[45541] 紅葉橋律乃介 さん
旧憲法時代には町村の異動は告示がなく、すなわち市への編入も告示事項ではなかった模様。
[27855] は結構前かと思ったら,去年でしたね。
旧憲法体制下でありますが,直接の根拠は法律としての「市制」に求めた方がいいように思います。そして,現行憲法の施行された1947年5月3日からは「地方自治法」。
(前にも書いた覚えがありますが,
「市制」という言葉には,漠然と“「市」という制度”を意味する場合と,狭い意味で1888年に公布,翌年に施行され,1911年に全面改正された“「市制」という名前の法律”を指す場合とがあります[「町村制」も同じ]。
だから厳密には“法律を「施行」する”という意味で「市制施行」と言った場合,施行すべき法律「市制」は60年近くも前に廃止されていますから,おかしな表現ということになります。けれども,実際には“「市」という制度”という意味で自治体自体も含めて広く使用されていますから,それはそれでいいのでしょう。
ただし,1947年5月2日までは「市制施行」とは,単に“「市」になる”という意味だけではなくて,“「市制」という法律がその地域に施行される”という意味であった,ということは留意しておいた方がいいように思います。もっとも,「どう違うの?」と聞かれても,その答えはよくわかりませんが。
一方で,「町制」「村制」「区制」などという法律はありませんから,こちらは単純に“「町」(村・区)という制度”という意味でもっぱら使われるのでしょう。)
話を戻して,
前発言の通り,町村が既存の市に“編入”される場合は内務省の告示事項ではなかったようですが,既存の市が他の市に“編入”される場合には,その「市」を“廃止”することになりますからそれについての告示が内務省から出されています。京都府伏見市がその実例です(以下の日付は施行日ではなく告示公布の日付)。
・京都府伏見市 →京都市へ編入:昭和6年内務省告示第56号(1931年3月23日)
「市制」下で消滅した他の3市のうち,
・京都府東舞鶴市 →舞鶴市と合体して「舞鶴市」を新設:昭和18年内務省告示第341号(1943年5月19日)
・兵庫県飾磨市 →姫路市ほかと合体して「姫路市」を新設:昭和21年内務省告示第21号(1946年2月27日)
この2つは,“合体”により“改めて新設”された「兵庫県尼崎市」(昭和11年内務省告示第117号:1936年3月21日),「大阪府岸和田市」(昭和17年内務省告示第157号:1942年3月20日)と同じ手続きです。
もう1つの「東京府東京市」の場合は,法律である「東京都制」(昭和18年法律第89号:1943年6月1日)によって廃止されていて,これは内務省の告示事項ではありませんでした。
[45537] グリグリ さん
忍市
最近は便利な世の中になって,多くの自治体が「例規集」をネット上で公開していますね。で,そのうちの多くがその冒頭に当該自治体の成り立ちについての根拠法令を収録しています。
ただ,どこにその“ルーツ”を求めるかは必ずしも統一されているわけではなくて,“国レベル”(内務省→総理庁→総理府→自治省→総務省)の告示をそれとしているものもあれば,(都道)府県告示を収録してるところもあります。何も収録せずに,いきなり「市役所の位置を定める条例」を冒頭に置く自治体も少なくないのですが。
行田市の場合は 埼玉県告示 に根拠を求めているようで,
----------------------------------------------------------------------------
○忍町を忍市とする告示
昭和24年3月29日
埼玉県告示第129号
地方自治法第8条の規定により、昭和24年5月3日から、北埼玉郡忍町を忍市とする。
○忍市を行田市とする名称変更を許可した告示
昭和24年3月29日
埼玉県告示第130号
地方自治法第3条により忍市を行田市とする。市の名称変更の条例を許可した。
----------------------------------------------------------------------------
…という告示を前提にした
----------------------------------------------------------------------------
○忍町を忍市とされた場合における新市の名称変更に関する条例
昭和24年3月3日
公布
忍市を行田市に変更する。
附 則
この条例は、忍町を忍市とされた日からこれを施行する。
-----------------------------------------------------------------------------
という忍町の条例で「行田市」が誕生したことを跡付けることができます。
国レベルでの告示は4月23日付の「総理庁告示第28号」ですが,ここでは「忍町」が直接「行田市」になるように記載されています。上の経緯を経た途中経過を省略しているのですね。
「行田市」の場合は 5月3日 の発足に先立って“告示”が行われているのですが,1948年から1951年の間に発足した「市」の多くは発足よりも告示の方が遅い“事後報告”となっています。
占領下,内務省が解体された下でのできごとですが,このあたりの手続きは“独立”後とは違っていたのかもしれませんね。
市の例規集からもう1つ,
ちょうど“旧憲法/市制”体制から“現行憲法/地方自治法”体制への切り替えの隙間にはまって国レベル(内務省)の告示では確認することのできない 鳴南市→鳴門市 の改称(1947年5月15日実施)について,鳴門市が公開している例規集に
----------------------------------------------------------------------
○市名変更条例
昭和二十二年五月十日
条例第三号
鳴南市を鳴門市と変更する。
附 則
本条例は、徳島県知事の許可を得て昭和二十二年五月十五日から施行する。
-----------------------------------------------------------------------
というのがあって,とりあえず「鳴南市条例」に根拠を求めることができそうです。
もう1つ,赤間関市→下関市 というのが確認できていないのですが,下関市の例規集にはその“ルーツ”が収録されていませんでした。