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ゆうさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[44105]2005年8月13日
ゆう
[43887]2005年8月5日
ゆう
[43669]2005年7月28日
ゆう
[43664]2005年7月28日
ゆう
[43656]2005年7月27日
ゆう

[44105] 2005年 8月 13日(土)05:15:03ゆう さん
「あきよしのほらあな」も好きです
私も
[44065]hmtさん
「正式の読み方」など 存在しなかったのかもしれない
を支持する者のひとりです。「正式な読み方」を深追いしてもしょうがないとは思ってます。

とはいえ…
[4201]H2さん
いまでも地元では特に違和感なく「しゅうほうどう」も使いますよ。
個人的には「あきよしどう」を使うことの方が少ないです。
まさにこういう説明をするときのみ、ちゃんと「あきよしどう」を使うくらいです。
[43914]hmtさん
秋芳町のページによると、秋芳町になった現在も、地元では「AKIYOSHIDO」という読み方を守っていますね。
…地元は「しゅうほうどう」が優勢。でも観光関係では「あきよしどう」に統一。観光客は戸惑う…

[4199]なお[KN]さん
修学旅行の際、聞いたんですが、昭和天皇が80年前間違えて「あきよし」と呼んだのが由来で、それまでは「しゅうほうどう」と呼ばれてました。
…これはおそらく「ガセ」なんでしょうが、Webを検索すると現地のガイドからそのような説明を受けたと思われる話はいくつかありました。

「正式」かどうかにはこだわりませんが、このような「ねじれ」の経緯が何だったのかには興味があります。

[43914]hmtさん
証拠となる「命名書」の有無については知りませんが、常識的には「ふりがな」など付いているとは考えられません。
なるほど、命名者は現地でこの鍾乳洞を見学してその場で名前を考えて「あきよしどう」と発言したものだと勝手に思ってましたが、それにしても録音でもない限りどう読んだかはわかりません。

当時の「秋吉(あきよし)村」関係者が、自分たちの立場から「あきよしどう」の名を貰ったと思ったのではないでしょうか。
この説は魅力的ですね。
[43887] 2005年 8月 5日(金)21:57:21ゆう さん
秋芳洞
[43884]きまぐれさん
紛らわしいのは秋芳町(しゅうほうちょう)に秋芳洞〈あきよしどう〉秋吉台(あきよしだい)があること

きまぐれさんの記事を読んで、古い話題を思い出しました。


[4210]YSKさん
(1)もともと別の名前だった洞窟を、昭和天皇が「秋芳洞(あきよしどう)」と命名した。
(2)もともと「秋芳洞(しゅうほうどう)」という名前だったものを、昭和天皇が「あきよしどう」という名前に改称した。
の2説があるということになりそうですね。いずれにしても、昭和天皇が今の名前をつけたことになりますね。
とすると、町の名前が「しゅうほう」という読みをする理由が分からないですね。(2)の説が正しい場合はまだ分かりますが、仮に(1)の説だった場合、何故「あきよし」という名前にしなかったのでしょう。謎が深まるばかりですね。

私自身も「しゅうほうどう」のほうが馴染んでいて、本当は「あきよしどう」と言われても違和感がありました。秋芳町は「しゅうほうちょう」ですから余計に疑問でした。

でも、hmtさんの[43834]を学んだ今なら納得できます。こんなストーリーだったのではないでしょうか。

●「瀧穴」と呼ばれていた鍾乳洞に1926年に裕仁皇太子(昭和天皇)が「秋芳洞(あきよしどう)」と命名
●人々は命名者に敬意を表し、名前をストレートに使わずに音読みで「しゅうほうどう」と表現
●1955年に4か村が合併し秋芳町「しゅうほうちょう」成立

※なぜ「秋芳」だったのでしょう。「秋吉台」の地下だから!?

でも「習志野」を「しゅうしや」と呼ぶのは聞いたことがないですね。
[43669] 2005年 7月 28日(木)01:00:25ゆう さん
自治が這う街
問五: 津島市

これを見落としてた?
[43664] 2005年 7月 28日(木)00:36:58ゆう さん
八字間違う
問五: 勝山市

あわててしまいました。
[43656] 2005年 7月 27日(水)23:30:36ゆう さん
全国の市・十番勝負
問一: 竹原市
問四: 鳥取市
問五: 本庄市
問七: 竹原市
問八: 山口市
問九: 竹原市
問十: 国分寺市


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