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じゃごたろさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[66858]2008年9月23日
じゃごたろ
[66572]2008年9月1日
じゃごたろ
[65898]2008年7月30日
じゃごたろ
[65823]2008年7月20日
じゃごたろ
[65682]2008年7月6日
じゃごたろ
[65519]2008年6月15日
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[65241]2008年5月25日
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[65227]2008年5月24日
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[65226]2008年5月24日
じゃごたろ
[65210]2008年5月21日
じゃごたろ
[65143]2008年5月16日
じゃごたろ
[65084]2008年5月11日
じゃごたろ
[64809]2008年4月19日
じゃごたろ
[64761]2008年4月16日
じゃごたろ
[64755]2008年4月16日
じゃごたろ
[64504]2008年4月10日
じゃごたろ
[64473]2008年4月8日
じゃごたろ
[64204]2008年4月3日
じゃごたろ
[64109]2008年3月23日
じゃごたろ
[64078]2008年3月20日
じゃごたろ

[66858] 2008年 9月 23日(火)20:43:39【3】じゃごたろ さん
ひとごと?
こんばんは、じゃごたろです。
地名コレクションをすべて投げ出した私がいうことでもないでしょうが。

[66857] 鳴子こけし さん
 どうしましょ

残念ながら編集長(EMMさん)が危惧されているのも理解できないこともないですね。自分自身が指摘されながら「どうしましょ」とひとごとのようなレスでは、なかなか他者の信用を得ることは難しいでしょうね。まずは、

・自分自身の判断基準を明確にし、自分自身で納得できる。
・他者に説明を求められても、その判断基準をちゃんと説明できる。

事が重要でしょう。やっつけで判断基準を決めても、「なんか変だな」と思うことがおうおうとしてあります。また自分では理解していると思っていても、誰かに質問されるとうまく返答できないことがあります。そういう場合は、まだまだ自分自身が十分に理解ていないところがある証しです。

編集長と判断基準が異なったとしても、それが十分に説明できれば、編集長の理解は得られると思います。「おねがいします」の前に自分自身の考えを見つめてみてください。

以上。。。


※ 追記
以上は鳴子こけしさんへ対するレスとして書き込みましたが、地名コレクションだけじゃなくて、いろいろ調べたデータを書き込む際に十分気をつけない点としては、個人に限った話じゃないですよね。たまに指摘される「定義」の不備によるデータの不備は、せっかくデータを調べるのにつかった時間がもったいないですからね。
[66572] 2008年 9月 1日(月)21:02:53じゃごたろ さん
たつこ町
ごぶさたしてます、じゃごたろです。

今年のお盆休みも帰省を兼ねて収集活動を実施していきました。下北半島、津軽半島とも一周してきましたが、下北半島が半端じゃなく時間がかかったのに対して、津軽半島は思ったよりも楽でした。竜飛岬の付近でも「↑青森82km」だったのに対し、下北半島はむつ市でもそれくらいの距離。ましてや大間崎までとなったらかなりの遠距離です。

下北半島では尻屋埼灯台に行きたかったのですが、途中の道路を牧場の馬とそれに群がる観光客に阻まれて、引き返してきました。県道から灯台に向かうこの道路は、私道を開放しているものですから、馬が最優先です。皆さんも行く機会があったら、決して馬を邪魔ものにしないようにしましょう。

津軽半島では灯台に行く予定はありませんでしたが、道路族の聖地の一つともいえる階段国道には行ってきました。そして何やらオフ会の予定会場となっている十和田湖、鹿角方面にも通過してきましたし。

さて「田子町」。ひらがなで記述した場合「たつこ町」と、「っ」ではなく「つ」という間違いがあったとしても、それはアリでしょう。しかし収集したカントリーサインを見てびっくり。ローマ字には"TATSUKO T."と。完全に「たつこ町」です。自治体名をよく知らない誰かが作ったのか、それとも「たつこ町」の時代でもあったのかな。

これとは違いますが、「ち」を"ti"、「づ」を"du"と表記している標識もたまに見られます。


さて、しばらく前に今年の経県値の話題がありましたが、自分のも計算してみました。今年はかなりアグレッシブに活動しました。

1月・・・帰省・東北遠征、伊豆遠征
2月・・・岐阜・滋賀遠征
3月・・・北関東遠征
5月・・・九州遠征
6月・・・福島遠征、富山遠征
7月・・・紀伊半島遠征
8月・・・帰省・東北遠征

ということで、現時点での今年の経県値は133点です。たしか経県値企画の始まった頃の私の経県値が124点だったので、今年だけでそれ以上の活動をしていたということなんですね。
[65898] 2008年 7月 30日(水)08:17:35じゃごたろ さん
戦力バランスによる地域分け
おはようございます、じゃごたろです。
高校野球の地域分けについての書き込みが多数ありましたが、結局は地理的なものはあまり関係なく、両地区の戦力バランスをできるだけ差がつかないようにということらしいです。神奈川県の場合は東西に分けると、強豪校が多い横浜市が全て同一地区に入るのでそれを南北に分割するための措置らしいですね。これによって慶応と横浜が別地区になる。他の地区に関しても以前の記念大会の経験から地域分けを変えたところも多いそうです。

地域分けしたので、とりあえず「東西南北」をつけただけですから、まあ大目にみてもいいんじゃないでしょうか。
[65823] 2008年 7月 20日(日)22:24:11じゃごたろ さん
地図を読めない人のための案内標識?
こんばんは、じゃごたろです。
三連休は経県値アップも兼ねて紀伊半島での活動です。

さて活動の際に気がついたのが奈良県の案内標識です。他の県では見られない特徴があります。それは交差点の方面の案内標識です。普通に矢印と地名があるのはどこでもみられるのですが、それにプラスして北を示すコンパスが一緒に付加されていることです。案内標識とは言えないような、特定の場所の特殊な看板では見た例はありますが、多くの案内標識に付加されているのは、今のところ奈良県以外では見たことがありません。

さて、この北を示すコンパスですが、果たしてどういう効果を期待しているのでしょうか?

これはたぶん、自分の進行方向に合わせて地図を回転させないと位置関係を把握するのが苦手な、いわゆる「地図の読めない人」用のサポートではないのだろうかと想像してます。もし交差点で迷った時に地図の北を、案内標識のコンパスに一致させて判断するという目的なんでしょうね。私の場合には、自分がどこをどちら向きに走っているかをほぼ把握しながら走っているので、あまり必要ない情報でして、単なる模様にしか最初は感じず、それがコンパスであることを認識したのはだいぶ後のことでした。

当然のことですが、南進しているときには北は下向きで示されます。
[65682] 2008年 7月 6日(日)14:56:10じゃごたろ さん
保存される自治体名
こんにはち、じゃごたろです。
南の地域から徐々に梅雨明けの便りを聞くようになりましたが、梅雨明け前の地域でも真夏のような暑さですね。本日は薄曇りの陽気です、昨日よりはちょっとマシといったところでしょうか。

さて昨日は久しぶりに県内での活動を実施してきました。今回新たに「道路元標」もその目的に追加しました。この道路元標ですが、東京の日本橋にある国道の起点を示すものが有名ですが、これはここに限ったことではありません。いろいろな都市に国道の起終点を示す道路元標が存在します。ですが実はこの「道路元標」、各市町村に設置されているのです。とはいっても大正時代の話ですが。

大正8年に公布された(旧)道路法では「道路元標」は道路の付属物とされ、さらに(旧)道路法施行令でその設置に関して触れられています。

(旧)道路法施行令第九条

道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク

長野県では大正11年に、当時存在した全市町村の道路元標の位置が定められ、告示されています。何しろ80年以上の前に定められたものですから、それらの中には道路工事や区画整理の過程で逸失したものもあるでしょうが、全市町村に道路元標が設置されたはずでして、現在でも多くのものが残されているようです。それ探しに行くという活動です。

収集する上でまずは、その位置をある程度狭い範囲に特定することが必要となってきます。先に述べたように位置は告示されていますから、それを現在の位置に変換するのが第一に肝要となります。大正11年と比較して、現在では存在しない自治体が多いですから。

以下南佐久郡にフォーカスしての話ですが、簡単なのは当時から合併等を経験していない自治体です。例えば南牧村。道路元標の位置は「大字海ノ口1693番地先」となっており、これはネット上の地図でも簡単に調べられました。

次は旧自治体名が地名として残されている場合。大日向村は現在の佐久穂町に含まれますが、佐久穂町の住所で調べることが可能です。「佐久穂町大日向」の地番を調べていくことで、おおよそ位置を限定することができます。これよりもちょっと手数がかかるのが、自治体名は消滅したがその字名が残されているものです。例えば畑八村がその一つです。畑八村は現在の佐久穂町の一部ですが、「畑八」という地名は見られません。しかし道路元標の位置は「大字畑字竹ノ下658番の2地先」とあり、「畑」は佐久穂町内に見られる地名です。これを頼りにして位置を知ることができました。

最も困難なのが住居表示を行っている地域です。大正時代の資料では地番しかわかりませんから、住居表示された地域のどこであるかを地図上で特定するのが難しいです。それでも諏訪地域では、ブルーマップ等の地籍情報を含む地図を閲覧することができて、おおよその場所を特定することができましたが、このような地図は一般の図書館でも所蔵している所が少なく、調査するのに手間がかかったりします。基本的に道路元標は役場や枢要な辻に設置されていることが多いので、現在の支所等の公的施設や、交差点を目安にすることになります。

一部不明な位置も残っていますが、これらの前準備を終えて収集活動へと移りました。昨日は南佐久郡の一部を訪れましたが、その勝敗はというと、

発見できた道路元標・・・川上村、南牧村、北牧村、小海村、南相木村、海瀬村、大日向村、畑八村、栄村
発見できなかった道路元標・・・北相木村、穂積村、青沼村、切原村、臼田町

と、9勝5敗でした。5敗の中でも、実際は存在するのに見つけられなかっだけというのもあるかもしれません。もっとたくさん発見できてもいいのじゃないかと思う反面、これだけ残されているのも喜ぶべきではないか、とも思ったりします。

地名としては現存せず、これまでは文献資料としてのみ触れることが可能であった旧自治体名が、こういう形で実物として実際に接することができたわけです。そして今後も県内に活動を広げていきたいと思うのでした。
[65519] 2008年 6月 15日(日)15:51:39【2】じゃごたろ さん
石を投げれば「佐藤」に当たる?
こんにちは、じゃごたろです。

名字の話題を一度はじめたら、多分のいつまでも続くのでしょうが、私も一つ。かつて居住していた山形県庄内地方には、多数派の名字がいくつかありました。そのなかでも「佐藤」は群を抜いていたかもしれません。同姓が多いので名字(姓とか名字とかの使い分けには意味はありません。一応)で呼ぶことは殆どありませんでした。普段から、名前の「○○さん」「○○ちゃん」「○○くん」と読んでいましたね。当然同姓同名もありますけど。


[65518] Issie さん
「海野」は東御市の,「望月」は,いつの間にか佐久市の地名ですね。
南佐久には「海ノ口」とか「海尻」とかありますし、北佐久にも「海野」などという地名がある。古代、佐久平は大きな湖で、それを干拓して現在の佐久平になったという説を聞いたことがあります。これは長野県の「○○平」と呼ばれる地域に共通していたような。「海野」の「海」も、この「湖」と関係がある地名なんだろう、という気がしています。


[65484] 桜トンネル さん
学級代表:「規律、気を付け、礼。」
クラス全員:「おねがいします。」
素朴な疑問。これでは、いつ座るのでしょうか? それとも立ったまま授業を受けるのでしょうか? 私の学校では「起立、礼、着席」だったので、などと思ったりしました。単なるネタレスでして、あまりたいしたことではありませんので、お気になさらずに。
[65241] 2008年 5月 25日(日)15:30:27【3】じゃごたろ さん
続仮称・南部市
こんにちは、じゃごたろです。

[65228] 揖斐の山 さん
そもそも、八戸ってどちらに向いているのでしょうか。
[65229] 日本人 さん
たぶん青森県ではないでしょうか。
[65234] k-ace さん
南部藩だった、歴史的経緯からすると、岩手県になるんじゃないのでしょうか。
[65238] MasAka さん
元・南部地方住民(岩手県盛岡市&青森県七戸町)ですが、この組合せだと合併新市は青森県とするのが妥当ではないかと考えます。

どうも反応ありがとうございます。こちらの皆さんのご意見が分かれるように、私の意見・感想を言わずに「どちらに所属するのだろうか。」としたのは、どっちになるか予測が付かないと思っています。

八戸市民の意向というものを聞いたことはありませんが、私の考えていること及び巷の風聞からすると、揖斐の山さんの「八戸の動向」としては「親岩手県」、というよりは「反津軽(青森市)」ということで岩手県への所属の可能性が高いようにも思えますが、そこが政治の世界。それと「南部」を意識しない世代が増えてきているでしょうから、なんともいえないでしょう。



さて、「南部氏」がらみで。

[65238] MasAka さん
南部地方を南北に貫く国道4号線ですが、標高最高地点は青森県と岩手県の県境ではなく、岩手県の十三本木峠(奥中山付近)にあり、
多分、戦国期以前の南部氏の勢力はこの十三本木峠が境だったのでしょう。それ以南は斯波氏勢力。斯波氏とは、岩手県の紫波を名字にしたとされており、高水寺を中心として岩手郡までを勢力化に治めていたようです。逆に言うと、戦国以前の南部氏と、江戸期の南部藩としての南部氏は同列で語ることはできないと思います。

余談ですが、二戸には「南部美人」という地酒がありますね。
ありますね。うちの母校のすぐ下にありますよ。


[65235] Issie さん
なお,南部氏が本当に甲斐国の南部郷の出身かと言うと,あまり当てにはならない,つまり「ウソ」っぽい,という説もあります。
最近、少なくとも南部藩の祖となった「三戸南部氏」は甲斐出身ではなく、もともといた土豪の氏族ではないかと思ってます。いわば甲斐南部氏の土豪代官が、そのうち「南部氏」そのものを名乗るようになったんじゃないかな、と。

盛岡タイムス」へのリンクを設定しますが、三戸南部家以外に一戸氏、七戸氏、四戸氏、九戸氏、八戸氏が五家とされていますが、この中で八戸氏のみが後代になって糠部に下向とあります。正確ではないとしても、歴史的な断片が残されていると考えると、もともと糖部は土豪の代官に治めさせていたが、実際に甲斐南部氏が移り住んだのが八戸氏であり、三戸氏含めた氏族はそれとは関係のない土豪集団であったのではないか。

ネット、その他で知り得た範囲では、戦国期に権威のあったのは三戸南部家の他は九戸氏と八戸氏です。その頃の一戸氏は、鹿角平定の功績で二戸領を賜った九戸氏の勢力化であり、七戸氏もそれだけの発言権もなく八戸氏と歩調をあわせていたと思われます。また四戸氏は、軍事的に勢力を拡張してきた九戸氏への抑えとして現在の二戸市に移され、それが金田一氏のとなったとも言われています。現在地名として失われた「四戸」ですが、二戸市内に「四戸城跡」があるのもそのためと考えられているわけです。

さて、九戸氏は九戸政実に代表される武力によって権威を強化してきたわけですが、八戸氏はというとそれだけの実力があったかは定かではありません。しかし八戸氏は三戸氏と同格であり、三戸南部家に嫡男が無い場合には八戸氏から養子を迎えて南部家を継がせるという慣例があったとされますから、八戸氏がただならぬ存在であることはうかがえます。

南部家の中でも異色の八戸氏の存在は捨ておくことはできないものと感じてます。

「本家本元の南部」とはどちらか…,なんてね。
以上からも、「本家本元」を争うのは三戸か八戸かであって、岩手県北部はあまり関係ないと思います。もちろん、南部藩の居城があった「盛岡」が、八戸と対向するのは仕方がないかなと思いますけど。

個人的には、高橋克彦氏によって「九戸政実」が小説化され、「二戸市にある九戸城」の知名度が上がったことが一番の好事ですけと。一応「九戸城址」は国指定の史跡なんですよ。


ついで。

[65236] 伊豆之国 さん
ところで、「平泉」の世界遺産登録に「待った」がかかった、という新聞記事がありました。
岩手県といえば、かの野党の大将の地元。それで政府筋が圧力をかけた、というのはうがち過ぎでしょうか?
正直言って、日本の文化財に世界遺産に登録する必要のあるかが疑問です。「世界遺産」は全世界的な遺産が政治その他の理由で消失のおそれがあるので、世界的な援助によってそれを保全するのが目的のはず。しかし、日本の世界遺産登録の目的は「世界的な観光資源としてのステータスのシンボル」というのみえみえであり、はなはだいかがわしい。それも最も然とした理由付けする人々はもっといかがわしい。

日本の文化遺産は、文化財保護法の強化と、それの正当な適用で十分に保全できればそれでいいと思うんですよ。
[65227] 2008年 5月 24日(土)11:12:38【2】じゃごたろ さん
仮称・南部市
引き続きまして。

[65217] 揖斐の山 さん
将来の合併の枠組みとして八戸市が県境合併に意欲を示し岩手の久慈・二戸両市を視野に入れているようです。

こういう話がでてきたんですね。三市に加えてそのエリアにある三戸郡、二戸郡、九戸郡の全ての町村が合併して成立したとしたら人口約45万人、東北地方では仙台市についで第二の都市になるということですか。

でも、その前に三戸郡に残っている各町村を先に纏めて合併した上で越境合併を検討するのが筋ではないのかい?

市町村合併は机上のパズルとは違いますから、そんなに簡単なものでもないと思いますけど。キーとなるのは、市長の発言で、
「歴史的、経済的に深いつながりがある。道州制も見据え、一つの都市になった方が経済的にプラスだ」
ということ。道州制の枠組みとして北東北三県での一つになったと仮定すると、その州都となる存在感はかなり大きいと思います。「道州制も見据えて」という発言は、この辺を意識しているのじゃないでしょうか。そのためには三戸郡をまとめるだけでは十分ではなく、久慈市や二戸市を巻き込む必要があるでしょう。またまとまらなかった三戸郡も二戸市を巻き込むことで、まとまりやすくなるんじゃないでしょうか。三戸郡西部なんかは二戸・三戸エリアとして一つのエリアを形成することが可能ですから。

それにしてももし成立したら、青森県と岩手県のどちらに所属するのだろうか。
[65226] 2008年 5月 24日(土)10:42:34じゃごたろ さん
県道路線名と施設名のそこはかとない関係
おはようございます、じゃごたろです。

[65216] hmt さん
「空港整備法」の制定(昭和31年)より後、松本飛行場から松本空港への改称に伴なうものでしょうか。

hmtさんの調査とそれをまとめる構成にはいつも感心させられます。

さてちょっと調べてみたところ、「松本空港線」については「空港整備法」とはあまり関係ないようです。まず松本空港が供用されたのが昭和40年であり、「空港整備法」施行からだいぶ経たあとでした。それに伴い、その前年の昭和39年に「松本飛行場線」が認定されています。ですからこの時はあまり「空港」か「飛行場」かということは気にしていなかったのでしょう。この手の施設を「飛行場」と呼ぶのか一般的という考え方だったのでしょうか。

その後長野自動車道が開通して、松本空港~塩尻北IC~国道19号を結ぶ「松本空港塩尻北インター線」が昭和54年に認定されましたが、「松本飛行場線」の名称はそのままです。これが「松本空港線」と改称されたのは平成8年ですから、だいぶほったらかし状態だったわけですね。

ついでにですが、施設名と路線名が一致しない例として「療養所上野線」というのがあります。これは認定当初、長野市上野(うわの)にあった「国立長野療養所」を結ぶためのものですが、現在この「長野療養所」は「東長野病院」となっております。現在では存在しない施設名がそのまま残されています。

上の「療養所上野線」は現存しないとしても、まだ名称が変わった施設が残されているわけですが、施設そのものが無くなった例では「馬曲木島停車場線」というのもあります。「木島停車場」とは、かつての長野電鉄河東線木島駅のこと。河東線の信州中野駅~木島駅間は平成14年に廃止されたため、「木島停車場」という施設は既に存在しないわけですが、県道の路線名として現在でも生きているわけです。

もともと長野県は路線名を変更することにそれ程積極的でないようです。お隣の山梨県なんかは、合併にともなって「北杜」「南アルプス」「中央」「笛吹」「甲州」なんていう名称が含まれた路線にすぐに変更しています。それのお付き合いでの変更はありますが、県内で合併にあわせて一斉に変更したのは千曲市に関係する路線だけでした。
[65210] 2008年 5月 21日(水)23:00:22【1】じゃごたろ さん
飛行場
こんばんは、じゃごたろです。

前にも触れたことですが、昔の県道を調べていたら「長野飛行場線」というのが昭和初期に認定されていました。今の大豆島の犀川沿いにあったらしいです。で、調べてみたところ、なんと平成2年まで存在していたそうな(参考「滑走路探検隊」)。平成2年といったら、すでに私は長野県にいたはずなのにまったく知りませんでした。その頃の行動範囲は今とは比べようがなく狭かったのですね。ところで現在の「松本空港線」も以前は「松本飛行場線」から改称されたものですが、「飛行場」と「空港」の違いはなんなんでしょう。

さて、

[65199] KK さん
迷走?茨城空港
名称はともかくとして、かつて見聞きした範囲では、羽田空港よりも成田空港に対するアクセスを良くして(直行バスなどを運行して)、成田空港と国内空港の中継を担う的な文言がありました。しかし、成田空港の需要の低迷と羽田空港の国際便の増加傾向など、なかなか目論みどおりにはいっていないということでしょうか。でも当初の目論見なら国内限定のハブ空港化であり、国際的な知名度は必要ないと思うですが。まあ結局、空港を作ることが最優先で、理由を後付しているだけなんでしょうね。

名称ついでに、「新東京タワー」の六つの名称候補からの投票が開始されるらしいが、これまでの「東京タワー」に敬意を表して、そのまんま「新東京タワー」でいいと思うのだがなあ。

[65203] Issie さん
「三里塚軍事空港」
これが理解できるのは私あたりがぎりぎりかもしれませんね。そのころには世の中では既に下火になりつつあった闘争でしたが、その時期未だに白いヘルメットをかぶった方々がなんやかんやと学内を騒がせていたのはもう20年も前のことです。
[65143] 2008年 5月 16日(金)21:07:47【1】じゃごたろ さん
アドバイス
こんばんは、じゃごたろです。

アドバイス、示唆、指摘、指導。。。
なんでもかまわないのですが、それを実行するかどうかは個々人の判断によるものです。アドバイスの甲斐が無いと思えば黙殺することもありだと思います。ただ、本人はアドバイスのつもりでも、それがトゲトゲしい表現になってしまい、アドバイスを受けている人物以外にも不愉快な感じを与えるようなやりかたはいかがなものかな、と感じたために[65084]のような書き込みをしました。

私はというと限りなく黙殺の方向に近いですが、上記のようなトゲトゲしいアドバイスには黙認できないという性質なもので、ある一定の限度を超えたと感じると口出ししたくなってしまいます。。。
[65084] 2008年 5月 11日(日)20:11:21【2】じゃごたろ さん
おとなとこども
こんばんば、じゃごたろです。
連休中に九州遠征を行い、経県値が10ポイントアップし、メンバーのランキングでもトップ40内に入りました。まだ空白地帯がありますが、今年中には一度訪れたいと思います。

さて本題。またまた皆様に嫌われる様な内容ですが、言わせていただきます。

前にも書き込んだことですが、「おとなにとっては常識的なこと」でも「こどもにとっては新たな発見」ということは多々あります。それを大人目線で切り捨てるような発言をするのはいかがなものでしょうか。ここは確かに「おとなな掲示板」ですが、「こどもにも開放している掲示板」であることは、オーナーも認めていることです。私はなるべくそういう雰囲気にならないようにある程度「こどもな発言」を擁護する立場にたっていますが、その甲斐がないなと感じることも多々あります。しかしやはり、「こどもな発言」を切って捨てるという雰囲気にはなっていただきたくないな、と思います。

それを、「いかにしてまともな話題」にとりあげるかというのが、本当のおとなというものではないでしょうか?

追記ですが、「こどもな発言」に対し、自分が同じ年代だったころにどういうことを言っていたか想像したことがあるでしょうか。本当に「自己申告している年齢」どおりなら、年相応の発言ではなかろうか、と思うことも多いです。ただ、他人からの注意や指摘を、ただ受け流しているだけで行動に反映されていないというのも見受けられるのは、私もフォローのしようがありませんけど。
[64809] 2008年 4月 19日(土)12:33:32【1】じゃごたろ さん
桜満開
今週の暖かさで桜が一気に満開となりました。諏訪インターから杖突峠に向かう道路は、高遠城址へと向かう観光バスがひっきりなしに通過しています。

[64808] MasAka さん
問題[64765]を改めてもう一度よくご覧下さい。ヒントを言うなら意外な市のどれか、です。

ああなるほど。トンビが油揚げさらうようで申し訳ございませんが、滋賀県と京都府と奈良県に接する、忍者の里ですね。
[64761] 2008年 4月 16日(水)19:51:22じゃごたろ さん
レス
[64759] 日本人 さん
ウィキってみましたら土井さんは、「つちい」さんと書いてありました。「つちい」さんじゃないですか?

はい、そうでした。私は「ひらがな入力」なので、入力の順番が逆のまま投稿してしまうことが間々あります。訂正します。
[64755] 2008年 4月 16日(水)13:06:02【1】じゃごたろ さん
土井晩翠
かの「荒城の月」の作詞者である土井晩翠さんは、「つちい」が本来の読みで、周囲から「どい」と言われてもその都度「つちい」と言い直していたにもかかわらず、「どい」と呼ぶ人が絶えないことにあきらめて、「どい」という読みに改称してしまったというエピソードがあるそうですね。

例えば私の名字が「茨城(いばらき)」さんで、相手が「いばらぎ」さんと私のことを呼んだとします。それを私が『「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」です』、と言い直したときに「どっちでもいいじゃない」と言われたらかなりカチンときますね。「高田」でも「宮城」でも一緒です。

一般的な「茨城」は「いばらき」でも「いばらぎ」でもどっちでもいいかもしれませんが(というより、どっちの読み方もあるという方が適切じゃないかと思いますが)、「茨城県」に限定した場合は、県が「いばらき」と名乗っているのですから、「どっちでもいい」というのは少々乱暴な気がいたします。
[64504] 2008年 4月 10日(木)09:25:45【1】じゃごたろ さん
語らいの場
[64478] かぱぷう さん
[64485] futsunoおじ さん

まず[64473]は、お三方の書き出しに対するダメ出しということではありませんので、その辺は誤解なきようにお願いします。ですから「私自身がそういう書き方をしなければよい」というもの適当ではないと思います。

何を表現していたかというと、ガイドラインの12を引用されていましたが、落書き帳という「語らいの場」の一つの余興として「十番勝負」が始まり、それが好評につき定期的に行われるようになったわけですが、余興に興じる姿が隆盛である反面、「語らいの場での語らい」が少々閑散としているのが現状でしょう。そしてその「余興」で盛り上がっているところに「語らい」をしようとした人が、何となく申し訳なさそうな感覚を無意識に持ってしまっている。ということが、私には「本末転倒」している状態に映ったということです。

最後に私は「十番勝負」を否定しているわけではありません。問題の作成から、想定解の検証など、かなりの時間を割いて準備しているのはわかりますので、私には到底企画できないものであると思っています。これがこの落書き帳の「テコ入れ」という意味でも注力しているのだろうとも感じているのですが、本来の「語らい場」を損ねかねない諸刃の剣でもあるんじゃないのかな、とも感じております。

追加ですが、これに関してはここに参加している者の立場が重点となっている場合が多いのですが、こちらは「地理好き人間の集まる場」と多くのサイトで紹介・リンクされていて、それを頼りにこちらにはじめて訪れる人も多いかもしれません。そういう人たちがどう感じるかというと、得られることよりも、失うことの方が多いのじゃないかな、といった思いも感じてます。
[64473] 2008年 4月 8日(火)18:45:04じゃごたろ さん
本末転倒?
十番勝負でお忙しい所を申し訳ありませんがお邪魔いたします。

本当に関係ないことですが

十番勝負に関係しない話題で失礼します。

こういう書き出しをせざるをえない状況って。。。。
[64204] 2008年 4月 3日(木)06:39:09じゃごたろ さん
警備隊
おはようございます、じゃごたろです。

[64203] 笠津前浜 さん
昭和27年当時、既に鎮守府はなかったのですが

[64109]では触れなかったことを一つ。昭和27年は海上自衛隊の前身である警備隊の発足した年です。三市が「特に重要な都市」であり続けた理由はそこにもあったのであろうと、推察されるのでした。
[64109] 2008年 3月 23日(日)20:00:03じゃごたろ さん
政治・経済・文化上特に重要な都市
こんばんは、じゃごたろです。

しばらく前のEMMさんの書き込み([64056])で参照されたまくらーれんさんの書き込み([35994]) についてのコメントです。当時は勉強中の身でしたが。。。

国道31号についてまくらーれんさんは、
第五条の二に該当する例としては、R31(海田町~呉市)が挙げられます。
と書き込みされていました(現行の道路法の条文についてはリンク先を参照して下さい)。

さて、現在の国道は「高速自動車国道」「一般国道」と種類が分けられていますが、道路法の制定当時は「一般国道」に統合される前の「一級国道」「二級国道」と種類が分けられていました。さていわゆる新・道路法の公布当初の条文を引用すると(引用が長いですが)、

(一級国道の意義及びその路線の指定)
第五條 全條第一号の一級国道とは、国土を縦断し、横断し、又は循環して全国的な幹線道路網の枢要部分を構成し、且つ、都道府県庁所在地(北海道にあつては、支庁所在地。以下同じ。)その他政治・経済・文化上特に重要な都市を連絡する道路で、政令でその路線を指定したものをいう。
2 前項の規定による政令においては、路線名、起点、終点、重要な経過地その他路線について必要な事項を明らかにしなければならない。

(二級国道の意義及びその路線の指定)
第六條 第四條第二号の二級国道とは、一級国道とあわせて全国的な幹線道路網を構成し、且つ、左の各号の一に該当する道路で、政令でその線を指定したものをいう。
一 都道府県庁所在地及び人口十万以上の市(以下これらを「重要都市」という。)を相互に連絡する道路
二 重要都市と一級国道とを連絡する道路
三 港湾法(昭和二十五年法律第二百十八号)第四十二條第二項に規定する特定重要港湾、同法附則第五項に規定する港湾又は建設大臣の指定する重要な飛行場若しくは国際観光上重要な地と一級国道とを連絡する道路
四 二以上の市を連絡して一級国道に達する道路
2 前條第二項の規定は、前項の場合について準用する。

となっております。「一級国道」の定義は唯一であり、それが現在の道路法第五条第一項第一号に引き継がれています。第二号から第五号は基本的には「二級国道」の定義が引き継がれ、敷衍されたものです。国道31号は一級国道として指定され、その路線は現在でも変更されておりません。したがって、これは現在の道路法第五条第一項第一号(当時の道路法第五条第一項)によるものであり、「第五条の二(当時の第六条第一項第一項)に該当する例」ではありません。

国道31号は行き止まりの路線ですから、「国土を縦断し、横断し、又は循環」にも「都道府県庁所在地(北海道にあつては、支庁所在地)」にも該当しないと考えられますから、その条文の「その他政治・経済・文化上特に重要な都市」に該当するものと思われます。さて呉市は果たしてそうなのでしょうか。

一級国道は最初、1号から40号まで指定されました。その中で市町村合併等による自治体名の変更を除き、路線の変更が行われたのが三路線あります。当時は、国道16号が横浜市~横須賀市、国道23号が四日市市~宇治山田市(現・伊勢市)、国道25号が大阪市~奈良市となっています。これらをふまえて、一級国道の路線網を形成すると行き止まりの路線が複数存在することが分ります。それらの行き止まりとなる都市は北から順に、

稚内市(国道40号)、網走市(国道39号)、釧路市(国道38号)、函館市(国道5号)、千葉市(国道14号)、横須賀市(国道16号)、宇治山田市(国道23号)、呉市(国道31号)、佐世保市(国道35号)、長崎市(国道34号)

の10市です。この中で「都道府県庁所在地(北海道にあつては、支庁所在地)」を除くと(函館市は青森市と連絡していると考えることもできると思いますが)、

横須賀市、宇治山田市、呉市、佐世保市

の四市が残ります。さてこの中で宇治山田市は伊勢神宮が所在する地であり、そういう意味で「特に重要な都市」と考えることが可能でしょう。では残りの三市はというと、それに共通するのが「鎮守府(軍港)があった都市」です。もう一つの鎮守府のあった舞鶴市は国道27号で通過しており、この路線はそういう意味合いも含まれていたのかもしれません。

つまり呉市含め横須賀市、佐世保市は、宇治山田市と共に「特に重要な都市」と位置づけられたものだということです。
[64078] 2008年 3月 20日(木)12:50:51じゃごたろ さん
日和山公園
こんにちは、じゃごたろです。

[64067] 右左府 さん
日和山と方角石

そういえば酒田にも全く同じようなロケーションがありました。それが「日和山公園」です。「日和山」という山の名前は地図に載っていませんが、そこにある公園です。そちらを紹介しているサイトの一つもあわせてご紹介。この日和山の眼下には酒田の港があり、六角灯台が設置され、公園内の池には北前船の模型もあったりします。また公園には桜の木が植えられており、市内随一の花見スポットだったりします。「方角石」についての記述もあります。そうそう私は見たことありませんが、「即身仏」もこちらにいらっしゃるそうです。

さてこの日和山ですがここだけが小高いわけではなくて、庄内平野海沿いに連なる砂丘の一部ということです。例えばここ。道路がクネクネしてますが、直線では越えられないような、結構な高さのある丘です。これが鳥海山から鶴岡の湯の浜までずっと続いていて、その中に庄内空港が作られていたりします。この空港前の道路も勾配がきついです。北海道のサロマ湖の湖部分が田んぼになった感じですね。


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