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スナフキんさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[48252]2006年1月11日
スナフキん
[48229]2006年1月10日
スナフキん
[47996]2006年1月6日
スナフキん
[47783]2005年12月31日
スナフキん
[47523]2005年12月19日
スナフキん
[47348]2005年12月13日
スナフキん
[47329]2005年12月12日
スナフキん
[47259]2005年12月9日
スナフキん
[47172]2005年12月6日
スナフキん
[46960]2005年11月28日
スナフキん
[46812]2005年11月22日
スナフキん
[46778]2005年11月20日
スナフキん
[46666]2005年11月15日
スナフキん
[46549]2005年11月8日
スナフキん
[46521]2005年11月6日
スナフキん
[46462]2005年11月4日
スナフキん
[46415]2005年11月2日
スナフキん
[46075]2005年10月23日
スナフキん
[45930]2005年10月21日
スナフキん
[45919]2005年10月21日
スナフキん

[48252] 2006年 1月 11日(水)12:59:22スナフキん さん
駅名七・五調、新たな発見
[47275]でにまんさんがJR大和路線の「五・七・五・七・七」並びを取り上げていらっしゃいますが、昨日の残業帰りで何気なく地下鉄直通列車の停車駅案内を見ていて、ふとこの話題を思い出しました。乗っていた地下鉄の電車が地上に出てからの停車駅が、よくよく見ると「五・七・五・七・七」ほど整ってはいないものの、駅名読みが七・五調となって並んでいたんです。もう何年も利用しているのに灯台下暗し、これは気づきませんでした。

和光市・朝霞(7)
朝霞台(5)
志木・柳瀬川(7)
みずほ台(5)
鶴瀬・ふじみ野(7)
上福岡(字余り6)
新河岸・川越(字余り8)
川越市(5)

字余りが連続するので胸を張れませんが、きれいな並びであることは言えるかもしれませんね。

以上、十番勝負最中の下らない板汚しの話題でした(汗)。
[48229] 2006年 1月 10日(火)13:37:53スナフキん さん
大字のこと
フォローにならないかもしれませんが、地図を作る上でこんな感じなのかな…と思える部分をいくつか。
[48147]ひーさん
区名のあとに「○○町大字△△・・」となっていますが、「○○町」自体が大字だと思うんですが・・。
とのことですが、これは必ずしもそうだと言い切れない面があります。同様の例が名古屋市内に散見されます(北区楠町大字~、港区南陽町大字~、緑区有松町大字~など)から、何か名古屋市独特のルールがあるようにも思えます。最近見た例では、合併が絡みますが「青森市浪岡大字○○」というケースがありました。こういった例を見るとあたかも「大字」の上に相当する「何か」があるようにさえ見えてきて、名古屋市の例が飛び抜けて特殊というわけでもなさそうです。ぱっと見では、全国各地のいわゆる「広域大字」の類(愛知県では一宮市の「一宮市丹陽町」「一宮市千秋町」などがそれにあたります)ともとれます。

もともと大字の概念にはこれといった全国的な統一性があるわけではなく(以前にも挙げた岩手県独特の住所「第○地割」の存在もあります)、あいまいさが顕在していたところへ持ってきて、ここのところの合併に伴って生じた大字改変の取り扱いが各所でまちまちで、ますます混沌としてきているのは事実です。大字という概念を全国的に網羅し、統一した見解で纏め上げようというのは、多分無理だと思います。

ちなみに、住宅地図では「大字」付ですが、道路地図では大半が「大字」無です。
これは地図の用途及び目的の違いによるものですね。住宅地図は1つ1つの建築物が主人公ですから、それらの住所を正確に記していなければ都合の悪い事態もあり得ます。一方、道路地図で大字の有無はハッキリ言ってどうでもよく、大まかに住所・地名が読み取れればよいので、判読不能にならない程度の誇張や省略が行われます(多分、郵便物が「大字」を入れずとも届くために省略される傾向が強いのでしょう)。また、地図が表す縮尺も表記の省略化を大きく左右する要素で、住宅地図は超拡大図が基本であり住所を略さずとも記せる紙面であるのに対して、道路地図では住宅地図ほどに拡大した図はごくまれである割に情報量は多く、どうしても省略が避けて通れないという、地図特有の事情が表記の揺れには見え隠れしています。ですから、どの表記が正しいのかを判断するのも、市販の地図がこれだけ表記の統一ができていないのですから、意外と難しいのです。ちなみに例として挙げられた「歩道橋の表記」ですが、これはユーザの立場にしてみればそんな厳密な表記は要らないのですが、何分道路に建植された構築物は官公署である警察が管轄することが多いので、この絡みできっちり書かれている…漠然とそんな気がします。

うーむ、大した答えになっていない気もしますが…(汗)
[47996] 2006年 1月 6日(金)15:09:04スナフキん さん
仕事始めの、初コーヒーブレイク(?)
すっかり年が明けてしまいました。スロースタートな勤務先は今日が仕事始め。年末に一杯になったスタンプカードでブルーマウンテンのコーヒー豆200gをロハでゲットし、PCデスクの周りはいい香りがプンプンしています。

望み薄のつもりで元旦に向かった福島県いわき市勿来の日の出ポイント、雲が多く水平線からの日の出にはなりませんでしたが、雲の上から初日の出自体は拝むことができました。関東を始め全国的に天気がパッとしなかった元旦だっただけに、喜びもひとしおです \(≧▽≦)/ヤッター! で、いまは勤務先のWindowsマシンのデスクトップ壁紙にこの初日の出を設定してあります。こんなおてんとう様が拝めたのだから大満足です。母校の箱根駅伝での順位なんて、どうでもいいんです(謎)。

その後乗り継いだ特急では眠気に負けてまどろんでいたのですが、起きて気がつくと亘理。太平洋側とは思えないほどの積雪で一面の銀世界に面食らってしまいます。寝起きのせいもあって、まるで夢の中のような気分でした。仙台で放り出されたときの寒さといったら!参りました。仙山線電車が山形から山を越えて雪まみれで到着しています。太平洋側でここまで冬景色になっていたとは…散々メディアが取り上げている今季の記録的な大雪ぶりを、早くも仙台で痛感することになってしまいました。

臨時「こまち」でとんぼ返りした大宮では、百貨店がまだ店開きしていないあおりなのかとんでもない人出でごった返す「エキュート大宮」を、足の踏み場を探しつつ冷やかして、長野新幹線「あさま」へ転身。こちらは逆に軽井沢の雪の少なさに拍子抜けしましたが、上田を過ぎて五里ヶ峯を越えてからの雪の増え方にはオドロキ。上田と長野って、盆地続きに見えるけれど気候はかなり違っているのでしょうね、これほどの積雪差があるとは思いもしませんでした。天気は北関東を経てすっかりよくなり、浅間山はもちろん、姨捨越えに挑む特急「しなの」からは飯縄山も青空に映え、足元に臨む一面の銀世界共々、ここでも夢見心地にさせられます。

各地での町並みの変貌も年始から抜け目なく(?)チェック。長野市内の超一等地(元、そごう跡地?)では再開発事業が進捗し、信越放送の本社が郊外から移ってくるのだとか。松本駅は、合併特例債活用事業なのか線路をはさんでの自由通路築造工事がたけなわでした。年末最後の書き込みにもしたためましたが、合併の大嵐のあるなしにかかわらず、地表の変化は絶えることがありません。こうして、地図屋の仕事も量の増減こそあれども未来永劫続いていくのだなあと実感した次第です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
[47783] 2005年 12月 31日(土)23:08:39スナフキん さん
本年もお世話になりました
ただ今、調整睡眠から目覚めました(汗)。で、食事調整のために今はソーセージとミニトマト、コーヒーにチョコレートをつまんでいます。もちろん紅白歌合戦など関係のない生活で、大晦日にいったい何やってんだか…。

本年も、オフ会を始めいろいろと落書き帳にはお世話になりました。殊に、仕事をする上で合併情報にはどれほど助けられたことか、ここでは書き尽くせないほどに重宝させてもらいました。改めて感謝する次第です。来春をもって、一応合併の大嵐は収束が見込まれています。これで少し仕事が落ち着けばいいなあと思う反面、仕事が減っちゃうなあ、減税もなくなるから生活がくるしゅうなるなあ…とか、来年をちょびっと憂慮したりしています。ともあれ、合併が落ち着いたからと言って落書き帳でのおつき合いが終わってしまうわけではありません。来年もどうぞよろしくお願いいたします。そして、皆さまにとってよい1年でありますように。

さて、時間が来ました。これから一旦出社(?)して時間調整をして、大宮3:40発のお座敷電車「常磐初日の出号」で、望みの薄い初日の出にチャレンジしてきます(前段に書いた調整は、そのためです)。その後、JR東日本の乗り放題企画きっぷを駆使して、仙台~大宮~長野~松本~八王子~笠幡(汗)のグリーン車だらけの豪遊日帰り旅を楽しんできます。で、実家に戻って、たぶん撮りためることになるであろう電車の数々を甥っ子にせがまれてテレビ鑑賞することになろうかと…。また、エネルギーを使う長期休暇になってしまいそうです。
[47523] 2005年 12月 19日(月)13:15:26スナフキん さん
鉄道ネットワークの拡大 in東武
東武が先週末に、来春からのダイヤ改定を発表しました。ご存知の方も多いと思いますが、この目玉は報じられている通り「スペーシア」の都心(ここでは池袋・新宿とします)への乗り入れ!です。けれど、今回の発表ではそれ以外の重要な改定内容も表に出てきました。

あまり鉄ばなしをディープにするのもいかがなものかと思うので、鉄道ネットワークの拡大として着眼すべきポイントを2つに絞って言ってしまいます。沿線の方には不快な表現に見えるかもしれませんが、東武として北関東エリアを事実上切り離しにかかったということが1点。最優等列車を地下鉄へ直通させ、直通列車に既存路線のイニシアチブを握らせるということが1点、これに尽きます。特に後段のポイントは従来の常識を覆すかのような大改編であり、ここまで地下鉄直通列車を持ち上げる例は東京周辺では、全列車直通の東急田園都市線など一部の例外を除いては初めてのケースと思われます。列車種別の大幅な変更も行われ、従来は特別料金を取る種別だった「急行」が一般化されたり、新たな種別が生まれたりと変化の度合いはきわめて大きく、沿線利用者は頭の切り替えが大変そう…。

かねてより東武伊勢崎線は、日比谷線という直通相手を持ちながらも車両規格の都合上優等列車として運転できないジレンマを抱えていました。このことで何度メディアや利用者から突かれ続けたか分からないほどだったわけですが、今回ようやく大型車両の長大編成による優等列車の直通を手中におさめたと言えます。同時に、JRとの接続駅でありながら運転本数の点できわめて冷遇されていた久喜駅が、改良の甲斐あって直通列車を受け入れ、さらに特急も一部停車させることで倍近い本数増の恩恵を受けることになりました。以前は東武動物公園で分かれた日光線・南栗橋の方が本数が多かったため、ここでも立場の逆転が生じています。

これ以外にも来春にはゆりかもめの延伸が予定されているほか、その後には東京メトロ13号線(仮称)の開通も控えています。しかし東京における鉄道の網の目は、このような純然たる路線の新設・延伸がそれほどなくとも、確実に外へ外へと広がり続けていくようです。
[47348] 2005年 12月 13日(火)09:22:21スナフキん さん
ショックなので思わず即レス
[47341]紅葉橋律乃介さん
来春のダイヤ改正で、「利尻」と夜行の「オホーツク」は廃止されるようです。
ぐぁ~! ホントですか。どちらも全区間利用経験があるので、ある意味高千穂の存廃以上にショッキングな情報です。しかも週末、情報量の豊富な鉄仲間との忘年会の席でさえ、そんな話は微塵も出なかったのに。閑散時の需要減をピーク時の需要増で補うことができなくなったということなのか、それとも運行自体に人件費がかかりすぎるのか、はたまた車両がくたびれてきて現業が泣きを入れてきたのか…全部が理由にも思えますが、いずれにしても大変惜しまれます。同区間の夜行バスが恐らく残存するとは言え、鉄道輸送における夜行需要は、長らく安泰だった北海道においても冬の時代を迎えることになるのですね。今はなき快速ミッドナイトなどをフル活用し、北海道フリーきっぷ、その少し前は北海道ワイド周遊券で道内を縦横無尽に走り回ることのできていた時代が、もう懐かしく感じられるほどに…そんなに時が経ったようには思えないのですが、私の思いだけが当時のまま置いてけぼりになっているみたいです。
[47329] 2005年 12月 12日(月)13:15:59スナフキん さん
いろいろレスなど
週末はネットの集まりで忘年会がありました。ただ酒を飲みに都内へ出るのはつまらないので、千葉まで足を伸ばして空中散歩(?)を楽しんできました。一日乗車券を買い求めたら、まだ千葉ロッテマリーンズ日本一記念柄でした、一体いつまで引っ張るんだろう…(苦笑)。その後忘年会前なのに「酒々~」と云ふ地で電車を乗り換え、佐倉市内に生息していた「コアラ」を引退間近の我がデジカメで補足することに成功しました(謎)。この後都内へ戻ろうと駅で待っていたら、なかなか年期の入った車両が各駅停車としてやってきました。ブルーグレーの車体にとってつけたような行先表示を出しています。夕陽に向かって走るこの古兵にうっとりし、船橋の高架化をこの目で確認した後も抜いてく列車に移ることはせず、地下鉄直通列車を捕まえられる青砥まで延々と乗り通してしまいました。こういう、車体全体にしっかりと色を塗った車が活躍できるのは、あとどれほどなのでしょうね…。

さて、いろいろレスです。
[47265]N-Hさん
高架下にある電気街から上の高架を見上げても、高度がずいぶん高い割りに幅が狭く、かえってあまり気になりませんね。
そうですねぇ…。私が例として挙げた2ヶ所は、[47267]でYASUさんも指摘されている通り、狙ったわけではないのですがいずれも上を越す方が複々線で、日陰がド~ンとできてしまうのです。これは近所に住まう身になってみればとんでもない話。いろいろ考えてみると、新大阪も高架を跨いでるわけではないですけど、新幹線の存在感は物凄く大きいですね。

[47278]今川焼さん
近鉄のあおぞら号という修学旅行用の2階建て電車
私も高校の修学旅行では近鉄の団体列車を利用して奈良まで移動しました。この時、特別仕様車の登場を期待していたら、「鉄」的にはもっとびっくりな車が。本来は地下鉄烏丸線に乗り入れるはずの車が京都駅に姿を現したものですからもう、こちらは大興奮。一応近鉄カラーの車なのですがちょっとモダンな顔格好でした。残念ながら系列まではよく分かりませんが、3000なんぼ、だったかと思います。後から、修学旅行担当教諭が旅行会社をスルーして近鉄と直談判し、この時間帯なら車が余っているはずだからよこせと依頼したのだと、本人が豪語していました。この教諭も相当な鉄ヲタでして、まったく困ったものです(苦笑)。
[47259] 2005年 12月 9日(金)10:05:25スナフキん さん
奈良のお話
奈良の件、私は宿泊扱いですが多分6泊しています。うち2泊が高校の修学旅行。中学の時は奈良には行っていますが宿泊は大津でした。残り4泊のうち1泊は幼少の頃に泊まっているはずですが場所は定かでありません。2泊は奈良ユースホステルで、この時に訪れた天理教本部(私も信者ではありませんが)でモーレツなカルチャーショックを受けたのでした。そのインパクトは多分、大仏の訪問時以上のものだったと思います。往路で絡んだ天理教専用団体臨時列車「急行・東京おじば」号の存在、道中車内で紛失しかけた青春18きっぷの捜索にかかるすったもんだと合わせて、強烈な記憶として残っています。私は宗教系大学出身のせいか一時期宗教の本山巡りを(悪趣味と分かっていながら)好んでしていた時期があり、金光教本部も前後して訪れています。

最後の1泊は社員旅行でして、宿泊は奈良市内のビジネスホテルでしたが、案内役に大学教授をつけ、今井環濠集落、山の辺の道と点在する古墳群をレクチャーしてもらいながら巡る、「超」のつく研修旅行でした。今井は、すごいところですよ。近隣の富がすべて今井の集落に集まっていたと言っても過言でなかった時期があったということからしてすごいわけですが、その富を狙う勢力から身を守るための環濠構造、街路の見通しを意図的に悪くする家屋配置など、事実上の「自治集落」と呼べるほど強固な防衛力を誇っていたとも言われています。それが現代に至るまで、一部の環濠は埋められたとは言え景観を残しているというのは特筆すべきことでしょう。確か伝統的建造物美観保存地区にも指定されているはずです。

ちなみに…
[47252]EMMさん
何と言っても「修学旅行列車」が運行されるぐらいでしたし。今あるんだろうか?
存在は今でもしているようです。ただ昔と違って「修学旅行専用車両」を用意できるほど民営化したJRは余裕がないと見え、ごく普通の特急車両など(近場の場合はそれ以下のランクの車になることも…)を用いているのでパッと見はそれだと分かりにくいようですが。私も往復新幹線による修学旅行でしたが、中学の時は0系新幹線で3人がけの向きが固定されており、不平不満を漏らすクラスがあった(席割の都合で逆向きに座らされる人も…)のに対し、高校の時は100系2階建て連結の新幹線で3人がけも回転し、6人で道中「UNO」をやりまくって大盛り上がりしたのを覚えています。しかし、今となってはそれすらも過去のお話ですからねぇ…。車両は替わっても、300系車両を使った新幹線での修学旅行専用列車は今もあるようです。

私の経県値を振り返り始めるとべらぼうに長くなるのでやめておきます。最後にハミダシで。
[47255]matsuさん
現在モノレールが建設されていますが、
つい先日作図をした(汗)ので少しフォローを。これ、日暮里舎人線のことでしょうか。厳密には例えば羽田へ向かうようなモノレールではありませんで、いわゆる新交通システム、東京近郊ではゆりかもめのような乗り物であるようです。このテの乗り物は車両のサイズが小さいので急カーブはお手の物。現にゆりかもめは新橋のすぐ先、汐留の再開発エリア内に入った直後に直角カーブを描いています。
このモノレールの割と大きな橋脚だけで沿線の道路は既に以前より暗くなったように感じます。
荒川を渡る扇大橋前後では、すでに高架構造の首都高速道路中央環状線のさらに上を越えようとしているので物凄い高さになるそうですね。高架の上を高架で越えるというのは、地平から眺めるとどうしても仰々しい構造物になりがちです。新越谷や武蔵浦和の駅を見ていると、すごくその思いを強くします。景観上も好ましいとは言えませんね、仕方のないこととは言え困ったものです。
[47172] 2005年 12月 6日(火)09:29:36スナフキん さん
経県値登録
日曜夜に経県値を登録してみました。これを登録すると、メンバー紹介の更新デートスタンプが自動的に登録日になってしまいました。リンクや居住地・出身地など各項目は一切変更がないのに、あたかもどこか更新したように見えますが…ロジックの都合上、仕方ないのでしょうね>グリグリさま

リストや経県マップを眺めていると、どうあがいても現状ダントツ1位のU-4さんには「◎」のポイントで及ぶはずがなく、経県値の上積みを目指しても現状、自力で可能なのはあと11点、マキシマムは191点なのがビジュアルでハッキリ認識できました。当初、自分が白桃さんにしかられる(笑)と思っていた香川の「▲」は、「降り立った」の文言を少うし拡大解釈すると自分は高松駅で乗り換えのためにホームに立っているので、見方を甘くして得点をアップさせてしまいました(大汗)。

未訪問の沖縄は別にしても、経県マップで赤っぽくなっていない5県にはある共通項があります。駅から行きやすいユースホステルに恵まれていない(号泣)。以前もユースホステルを宿泊から除外してカウントしてみたことがありますが、やはり自分の経県値における宿泊の概念に、ユースホステルが大きく寄与していることを経県マップは教えてくれました。

今後、まず何とかなりそうなのは和歌山と高知。共に突端部を目的地に据えればどこかで宿泊せざるを得なくなる立地なので、あとは目的を探して資金と時間とを調達できれば(苦笑)早晩「○」に昇格は確実です。ところが、山形・香川・佐賀は近接して宿泊至便な地域が点在しており、利便性に甘えるとどうしてもこの3県はこのまま漏れ続けてしまいます。この3ヶ所だけは、経県値アップのためのおでかけをせざるを得ないかもしれません。

自分の経県値と経県マップを眺めての雑感でした。烏川碧碧さんのページの仕掛けはホントによくできているなあと感心しました。経県値という面白ネタを編み出した皆さんの柔軟な発想にも、感謝、感謝。
[46960] 2005年 11月 28日(月)16:35:21スナフキん さん
鉄道橋梁名は、どうして地図に載らないか?
[46891]デスクトップ鉄さん
・地図には、道路橋の名前は書かれているが、鉄道の橋梁名は載っていない。
仕事柄、普段から地図を見て、地図を作るのが当たり前になっているとこういった疑問点が自分の中で沸いてくることはまずなく、新鮮です。

結論から言えば、地図に掲載する必要がないから、の一言に尽きると思います。もう少し掘り下げて言うならば、読者にとっても編集者にとっても、鉄道の橋梁名はそれほど重要でないから、ということもできるでしょう。

地図上では同じ交通線なのに、なぜでしょうか。いろいろ思いを巡らせると、道路と線路の公共性の違いが根底にある気がしてきました。道路は、誰もが行き交うことができます。しかもほとんどの場合、徒歩・自転車・バイク・自家用車・バス・三輪車(汗)など、手段を問いません。一方、線路も誰もが通ることができるのですが、自走することは一切できません。車両を運転してくれる人に頼らないと通うことのできない交通路なのです。また、鉄道は一般的に決められたダイヤで動きますから、いつでも自由に行き交うこともできません。「鉄道は公共の交通機関」であるという認識は広く世間一般の常識になっていますが、地図における交通線という捉え方をした場合、同類項の道路と比較するとその公共性には枠がはめられていて、大きな差があるということができます。

翻って、地図の話に戻ります。誰もが自由に行き交うことのできる道路ですから、当然いろんな要求が出てきます。私は、そんな中の一つに「橋の名前を知りたい」というものも含まれる気がします。橋の実際の姿を思い起こしてみても、道路橋は大概両端部に金属製の橋梁名称プレートが埋め込まれています。幹線道路クラスになるとご丁寧に頭上に大きく看板を掲げるケースさえあります。ところが、鉄道橋はそういった名前を目にすることがありません。たまに、トラス構造の両端に白ペンキで名前が書いてあることはありますが、稀なケースです。それは多分、鉄道橋梁名は管理上は必要であっても、普通に鉄道を利用する乗客にはほとんど関係ないものだからだと思います。ですから、鉄道橋梁の名称は、ぶっきらぼうで面白みのかけらもないようなものが多いですね、「第○・△△川橋梁」とか。それが明示され、見られることをおおよそ意識していないかのような命名です。鉄道と道路の橋梁名、地図上での取り扱いに温度差が生じるのはこの辺に原因があると考えます。

他方、同じ鉄道の構造物でもトンネルは、地図への掲載はどちらかというと頻繁に行われることが多いです。地表に現れない分、むしろ一般人の関心は橋梁以上に薄いはずの隧道名は、いろんな地図を見ても比較的よく載っていると言えると思います。また、その名称も橋梁ほど規格化されてもいないようです。確かに、「線が線を横切る」構造物と「線が面を横切る」構造物で、その命名傾向に差異が生じるのはある意味必然かもしれませんが、地図にちょっと載せてみようか、と思える名称であることは確かです。あるいは、地図で見えていない部分を少しでも明らかにしようという意図が、どこかで編集者に働くのかもしれません。

上記は私がツラツラと思ったことを書いたもので、実際そうではないかもしれないことをご承知おきください。
[46812] 2005年 11月 22日(火)18:41:37スナフキん さん
世界と日本 大図解「新日本地図」の続編?
かつてここでも紹介されて話題を呼んだ「新日本地図」。その続編となる特集「路面電車」が北海道新聞の11月19日付け夕刊の「週刊フムフム」に掲載されていました。例によって見開き全面をフルカラーの贅沢な紙面構成となっていますが、「新日本地図」と決定的に違うのはほぼ札幌・函館両市電の紹介にとどまっていること。データ的にも前回とは比べものにならないほどお役立ち度は薄く、元気な路面電車として広電が別に紹介されているくらい。電車が動く仕組みを大きなイラストで紹介していますが、できればここに全国各地の路面電車概況を入れたりすればもっと面白い紙面になったろうなあと悔やまれます。内容的には道内ネタで完結しており、前回のように地方紙各紙で次々に掲載されるということは考えにくいもので、道新としての単発企画で終わりそうです。でもひょっとしたら、内容を差し替えて中日新聞や西日本新聞、中國新聞が地元の路面電車を特集したり…してくれると面白いんですが、そうならないかなぁ。
[46778] 2005年 11月 20日(日)08:40:06スナフキん さん
いま、鹿児島にいます
かすみさんは東進して甲斐は甲府へいるのだそうですが、私は逆に西進し、昨日飛行機(超割利用)で鹿児島入りしています。昨日は「中央駅」に改称以来初の鹿児島中央駅から観光列車を乗り継いで八代に達しました。終始天気に恵まれ、肥薩線のビューポイントからは桜島の遠景が見える大サービスがつきました。飛行機でも海岸線が見たい放題、久々にフライト中の富士山が拝め、ありがたかったです。地ビールや鹿児島の名産品盛り沢山の駅弁、いも焼酎やさつまあげも食べられて、大満足の旅です。いまは、鹿児島市内でも珍しい温泉つきビジネスホテルからアクセスしています。鹿児島はご存知のように桜島に抱かれた日本でも有数の温泉地帯に立地する都市でもあり、ハッキリ言って「湯釜の上に都市がある」と言っても過言でないほど源泉が集中しており、公衆浴場も大半が温泉。「泉都」の名をほしいままにしているのですが一方で、乱立するホテルのほとんどは温泉を引き湯していません。恵まれた地の利でお客さんをもてなすのは理にかなっていると思うのですが、なかなか温泉となるとメンテが大変なようで、このホテルもネットで調べてみないと見つからなかったかもしれません。

私事になりますが、今回の鹿児島入り最大の目的は1年以上返上したままになっていた「JR線全路線走破」のタイトルを、九州新幹線「つばめ」に乗ることで奪還することでした。残念ながら新幹線乗車時は完全に日没で景色を眺めることはできませんでしたが、まあトンネルだらけの路線なのでこれでもいいでしょう。今日はこれから、逆にJRから切り離されてしまった平行在来線「肥薩おれんじ鉄道」の快速列車で北上、そのままローカル列車を乗り継いで小倉まで向かい町歩きをしたあと、寝台特急で帰京、翌朝は昼から出社します(泣)。鹿児島の朝は、暖かいです。そして、日の出が遅いです。明日、寒い東京に帰るのがちょっぴり嫌です(苦笑)。
[46666] 2005年 11月 15日(火)13:08:32スナフキん さん
カントリーサイン、東北道のこと
そう言えば昨日まで、私も妹の結婚式で郡山・福島まで車による遠征をしていたのでした。ずーっと助手席に居座っていたにもかかわらず、あまり気にはしなかったのですが…「さくら市?どこじゃここは!」という運転中の親父の一声で講釈せざるを得なくなりました(汗)。氏家と言って分かってくれたからよかったですが、氏家も喜連川も分からない人に説明するのは大変ですねぇ。妙な名前だとブツブツ言っていたのを、そんなことを言ったら自分の新しい住所はもっと妙なんだから、我慢してやれとなだめるのに一苦労…。

直前に白河市と合併した大信村、どうだったかなぁ…。そもそも、大信村を東北道が走るのは矢吹インターの直近わずかな距離。しかも合併後は、両者の間には泉崎村が挟まる格好になっており、言ってみれば白河市に出たり入ったりすることになったのでした。確か「白河市」の看板は動いていなかったように感じたのですが、何分地図を見ながら同乗していたのではないので、さすがに職業が地図屋であっても新旧境界線に看板がちゃあんと立っているかをそらんじいて確認する、という離れ業はできませんでした。

今週土曜日には、鹿児島空港シャトルバスで九州道南端部を走ることになっているので、ちょっと気にしてみてみようと思います…。あ、でもほぼ1年が経つ鹿児島市の合併は、なんぼ何でも直しているでしょうね(苦笑)。あ、それよりも関越道の「大井町」がどうなったのか知りたい~。ついでに、関越道から見える「おおい」と書かれた浄水場タンクのその後も確認していません、どうなったのでしょうね?
[46549] 2005年 11月 8日(火)09:40:02スナフキん さん
ふじみ野市長選挙戦が始まりました
日曜にふじみ野市長選挙が告示され、選挙戦が始まり自宅近くはやかましくなりました。幸い、法定選挙運動時間帯と自分の在宅時間帯が抵触するのは朝の数分だけで、わずかな間の騒々しさなので我慢できますが、日中市内にとどまっている人たちは、この狭い地域で候補者4人というやや乱立っぽい選挙戦に閉口しているかもしれません。まる一日騒音に耐えねばならぬ週末も、私は投票当日を含め妹の結婚式で郡山遠征を控えているので、ほぼ避けられそうです。

政治色の強い書き込みなので少々気が引けますが、この市長選挙に限らず合併に伴う新自治体の首長選挙でいつも思うのは、合併前の旧市町村長が複数出馬してきて争うのって、新自治体にとってはどうなのだろうかということです。多かれ少なかれ、旧市町村長は旧自治体における利権および既得権益を背負って出てくることは想像がつきます。それらを一切断ち切って出馬するというのは、常識で考えてもまず無理でしょう。だとすれば、合併に伴って1枚岩になったはずの自治体を、再び選挙戦で地域間対立へと導いてしまうことはないのだろうか、と政治学に疎いスナフキんは考えてしまうのです。一方、事前の話し合いで出る出ないを旧市町村長間で決めるほうがよさそうにも思えますが、そうなると密室政治だ、決定経過が不透明で分かりにくいなどの批判にさらされることになり、こちらも単純に「是」と言い切れないものがあります。

いわゆる合併特例法では、新自治体の首長についての規定がどのようになっているのかよく分からないのですが、文言で「旧自治体の首長は新自治体において首長となることはできないものとする」みたいな表現を盛り込めなかったのかな、そうすれば結構、物事は公平に進むのではないかなと漠然と考えたりもします…あ、それをやったら旧自治体の首長による抵抗が強くなって、今ほど「平成の大合併」は進んでいなかったのかもしれませんね。政治というハタケ違いな分野を、選挙戦を見ながら雑感してしまうスナフキんです。
[46521] 2005年 11月 6日(日)23:17:42スナフキん さん
地域コードの話
[46519]Issieさん
ところで今最も関心があるのは,来年3月に有田町(まち) と 西有田町 とが合併して発足する「有田町(ちょう)」。
現・有田町の番号(41401)を引き継ぐのか,“新しい自治体”とみなして新番号(41403)が与えられるのか。
個人的な憶測ですが、恐らく「引き継ぎ」になるだろうと思います。根拠は、同じようなケースで引き継いだ前例があるからです。と言ってもまだ合併に至っていないのですが、コード自体はすでにリリースされています。青森県南部町がそれで、名川町・福地村と合併することにより従来の「まち」ではなく「ちょう」に読み替え、実質新設合併を示しているとも言えますが、ここでは従来の「なんぶまち」コードがそのまま新町に用いられることとなっています。

ただ、恐らく中央省庁が決めるであろうコード順はともかく合併にかかわる事象って、結構当該県の前例を重視するようなところがあり(殊に、県や市町村側における決定事項ではそういう方向性が顕著になりますね)、100パーセントの自信はありません。正解が判明するのがいつ頃かははっきりしませんが、そう遠くない時期に分かるのではないかと思います。今までLasdecのページを見ていて、それほど告示とコード判明のタイミングが大ずれしたことはないので…。
[46462] 2005年 11月 4日(金)13:44:08スナフキん さん
航空祭と、少しのレス
昨日は、けっこう以前から楽しみにしていた入間航空祭でした。昨年は知り合いのバス運転士の退職記念仕業に付き合ってしまい涙を呑んだイベントで、団地に引っ越してから眺めるのは初めてとなりましたが…天気がひどいものでした(泣)。雨こそ降らずにもったからいいようなもので、終始曇天。航空自衛隊入間基地は、スカッと晴れれば飛行機の離着陸が見えてもおかしくない距離のはずなのに、昨日は地表付近はモーレツにモヤっぽく、離着陸どころか低空飛行されると機影すらほとんど確認できないありさま。視界が片方向にしか開けていないので、飛行ルートも分からぬままに突然爆音が響いて飛行機が頭上を通過という不意打ちを何度も食らいました。ブルーインパルスの飛行はもっと悲惨で、なまじ昼過ぎて日が出たために雲が余計に白光りして煙幕と同色化し、「空のキャンバス」は台無しです。上半分がかろうじて見えただけ、ましでしたが。もちろん低空での曲芸飛行の様子など見えるはずもなく、今年は完全に「ハズレ年」だったようです、普段は晴れの当り日だからということで航空祭を例年この日にしているはずなのですが…。数年前からは騒音への配慮か、F系の戦闘機飛行展示も取りやめになって迫力がなくなっているのも、隠れ飛行機好きには惜しまれるところ。ここのところは週末に天気が崩れることが多く、中には紅葉を愛でるプランをだめにしてしまった方もいるのでは?

さて、少しレス。
[46444]futsunoおじさん
「寡占化」と「集中化」ってのは「衰退化」の始まりのような気がします。
物ごとはたぶん、地図の話や山登りに限らずそうなんだと思います。人間は独占状態になると必ず気が緩みます。何をしても大丈夫なような錯覚に陥ることもあります。そこで、落とし穴だ、「勝ってかぶとの緒を締めよ」って格言のごとく考えられる人は、たぶん大人物なんだろうなあと思うのです。有頂天になると、視野が思い切り狭くなりますからねぇ…自分も気をつけないといけません。

若年人口の減少が痛いです。
これは山登りのお話でしょうか。私も昨年、ハイキング程度のノリで低山へ何度か単独行を試みましたが、あるパーティーから「若いのに感心ねぇ…」なんて声をかけられた時がありました。若いって、あたしゃもう30代に突入したんですが大学生くらいに見えたんでしょうか、そのおばさまたちには(苦笑)。目上の人から若く見られるって言うのは、実に複雑な気持ちですが。

ところで、昨晩自宅裏の十字路で交通人身事故がありました。この交差点は登り坂の終わる地点にあり、十字路の先は急屈曲となるポイントで交差する道路からは右も左も見通しが非常に悪く、引越し当初からここはアブナい場所だな、いつか何かあるんじゃないかと危惧していた部分でしたが、予感が的中してしまった格好です。以前も触れたと思いますがこの十字路、実は市の境界線上にあり、警察署の管轄も異なります。こういう時ってどう処理されるんだろうと思っていたら、救急車は分署の位置がより遠い川越市側からやってきてしまい、上福岡方面に走ってゆきました。その後しばらくして埼玉県警の事故調査車が来ていたようですが、これがどちらの警察(川越?東入間?)から来たのかはずっと眺めていなかったので分かりません。都道府県・市区町村の境界と重なる道路上での事故はどう扱われるのでしょう。よく警察署の前には「本日・今月・今年の管内における事故発生数」とかいう数字が掲示されますが、あの数にも影響するのですよね…。
[46415] 2005年 11月 2日(水)09:42:26スナフキん さん
登山地図のこと
社員旅行から帰ってきました。いろんなことを学び、たくさんの海の幸と山の幸を味わい、すばらしい温泉宿に巡り合えた2泊3日でした。さて山と高原地図、仕事柄ほぼ全巻そろった環境に囲まれているスナフキんから補足を。
[46383]みやこ♂さん
今から30年ほど前には,むしろ後発組で,マイナーな印象だったような印象です。
そうですね、昔は日地出版が相当のシェアを占めていたはずですが、業界におけるデジタル化の波に乗り遅れたことで行き詰まりを見せ、会社ごとゼンリンに吸収されて現在に至っているのは周知の通りです。だからと言ってゼンリンにはデジタルネタが引き継がれたわけでもなく、デジタルに関する小縮尺のノウハウはもともと皆無に等しかったわけですから、今改まってゼンリンとして登山地図を出してメンテし続ける、ということはしていませんけれど(出すだけ出したことはあります)。いっときヤマケイが登山地図を手がけたこともありましたが、その後改訂される様子がないところを見るとこれも花火を一発打ち上げただけで終わってしまいそうです。

もともと登山地図は、市街図や道路図などと比較しても経年変化の量が圧倒的に少なく、毎年改訂するには需要とにらめっこしてもあまりに割に合わないという側面があるため、いきおいある程度の規模を有し資金をつぎ込める会社だけができる分野になりがちで、結果現在のような半ば寡占状態になっています。でも、どの出版社もそれに関して動こうとはしないのですよ、経営が苦しくて(苦笑)。

わたくしが「山と高原地図」に惹かれるのは様々な理由がありますが,その一つには絵柄の美しさ,があげられるでしょうか。むろんヨーロッパ諸国の地図や北海道地図の秀逸さには及ばないとも思います
北海道地図のものは確かに見ごたえがあります。現在は子会社に分割されたジオ発行ということになっていますが、その緻密な表現方法は変わるところがなく感心しています。ただですね、実際山登りをした経験もある私に言わせれば、実用的にはちょっと「凝り過ぎ」な感も否めません。ハッキリ言って山を歩くのに影付けはそれほど重要でなく、むしろ正確な等高線が見えないと意味がない。登山する人はそれなりに地形図を読む訓練もされるはずですから、付帯情報、例えば正確に山小屋や水場の位置が落とせているか、沢や岩の様子がどれほどよく描き込まれているかが登山地図には求められているはずなのですが、その点北海道地図のものは山歩き用と言うよりはむしろ「観賞用」に近いのではと思って見ています。

さすがに「日本アルプス総図」はねぇ・・・迷いますねぇ,実際。何か特典ないのかな?
ないです(汗)。そもそも縮尺的に広範囲をカバーし過ぎていて、とても実用に耐えるとは思えません。1/15万地図で山登りできる人は、ハッキリ言ってすごいです(笑)。当然注記類も相当に編集・整理されているはずで、仮にコレクションのネタにするのであれば明らかに向いていないということができます。強いて特典を挙げよと言われれば、ガイド冊子が同じ体裁でまるまる写真集ぽくなっていること、くらいでしょうか。登山ガイドはこの地図には掲載されていないです。

[46412]EMMさん
山と高原地図は巻数はずっと変わっていないのでしょうか?
2002年→2003年の改訂で、総冊数は大きく整理されましたね。この時に南北に分かれていたアルプス総図が統合されています。この時は特に西日本の各図が相当に統合されたため実質総冊数は減少しています。

「この辺は出ないのかなぁ」と思う場所は何か所かあるのですが、かぽっと開いているエリアは登山用、と言う観点からは需要が低い、と考えて良いのでしょうか。
同業他社の視点からですが、多分図取りは「日本百名山」やそれに準ずる名数山名に大きく左右されているものと思われます。それはやはり知名度の点、需要の点からもうなずける話で、また致し方ないことなのかなと思います。
[46075] 2005年 10月 23日(日)22:26:30スナフキん さん
メガライナー、若干の補足
[46044]YASUさん
関東鉄道運行便は10月いっぱいで廃止だそうです(転属先は不明)。
確認していただいたのですね、何だかお力になれずにすみません。この回答に、私はやっぱりなと思いました。いや、前から知っていたのではないのですが、うすうすそうなるんじゃなかろうかと漠然と思っていたのです。

その理由は、間接的にJRバス関東の方からこんな情報を得ていたためでした。
「メガライナーは全車JRバス関東の所有である」
というものです。関東鉄道のカラーリングで走っている車も、実は内外装共々全く共通の車で、単にJRバスが関東鉄道へリースしているだけだというのです。ですから、今回の減便が明らかになった時点で、ひょっとしたら関東鉄道側がリース契約を破棄し、リース元のJRバスに車を返却する可能性はあるな、と踏んでいたのです。どうもそれが現実のものとなりそうですね。

[45942]みかちゅうさん
わずか1年半で廃車にするとは考えにくいので、鹿島線転用説はある程度の根拠はあります。
確かに、採算ベースで考えると鹿島線への転属はありでしょうが、現在の路線は先にも私が述べた通り潮来ICから真っすぐ鹿嶋市を目指しているのではなく、途中神栖市にある「鹿島セントラルホテル」を経由しています。このホテルへの横付けが、恐らくメガライナー級の大型車体では難しかろうと思われます。仮に何とかここをクリアできたとしても、その後特に住友金属以降の鹿嶋市内部分は対面通行の幅員道路もルート中に含まれています。素人目にもメガライナーでは安全運行が厳しそうなコースです。もし、潮来ICからワールドカップ2002の際に改築された県道を経由し、同時期に架け替えた(旧道も残ってはいるはずですが)新神宮橋を通ればオール片側2車線道路のハズなのでメガライナーの運行は可能でしょうが、逆に現在はこのルート経由の路線設定がないため、新たに別免許を取得する必要があります。メガライナーを活かすためだけに、ここまで面倒な手順を踏むかなぁ…というのが私の考えです。
[45930] 2005年 10月 21日(金)13:40:07【1】スナフキん さん
また少しレス
[45922]YASUさん
つくば高速バスの話題は、直接鹿島の話とは関係ないので思い切りはしょってしまいました。バス路線の改廃って一見地理とは関係ないようにも思われがちですが、総合交通ネットワークとしての鉄道・バス網を論じるのも地理学として成り立つ命題なので私はそれほど問題ないのではと思うクチです。

で、本題ですが現在休日はつくば線は84往復、日中はほぼ東京発毎時00・10・30・40分発、時間当たり4本体制です。改正後は総本数が52往復となります。半減にまでは至りませんが、それでも相当な数の減り方です。日中パターンは毎時00・20・40発の20分間隔に改められます。さらに、南守谷線に至っては路線が完全廃止となります。ネットを詮索しても東海道系の夜行・昼行改正ネタは公式ページに掲載されていますが、常磐系統の話題はおおむね「後退改定」のためか公表されている様子が見えません。上記記述は東京駅に掲示してあったものなので、間違いなくこの内容で改正が実施されると思います。もちろんこれらはTX開業後の利用率大激減によるものですが、駅の掲示には「メガライナー」の注意書きは一切ありませんでした。「一切ない」=存続なのか、=全廃なのかは判断できません。個人的には、転用できない車両ですから何らかの形で引き続き運行されるとは思うのですが…。

[45929]matsuさん
村内に「鮫川」という川が流れているようですがそれからとったのであれば川の由来がよくわからないです。
鮫川村のいわれはご指摘の通り河川名「鮫川」からきていると思われますが、この川の由来について勤務先の地方資料を引っ掻き回して調べてみました。1968年の「明治100年さめがわ」によれば、

「一説に、鮫川の水源地を渡瀬字福原地内にある鮫池であるとし、太古海から鮫が上ってきて鮫池に住んだという伝説により鮫川の名が生まれたという」(抜粋)

とあります。「一説に」と断るくらいなので諸説があるようですが、逆にこの説を公的な文書でもって取り上げていることから、最有力な説なのではないかという推測はできます。

分かることと言えばこの程度ですが、お役に立てたでしょうか。
[45919] 2005年 10月 21日(金)09:23:29スナフキん さん
少しレス
[45822]YASUさん
ここが旅客営業を廃止する直前に乗車したことがある
このことの方がよほどうらやましいです。当時は廃止の情報など雑誌から得る以外に有効な方法がない時代でしたから…。翻って今や、今回の1日限定復活イベントもレールファン上でアナウンスされているくらいですから、ホント便利になったものだと思います。

旅客営業復活なんてことはありえない
ですねぇ(苦笑)。ご存知かもしれませんが、高速バス鹿島線は鹿嶋市内に入る前にまず神栖市に入り、鹿島でないのに鹿島を名乗る「セントラルホテル」を経由してから鹿嶋市内の各停留所へ向かっています。セントラルホテルまでの運転間隔は最短で10分、乗換えを必要とする鉄道アクセスがこれにかなうとはとても思えません。しかも、神栖駅のあった貨物ヤードは事実上グリーンベルトによって市街地から目隠しされています。およそ客扱いを考慮した構造ではなく、旅客列車を頻発させるにはハードルが高すぎますね。ちなみに、来月からTX開通を受けてつくば線が大減便されるため、鹿島線は東京発着の高速バス路線で最大本数・頻度となることがほぼ確定的です。

[45884]みかちゅうさん
あ、私も行ってました。
う~む、あれほどマニアックな場所ですから、落書き帳メンバーは私以外には誰も行かぬだろうと思っていたのですが…。しかも
スナフキんさんあたりがいらっしゃるかなという漠然とした予想
私の行動が読まれているし(苦笑)。

寒い中の豚汁はありがたいものです
天気がさっぱりだった上に、土地柄東からの海風をまともに受ける地方でもあるため、ますます寒さが身にしみました。豚汁やけんちん汁の露店にはチラホラ客が見られましたが、みな考えることは一緒なのでしょう。私も暖かいトルコスープの無料提供は大歓迎だったのです、けどもう少し味がまともならなおよかったのに、なんて(苦笑)。

「今度は鹿島港南まで運転してくださいね」
公式ページによれば、元鹿島港南駅は現在都市計画道路がぶち抜いていて踏切化しているそうです。連れ一同はとっくにそんなことを承知だったらしく、「今度やるときは奥野谷浜だろうっ!」と息巻いていました…。奥野谷浜なんて、レールファンでも知っている人はごく少数だろうに、とんでもない人たちと仲間になってしまったものだと思いました。そもそも、東京へ帰るのに水戸を回ろう、なんて言い出す人たちですから話題にさえついていくのも大変です。


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