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[79302] 2011年 9月 3日(土)02:54:38【5】YT さん
地租改正前の石高の計算方法
[79215][79216][79217][79218][79219][79220][79221][79222][79223][79224][79225]で、『藩制一覧』における藩の人口統計をまとめましたが、近代デジタルライブラリーを検索したところ、いつの間にか『藩制一覧』も登録されており、閲覧可能となっていました

さて[79270]の方で、『明治二己巳年 租税取調帳』から府県の正租(正税)を計算する際に、石高だけで計算しましたが、どうやら金、銀、銭、永等もしかるべき換算を施して計算に組み込むべきで、大豆、小麦、塩等を米の石高に換算するレートも個々で違うことが分かり(米1石=大豆1.6石=小麦2石=蕎麦2.4石=金8両=永8000文 等々)、[79270]の表は大幅に改定する必要があるようです。

更に自分は『庚午七月写 各藩高並租税調帳』の方で、いわゆる「収納高」=「現収納高」=「現高」=「現石」に相当するものが、「正税」と表現されていたことから、「収納高」=「正税」なのだと誤解していましたが、『藩制一覧』をチェックしたところ、どう計算しても「収納高」=「正税」+「雑税」、つまり藩の格を決定した収納高は、米石換算の年平均総税収入であったことが判明しました。

例えば『藩制一覧』によると郡山藩は

正祖米:5万4251石8斗3升8合4勺
雑税米:5228石9斗1升1合8勺
雑税金:56両3分3朱永75文9分1厘2毛

金3分=金3/4両、金3朱=金3/16両、永75文9分1厘2毛 = 金0.075912両
金1両=1/8米石なので、雑税金は7.1266765米石

以上を合計すると、郡山藩の正税+雑税は

54,251.8384+5,228.9118+7.1266765 = 59,487.8768765 米石

『庚午七月写 各藩高並租税調帳』によると、郡山藩の正税は59,487.876876石となっていますが、多分これは「収納高」とか「現高」と表現されるべきものなのでしょう。

『府藩県石高人口表』『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)の方では、藩の「現石」や「現高」はおおよそ『藩制一覧』の「正税」+「雑税」と一致しますが、府県の「現石」や「現高」は[79270]で計算した、「正税」の数値と大体一致しており、政府関係者の作成した表であるのにも関わらず、税収はダブルスタンダードで計算されている、そこそこいい加減さを伴ったものであることが判明しました。

これとは別に、『明治史要』「知藩事表」と『明治前期財政経済史料集成』収録の「諸藩草高現収納高並知事家禄高表」とを比較し、[76745][76746][76747]の数字を改定しようとしましたが・・・

『明治前期財政経済史料集成』では上山藩の草高が2万7000石となっていました。また現収納高は本荘藩が13,270.416石(でも合計の端数からすると13,270.614石でないと計算が合わない)、徳山藩が21,410石、大多喜藩が7,280.08537石、龍野藩が27,766石、松嶺藩が12,696石、七戸藩が1701石となっており、石高を誤魔化した堀江藩が脱落していました。しかしながらこちらも合計が一致しません。

もう少し石高の修正には時間がかかりそうです。

【9月4日0:57 追記】

『藩制一覧』を詳しく検討してみたところ、米以外の作物の石高を米石高へ換算する比率には、全国統一の基準が無かったようです。それどころか、銀の相場も藩によって換算が違うようです。例えば:

厳原藩の場合:大豆1石=金6両 (=米3/4石)、麦1石=金6両 (=米3/4石)
小諸藩の場合:大豆1石=金5両 (=米5/8石)、蕎麦1石=金10/3両 (=米5/12石)
一関藩の場合:大豆1石=米1石、銀1貫(銀1000匁)=金10両 (=米5/4石)
飯野藩の場合:大豆1石=米0.5石、銀1貫(銀1000匁)=米25/12石 (=金50/3両)

こうなってくると、大豆1石が指す量が違うのかも知れません。

全国で共通の相場といえるのは、どうも

米1石=金8両=永8貫(永8000文)

ぐらいでしょうか。
[79301] 2011年 9月 3日(土)02:11:27YT さん
世田谷ヴィレッジ、ネタかぶり
[79298] ペーロケ さん

別のページ

の中に方位付きの地図がありますが、地形からすると、この地図の上側が野川、右側が世田谷町田線で、喜多見八丁目小緑地あたりと周囲の住宅地の地形が合致します。

で、自分は1992年頃に近所の和泉自動車教習所に通っていた関係で、この建物の横を何度も教習所の車で通過しており、何か建物があったのは覚えているんですが、いつごろ無くなったのかまでは記憶にありません。

って、[79300] MasAka さんとネタがかぶってしまいましたが、せっかく書きかけたので投稿します。
[79273] 2011年 8月 29日(月)00:36:09YT さん
永高における貫文と石高の変換
『藩制一覧』の正税、大隈重信文書の『庚午七月写 各藩高並租税調帳』を比較したところ、正税の内、少なくとも永高(貫文)で表される分は、1貫=1/8石で換算しているらしいことが分かりました。

例:久留里藩の場合

『藩制一覧』によると
現米:一萬八百五十五石五斗四升四合
永:二千百六十七貫十七文、此現米二百七十石八斗七升七合(但石八両立)
二口合一萬千百二十六石四斗一合
つまり現米分は
2167.017/8 = 270.877125石
永高分は
10855.5544+270.877125=11,126.421125 石

『庚午七月写 各藩高並租税調帳』によると
久留里藩の正税は、11,126.42112石

『明治史要』「知藩事表」では
久留里藩の現高は、11,126.421石

大隈重信文書の『府藩県石高人口表』では
久留里藩の現石は、11,126石

『統計集誌』「府藩県所轄並石高」の場合、
久留里藩の現高は、11,126石です。

[79270]の数字は、正税における金銭収入や魚納の収入等を無視してますが、もしかしたら少なくとも「永高」分は上の換算式(1貫=1/8石)で変換するべきかも知れません。
[79270] 2011年 8月 28日(日)22:41:08YT さん
府藩県三治時代における藩預所と伊勢神宮領?の謎
以前府藩県三治制時代の表高、内高、収納高の数値を[76745][76746][76747]で比較検討しましたが、藩の石高については大隈重信文書の『府藩県石高人口表』(資料B)、『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(資料C,[79225]参照)、『明治史要』「知藩事表」の三種類の資料の比較を行ったものの、府県については十分な比較検討が出来ませんでした。

最近、大隈重信文書を検索したところ、明治3年より前の藩の石高を掲載した『庚午七月写 各藩高並租税調帳』(資料F)と明治2の府県の石高を掲載した『明治二己巳年 租税取調帳』(資料E)を見つけました。藩に関しては、『藩制一覧』との結果と合わせて比較するとして、まず『明治二己巳年 租税取調帳』による石高と『府藩県石高人口表』、『統計集誌』「府藩県所轄並石高」による内高、収納高の比較を掲載します。

(B)は大隈重信文書『府藩県石高人口表』、(C)は『統計集誌』「府藩県所轄並石高」、そして(E)は『明治二己巳年 租税取調帳』によります。

『明治二己巳年 租税取調帳』には各府県毎に正租と雑税が掲載されていますが、この内雑税は計算から除きます。また石高に換算できるもの(米、大豆、籾、麦、塩、荏、稈)の石高のみを合算し、貫文で表現される金・銀・銭・調銭や漁は合算しません。正租(合計)、都合(米を除く他の合計:大豆・籾・麦・塩・荏・稈)、外(米・大豆・麦・小麦の合計)は私が資料(E)から計算したものです。収石米(E)と高(E)については合計と記載値にズレが生じましたが、他の数値(都合の大豆・籾・麦・塩・荏・稈、外の米・大豆・麦・小麦)については内訳と合計が完全に一致しており、その合計値も記載値として扱います。

資料では石の下の単位は、斗、升、合、勺、才、毛(弗ではない)となっており、下6桁まで数字がありますが、6桁目がない項目では5桁表示にしています。

使府県呼高(B)草高(C)高(E)現石(C)現高(C)正租(合計)都合米(E)都合(他計)外(合計)
京都府91,275194,53791,275.81154031,05631,05631,055.69720030,751.314100304.38310
東京府23,80527,72923,805.6218104,2984,2983,916.1163303,910.4083305.70800
大坂府111,658101,248111,658.45131038,66558,51638,665.15900038,619.99300045.16600
度会県26,73626,73626,736.1126006,1416,1416,140.9490306,134.9690305.98000
長崎県59,71359,71359,713.14300022,09122,09121,902.98340021,772.388500130.59490
新潟県233,317233,317231,148.73014079,60079,60079,376.22929079,153.382190222.84710
奈良県223,324223,324223,324.19751057,80457,80457,804.97006057,738.44696066.52310
甲府県259,626259,626259,626.56304078,82078,82078,078.76648077,885.947600192.81888
神奈川県285,180285,180285,180.59305059,98359,98357,315.73585057,041.500700274.23515
大津県175,674175,674175,674.16023052,30952,30952,309.86183052,225.21574084.64609
笠松県178,108178,108178,108.35037036,12236,12236,104.56220035,924.728000179.83420
高山県56,81556,81556,815.88800024,28824,28824,288.84200024,274.47500014.36700
久美浜県117,619117,619118,759.62687028,38918,38928,744.01178026,927.1009801,717.1420099.76880
堺県191,230191,230191,230.46332060,73860,73860,738.74000060,597.881000140.85900
日田県138,008138,008139,666.17712038,59038,59039,089.53140039,069.86990019.66150
倉敷県109,85296,00196,001.23079030,61023,51324,335.47930023,120.3768001,199.3370015.76550
伊那県218,516218,516218,516.08234043,98343,98344,384.35927044,252.722320131.63695
佐渡県132,574132,574132,574.72900044,88844,88844,888.10400044,798.51400089.59000
韮山県150,053150,053150,053.91259024,09224,09222,745.53864022,686.14714059.39150
品川県126,645126,645126,645.12946013,66513,66511,868.35328011,843.20078025.15250
浦和県271,084271,084271,084.47153028,95528,95525,717.11224025,517.303740199.80850
宮谷県336,441336,441336,441.51266062,02662,02660,924.79600060,580.374000344.42200
岩鼻県361,082361,082361,082.35613034,49034,49029,336.73542029,263.65242073.08300
若森県269,893269,893269,893.25663038,11838,11836,102.90572035,828.530720274.37500
小菅県136,945136,945136,945.85660041,00241,00139,992.01819039,915.28750076.73069
葛飾県248,298248,298248,298.60329033,55133,55131,678.70467031,396.2701500.91190281.52262
日光県327,695327,695327,695.27951042,66841,66839,946.29725039,876.15425070.14300
福島県197,195197,195197,195.29584026,82126,82126,451.54502026,429.76572021.77930
浜田県117,820117,820117,819.16400053,79153,79154,188.63840054,188.638400
若松県375,111375,111375,111.61100054,80854,80852,373.29670052,373.296700
酒田県429,308429,308247,060.39287068,721.04811068,721.048110
石巻県111,660.14000014,011.85000010,973.7300002,977.0500061.07000
兵庫県109,600191,600109,600.68402039,43639,43639,436.86700039,358.48400078.38300
江刺県120,049120,049120,049.58800012,74412,74410,022.7751708,783.5801701,239.19500
角田県124,111124,111124,111.6400009,9959,9959,826.6549007,355.0212002,471.63370
登米県316,208316,208204,548.00000039,76739,76825,699.72000021,225.3500004,474.37000
胆沢県189,729189,729189,729.01000015,35015,35015,012.6260008,309.7000006,702.92600
白河県230,587230,587230,587.85511021,83921,83920,877.22375020,819.01360037.5066520.70350
柏崎県336,357336,357336,357.49224897,42097,42097,419.55709497,198.592894220.96420
生野県57,51757,51757,517.48640014,14714,14714,147.65690014,103.39290044.26400
五條県109,24319,243
中野県154,472154,472
本保県119,850119,850
箱館開拓使
小計(計算値)7,848,3237,923,2487,269,304.6699281,443,0601,444,8141,475,642.0188741,450,945.76854420,820.072253,876.17808
小計(掲載値or下小計合計)7,796,0927,923,2487,269,304.6099281,511,2851,444,8141,450,845.76854420,820.072253,876.17808
福井藩預109,545.76803014,690.73710014,666.60490024.13220
岡山藩預6,314.2710001,463.9470001,463.947000
彦根藩預34,278.9200009,579.1650009,562.97800016.18700
大垣藩預69,874.73682010,092.04740010,072.24050019.80690
龍野藩預19,044.2740006,166.5290006,161.9630004.56600
松代藩預20,645.6548002,530.1054002,528.6834001.42200
岸和田藩預10,046.7819402,577.0420002,574.9020002.14000
高槻藩預32,301.4225508,306.8063008,301.5753005.23100
津山藩預16,681.6220002,442.5370002,442.1050000.43200
高知藩預19,682.8628005,849.4334005,849.433400
大洲藩預1,354.985000519.831100519.831100
金沢藩預14,368.9374500.000000
人吉藩預590.188300118.037660118.037660
佐伯藩預2,143.724000683.610550682.6109500.99960
名古屋藩預1,356.93200072.62400072.624000
伊勢神宮領?23,334.6040009,167.9680008,989.428000178.54000
小計(計算値)381,565.68469074,260.42091074,006.964210178.5400074.91670
小計(掲載値)381,565.68469074,006.964210178.5400074.91670
合計(計算値)7,650,870.3546181,549,902.4397841,524,952.73275420,998.612253,951.09478
掲載小計の合計7,650,870.2946181,524,852.73275420,998.612253,951.09478
合計(掲載値)7,650,870.4546181,461,241.05127420,998.61225

何度見直しても府県の小計における、都合米収納高の数字のズレ(100石)と内高のズレ(6升)の原因が見つかりません。後者に至っては、そもそも全体の合計が一致しておらず(自分の計算値とは1斗、府県小計と藩預小計とは1斗6升)、都合米収納高の府県小計と藩預小計の合計は原書では完全に計算間違いと思われる値が記載されています。多分いずれも原書の計算間違いと思われます。

さて、ここで問題になるのが、何故藩の石高の一部が府県と一緒の表に掲載されているかです(原資料では、「~藩預」ではなく、「~藩」と書いてあります。)。大藩でありながら、1万石程度の名前がずらっと並ぶのが最初訳が分かりませんでしたが、大隈重信文書の別の資料『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』では、これらの藩領が「~藩預」と表記されており、つまりこれらが藩の預所であることが判明しました。

これらの藩の預所は藩の石高や人口に含まれるのでしょうか?『藩制一覧』では、彦根藩([79223][79224])と松代藩([79220][79221])の預所が別項目となっていましたが、石高を見る限り、このデータは藩の人口・石高に含まれません。

どうも明治2年~明治4年の間に、これら10ヶ所近くの預所は、他の府県(例えば中野県)に吸収されながら消滅したっぽいのですが、その辺の経緯を詳しく書いた本でもあればいいのですが、よくわからない状況です。

あと、原資料最後の項目(名古屋藩の次)が、自分には何と書いてあるのか分かりません。
伊勢国度会?支配????? 右??

と書いてあり、多分「右国所」、つまり伊勢の国直轄領で、伊勢神宮領のことだとは思うのですが、誰か分かる方教えて下さい。
[79225] 2011年 8月 22日(月)03:51:52【3】YT さん
『統計集誌』「府藩県所轄並石高」「人員表」、『藩制一覧』について
なお、[76313][76314][76315][76316][76317][76328]などでまとめた資料(C)『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)ですが、こちらは今から129年前の1882年に出版された雑誌の号です。
しかしながら近代デジタルライブラリー等で取り扱われておらず、多くの人はこれを読むことが出来ないと思います。
そこで原資料の方をスキャンして取り込んだpdfファイルを、以下にアップしておきました。

http://touch.moe-lovers.net/up_ssize/download/1313940940/attach/Nomura.pdf
ダウンロードに必要なパスワードはCOMMENT欄にもあるように、「Nomura」です。

元民部省員の野村文夫が作成し、呉文聡が統計集誌に紹介したものだそうです。

また、『藩制一覧』は全九章からなる本で、それぞれの章に「藩制一覧表第一」「藩制一覧表第二」などと題名が書かれているので、[79216][79217][79218][79219][79220][79221][79222][79223][79224]のタイトルに、『藩制一覧表第一~第七』という名前を付けました。本当は各章を一つにまとめたかったのですが、文字制限でやむなく記事送りをしてしまいました。藩はイロハ順に並べてあり、各藩の人口の情報だけでなく、各藩の石高・収入の明細が記載されています。また「藩制一覧表第八」と「藩制一覧表第九」には、各藩の職員・兵隊の情報がまとまっています。ただ記載形式が統一されておらず、各章をまとめた人が違うのか、それぞれの章ごとに違う癖があります。

【追記】[79216][79217][79218][79219][79220][79221][79222][79223][79224]の元記事では、「~を除いた藩の総人口」という意味で「~外総人口」という言葉を使っていましたが、これだと「~の外に加えて藩の総人口」という意味にも捉えられかねないので、全て「~除外総人口」と修正しました。ただその結果全体で150文字ほど文章が増えてしまい、既にぎりぎりの文字制限で書いてしまった記事の一部を順繰りに後へ移動させる必要がありました。その結果藩制一覧表第四の説明の一部が藩制一覧表第五のテーブルの後に来てしまっています。もっとはっきり「~を除く藩総人口」とでも書き、文字数に余裕を持たせておくべきでした。

人口表を比較すると、『藩制一覧』(A)の大部分と『府藩県石高人口表』(B)、『明治史要』(D)では華族の統計が欠落していることが分かります。
[79224] 2011年 8月 22日(月)03:36:48【3】YT さん
藩制一覧表第七(続)
三草藩:(総)人口と男女合計が異なるが、前者を華士卒族除外総人口、後者を平民人口と解釈し、寺人口・行人派人口が欠落しているとして僧尼人口に加算。士族309人、卒族188人、(総)人口8961人(男女合計8832人、内、社人3人、僧15人、その他一23人)。
三池藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺社人口不詳。(総)人口8961人(内、士族503人、卒族183人、その他一78人)。
静岡藩:(総)人員を平民人口と解釈。藩士人員、転士人員、清水附名簿人員を士族人口に加算。士卒族人口内訳、寺社人口不詳。明治3年旧暦10月調:藩士4万8064人、清水附名簿2795人、転士36人、(総)人員77万7011人、その他一その他二7709人。
新発田藩:(総)人員を平民人口と解釈。その他十五人員をその他一人口に加算。明治3年旧暦2月調:華族10人、士族4783人、卒5685人、越後国ノ内神社763人、岩城国ノ内神職17人、越後国ノ内寺院1975人、岩城国ノ内寺院4人、(総)人員17万8986人、その他一132人、その他十五149人、その他二97人。
島原藩:合人員を総人口と解釈。合人員17万5051人(内、華族3人、士族2220人、卒4322人、社家678人、修験22人、山伏9人、寺院772人(内、僧539人、女233人)、尼庵4人、市郷16万5615人、その他一1353人、その他二53人)。
新庄藩:士族1255人、士族女子1446人、卒1005人、卒女子436人、神職男女合計16人、寺男女合計281人、修験男女合計263人、平民4万7405人、その他一男女合計14人、その他二男女合計52人。
重原藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万4789人(内、士族949人、卒族258人、社人63人、寺侶388人、修験6人)。
新宮藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。中間人口を平民人口に加算。知事家族6人、惣人口5万4377人(内、士族1892人、卒族1265人、寺178人(内、僧145人、比丘尼2人、門徒宗五ヶ寺31人)、山伏118人、中間2135人、その他一759人)。
下館藩:総人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、総人口1万5182人(内、士族1156人、卒族148人、社家50人、寺院62人、その他一195人、その他二68人)
芝村藩(芝邨藩):総人口を華族除外総人口と解釈。明治2年旧暦10月調:総人口7338人(内、士族474人、卒族138人、社家43人、寺院75人、その他一242人)。明治4年旧暦2月調:社家39人、寺・仏堂38人。
椎谷藩:総人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、総人口2万0918人(内、士族218人、卒族167人、社家4人、寺171人、その他一117人)。
下妻藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。外一門壹人と准士族人口、准卒人口、寺院門前地百姓及借家人人口、その他四十人口をそれぞれ士族人口、卒人口、平民人口、その他二人口に加算。知事家族10人、外一門1人、総人口8805人(士族249人、准士族104人、卒族40人、准卒59人、社人29人、寺侶95人、山伏11人、寺院門前地百姓及借家人80人、その他一その他十255人、その他四十30人)。
志筑藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。知事家族9人、(総)人口5568人(男女合計5368人、内、士族334人、卒族97人、社人56人、寺侶19人)。
宍戸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。小者人口を卒人口に加算。(総)人口6309人(内、士族190人、卒59人、小者20人、社人29人、寺侶55人、修験31人)。
七戸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人口1万5527人(内、士族1680人、卒族350人、社人84人、寺侶54人、その他一13人)。
広島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社務人人口、その他一その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。知事家族9人、(総)人口91万4157人(内、士族9536人、卒族2万3046人、社務人2737人(男女合計3137人)、僧侶修験4862人、その他一その他二2万3686人(男女合計2万3056人))。
弘前藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口27万8842人(男女合計27万8742人、内、士族1万2469人、卒族1万0215人、社人799人、寺侶726人)。
彦根藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。上等士族人口、下等士族人口を士族人口に加算。知事家族10人、総人口17万7518人(内、上等士5066人、下等士1542人、卒6494人、社人222人、寺侶2129人、その他一5407人、その他二189人)。
彦根藩預所(彦根藩御預リ地):管轄内寺領地人口と男女合計が異なるが、後者を採用。彦根藩預所の草高は3万4278石9斗2升であり、明治元年旧暦閏4月25日(1868年6月15日)の大津県への移管地区や明治3年旧暦7月17日(1870年8月13日)の朝日山藩への移管地区を含む。彦根藩御預リ地2万1421人(内、寺侶310人(内、男178人(内、僧154人)、女132人))、管轄内社領地759人(内、男395人(内、祝官20人、神子4人、僧5人)、女364人(内、尼4人))、管轄内寺領地1776人(男女合計1779人:男817人、僧176人、女782人、尼4人)。
姫路藩:総人口を華族除外総人口と解釈。水主並所々定番人口と所局中間譜並代雇之物人口は卒人口に加算。知事家族3人、総人口22万2661人(内、士族4030人、卒族4582人、水主並所々定番1095人、所局中間譜並代雇之物789人、社家488人、寺院1650人、(内、僧893人、男213人、女544人)、修験65人(内、修験17人、男20人、女28人)、その他一1万1389人、その他二109人)。
平戸藩:総人口を華族除外総人口と解釈。陪卒脇間又者人口は卒人口に加算。総人口14万8507人(内、士族2838人(内、平戸新田士族495人)、卒族1万2521人(内、平戸新田卒族177人(男女合計477人))、陪卒脇間又者4万6839人、社人605人、山伏614人、座頭243人、陰陽師114人、寺499人)。
人吉藩:総人口を華族除外総人口と解釈。社人人口と男女合計が異なるが、後者を採用。総人口5万3577人(内、士族3368人、卒族1万4930人、社人547人(男女合計544人:社人211人、男62人、女271人)、修験142人(内、山伏68人、男9人、女65人)、寺院94人(内、僧88人、男6人)、盲人65人(内、盲僧39人、男4人、女22人)、瞽女21人、その他一194人)。
久居藩:総人口(惣人口)を華族除外総人口と解釈。総人口(惣人口)、士族人口、卒族人口、社人人口、寺院人口については欄外朱書の数値を採用。知事家族5人、総人口3万8310人(男女合計3万8579人、欄外朱書の惣人口3万7878人、内、士族1399人(欄外朱書1402人)、卒族875人(欄外朱書1487人)、社人98人(欄外朱書134人)、寺院434人(欄外朱書:僧375人、尼6人)、その他一1374人、その他二101人)。
広瀬藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他二十八その他六人口をその他一人口に加算。知事家族5人、(総)人口2万6350人(原書欄外の惣人数2万6396人、内、士族748人、卒族761人、社人162人、寺侶247人、修験8人、その他二十八その他六382人)。
日出藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口2万0925人(内、士族946人、卒族1044人、社人201人、寺侶127人、修験山伏46人、盲僧37人、その他一177人)。
一橋藩:総人口を華士卒族除外総人口と解釈。総人口、神職人口、寺院人口については欄外朱書の数値を採用。欄外朱書総人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他四人口、その他十八人口とその他十人口はそれぞれその他一人口、その他二人口に加算。士族5154人、卒族1154人、総人口11万5228人(欄外朱書11万2559人(男女合計11万2563人))、内、神職316人(欄外朱書男女合計311人)、寺院668人(内、除地院22人、欄外朱書:寺院596人、除地22人)、堂庵12人、その他四205人、その他一6105人、その他十八67人、その他十130人)。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、廃藩。
盛岡藩:支配地人口を平民人口と解釈。支配地人口11万7527人、その他一189人。明治3年旧暦7月10日(1870年8月6日)、盛岡県を設置。
森藩:総人口を華族除外総人口と解釈。知事家族5人、総人口1万4244人(内、士族720人、卒族(但シ水主共)726人、社務71人、寺70人、その他一20人、その他二12人)。
母里藩:総人口を華族除外総人口と解釈。歩卒人口は卒人口に加算。知事家族3人、総人口8222人(内、士族241人、卒族295人、歩卒75人、社務72人、寺院59人、その他二十八248人、その他二2人)。
仙台藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。兵士人口、兵卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。知事家族7人、(総)人口23万8893人(内、兵士2万9408人、兵卒1万3091人、社家683人、陰陽師43人、修験998人、時慮2331人、その他一等ノ者1138人)。
膳所藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人口4万5726人(内、士族1858人、卒族1787人、社人340人、寺侶695人、尼17人、その他一1244人、その他二342人)。
関宿藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口、士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。明治3年調:(総)人口4万9058人(男女合計4万9057人、内、士族人口1185人(男女合計1184人)、卒族1016人、社人272人、女巫6人、寺侶330人、山伏114人、尼8人、その他三十二その他一853人)。
須坂藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。知事家族9人、惣人口1万1315人(内、士族431人、卒族403人、神職12人、寺150人、修験4人、その他一239人、その他二44人)。

ついでに『藩制一覧』には記載されていない府県について

使府藩県人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
京都府374,496373,688373,704
奈良県158,728158,728158,728
五條県136,060136,060136,060
堺県249,523249,523249,523
大坂府427,395427,395427,395
兵庫県224,124224,124224,124
度会県92,00496,62592,004
甲府県352,900352,900352,900
韮山県250,708250,603250,708
東京府674,447674,269674,269
神奈川県421,690421,690421,690
浦和県280,530280,274280,530
品川県188,650188,650188,650
小菅県16,267162,067162,067
宮谷県281,077281,077281,077
葛飾県230,614229,714230,614
若森県149,97617,676149,976
大津県211,334211,334244,114
笠松県188,139188,139188,139
高山県98,36697,160118,604
伊那県188,999189,899193,264
中野県00183,291
岩鼻県358,640358,640358,640
日光県415,706217,588217,588
白河県16,388106,298106,388
角田県83,01783,01783,017
若松県199,211199,211199,211
福島県119,668119,666119,668
登米県115,874222,518115,874
胆沢県138,167138,167138,167
江刺県237,5500237,550
山形県331,94132,261318,467
本保県0070,709
柏崎県418,711418,711437,923
新潟県259,600259,600259,600
佐渡県12,337102,337102,337
久美浜県166,586166,586166,586
生野県94,38794,38794,387
浜田県228,863228,863298,126
倉敷県237,506214,594237,680
日田県195,455195,455195,455
長崎県265,946264,259267,654
箱館開拓使00
合計22,034,73430,697,35430,088,33531,866,389
総数(記載値)31,778,59530,088,33531,866,389

箱館開拓使だけはどの文献でも人口が記載されていませんが、廃藩置県時の人口は、旧東西蝦夷地のアイヌ人口約2万人に、箱館周辺の人口を加えた約4万人前後でしょう。
[79223] 2011年 8月 22日(月)03:34:42【1】YT さん
藩制一覧表第六~第七
佐賀藩(佐嘉藩):(総)人員を平民人口と解釈。士族2万3823人、卒4万3488人、社人850人、僧4412人、(総)人員35万4450人。
佐倉藩:(総)人口と男女合計が異なるが、前者を平民・猿引外寺社人口、後者を平民人口と解釈。猿引人員、その他三十四人員をそれぞれ僧尼人口、その他二人口に加算。士族3021人、卒族4469人、(総)人口11万1265人(男女合計11万0700人、内、神主24人、神職16人、社人19人、僧362人、修験39人、医師53人、陰陽師1人、舞大夫11人、座頭20人、盲人9人、道心10人、比丘尼1人)、猿引10人、その他一156人、その他三十四7人、その他二81人。
篠山藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、後者を採用。その他三十五人員、その他三十六人員はその他二人口に加算。明治3年旧暦10月調:(総)人員5万8723人(族籍合計5万8726人:士族男女合計2158人、卒族男女合計1466人、社家男女合計53人、山伏男女合計9人、陰陽師男女合計19人、僧尼男女合計267人、農工商男女合計5万2281人、その他一男女合計2204人、その他三十五208人、その他三十六61人)。
佐土原藩:士族人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族3778人(男女合計3774人)、卒3133人、社家806人、寺院37人、庶民1万8666人。
西條藩:兵卒人員と軽卒人員を卒族人員に加算。明治2年旧暦10月調:士族1501人、兵卒725人、軽卒1252人、社家137人、修験181人、寺院堂庵192人、在町5万4400人。
佐伯藩:(総)人員を華士卒族除外総人口と解釈。士族937人、卒1247人、(総)人員6万5366人(内、社家男女合計165人、修験男女合計38人、寺男女合計327人(内、僧289人、女37人、尼1人)、その他一8人、その他二127人)。
三田藩:(総)人員を2万0332人を卒族・平民人口と解釈。兵卒人員、その他八人員をそれぞれ卒人口、その他二人口に加算。明治2年調:士族667人、兵卒240人、寺男女合計113人(内、僧95人、寺女18人)、(総)人員(郷村人口、含卒族)2万0332人、その他八80人。
鯖江藩:(総)人員を平民人口と解釈。士族1377人、卒1289人、社家39人、寺294人(内、僧152人、男8人、女123人、尼僧11人)、山伏17人(内、山伏7人、女10人)、(総)人員2万7151人、その他一13人。
狭山藩:人口不詳。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、堺県に編入。
佐野藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。知事家族2人、士族473人、卒族628人、(総)人員1万1893人、社家男15人、社女14人、僧63人、寺女24人、その他一10人、その他二1人。
佐貫藩:明治3年調:華族16人、士族401人、卒族110人、神職80人、寺78人、平民1万6908人、その他一97人、その他二26人。
桜井藩:(総)人員を平民人口と解釈。神領百姓人員、その他三十七人員をそれぞれ平民人口、その他二人口に加算。華族5人、士族321人、卒族54人、社家24人、寺57人、(総)人員1万2866人、神領百姓26人、その他三十七39人。
岸和田藩:華族8人、士族2212人、卒2393人、社家50人、平民5万8748人、その他一2108人、その他二241人、外ニその他二21人。
菊間藩:准士族、社領百姓をそれぞれ士族人口、平民人口に加算。士族551人、准士族842人、卒族1403人、神社239人、寺院396人(内、僧325人、尼1人、女70人)、修験39人、山伏33人、陰陽師3人、平民7万0190人、社領百姓112人。
杵築藩:惣人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。藩士人員、藩卒人員と陪卒人員をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。華族6人、惣人員1355人(内、藩士男女合計1980人、藩卒男女合計1355人、陪卒男女合計22人、社家男女合計501人、清僧184人、一向宗男女合計119人、祝言男女合計92人、盲僧24人、盲僧女22人、農男女合計4万5403人、商男女合計1833人)、その他一694人。
清末藩:華族9人、士族848人、卒族677人、社家山伏盲僧男女合計99人、寺院男女合計108人(僧99人、女9人)、修験2人(山伏1人、盲僧1人)、農商男女合計9199人、その他一38人、その他二78人。
清崎藩:(総)人員を平民・修験外寺社人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、後者を平民人口と解釈。卒人員と男女合計が異なるが、後者を採用。華族5人、士族359人、卒138人(男女合計141人)、修験72人、(総)人員2万1392人(男女合計:2万1185人、内、社人20人、僧171人、行人派16人)、その他一251人。
喜連川藩:(総)人員を平民人口と解釈。その他十人員をその他二人口に加算。士族171人、士族家族433人、社家38人、修験16人、寺院92人、(総)人員3549人、その他一28人、その他十25人。明治3年旧暦7月17日(1870年8月13日)、日光県に編入。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
結城藩6133371615717,019278618,42618,58018,44518,436
湯長谷藩535914038357,6938,2708,2658,2358,265
水戸藩6,5593,8152,047773254,877655717269,443264,256281,225259,344
三春藩1,5871,13745816533,1906336,60036,77436,76236,769
宮津藩2,2981,0481881,46365,69694927571,91773,67471,13671,831
水口藩1,3911509817118,0674106320,35020,62121,76820,621
壬生藩82786612111323,5661707925,74224,37225,95625,962
三日月藩6796645511217,94519,45519,45519,64019,455
峰山藩25138333528,852345559,97110,05510,77510,055
三日市藩107388,224138,3828,4199,0618,419
宮川藩3121221266,6094167,2167,1597,1667,192
峰岡藩334325312711,0404811,87711,13511,88111,145
三草藩30918831038,832239,4589,3719,3539,371
三池藩5031838,197788,9619,0399,0929,039
静岡藩50,895777,0117,709835,615813,886876,819813,886
新発田藩104,7835,6857801,979178,98628197192,601192,591192,604192,591
島原藩32,2204,322678807165,6151,35353175,051174,296175,051175,044
新庄藩2,7011,4411654447,405145252,17352,17352,17957,173
重原藩9492586339433,12534,78934,78934,89734,789
新宮藩61,8921,26529650,16575954,38354,47461,67754,474
下館藩31,156148506213,5031956815,18515,19612,76415,196
芝邨藩47413843756,3662427,3387,3387,4017,338
椎谷藩3218167417110,24111710,92110,91810,81210,911
下妻藩1035499291067,933255308,8168,8068,8158,786
志筑藩93349756194,8625,3775,4795,7855,479
宍戸藩1907929865,9256,3096,3096,1886,309
七戸藩31,680350845413,3461315,53015,52715,53015,527
広島藩99,53623,0462,7374,862850,29023,686914,166514,157914,172914,157
弘前藩12,46910,215799726254,533278,742288,842255,131288,842
彦根藩106,6086,4942222,129156,4695,407189177,528173,691189,946172,545
彦根藩御預リ地2449923,43623,959
姫路藩34,0306,4664881,715198,46411,389109222,664222,661223,762222,661
平戸藩2,83859,3606051,47084,234148,507149,143145,825149,143
人吉藩3,36814,93054432234,21919453,57753,57754,15253,577
久居藩51,4021,48713438132,9991,37410137,88338,84237,88338,842
広瀬藩574876116225524,04238226,35526,37026,36426,370
日出藩9461,04420121018,34717720,92520,92520,93620,829
一橋藩5,1541,154311630105,1156,310197118,871
盛岡藩/県117,527189117,716137,825137,825137,825
森藩5720726717012,625201214,24914,21214,24914,244
母里藩324137072597,23024828,2258,2158,2258,205
仙台藩729,40813,0916833,372191,2011,138238,900204,902239,897204,964
膳所藩31,8581,78734071239,4401,24434245,72645,70145,70645,684
関宿藩1,1841,01627845245,27485349,05749,05748,75549,057
須坂藩94314031215410,0322394411,32411,31511,32411,324

結城藩:(総)人員を平民・寺社人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、後者を平民人口と解釈。謹慎妻子人員、その他三十八人員はそれぞれ卒人口、その他二人口に加算。明治3年旧暦4月調:士卒950人(内、士族妻子男女合計613人、卒族妻子男女合計256人、謹慎妻子男女合計81人)、(総)人員1万7192人(男女合計1万7019人、内、神主13人、社人3人、山伏6人、僧128人、修験1人、医師10人、座頭4人、道心8人)、その他一278人、その他三十八6人。
湯長谷藩:平民人員を華士卒族除外総人口と解釈。小者は卒人口に加算。華族5人、士族359人、卒80人、小者38人、平民7766人(内、社家38人、修験6人、僧29人)。
水戸藩:(総)人口を平民人口と解釈。藩士人員、兵隊を士族人口、卒人口に加算、その他二人口と男女合計が異なるが、後者を採用。藩士人員6559人、兵隊人員3815人、社人2047人、寺773人、(総)人口25万4877人、その他一655人、その他二710人(男女合計717人)。
三春藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族2724人(内、士族1587人、卒族1137人)、社家458人、寺130人、修験32人、(総)人口3万8619人(男女合計3万3190人)、その他一その他二63人。
宮津藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族2298人、卒族1048人、社人188人、空也堂派鉢業ノ者1021人、寺442人(内、僧277人、女58人、尼7人)、(総)人口6万5696人、その他一275人、その他二275人。
水口藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口、社家陰陽師合人口と男女合計が異なるが、共に後者を採用。(総)人口2万0356人(男女合計2万0350人、内、士族1391人、卒族150人、社家陰陽師合94人(男女合計98人)、寺男女合計171人(内、僧76人、真宗僧51人、女31人))、その他一410人、その他二63人。
壬生藩:(総)人口を平民人口と解釈。和播二州(総)人口と男女合計が異なるが、男女比不自然により前者を採用。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他十七人口、その他三十八人口をその他二人口に加算。士族827人、卒族866人、社人121人、僧84人、尼4人、修験25人、野総二州(総)人口1万8213人、和播二州(総)人口5353人(男女合計6353人)、野総二州その他一169人(男女合計170人)、野総二州その他二25人、和播二州その他十七28人、和播二州その他二16人、その他三十八10人。
三日月藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族679人、卒族664人、社人55人、寺院庵修験112人(内、僧64人、尼21人、女27人)、(総)人口1万7945人。
峰山藩:(総)人口を華士卒族外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他三十九人口とその他四人口、その他八人口をその他一人口、その他二人口に加算。士族250人(男女合計251人)、卒族383人、(総)人口9337人(内、社人33人、寺52人)、その他一255人、その他三十九82人、その他四8人、その他八55人。
三日市藩:(総)人口を平民人口と解釈。寺社人口不詳。士族107人、卒族38人、(総)人口8224人、その他一13人。
宮川藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。夫卒人口を卒人口に加算。士卒族合計434人(内、士族男女合計312人、卒男女合計82人、夫卒40人)、(総)人口6735人(内、寺男女合計126人(内、僧74人、女50人、尼2人)))、その他一41人、その他二6人。
峰岡藩:(総)人口を『統計集誌』との比較から平民人口と解釈(記載通りだと(総)人員は華士卒族外総人口で、寺社人口とその他一人口を含む)。卒族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族334人、卒族325人(男女合計225人)、神職3人、寺127人(内、僧49人、男42人、女36人)、(総)人口1万1040人(男女合計1万0990人)、その他一48人。
[79222] 2011年 8月 22日(月)03:32:36【1】YT さん
藩制一覧表第五(続)~第六
藩制一覧表第五(続)
府内藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人員3万3323人(内、士族1265人、卒族1068人、社家312人、寺院328人、修験35人、その他一317人、その他二72人)。
福知山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族4人、(総)人口3万1130人(内、士族845人、卒族609人、社人29人、寺人135人、尼2人、修験33人、その他一1734人、その他二161人)。
福江藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。知事家族7人、(総)人口6万2294人(内、士族1718人(男女合計1719人)、卒族1279人、社人1187人、寺人(僧)99人、修験15人、その他一23人)。
福本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人口7194人(内、士族361人、卒族170人、社人3人、神子2人、僧23人)。明治3年旧暦11月23日(1871年1月13日)、鳥取藩に編入。
吹上藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。知事家族4人、(総)人口6826人(内、士族383人、卒族166人、社家50人、寺道場73人(内、男55人(内、僧20人)、女18人)、その他一186人、その他十9人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
郡山藩4,4681,7811692,00391,5492,003453102,426102,420102,42799,970
古河藩1,3492,68241244074,7773,6799383,43283,43283,57883,432
小諸藩6819266025129,3775734231,91031,91031,91831,910
挙母藩4614464010018,40620019,65314,95419,67414,954
小泉藩56802884786,8411,273639,2329,3679,2309,367
菰野藩48091351239,33510,06410,06410,06710,064
小松藩423316256413,92940815,16515,16515,15515,165
天童藩6425354710712,0461613,39313,39312,38913,403
秋田藩728,0498,0598444,786393,143386435,274435,267412,647435,267
明石藩1,8053,22614643370,39476,00476,00476,17376,004
秋月藩1,2123,2329118827,3639653333,08433,08433,58733,084
朝日山藩1,3981,7941,0363,24528,401135,8750026,206
尼崎藩41,7421,3768943745,7592,71520752,32949,40349,61452,325
足守藩4633347619616,31629017,74717,45217,50917,453
赤穂藩135801,0823533532,21148634,74234,64335,55834,643
綾部藩107623233610716,55145014418,38318,51118,42518,516
安中藩570925211212325,10373527,03927,04227,42727,125
麻田藩31314820879,77341510,75610,75610,80610,756
麻生藩40519536338,58015199,2839,3179,0929,283
足利藩4191087016317,64526218,6673,86618,71918,704
安志藩1274354437249,2547010,7209,8129,3869,812
浅尾藩40310020386,1533111527,1777,2467,1827,177
佐嘉藩23,82343,4888504,412354,450427,023425,7620425,762
佐倉藩3,0214,46959516110,70015698119,019119,129119,132119,129
篠山藩2,1581,4665329552,2812,20426958,72658,50758,73458,507
佐土原藩3,7783,1338063718,66626,42026,42026,75526,420
西條藩1,5011,97713737354,40058,38858,39861,03458,388
佐伯藩9371,24716536564,701812767,55067,55067,68767,554
三田藩66724011320,0928021,19221,89121,89821,811
鯖江藩1,3771,2893931127,1511330,18030,16730,27530,167
狭山藩0
佐野藩2473628298711,7771113,00712,99513,01212,995
佐貫藩16401110807816,908972617,71617,65217,63917,732
桜井藩532154245712,8923913,39213,08713,36413,387
岸和田藩82,2122,3935058,7482,10826265,78166,33467,62266,134
菊間藩1,3931,40323947170,30273,80874,06973,62474,069
杵築藩61,9801,37750144147,23669452,23551,53552,24751,535
清末藩9848677991109,199387811,05810,94611,05211,062
清崎藩53591412025921,18525122,22021,93022,10621,930
喜連川藩604381083,54928254,352

郡山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他八人口、その他十七人口をその他二人口に加算。(総)人口10万2426人(内、士族4468人、卒族1781人、社人169人、陰陽師26人、僧897人、僧男308人、尼25人、僧女745人、座頭2人、その他一2003人、その他八228人、その他十七225人)。
古河藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他十七人口をその他二人口に加算。士族1349人、卒族2682人、社人412人、僧尼男女440人、(総)人口7万4777人、その他一3679人、その他二77人、その他十七16人。
小諸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万1910人(内、士族681人、卒族926人、社人60人、僧108人、修験143人(内、修験54人、男26人、女63人)、その他一573人、その他二42人)。
挙母藩:総人口を華士卒族除外総人口と解釈。士族(但シ医師共)461人、卒族446人、総人口1万8746人(内、社人39人、女巫1人、僧68人、山伏21人、尼11人、その他三十二その他一男女合計200人)。
小泉藩:総人口を華族除外総人口と解釈。華族除外総人口と族籍合計が異なるが、後者を採用。その他十七人口をその他二人口に加算。明治2年旧暦12月調:知事並ニ家族5人、(総)人口9223人(族籍合計9227人:士族680人、卒族288人、社家4人(内、男3人、巫女1人)、修験1人、僧66人、尼11人、平民6841人、その他一1273人、その他二43人、その他十七20人)。
菰野藩:総人口を華族除外総人口と解釈。総人口1万0064人(内、士族480人、卒族91人、社家35人、寺院123人、農工商9335人)。
小松藩:総人口を平民・寺社人口と解釈。士族423人、卒族316人、総人口1万4018人(内、社人男女合計25人、僧45人、山伏男女合計17人、尼2人、社人僧尼山伏等引残男女合計1万3929人)、その他一408人。
天童藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員1万3393人(内、士族642人、卒535人、社家47人、僧54人(内、下男2人)、一向宗僧53人(内、男29人(内、下男7人)、女24人(内、下女6人))、平民1万2046人、その他一16人)。
秋田藩:総人口を華族除外総人口と解釈。士族下部人口、鉱山人口をそれぞれ士族人口、平民人口に加算。旧暦4月調:華族7人、総人口43万5267人(内、士族1万5514人、士族下部1万2535人、卒族8059人、社家844人、寺院4786人、鉱山1万2030人、その他一386人)。明治3年旧暦9月調:惣人口41万3493人(内、華族7人、士族2万1202人、卒族6929人、社務人3219人、修験66人(明治3年10月調)、僧1911人、その他一その他三十三944人、この時平民人口は37万9215人(修験人口を加えると37万9281人で『統計集誌』と一致))。
明石藩:総人口を華族除外総人口と解釈。寺院人口と男女合計が異なるが、後者を採用。総人口7万6004人、士族1805人、卒族3226人、社家134人、神子12人、寺院377人(男女合計357人)、修験76人。
秋月藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。夜須郡之内百姓人員と男女合計が異なるが、族籍合計から前者を採用。その他一人口、その他二人口は百姓人口に含まれ、その分を平民人口より減算。(総)人員3万3084人(内、士族1212人、卒3232人、神職91人、寺(含修験者)188人(内、男(僧徒)116人、女1502人)、市中2318人、百姓合計2万6043人(内、夜須郡之内百姓1万3394人(男女合計1万3358人)、下座郡之内百姓3916人、嘉麻郡之内百姓8733人、その他一965人、その他二33人))。
朝日山藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員3万5874人(内、士卒族合3192人(内、士族1398人、卒1794人)、羽前国村山郡之内社寺4175人(内、神社合計1004人(内、神職29人、男480人、女473人、僕14人)、大神楽師男女合計32人、寺院合計3147人(内、僧侶246人、男1369人、女1498人、僕34人))、近江国坂田浅井二郡之内神社寺院106人(内、神社合計8人(内、神職2人、女2人、僕3人、婢1人)、寺院合計98人(内、僧侶41人、女41人、僕10人、婢6人))、平民2万8401人)、その他二1人。
尼崎藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。華族4人、(総)人員4万9403人(内、士族1742人、卒1376人、社家(但宮守共)89人、寺院437人、平民4万5759人)、その他一2715人、その他二207人。
足守藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。「右人口前ニ出」を、社人人員と修験人員が平民人員に含まれていることと解釈し、その分を平民人口より減算(それにより(総)人員と族籍合計が一致する。)。知事家族4人、(総)人員1万7453人(内、士卒族合980人(内、士族633人、卒347人)、社人61人、僧73人、修験16人、尼2人、浄土真宗一ヶ寺男女合計5人(内、僧3人、女2人)、平民合1万6393人(内、備中国賀陽郡村々平民1万2139人、岩代国信夫郡村々平民4254人))、その他一290人。
赤穂藩:惣計を華士卒族除外総人口と解釈(記載通りだと惣計は華族除外総人口で、士卒族人口を含む)。士卒族合人員と士族人員、卒人員、下卒人員の合計が異なるが、後者を採用。下卒人員は卒人口に加算。知事初家族13人、士卒族合1657人(族籍合計1662人:士族580人、卒433人、下卒649人)、惣計3万3067人(内、社家35人、修験11人、寺院324人、平民3万2211人、その他一486人)。
綾部藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族10人、(総)人員1万8373人(内、士族762人、卒323人、何鹿郡九ヶ村平民男女合計8914人(内、社人15人、一ヶ寺一向宗男女合計5人、僧56人、尼9人)、天田郡拾八ヶ村平民男女合計7311人(内、社人16人、僧23人、尼6人)、船井郡四ヶ村平民男女合計469人(内、社人5人、僧8人)、その他一450人、その他二144人)。
安中藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。寺院人員と族籍合計が異なるが、(総)人員と族籍合計が一致することから前者を採用。知事家族5人、(総)人員2万7034人(内、士卒族合961人(内、士族709人、卒252人)、社人112人、寺院123人(合計122人:僧55人、山伏17人、男16人、女34人)、平民2万5103人、その他一その他二735人)。
麻田藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員1万0341人(内、士族313人、卒148人、神職20人、寺院85人(僧54人、女17人、俗男3人、尼11人)、修験2人、平民9773人)、その他一415人。
麻生藩:(総)人口を卒族除外総人口、原本朱書の(総)人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。明治3年旧暦9月調:(総)人口9092人(原本朱書9249人、族籍合計9088人:士族405人、社務36人、僧29人、修験3人、盲1人、その他一15人、その他ニ19人)、卒族195人。
足利藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。(総)人口と男女合計、その他一人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族419人、卒族108人、(総)人口1万7878人(男女合計1万7799人、内、神主70人、僧79人、庵男女合計84人(内、僧56人、庵守1人、侍2人、下男25人))、その他一人口262人(男女合計270人)。
安志藩:(総)人員を他統計との比較から華士卒族族除外総人口と解釈(記載通りだと(総)人員は士卒族人員を含む)。(総)人員と族籍合計、その他一人員と男女合計が異なるが、後者を採用。卒以下人員を卒人口に加算。知事大参事1人、士族274人、卒252人、卒以下102人、(総)人員1万0037人(族籍合計1万0038人または1万0091人:社人43人、藩祈祷所男女合計642人(内、僧7人、男327人、女308人)、寺僧女82人、平民9254人、その他一17人(男女合計70人))。
浅尾藩:(総)人口を『統計集誌』との比較から華士卒族除外総人口と解釈(記載通りだと(総)人口は士卒族人員を含む)。その他一人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。その他六人口をその他二人口に加算。明治2年調:士族403人、卒族100人、(総)人口6674人(内、社家20人、寺男女合計38人(内、僧36人、尼2人)、その他一311人(男女合計211人)、その他六152人)。
[79221] 2011年 8月 22日(月)03:30:18【1】YT さん
藩制一覧表第四(続)~第五(続)
(藩制一覧表第四(続))
延岡藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。江平町その他二十四人口をその他一人口に加算。華族4人、(総)人員12万4966人(内、士族2120人、卒族4022人、社家1082人、寺院413人、修験411人、盲僧40人(内、盲僧14人、俗男10人、女16人)、平民11万6189人、その他一350人(男女合計250人)、その他二323人。江平町その他二十四16人)。
野村藩:(総)人員を華族除外総人口(三河国渥美郡泉福寺・旧幕府朱印地山田村分を除く)と解釈。夫卒人口と士族召仕人口を卒人口に加算。(総)人員8431人(内、士族275人、卒族124人、夫卒45人、士族召仕28人、社家49人、寺院93人(内、男63人(内、堂守1人)、尼2人、女28人)、平民7767人、その他一29人、その他二21人)、三河国渥美郡泉福寺・旧幕府朱印地山田村分207人(内、僧4人、平民203人)。


(藩制一覧表第五(続))
熊本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。両末家士族卒族人口、従前陪臣人口、その他二十五人口をそれぞれ士族人口、卒人口、その他二人口に加算。知事家族10人、(総)人口71万9990人(内、士族男女合計1万6050人、卒族男女合計7万1733人、両末家士族卒族(両末家士卒)男女合計1万5867人、従前陪臣男女合計1万5867人、社人(社家)男女合計1785人、僧侶(僧家)男女合計5416人、盲人685人、瞽女1208人、農(農家)男女合計55万7430人、商(商家)男女合計3万6891人、その他一男女合計7073人、その他二十五男女合計3183人)。
久留米藩:(総)人口を華族除外総人口、原書欄外の(総)人口を平民人口と解釈。知事家族8人、(総)人口26万4577人(内、士族5030人、卒族1万1641人、社人1416人、寺人1912人、原書欄外(総)人口24万2086人、その他一2223人、その他二269人)。
桑名藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。士卒族人口内訳不詳。知事家族4人、(総)人口6万4848人(内、士卒族7086人、 社人113人、寺人728人(内、男僧362人、男50人、尼僧11人、女305人)、修験58人、堂住30人(内、男僧10人、尼僧20人)、その他一429人、その他十204人)。
郡上藩:(総)人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を平民人口と解釈。謹慎御免ノ者人口を卒人口に加算。知事家族4人、(総)人口5万5668人(男女合計5万1502人、内、士族977人、卒1265人、謹慎御免ノ者29人、社人1088人、寺人807人(内、僧161人、修験2人))、その他一6人、その他二72人。
久留米藩:合人口を華族除外総人口と解釈。合人口と男女合計が異なるが、後者を採用。社家人口と男女合計が異なるが、社家女人の記載漏れと判断し前者を採用。知事家族3人、合人口2万2580人(男女合計2万2680人、内、士族1189人(内、男595人、女594人、男ノ内、職員128人、兵士130人、老少333人)、卒143人、社家92人(男女合計90人)、寺院298人(内、僧141人、男81人、女76人)、平民2万0766人、その他一77人、その他二115人)。
黒石藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。仲間小者人口を平民人口に加算。(総)人口1万5932人(内、士族1094人、卒747人、社人39人、僧侶修検及ヒ其家人119人、仲間小者26人)。
黒羽藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万9493人(内、士族837人、卒1100人、社人88人、寺人37人(内、僧34人、女3人))。
櫛羅藩:(総)人員を平民人口と解釈。その他十七人員をその他二人口に加算。知事家族4人、士族406人、卒114人、社家30人、仏閣42人、(総)人員2273人、その他一1582人、その他十七99人。
黒川藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員9757人(内、士族293人、卒93人、社人18人、仏閣男25人、修験38人、夷太夫1人、その他一1人)。
山口藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺人人口と男女合計が異なるが、後者を採用。陪臣人口を平民人口に、その他二十六人口とその他四人口をその他一人口に加算。平民人口不詳。(総)人口6万6463人(内、士族1万1589人、卒族1万0362人、社人2263人、寺人5108人(男女合計5155人:男4075人(内、僧3096人、その他二十六26人、道心者25人)、女1080人(内、尼僧125人))、盲僧652人(内、男367人(内、盲僧256人)、女285人)、山伏285人(内、男166人(内、山伏116人)、女119人)、陪臣2万5487人、その他四29人、その他一1万0380人、その他二261人)。
柳河藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。浪士人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。徒士人口と浪士人口、軽卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。知事家族17人、(総)人口12万7323人(内、士族4979人、徒士179人、浪士1942人(男女合計1936人)、軽卒7615人、社人530人、僧侶1481人、修験4人、その他一937人、その他二169人)。
柳本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、男女合計を華士卒族除外総人口と解釈。知事家族4人、(総)人口6814人(男女合計6221人、内、士族396人、卒族197人、社務5人、寺庵18人(僧14人、尼4人)、巫2人、その他一137人、その他二108人)。
山崎藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万0232人(内、士族420人、卒族470人、社人27人、寺庵71人(内、僧56人、一向宗六ヶ村ノ女15人)、修験10人)。
柳生藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、他統計との比較から前者を採用。知事家族2人、(総)人口6858人(男女合計6104人、内、士族413人、卒族188人、寺庵(僧)21人)。
矢島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他二十七人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他十八人口をその他二人口に加算。(総)人口1万5280人(内、士族447人、卒族324人、社人248人、寺院40人(内、僧36人、女4人)、その他一14人、その他二十七6人(男女合計8人))。
山上藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員9769人(内、士族276人、卒78人、社人6人、僧48人、尼8人、その他一524人(内、男278人、僧1人、女245人))。
山家藩:卒族人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。平民人口不詳。知事家族7人、士族343人、卒族131人、社人1人、寺人47人。
茂木藩(谷田部藩):(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員1万3425人、士族448人、卒族232人、社家64人、修験40人、寺庵寮85人(内、僧65人、道心8人、男5人、女7人)。
谷地藩:士卒人員以外不詳。士卒150人。元治元年(1864年)の西村山郡谷地の加増地に設置された大泉藩(荘内藩)の支藩で、明治政府に認知されず、藩名録に記載されていない。
松江藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族召使人口、卒族召使人口、社人召使人口、寺人召使人口、その他二十八人口をそれぞれ士族人口、卒人口、神職人口、僧尼人口、その他一人口に加算。(総)人口29万5521人(内、士族9924人(内、男5062人(内、召使2013人)、女4862(内、召使1681人))、卒族9693人(内、男5344人(内、召使36人)、女4349人(内、召使500人))、社人3410人(内、男1710人(内、召使250人)、女1700人(内、召使230人))、寺人1986人(内、男1450人(内、召使245人)、女536人(内、召使101人))、その他二十八4395人、その他二292人)。
松山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。准士徒士族人口は士族人口に、その他二十九人口をその他一人口に加算。知事家族4人、(総)人口21万1882人(内、士族4645人、准士徒士族4079、卒族5580人、社人1278人、寺人1124人(内、男1088人(内、その他二十九8人)、女36人)、その他一9302人、その他二341人)。
松代藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士族人員と男女合計、社家人員と男女合計が異なるが、共に『統計集誌』と一致する前者を採用。社家人員535人と男女合計529人が異なるが、ここでは『統計集誌』との比較から前者を採用。浪人人員と男女合計、家中長屋借宅之庶民人員と男女合計が異なるが、何れも平民人口に加算。准士族人口、その他三十人口を、それぞれ士族人口、その他二人口に加算。知事家族6人、(総)人員14万8669人(内、士族2145人(男女合計2045人)、准士族1320人、卒族6778人、神子2人、社家535人(男女合計529人)、寺762人、修験827人、仏者179人(内、男(道心)92人、女(尼)87人)、医師187人、浪人446人(男女合計246人)、家中長屋借宅之庶民人員797人(男女合計802人)、その他一1853人、その他二129人、その他三十43人)。
松代藩預所(松代藩御預り地):(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員1万7895人(内、社家23人、寺226人、修験64人、仏者23人(内、男(道心)14人、女(尼)9人)、医師72人、その他一468人)。明治3年旧暦9月17日(1870年10月11日)、中野県に編入。
前橋藩:(総)人口を華士族除外総人口と解釈。明治2年旧暦10月調:士族4656人、(総)人口17万4239人(内、卒族5506人、社家修験808人、寺711人、その他一10人)。
松本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。軽卒人口を卒人口に加算。その他一人口、その他二人口と男女合計が異なるが、共に後者を採用。知事家族10人、(総)人口12万2472人(内、士族2309人、卒族3449人、軽卒491人、社家359人、寺庵413人、その他一140人(男女合計139人)、その他二412人(男女合計42人))。
丸亀藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人員13万5101人(内、士族1517人、卒族5719人、社家103人、寺院之者718人(内、僧568人、寺院150人)、その他一2697人)。明治4年旧暦4月10日(1871年5月28日)、丸亀県を設置。
舞鶴藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。芦田与右衛門(新開発地主藩士同様ノ者)家族人員を平民人口に加算。(総)人員4万9111人(内、士族1710人、卒族670人、社家10人、寺院山伏380人(内、僧241人、家族下人男73人、女66人)、その他一その他六その他二852人)、芦田与右衛門(新開発地主藩士同様ノ者)家族80人。
丸岡藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族8人、(総)人口2万2900人(内、士族962人、卒族1454人、神職21人、寺人241人(内、僧145人、女96人(内、尼16人))、修験8人、その他一18人、その他二831人)。
松尾藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計ご異なるが、後者を採用。その他十人口をその他二人口に加算。(総)人口4万7724人(男女合計4万7714人、士族1644人、卒象953人、僧家216人(内、男213人(内、僧191人)、女3人)、修験10人、その他一12人、その他十201人)。
真島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族准士族人口は士族人口に加算。(総)人口2万6240人(内、士族准士族791人、卒族478人、社家190人、寺院75人、修験22人)。
松嶺藩:士卒族人口以外不詳。士族339人、卒族735人。
松川(守山)藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。(総)人口1万7673人(内、士族809人、卒族373人、社人133人、寺院42人、修験36人、その他十60人)。
鞠山(敦賀)藩藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。替地ノ分人口と男女合計が異なる。(総)人口7584人(内替地ノ分1052人(男女合計1034人)、内、士族149人、卒族168人、社人7人、寺院89人、替地ノ分僧9人)。明治3年旧暦9月17日(1870年10月11日)、小浜藩に編入。
松岡藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万2805人(内、士族507人、卒族365人、社家139人(内、男70人(内、下男1人)、女67人(内、下女1人))、寺39人(内、僧30人、下男9人)、その他一65人)。
福岡藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他三十一人員をその他一人口に合計。(総)人員36万6330人(内、士族6769人、卒族2万6005人、神職4052人、僧徒1999人、その他三十一2万1485人)。
福井藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族6人、(総)人員28万4935人(内、士族4819人、卒7326人、社家154人、寺院2644人、山伏158人、道場285人、庵(尼僧)72人、その他一191人、その他二467人)。
福山藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と男女合計が一致しないが、『統計集誌』と一致する前者を採用。寺院門前宗門附之者人員、その他四人員をそれぞれ平民人口、その他一人口に加算。知事5人、(総)人員18万5858人(男女合計18万4857、士族4423人、卒族4818人、社家506人、寺院並庵1173人(内、男(僧)694人、女479人(内、尼4人))、寺院門前宗門附之者778人、その他一3849人、その他四819人、その他二588人)。
[79220] 2011年 8月 22日(月)03:27:39【1】YT さん
藩制一覧表第四~第五
津藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。郷士族人口、御陵守人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。明治3年旧暦11月13日(1871年1月3日)調:(総)人口24万7682人(内、士族7917人、郷士族6889人、卒族1956人、御陵守28人、社務人698人、僧1336人、尼52人、その他一9098人(男女合計8624人)、その他二1564人)。
津山藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族人口、卒族人口と男女合計異なるが、共に後者を採用。寺長屋人口を平民人口に加算。明治2年旧暦11月調:士族1666人(男女合計1636人)、卒族640人(男女合計708人)、社家84人、\寺庵284人(内、僧202人、下男82人)、寺長屋168人、(総)人口8111人、その他一その他二4535人。明治4年旧暦6月25日(1871年6月25日)、浜田県に編入。
津和野藩:(総)人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。旧暦正月調:(総)人口6万8679人(内、士族967人、卒族3292人、社家395人、寺院480人)、その他一584人。明治4年旧暦6月25日(1871年8月11日)、浜田県に編入。
土浦藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他一その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。明治2年旧暦11月調:士族2796人、卒族1186人、寺院383人、(総)人口7万2277人、その他一その他二1180人(男女合計1177人)。
鶴舞藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社領人口、寺領人口、長吏人口を平民人口に加算。(総)人口6万3858人、士族1188人、卒族2136人、社人189人、社領10人、寺448人、寺領930人、長吏94人、その他一146人、その他二218人。
鶴牧藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口2万0586人(男女合計2万0627人、内、士族561人、卒族341人、社人61人、神尾5人、寺65人、修験3人、陰陽師2人、坐頭2人)。
名古屋藩:平民人員を華士卒族除外総人口と解釈。平民人員と族籍合計が異なるが、その差を平民人員に加算。士卒4万9340人(内、士族1万5644人、卒3万3696人)、平民84万0895人(族籍合計83万9203人、社家4793人、僧5663人、尼86人、僧女1920人、修験1183人、堂731人(内、僧98人、尼633人)、陰陽師373人、農72万4569人、商9万1285人、その他一2599人(男女合計2569人)、その他二6001人)。
中津藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士卒雑人共人員内訳不詳。(総)人員9万8542人(内、士卒雑人共7133人、社家956人、寺院905人)。
中村藩:(総)人員を総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を平民人口に加算。社務人員と修験人員が男女内訳共に一致しており、誤記の疑いあり。(総)人員6万3893人(族籍合計6万3629人、内、華族8人、士族1万3453人、卒3426人、社務467人、修験467人、僧311人、農4万3355人、工595人、商1374人、その他一56人、その他二117人)。
長尾藩:(総)人員を平民人口と解釈。兵卒人員を卒人口に、猿牽人員を寺社人口に、長吏人員、寺領百姓人員を平民人口にそれぞれ加算。士族310人、士族家族男女合計889人、卒族268人、卒族家族男女合計543人、兵卒153人、兵卒家族162人、社家398人、猿牽14人、寺320人、(総)人員7万0850人、長吏47人、寺領百姓1482人。
長岡藩:町方人員と男女合計が異なるが、後者を採用。華族8人、士族3173人、卒5052人、社家41人、僧男女合計405人、(内、僧223人、家族下人男13人、女169人)、在方1万8460人、町方8242人(男女合計8240人が)、その他一15人。明治3年旧暦10月22日(1870年11月15日)、柏崎県に編入。
長島藩:軽卒人員を卒人口に、伊勢国支配地之内人員、上総国支配地之内人員、寺領之戸数人員を平民人口に、その他八人員をその他二人口にそれぞれ加算。士族652人、卒502人、軽卒53人、社家男女合計3人、寺院142人(内、僧82人、女60人)、草庵15人(内、僧4人、尼11人)、修験男女合計4人、上総国支配地僧侶58人、伊勢国支配地之内人員8070人、伊勢国支配地農民7794人、伊勢国支配地商民276人、上総国支配地之内人員5604人、寺領之戸数人員494人、その他一133人、その他八34人。
成羽藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。(総)人口と族籍合計が異なるが、その差を僧尼人口に加算。士族389人、卒族373人、(総)人口1万6619人(族籍合計1万6612:社家129人、寺32人、平民1万6158人、その他一293人)。
苗木藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族608人、卒族333人、社家96人、僧員44人、(総)人口2万3748人、その他一その他二171人(内、その他一18人、その他二153人)。
七日市藩:(総)人口を平民人口と解釈。華士卒族人口不詳。神職5人、僧19人、道心1人、山伏2人、(総)人口6472人
村上藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他一その他十五その他二人員をその他一人口に加算。(総)人員8万0034人(内、士族1838人、卒1770人、社家98人、寺565人(内、僧362人、男5人、女198人)、道場26人(内、僧12人、男2人、女12人)、修験126人、百姓7万4769人、その他一その他十五その他二842人)。
村松藩:惣計を華族除外総人口、(士卒族百姓社人僧山伏庵)合人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。惣計3万7184人(内、(士卒族百姓社人僧山伏庵)合人員3万6980人(内、士族1785人、卒2102人、社人110人(内、社人33人、俗男21人、女56人)、僧218人(内、僧174人、俗男2人、女42人)、山伏152人(山伏56人、俗男23人、女73人)、庵4人(内、行人2人、尼2人)、百姓3万2609人)、その他一196人、その他二8人)。
村岡藩(邨岡藩):人員惣計を華族除外総人口と解釈。人員惣計と族籍合計が異なるが、後者を採用。その他二十一人員をその他二人口に加算。人員惣計1万5670人(族籍合計1万5668人:士族304人、卒247人、神主5人、巫女8人、僧18人、一向宗家族6人、百姓1万4844人、その他一188人、その他二十一48人)。
六浦藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。華族3人、(総)人員1万2848人(内、士族324人、卒46人、社人105人、僧65人、修験43人、平民1万1899人、その他一347人、その他二19人)。
宇和島藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員16万9512人(内、士族男女合計2646人、卒族男女合計4026人、社家男女合計811人(内、社人398人、神子10人、女403人)、寺院男女合計461人(内、僧444人、寺院女17人)、山伏男女合計880人(内、山伏454人、女426人)、農民15万1806人、町人4320人、その他一男女合計4402人、その他二男女合計160人)。
臼杵藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。華族2人、(総)人員7万7827人(内、士族3741人、卒族3129人、社家265人、寺院575人(内、僧410人(内、尼3人)、家内俗男36人、寺院女129人)、修験176人、平民6万9941人、その他一259人、その他二183人)。
上田藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用(士族女1007人を1070人と誤記か)。(総)人員と族籍合計が異なるが、他統計と一致する後者を採用(兵隊327人の二重加算か)。(総)人員6万2572人(族籍合計6万2240人:士族1886人(男女合計1949人)、卒族1744人、社家236人、寺院208人(内、僧197人、女11人)、修験151人、平民5万7108人、その他一894人、その他二13人)。
宇都宮藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。社家と男女合計が異なるが、族籍合計から前者を採用。門前戸籍を平民人口に、その他二十二人口、その他二十三人口をその他二人口にそれぞれ加算。(総)人員5万9908人(内、士族2913人、知事実家ヨリ引取候分士族143人、卒族1081人、知事実家ヨリ引取候分卒族125人、神子2人、社家474人(男女合計499人)、山伏59人、盲人8人、座頭7人、猿牽1人、沙弥4人、寺院198人(内、僧183人、尼2人、道心3人、下男10人)、舞大夫1人、平民5万3309人、門前戸籍1583人)、その他一332人、その他二40人、その他二十二38人、その他二十三9人。
牛久藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。士卒内訳不詳。(総)人員8604人(内、士卒434人、社家34人、寺院44人(内、僧33人、俗1人、女10人)、庵20人(内、僧17人、尼3人)、平民8072人、その他一28人、その他二男女合計42人)。
宇土藩:徒士人口を士族人口に、兵卒人口と郷兵人口を卒人口にそれぞれ加算。士卒族除外総人口不詳。士卒合724人(内、士159人、徒士231人、兵卒159人、郷兵175人)。明治3年旧暦5月、熊本藩に編入。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
熊本藩1019,40487,6001,7856,624594,3217,0733,183720,000719,990730,528719,990
久留米藩85,03011,6411,4161,912242,0862,223269264,585262,085241,495262,085
桑名藩47,08611381656,20042920464,85264,86665,78364,868
郡上藩49771,2941,08880751,50267255,75057,56354,85057,641
久留里藩31,1891439229820,7667711522,68323,03222,90023,098
黒石藩1,0947473911913,93315,93215,93215,94915,932
黒羽藩8371,100883717,43119,49319,49319,53219,493
櫛羅藩440611430422,2731,582994,5505,1405,3845,140
黒川藩2939318649,28819,7579,7559,1799,757
山口藩11,58910,3622,2636,06625,48710,43526166,463552,671565,368608,475
柳河藩177,1007,6155301,485109,487169937127,340120,180127,323119,708
柳本藩43961977185,9511371086,8186,4796,7286,479
山崎藩42047027819,23410,23210,24710,41010,247
柳生藩2413188216,2366,8607,0186,5876,844
矢島藩4473242484014,19914815,28014,59015,28515,280
山上藩276786568,8295249,7699,81310,2469,813
山家藩734313214753011,66111,67011,661
谷田部藩4482326412512,55613,42513,48013,17013,480
谷地藩150150
松江藩9,9249,6933,4101,986265,8214,395292295,521291,694295,823296,750
松山藩48,7245,5801,2781,116185,5339,310341211,886211,882211,881211,882
松代藩63,4656,7785371,955133,9091,853172148,675148,589148,642148,589
松代藩御預り地2338517,01946817,895
前橋藩4,6565,506808711167,20410178,895176,149178,302176,149
松本藩102,3093,940359413115,27013942122,482127,739123,153127,739
丸亀藩/県31,5175,719103718124,3472,697135,104135,096134,284135,102
舞鶴藩1,7106701038045,56985249,19148,97848,89349,117
丸岡藩89621,4542124920,113188322,90822,79121,70222,791
松尾藩1,64495322644,6781220147,71447,58447,03447,584
真島藩7914781909724,68426,24026,79625,97527,159
松嶺藩3397351,07423,10023,15923,100
松川藩 (元守山)8093731337816,2206017,67316,89617,40417,631
鞠山藩 (元敦賀)1491687947,1667,584
松岡藩5073651393911,6906512,80511,84812,32912,319
福岡藩6,76926,0054,0521,999306,00021,485366,310366,924367,478388,409
福井藩64,8197,3261543,159268,819191467284,941279,529284,542202,511
福山藩54,4234,8185061,173169,6824,668588185,863180,534185,863187,300
府内藩31,2651,06831236329,9263177233,32633,22433,32633,224
福知山藩48456092917027,5821,73416131,13429,30431,13631,037
福江藩71,7191,2791,18711457,9722362,30162,05645,74762,275
福本藩33611705236,6357,197
吹上藩438316650735,95918696,8306,8346,9146,834
[79219] 2011年 8月 22日(月)03:25:22【2】YT さん
藩制一覧表第三~第四
刈谷藩(刈屋)藩:(総)人口を平民人口と解釈。藩士男女合計901人(内、藩士289人、藩士家族612人)、藩卒男女合計313人(内、藩卒129人、藩卒家族184人)、社人10人、僧171人、(総)人口2万6257人、その他一88人、その他二49人。
勝山藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族765人、卒族519人(男女合計619人)、社家18人、寺院141人、(総)人口1万7169人。
神戸藩:総人口を平民人口と解釈。軽卒人口と仕丁人口を卒人口に加算。その他八人口はその他二人口に加算。士卒755人(内、士族427人、卒族171人、軽卒116人、仕丁41人)、社家23人、寺院119人(内、僧75人、男5人、女39人)、総人口9683人、その他二27人、その他八41人。
加知山藩:総人口を平民人口と解釈。士族417人、卒族25人、社家83人、寺138人、比丘尼4人、山伏9人、総人口1万6192人、その他一その他二49人。
米沢藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他十六人員はその他一その他二人員と同等と解釈。(総)人員12万7277人(内、士族1万5801人、卒族2万2438人、社家118人、寺院983人、修験710人、座頭22人、その他一その他二665人(その他十六665人))。
淀藩:人口不詳。
吉田藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員から士卒族・寺社人口を減じて求まる平民人口と農人員、商人員の合計が異なるが、その差を平民人口の記載漏れと解釈。(総)人員5万9867人(族籍合計5万3241人:士族1171人、卒族1718人、社人279人、僧尼98人(内、僧95人、尼3人)、修験348人、農4万7916人、商1711人)、その他一649人、その他二23人。
与板藩:(総)人員を平民人口と解釈。藩士卒人員の内訳不詳。藩士卒1203人、社家60人(内、祝官12人、男17人、女31人)、寺院235人(内、僧106人、女97人、男32人)、(総)人員2万1032人、その他一29人。
吉見藩:士卒族人員以外不詳。外ニ四人士族卒族之内人員を卒人口に加算。士族男女合計274人、卒族男女合計94人、外ニ四人士族卒族之内4人。
吉井藩:(総)人員を士卒族人口と解釈。士卒族人員以外不詳。(総)人員111人(内、士族81人、卒30人)。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、岩鼻県に編入。
高松藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を僧尼人口欠落分と解釈。地士人員、士著之帯刀人人員をそれぞれ士族人口、卒人口に加算(なお、高松藩地士は壬申戸籍では讃岐国のみの固有族籍として集計)。(総)人員30万5191人(族籍合計30万4714人:士族1万0122人(内、男5133人(内、地士1863人)、女4989人(内、地士1700人))、卒族1万7851人(内、男9348人(内、士著之帯刀人1363人)、女8503人(内、士著之帯刀之分1315人))、社家1016人(内、男530人(内、猪熊雅夫家来28人)、女486人(内、猪熊雅夫家来之分35人))、僧1711人(内、男1228人(内、法然寺家来44人)、女483人(内、法然寺家来之分23人))、尼4人、平民26万8238人、その他一4293人(内、男2107人(内、僧10人)、女2186人(内僧之分12人))、その他二1469人)。
高田藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を僧尼人口欠落分と解釈。僧人員と男女合計が異なる。(総)人員16万8776人(族籍合計16万8675人:士族4032人、卒族4439人、社家509人、僧2292人(男女合計2291人)、平民15万5569人、その他一1688人、その他二146人)。
高崎藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他十五人員をその他二人口に加算。明治3年旧暦9月2日(1870年9年26日)調:(総)人員9万7550人(内、士族2815人、卒族1251人、社家222人、神子1人、寺院460人、僧尼俗男女202人(内、僧64人、尼1人、男129人、女8人)、修験9人、座頭65人、瞽女41人、医師28人、検校1人、山伏28人、盲人4人、尼4人、平民9万1066人(内、紀州出稼男女合計155人)、その他一1287人、その他十五66人)。
館林藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他十七人員をその他二人口に加算。明治4年旧暦正月調:(総)人員7万5057人(内、士族1525人、卒族2980人、社家143人、修験94人(内、俗10人)、寺院654人(内、僧327人、女202人、俗125人)、尼4人、平民6万7589人、その他一1845人、その他十七89人、その他二134人)。
大聖寺藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。卒族と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。明治3年調:華族4人、(総)人員4万8736人(内、士族2037人、卒族2184人(男女合計2180人)、社家宮守76人、寺院316人、山伏19人、平民4万4059人、その他一34人)。
館藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。明治3年旧暦5月調:(総)人員7万9792人(内、士族5703人、卒族3559人、社家122人、僧修験459人、平民6万9949人)。
高鍋藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。修験山伏と男女合計が異なる。(総)人員4万3344人(内、士族2097人、卒族7420人、社家698人、寺院139人、修験山伏236人(男女合計136人)、平民3万2510人、その他一その他二244人)。
高槻藩:(総)人員と町屋人員の合計を平民人口と解釈。十八人員をその他二人口に加算。寺社人口不詳。その他士卒2328人(内、士1445人、卒883人)、(総)人員2万1558人、町家1659人、その他一その他二人678人、その他十八234人。
龍野藩:(総)人員を平民人口と解釈。寺社人口不詳。士族2796人、卒540人、(総)人員4万7248人、
田辺藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。小者人員、その他十九人員をそれぞれ卒人口、その他一人口に加算。惣人員5万5076人(内、藩士卒3013人(内、士族男女合計1440人、卒族1161人、小者412)、社家58人、寺院302人、農工商4万8830人、その他一その他十九2873人)。
高島藩:(総)人員を平民人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、その差を『統計集誌』と一致する寺社人口の記載漏れと解釈。士族1933人、卒3070人(小者迄)、(総)人員5万9926人(男女合計6万0500人)。
高遠藩:寺社人口不詳。士族1250人、卒1249人、平民4万5096人、その他一244人、その他二44人。
鶴田藩:(総)人員を平民人口と解釈。士族人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。寺社人口不詳。士2569人(男女合計2538人)、卒1401人、(総)人員2万8201人。
高取藩:その他十七人員をその他二人口に加算。寺社人口不詳。士族576人、卒1355人、平民1万8420人、その他一1645人、その他十七51人。
棚倉藩:(総)人員を士卒族除外総人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。寺社人口不詳。華族19人、士族3145人、卒686人、(総)人員2万6756人(男女合計2万6702人、内、その他一107人、その他二29人)。
高梁藩:寺社人口不詳。士族1726人、卒1231人、平民2万2003人、その他一866人。
多度津藩:総人員を平民人口と解釈。華族5人、士族379人、卒884人、社家40人、山伏30人、総人員2万1687人、その他一121人、その他二59人。明治4年旧暦2月5日(1871年3月25日)、倉敷県に編入。
高須藩:境内ノ者十軒人員を僧尼人口に加算。士族1231人、卒1221人、社人男女合計159人、寺217人、境内ノ者十軒男女合計30人、平民2万3353人、その他一104人、その他二105人。明治3年旧暦12月23日(1871年2月12日)、名古屋藩に編入。
田原藩:華族12人、藩中894人、士族男女合計598人、卒男女合計296人、社家男女合計27人、仏寺男女合計212人(内、僧176人、女36人)、平民2万1752人、その他一80人、その他二32人。
丹南藩:(総)人員を平民人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、後者を採用。士卒族家族人員を士族人口に加算。華族3人、士族129人、卒族134人、士卒族家族男女合計581人、社家26人、寺男女合計63人(内、僧59人、下男4人)、非寺里16人、(総)人員7878人(男女合計7812人)、その他一30人。
龍岡藩:平民人員と男女合計が異なるが、後者を採用。夫卒夫人人員を卒人口に加算。士族468人、卒189人、夫卒夫人72人、寺院男女合計人106人(内、僧77人、坊守11人、女14人、下男4人)、修験院男女合計26人(内、修験9人、男8人、女9人)、平民1万2559人(男女合計1万2550人)。明治4年旧暦6月2日(1871年7月19日)に、長野県・伊那件県分割編入。
多胡藩(多古藩):(総)人員を平民人口と解釈。士卒人員内訳不詳。寺社人口不詳。華族5人、士卒501人、(総)人員7241人、その他一5人、その他二10人。
田原本藩:(総)人員を平民人口と解釈。寺社人口不詳。士族263人、卒158人、(総)人員3942人、その他一40人、その他二36人。
館山藩:(総)人員を平民人口と解釈。西宮恵美須大夫配下人員を僧尼人口に加算。華族3人、士卒433人(内、士族男女合計288人、(内、士族98人、女190人)、卒族男女合計145人(内、卒110人、女35人))、社70人、僧80人、修験34人、陰陽師11人、西宮恵美須大夫配下7人、堂13人、(総)人員2万3202人。
高岡藩:(総)人員を平民・寺社人口と解釈。寺社人口不詳。華族5人、士263人、卒43人、(総)人員7935人。
高富藩:その他二十人員をその他一人口に加算。士306人、卒55人、社45人、寺庵69人、修験26人、瞽女2人、庶人6100人、その他一その他二87人。その他二十18人。
田安藩:(総)人員を平民人口と解釈。一季抱人員と男女合計が異なるが、前者を採用。一季抱人員を卒人口に加算。士卒族合6438人(内、士族5045人、卒族1199人、一季抱人員194人(男女合計94人))、神社364人、寺院1130人、(総)人員8万4743人。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、廃藩。
園部藩:(総)人員を平民人口と解釈。士族829人、卒1655人、社人35人、僧尼193人、(総)人員3万4183人。
曾我野藩:(総)人員を総人口と解釈。(総)人員1万0612人(内、華族6人、士族170人、卒99人、社務人12人、僧29人、平民1万0235人、その他二61人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
津藩14,8061,9846981,388218,6188,6241,564247,682224,418244,243244,252
津山藩1,636708842848,2794,53515,526106,437106,462106,337
津和野藩9673,29239548063,54558469,26365,26369,267
土浦藩2,7961,18638372,2771,18077,82278,27874,79978,278
鶴舞藩41,1882,13618944859,53314621863,86263,41362,61163,858
鶴牧藩561341667219,58720,62720,68921,58620,689
名古屋藩15,64433,6964,7939,956817,5872,5596,001890,236921,517918,141917,497
中津藩7,13395690589,54898,542100,40399,147100,403
中村藩813,4533,42646777845,5885611763,89363,11063,89363,110
長尾藩1,1991,12639833472,37975,43675,48776,35173,283
長岡藩83,1735,0524140526,7001535,394
長島藩652555321914,1681333415,76415,76415,77115,764
成羽藩3893731293916,15829317,38117,83517,39717,930
苗木藩608333964423,7481815325,00025,03425,18325,034
七日市藩5226,4726,4996,9927,0246,992
村上藩1,8381,7709871774,76984280,03480,03480,00483,004
村松藩1,7852,10211037432,609196837,18436,98037,19236,980
邨岡藩304247132414,8441884815,66815,47615,69015,482
六浦藩33244610510811,8993471912,85111,91512,86011,915
宇和島藩2,6464,0268111,341156,1264,402160169,512169,512169,525169,512
臼杵藩23,7413,12926575169,94125918378,27127,92378,98678,244
上田藩1,8861,74423635957,1088941362,24061,33362,23062,240
宇都宮藩73,0561,20647627854,8923328760,33458,36660,18058,761
牛久藩443434648,07228428,6788,6049,0708,674
宇土藩390334724
延岡藩42,1204,0221,082864116,189266323124,870122,277125,750122,277
野村藩27519749977,97029218,6389,2438,5668,771
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藩制一覧表第二~第三
岡崎藩:(総)人員を総人口と解釈。(総)人員5万2814人(内、華族8人、士族1546人、卒1595人、社務人198人、僧878人(男女合計873人)、尼3人、平民4万8352人、その他一97人、その他二142人)。
大野藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人員3万1031人(内、士族1343人、卒487人、社家男女合計52人(内、社人27人、女25人)、寺男女合計290人)。
大多喜藩:(総)人口を平民人口と解釈。十六戸別ニ人口を平民人口に加算。士族698人、卒113人、社務男女合計87人、寺男女合計276人、(総)人口2万1481人、十六戸別56人、その他一37人、その他二86人。
大溝藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族537人、卒族349人、社務人4人、僧195人、尼7人、(総)人口1万1433人、その他一57人、その他二143人。明治4年旧暦6月23日(1871年8月9日)、大津県に編入。
岡田藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士卒族人口、士族人口、卒人口と男女合計が異なるが、それぞれ前者を採用。その他六人口をその他二人口に加算。士卒族1123人(男女合計1012人:男513人、女499人、小兒130人、内、士族470人(男女合計405人)、卒653人(男女合計557人))、(総)人口1万6231人(男女合計1万6319人、内、社務男女合計66人、寺男女合計55人(内、僧48人、尼7人)、その他一1051人、その他六173人)。
小野藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族691人(内、士386人、卒305人)、神主28人、寺男女合計37人(内、僧27人、尼5人、外ニ僧4人、女1人)、(総)人口7395人。
小幡藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士卒族人口内訳不詳。士卒族639人、社家39人、修験男女合計12人、寺男女合計76人(内、僧57人、僕19人)、(総)人口1万3257人(男女合計1万3243人)、その他一145人、その他二17人。
萩野山中藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人戸、士卒族人戸、士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。外ニ卒人戸を卒人口に加算。士卒族345人(男女合計340人、内、士族285人(男女合計283人)、卒57人)、外ニ卒25人、社人52人、僧42人、修験4人、(総)人口1万2255人(男女合計1万2241人)、その他一299人、その他二61人。
小久保藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。小者を卒人口に加算。(総)人口9750人(男女合計9717人、内、士族361人、小者31人、社人39人、寺男女合計59人(内、僧49人、道心9人、比丘尼1人))。
生実藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族卒族人口と士族・卒人口の合計が異なるが、戸数比から卒人口を誤記と解釈し、士族卒族人口と士族人口を採用。士族卒族540人(内、士族314人、卒126人)、社人男女合計25人、僧77人、(総)人口8785人、その他一33人。
大田原藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士卒族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人員1万2535人(内、士卒族724人(男女合計757人、内、士族608人、卒族149人)、寺男女合計32人(僧16人、又13人、尼3人)、その他一合計117人、その他二合計43人)。
小見川藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族人口として二つ数字が挙げられているが、他統計との比較から多い方を士卒族人口、少ない方を士族男女合計人口と解釈。士卒族377人(または288人、内、士族74人、女91人)、社人29人、僧31人、修験11人、(総)人口8264人、その他一34人。
和歌山藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族人口の内訳不詳。士卒族3万7793人、社人男女合計419人(内、社人187人、女232人)、寺院男女合計5488人(内、僧2899人、男761人、尼192人、女1636人)、修験男女合計140人(内、修験46人、女94人)、(総)人口45万8826人、その他一2万6064人。
金沢藩:(総)人口を平民人口と解釈。中間小者、その他十四等をそれぞれ平民人口、その他一人口に加算。士族2万8683人、卒族2万7038人、神社1799人、寺1万3326人、中間小者5938人、(総)人口99万7669人、その他十四等1万1695人。
鹿児島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。琉球人口を琉球の士族未満の族籍人口と解釈。士族以外の族籍人口内訳不詳。(総)人口89万6808人(内、士族19万2949人、琉球国士分以上5万1751人、足軽以下57万9405人、琉球国人口7万2703人)。
高知藩:(総)人口を士卒族・平民人口と解釈。(総)人口49万5936人(内、士族3万0506人、卒族1万7681人)、神職修験等4214人、寺院1572人、その他一1万6894人。
高知新田(山内)藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族男女合計222人、卒族男女合計79人、社人男女合計8人、寺男16人、(総)人口男女合計2810人。明治3年旧暦9月25日(1870年10月19日)、高知藩に編入。
亀岡藩:(総)人口を他統計戸の比較から平民人口と解釈(記載通りだと(総)人口は士卒族人口を含む)。藩士人口を士族人口に加算。藩士682人、士族2034人、卒族724人、社務人69人、寺男女合計285人(内、僧231人、尼13人、女41人)、(総)人口4万5253人。
唐津藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口6万3226人(内、士族998人、卒族4237人、社家564人、寺院327人、その他一505人)。
亀山藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士卒3667人(内、士族1373人、卒族2294人))、(総)人口4万1924人(内、社家202人、僧尼671人、修験40人)。
川越藩:(総)人口を平民人口と解釈。社家人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。士族2447人、卒族1416人、社家173人(男女合計175人)、寺333人、(総)人口5万7623人、その他一713人、その他二46人。
笠間藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士卒族人口内訳不詳。士卒族3255人、(総)人口4万4046人(内、社家244人、寺191人、修験28人、その他一その他二139人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
加納藩71,4882077139626,9341526329,38129,49429,47529,484
亀田藩41,2081,5077951220,5434523,89823,87823,80423,894
上ノ山藩6257536222529,57615831,39931,44931,51731,449
鹿島藩51,6441,848471959,989373213,79713,72313,77113,792
鴨方藩349460313210926,25020527,79627,69327,79627,481
柏原藩6332736119417,31418,47518,47518,55118,475
烏山藩75540313712226,95012828,49528,49427,68628,494
刈屋藩9013131017126,257884927,78927,82127,84327,821
勝山藩7655191814117,16918,61218,61218,65718,612
神戸藩427328231199,6836810,64810,39710,60310,397
加知山藩417258315116,1024916,82716,08416,82916,827
米沢藩15,80122,4381181,71586,540665127,277129,753128,765129,753
淀藩064,72872,78665,439
吉田藩1,1711,71827944649,8676492354,15353,91354,16053,913
与板藩1,2036023521,0322922,55922,53022,53122,530
吉見藩2749837214,01114,14913,783
吉井藩8130111
高松藩10,12217,8511,0162,192268,2384,2931,479305,191293,775305,197299,223
高田藩4,0324,4395092,393155,5691,688146168,776171,056168,842171,056
高崎藩2,8151,25122384291,0661,2876697,55094,27697,80091,473
館林藩1,5252,98014375267,5891,84522375,05772,98576,74772,985
大聖寺藩42,0372,1847633544,0594548,74048,03648,76648,736
館藩5,7033,55912245969,94979,79279,74277,80579,742
高鍋藩2,0977,42069837532,51024443,34443,33443,34943,334
高槻藩1,44588323,21767823426,45726,05554,92825,426
龍野藩2,79654047,24850,58450,87951,05150,879
田辺藩1,4401,5735830248,8302,87355,07655,07663,10355,076
高島藩1,9333,07057459,92621265,71562,94565,35666,883
高遠藩1,2501,24945,0962444447,88347,88347,88847,883
鶴田藩2,5691,40128,20132,17132,56733,61332,573
高取藩5761,35518,4201,6455122,04722,25022,39022,250
棚倉藩193,14568626,6201072930,60630,45130,60630,451
高梁藩1,7261,23122,00386625,82626,24526,33226,245
多度津藩5379884403021,6871215923,205
高須藩1,2311,22115924723,35310410526,420
田原藩125982962721221,752803223,00922,88723,60022,989
丹南藩371013426797,812308,7948,7668,8238,746
龍岡藩46826113212,55013,41113,53413,652
多古藩55017,2415107,7628,2517,8968,249
田原本藩2631583,94240364,4394,3634,5214,363
館山藩32881457014523,20223,85323,85023,68023,850
高岡藩5263437,9358,2468,2948,2898,284
高富藩3065545976,1001056,7086,7086,7126,708
田安藩5,0451,3933641,13084,74392,675
園部藩8291,6553519334,18336,89536,89535,82836,895
曾我野藩617099122910,2356110,61210,60610,61210,612

加納藩:惣人員を華士卒族除外総人口と解釈。寺人口と男女合計が異なるが、後者を採用。惣人員と族籍合計が異なるが、後者を採用。姓を平民人口に加算。華族7人、士族1488人、卒207人、惣人員2万7656人(族籍合計2万7676人、または2万7679人、内、社家71人、寺393人(男女合計396人:僧238人、俗21人、女134人、尼3人)、百姓2万3970人、町人2706人、姓258人、その他一15人、その他二263人)。
亀田藩:惣人員を士卒族・平民人口、惣計を華族除外総人口と解釈。寺院人員と男女合計が異なるが、後者を採用。華族4人、惣計2万3894人(内、惣人員2万3258人(内、士族1208人、卒1507人、平民百姓1万9113人、町人1430人)、社家79人(内、男33人、女30人、下男16人)、修験182人(内、男66人、女89人、下男27人)、寺院314人(男女合計330人:僧199人、尼16人、女31人、下男84人)、その他一45人)。
上山(上ノ山)藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を羽前その他一その他二3軒と解釈し、その他一人口に加算。その他一並その他十五と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人員3万1399人(族籍合計3万1383人:士族625人、卒753人、社人47人、越後地社人15人、山伏(修験)6人、越後地山伏8人、僧女68人、越後地僧女42人、尼3人、越後地尼7人、僧43人、越後地僧48人、平民1万1507人、越後平民1万8069人、越後その他一並その他十五146人(男女合計142人))。
鹿島藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、後者を採用。佐賀藩卒人口と蓮池藩卒人口を卒人口に加算。華族5人、(総)人口1万3721人(族籍合計1万3723人:士族1644人、卒1823人、佐賀藩卒19人、蓮池藩卒6人、社家47人、寺院148人(内、僧111人、女37人)、山伏47人、百姓8126人、町人1863人)、その他一37人、その他二32人。
鴨方藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。平民人員と男女合計が異なるが、その他一人口が含まれると解釈。軽卒人口を卒人口に加算。華族3人、(総)人員2万7793人(内、士族494人、卒291人、軽卒312人、社家132人、僧5人、山伏104人、平民2万6455人(内、その他一205人))。
柏原藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士族633人、卒族273人、(総)人口1万7569人(内、社家61人、寺149人、修験24人、尼僧21人)。
烏山藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。(総)人口、朱書、男女合計が異なるが、後者二つは狭い意味での平民人口と考え、前者を採用。雇卒族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。雇卒族人口を卒人口に加算。士族755人、卒族76人、雇卒族328人(男女合計327人)、(総)人口2万7209人(朱書2万6912人、男女合計2万6914人、内、神主137人、寺122人(内、僧101人))、その他一128人。
[79217] 2011年 8月 22日(月)03:19:57【1】YT さん
藩制一覧表第一~第二
新谷藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と族籍合計、町郷人口と男女合計が異なるが、平民人口の記載漏れがあると解釈し、(総)人口から士卒族・寺社・その他人口を減じた値を平民人口として採用。(総)人口1万4321人(族籍合計1万4293人:士族299人、卒族409人、社人112人、僧15人、修験25人、町郷1万2599人(男女合計1万2566人)、その他一834人)。
西端藩:(総)人口を華士卒除外総人口と解釈。士族卒族362人(内、士族275人、卒族87人)、(総)人口1万2442人(内、神職101人、僧尼111人、修験2人、その他二23人)。
西大平藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族237人、卒族40人、社務21人、僧侶246人、(総)人口6945人、その他二40人。
本荘(本庄)藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口2万6241人(内、士卒族2667人(内、士族1402人、卒1265人)、社家335人、寺239人、その他一89人)。
堀江藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族5人、(総)人口7670人(内、士卒族290人(内、士族203人、卒87人)、社人男女合計19人、寺57人、修験男女合計16人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
徳島藩10,44320,2021,7872,035679,555714,022714,022123,028714,022
鳥取藩8,60524,2051,7522,881331,0233,783816373,065373,065371,654378,734
豊津藩56,2539,9807331,04293,3896,35682117,840111,397117,843117,835
富山藩7,2579,5151811,665113,0861,434133,138132,415116,750132,415
豊浦藩33,5775,0884641,03764,96050946176,09975,21876,88775,218
豊橋藩42,1201,12251290470,4411,12976,23276,10877,03076,108
徳山藩2,0032,14715033849,83354,47154,47955,853
鳥羽藩61,19154228522850,8922899453,5274,23352,79754,233
豊岡藩34313625013717,38621414518,72819,51819,03619,036
斗南藩00075,467
千束藩4464839304,807125,7875,7925,8665,804
龍崎藩2377673579,167369,6469,6429,6499,642
沼田藩1,167598824239,5401,0125842,49921,40241,04721,428
岡山藩9,7387,7992,7721,032328,3499,128358,818358,337350,897358,327
大泉藩5,3929,7056892,25776,98829695,32795,32795,34795,356
小浜藩4,2371,9752881,01298,445105,957105,434113,612111,975
大垣藩53,1152,640811,80571,23678,88278,90178,70978,901
岡藩72,2954,10461768069,1846435177,58176,40477,58176,404
忍藩32,3513,121341753103,7392,72342113,073110,305114,003113,703
大洲藩1,1303,88856835193,6034,751104,291104,24897,758104,259
大村藩9,3713,942289192106,250495120,539122,174120,549125,039
小城藩3,0414,48812619632,63297540,58541,18333,43841,183
飫肥藩5,8846,71645192434,03627448,28548,18148,83748,181
小田原藩3,8911,5071,77384,25790814492,48092,83392,83792,883
岡崎藩81,5461,59519887648,3529714252,81452,95852,81952,960
大野藩1,3434875229028,85931,03130,62931,11530,629
大多喜藩6981138727621,537378622,83422,67822,68622,649
大溝藩537349420211,4335714312,72512,31912,461
岡田藩470653665516,0251,05117318,49317,46517,48017,472
小野藩38630528377,3958,1518,1468,1678,146
小幡藩639398813,2431451714,17114,00714,20414,007
萩野山中藩28382524612,2412996113,06412,95713,01812,982
小久保藩3613139599,2279,7179,7619,7819,761
生実藩31422625778,785339,46010,33010,31110,330
大田原藩6081493211,5861174312,53511,46512,53511,531
小見川藩2888929428,264348,7468,2898,2218,289
和歌山藩37,7934195,628458,82626,064528,730528,408540,952528,408
金沢藩28,68327,0381,79913,3261,003,60711,6951,086,1481,080,2101,086,1591,065,910
鹿児島藩244,700652,108896,808772,354896,817896,808
高知藩30,50617,6814,2141,572447,74916,894518,616516,866516,545516,867
山内藩222798162,8103,135
亀岡藩2,7167246928545,25349,04749,22851,81449,572
唐津藩9984,23756432756,59550563,22662,70563,22962,706
亀山藩1,3732,29420271141,01145,59145,59145,59745,696
川越藩2,4471,41617533357,6237134662,75361,99462,76061,994
笠間藩3,25524421943,44413947,30147,83247,83947,832

徳島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口71万4022人(内、士卒族3万0645人(内、士男女合計1万0443人、卒男女合計2万0202人)、社家1787人、寺2035人(内、僧1869人、尼346人))。
鳥取藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。大山領人口を平民人口に加算。(総)人口37万1640人(内、士族8605人、卒族2万4205人、社家1752人、寺院2013人(内、男1754人(内、僧1313人)、女2159人(内、寺持尼4人、尼98人))、修験749人、陰陽師22人、虚無僧97人、その他一3783人、その他二816人)、大山領1425人。
豊津藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族5人、(総)人口11万7835人(内、士卒族1万6233人(内、士族6253人、卒9980人)、社家733人、寺1042人、その他一6356人、その他二82人)。
富山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族人口と男女合計が異なるが、士卒族人口との比較から前者を採用。(総)人口13万3415人(男女合計13万3138人、内、士卒族1万6772人(内、士族7257人(男女合計6757人)、卒9515人)、社家181人(内、男127人(内、下男5人)、女54人(内、下女10人))、寺1665人(内、男1055人(内、僧1015人)、女610人(内、尼76人))、その他一1434人。
豊浦藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。陪卒人口と男女合計が異なるが、士卒人口との比較から後者を採用。寺人口は804人と1037人の統計が存在するが、『統計集誌』と一致する後者を採用。准士人口、陪卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。知事家族3人、(総)人口7万6096人(内、士卒族8665人(内、士族2121人、准士1456人、卒3601人、陪卒4487人(男女合計1487人))、社家464人、寺804人(内、僧700人、尼104人、又は寺院1037人:僧680人、尼104人、女253人)、その他一509人、その他二461人)。
豊橋藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他一その他九人口をその他一人口に加算。知事家族4人、(総)人口7万6228人(内、士卒族3242人(内、士族2120人、卒1122人)、社家512人、寺院・修験・堂守・陰陽師904人(原書884人)、その他一その他九1129人)。
徳山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口5万4471人(内、士卒族4150人(内、士族2003人、卒2147人)、社家150人、寺院338人(原書346人))。明治4年旧暦6月19日(1871年8月5日)、山口藩に編入。
鳥羽藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族6人、(総)人口5万3521人(内、士族1191人、卒族542人、社家285人、寺228人(内、男(僧)206人、女22人)、その他一289人、その他二94人)。
豊岡藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。明治2年調:知事家族3人、惣人口1万8725人(内、士族431人、卒族362人、社家50人、寺129人、尼僧8人、その他一214人、その他二145人(男女合計142人))。明治3年調:惣人口1万9033人。
斗南藩:人口不詳。
千束藩:華族除外総人口と解釈。(総)人口5787人(内、士族446人、卒族483人、神主9人、寺男女合計30人、その他二12人)。
龍ヶ崎(龍崎)藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。士族237人、卒族76人、神主73人、寺院57人、(総)人口9167人、その他十35人。
沼田藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口4万2499人(内、士族1167人、卒族598人、社人男女合計82人、寺42人、その他一1012人、その他二58人)。
岡山藩:総人口を華族除外総人口と解釈。総人口と族籍合計、男女合計が異なるが、男女合計を採用。庶民人口と男女合計が異なるが、後者を採用。総人口35万8827人(族籍合計35万8810人、男女合計35万8818人、内、士族9738人、卒族7799人、社家2772人、寺709人、山伏323人、庶人32万8341人(男女合計32万8349人)、その他一(但しその他十一その他六共)9128人)。
大泉藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。寺人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族5392人、卒族9705人、(総)人口7万9934人(内、社人673人、神子16人、寺1604人(男女合計1974人)、修験283人)、その他一その他二296人。
小浜藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口10万5957人(内、士族4237人、卒族1975人、社家男女合計288人、寺男女合計953人(内、男681人、女272人(内、尼12人))、修験者男女合計59人)。
大垣藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。南宮社領、金蓮寺領。妙応寺領、乙津寺領、阿願寺の人口は全体に含まれるものとして非加算。知事家族5人、(総)人口7万8867人(男女合計7万8877人、内、士族3115人、卒族2640人、社家81人、寺1805人、南宮社領979人、金蓮寺領194人(内、男100人、僧4人、女90人)、妙応寺領35人、乙津寺領87人(内、男50人、僧4人、女23人)、阿願寺21人(内、男9人、僧4人、女8人))。
岡藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社務人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。知事家族7人、(総)人口7万7574人(内、士族2295人、卒族4104人、社務617人(男女合計717人)、寺548人、修験109人、座頭23人、その他一643人、その他二51人)。
忍藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺人口と男女合計が異なるが、後者を採用。社寺領人口を平民人口に加算。知事家族3人、(総)人口11万3070人(内、士族2351人、卒族3121人、社家341人、寺723人(男女合計753人)、社寺領473人、その他一2723人、その他二42人)。
大洲藩:(総)人口を平民人口と解釈。軽卒人口を卒人口に加算。士卒族5018人(内、士族1130人、卒族1368人、軽卒2520人)、社人568人、僧351人(内、尼5人)、(総)人口9万3603人、その他一4751人。
大村藩:総人口を華族除外総人口と解釈。兵卒人口を卒人口に加算。総人口12万0539人(内、士族9371人、兵卒1005人、卒族2937人、社人289人、僧192人、その他一495人)。
小城藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。社家人口と男女合計が異なるが、統計集誌と一致する前者を採用。 副士人口を士族人口に加算。士族1632人、副士1409人、卒族4488人、社家126人、寺173人(男女合計73人)、修験23人、(総)人口3万3332人(男女合計3万2632人)、その他一97人、その他二5人。
飫肥藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。浮世人(伊藤家旧臣無禄者)、その他一その他十二人口をそれぞれ平民人口、その他一人口に加算。(総)人口4万8285人(内、士族5882人(男女合計5884人)、卒6716人、社人451人、山伏651人、寺院273人、浮世人(伊藤家旧臣無禄者)1万2892人、その他一その他十二274人)。
小田原藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族人口と男女合計、その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。その他十三人口をその他一人口に加算。士卒族5398人(内、士族2891人(男女合計3891人)、卒族1507人)、僧尼1721人、修験23人、陰陽師7人、舞太夫22人、(総)人口8万4257人、その他十三908人、その他二143人(男女合計144人)。
[79216] 2011年 8月 22日(月)03:14:32【2】YT さん
藩制一覧表第一
藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
厳原藩10,9604,10291067966,62449683,77183,77183,79283,771
岩国藩3,7184,4792772638,73787,95190,39387,635
今治藩1,6972,05175061265,8484,03674,99474,99475,10274,994
飯山藩8695827031630,1304442732,43832,43832,63932,325
犬山藩1,3641,17314345750,1659112353,51653,61753,54053,732
出石藩1,5011,2846439132,20163619736,27435,31635,21335,316
岩邑藩273036,7291022036,90836,90937,14536,909
一関藩1,6581,1491475623,11326,12327,39726,19727,399
岩崎藩5472432625617,39718,46918,46918,48618,469
岩槻藩1299473916823038,3342447040,79140,80241,23440,585
飯野藩638203921321,28773723,08723,08023,20523,080
飯田藩61,0755044219426,58022228,62328,17528,39328,396
磐城平藩1,4817052695613,699813816,32915,42215,37716,339
生坂藩3221816797,490938909,0979,09710,1269,097
石岡藩9011881237516,91310018,30018,00218,11318,102
今尾藩1,33735314629725,96828,10118,73418,74718,734
伊勢崎藩815154707420,0565843421,78720,98621,66320,986
一宮藩31912113,7146014,21414,53314,54114,533
泉藩2095118279,409989,81210,72510,35117,025
岩村田藩34815595459,6413061510,6059,97910,20010,606
蓮池藩1,7703,5629021925,6248431,34931,35931,46131,359
花房藩1,28870033441461,52013711164,50463,47264,50563,282
八戸藩2,9271,04163,6255467,64742,60368,19542,603
伯太藩3672462213110,14529411,20511,20411,21111,240
林田藩497455126810,11864511,79511,795011,795
半原藩65716810112213,824242615,12015,12215,11715,071
西尾藩1,4951,66914760851,1191038355,22457,06054,34755,850
二本松藩2,5271,7637013732,725493637,30737,33537,34837,307
庭瀬藩502446526720,3818618122,39021,50221,88621,502
新見藩59261220311215,12659417,23917,27817,17917,278
西大路藩352416411138,0121729,1068,9268,8418,681
新谷藩2994091124012,62783414,32114,35114,35714,351
西端藩2758710111312,2052312,80412,78112,81212,826
西大平藩23740212466,945407,5297,3187,2727,358
本庄藩1,4021,26533523922,9118926,24126,24126,25726,241
堀江藩52038719737,2887,6757,7397,6957,739

厳原藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族1万0960人(男女合計1万0970人)、卒族4102人、社人910人、寺院並盲僧679人、(総)人口6万6624人、その他一496人。
岩国藩:山伏人口と男女合計が異なるが、後者を採用。郷士人口、陪卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。総人口または平民人口不詳。士族3533人、郷士185人、卒族2715人、陪卒1764人、社家277人、山伏155人(男女合計157人)、盲僧106人。
今治藩:総数人口を華族除外総人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、平民人口が『統計集誌』と一致する前者を採用。総数人口7万4994人(内、士族1697人、卒族2051人(男女合計1951人)、社人750人、寺男女合計202人(内、僧192人、尼10人)、修験410人、その他一4036人)。
飯山藩:総人口を平民・寺社人口(社家女、寺院女を除く)と解釈。士族869人、卒族582人、総人口7万4994人(内、神主30人、神子2人、僧180人、山伏18人、尼5人)、社家女38人、寺院女113人、その他一444人、その他二27人。
犬山藩:総人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。明治3年旧歴10月2日(1870年10月26日)調:総人口5万3302人(内、士族1364人、卒族1173人、社家143人、寺457人(内、修験60人)、その他一91人、その他二123人)。明治3年旧暦閏10月調:総人口5万3309人(内、社家男女合計165人、寺院陰陽師堂守修験442人(内、寺院男女合計361人、陰陽師男女合計3人、堂守男女合計34人、修験男女合計44人))。
出石藩:医師人数、その他四人口、その他三人口をそれぞれ僧尼人口、その他一人口、その他二人口に加算。旧暦11月調:士族1501人、卒族1284人、社人10人、神子6人、山伏10人、寺男女合計251人(内、僧197人、尼25人、女29人)、町在3万2201人、その他一444人、その他三197人、その他四192人。但馬国支配地の追補(旧暦2月調):社人家族共36人、神子家族共12人、山伏家族共12人、医師99人。
岩村(岩邑)藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。美濃国土岐郡戸籍追加人口、僧尼人口と男女合計が異なるが、共に後者を採用。その他五人口をその他二人口に加算。士卒族人口不詳。(総)人員3万1141人 、美濃国土岐郡戸籍追加人口5788人(男女合計5767人、内、神職27人、僧尼24人(男女合計30人)、その他五20人)、その他二その他一102人。
一関藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社人人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。(総)人口2万6123人(内、士族1658人、卒族1149人、社人47人(男女合計147人)、僧56人)。
岩崎藩:(総)人口を他統計との比較から平民人口と解釈(記載通りだと(総)人口は士卒族人口を含む)。士族547人、卒族243人、社人26人、僧256人、(総)人口1万7397人。
岩槻藩:(総)人口を平民・その他二人口と解釈。士卒族人口は校訂前の数字と解釈。知事家族12人、士卒族1683人(族籍合計1733人:士族994人、卒族739人)、社人168人、寺226人(内、僧195人、男30人、女1人)、修験4人、(総)人口3万8404人(内、その他二70人)、その他一244人。
飯野藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。士族638人、卒族203人、社家9人(内、男6人(内、神主4人)、女3人)、寺213人(内、庵13人、僧142人(内、僧129人、尼13人))、(総)人口2万1433人(男女合計2万1287人)、その他一737人(内、僧2人)。
飯田藩:(総)人口を平民人口と解釈。明治3年調:知事家族6人、士族1075人、卒族504人、社人男女合計42人、山伏男女合計27人、寺167人(内、男136人、女31人(内、尼5人))、(総)人口2万6580人、その他一その他二222人。明治2年調:(総)人口2万6418人。
磐城平藩:総人口を華族除外総人口と解釈。総人口と族籍合計が異なるが、後者を採用。明治3年調:総人口1万6339人(族籍合計1万6329人:士族1481人、卒族705人、社家269人、僧56人、平民1万3699人、その他一81人、その他二38人)。
生坂藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、他統計と一致する前者を採用。軽卒人口、その他六人口をそれぞれ卒人口、その他二人口に加算。(総)人口9097人(男女合計9021人、内、士族322人、卒族174人、軽卒7人、社家67人、僧9人、その他一938人、その他六90人)。
石岡藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。士族901人、卒族182人(男女合計188人)、社家123人、寺48人、修験27人、(総)人口1万6913人、その他一その他二100人。
今尾藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士族1337人、卒族353人、(総)人口2万6411人(内、神社男女合計136人、寺男女合計261人、修験堂34人、庵室2人)。
伊勢崎藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族並を卒人口に加算。士族815人、卒族115人、卒族並39人、神主70人、僧74人、(総)人口2万0056人、その他一584人、その他二34人。
一宮藩:(総)人口を士卒族・平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。寺社人口不詳。(総)人口1万4204人(男女合計1万4154人、内、士族319人、卒族121人)、その他一60人。
泉藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族209人、卒族51人、(総)人口9603人(男女合計9454人、内、社人16人、祢宜2人、僧27人)、その他一98人。
岩村田藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、戸数から前者を採用。その他一男女合計を神社・寺・庵人口の誤記と解釈。士族348人、卒族155人、修験45人、(総)人口9641人、その他一306人(男女合計95人)、その他二15人。
蓮池藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万1349人(内、士族1770人、卒族3562人、社人男女合計90人、寺男女合計219人、その他一84人)。
花房藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口6万1410人(男女合計6万4504人、内、士族1288人、卒700人、社務人334人、寺院319人(内、男306人、女12人、尼1人)、修験18人、陰陽師77人、その他一137人、その他二111人)。
八戸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺社人口不詳。(総)人口6万7647人(内、士族2927人、卒族1041人、その他一54人)。
伯太藩:(総)人口を平民・その他人口と解釈。士卒族人口と士卒族男女合計、士族男女合計と卒男女合計の合計が異なるが、ここでは士族男女合計と士卒族男女合計の値を採用。士卒族615人(男女合計613人、内、士族男女合計367人、卒男女合計207人)、社人22人、寺131人、(総)人口1万0439人(内、その他一294人)。
林田藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万1795人(内、士族497人、卒族455人、社務人12人、寺68人、その他一645人)。
半原藩:総戸数人口を総人口、(総)人口を平民人口と解釈。総戸数人口と族籍合計が異なるが、後者を採用。総戸数人口1万5122人(族籍合計1万5120人:士族657人、卒168人(内、小者74人、卒女55人)、社務101人、僧122人、(総)人口1万3824人、その他一242人、その他二6人)。
西尾藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、男女合計を平民人口、残りを寺社・その他人口の合計と解釈。(総)人口と男女合計・寺社・その他人口の合計は異なるが、後者を採用。士族人口と男女合計、士卒人口と士族・卒人口の合計は一致せず、士族人口の男女合計、卒人口を採用。その他七人口をその他二人口に加算。士卒3245人(内、士族1507人(男女合計1495人)、卒1669人)、(総)人口5万2078人(族籍合計5万2060人:男女合計5万1119人、社人147人(内、社務人25人、男41人、女81人)、寺庵合計608人(明治2年調:僧402人、女141人、山伏3人、尼32人、道心30人)、その他一103人、その他七83人)。明治3年調:社家122人、寺庵578人、山伏3人。
二本松藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万7307人(内、士卒族4290人(内、士族2527人、卒1763人)、社家70人、寺137人(内、男(僧)120人、女17人)、その他一49人、その他二36人)。
庭瀬藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族502人、卒族416人(男女合計446人)、社人男女合計52人、僧62人、山伏5人、(総)人口2万0381人、その他一861人、その他二(その他四・その他八)81人。
新見藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族合1204人(内、士族592人、卒族612人)、社人203人、寺男女合計81人(内、僧71人、尼10人)、修験31人、(総)人口1万5126人、その他一594人。
西大路藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口9106人(内、士卒族768人(内、士族男女合計352人(内、士族男168人、女184人)、卒男女合計416人(内、卒男211人、女205人))、社人男女合計41人、寺男女合計113人(内、僧86人、女27人)、その他一171人(男女合計172人))。
[79215] 2011年 8月 22日(月)03:07:19【1】YT さん
藩制一覧による府藩県三治制時代の人口統計
久々の投稿です。今更ながら、以前[76164][76307]などでまとめると予告していた、『藩制一覧』による府藩県三治時代の人口統計がまとまりました。府藩県三治時代の人口統計は、[76313]に示すように、私は以下の4種類を確認しています。

A: 『藩制一覧』
 調査年月:「明治2、3年に渡り各藩より上申せしもの」
 調査対象:280藩

B: 『府藩県石高人口表』
 調査年月:「明治2乙巳年調」
 調査対象:3府266藩40県。
 使府藩県名の時期:明治4年旧暦2月5日(1871年3月25日、多度津藩廃藩)以降、旧暦4月10日(1871年5月28日、丸亀藩廃藩)よりも前

C: 『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)
 調査年月:「明治3年庚午年の調査によると雖も、間には明治2年巳年の調査を以て之を補うものあり」
 調査対象:1使3府265藩41県
 使府藩県名の時期:明治4年旧暦4月10日(1871年5月28日、丸亀藩廃藩)以降、旧暦6月2日(1871年7月19日、龍岡藩廃藩)よりも前

D: 『明治史要』「使府県戸口概表」
 調査年月:「明治4年7月14日」
 調査対象:1使3府302県
 使府藩県名の時期:廃藩置県時

この内、B、C、Dについては[76313][76314][76315](資料B,C,Dの人口比較)、[76316][76317][76328](資料Cの族籍別人口)、[76327][76745][76746][76747](資料B,C,Dの石高比較)でまとめており、今回まとめるのは『藩制一覧』(資料A)による族籍別人口です。本書に記述されている藩としては、明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)に廃藩した吉井藩、狭山藩、田安藩、一橋藩が登場しますが、

明治2年旧暦6月17日(1869年7月25日)、版籍奉還前に鳥取藩へ編入された鹿奴藩(鳥取新田藩)
明治3年旧暦閏10月4日(1870年11月26日)、鳥取藩編入の若桜藩(鳥取新田藩)
明治3年中、平戸藩編入の植松藩(平戸新田藩)
明治3年旧暦5月、熊本藩に編入の高瀬藩(熊本新田藩)

の四藩は登場しません。また明治政府に認知されなかった谷地藩が収録されています。

まとめるのが大変だった最大の理由は、『藩制一覧』の記述が曖昧なためです。例えば佐賀藩は、『藩制一覧』によると
戸数 六萬八千七百拾軒
人員 三十五萬四千四百五十人 内(男十八萬三千五百十七人 女一七萬九百三十三人)
士族戸数 五千弐百七十三軒
人員 二萬三千八百二十三人 内(男壹萬弐千七十弐人 女壹萬千七百五十壱人)
卒戸数 九千三百六十九軒
人員 四萬三千四百八十八人 内(男弐萬弐千三百三十四人 女弐萬千百五十四人)
社人戸数 百九十五軒
人員 八百五十人 内(男四百十八人 女四百三十弐人)
僧 千三拾弐軒
人員 四千四百十二人 内(男三千百九十人 女千弐百弐十弐人)

この文章を最初読んだ時、私は以下のような人口構成を考えてしまいました。

族籍合計士族社人平民
183,51712,07222,3344183,190145,503
170,93311,75121,1544321,222136,374
合計354,45023,82343,4888504,412281,877

しかしながら、『府藩県石高人口表』(資料B)と『明治史要』(資料D)では総人口42万5762人とあり、全然人口が足りません。『藩制一覧』を詳しく読むと、単に「人口」とか「人員」とか書かれた場合、それは平民人口を意味することも、藩の総人口を意味することも、士卒族を除いた人口を意味することもあり、佐賀藩の場合の「人員」とは平民人口を指していると解釈しないとおかしいという結論になりました。佐賀藩の正しい族籍構成は以下の通りと推定できます。

族籍合計士族社人平民
221,53112,07222,3344183,190183,517
205,49211,75121,1544321,222170,933
合計427,02323,82343,4888504,412354,450

『藩制一覧』はかなり言葉足らずで、ある族籍人口が別の族籍人口に含まれるのか、含まれないのかは、一応「内、外」という言葉や段落で多少は察しがつくことがあっても、しばしばそういう情報が欠落し、正しい情報は自分で推測するしかないという事態に直面しました。当然私の集計には私の主観が混入してしまうことを防げないわけで、その情報も今回は残すこととします。

族籍の割り振りは、『統計集誌』(資料C)に従い、華族、士族、卒、神職、僧尼、平民、その他一、その他二としました。士卒、寺社、その他一その他二の区別が曖昧な場合は、士族、神職、その他一側で集計しています。士卒族と平民の境界領域(中間小者など)の身分は大体『統計集誌』に従っていますが、士卒族に含まれたり、卒の名称が残っていたりする場合は卒人口に含めました。

参考のため『藩制一覧』(資料A)による今回の集計人口(人口A)のほか、『府藩県石高人口表』(資料B)掲載の人口(人口B)、『統計集誌』(資料C)掲載の人口(但し死刑人口は除く)(人口C')、『明治史要』(資料D)掲載の人口(人口D)も一緒に掲載しておきます。
[77758] 2011年 3月 12日(土)00:20:40YT さん
大学構内
私も帰宅難民状態で、23区内の某大学の建物内にて待機中です。
地震の最中には一歩間違えれば大火災が起こりかねない高層階の実験室におり、地震の時はとにかく生きた心地がしませんでした。

近い親戚の安否は確認できておりますが、母方の実家のある宮城県の親戚の無事の確認が取れず、不安な状況です。

ネットやラジオは情報収集のために非常に役立っておりますが、携帯電話が全く使えない状況になるとは思い至りませんでした。
[77105] 2010年 12月 26日(日)01:53:12YT さん
『文禄二年十一月蒲生領人別調』に関する高橋梵仙氏の意見
[77104] hmt さん
「独案内」とは、「ひとりあんない」と読み、独習書という意味です。
中身を見ると英語読本ですね。

Entschuldigen Sie bitte!

住所や肩書にばかりに気を取られ、全く中身を読んでいませんでした。英語は得意だし、ドイツ語はそこそこ読めると自負していただけに恥ずかしい限りです。ついでに改めて調べたところ、『統計入門』の原書は、クレマン・ジョセフ・ガルニエ Clement Joseph Garnier (1813-1881)というフランスの経済学者でして、『統計入門』の翻訳は高橋二郎氏が専ら行ったのかも知れません。あるいは英訳版からの翻訳とか。

何れにせよ[77102]で蒲生俊氏について
ドイツ語の教育を受け、当時おそらく教育関係でドイツ語を教えており、
と推定したことについては、「当時おそらく教育関係で英語を教えており」に訂正します。

蒲生俊氏の記事に対する高橋梵仙(『日本人口史之研究』)のコメントを見つけたので紹介します。

 蒲生氏郷(文禄四年(一五九五)二月七日歿、年四十)が戦功の故を以て、天正十八年(一五九〇)八月羽柴秀吉より陸奥国会津六郡の地に、越後(小川の庄)、山道の地を合せて十二郡を賜わり、陸奥・出羽の守護職を給わることになった。翌十九年(一五九一)夏には秀吉に叛した陸奥国福岡城主九戸政実(天正十九年(一五九一)九月歿)を追討、其で去年・今年の勲功を賞し、秀吉は彼に奥・羽七郡(陸奥国田村・四本松・伊達・信夫・刈田、出羽国長井等)の地を加増し、蒲生領は十九郡百廿万八千五百石になった。氏郷は文禄二年(一五九三)二月廿七日「領内人員取調」をしたことが伝えられ、後裔「蒲生俊」によって整理せられたものがある。しかし乍ら、この調査は一見甚だ珍しく思われるものではあるが、身分階層別人口については、果して斯く厳密に分別せられていたものか何うか、大いに疑団の深いものがある。然れどもここには疑を存して全文を掲げ、仍て後考に俟つことにする。

なお高橋梵仙の引用では『統計集誌 第十八号 昭和十六年二月 七三―五五頁』とありますが、『統計集誌 第十八号明治十六年二月 七三―七五頁』の間違いです。

蒲生氏郷は、一応「陸奥・出羽の守護職」を務めていたことから、もしかしたら伊達正宗領内の人別の情報を集められる立場にいたかも知れません。正直自分は学問としての歴史とは無縁の人間ですので、当時の東北の政治情勢についていかなる文献の裏打ちがあるのかまでは詳しく知りません。
[77102] 2010年 12月 25日(土)17:36:20【4】YT さん
屋代郷、蒲生俊
[77097] 般若堂そんぴん さん
「屋代郷」は現在の東置賜郡高畠町の一部ですね.上杉領になったり天領になったり,しばしば所属が変わったところです.慶応2年以前の変遷は引用された表には反映されていないように見えますね.

屋代郷は寛文4年(1664年)に米沢藩領を離れても、しばらくの間米沢藩の「預り地」となります。だから形式上は寛文4年(1664年)~慶応元年(1865年)の間は幕府の天領であったり、他藩領であったりします。屋代郷は嘉永元年(1848年)に米沢藩の預り地として三度目の復帰を果たし、米沢藩の実質的な所領として機能していましたが、米沢藩の正式な所領として復帰するのは慶応2年(1866年)に幕府が編入を認めてからです。

今『旧高旧領取調帳』を読み返しましたが、高畠村を中心とした屋代郷の旧領が「米沢藩領分」扱いになっていました。維新後の米沢藩の内高28万4748石(『統計集誌』)と置賜郡の内高(33万6645石5斗7升2合9勺4才, 『旧高旧領取調帳』)の差約5万2000石は、屋代郷分によるもののようです。

というか、屋代郷が置賜郡内の地名であることに気付きませんでした。よって[77092]
維新後は再び置賜郡オンリーの、表高14万7248石、内高28万4748石、現高6万3269石、総人口12万9753人に減らされます。
は「維新後は再び屋代郷を除いた、表高14万7248石、内高28万4748石、現高6万3269石、総人口12万9753人に減らされます。」に訂正します。

[77095]で紹介した記事の筆者、蒲生俊について少し調べたので紹介します。

蒲生俊は蒲生氏郷のことを「我十一世ノ祖」と紹介しておりますが、少なくとも蒲生氏郷には直系の子孫はいないと思われます。しかしながら兄弟や娘の子孫ならまだいることでしょう。1883年に『統計集誌』へ論文を投稿できる立場からすると、おそらく士族かそれに準じる家柄の人と思われます。そこでNACSIS Webcatや「GeNii 学術コンテンツ・ポータルで蒲生俊を検索したところ、同時期に様々なドイツ語の教科書の翻訳をしている蒲生俊という人物がいることを見つけました。

出版人:東京府士族 蒲生俊 東京四谷区四谷愛住町八十九番地
高橋二郎訳、蒲生俊校『統計入門』(1883年)

著述人:東京府士族 蒲生俊 東京四谷区四谷仲町三丁目七番地
蒲生俊著『世界未来記』(1885年)

訳者:蒲生俊 東京麹町区三番町十九番地
蒲生俊訳『スウィントン氏 第弐リーダー 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第壱リードル 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第弐リードル 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第参リードル 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第四読本 直訳』(1888年)

明治時代の東京四谷区四谷仲町三丁目七番地の住所から江戸時代の地図を検索したところ、該当箇所は将軍を護衛する鉄砲隊である「御持組」の屋敷群に相当したところから、当初蒲生俊の家柄は、御家人と推定しました・・・が、『統計入門』に記載の住所である東京四谷区四谷愛住町八十九番地からは、「浅羽」という旗本屋敷がヒットし、結局のところ蒲生俊は頻繁に住所を変えていて、先祖伝来の住居がどこなのかは分かりませんでした。ただ、『統計入門』という本の訳に関わっていることからも(訳者は高橋二郎で、出版人が蒲生俊となっているが、NACSIS webcatの情報によると蒲生俊は校正人になっている)、『統計集誌』に先祖伝来の文書を発表する繋がりは見て取れます。

『統計入門』の翻訳はメインを務めてはいないようですが、その後の各種ドイツ語教科書は蒲生俊がほぼ全てを訳しているようです。また『世界未来記』は、未来世界を予測した本のようです。

まあ蒲生俊が決して怪しげな人物ではなく、先祖代々おそらく将軍家に仕えていた御家人クラスの家出身の東京府士族で、ドイツ語の教育を受け、当時おそらく教育関係でドイツ語を教えており、先祖伝来(と信じているところ)の文書を『統計集誌』に発表したということはいえるでしょう。ただ、それでも文書の中身の怪しげな点が残ります。

記事では戦国~江戸時代初期には長井郡と呼ばれるのが一般的であった置賜郡のことを「置賜」と表記しています。また、刈田、伊達、信夫、安積、安達、岩瀬、会津、耶麻、河沼、大沼、田村、置賜の各郡と越後小河ノ庄(以上合計55万1535人)、表から欠落しているという石川郡が蒲生氏郷の所領であったのはいいとして、糠部、江刺、胆沢、磐井、閉伊、九戸、鹿角の各郡(合計24万2764人)が本当に蒲生氏郷領であったのでしょうか?なお55万人を92万石で割ると、1人0.60石となり、若干速水説に近づいた値となります。これらの地域が蒲生氏郷が主導となって検地を実施させた地域であり、報告に上がった数字をまとめただけというのなら、数字的にはありえそうなものには近づきます。ただ、なんとなくこの文書には、これら全ての地域が蒲生氏郷領であったというプロパガンダ的なものを感じます。

今手元にないので確認できませんが、高橋梵仙の『日本人口史之研究』(1941年)か関山直太郎の『近世日本人口の研究』(1948年)の何れかの本で、蒲生領の人別調についてコメントがあったような気がします。確か身分名表記について疑念があるようなことを書いていたように記憶しています。

【18:54頃、色々文章を追加しました。】
[77095] 2010年 12月 23日(木)21:22:15【1】YT さん
文禄2年旧暦11月27日(1594年1月18日)の蒲生氏郷領の人口
[76316][76317][76318]でまとめた明治初年の府藩県別族籍別人口は、『統計集誌』という雑誌から持ってきたものです。この雑誌のバックナンバーを読んだところ、非常に興味深い統計を見つけました。それは1883年の16号の73-75頁に掲載された『文禄二年十一月蒲生領人別調』です。文禄2年は大体西暦1593年に当たりますが、文禄2年旧暦11月27日はグレゴリオ暦で1594年1月18日に相当します。投稿者の名前は「蒲生俊」とあります。表は以下の通りです。

郡名士(男)農(男)工(男)商(男)浪人(男)身上不慥(男)穢多(男)合計(男)士(女)農(女)工(女)商(女)浪人(女)身上不慥(女)穢多(女)合計(女)合計(男女)
刈田2208,3241312577189,4071878,0351511016258,97318,380
伊達1,60824,7583030491,1002727,8361,42124,939282959502527,65855,494
信夫72815,52911235101,21117,72469215,6581622921,03117,62835,352
安積507,355797621457,734427,236562320877,56315,297
安達1,92520,455303621818222,9721,90819,53833337113921,95644,928
岩瀬2808,2192352142659,2852558,10813232328,91918,204
会津33,12824,256882,0275831359,87033,07224,542511,96826305459,968119,838
耶麻1,97215,7181719150018,2271,72515,235122042917,42135,648
河沼2188,89852521159,2632018,924823299,18518,448
大沼3857,68271232088,2972927,2545181927,76116,058
田村1,29218,350920930119,9811,12818,4411123222319,82839,809
糠部19,11811,680616722871832,27716,00814,80872669562732,18964,466
江刺5159,027219785187810,2644928,95715824376910,05220,316
胆沢57210,905201621162112,29148210,95419168269212,31724,608
磐井1,78225,82037219181,93229,8081,71825,2783222561,62528,88458,692
閉伊1,42020,67020176752522,8181,20820,5851914361822,57345,391
九戸58010,40511200954811,75340110,37715197229711,28923,042
置賜20,52813,548799783061835,78119,52914,48968962770035,75571,536
鹿角1802,6901792102823,2711672,46012862532,9786,249
越後小河ノ庄2,58225,928921,928426182531,2152,31826,471971,89755122831,32862,543
総計89,083290,2175778,10228711,668140400,07483,246292,2895347,8376210,124133394,225794,299

本表の解説は以下の通りです。漢字はフォントの都合もあり、大部分新字体に替えています。
本表中糠部郡トアルハ今ノ三戸郡ナリ又越後小河ノ庄ハ何レノ郡中ニアルヲ知ルヲ得ズ又石川郡ハ遺書ナキヲ以テ之ヲ欠ク
     備考
右調ハ今ヲ距ルコト殆ンド三百余年前即チ文禄二年十一月二十七日我十一世ノ祖氏郷カ其封土(百二十七万八千五百石)ニ施行シタルモノニシテ今日ヨリ見ルトキハ甚ダ疑フヘキモノ多シ然リト雖今存スル所ノ遺書ニ拠リ其ノ施行シタル目的ノ原理ヲ抜粋シテ此調ノ確実ナルヲ証ス
此人員調ノ起原ハ文禄元年征韓ノトキ氏郷其将タランコトヲ羽柴氏ニ請ヒシニ許サズ故ニ自ヲ奮テ征ント欲シ兵ヲ徴集スルニ方リテ遍ク我領内ノ民ヲ調査セシトキ左ノ条目ヲ布キタリ
     領内人員取調ノ条々
一文禄二年十一月二十七日領内ニ罷在実住人之事
一領内之住人者十一月二十六日限遠旅差止候事
一万一此条々相反候者ハ可処厳罰之候事
 文禄二年三月十一日
右調査ニ費シタル米金ハ左ノ如シ
 紙筆炭         千二百五十八判
 炭薪          八十二判
 品物買揚        百○二判
 賞典          五百○六判
 小買物         十八判
 賞米          百八十五石
 救助扶持米       二千三百六十二石八斗三合
  但シ救助扶持米ハ遠旅ヲ差止メタルカ為メ生活シ能ハザルモノハ文禄二年九月二日ヨリ翌年六月マデ与ヘタルモノナリ
実ニ今日ヨリ之ヲ見ル片ハ斯クカ夥多ノ米金ヲ費ヤシ漸ク盛ンニ軍備ヲナシタルノ事石田氏ノ耳孕ニ達シ遂ニ羽柴氏ニ讒スルニ至ル嗚呼憂国愛君ノ真情ヨリ発シタルヲ知ラズ雌雄ヲ干戈ニ訴フル能ハズシテ之ヲ毒殺スルニ至リ終ニ其大志ヲシテ達セシムコト能ハズ空シク一朝ノ露ト化セシメシハ予ガ今日ニ至ルマデ慨歎スル所ナリ諸君幸ニ予心ヲ諒シテ電覧ノ労ヲ惜ム勿レ
 但表中士ノ男百二十人、農ノ男七千人、身分不慥ノ男二十五人ハ僧。士ノ女十九人、農ノ女十八人、身分不慥ノ女二十人は尼。又士ノ男四万六千二百二十八人ハ家主(原字ノ儘又其内八千三百五十九人ハ諸士ノ卒ナリ)。一万七千百五十九人ハ十五歳以上ニシテ兵役ニ服スルニ足ルモノ。百九十一人ハ十五才異常ニシテ兵役ニ服ス能ハザルモノ(原書ハ御用相勤兼候者トアリ)。五百二十六人ハ七十歳以上ノモノニシテ隠居料ヲ受クルモノ、農工商等ハ遺書ナキニヨリ知ルヲ得ズ

子孫の嘆きが正統なものかどうかはさて置いて、蒲生氏郷の所領では127万8500石の所領に対して79万4299人が暮らしていたことになり、1石0.62人に相当します。92万石として計算すると1石0.86人となり、1600年頃としては1石で養える人口がかなり多めとなります。[72094]でまとめた、1600年の人口を1200万人とする鬼頭・速水説に従うと、陸奥73万4400人、出羽33万8500人なので、蒲生領79万4299人は推定値よりも明らかに多いことになります。もっとも鬼頭・速水説は、1750年の幕府掌握人口×1.2÷3で計算されたもので、1600年の人口を1750年の人口の半分とする1500万人説を用いると、陸奥110万1700人、出羽50万7800人となります。それでも蒲生領は東北の総人口の半分近くということになり、やはりこの数字が正しいかどうか疑問が残ります。「士農工商」という身分区分も安土桃山時代にどの程度採用されていたかどうか怪しいです。何よりも原史料が現在どこの所蔵となっているのかが分かりません。蒲生氏郷11世子孫の蒲生俊がいかなる人物かにも興味がありますが、現時点ではよくわかりません。

まあとりあえず、この情報が正しいとするなら、江戸時代を通じて東北地方の人口は3倍どころか、2倍増もぎりぎりだったということが言えます。

【旧暦→新暦の年月日修正】
[77092] 2010年 12月 23日(木)18:24:49YT さん
米沢藩の人口
[77088] oki さん

「天保郷帳」にしろ「旧高旧領取調帳」にしろ、名称や石高が実態とずれている場合は少なくありません。特に天保郷帳は諸藩が幕府に提出した資料がもとになっており、外様大藩の場合は幕府向けと藩内用との二重帳簿を作成している事例がよくあります。

『天保郷帳』記載の内高21万6161石2斗2升0合2勺4才(天保5年(1834年)現在)から『旧高旧領取調帳』記載の内高33万6645石5斗7升2合9勺4才(一応、明治元年(1868年)現在)へ、わずか34年間の間に内高が12万石、56%増加したということ自体、幕府へ報告した内高と、藩内で把握していた内高の間にかなりの差があることを示しているといえるでしょう。

ただ、米沢藩に関しては人口についても異常な点があります。米沢図書館所蔵の『秘庫文書 八』に、米沢藩時代の人別の集計が元禄5年(1692年)~慶応3年(1867年)までの176年間分が途切れることなく伝わっています。これだけ長期間の間の人口変遷が残っているのは、他には例がありません。高知土佐藩の場合、天和元年(1681年)から寛政10年(1798年)までの118年分が『土佐史料』の「楠目氏覚書」に記載されていましが、原史料は二次大戦の空襲で焼失してしまっています。南部盛岡藩もかなりの記録が残っていますが、途中から数字に手心が加わり、飢饉による人口減少を隠蔽したと考えられています(詳しい解説は速水融「近世日本の人口構造と変動」日本学士院紀要, 2007年, 62巻(3号), 285-309頁参照)。

『秘庫文書』記載の米沢藩の人口変遷については、吉田義信『置賜郡民衆生活史』(1973年)から引用しますと、以下の通りです。

元号西暦総人口元号西暦総人口元号西暦総人口元号西暦総人口
元禄5年1692年133,259元文元年1736年114,307安永9年1780年103,628文政7年1824年110,183
元禄6年1693年132,199元文2年1737年113,983天明元年1781年103,789文政8年1825年110,341
元禄7年1694年131,966元文3年1738年113,314天明2年1782年103,569文政9年1826年110,859
元禄8年1695年132,187元文4年1739年112,315天明3年1783年103,991文政10年1827年111,710
元禄9年1696年131,973元文5年1740年112,378天明4年1784年103,281文政11年1828年112,854
元禄10年1697年130,568寛保元年1741年111,578天明5年1785年100,946文政12年1829年113,619
元禄11年1698年130,102寛保2年1742年111,458天明6年1786年100,381天保元年1830年113,860
元禄12年1699年129,734寛保3年1743年111,283天明7年1787年99,985天保2年1831年113,651
元禄13年1700年128,696延享元年1744年111,118天明8年1788年99,508天保3年1832年114,373
元禄14年1701年128,407延享2年1745年110,178寛政元年1789年99,123天保4年1833年114,999
元禄15年1702年128,031延享3年1746年110,064寛政2年1790年99,296天保5年1834年115,300
元禄16年1703年127,062延享4年1747年110,232寛政3年1791年99,119天保6年1835年114,109
宝永元年1704年126,513寛延元年1748年109,882寛政4年1792年99,085天保7年1836年115,085
宝永2年1705年125,954寛延2年1749年108,885寛政5年1793年99,785天保8年1837年114,983
宝永3年1706年124,893寛延3年1750年108,859寛政6年1794年101,124天保9年1838年113,404
宝永4年1707年124,540宝暦元年1751年108,623寛政7年1795年102,236天保10年1839年113,113
宝永5年1708年123,852宝暦2年1752年108,858寛政8年1796年101,507天保11年1840年112,968
宝永6年1709年123,403宝暦3年1753年109,068寛政9年1797年103,721天保12年1841年113,973
宝永7年1710年122,245宝暦4年1754年107,996寛政10年1798年104,395天保13年1842年114,974
正徳元年1711年122,385宝暦5年1755年107,317寛政11年1799年105,047天保14年1843年115,010
正徳2年1712年122,110宝暦6年1756年106,390寛政12年1800年106,213弘化元年1844年115,695
正徳3年1713年120,705宝暦7年1757年102,628享和元年1801年107,110弘化2年1845年116,598
正徳4年1714年120,711宝暦8年1758年100,900享和2年1802年106,965弘化3年1846年117,689
正徳5年1715年121,194宝暦9年1759年100,007享和3年1803年106,121弘化4年1847年118,799
享保元年1716年120,606宝暦10年1760年99,369文化元年1804年105,888嘉永元年1848年119,995
享保2年1717年120,650宝暦11年1761年99,552文化2年1805年106,760嘉永2年1849年119,804
享保3年1718年120,609宝暦12年1762年100,024文化3年1806年107,547嘉永3年1850年120,638
享保4年1719年120,099宝暦13年1763年100,560文化4年1807年107,192嘉永4年1851年121,856
享保5年1720年118,615明和元年1764年101,489文化5年1808年107,052嘉永5年1852年122,361
享保6年1721年118,537明和2年1765年101,845文化6年1809年107,453嘉永6年1853年123,355
享保7年1722年118,209明和3年1766年102,434文化7年1810年108,313安政元年1854年124,128
享保8年1723年117,881明和4年1767年102,485文化8年1811年108,949安政2年1855年124,709
享保9年1724年117,134明和5年1768年102,020文化9年1812年108,998安政3年1856年125,130
享保10年1725年116,702明和6年1769年102,434文化10年1813年108,985安政4年1857年125,685
享保11年1726年115,660明和7年1770年102,905文化11年1814年109,126安政5年1858年126,207
享保12年1727年115,096明和8年1771年103,818文化12年1815年109,773安政6年1859年127,080
享保13年1728年115,015安永元年1772年104,042文化13年1816年100,511万延元年1860年127,860
享保14年1729年114,207安永2年1773年103,961文化14年1817年110,947文久元年1861年128,313
享保15年1730年114,429安永3年1774年103,901文政元年1818年111,107文久2年1862年129,003
享保16年1731年114,051安永4年1775年104,154文政2年1819年110,998文久3年1863年127,773
享保17年1732年113,711安永5年1776年104,498文政3年1820年109,602元治元年1864年127,588
享保18年1733年113,975安永6年1777年103,625文政4年1821年109,603慶応元年1865年128,103
享保19年1734年113,772安永7年1778年103,702文政5年1822年109,557慶応2年1866年143,126
享保20年1735年113,762安永8年1779年103,605文政6年1823年109,726慶応3年1867年144,153

慶応2年でいきなり人口1万5000人分人口が増えていますが、これは屋代郷3万石が加増されたからで、維新後は再び置賜郡オンリーの、表高14万7248石、内高28万4748石、現高6万3269石、総人口12万9753人に減らされます。

ここで特徴的なのは、石高と人口の比です。28万~30万石もの内高がありながら、13万人の人口しか養えていないのです。速水融氏は1人1石という定説を覆し、1石0.28~0.55人に修正しておりますが、これも江戸時代初期の小倉藩の話で、明治維新当時の人口/内高比は平均1石0.96人です。東京府、大坂府のような都市、その他小藩でみられる異常に高い人口/内高比を除けば、広島藩の1石1.89人が目に着きますが、おそらく広島藩では実際の石高と内高の解離が激しかったのでしょう。

これに対し米沢藩は1人0.45石であり、一部の小藩を除けばほぼ全国最低レベルです。この原因として考えられるのが、異常な武家人口です。幾つか米沢藩の身分別人口をピックアップすると:

元号西暦総人口諸奉公人又者共ニ御城下町人弐百弐拾六ヶ村出家修験座頭武家の割合(%)
元禄5年1692年133,25931,17312,12988,52585037520723.39
元禄14年1701年128,40729,96011,48185,47093537818323.33
安永5年1776年121,73024,06116,09980,4886353499819.77
天保11年1840年112,96825,6086,66779,8464993014722.67
弘化3年1846年117,68926,9646,77383,0835083154622.91
文久2年1862年129,00332,0366,94389,1285173235624.83

直江兼続は家臣を帰農させることなくすべて奉公人として雇い続けたというのが美談とされていますが、米沢藩の歴史をひも解くと、むしろこのことが江戸時代を通じて米沢藩の人口停滞の原因となる重荷になったように思えます。

もちろん宝暦・天明・天保の大飢饉の際、他の東北諸藩に比べて人口減少率が低いというのは、米沢藩の藩政として大麦を推奨したとか、米の備蓄などを行った結果でしょうし、米沢藩の人口が少ないというのは、米沢藩が貧しいということを即意味するのではなく、家族制度の変化(家を継ぐ長男のみが結婚、晩婚化など)が原因の一つでしょう。米沢藩に見られる比較的緩やかな人口/石高比は、ある程度ゆとりある生活のために家族制度が変化し、家族計画による人口抑制策が働いたことによるものでしょう。


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