わたくし,生粋の両毛人間です。栃木県民としての意識はかなり薄いと自覚しております。足繁く館林市や太田市に出没し,日光への往復も高速道路を使わないなら「今市経由」よりは「大間々経由」を選択します。ですから群馬県にはとても親近感を抱いており,もし佐野市を含む両毛地区が栃木県を離脱し,群馬県にお嫁入りするならそれだっていい,とさえ思っています(何かと迷惑でしょうが・・・「鶴舞う形」も崩れちゃうし・・・)。
[51585] YSK さん
栃木県が今回の事態になる前に「日光尾瀬国立公園」への改称をのんでいれば、今回のようなことには至らなかったのかもしれません。それだけ群馬県の尾瀬への思い入れは強いということなのかもしれません。小委員会委員長の谷津議員は、うちの選挙区(群馬3区)の選出だったりします・・・。
はて,改称について環境省から正式に栃木県に相談は来ていなかったと思います。新聞報道では気づきませんでした。尾瀬サミットで3県知事が盛り上がってそういう発言があり,それに対して日光市が「う~ん,ちょっとなぁ」とか返事をした,というのがわたくしの認識でした。
いずれにせよ,制度発足以来70年余も続いてきた「国と地域の協同関係」を一昨年国が一方的に破棄して以来,「国立公園行政は国のモノ」になっていますから,地域としては口をはさむことは難しいと思います。実際に,栃木県は態度を保留しているハズです。
[51590] 稲生 さん
富士箱根伊豆国立公園という立派な国立公園が1都3県にわたって存在していますよね。日光・尾瀬の両地域は一つの国立公園と存続することで相乗効果を発揮するということは,ないんでしょうか?
わたくしは「相乗効果を発揮するのは難しい」と思います。富士箱根伊豆国立公園の場合は,富士山の見える景観を軸として成り立っているように見えます。「富士景観を中心としてまとまった国立公園である」と言ってもいいかもしれません。
日光地域と尾瀬地域との間には,そこまで強力な接着剤はありません。公園区域も,利用のための動線が弱く(というかほとんどない)一体ではありません。それを強化するための大規模な開発も許されない環境下にあります。現実的に,経由する人を除いて栃木県から尾瀬を目指して入山する人は皆無でしょう。しかも両者は自然公園としての性格がかなり異なっているため,利用形態も全く違っていると言わざるを得ません(ただし,そのような国立公園は「日光」だけではありません)。
そんな両地域を一体として「日光」を冠した国立公園にした理由は,ここでは詳細に触れませんが,端的に言えば当時の担当官たちの考えによります。わたくしが今回の騒動(嫌な表現ですが,あえて記します)に今ひとつ釈然としない気分を抱いているのは,今回の登場人物が,パイオニアであった彼らの考えを理解せぬまま,あるいは知らぬままに,突っ走っている観があるからです。
国立公園第一期生である戦前の12公園で,設定当時に地名併記していたのは「富士箱根」と「吉野熊野」の2つだけでした。しかし残りの10公園のうち,半分の5公園が後に連称になっています。富士箱根も伊豆地域を加えて「富士箱根伊豆」と3地名併称となりました(3連称は他に「利尻礼文サロベツ」があるだけです)。つまりこれら,「連称公園の増加」という事実は,時代を経るに従って興味地の“発見”や勃興が続き,核心地が多極化していくのが当然であることを示しています(簡単に書けば,ですけど)。
ところで自然公園制度は,純粋に自然保護を目的としたものではありません。法の究極の目的は「国民の幸せ」ですし,そこに至る手段(そして中間目的)は「風景の保護と利用」であるからです。一見,相反する概念の「保護」と「利用」とが,同じ「目的」として同居しています。今から40年ほど前,公園内の自然破壊が話題になったのは,「保護」の意識が低く「利用」だけを単純に追求した結果であるといわれています。
自然保護のための法律は別にあります。「自然環境保全法」がそれです。しかしながら,同法(及び都道府県条例)に基づく区域指定面積は,全国土のわずか0.2%(自然公園面積は3種併せて14.21%)にしかすぎません。特に重要な自然地域を保護する,という意味しか果たしていないのです。
自然公園法の目的の解釈が,「“風景”の保護(と利用)」から「自然“景観”の保護」→「自然保護」へと変質し,公園区域が「自然保護の区域」として扱われるようになっていったのは,このような現状にもよるでしょう。振り子は利用から保護へ振れたのです。
昭和49(1974)年,北海道の利尻礼文国定公園が,サロベツ地区を含めて国立公園に昇格した時点で「もう新たな国立公園の区域指定はない」と言われていたそうです。ところが,昭和62(1987)年,「釧路湿原」が国立公園に指定されました。これは,世間の自然保護運動の高まりによるものです。それまでは,このような場所は,自然公園にはならなかった。なぜなら昔は湿原というものに価値を見いだしていなかった社会だったわけだし,その後も,もし国立公園に指定しても,中間目的の「風景の保護と利用」のうち,「保護に偏重する区域であった」からなんですね。しかしながら前述のとおり,そのころには目的の解釈が変質していた。そのために,このような国立公園が成立しえたわけです(今回の「尾瀬」国立公園は,どちらかといえば,こっちの類型に属するといえましょう)。
いずれにせよ,釧路湿原国立公園はかなり例外的な扱いで誕生したもので,全国的に類例の区域が少ないことから,「今度こそ最後だ,もうあり得ない」とまで言われたものでした。
そして今回。
まさか,既設の国立公園を二つに割って,新たな公園を生み出そうとは思いもよりませんでした。
「過去の常識」が通用しなくなっているということなのですね。
かつて国は,国立公園の新規指定に慎重でした(拡張含む)。「国立公園ブランド」を大切に考えていたのです。そういう過去の常識を通用させないこと自体が,いいことなのかどうなのかはわかりません。むろん「地域の誇りとする場所の名前を国立公園の名称にしたい」という思いはわかります。ただ「思い」です。どうやったって定量化できません。定量化できないモノの評価はきわめて困難ですから,あとは権限を有する人がエイヤッと決めるしかないわけです。だからその「エイヤッ」に筋が通っていないといけない,と思うのですね。時代や法解釈は変わっても,同一の法律上で動くからには「筋の一貫性」「素性の良さ」が求められると思うのです。それが「過去の常識」だと思うのです。「慣習」と言い換えても良いかもしれない。
今回,いままでの“慣習”を破ってまで分立を選択した以上,国は今後,似たような案件に振り回され,国立公園ブランドの安売りを拒めなくなるのではないか,と危惧します。
そもそも,談話にあったという「栃木県に迷惑をかけない」とはどういう意味なのでしょう。まるで後ろめたさの裏返しの表現ではありませんか。皮肉なことにこの表現が,日光国立公園成立及び拡張に,どれだけ深く強く栃木県が関係しているかという事実(ここでは詳しくは触れません)を物語っているような気がします。ご本人たちは意識していないかもしれませんが。
新聞では,観光目的の来訪者増加を期待する声が掲載されていましたが,いまや「国立公園」であるというだけで客を呼べる時代ではありません。最近は世界遺産でしょうか,それに替わるモノは。それにしても,ひととき話題になって一過性の集客があったとしても,それって長続きしません。何より新国立公園の核心地域である尾瀬ヶ原は,長いことオーバーユースが問題になっている地域です。これ以上集客を求める気持ちが理解できません。人混みの自然公園に行って,一体誰が自然を満喫できるというのでしょう。
丸沼・菅沼地域の帰属にも興味があります。もし公園境を県境に忠実に設定すると,奥白根山地域を含めた丸沼・菅沼地域が新公園の飛び地(に限りなく近いもの)になります。それを免れるためには相当広く拡張する必要があります。ここは残るんじゃないかな。
会津駒ヶ岳は燧ヶ岳に近いし,間違いなく拡張されるでしょう。武尊山も十分尾瀬に連坦しています。新公園に指定しても違和感ありません。間にある坤六峠の紅葉は,それはそれは美しいものです。
さてそれでは最後にわたくしの見解を。わたくしはあくまでも「日光国立公園」としての現状維持(名称変更・区域分割ともになし)を基本として考えます。しかし尾瀬の魅力や知名度に思いをいたせば,国立公園名に「尾瀬」を冠することもありうる話でしょう。積極的に支持はしませんが,ブザマに分割されるくらいなら「地名併記を選ぶ」と,そういう考えです。
筋論からいえば,設定権者である国に対して「尾瀬周辺地域の拡張をしつつ,“日光尾瀬国立公園”への改称で解決すべき課題である」といいたいのですけれどもねぇ。
たいへん長々と,失礼いたしました。本当は「なぜ尾瀬を含めて日光国立公園なのか」を強調しなくてはいけなかったのでしょうけれど。