[100104] MI さん 末尾の記載
【岡山県児島郡藤田村と】同様の例は熊本県八代郡郡築村と秋田県南秋田郡大潟村だろうと思います。
この3村の名から、
[85117] 土地造成により生まれた村(1)熊本県八代郡郡築村 を思い出しました。
現在は実体を失った「郡」により築造された歴史を その名に残している「郡築村」。
郡立の学校があったり、郡による干拓・埋立事業が行われたり。形骸化した 現在の郡とは大違いです。
[93051]
実例1:大住・淘綾(ゆるき)・足柄上三郡共立学校
[4939] 神奈川県立秦野高校の前身です。
実例2:稗貫郡立(花巻)農学校
[51042] 宮沢賢治が教員をしていました。
実例3:熊本県八代郡 郡築新地→郡築村
[85117] 「郡築」という名称自体が印象的です。
6年前には、
[85117] を記していますが、それはさておき、
市区町村変遷情報では、この村が発足した日付についての疑問が残っていました。
[74518] むっくん さん
熊本県市町村合併史(編・発行:熊本県総務部地方課、S44.3.31)463頁では
郡築村は、明治二九年(一八九六)郡制が布かれて後、郡の基本財産をつくる必要から、八代町、松高村から八千杷村にかけての海浜を新地とするため、三三年干拓工事に着手し、三七年二月九日に、潮止工事が完成して、四二年四月七日、郡築村として新設されたものである
と記載されています。
これに対する88さんのレス
[76230]
◎熊本県
■八代郡 郡築村 の発足年月日について M42(1909).7.4 or M42(1909).4.7
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M42(1909).7.4
ご紹介の「熊本県市町村合併史」の方が誤っている可能性もあり、悩ましいのですが、M42(1909).4.7 八代郡 郡築村 発足と判断し、修正しました。
なお、新たな資料を発見できれば、再修正もあり得ると思います。
[100104] MI さん による
ndl官報を閲覧。
施行日そのもの の記載を発見することはできませんでしたが、明治42年4月17日の官報記載を確認しました。
多くの資料に記されていた M42(1909).7.4 は「誤記の連鎖」によるものであり、熊本県市町村合併史に記された
【明治】四二年四月七日、郡築村として新設
を信用した変遷情報は、正しい日付であることが裏付けられたものと思われます。