沈下橋は工費、維持費が安く済むため中小河川には今でも現存しますが、最大の欠点は船が通過できない事です。一級河川の下流には殆ど無いでしょう。沈下橋で有名な四万十川の最下流の佐田沈下橋(今成橋)でも河口から16kmほどです。
[44775]eiji_t で取り上げた東海村亀下と久慈川の対岸の留(現・日立市留町)との間には「留橋」という沈下橋が105年間存在しました。河口から僅か2km余りの所です。
地図
上の地図の中心の印辺りです。常磐線の鉄橋の120m上流です。
昔の久慈川は亀下の南側を流れていて亀下・留 両地区は陸続きだった為、関係は緊密でした。新河道が開削され両地区が分断された後は渡し舟で交流していました。留橋は明治26年に架設されました。約1km下流に久慈大橋(愛称・赤い橋)が昭和38年に架かるまで久慈川最下流の幹線道路の役割を果たしました。
その後地域住民だけの橋に戻りました。老人や自転車の中学生が落下する等3件の死亡事故があり地獄橋という別名もありましたが、地元には存続の要望は強かったのです。
ところが1997年に母子4人の乗った自動車が転落する事故があり、暫くの通行止めの後、歩行者と自転車のみ通行が許され再開しました。
1998年7月23日梅雨末期の大雨増水の為一部破損。
同年8月30日の台風4号の豪雨で一部を残して流出。
同年9月16日の台風5号の増水により完全に無くなる。
これが留橋の最期です。
永久橋の計画は前々からありましたが、これにより新橋の着工が早まり2003年3月「留大橋」が完成しました。留橋跡から450m上流です。
現在の久慈川最下流の沈下橋は留大橋から上流500mほどの竹瓦地区にある「香取橋(通称・竹瓦橋)」です。河口から3kmほどです。上の地図の名前の書いてない橋です。明治31年に架設され1990年に鉄骨橋に改築されました。竹瓦地区も江戸時代の新河道が開削によって分断された地区です。橋の対岸の「原坪」は東海村竹瓦地区の飛地で「向こう竹瓦」と呼ばれています。
参考、久慈川の沈下橋
久慈川の下流に沈下橋が明治時代からあるのは明治中期には久慈川の舟運が衰えた事と、1級河川にしては下流の川幅が狭い為だと思われます。留橋、竹瓦橋とも長さ110m前後です。佐田沈下橋は約210mです。
他の1級河川の下流に沈下橋の例はあるのでしょうか?