>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)鹿児島県に誤りと思えるところがありましたので報告します。
○本土・明治22(1889)年4月1日
3 新設/村制 阿多郡伊作村 阿多郡 中原村, 今田村, 与倉村, 田尻村, 花熟里村, 小野村, 湯ノ浦村, 中ノ里村, 入来村, 和田村
は
3 新設/村制 阿多郡伊作村 阿多郡 中原村, 今田村, 与倉村, 田尻村, 「華」熟里村, 小野村, 湯ノ浦村, 中ノ里村, 入来村, 和田村
ではないでしょうか。
参考:鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)記載の県令第26号(M22.3.5)
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)
10 新設/村制 姶良郡帖佐村 姶良郡 鍋倉村, 三十町村, 深水村, 豊留村, 納屋村, 寺師村, 中津野村, 増田村, 住吉村, 永瀬村, 西餅田村, 東餅田村, 十日町
は
10 新設/村制 姶良郡帖佐村 姶良郡 鍋倉村, 三十町村, 深水村, 豊留村, 納屋「町」, 寺師村, 中津野村, 増田村, 住吉村, 永瀬村, 西餅田村, 東餅田村, 十日町
ではないでしょうか。
ただ、鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)記載の県令第26号(M22.3.5)では納屋村のままとなっています。
しかしながら
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では納屋「町」となっています。
さらには
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)を見てみますと、明治19年1月時点でも納屋「町」となっています。地方行政区画便覧には姶良郡の旧町数が4とあり、その4町とは加治木町、蒲生町、十日町、そして納屋「町」です。
これは大日本市町村名鑑
327コマの記載(姶良郡の旧町数は4で、後の記載でその4町とは加治木町、蒲生町、十日町、納屋町と判る)と一致します。
地方行政区画便覧、「当時の」鹿児島県からもらった資料を基にした新旧対照市町村一覧及び大日本市町村名鑑が納屋「町」としていることを考えれば、鹿児島県市町村変遷史(編:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)が鹿児島県公報号外(明治22年3月5日火曜日)より転載ミスした可能性が高いものと私は考えますがいかがでしょうか。
81 新設/村制 南伊佐郡山崎村 南伊佐郡 二渡村, 泊野村, 白男川村, 山崎村, 久富木村
97 新設/村制 日置郡串木野村 日置郡 上名村, 冠岳村, 串木野町, 下名村, 荒川村, 羽島村
112 新設/村制 揖宿郡山川村 揖宿郡 福元村, 成川村, 大山村, 岡児ヶ水村
88 新設/村制 南大隅郡牛根村 南大隅郡 麓村, 二川村, 境村
は
81 郡変更/新設/村制 南伊佐郡山崎村 「薩摩郡」 二渡村, 泊野村, 白男川村, 南伊佐郡 山崎村, 久富木村
97 郡変更/新設/村制 日置郡串木野村 日置郡 上名村, 冠岳村, 串木野町, 下名村, 荒川村, 「薩摩郡」 羽島村
112 郡変更/新設/村制 揖宿郡山川村 揖宿郡 福元村, 成川村, 「頴娃郡」 大山村, 岡児ヶ水村
88 郡変更/新設/村制 南大隅郡牛根村 南大隅郡 麓村, 二川村, 「西囎唹郡」 境村
ではないでしょうか。
参考:県令第25号(M22.3.5)(
[69707]より以下に再掲)
県令第25号
本県薩摩郡山崎郷の内 二渡村泊野村白男川村を南伊佐郡に 薩摩郡串木野郷の内 羽嶋村を日置郡に 頴娃郡山川郷の内 大山村岡兒ヶ水村を揖宿郡に 西囎唹郡牛根郷の内 境村を南大隅郡に本年4月1日より編入す
明治22年3月5日 鹿児島県知事 渡辺千秋
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○大島郡・明治41(1908)年4月1日
[64956]拙稿で書いた県令第41号(M41.3.20)の記載に誤りがありました。
5 新設/村制 大島郡十島村 大島郡 中之島, 宝島, 悪名島, 口之島, 平島, 臥蛇島, 黒島, 竹島, 硫黄島, 諏訪瀬島
は正しくは
5 新設/村制 大島郡十島村 大島郡 中之島, 宝島, 悪「石」島, 口之島, 平島, 臥蛇島, 黒島, 竹島, 硫黄島, 諏訪瀬島
でした。これは私の転載ミスです。
15 新設/村制 大島郡龍郷村 大島郡 秋名村, 幾里村, 嘉渡村, 円村, 龍「竜」郷村, 久場村, 戸口村, 中勝村, 大勝村, 浦村, 瀬花留部村, 屋入村, 蘆徳村, 赤尾木村
は正しくは
15 新設/村制 大島郡龍郷村 大島郡 秋名村, 幾里村, 嘉渡村, 円村, 龍郷村, 久場村, 戸口村, 中勝村, 大勝村, 浦村, 瀬花留部村, 屋入村, 蘆徳村, 赤尾木村
でした。これも私の転載ミスです。
#9,11,16の記載は鹿児島県市町村変遷史(著:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)の記載と完全に同一のものです。しかし
9 新設/村制 大島郡鎮西村 大島郡 瀬武村, 薩川村, 芝村, 実久村, 阿多地村, 須子茂村, 嘉入村, 西阿室村, 瀬相村, 俵村, 三浦村, 武名村, 木慈村, 押角村, 勝能村, 諸数村, 生間村, 渡連村, 諸鈍村, 野見山村, 秋徳村, 於斉村, 伊子茂村, 花富村, 興路島, 池地村, 請阿室村
は正しくは
9 新設/村制 大島郡鎮西村 大島郡 瀬武村, 薩川村, 芝村, 実久村, 阿多地村, 須子茂村, 嘉入村, 西阿室村, 瀬相村, 俵村, 三浦村, 武名村, 木慈村, 押角村, 勝能村, 諸数村, 生間村, 渡連村, 諸鈍村, 野見山村, 秋徳村, 於斉村, 伊子茂村, 花富村, 「与」路島, 池地村, 請阿室村
であり、
11 新設/村制 大島郡島尻村 大島郡 喜念村, 佐弁村, 目手久村, 中山村, 面縄村, 古里村, 検福村, 伊仙村, 阿三村, 阿権村, 木之香村, 犬田布村, 崎原村, 小島村, 糸木名村, 八重等村, 馬根村
は正しくは
11 新設/村制 大島郡島尻村 大島郡 喜念村, 佐弁村, 目手久村, 中山村, 面縄村, 古里村, 検福村, 伊仙村, 阿三村, 阿権村, 木之香村, 犬田布村, 崎原村, 小島村, 糸木名村, 八重「竿」村, 馬根村
であり、
16 新設/村制 大島郡和泊村 大島郡 和泊村, 和村, 手々知名村, 喜美留村, 国頭村, 西原村, 出花村, 畦布村, 根打村, 玉城村, 内城村, 大城村, 皆川村, 古里村, 後蘭村, 田舎平村, 永嶺村, 瀬名村
は正しくは
16 新設/村制 大島郡和泊村 大島郡 和泊村, 和村, 手々知名村, 喜美留村, 国頭村, 西原村, 出花村, 畦布村, 根「折」村, 玉城村, 内城村, 大城村, 皆川村, 古里村, 後蘭村, 田舎平村, 永嶺村, 瀬名村
であるものと推察されます。
まず、現在の住所ですが、#9の住所は現存しませんが、
地図では与路島との記載が見られます。
そして#11の住所は大島郡伊仙町八重竿であり、八重等ではありません。
また、#16の住所は大島郡和泊町根折であり、根打ではありません。
次に当時の資料、例えば鹿児島県統計書明治39年第1編の警察区画を表している
24コマを見てみます。
#9は、東方分署の箇所(一番最後に記載)の所属町村名では與路島と書かれています。與(与の旧字体)をおそらく興と読み違えたものと推測できます。これはよくあるミスでしょう。
#11は、徳之島分署の箇所(六行目)の所属町村名では八重竿と書かれています。
#16は、沖永良部島分署の箇所(二行目)の所属町村名では根折と書かれています。
最後に
郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)を見てみますと、
#9は、興路島村or與路島村(文字が潰れて判読不能)
#11は、八重竿村
#16は、根折村
でした。
以上のことより#9、#11、#16の所ではおそらく鹿児島県市町村変遷史(著:鹿児島県総務部参事室、出版:鹿児島県、1967)が表記をミスしていると私は考えています。
以上多数になりましたがよろしくお願いします。
#私も大量に指摘をしているため、そろそろミスが出てくる時ではないかと覚悟していましたが、やはりありました(汗)。