ここのところ、時間の許す限り、
[75399]拙稿の「市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について」の方針に基づく修正作業、つまりは「○○村の一部」「○○村(本)」「○○村(微)」の修正作業に没頭しております。
こういう作業は、思い立ったら一気にやってしまわないと、かえって非効率になります。
市制町村制施行時(既入力分である大阪府から鹿児島県まで)については作業を完了し、鹿児島県から順次北(東)へ向かって
市制町村制施行時以降の修正作業を行っております。鹿児島県から始めようやく山口県に到達しました。
これらの作業においては、皆様からご指摘のあった修正作業も順次同時に行っておりますので、ここにその経過をお知らせします。
[74518] むっくん さん
いつもありがとうございます。また、遅くなり申し訳ありません。
◎山口県
■M39(1905).4.1付け 玖珂郡 岩国町 合併の変更種別について 編入 or 新設
「総覧」「便覧」「辞典」・・・M38(1905).4.1編入
「幕末以降総覧」・・・M38(1905).4.1(新設・編入の別不明)
山口県HPがきちんと県告示を踏まえているのかどうかは少し気になりますが、ご指摘のとおり、新設合併と判断し
修正しました。
■T4(1915).7.1付け 吉城郡 山口町 合併の変更種別について 編入 or 新設
「総覧」「便覧」「辞典」・・・T4(1915).7.1編入
「幕末以降総覧」・・・T4(1915).7.1(新設・編入の別不明)
山口県HPがきちんと県告示を踏まえているのかどうかは少し気になりますが、ご指摘のとおり、新設合併と判断し
修正しました。
■大島郡 安下庄村 → 安下庄村 の町制施行年月日について T4(1915).11.1 or T4(1915).11.10
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・T4(1915).11.1町制
「辞典」・・・T4.11.1(10)町制
ご紹介の各資料、特にいつもの信憑性が高いと判断している
郡市町村廃置分合表により、T4(1915).11.10付け町制と判断し、
修正しました。
■T5(1916).6.1付け 玖珂郡 藤河村 から 玖珂郡 御庄村 が発足する変更種別について 分立 or 分割
「総覧」「便覧」「辞典」・・・T5(1916).6.1分立
「幕末以降総覧」・・・T5(1916).6.1(分立・分割の別不明)
ご紹介の各資料、特にいつもの信憑性が高いと判断している
郡市町村廃置分合表により、分割と判断し、修正しました(
玖珂郡御庄村、
玖珂郡藤河村)。
■熊毛郡 周南町 新設/町制 施行年月日について S13(1938).4.1 or S14(1939).4.1
「総覧」「便覧」「辞典」・・・S14(1939).4.1新設/町制
「幕末以降総覧」・・・S14(1939).4.1町制(新設・編入の別不明)
単なる入力ミスのようです。S14(1939).4.1付け新設/町制と判断し、
修正しました。
■大島郡 家室西方村 → 白木村 の改称年月日について S16(1941).11.1 or S16(1941).11.3
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・S16(1941).11.1改称
「辞典」・・・S16.11.3(1)改称
山口県HPの根拠は少し気になりますが、ご指摘のとおり、S16(1941).11.3改称と判断し
修正しました。
◎愛媛県
■越智郡 魚島村 が 越智郡 弓削村 から分立する年月日について M28(1895).9.12 or M28(1895).12.1
「総覧」「便覧」「辞典」・・・M28(1895).9.12分立
「幕末以降総覧」・・・M28(1895).9.12(分立・分割の別不明)
・・・M28(1895).9.12分立
・・・M28(1895).9.12分立
ご紹介の愛媛県告示に従い、M28(1895).12.1分立と
修正しました。
■越智郡 渦浦村 が 越智郡 亀山村 から分立する年月日について M32(1899).5.7 or M32(1899).7.1
■北宇和郡 御槇村 が 北宇和郡 清満村から分立する年月日について M32(1899).10.1 or M32(1899).7.1
「総覧」「便覧」・・・渦浦村はM32(1899).5.7分立、御槇村はM32(1899).10.1分割
「幕末以降総覧」・・・渦浦村はM32(1899).5.7(分立・分割の別不明)、御槇村はM32(1899).10.1(分立・分割の別不明)
「辞典」・・・渦浦村はM32.5(7).7分立、御槇村はM32.7.1分立
ご紹介の愛媛県告示に従い、M32(1899).7.1分立と修正しました(
越智郡渦浦村、
北宇和郡御槇村)。
■伊予郡 下灘村の一部 を 喜多郡 満穂村 へ境界変更する年月日について M41(1908).9.30 or M41(1908).10.1
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」・・・M41(1908).9.30境界変更
「便覧」・・・記載なし
ご紹介の愛媛県告示に従い、M41(1908).10.1付け境界変更と判断し、
修正しました。
■周桑郡 福岡村 → 丹原町 の 町制/改称 年月日について T2(1913).12.1 or T2(1913).12.23
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T2(1913).12.13町制/改称
ご紹介の愛媛県告示に従い、T2(1913).12.23付け町制/改称と判断し、
修正しました。
■T6(1917).5.1付けの 北宇和郡 宇和島町 の 丸穂村 との合併の変更種別について 新設 or 編入
「総覧」「便覧」「辞典」・・・T6(1917).5.1新設
「幕末以降総覧」・・・T6(1917).5.1(新設・編入の別不明)
ご紹介の愛媛県告示に従い、編入と判断し、
修正しました。
■北宇和郡 岩松町 が 高近村 と新設合併する年月日について S13(1938).10.10 or S13(1938).9.10
「総覧」「便覧」・・・S13(1938).10.10新設
「幕末以降総覧」・・・S13(1938).10.10(新設・編入の別不明)
「辞典」・・・S13.9(10).10新設
[62491]たもっちさんへの対応漏れのようです。
ご紹介の愛媛県告示に従い、S13(1938).9.10付け新設と判断し、
修正しました。
◎高知県
■幡多郡 宿毛村 → 宿毛町 の町制施行年月日について M32(1899).12.20 or M31(1898).12.20
[68520]むっくんさん、
[69559]拙稿の修正誤りのようです。M31(1898).12.20町制施行と
修正しました。
◎長崎県
■西彼杵郡 淵村 から 小榊村 が分立する年月日について M31(1898).7.1 or M31(1898).10.1
[71725]むっくんさん、
[72194]拙稿の修正誤りのようです。M31(1898).10.1分立と
修正しました。
◎熊本県
■八代郡 郡築村 の発足年月日について M42(1909).7.4 or M42(1909).4.7
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M42(1909).7.4
ご紹介の「熊本県市町村合併史」の方が誤っている可能性もあり、悩ましいのですが、M42(1909).4.7 八代郡 郡築村 発足と判断し、
修正しました。
なお、新たな資料を発見できれば、再修正もあり得ると思います。
◎鹿児島県 M22(1889).4.1付け市制町村制施行時
■M22(1889).4.1付け市制町村制施行時 川辺郡 東加世田村 となる従前の町村名の一部について 川辺郡 唐人原村 or 川辺郡 唐仁原村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・川辺郡 唐仁原村
単に入力誤りのようです。また、ご紹介の各種資料、特に鹿児島県令に従い、さらに、現在の
南さつま市加世田唐仁原にあたると思われることから、ご指摘のとおり 川辺郡 唐仁原村 と
修正しました。
■M22(1889).4.1付け市制町村制施行時 西囎唹郡 国分村 となる従前の町村名の一部について 西囎唹郡 唐人村 or 西囎唹郡 唐仁町
「幕末以降総覧」・・・西囎唹郡 唐仁町
「辞典」・・・西囎唹郡 上小川村, 向花村, 野口村, 府中村, 新町村による合併
単に入力誤りのようです。また、ご紹介の各種資料、特に鹿児島県令に従い、さらに、現在の
霧島市唐仁町バス停付近にあたると思われることから、ご指摘のとおり 西囎唹郡 唐仁町 と
修正しました。
■M22(1889).4.1付け市制町村制施行時 肝属郡 東串良町 となる従前の町村名の一部について 肝属郡 唐人町 or 肝属郡 唐仁町
「幕末以降総覧」・・・肝属郡 唐人町
「辞典」・・・肝属郡 川東村, 新川西村, 川西村, 岩弘村, 池之原村による合併
ご紹介の各種資料、特に鹿児島県令に従い、さらに、現在の
肝属郡東串良町唐仁公民館付近にあたると思われることから、ご指摘のとおり 肝属郡 唐仁町 と
修正しました。
■M29(1897).4.1付け大島郡の郡区域変更について
ご指摘のM29(1897).3.30法律第55号
鹿児島県下国界並郡界変更及郡廃置法律に従い、詳細欄において、
「川辺郡を廃し、その区域のうち硫黄島、黒島、竹島、口ノ島、臥蛇島、平島、中ノ島、悪石島、諏訪ノ瀬島及び宝島の区域を大島郡に変更する」
と
修正しました。
■M41(1908).4.1付け大島郡名瀬村となる従前の町村名の一部について大島郡 根頼部村 or 大島郡 根瀬部村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・根瀬部村
ご紹介の鹿児島県令に従い、 大島郡 根瀬部村 と
修正しました。
◎広島県
■呉市発足の経緯について
M35(1902).9.1付け 安芸郡 二川町, 荘山田村, 和庄町, 宮原村 → 安芸郡 呉町
M35(1902).10.1付け 安芸郡 呉町 → 呉市
or
M35(1902).10.1付け 安芸郡 二川町, 荘山田村, 和庄町, 宮原村 → 呉市
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M35(1902).10.1付けで4町村が合併し、呉市市制施行(呉町存在せず)
さらに、呉市HP内の
呉市の歴史でも、同様に呉町は存在しなかったような記述です。
[74500] hmt さんご紹介の
郡市町村廃置分合一覧表(内閣統計局、明治31年12月31日-36年12月31日)の記述及び
[74518] むっくん さん ご紹介の
M35(1902).9.1付け内務省告示第63号の内容から、
・M35(1902).9.1付け 安芸郡 二川町, 荘山田村, 和庄町, 宮原村 → 安芸郡 呉町
・M35(1902).10.1付け 安芸郡 呉町 → 呉市
の二段階で間違いないと判断し、修正しました(
4町村→呉町、
呉町→呉市)。
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[75292] むっくん さん
■愛知県 愛知郡 笈瀬村 → 愛知郡 愛知町 の町制/改称年月日について M37(1904).12.10 or M37(1904).12.20
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」・・・M37(1904).12.10
「便覧」・・・記載なし
しかし、ご紹介の資料、特に
郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(内閣統計局、M42.12.10)により、M37(1904).12.20町制/改称と判断し、
修正しました。
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[75350] hmt さん
[75351] むっくん さん
M22.5.1付けの東京府における市制・町村制施行に伴う従前の町村の廃置分合については、
[75042] むっくん さんでもご紹介のあった、
M22.4.11付け東京府令第25号(pdfファイル)を
踏まえ、全面的に再確認の上、
修正しました。
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いつも皆様ありがとうございます。
その他のものも、順次対応してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。