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右左府さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[63722]2008年2月13日
右左府
[63670]2008年2月7日
右左府
[63610]2008年1月30日
右左府
[63543]2008年1月23日
右左府
[63445]2008年1月16日
右左府
[63417]2008年1月15日
右左府
[63416]2008年1月14日
右左府
[63238]2008年1月7日
右左府
[63155]2008年1月4日
右左府
[63152]2008年1月4日
右左府
[63146]2008年1月4日
右左府
[63145]2008年1月4日
右左府
[62788]2007年12月9日
右左府
[62592]2007年11月21日
右左府
[62146]2007年10月21日
右左府
[62128]2007年10月21日
右左府
[62095]2007年10月20日
右左府
[61696]2007年10月8日
右左府
[61694]2007年10月8日
右左府
[61566]2007年10月7日
右左府
[61068]2007年9月6日
右左府
[60958]2007年9月1日
右左府
[60939]2007年8月31日
右左府
[60918]2007年8月30日
右左府
[60916]2007年8月30日
右左府
[60839]2007年8月27日
右左府
[60811]2007年8月26日
右左府
[60733]2007年8月23日
右左府
[60719]2007年8月22日
右左府
[60705]2007年8月21日
右左府

[63722] 2008年 2月 13日(水)02:01:38右左府 さん
樺太
[63713] Issie さん

学校の長期休業で時間があったので、私の方でも二つ目の方をちょっと調べてみました。
既にご存じの点も多いと思われますが、(私の方での情報整理も兼ねて)僭越ながらまとめさせていただきました。御参考までに……。

その前に、調べる中で他にも私の確認した資料と食い違う点が「樺太市町村変遷表(1)(以下、変遷表)」の中に幾つか見つかりました。揚げ足取りのようで申し訳ないのですが、それも含めて書いてみます。

主な資料は「法令全書」(内閣官報局)各号です。


大正10年4月1日法律第47号「樺太の地方制度に関する法律」公布。
大正11年4月1日勅令第7号により5町19村に同法施行。
(施行する町村は樺太庁告示第14号により指定。)
勅令第8号により「樺太町村制」公布・施行。
(この「樺太町村制」は、「樺太の地方制度に関する法律」による町村に適用。)
大正12年4月1日樺太庁告示第38号により、大正4年同庁告示第76号(町村の名称・区域設定)を廃止、
新たに16郡7町30村の名称・区域を設定。
「樺太の地方制度に関する法律」を残り13村にも施行。
(施行する町村は同庁告示第39号により指定。)
[63670]にて引用した「樺太町村財政一斑」の
大正十一年度ニ於テ町村制ヲ施行シタルハ24ヶ町村ニシテ翌年残余ノ13ヶ村ニモ施行セラレ茲ニ全島自治制度ノ実施見タリ
とは、この「樺太の地方制度に関する法律」及び「樺太町村制」の施行を意味していたんですね。
(最初これを見つけたときは、私の頭の中には「樺太町村制」は昭和4年7月施行とあったため、少々混乱しました。その後分かったのですが、昭和4年施行の「(新)樺太町村制」及び「樺太町村制施行令」はそれぞれ「樺太の地方制度に関する法律」「(旧)樺太町村制」の改正という形で公布・施行されていたんですね。)

それで、上記の通り大正12年同庁告示第38号によって樺太の町村の名称・区域が定められているのですが、変遷表の同年月日に記載のある遠淵村・三郷村はこの告示には記載されていませんでした。また、変遷表で「留多加町」「本斗村」とあるのもそれぞれ「留多加村」「本斗町」となっています。
(ちなみにこれより前、大正11年同庁告示第13号にて既に、同年4月1日に“本斗町”と阿幸村の区域を“本斗町”とする旨が告示されています。)

翌年同庁告示第41号にて、4月1日から留多加村を留多加町とすると共に、新路村の一部を新たに泊岸村とする旨が告示されているのも確認しました。
(したがって、変遷表の樺太町村編制実施時の欄にも「留多加町」とありますが、こちらも「留多加村」ではないでしょうか。大正4年の告示は私は確認しておらず、あくまで推測ですが……。)

その後、新路村・東知取村・恵須取村がそれぞれ内路村・知取町・恵須取町とされました。続いて、昭和4年同庁告示第41号では、同年4月1日より新たに長浜村の一部を遠淵村、留多加町の一部を三郷村とする旨が記されています。
(これが正しければ、変遷表の1923.4.1及び1928.12.31の両時点で、遠淵村及び三郷村は存在していない事になります。)

同年7月、「(新)樺太町村制」「樺太町村制施行令」が施行。この際、これらを施行する町村が拓務省告示第1号により指定されています。
変遷表に記載されているそれら町村のうち、「敷香町」となっている部分は「敷香村」の誤記と思われます。IssieさんのHPの他のページでも「敷香村」となってますし、私も同告示を(こちらは官報のマイクロフィルムで)確認しましたがやはり「敷香村」となっています。
ちなみに、敷香村が敷香町となったのは翌年7月1日のようで、同年樺太庁告示第93号でその旨告示されているのも確認しています。


以上、法令全書に誤記がないという前提で書かせていただきました。時間の流れに沿って書いたため、指摘部分が分かりづらくなってしまいましたがご容赦願います……。
また、法律等に関する知識がサッパリの状態で書きましたので、おかしな点がありましたら御指摘下さい。
[63670] 2008年 2月 7日(木)21:51:17右左府 さん
樺太
Issie さん

地理のページ」の樺太に関する資料で幾つかお尋ねしたいことがあります。
落書き帳でお知らせするのもどうかと思いましたが、他に連絡方法がなかったもので……。


まず、樺太市町村変遷表:関連法令の中に誤植と思われる箇所を発見しました。
樺太町村制による1級・2級町村の指定
の二級町村の中に「富岡村」とありますが、「富内村」が正しいと思われます。
実は先日、別件でこの告示を当時の官報(マイクロフィルム)で直接確認しまして、これでも確かに「富内村」の文字が。

※ちなみに、逆に官報の方の誤植と思われるものもありまして、「泊岸村」となるべき箇所が告示では「泊岩村」となっています。その後の訂正記事は確認していませんが。


二つ目に、樺太市町村変遷表(1)の一部と矛盾する記述をある資料で見つけました。
「樺太町村財政一斑 昭和十一年度決算」(昭和12年、樺太庁内務部地方課)という本なのですが、その中に以下のような記述があるのです。

大正十一年度ニ於テ町村制ヲ施行シタルハ24ヶ町村ニシテ翌年残余ノ13ヶ村ニモ施行セラレ茲ニ全島自治制度ノ実施見タリ而シテ大正十三年泊岸村昭和四年三郷村及遠淵村ノ分村ニ依リ全島40ヶ町村ト為レリ
(字体は現代のものに改めた)

変遷表では、1923(大正13)年4月1日の時点で泊岸村は分立しておらず、遠淵村の長浜村からの分立・三郷村の留多加町からの分立もともに1923年4月1日となっており一致しません。
また、前半部分の内容もいまいちよく解りません。「町村制」とは何を指しているのかという点もそうですし、「自治制度の実施」というのも一体……?

樺太の資料は少ない上に資料によって内容がちぐはぐという事は承知なのですが、この資料が樺太庁から出た物という点でそれなりに信用できるかもと思ったので(でもあくまで市町村制度ではなく財政データメインの資料なんですよね……)、一応ご報告した方がいいかなと思いお伝えした次第です。
[63610] 2008年 1月 30日(水)00:28:21右左府 さん
センター試験
特に目的もなく大学入試センターのHPを見ていたら、こんな情報が。

2008/1/22 平成20年度大学入試センター試験(本試験)地理歴史「地理A」、「地理B」の問題訂正について <PDF>

広島市他3市の農業産出額の単位が一桁間違っていたとの事。ただ、解答に直接影響はないとして、採点において特別な措置は取られないとの事です。
これは落書き帳でもコメントが幾つか出ていた問題で、私もここだけ解いてみたのですが、全く気付きませんでした。単位にも目は行ってたのですが……。


あんなに厳重に手間を掛けて作られている割に、割と単純なミスなどが少なくないですね。
[63543] 2008年 1月 23日(水)00:46:57右左府 さん
能代は大変
能代市は今、郊外への大型ショッピングセンター出店問題でちょっとした騒ぎになっています。
市長が反対派の意見を無視して出店に向けた手続きを強行しており、対する住民団体は出店賛否を問う住民投票条例制定の請求のため署名を集め、昨日22日に本請求を行いました。(参考記事:秋田魁新報

……これは結構前から能代では大きな問題になっていました。でも敢えて落書き帳に書く理由もないかなと思い、今まではほとんどお伝えしてなかったのですが、今日は一つ気になる事が。


このニュースが、西日本新聞HPに、「大分・日田」地域のニュースとしてとり上げられていたんです。一体何故?
能代も日田も木材都市だから?でも、だからといってこのニュースを掲載する理由にはならないような。う~ん……。
[63445] 2008年 1月 16日(水)23:39:03右左府 さん
十番勝負
問二:米沢市
問六:寒河江市
問九:能代市

問九はもっと考え込んどけば……。
問六は……そっか、各務原……。
[63417] 2008年 1月 15日(火)00:05:56右左府 さん
十番勝負
問四:国立市
[63416] 2008年 1月 14日(月)23:34:26右左府 さん
十番勝負
問七:瀬戸市

これはどういう扱いになるか……。
[63238] 2008年 1月 7日(月)00:53:31右左府 さん
十番勝負
問八:雲仙市

間に合った……かな?
[63155] 2008年 1月 4日(金)22:40:17【1】右左府 さん
ロータリー情報
>たもっちさんへ

未収録のロータリーを発見しました。ただ、ちょっと微妙なものでして……。

Yahoo!マップの航空写真で能代市内を眺めていたら、ここ(能代市能代町字下浜)にロータリー交差点が。(Googleマップは高画質エリア外のため確認不可)
幾つかの地図で確認してみましたが、いずれも地図上には描かれていない道路でした。
また、場所が場所なので、実際に使われているのか、車は通行可能かなどは不明です。確か一般人も行く事は出来る場所ですが、私はここへチャリンコをこいで確認しに行く勇気なんぞありません(笑)。


あと、こちらはついでに御報告という程度の話ですので、聞き流してください。

昨年末に秋田新幹線で秋田に向かう途中、郡山に着く少し前、まだ田畑が広がる地帯で、進行方向左手に終点ロータリーを見付けたました。しかし、後で地図サイトを探しても見つからず……。
こちらはアスファルトで舗装されていたものの、農地の端の「何でこんな所に?」と言いたくなるような場所でした。
[63152] 2008年 1月 4日(金)21:49:11右左府 さん
十番勝負
問三:大館市

へえ~、鳥取市がねえ……。
[63146] 2008年 1月 4日(金)20:39:41右左府 さん
十番勝負
問十:稚内市

数えてみたら想定解数とピッタリ。でも、45市しかないというのは意外でした。
[63145] 2008年 1月 4日(金)20:25:38右左府 さん
十番勝負
明けましておめでとうございます。

問五:久慈市

スタートに出遅れた為、モチベーションが低下……。
[62788] 2007年 12月 9日(日)19:07:07右左府 さん
能代が New York Times に
最近慌しい日々が続いてます。

New York Times に能代が取り上げられたという噂を聞きつけました。確認してみたところ、こちらにその記事が。
日本の地域経済格差がテーマのようで、その例として何故か能代が取り上げられています。能代で巻き起こっているイオン出店闘争についても書かれているようです。

……。

私の英語力では、これ以上何が書かれているか分かりませんでした(汗)
どなたか英語が達者な方、もし興味がありましたら読んでみては?
[62592] 2007年 11月 21日(水)18:43:59右左府 さん
大手町・日番
[62498] 日本人 さん
大手町という地名はすごく多いなぁ
その理由へのヒントは[62573]EMMさんが既に示されてますが、私からも+αを。
能代市にも大手町がありますが、これは他の大手町とは違う“仲間外れ”です。EMMさんの仰った「共通する何か」が、能代市大手町の近くにはありません。
他にも“仲間外れ”があるかもしれませんが、とりあえず「能代市大手町の近くにはないけれど、他の大手町の近くにはある何か」ということで考えてみてもいいかも。


[62583] 桜トンネル さん
日番
私の小学校でも「日番」が使われていましたよ。ただ、中学校あたりから「日直」に変わっていましたが。
私はこれを、地域ごとの違いというよりは学校ごとの違い、あるいは先生の好みによるものだと思ってました。小学校の中でも別の学級では「日直」を使っていたところもあったような無かったような。
「日直」という言い方はいつ知ったんだっけ……確か漫画の中の学校で使われていたのを読んだ時じゃなかったかな。

「日番」「日直」の違いと共に思い出すのが、「1時間目」「1校時」「1時限」「1限」の違いです。これは私の場合高校まで「1時間目」でした。(大学では「1限」。) これもやはり学校ごとに違うものだと思ってたのですが、実際のところどうなんでしょうかね。
ちなみに、このバリエーションも漫画の中で使われていたのを読んで知った気がします。

あ、ホントだ!「にちばん」を変換しても「日番」は出てこない。代わりに固有名詞が一発目に……。
[62146] 2007年 10月 21日(日)13:01:08右左府 さん
十番勝負
問四:神埼市
[62128] 2007年 10月 21日(日)01:14:39右左府 さん
十番勝負
[62097] EMM さん
右左府さ~ん、問八の解が…

はっ!!!やってしまった……。十番勝負初参戦以来、初めての失態です(汗)
御指摘ありがとうございました。では再答を。

問八:京田辺市
(再答理由:既出解を回答したため)
[62095] 2007年 10月 20日(土)13:48:52右左府 さん
十番勝負
問一:酒田市
問二:国分寺市
問三:平川市
問四:呉市
問五:新庄市
問七:多賀城市
問八:糸満市
問九:秋田市
[61696] 2007年 10月 8日(月)15:53:07右左府 さん
木都
ちょっと乗り遅れてしまった感がありますが、「○都」の話題。

わが故郷「木都能代」をお忘れなく。でも、過去ログを検索しても、私が使っているのがほとんど。「栃木都賀JCT」なんてのも引っかかってきましたが……。
地元での使用度は割合高いと思います。能代の宣伝文句はまず「木都能代」か「バスケの街能代」のどちらかですし。かつて「東洋一の木都」と呼ばれていた、なんて事も以前書きましたね。


これに関連して……。

帰省中の自転車放浪(?)の際、市中心部の木材工場地帯も回ったのですが、その時ちょっとショックな事がありました。

小学校の頃、学校から当時通っていたピアノ教室まで行く際に、木材工場の間を通る道を歩いていました。木の香りと木材を加工する機械の音が溢れるその道も、最近は御無沙汰。という事で、久しぶりに行ってみることにしました。
ところが、その工場が何故か見当たらない。あるのは住宅や広い空き地。「道間違えてんのかな?」と思い、暫くうろうろした後、ようやく気付きました。その工場はもう無くなっていたんです。
かの広い空き地が木材工場の跡だったのでした。そこには大きな不動産業者の看板が立っており、どうやら住宅地として分譲されるとの事。

これは本当に悲しかったです。あそこは小学校の頃の思い出の道で、且つ「木都能代」を私に印象付けていた場所でしたから。
もちろん、操業中の木材工場だってまだまだありますし、「木都能代」のまちづくりもそれなりに行われています。でも、「木都」の空気が日に日に薄くなっていくと思うと辛いですね。
[61694] 2007年 10月 8日(月)15:34:53右左府 さん
亀レス + 水害の話など
かなりの亀レスとなってしまいましたが……。


[61074] 熊虎 さん
かなり間を空けてしまい、申し訳ありません。
先月のうちにメールをお送りしたのですが、そちらに届いたでしょうか。


[61113] スピカ さん
チャリ能代訪問記?!は面白かったですよ。
嗚呼、何と恥ずかしい……。でも面白いと言って頂けて何よりです。
去年の今頃は、チャリで大潟村まで行ってましたねえ。あれは本当に大変でした。

そうそう、結局大学の夏休みの最後ギリギリまで私は能代に留まっていたんですが、その間にもモチロン(?)自転車で市内を駆け巡ってました。といっても、今回はちょっと趣旨が違うものが含まれています。

先月、北東北を大豪雨が襲いました。その被害は能代でも甚大なもので、私は生まれて始めて身近に経験する大災害となりました。(……といっても、私の家や近所では被害はほとんどなかったのですが。)能代市では35年前、「47・7水害」と呼ばれる大水害があったのですが、今回の水害はそれ以来の大規模なものだったということです。
テレビに字幕で避難勧告が出されたり、氾濫した米代川流域を上空から撮影した映像が流されたり、とにかく驚きの連続でした。

それで、この地元を襲った大災害の記録を頭に焼き付けておかなければと思い、市内各所を自転車で回りました。(決して興味本位ではないという事だけ申し添えておきます。)
目に飛び込んできた風景に、ただただ言葉を失うばかりでした。高校時代毎日目にしていた通学路脇の田んぼが一面、付近の川から溢れた水に水没。まるで最初から湖だったかのよう。一部の住宅や道路は浸水・冠水。いつもは穏やかな流れの米代川が堤防の上端すれすれまで増水。付近に散乱する上流から流れ着いたゴミ。

いつもテレビの向こうでしか起きていなかった災害が、こんな身近な所で起きた事にまずショックを受けました。それに、自然の力の大きさと言うんでしょうか、その恐ろしさという側面に改めて気付かされました。特に大河と化した米代川は今でも目に焼き付いています。

プリンターが壊れて応募できなかった件は残念でしたね
これは新ひだか町の町章ですね。学校の先生にプリンターを貸してくれなんてせがんだりもしたっけなあ……(笑)。
現在も確認している限りで一件、紋章を公募している所があります。またチャレンジしようと思ったのですが、時間がなくて断念。

そうそう、9月27日に南九州市の市章が決定しました。(合併協HPより)
[61566] 2007年 10月 7日(日)20:08:37右左府 さん
十番勝負
問六:根室市
[61068] 2007年 9月 6日(木)14:00:38右左府 さん
レス
[61009] スピカ さん
高校生(程度)でこれじゃ、まずいですね。今の僕に近い年齢の頃の右左府さんやみかちゅうさんの文章を読んでいるとそう思います。
何と……(汗) 私の書いたモンなんぞ読むに値しませんよ。今でさえ書き込むたびに自分の文章能力の拙さを痛感し落ち込むばかりですし、過去の書き込みに至っては見るのも嫌で嫌で……。書き込み訂正が無期限に可能だったら、今頃相当な量の訂正をしているでしょうね。
それもあってか、初期に比べて書き込む頻度が格段に下がっています。(最近はまた上がってますが。)この拙い文章をこれ以上晒すまいと、最低限の書き込みに抑えるようになったものですから。

自分の文章の欠点は何だろうと考えると、(全てにおいて問題ありですが)文章が冗長だというのを特に感じます。短くまとめるのがどうも苦手なんですよね。高校の小論文模試なんかも、皆が「字数が埋まらない~!」と嘆く中、独り「マス目が足りない!」と悶え、白い目で見られた事が……。

スピカさんの文章は特に拙いなどとは感じませんよ。少なくとも私の文章力よりはずっと上です(笑)。
ちなみに私が高校生の時は、一学年上のうるうさんの文章を読んでは感服していましたねえ。


[61012] 熊虎 さん
私が韓国へ渡った98年頃はまだ、「日本人で韓国へ留学するのは変人だ」と、留学生仲間の間で自嘲気味に言っていたものですが。
熊虎さんより更に前に韓国へ留学したという方の話を以前新聞で読んだのですが、「当時韓国語学習者は在日か宗教関係者だと思われた」といった事が書かれていました。そんな時代があったというのも今では信じ難い話です。
逆に現在、韓国語を勉強していると周りに言うと、「韓流ブーム」に乗ったのかと思われることもしばしば。私の場合はたまたま勉強を始めた時期がブームの時期と一致しただけなんですけどね。

2002年センター試験の「外国語」に「韓国語」が加わったのも大きな変化ですね。ただ、韓国語の利用を不可とする大学もまだまだ見られますが。

[51320]の件、いつでもお手伝いしますよ。
ありがとうございます。大学生活もそれなりに落ち着いてきましたし、そろそろ良い頃合かなと[60916]を書きながら思っていました。ところで、具体的にどのような形でお手伝い頂けるでしょうか。
[60958] 2007年 9月 1日(土)15:36:59右左府 さん
境界変更
本日、青森市と藤崎町の境界変更が行われました。

[60741] 白桃 さん
お役に立てたようで幸いです。私も気が付いたらとんとん拍子に話が進んでいてビックリしました。
境界変更による人口異動が126人なのか、127人なのか、「諸説」あるようです
Web東奥でその後様子を見ていましたが、記事中の世帯数・人口のデータは最終的に「50世帯129人」となっていました。(今日付の記事より。)
青森市・藤崎町のHPにもこの数値が載ってないかなと思い確認しましたが、今のところ掲載されていないようです。

ところで、この人口異動等は市区町村プロフィールにも反映されるんでしょうか?そうであれば昨年10月1日時点での推計人口がほしいところですが……。
[60939] 2007年 8月 31日(金)17:02:48右左府 さん
御礼、“準”岡崎市の花・木・鳥
[60919] 淡水魚 さん
[60920] YSK さん
[60921] 地球人 さん
[60922] Issie さん
[60924] 88 さん
[60929] Hiro_as_Filler さん
[60937] 矢作川太郎 さん

こんなに多くの方々から御回答頂きビックリです。^^;)

皆さんの丁寧かつ分かり易い説明のおかげで、[60918]の疑問も完全に解決しました。
例規集の「沿革」は以前別例規のを一度見たものの「何じゃこりゃ?」と思い気にも留めずにいたのでした……こんな情報がここに隠れてたとは。もっと例規集を使いこなせるようにならないといけませんね。
本当に皆さんありがとうございました。


[60937] 矢作川太郎 さん
国会図書館 インターネット資源蓄積実験事業(WARP)岡崎市・額田町合併協議会HPおよび合併前の岡崎市HPのデータが保存されていました。この時点の岡崎市例規集も確認可能です。

それを確認したところ、額田町を編入する以前から岡崎市の鳥・木には「準」のものも存在したようです。第5回合併協資料(協議事項)<PDF>にそれに関して説明がありました。以下引用します。
岡崎市の花、木、鳥については、それぞれ別の時期に一般公募により決定されている。その際、木及び鳥については次点等のものを「準」として規定されていることから、今回の合併に際し、額田町の花、木、鳥を岡崎市のそれらの「準」に加えることによって伝承する。(ただし、木については額田町の木「くろがねもち」はすでに岡崎市の「準市の木」に指定されている。)
[60918] 2007年 8月 30日(木)17:17:19右左府 さん
附則
地理にあまり関係の無い質問なので、書き込むべきか迷ったのですが……。

今自治体の各種“慣行”(紋章、花・木・鳥など)について簡単な調べ物をしており、そのため自治体の例規集に目を通しているのですが、そこでちょっと分からない事が出てきました。

まず、藤岡市例規集の第1編 総規 第1章 市制 にある告示「藤岡市の市の木、市の花」を引用します。

○藤岡市の市の木、市の花
昭和54年3月9日
告示第9号
市の木 くすのき、もくせい、杉
市の花 ふじ、サルビア、冬桜
附 則(平成17年告示第85号)
この告示は、平成18年1月1日から施行する。

この最後の附則の意味がよく分からず困っています。冒頭に“昭和54年3月9日”とあるのに、“平成18年1月1日から施行する”ってどういう事?と、チンプンカンプンです。そもそも、「附則」とは何ぞや?という疑問まで沸いてくる始末。
同様の疑問は以前別件で法律を調べていた際にもぶつかった事があります。おそらく法学の方面では常識的な事かと思われますが、法学部生でもない私には何が何だかサッパリです。「まず『附則』とは何?」「上記の告示の附則は何を意味するの?」という二点について、どなたかこの法学の知識ゼロの私にも理解できるように説明して頂けないでしょうか。


ちなみに、鬼石町を編入する以前、藤岡市の市の木・市の花はそれぞれ「くすのき、もくせい」「ふじ、サルビア」のみでした。しかし、鬼石町編入に際し鬼石町の木・花である「杉」「冬桜」を追加したという事です。
附則にある日付が鬼石町編入の日と一致することから、これが何かしら関係あると思うのですが……。

参考:藤岡市・鬼石町合併協定書より一部抜粋
22 慣行の取扱い
(1) 市の紋章、市民憲章、市の花・木・歌については、藤岡市の制度に統一する。
   ただし、鬼石町の花・木を追加する。

[60916] 2007年 8月 30日(木)15:10:49右左府 さん
ソウル
[60914] 第2町人 さん
朝鮮語において「ソウル」が同じような「首都」を意味する単語だと聞いた事があります

過去ログに関連記事がありましたので、簡単に拾ってまとめてみました。
市名「ソウル」に関する記事
あまり上手にまとまっておらず、またご質問の答えになりそうな記事のほか「ソウル」の漢字表記に関する記事も含まれていますが……。

上記の記事集は「ソウル」をキーワードに記事検索した中から拾ったのですが、ヒットした記事がある時期に集中。日韓W杯が開催された2002年から「韓流」ブーム真っ只中の時期にかけてです。
あの頃に比べると、「韓流」ブームもだいぶ下火になってきましたね。


……と、今確認したら[60915]熊虎さんから先に御回答が。でもせっかく記事集も作ったんで、投稿しちゃいます。
[60839] 2007年 8月 27日(月)21:21:04右左府 さん
千年など
[60771] スピカ さん
川崎市の土地事情は横浜市民としては羨ましい限りです。
私は既に川崎の土地事情で十分うんざりしてるんですが、まだまだ上があるんですね……。
そういえば私はまだ横浜の街を歩いたことがないんでした。一度は行ってみて、世界を知った方がよさそうです(笑)。

引っ越す前、一番近い新城駅ではなく一駅遠い溝ノ口駅まで自転車で行き、そこから電車に乗って通学しようと考えていたけれど(これにより定期代ダウン)、実際に一度行ってみてその道路事情と駐輪場事情の厳しさを知り、結局新城駅から乗ることにした……なんてエピソードがあったりなかったり。
距離だけ考えると普通に可能だったんですが……。


多摩川の対岸の世田谷区の千歳(駅でいえば小田急線の千歳船橋や京王線の千歳烏山)でしょうか。
あ、こんな所に!千年との距離からしてもそれっぽいですね。
漢字が違うから、「高津の千年」「○○の千年」ではなく、「センネン」「千歳」で区別しているとも考えられます。
なるほど、これもしっくりきます。

もしかしたら、大伯父が働く職場の中で使われている読み分けかな、と今ふと考えました。伯父の仕事の内容は詳しく分からないのですが、以前私と都心を歩いていたとき、仕事仲間らしき人と会って話し込んでいました。という事は、町田市内だけでなく都区内あたりまでも仕事のエリアに入っていて、そのため仕事仲間の間でこの二つの地名を簡単に区別しようと「チトセ」「センネン」と読み分けている……な~んて、推量の域を出ませんが。
あ、[60733]では「伯父」と書いてましたが、上記の通り「大伯父」の間違いでした。これはヒドイ……(汗)。
[60811] 2007年 8月 26日(日)17:05:57右左府 さん
雑学訂正
グリグリさんへ

市町村雑学「飯塚市は三回生まれ変わった? 同一市名で新設合併した市」に誤りを見付けました。
#143日光市の最初の市制施行日が“1954年2月1日”となっていますが、正しくは“1954年2月11日”のようです。
市町村変遷情報及び旧日光市の例規集で確認したところ、共に後者の日付となっています。
[60733] 2007年 8月 23日(木)00:53:19【1】右左府 さん
南武線、千年、浪岡町
[60730] 伊豆之国 さん
南武線は横浜市も通っています。
あっ、またやらかしちゃいました。てっきり川崎市内だけをするする通ってるとばかり思ってたもので。武蔵野線の方も含め、[60705]に訂正文を追加しておきました。
やっぱり不得手な分野には手を出さないのが無難ですね……。


[60728] スピカ さん
千年
千年のバス停がある交差点はほぼ毎日通っていますが、引っ越して間もない頃、そのバス停の数の多さに驚きました。同じバス停が6箇所もあるなんて、少なくとも能代の街中では有り得ない話ですから。
交通量の多さ、充実したバス路線・本数、道路の狭さが原因でしょうか。

以前、町田に暮らす伯父と車でこの付近を通った時の話。
カーナビに映った「千年」の地名を、伯父が「センネン」と読みました。バスの車内放送で「次は、チトセ~」と何度も聞いていた私は「チトセじゃないの!?」と思い、すぐ質問。すると、「近くにも別のチトセがあるから、こっちはセンネンって読んで区別してるんだよ」と説明してくれました。(でも、その「別のチトセ」を探してみたけど見当たらない……。)
このチトセの読み分け、一般的に行われているものなんでしょうか?それとも伯父が個人的に読み分けてるだけ?


さて、昨日(22日)の官報で青森市(旧浪岡町域)と藤崎町(旧常盤村域)の境界変更が告示されました。9月1日付で青森市の増館若柳地区などが藤崎町に編入されます。
当初は大字増館字若柳のみの編入が計画されていましたが、今春には大字増館字宮元、大字郷山前字山井、大字吉野田字吉野の編入も明らかになりました。編入される区域の面積は約62,600平方メートル、世帯数は47世帯との事です(東奥日報より)。
こちら(Web東奥・特集/市町村合併)に関連記事がまとめられています。
[60719] 2007年 8月 22日(水)18:43:55右左府 さん
武蔵野線
[60707] 白桃 さん
あちゃちゃ、やはり私の無知を曝け出すという結果になっちゃいました。

南武線を利用し始めて間もない頃、府中本町から南武線の南側に延びていく線路を見て何だろうと思ってました。あれも武蔵野線だったんですね。
地図で確認してみると、私の住むアパートの近くも通ってるじゃありませんか。宮前区にある貨物ターミナルも、そういえば以前間近に見た事がありました。

西船橋の先も直通運転が行われているんですね。それで“府中本町―東京”か……[60703]スピカさん、失礼しました。
何より、白桃さんがお世話になってらっしゃる(?)路線を見落とすとは、あるまじき失態……(汗)。


【余談】武蔵野線といえば、よく強風などで運休になる事があります。大学の友人に武蔵野線通学の人がいるんですが、よくそれで授業に間に合わなかったりするんですよね。何だか、五能線を思い出します。高校時代も、五能線がよく“強風”などですぐに運休になって、八森や岩崎から通ってる人が不在のまま授業が始まったりしてました。
それで、その武蔵野線で足止めを喰らってる彼に「武蔵野線って五能線みたいだね^^」なんてメールを送ったら、「秋田と一緒にしないでくれ~」という悲痛の叫び(?)が返ってきました(笑)。あの日も、彼は結局授業に間に合いませんでしたとさ。
[60705] 2007年 8月 21日(火)23:22:46【1】右左府 さん
武蔵野線
[60703] スピカ さん
私は鉄道には全く詳しくないので、私の方が何か間違ってるのかもしれませんが……。

武蔵野線   東京―府中本町
武蔵野線は“府中本町―南船橋”では?(※1)そうすると、

府中市―国分寺市―小平市―東村山市―所沢市―清瀬市―新座市―朝霞市―さいたま市―川口市―越谷市―吉川市―三郷市―流山市―松戸市―市川市―船橋市

となり、通過市町村数は市のみ 17 となりますが……。
守備範囲外の分野に言及すると、どうもハラハラしちゃいますね。^^;)


ちなみに、私は現在あちら(神奈川・東京)での生活で、通学や買い物で南武線を日常的に利用しています。で、下り電車で府中本町に停車した際、よく行き先表示が「南船橋」となった武蔵野線車両を隣に見掛けるんですよね。その為上記のような点に気付いた訳であります。

ところで、その南武線は長さの割に通過市数が少ないですね。川崎市―稲城市―府中市―国立市―立川市、と5市に留まってます(※2)。原因は、川崎市域が南武線に沿って細長く広がったという点に尽きるでしょうか。


※1:武蔵野線の区間等に誤りがありました。[60707](白桃さん)参照。
※2:南武線の通過自治体に誤りがありました。正しくは横浜市が加わり6市となります。[60730](伊豆之国さん)参照。


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