仙台市の区名は、その選定のときから、地域の特徴等を重視した名前にするという方針が決められていたようで、方角名や「中」、「中央」などは当初から使わないということになっていたようです(でも、仙台駅西の町名は「青葉区中央」・・・)。
その中で、現5区の区割り案が完成し、「青葉城」から青葉区、旧泉市を受け継いだ「泉区」、それに古代の歌枕や、同名の地名が区内に存在し、親しまれていたことから命名の「宮城野区」は、すんなり内定しました。
太白区は、東側の長町地区を中心とした旧仙台市の地域に、西側の旧秋保町が入った、ご承知のとおり東西に長い区であったため、地域的に偏りすぎ、区全体と代表する名前としてはふさわしくないということで、「長町」や「秋保」は避けられ、最終的に長町、秋保地区の間に位置し、住民に親しまれている太白山からとった「太白区」を区名とすることで落ち着きました。
でも、長町地区の住民は、区発足当初は「太白区」という区名には馴染みにくいという声もあったようです(長町からは、手前の八木山丘陵が邪魔して、太白山は見にくいのです・・・)。
問題は、若林区でした。
住民の投票では、区の西を流れる広瀬川にちなんだ「広瀬区」が第一位だったようなのですが、みなさんが指摘しているように、将来旧宮城町の地域を分区する計画があり、その区名に「広瀬区」を使うことが期待されたため、別の区名を考えることになってしまいました。
若林区は、旧村で言えば、南小泉村、六郷村、七郷村などの地域に当たります。これらはそれぞれ現在の仙台市の支所名などに使われ、よく使われますが、区全体を代表する地名としては決定性を欠いていたようです。
そこで、
[2036]たけもとさんの解説(↓)のとおり、苦肉の策で「若林区」が内定しました。
<伊達政宗が晩年を過ごした「若林城」が由来です。
<現在は宮城刑務所になっています。「古城」という住所に名残がありますね。
ちなみに、旧宮城町は、現在の仙台市青葉区の西、概ね東北道よりも西側に存在した自治体で、「宮城町が周辺自治体を合併して仙台市になった」わけではありません。
昭和30(1955)年 宮城郡大沢村、広瀬村が合体し、宮城村になる。
昭和38(1963)年 宮城村町制施行、宮城町に。
昭和62(1987)年 宮城町、仙台市に編入。
※その後、昭和63年に泉市、名取郡秋保町も仙台市に編入され、現在の市域が確定(この時、名取郡消滅)、そして平成元年、仙台市は政令市に移行しています。
という経緯で現在は仙台市の一部となっています。
東北道の「仙台宮城IC」や、青葉区宮城総合支所(旧宮城町役場)などに、宮城町の名残がみられます。
いずれにしても、仙台市の区名は5つの区を代表し、親しみのある名前として、仙台市民が全国に誇れるすばらしい名前になっているといえるのではないでしょうか。