[1906]
>美祢以南は貨物輸送で活況を呈して居た印象が在りますが、既に廃止ですか?
石灰石を大量輸送していたのは昭和58年までであとは殆どありません。
大嶺支線は先日廃止になりましたが、はっきり言って貨物輸送以外には鉄道として
存在価値もなく、なんでこんなに廃止を引き伸ばしていたのか、という印象です。
>これだけの距離で自社貨物専用道を造ってしまった宇部興産は凄いと思います。
鉄道にまかせておけばいいのに・・ってそう簡単にもいかないのでしょうね。
>ところで同線の起点駅は、広域性の強い町名「山陽」ではなく、郡名「厚狭」を
>名乗って居ますね。この辺りの事情とは?(同様に「長門市」を名乗る終着駅の
>沿革も気になります。)
逆に私は最近まで厚狭が山陽町(三葉虫みたいだ)だということを知りませんでした。
厚狭町かなにかだと・・。
山陽町の前身は厚狭町と埴生町でした。山陽本線には厚狭駅と埴生駅が両方とも存在します。
ですから、厚狭だけを山陽町と改称するわけにはいかなかったのでしょう。
そもそも山陽町という名称がとってつけたような感じだし・・。
長門市の前身は深川町と仙崎町。長門市駅はもともと正明市という名前で、これは
深川町の市場の名前。仙崎の駅名は支線に残りました。
厚狭と違い、正明市駅は自治体名でもない字名だったからなのか、改称されましたが、
これが深川という自治体名を名乗っていたらどうだったでしょうか。
長門深川とかいう名称で残ったかもしれません。
ちなみに長門市駅はかつては美祢線の終着駅ではありませんでした。
現在山陰本線の、長門市~東萩~宇田郷と長門市~阿川も美祢線でした。
山陰本線は、浜田方面から西へ、長門市から東へ(美祢線)、同じく西へ(美祢線)、
幡生から東へ(長州鉄道→小串線)、と別々に線路を延ばしていき、一本につながった
ときに山陰本線と改称されています。