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音無鈴鹿さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[61827]2007年10月11日
音無鈴鹿
[61458]2007年10月2日
音無鈴鹿
[61365]2007年9月29日
音無鈴鹿
[60848]2007年8月27日
音無鈴鹿
[60593]2007年8月13日
音無鈴鹿

[61827] 2007年 10月 11日(木)04:09:42音無鈴鹿 さん
祭礼に伴う交通規制にご協力ください
盛夏の終わりに書こうと思って準備しながら書かなかった記事があったのですが、書かなければならないような気がするので。記録してあった文章を若干…いやかなり大量に加筆修正して書き込みます。あしからずご了承ください。

このところめっきり涼しくなり、秋の気配が日に日に強まってまいりましたが、日本各地では、秋季祭礼が執り行われる季節となりました。
 当方の町においても例年9月の15日前後の週末、土曜日曜に神社の祭礼の予定が組まれており、本年も近隣住民参加のもと、無事挙行されたところであります。私どもの街は、新宿駅の西側の住商混合地区であり、いわば都会のど真ん中(残念ながら墨引きの外であり江戸町奉行の管轄外ではありますが、朱引きの内ですので御府内という解釈でお願いします…)です。しかしながら毎年のことではありますが、祭礼の開催に関して少なからずの苦情も受けております。太鼓や笛がうるさいとか夜遅くまで騒々しいという騒音系、夜店縁日に伴うゴミ問題、あるいは道路交通規制に関するものなどさまざまです。なかでも交通規制に関する苦情は、地元のみならず遠方からも毎年必ず寄せられています。というのも秋の行楽シーズンに都心部の幹線道路や高速道路ランプへのアクセス道路の一部を、短時間ではありますが拝借するわけです。残念ながら交通渋滞を誘発していることは厳然とした事実であります。こちらは神事ではありますが、無関心な方あるいは他宗教の方かもしれませんが、そいうった方のご意見では「勝手に道路を封鎖するな。道路で遊ぶな」となるわけですが、当方としては合理的な言い訳は持ち合わせておりませんので、「年に一度のお祭りなんで、申し訳ないのですが勘弁してください」とひたすら協力をお願いするしかないのです。

 祭礼のみならず、イベントの開催時には少なからずこの種のトラブルはつき物で、札幌の雪祭りに自衛隊を参加させるなというものから、植樹祭を中止しろあるいはそれらに伴う税金の投入許すまじというものまで。本年2月に東京マラソンという市民マラソン企画が開催され、好評のうちに終了いたしました。長時間の交通封鎖に対する厳しい意見は前身の東京国際マラソンの時代からあり、3時間ほどの交通規制でも苦情があったといいます。交通規制問題の余波として、1998年の東京ハーフマラソンでは、トップを走る国外招待選手が競技中に赤信号にレースを中断されるというトラブルまでおきています(リンク先 1998年の記録参照)。 そういった情勢のなか、今回はまる一日の交通規制を実施したうえで3万人規模の市民参加型マラソンを挙行できたのは、関係者の努力と、東京の住民の協力あってこその快挙であったわけです。

 こういった祭礼やイベントは、興味が無い方あるいはその地域との関係が希薄な方から考えればまさに”くだらないこと”なのでしょうけれど、企画実行ならびに参加者にとっては重要な事項であることは疑義をはさむ余地が無いことは自明であります。いちいちお祭りの開催現場に乗り込んで指差して「あれはくだらない」と注文することは、大人の分別ある行動とは到底いえない、それは無粋というものでしょう。お祭りの間だけ、ほんのいっときの時間だけ、少し距離をおいていてくださればそれでいいではありませんか。

 十番勝負もまた落書き帳においては、重要なお祭りであるわけです。つきましては、祭礼に伴う交通規制にはなにとぞご協力くださいますようお願い致したく存じます。

 さて、わが町の地域活動におけるここ数年の傾向についても、折角ですからちょっと触れておきましょう。ここ数年ですが都市の中心部へ転入する人口が増加している、いわゆる都心回帰という兆候があるようで、当方の地域においても若干の住民増加が見られています。こういった新規に転入されました住民の方は以前にも一定数あったのですが、如何せんこれまでは諸般の事情で転出される方のほうがそれを上回っていたのです。その結果、商店街に関してはご多分に漏れずすっかりシャッター商店街となってしまいました。かといって大規模小売店のジャ○コやらダ○エーやらヨー○ドーやらがあるわけではなく。こういった住環境の変化はわれわれ先住民の生活をも変化させており、今では「バラの包みに包まれた秋刀魚のお買い上げ」なんて商行動も至極当たり前なものとなってきました。

 さて、この都心回帰ですが、量的な変化のみならず質的な変化も目に付くようになってきました。これまでの新規転入の住民の方はは地域活動に参加されないケースがままあったのですが、最近はお祭りなどの行事に参加してくださる方がいらっしゃいます。さすがに町内会には入ってはくれませんが。いずれにしてもこれまで地域活動への意識が希薄であった方が、こういった行事を契機として興味を持ち、そして参加してくださる。これはわれわれ先住民にとっては大変ありがたいことであります。当方の「地域とともに進む会」が高齢者ばかりになって「墓場に進む会」と揶揄されていたのがウソのような活況ぶりです。これまでは、参加しようという意識が希薄だった住民に対しては、どうしても文句ばかりになり、やがては排除してしまうようになっていたのは事実です。しかしながらこれでは地域における諸問題の解決には何一つ繋がらないということを意識した上で、地域へ参加したいという新住民をなんとか積極的に地域生活に取り込むようにしてきたわけです。

 このようにいいことずくめのように書いてはいますが、決してすべてがうまくいっているわけではありません。お祭りやイベントなどは積極的に参加してもらえるのですが、それよりも積極的に参加協力してほしいとこちらが願っている防災活動への参加率はすこぶる低いです。行事に参加してくれるのは構わないし有難いのではありますが、それがあまり自己都合に終始するのもいかがなものかとね。そしてトラブルもあります。とりわけ生活時間や習慣のズレに関してはトラブルが耐えません。いくら住商混合地区とはいえ深夜まで騒がれるのは困りものですし、指定場所・時間外のゴミ捨てなど論外。おまえの私生活のことなど知るか、と。こういう問題に関しては新住民に迎合するのではなくなんとかこちらの方針に沿うようにしていただきたい、と時には心を鬼にして苦言を。まぁ、いまだ多くの課題を抱えていますが、同じ地域に住む縁ですから、決して喧嘩をしたいわけではないのですが、ここらへんのところを相手にわかってもらうというのは本当に難しい。同じ街に住むのだからなんとか協調して生活していきたいなぁと日々考えているわけですよ。
 
このあたりの事情についても併せてご高配くださいますよう宜しく申し上げます。
[61458] 2007年 10月 2日(火)01:59:48【1】音無鈴鹿 さん
真田日本一のつはもの
こんばんは。
 郵便局の民営化が行われた影響で落書き帳でも話題になっていますね。今日の夕方に書留便を出すべく郵便局までいってきたのですが、看板の色が赤色から橙色になっていて早速違和感が。局内も銀行風だった窓口が見事に取っ払われて、郵便と貯金業務ほかは色違いで同じ建物内でありながら完全分離で、さながら家庭内別居の雰囲気。
 …国鉄の分割民営化のときに落書き帳があったなら、きっと上を下への大騒ぎで、書き込みの数はこんなもんじゃ済まなかったのだろうなぁと妄想。

さて。
[61367] Issie先生
これは「鎌倉」ではなくて,「真田」が宣伝文句になったろう,という意味。
あぁ、読み間違っておりました。失礼しました。

実際に真田家が上田を治めたのは,戦国末期から江戸時代初期,昌幸・信之の2代
しかし戦国ものにおいても真田家は人気ありますね。正確には真田幸村人気であり、十勇士人気であるのでしょうけれど。そのほかにも、昌幸・信繁親子で徳川家康に幾度と辛酸なめさせたからか、反家康の固定票もあるのでしょう。そういえば上田の駅前にも真田幸村馬上像がありましたっけ。知名度の上では圧倒的に幸村のほうが、兄・信之もちろんひょっとすると父・昌幸よりも遥かにあるでしょうから。真田人気を宣伝する側の論理というか発想としては、信州松代の真田家と、真田幸村は別の真田であるのかもしれません。真田左衛門佐の彼が、信繁ではなくなぜか「幸村」とよばれるのも、信幸(信之)と同様に、真田幸隆→昌幸→幸村のほうが「真田本流」あってほしいという願望が世間ではあって、それが後世真田信繁の人物に「幸」の偏諱を名乗らせたたのでしょうか。確かに当時の松代藩は、信之と信繁は別のものであるという意識を持って、幕下での生き残りを画策したことは想像に難くないのですが。

[61370] スピカさん
現在はこんな感じになっております
嗚呼。これは玉縄城を見に行ったら不審者として通報されちゃいますね(笑)。

[61380] きまぐれさん
鎌倉彫は国指定の伝統的工芸品
ご紹介ありがとうございました。これは高級品ですねぇ。

[61386]スピカさん
緑区
上猿山 →上山町
下猿山 →白山町
このペアを壊してしまうところが非常に興味深いです。
下猿山→下山→白山 ってシモをシロにしたわけかぁ。コレに関しては、変更の経緯がわかりませんので、迂闊なことはいえないのでしょうけれど。なにかいわれたのかそれとも事なかれ主義で余計な気をまわしたのかよくわかりませんね。一種の言葉狩りですかねぇ?

[61405] hmtさん
大日本帝国時代の首都・東京は、「帝都」と呼ばれていました。
「帝都」の名は、京王帝都も帝都高速度交通営団も消えてしまいましたね。私は帝都、あるいは帝国っていう響きは結構好きだったんです。「帝」の字もなんかネクタイをきゅっと締めてかしこまったような感じで、格式があるというかなんというか。でもやはり時代に(もちろん実態にも)合わないから仕方が無いのでしょう。一方、帝国の名前のほうはまだ「帝国ホテル」、「帝国データバンク」、「帝国石油」、「帝国書院」(教科書屋さんですね)、などなどの会社名に残っていて、まだ絶滅の心配はなさそうです。帝国人絹(帝国人造絹絲)という会社もありましたが、いまはテイジンとカタカナ表記になっていて、その業務内容も化成品や医薬品事業などが主力なんですね。もっとも人絹ってことばそのものが死語なんでしょうか?レーヨン、東レの”レ”ですね。東洋○○とか東亜○○という社名は、明治の産業勃興期に西洋に対する東洋、あるいはアジアという意味を込めて名づけられたのものです。そのほかに帝京大学という学校法人もあります。

※力作「100年前、国有化の頃の鉄道」シリーズ、拝見しております。富国強兵の時代に先人が、鉄道をはじめとする社会インフラに対して多大なる資産ならびに労力を投入しこれを完成させたことは、現代から見てもきわめて驚異的な時代であったのだなぁと頭が下がる思いです。改めて感慨深く感じております。

[61456]ペーロケさん
特に「京神」は、かなりの数で「東京と神奈川」という意味が含まれていると思われますが、
検索の結果として「東京神奈川」を「東 "京神" 奈川」という形で機械的に拾ってしまうことはあるのかもしれませんが、少なくとも私は東京と神奈川をあわせて「京神」という語で呼ぶ事例はいちども来たことがありません。京神というとむしろ、京大と神戸大のスポーツイベントを京神戦と呼ぶことを思いつきます。

そして。
[61428] Issie先生
先生も大変ですね。
[61439]かすみさん
姐さんも大変ですね。

…いや、いろいろ書こうとは思ったのですが、書いて消してを繰り返しているうちに、断念。
なんとも難しいものですね。
[61365] 2007年 9月 29日(土)03:56:12音無鈴鹿 さん
鎌倉ブランド
こんばんは。疲れて寝てしまったらやけに早く目が覚めて。

[61324] かすみ さん
「信州の鎌倉 別所温泉」
二週ほど前に、大河ドラマ「風林火山」の次回予告のあとに放映されている「風林火山紀行」という地域観光案内みたいなミニ番組で、上田市のことが紹介されたとき、「信州の鎌倉」と宣伝されていました。
○○の鎌倉、というフレーズがあまり聞きなれないものだったので印象に残っていたのです。

 宣伝文句として鎌倉という単語を用いても、小江戸や小京都というフレーズと比較してしまうと具体的イメージが沸きづらいですから。鎌倉の悪口(笑)の詳細は[60769] Issie先生の記事にお譲りしますが、鎌倉って町はいちど荒廃していて中世の面影なんてほとんど無いですからねぇ。鎌倉は、応仁の乱より一足先に始まってしまった戦国乱世のなかで荒廃してしまいました。上杉禅秀の乱でほころび始めた鎌倉府の支配体制は、永享の乱や結城合戦などで弱体化、ついには享徳の乱で鎌倉が陥落すると崩壊が決定的に。そして鎌倉という街も鎌倉府と一緒に衰退してしまったのでした。それ以降も西関東を支配し続けた関東管領上杉家の本拠地ではあったものの、そこへ進出してきた後北条氏は、この地域の支配拠点として、鎌倉から山ひとつ超えた先に玉縄城を築いています。ちょうど今の大船駅のあたり。明治時代に鎌倉郡を管轄するため郡役所が設置されたときも、役所は鎌倉ではなく戸塚に置かれました。
 いま鎌倉らしさとされる海沿いの高級住宅地とかっていうのも、明治以降に形成されたものです。鎌倉町が成立したのは1894年。その5年前に横須賀線が開業し、経由地となったことが別荘地・行楽地としての価値を高めたためです。以降、着実に関東近郊の高級住宅地兼海の観光地としての地位を気づいているのはご承知の通り。
 いまや鎌倉を冠するブランドもいろいろ。鎌倉ビール鎌倉ハムもあります。鎌倉ハムの本社は名古屋市ですが、創業は鎌倉。関東大震災で被災して、名古屋へと移転したものの、鎌倉のブランドは維持しています。このパターンは関東大震災により横浜から神戸へと移転した洋菓子屋さんのユーハイムと同じですね。ほかには鎌倉カスターなんて街の名前を冠した洋菓子も。お菓子といえば、日本の洋菓子の黎明期にバターたっぷりの鳩サブレを生み出した豊島屋も鎌倉の会社ですね。なんか食べ物ばっかり(笑)。
 いろいろ探しているあいだに、鎌倉パスタというのも発見。あまりなじみがないとおもったら、実は岡山市の会社なんですね。で、会社案内によると
鎌倉に本店があるからでもなければ、社長の名前が鎌倉さんだからでもありません。新しいパスタのお店を創ろうと思ったときに、まずどんな雰囲気のお店にしようかと(中略)いろいろな候補があがった中で「鎌倉」が一番ピッタリのイメージだったのです。
と完全にイメージ先行でした。恐るべし鎌倉ブランド。

…というわけで。
[61331]Issieさん
NHKで「真田太平記」が放送された四半世紀前であれば,それが宣伝文句にもなったでしょう
「鎌倉」という名称は、四半世紀前ならずとも宣伝文句としてはなかなかの模様ですよぉ。
そのうち日本の意思とは無関係に、中国で「鎌倉」が商標登録されちゃったりしてねー。
[60848] 2007年 8月 27日(月)23:56:43音無鈴鹿 さん
都内の谷戸
こんばんは。夏休みを確保したのですが書籍の整理で終わってしまった音無です。

[60820] スピカさん
現在、東京都区部を調査中なのですが、ほっとんどないです。

都内の大部分は武蔵野台地の東縁部ですからは、谷戸とよばれる三方を台地に囲まれ湧水が湧き出すような谷底はそれこそ山ほどあったはずなのですが、都市化の過程でことごとく破壊されてしまっていますね。地形や地名はほとんど残存していないのですが、施設名としてはいくつか残っています。
すでにコレクションにある中野区の谷戸小学校のほかに、渋谷区に長谷戸小学校があります(地図リンク)。中野区の谷戸は桃園川の谷に流入する小さな谷を示したもので、桃園川とこの谷が形成する舌状台地の先端には、中世に中野城が築かれたあたりになります。長谷戸のほうは渋谷川に落ちる谷のひとつだったようで、小学校の名前のほかにかつては出張所があったのですが、渋谷区ホームページによるといまは社会教育館の分館が残るのみで規模縮小された模様。
また、目黒区には谷戸前交番がありました(地図リンク)が、目黒警察署ホームページによると谷戸前交番は、谷戸前地域安全センターに改組した模様。こちらもかつては谷戸前川という小河川があったようですね。

少し調べていたところ、そのほかに大田区と北区にもあるようです。大森署管内にも谷戸交番があります。こちらがどの谷を由来とするのかは不明です。それから滝野川署管内にはなんと駐在所がありました。まさか都内にも警察官が住み込みをする駐在所があるとは思っていなかったので少々驚きです。
[60593] 2007年 8月 13日(月)18:24:07音無鈴鹿 さん
湖水の浜
こんにちは、音無です。
久しぶりの書き込みになります。最後に書き込んだのがいつだったか調べようとメンバー紹介のページをのぞいたのですが、
過去60日間に書き込みのある方
に該当せず、次なる一手として207名全員の紹介ページから「最新の書込(10件)」をクリックしてみたのですが、残念ながら機能していない様子。記事検索でも該当なしになってしまいます。だいぶ長いこと書き込まなかったので、機械にも忘れられちゃったのかな(笑)。

さて本題。
[60591] きまぐれさん
「浜コレクション」にコメントをくださりありがとうございます。
ご提案の「湖水の浜」に関しては、浜コレの最下段に湖水の浜コーナー作成し準備中です。
よって中禅寺湖畔の「菖蒲ヶ浜」ならびに「千手ヶ浜」についても、もちろん採用といたします。情報ありがとうございました。早速反映いたします。

が、肝心の海の浜コレさえも放置状態になってしまっていて手が回らない状態で現在にいたっています。本来なら、閲覧が増えてくるであろうこの時期にきっちりと完成させたかったのですが…残念ながら現在のところ太平洋を南下して潮岬付近で停滞中となっております。
もちろん編集方針も”海優先・淡水はあとで”というわけではなく、どんどん充実させていきたいと考えておりますので、そのほか海水淡水問わずぜひ情報をお寄せください。

そして手作業で検索中に、私を指名した記事を発見!
[58642] hmt さん
滝の音が轟く川なのに、なぜ 音無川 ? 音無鈴鹿さん、ご存知だったら教えてください(笑)。
石神井川は北区に入ると”滝野川”“音無川”といくつかの別称がついていますね。このうち音無川は、徳川吉宗公の命名ときいた覚えがあります。なんでも、吉宗公は花見遊覧の折、この付近風景が紅葉の名所として名高い故郷紀州の音無川に似ていることから、音無川と名づけた。それだけでは飽き足らず、吉宗公は川沿いに百余本の紅葉を植えさせ、一帯を紅葉の名所にしてしまったとのこと。結果として飛鳥山近辺は春の桜、秋の紅葉と江戸近郊の一大行楽地になりましたとさ。…少々誇張されたきらいのある話ですが。
 残念ながら私は本家本元のほうの音無川は存じ上げません。

※やっと探しあてました。前回の十番勝負のとき4月13日([57972])以来のようですね。


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