[39915] ひげねこ さん
筑前・筑後は「ちくぜん」「ちくご」なのに、どうして筑紫だけ「つくし」なんだろう。
はじめに「つくし(筑紫)」という地名があって,それを後から「筑前・筑後」に分けたからです。
「筑」という漢字は中国の古代楽器を表わす文字であったようです。
講談社が刊行中の「中国の歴史」シリーズの第3巻『ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国』(鶴間和幸著,2004年)に詳しい説明があるのですが,5本の弦を張った楽器で竹のバチで弦をたたいて演奏したものとか。ピアノと同じ原理の楽器です。
で,この文字を輸入したとき,母音も子音も貧弱な日本語では「チク」という音で受け入れました。
異体字に「竺」という字もあります。
この文字にあてはまる日本語の概念はなかったらしく,固定化した“訓”はないようです。
ただ,「筑子」と書いて「こきりこ」と読ませることはあるようですね。「こきりこ」も“楽器”の名前です。「筑(ちく)」とは,だいぶ違うものですが。
一番初めにあったのは「つくし」という地名です。
現代日本語の発音とは若干違っていたはずですが,おそらくは列島固有の言語による地名でしょう(列島共通の「日本語」の形成過程のことでしょうから,あえて言えば「つくし語」でしょうかね)。
漢字が輸入されてから,これに「筑紫」という字が当てはめられました。
[39884] で触れたとおり,地名に関しては「つく/つか」という音にはめる習慣でした。
奈良時代に入って律令国郡制が整備されていく過程で「筑紫」は南北に分割されて「筑前/筑後」となりました。
そして,この分割された新国名は中国語(漢語)の理屈に従って創作された“和製中国語地名”です。
「つくし」の場合には,「つくし」という地名が先にあってこれに「筑紫」という漢字があてはめられたものですが,「筑前/筑後」の場合は漢字表記が先にあって,さて,これをどう読むか,というものでした。
そこで恐らく,より“標準的な音”に近い「ちくぜん/ちくご」という読み方が定着したのではないか,と思います。
これは,列島固有語で「こし(越)」と呼ばれた地域を分割した3国が,それを表記する漢字の“標準音”に近い読み方で「越前(ゑちぜん)」「越中(ゑッちゆう)」「越後(ゑちご)」と呼ばれたことを考えると見えやすいと思います。
もっとも,「とよ(豊)」を分割した「豊(ぶ)前」「豊(ぶン)後」は,“標準音”の「ホウ」からはまだ遠いものですが。
「筑紫郡」は,明治になって郡制施行(福岡県では1896年)のために 御笠・席田(むしろだ)・那珂 の3郡が統合された新設された郡ですね。
このとき新設された郡名は,奈良時代以降の朝廷で「最も正式」とされた“漢音”(でも,例外は枚挙に暇がなく…。最大の例外は「京(きょう)」)で,「ちくし」と読むのを“正式”としたものと思われます。
たとえば,こんな整理が可能かもしれません。
・近現代の福岡県の地名としての「筑紫」は「ちくし」と読むのが普通であるし,“公式”の読み方として多く採用されている。
・古代,この地域を指していた“歴史的”な地名としての「筑紫」は「つくし」と読む習慣である。
少なくとも,どちらか一方が「全くの間違い」で全否定されるべき存在である,というわけでは決してないものと思います。