>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)宮崎県に誤りと思えるところがありましたので報告します。
本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。
(1)宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)収録の宮崎県令第17号
(2)現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)収録の宮崎県令第17号(
[69698]の表に記載)
(3)現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)収録の宮崎県令第17号(
[62863]の表に記載)
(4)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12(香川・愛媛県の部分は明23.6)))
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(5)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(7)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
#上記のうち(1)(2)(3)は形式が同じですが、(1)は完全に発行当時のものと同じもののようです。
それでは本論です。
2 1889.04.01 新設/町制 宮崎郡宮崎町 宮崎郡 上別府村, 上野町, 川原町, 江平町, 松山町, 瀬頭村
は
2 1889.04.01 新設/町制 宮崎郡宮崎町 宮崎郡 上別府村, 上野町, 川原町, 江平町, 「北那珂郡」 松山町, 瀬頭村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では北那珂郡 松山町, 瀬頭村となっています。
また
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも北那珂郡 松山町, 瀬頭村となっています。
#
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)ではすべて宮崎郡となっていますが、これは書き落としであると推察します。
14 1889.04.01 新設/村制 児湯郡上穂北村 児湯郡 南方村, 穂北村, 調殿町, 童子丸村
は
14 1889.04.01 新設/村制 児湯郡上穂北村 児湯郡 南方村, 穂北村, 調殿「村」, 童子丸村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも穂北村、調殿村となっています。
また
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも穂北村、調殿村となっています。
#なお
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)では穂北「町」、調殿「村」となっており、
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では穂北「町」、調殿「町」となっていますが、これらは写し間違えであると推察します。
20 1889.04.01 新設/村制 児湯郡東米良村 児湯郡 銀鏡村, 上揚村, 八重村, 中尾町, 尾八重村, 中之又村
は
20 1889.04.01 新設/村制 児湯郡東米良村 児湯郡 銀鏡村, 上揚村, 八重村, 中尾「村」, 尾八重村, 中之又村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも中尾村となっています。
また、
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも中尾村となっています。
#
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では中尾町となっていますが、これは写し間違えであると推察します。
48 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡東海村 東臼杵郡 第武村, 粟野名村, 稲葉崎村, 祝子村, 川島村
は
48 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡東海村 東臼杵郡 「大」武村, 粟野名村, 稲葉崎村, 祝子村, 川島村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、のいずれでも大武村となっています。
#
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では第武村となっていますが、これは写し間違えであると推察します。
#
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)では大武町となっており、
延岡市統計書(平成20年版)内
01総説・自然(PDF)4コマでも大武町となっています。
大武「村」or大武「町」については、とりあえず県令の通り大武「村」と判断しましたが。。。
50 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南浦村 東臼杵郡 浦尻村, 須怒江村, 熊野江村, 島津浦村
は
50 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南浦村 東臼杵郡 浦尻村, 須怒江村, 熊野江村, 島「野」浦村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも島野浦村となっています。
また
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも島野浦村となっています。
宮崎県統計書明治21年度の第一一 島嶼ノ位置及圍面積の島野浦の所在地も島野浦村となっています。
さらには
延岡市統計書(平成20年版)内
01総説・自然(PDF)4コマでも島野浦村となっていますが。。。
#なお、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では島津浦村となっていますが。。。
61 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡倉岡村 宮崎郡 堤内村, 東諸県郡 金崎村, 糸原村, 柳瀬町, 有田村, 吉野村
は
61 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡倉岡村 宮崎郡 堤内村, 金崎村, 「東諸県郡」 糸原村, 柳瀬町, 有田村, 吉野村
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも金崎村のところには「同」と記載されています。
また
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも金崎村は宮崎郡となっています。
64 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡本庄村 東諸県郡 須志田村, 北本庄村, 森永村, 竹田村, 「宮崎郡」 「宮王丸村」, 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 本庄南村
は
64 1889.04.01 新設/村制 東諸県郡本庄村 東諸県郡 須志田村, 北本庄村, 森永村, 竹田村, 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 「南」本庄村, 「宮崎郡」 「宮王丸村」
ではないでしょうか。
宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも南本庄村と記載されており、十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 南本庄村のところには宮崎郡を示す「同」とは記載されていません。
また、
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 「南」本庄村となっています。
#
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)では宮崎郡 宮王丸村、東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 本庄「南」村と前掲の書物とは一箇所表記が異なっています。ただ旧村が本南庄村であるのに、役所位置が南本庄村となっており、これは明らかな写し間違えであると考えられます。
次は判断に迷う箇所ですが、一応記載しておきます。
51 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南郷村 東臼杵郡 上渡川村, 中渡川村, 鬼神野「川」村, 神門村, 水清谷村
は
51 1889.04.01 新設/村制 東臼杵郡南郷村 東臼杵郡 上渡川村, 中渡川村, 鬼神野村, 神門村, 水清谷村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)、
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)、
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、明28.3.5)のいずれでも鬼神野村となっています。
また
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)より明治19年1月現在でも鬼神野村となっています。
美郷町HP内
PDF2コマでも鬼神野村となっています。
しかしながら、宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)、
現行宮崎県令達彙纂(著:宮崎県内務部第一課、出版:宮崎県、明29.12.1)、
現行宮崎県令達彙纂(著・出版:宮崎県、明43)のいずれでも鬼神野川村となっています。
#これはおそらく鬼神野村であると私は考えていますが、現段階ではとりあえず保留としておいて、現状の鬼神野川村のままにしておく方が無難かなとも考えます。
以上多数になりましたがよろしくお願いします。