[43884]きまぐれさん
紛らわしいのは秋芳町(しゅうほうちょう)に秋芳洞〈あきよしどう〉秋吉台(あきよしだい)があること
きまぐれさんの記事を読んで、古い話題を思い出しました。
[4210]YSKさん
(1)もともと別の名前だった洞窟を、昭和天皇が「秋芳洞(あきよしどう)」と命名した。
(2)もともと「秋芳洞(しゅうほうどう)」という名前だったものを、昭和天皇が「あきよしどう」という名前に改称した。
の2説があるということになりそうですね。いずれにしても、昭和天皇が今の名前をつけたことになりますね。
とすると、町の名前が「しゅうほう」という読みをする理由が分からないですね。(2)の説が正しい場合はまだ分かりますが、仮に(1)の説だった場合、何故「あきよし」という名前にしなかったのでしょう。謎が深まるばかりですね。
私自身も「しゅうほうどう」のほうが馴染んでいて、本当は「あきよしどう」と言われても違和感がありました。秋芳町は「しゅうほうちょう」ですから余計に疑問でした。
でも、hmtさんの
[43834]を学んだ今なら納得できます。こんなストーリーだったのではないでしょうか。
●「瀧穴」と呼ばれていた鍾乳洞に1926年に裕仁皇太子(昭和天皇)が「秋芳洞(あきよしどう)」と命名
●人々は命名者に敬意を表し、名前をストレートに使わずに音読みで「しゅうほうどう」と表現
●1955年に4か村が合併し秋芳町「しゅうほうちょう」成立
※なぜ「秋芳」だったのでしょう。「秋吉台」の地下だから!?
でも「習志野」を「しゅうしや」と呼ぶのは聞いたことがないですね。