[8856]地域研究家 さん
太古の昔から「淡路町」だったのならともかく、昭和の大合併で「淡路町」になって、たかだか45年でしょう。
お説ごもっともです。
昭和の大合併の際には、市町村名に国名や郡名などの広域地名を借用する例があちらこちらに出現しました。その昭和の大合併時の広域地名の借用が、地名の歴史や伝統と履き違えられてしまうことは、本末転倒と言わざるを得ません。古くから伝わる地名は地域の文化遺産でありますから、その由緒や伝統、語義を尊重していくことが大切だと思います。
しかし、広域地名を借用しようとする自治体の区域が、当該広域地名の指す範囲の全部または大部分を占め、近隣の自治体から大きな抵抗感もなく受け入れられる限りにおいては、広域地名の自治体名化も妨げられるものではなく、そういう場合はむしろ広域地名を使用するほうが適当ともいえます。要は、地名の適切な使用をしていくべきなのです。
この「淡路」の例では、淡路町の「『淡路』はうちのもの」という誤解が根底にありますね(洲本市側が「あわじ市」を使おうとしたことも相当な問題がありますが)。本来、「淡路」は国名であり、島の名前であって、一自治体が称すべき地名ではありません。関係者は、なぜこんな簡単なことを理解できない(あるいは気付かない?)のでしょうか。
私は、個人的に「京丹後市」の市名選定の際にも同様の思惑が働いていたと考えています。すなわち、市名に「丹後」を使うとして、なぜすんなり「丹後市」にならなかったという理由に、すでに存在する「丹後町」と同一の地名の使用を避けようとした配慮が含まれていると考えられるのです。この地域が「丹後」を独占してしまうことは、そもそもにおいてふさわしくはないのですが、このような配慮が「京丹後市」を産んだ面は、小さくないと思います。
全国的に、「さぬき市」「飛騨市」「魚沼市」と、由緒ある広域地名が市町村合併の荒波にさらされ、その本来の姿での存立が危ぶまれていることは、看過し難い風潮です。これらの由来となった地名は、紛れもなく広域地名(国名、旧郡名)であって、それは地域の共有財産です。私は、特に「飛騨市」「魚沼市」については、なんとかもう一度再考できないものかと思っています。これらの地名には、ブランドという付加価値がともなっていますので、そのブランドの定義に混乱が生じることが懸念されます。地域経済にとっては大きな問題であることは否定できません。
最近の新自治体名の選定では安易な広域地名の借用が数多く、各地の合併協議会の動向を見ると、今後も全国的に同様の傾向はつづくものと思われます。新自治体名の選定には、決して「早い者勝ち」などという気を起こさず、慎重に適切に選考しようとする姿勢が強く望まれます。