まず最初にいくつか意見を。実は十番勝負開催中に書きためていたものです。
(1) 十番勝負は2週間以内に終わらせたほうが望ましいと思う
十番勝負は「お祭り」なのですから、あまりだらだらと長く続けることは好ましくありません。あれほど「長い」と思っていたトリノオリンピックの開催期間でも2006年2月10日~26日の17日間しかないのです。
現在の十番勝負関係の書き込みの頻度は、最初の数日間は十番勝負に書き込みが集中し、通常の話題がスポイルされてしまうこともあります。しかしそれも長くは続かず、10日もすれば通常の話題の中にぽつぽつと十番勝負の書き込みがある程度に落ち込みます。それを考えると、長くても2週間(14日)以内に終了するのが望ましいのではないかと思います。私の感覚では1週間でもいいと思うのですが、
過去の十番勝負の開催期間(だいたい20~25日程度、最短が第1回の14日)を考えて長めに取っています。
最初の1週間で「2週間以内に終わらないな」と思ったら、ヒントをどんどん出し、次第にわかりやすいものにして、2週間程度で全問が想定解終了するようにするのがよいと思われます。その観点から見ると、私は今回の十番勝負は最初に出たヒントが難しすぎであり、期間を引っ張りすぎているのではないかと思いました。
(2) 想定解終了したものから順に共通項を発表してみては
今回の十番勝負で最も早く想定解終了になったのが問九で3日間、問八も7日間で想定解終了となっています。それから十番勝負終了(共通項発表)までの間に20日以上の間隔が開いています。十番勝負のルールにより、共通項そのものを述べることができませんので、20日以上「待たされる」ことになります。
今回私は問八と問九において「反則解答」(まだ誕生していない市や既に消滅した市を解答する)ことにより「解いた」ということを明らかにしました。問九に至っては想定解終了から15日目に反則解答いたしましたが、これはわざと(反則)解答を遅らせていたのではなく、その間ずっと本当に「わからなかった」のでした。想定解終了した問題に対しては新たなヒントも出ないので、本当に苦労して自力で出した(反則)解答でした。
しかし、これはもともと十番勝負の想定していない「解き方」であったはずです。つまり、十番勝負としては想定解終了すれば「その問題に対しては完結」なのであり、あとは共通項発表の日を待つだけなのです。想定解終了してもまだわからない人に対しては十番勝負全体の終了まで待っていてくださいということになります。それが数日くらいならまだよいのでしょうが、既に述べたとおり、20日以上も「待たされる」わけです。これは何とかならないものかと思います。
解決方法としては、現在の「共通項発表を全問同時に行う」のではなく、「想定解終了した問題は直ちに共通項発表を行う」というのが考えられますが、これに抵抗を覚える人もいるかもしれません。想定解終了した後の「おまけ」を与えられる方法って何かないものですかね。
さて、遅くなりましたが私の十番勝負の感想を簡潔に述べたいと思います。
早々と問五と問十を解いた後、ぼやぼやしているうちに問八と問九が想定解終了してしまい、今回の目標を全問正解から正解率100%に切り替えざるを得なくなりました。全問正解と正解率100%の両方を確保するために「ヒントが出るのを待ってから解く」といういつもの(?)手法を取ることにしましたが、それが裏目に出た形になってしまいました。
それでも正解率100%のほうはまだ残っているので、慎重を期して解答したと思ったのですが、惜しくも問六で誤答してしまいました。ヒントは正確に読めていたのですが、そのヒントから共通項を得るところで「その市内にケ(ヶ)を含む町字名がある」と間違えてしまったのです。この問六と、先ほど述べた問九に共通するのは「○○に隣接する市」というところですが、私がこの種の問題に苦手だということを露呈してしまいました。
十番勝負の出題分野は本当に多岐にわたっているため、ほかの人が思いもしない解釈も考えたことがあります。たとえば、問七について「一番最初は足利市と千葉市です」というヒントが出ていますが、私はこれから何を推測したかというと、なんと「武士関係」だったのです。「足利氏と千葉氏」が何かに関係するのではないかと思い、鎌倉時代の御家人かな?などと考えてしまったわけですが、共通項はご存知の通り、いかにも現代的なものでした(笑)。