[107111] 白桃さん
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1890年の(人口)は、YTさんが算出された現住人口(日本帝国民戸口表基準)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
早速使って頂きありがとうございます。
ただ、
[107050]でアップロードしました明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口については、
[107077]に加え、北海道庁の一部市区町村に間違いがありましたので、追加訂正します。
【1】
修正前:
市区町村 | 本籍男 | 本籍女 | 本籍人口 | 現住戸数 | 現住人口(官報基準) | 現住人口(日本帝国民籍戸口表基準) |
茅部郡蛯谷村 | 298 | 256 | 554 | 71 | 559 | 559 |
茅部郡石倉村 | 137 | 120 | 257 | 30 | 268 | 268 |
修正後
市区町村 | 本籍男 | 本籍女 | 本籍人口 | 現住戸数 | 現住人口(官報基準) | 現住人口(日本帝国民籍戸口表基準) |
茅部郡石倉村 | 298 | 256 | 554 | 71 | 565 | 565 |
茅部郡蛯谷村 | 137 | 120 | 257 | 30 | 262 | 262 |
『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』は、明治23年の戸口表に関して、本籍人口と現住戸数をまとめた「各郡区町村別戸口表」と、出入寄留をまとめた「各郡区町村別人口出入表」が分離しているのですが、両者で順番が違っていたのを見落とし、誤って逆にまとめて算出してしまいました。この間違いは『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で気付きました。本籍男~現住戸数の数値は逆で、[出]外国行~[入]他町村入寄留の数値は正しいです。ただし修正するにあたっては、「各郡区町村別戸口表」の順番を優先し、石倉村と蛯谷村を逆にし、出]外国行~[入]他町村入寄留の数値を入れ替えました。結果、現住人口(官報基準)と現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)の数値が変わります。
【2】
修正前:
市区町村 | 本籍男 | 本籍女 | 本籍人口 | 現住戸数 | 現住人口 (官報基準) | 現住人口(日本帝国 民籍戸口表基準) | 備考 |
室蘭郡輪西村 | 171 | 188 | 359 | 67 | 504 | 503 |
室蘭郡元室蘭村 | 828 | 642 | 1,470 | 300 | 1,520 | 1,520 | M23.5.15改称 |
修正後:
市区町村 | 本籍男 | 本籍女 | 本籍人口 | 現住戸数 | 現住人口 (官報基準) | 現住人口(日本帝国 民籍戸口表基準) | 備考 |
室蘭郡輪西村 | 828 | 642 | 1,470 | 300 | 1,615 | 1,614 | 本籍男171, 本籍女188, 本籍人口359, 現住戸数67を修正 |
室蘭郡元室蘭村 | 171 | 188 | 359 | 67 | 409 | 409 | M23.5.15改称; 本籍男828, 本籍女642, 本籍人口1,470, 現住戸数300を修正 |
こちらはむしろオリジナルは『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』に従ってまとめてました。即ち「各郡区町村別戸口表」の方は元室蘭村、輪西村、各郡区町村別人口出入表」の方は輪西村、元室蘭村の順番に数字が示されており、入力の際にはちゃんと順番を入れ替えて表にまとめました。しかしがら『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で数値がおかしいことに気付きました。明治22年、明治24年の人口と比較すると、明治23年だけ特異的に室蘭村と輪西村の人口が不自然に反転していました。そこで『明治二十四年 徴発物件一覧表』の掲載の値が正しく、「各郡区町村別戸口表」の方で誤って元室蘭村と輪西村の順番を間違えてしまったと判断し、本籍男~現住戸数の数字を輪西村と元室蘭村の間で交換するという修正を行いました。[出]外国行~[入]他町村入寄留の数値は、人口比からも数字的に元データが正しいと判断し、こちらは修正しませんでした。結果、現住人口(官報基準)と現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)の数値が変わります。
以上の間違いは『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で気付きましたが、他の地域については官報掲載の現住人口との比較である程度この手の入力誤りは防げていたと思います。北海道庁・沖縄県・奄美・トカラ・対馬・隠岐に関しては、官報掲載の現住人口によるチェックができないため、このような間違いがほかにあるかも知れません(明治22年に関しては、『町村別戸口表』の方に欄外で官報掲載の現住人口が記載されているため、北海道庁と、そもそも情報漏れの伊豆・小笠原以外は数値のチェックができます)。
この他、戸長役場連合、町村組合管轄の範囲について、SUM関数の指定を誤っている箇所が既にいくつか見つかっていますが、これについてはまあ追加修正は一々メモっていないので、次回の更新で突然の修正がいくつも出てきますがすみません。
なお、今回香川県の過去の人口をまとめていらっしゃいますが、明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。明治22年末の香川県那珂郡は、無籍在監人2人、入寄留の囚人及懲治人208人、入寄留の陸海軍在営艦者1,598人の存在を確認できますが、この内無籍在監人2人は那珂郡丸亀御供所町に加えると、
官報掲載の現住人口とも一致することからも、丸亀監獄が丸亀御供所町に存在したことが確認できます。一方で入寄留の陸海軍在営艦者1,598人とは、すなわち丸亀営所に現住戸籍を届けた陸軍第五師団歩兵第十二連隊の下士・卒・生徒であることに相違ありません。問題はその所在地ですが、『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、
明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。
とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際
官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。
となると、丸亀営所に居住の兵卒は、どこに現住の戸籍を置いたのでしょう?既に丸亀一番丁~五番丁は消滅しています。仕方ないので「丸亀営所」とでもするしかない町丁名同等地区が存在すると仮定して集計し、戸長役場管轄としては丸亀通町外二十一箇町丁連合の方に合算しましたが、ここの当時の住所の扱いが分かれば、集計方法を今後変えるかも知れません。
【言葉の間違いや繰り返しを一部訂正】