由来が記載されていませんでした。また、北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
なお、胆振国の由来(拙稿[15186])で引用した「北海道大百科辞典」は、都内の大きな書店をまわって確認したところ、朝日新聞社から出版されていた本だそうですが、現在は絶版です。国会図書館へ行って調べるまではしませんでしたが、都内4区の図書館にはありませんでした。北海道の図書館ならば、あると思いますが。
[15222] 2003年 5月 14日(水)21:15:50【1】三丁目 さん
Re:十勝
[15209]YSKさん
フォローありがとうございました。
>十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、
十勝の旧名はトカプチ
「チプ」ではなくて「プチ」なんですかねぇ。明日の昼休みに、もう一度、図書館で角川日本地名大辞典を確認してみます。
それはそうと、「帯広」の語源は調査されましたか?
ネット検索してみたら、「帯広とは、アイヌ語「オペレペルプナイ」(川尻の壊れたる川の意)から転化したものである。」なんて記述が見つかりました。なお、今回の調査は、ネット検索ではなく、古典的に、図書館ベースで行っていますので、今しばらくお時間を下さいな。というのも、全ての地名由来がネット検索で出てくれば、それを使っちまえ、と思っていたのですが、全部は見つからなかったので、こういう場合は原点に帰って、辞典だな、と。やっぱり、一つの書込みとして纏める場合は、出典は統一しないと、私はあまり好きじゃないのです。
ただ、拙稿[15187]での河西支庁についての感想は、旧国名由来(石狩、後志、渡島、胆振、日高、釧路、根室)以外の旧支庁名(札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西)のうちで、現市町名ではないのが河西だけだから、面白いな、程度のつもりだったのです。なぜ、帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。帯広市HPからは、市の歩みについての情報を得られなかったものですから。今度、河西を調べるついでに例の辞典で、帯広の項目も見てみようと考えていました。

そ・れ・と。なぁ~んだ。空知の語源をご存じないのかと思っちゃいましたよ、紅葉橋瑤知朗さん(笑)。
[15197]があったので、書込みする順番を変えて、急遽拙稿[15221]をアップしたのですが。[15213]を拝見する限りでは、ご存じのようですね。
[15347] 2003年 5月 16日(金)18:40:06【2】三丁目 さん
支庁名の由来(旧19支庁等編。ラストです。)
今回の出典も、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

札幌:古くは「しやつほろ」ともいい、察糸晃(糸辺に晃です)・札糸晃(糸辺に晃です)などとも書いた。石狩地方中部、石狩平野西部の琴似川・伏籠(ふしこ)川・豊平川流域。地名の由来には諸説があるが、アイヌ語のサッポロベツ[乾いた大きな川・乾く広い川の意]による説が通説となっている(札幌市史)。

函館:函館の地名は、享徳3年に松前藩の祖武田信広とともに蝦夷地に渡ったといわれる河野加賀守政通が建てた館が箱の形にみえたので箱館となったとする説、アイヌ語のハクチャシ[小さな館]からきたとする説(北海道蝦夷語地名解)、河野政通が文安2年に館を築いたとき、土中から筐筥(かごと箱)が出たので地名にしたとする説(蝦夷実地検考録)など諸説がある。

亀田:地名の由来には諸説がある。第1は、亀田一帯をシコツ[大谷の意]と称したが(北海道蝦夷語地名解)、和人が死骨に通ずるとして亀田と改めたとする説(松前紀行)。第2は、「(蛎崎)蔵人十ケ年前より北州カンメテ(今云亀田)切開と号」により(東北太平記)、カンメテが亀田となったとする説。第3は、現青森・秋田・新潟の3県に亀田の地名が多く、同地方からの移住者が出身地名をつけたとする説。第4は、「(亀田村の)湖は往古より大亀の済めるを以って四方を亀太の郡と云ふ」による説(明治19年各村創立聞取書)などがある。

松前町:地名は、アイヌ語のヲマツナイ[帰人のいる沢の意]に由来するとも(蝦夷地名考并里程記)、マッオナイ[帰人のいる所の意]に由来するともいわれる(北海道蝦夷語地名解)。いずれも、もとは現在の大松前川沿いの地名を指したものらしい。
すつつべつ:地名は、アイヌ語のシュフキペッ[茅の多い川の意]に由来し、寿都の語源ともなったという(北海道蝦夷語地名解)。なお、シュプウ[茅のある山崎の意]によるともいう(西蝦夷日誌)。
岩内:地名の由来には、アイヌ語のイワヲナイ[硫黄沢の意]による説(蝦夷地名考并里程記・西蝦夷日誌)、イヤウナイ[熊肉を乾かす沢の意]やイェオナイ[軽石が多い川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)がある。

小樽:古くはヲタルナイといい、小樽内・穂足内とも書いた。地名の由来には、アイヌ語のヲタルナイ[砂の解ける小川の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ヲタルーナイ[砂路沢の意]による説(西蝦夷日誌)、オタナイ[砂川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)、オタオルナイ[砂浜の中の川の意]による説(北海道駅名の起源・小樽市史)などがある。
増毛:古くはマスケともいい、増慶とも書いた。地名は、アイヌ語のマシュキニ[漁獲がとても多い所の意]に由来するという(北海道蝦夷語地名解)。また、マシケの意味には「鴎の多いところ」(西蝦夷日誌)、「焼いて背負う」(蝦夷地名考并里程記)、「良い」(丁巳日誌)などの諸説があるが、どれも鯡が多い、漁獲が多い意味に関連している。

室蘭:古くはモロランといい、諸蘭・茂呂蘭とも書いた。地名は、アイヌ語のモルエラニ[小さな下り路の意]に由来し(新室蘭市史)、この坂道は現崎守町仙海寺下の小路にあたる。
浦河:古くは「むくち」ムコチといった。地名は、アイヌ語のウララペッ[霧川の意]に由来し、元浦川の河川名にちなむ(北海道蝦夷語地名解)。なお、旧名のムクチは、アイヌ語のムコッチ[ツルニンジンのあるところの意]に由来(同前)。
河西郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の西部に位置することによるというが、実際には十勝川の南に位置している(北海道の地名)。

紗那:地名は、アイヌ語のシャンナイに由来するといい、下る沢の意。
千島国:国名は、古くより北海道の本島を含めて「蝦夷ケ千島」と称していたことによる。
[15872] 2003年 5月 25日(日)07:25:36三丁目 さん
目で見る北海道(現14支庁)
――凡例――――――――――宗-宗――――――――――――――――――――――――――――――――――
石:石狩支庁――――――――宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――――
後:後志支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――
空:空知支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――――
渡:渡島支庁―――――――萌萌萌萌萌萌宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――
檜:檜山支庁――――――――萌萌萌萌上宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――
胆:胆振支庁――――――――萌萌萌上上上宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――
日:日高支庁――――――――萌萌萌上上上上宗宗宗網――――――――――――――――――――――――――
上:上川支庁――――――――萌萌萌上上上上上網網網網網――――――――――――――――――――――――
萌:留萌支庁――――――――萌萌萌上上上上上上網網網網網網――――――――――――――――網根――――
宗:宗谷支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上網網網網網網網―――――――――――――網根―――――
網:網走支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上網網網網網網網網網網網―――――――網根――――――
十:十勝支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上上網網網網網網網網網網網網―――網網根根――――――
釧:釧路支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網網根根根――――――
根:根室支庁――――――――萌萌萌空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網根根根根―――――
―――――――――――――萌萌萌空空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網釧網根根根根根―――――
――――――――――――石萌萌空空空空空上上上上上上上上上網網網網十十網網釧釧釧釧釧根根根根―――――
――――――――――――石石石空空空空空空上上上上上十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧根根根根根――根根
――――――――――――石石石空空空空空空上上上十十十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧根根根根根根根―
――――――――――――石石石空空空空空空上上上十十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根―――
――――後後後―――――石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――
――――後後後後後後後後石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――――
―――――後後後後後後石石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十十釧釧釧――――――――――――――
―――――後後後後後石石石石石石石石空空胆胆日日日十十十十十十十十十十十―――――――――――――――
――――後後後後後後後石石石石石胆胆胆胆胆胆日日日十十十十十十十十十―――――――――――――――――
――後後後後胆後後胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆日日日日十十十十十十十十――――――――――――――――――
後後後後後胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆―――胆胆日日日日日日十十十十十十―――――――――――――――――――
檜檜檜檜渡―――胆胆胆胆胆―――――――日日日日日日日十十十十十―――――――――――――――――――
檜檜檜檜渡―――――胆胆――――――――――日日日日日日十十十――――――――――――――――――――
檜檜檜渡渡―――――胆――――――――――――――日日日日日十――――――――――――――――――――
-檜檜渡渡渡―――――――――――――――――――――日日日日――――――――――――――――――――
――檜檜渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――日日――――――――――――――――――――
―――檜檜檜渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜檜渡渡渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜渡渡――渡渡渡―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――檜檜渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――渡渡渡渡―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――渡渡―――――――――――――――――-(注)簡略図ですから、島嶼部については、省略してあります。
[15873] 2003年 5月 25日(日)07:25:55【1】三丁目 さん
目で見る北海道(1897年・明治30年当初の旧19支庁、ただし紗那支庁は省略)
――凡例――――――――――宗-宗――――――――――――――――――――――――――――――――――
札:札幌支庁――――――――宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――――
函:函館支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――
田:亀田支庁―――――――増増増増宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――――
松:松前支庁―――――――増増増増増増宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――
檜:檜山支庁――――――――増増増増増宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――
寿:寿都支庁――――――――増増増増増増宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――
岩:岩内支庁――――――――増増増増増増増宗宗宗網――――――――――――――――――――――――――
樽:小樽支庁――――――――増増増増増増増増網網網網網――――――――――――――――――――――――
空:空知支庁――――――――増増増増増増増増増網網網網網網――――――――――――――――網根――――
上:上川支庁――――――――増増増空空増増増増増網網網網網網網―――――――――――――網根―――――
増:増毛支庁――――――――増増増空空増増増増増増網網網網網網網網網網網―――――――網根――――――
宗:宗谷支庁――――――――増増増空空増増増増増増増網網網網網網網網網網網網―――網網根根――――――
網:網走支庁――――――――増増増空空増増増増増増増増網網網網網網網網網網網網網網網根根根――――――
蘭:室蘭支庁――――――――増増増空空空増上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網根根根根―――――
浦:浦河支庁―――――――増増増空空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網釧網根根根根根―――――
釧:釧路支庁――――――札増増空空空空空上上上上上上上上上網網網網釧釧網網釧釧釧釧釧根根根根―――――
西:河西支庁――――――札札札空空空空空空上上上上上西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根根根根――根根
根:根室支庁――――――札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根根根根根根―
――――――――――――札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根―――
――――樽樽樽―――――札札札札空空空空空空空空空西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――
――――岩樽樽樽樽樽樽樽札札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――――
―――――岩岩樽樽樽樽札札札札札空空空空空蘭蘭蘭蘭西西西西西西西西西釧釧釧――――――――――――――
―――――岩岩岩蘭蘭札札札札札札札札空空蘭蘭浦浦浦西西西西西西西西西西西―――――――――――――――
――――岩岩岩蘭蘭蘭蘭札札札札札蘭蘭蘭蘭蘭蘭浦浦浦西西西西西西西西西―――――――――――――――――
――寿寿寿寿蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭浦浦浦浦西西西西西西西西――――――――――――――――――
寿寿寿寿寿蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭―――蘭蘭浦浦浦浦浦浦西西西西西西―――――――――――――――――――
檜檜檜檜田―――蘭蘭蘭蘭蘭―――――――浦浦浦浦浦浦浦西西西西西―――――――――――――――――――
檜檜檜檜田―――――蘭蘭――――――――――浦浦浦浦浦浦西西西――――――――――――――――――――
檜檜檜田田―――――蘭――――――――――――――浦浦浦浦浦西――――――――――――――――――――
-檜檜田田田―――――――――――――――――――――浦浦浦浦――――――――――――――――――――
――檜檜田田田田田――――――――――――――――――――浦浦――――――――――――――――――――
―――檜檜檜田田田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜檜田田田田田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜田田――函田田―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――檜檜田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――松松松松―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――松松―――――――――――――――――(注)簡略図ですから、島嶼部については、省略してあります。

下記URLは、以前、鰊漁をご紹介したときに見つけたものですが、旧国名で分けた地図を、紹介されています。
http://www.onitoge.org/nyumon/gyosei3.htm
[15874] 2003年 5月 25日(日)07:26:12【2】三丁目 さん
旧19支庁の管轄地域
札幌:石狩国の札幌区および同国札幌・石狩・厚田・浜益、胆振国千歳の5郡。
函館:函館区の区域。
亀田:渡島国亀田・上磯・茅部・山越の4郡。
松前:渡島国松前郡。
檜山:渡島国檜山・爾志、後志国久遠・奥尻・太櫓(後に瀬棚に合併)・瀬棚の6郡。

寿都:後志国島牧・寿都・歌棄・磯谷の4郡。
岩内:後志国岩内・古宇の2郡。明治32年に室蘭支庁虻田郡の一部を編入。
小樽:後志国小樽・高島・忍路・余市・古平・美国・積丹の7郡。
空知:石狩国空知・夕張・樺戸・雨竜の4郡。明治32年空知郡の一部(*1)を上川支庁に編入。

上川:上川郡。明治32年増毛支庁管下の上川郡(天塩国)(*2)と空知支庁管内空知郡の一部、明治34年増毛支庁管内中川郡(*3)、明治39年室蘭支庁管内勇払郡の一部(*4)を編入。
増毛:天塩国増毛・留萌・苫前・天塩・中川・上川の6郡。明治32年上川郡、明治34年中川郡が上川支庁の管轄となる。昭和23年手塩郡の一部(*5)を宗谷支庁に編入。

宗谷:北見国宗谷・枝幸・礼文・利尻の4郡。昭和23年留萌支庁手塩郡の一部を編入。
網走:北見国網走・斜里・常呂・紋別の4郡。
室蘭:管轄地域は胆振国虻田・有珠・室蘭・幌別・白老・勇払の6郡。明治32年虻田郡の一部(*6)を岩内支庁、明治39年勇払郡の一部を上川支庁、明治43年虻田郡の一部(*7)を後志支庁に編入。

浦河:日高国沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉の7郡。
釧路:釧路国釧路・白糠・足寄・阿寒・上川・厚岸の6郡。昭和23年足寄郡が十勝支庁の管轄となる。
河西:十勝国河東・上川・河西・当縁・中川・広尾・十勝の7郡。明治39年当縁郡が広尾郡・十勝郡に分割して廃止。昭和23年釧路国支庁足寄郡(*8)を編入。
根室:根室国根室・花咲・野付・標津・目梨郡・千島国得撫・新知・占守・国後・色丹の10郡。
紗那:千島国択捉・紗那・振別・蕊取の4郡。

*1:上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町。
*2:名寄市、下川町、風連町、士別市、剣淵町、朝日町、和寒町。
*3:中川町、音威子府村、美深町。
*4:占冠村。
*5:旧幌延村から旧豊富村が分村し、その数年後に支庁変更。
*6:京極町(旧東倶知安村)、倶知安町。
*7:ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町。
*8:旧東足寄村、陸別町[旧東足寄村(釧路支庁)と旧西足寄村(十勝支庁)が合併して、足寄町となる前に、編入された。]。
町村レベルでの動きだけを、字図で表しました。

注1:旧支庁名の記述の一部に、後志・留萌・釧路国支庁欄の記述を含みます。
注2:町村名の前に、「旧」を付けていない場合は、現在の町村名を表します。
注3:旧支庁の管轄についての記述は、角川日本地名大辞典によります。なお、「北海道支庁のあゆみ」(北海道総務部総務課)も、参考資料として使いましたが、ン?と思ったところは、資料の突合せにより、自分で判断した部分もあります。

この他、「芦別市の一部(奈江)が、中富良野町へ編入(空知支庁の一部が上川支庁へ編入)」は、地図で地形を見ると、そういう編入はスムーズだよね、と納得できたり、「南幌町の一部(江別太、豊幌)が江別市に編入(空知支庁の一部が札幌支庁へ編入)」は、平坦地なのにそうなったということは住民の意向だったの?等、細かい動きはあるのですが、あまりにマニアックな話すぎると思ったのと、ご紹介するにしても結構多くて、全部をちゃんと捕捉し切れているか自信がなかったので、やめました。

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