[58214] 拙稿 「『府藩県一般戸籍ノ法』、大区小区制などについて」、
[58394]「郡区町村編制法について」の続きです。
まず、引用ばかりですが、市制・町村制の背景及び趣旨を説明する、いい文章が続出していますので、ご容赦を。
参考文献
(1)「地方自治百年史 第一巻」平成4年3月30日発行、地方自治百年史編集委員会編集、地方自治法施行四十周年・自治制公布百年記念会発行、財団法人地方財務協会
(2)「香川県史 第五巻 通史編 近代I」昭和62年3月30日発行、編集・発行:香川県、四国新聞社
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★その1 文献(1)より
(二重引用になる「 」は、山縣有朋談「徴兵制度及自治制度確立ノ沿革」(明治憲政経済史論、明治百年叢書 山縣有朋意見書 所収)です。
山縣原文(「 」内)はカタカナをひらがなに引用者(88)が置き換えました。(これだけで私にとっては随分読みやすくなりました。))
江戸時代の町村の規模は、幕藩体制が下部単位に対して採った要請に基づいて成立していた。一言でいえば、その区域の要件は、年貢を請負ってそれを領主に確保する能力であった。そこでは村費において用排水関係の経費が大きなウエイトを占めていた。・・江戸時代の村は、・・・基本的には、一つの生産共同体であったということがいえよう。
明治以降になると、町村費の中で、地方村役場関係の経費のウエイトが高まり、その中に地券、戸籍、徴兵等明治国家の形成に伴う政府関係の仕事が増えてくる。特に、学校関係の経費の増大が顕著になる。
こうなってくると、江戸時代以来の生活・生産共同体的な村の規模では、これに対応が困難になってきた。・・・本格的な地方制度である市制・町村制の施行をひかえ、制度が要求する行政単位としては、従来の町村の規模では、人的能力も負担能力も十分でないと認識されるに至ったのである。
このように、明治の大合併は、社会経済の発展による生活空間の拡大というような自然発生的な要因に基づくのではなく、明治国家の下部機構を担う行政単位としての能力の創出という行政便宜的な要因に基づくところにその大きな特色がある。
この矛盾は、明治政府の当局者も認識していた。町村合併の強行には、政府部内にも金子堅太郎のように、将来実体が伴うようになってから自然な形で町村合併をすべきである、という意見を主張するものもいた。制度の創立責任者である山縣有朋自身が、後年、「従来より存在せる町村の区域を濫りに変更す」ることは、「恰かも数家を合併して団欒たる一家を造成するの不自然にして、好結果を奏し得さるが如く・・・数箇町村を併合して一町村と為すとも、其の町村民相協同して能く自治を為すこと極めて難かるへし、是れ寧しろ当然の懸念たり」と述べ、町村合併の強行は、「自然に発達し来りたる天然の部落を併合するものにして、暴断なるか如き観なきにもあらす」と評している。
しかし、山縣も述べているように、「・・・・・当時全国町村の数七万に余り、小町村に至りては、僅かに三十戸又は四十戸を有するに過ぎす。今之に対して新町村制を適用するとも、其の実効を奏するは、炭火を擁して涼風を求むるの類たるへし。則ち多数の町村は、到底自治体として独立の能力を有せさること、瞭として※日を覩るよりも明かなり」という認識が、「新自治制を実施する為めには、町村の併合を為すの必要已むを得さるものあり」として、「日夜殫思し、終に意を決して百難を排し、新町村制の実施以前に於て、先つ町村併合の処分を断行することとした」のである。
(※は白+「激-さんずい」)
★その2 文献(2)より
これも、カタカナをひらがなに引用者(88)が置き換えました。
「今市制・町村制を設くるは、地方自治及分権の主義を実行するに在り。自治分権の法を施すは即立憲の制に於て国家の基礎を鞏固にする所以のものなり。蓋町村は自然の部落に成立ち、百端の政治悉く町村の事務に係らさるものなし。今や中央政府の制度を整理するに方り、之に先て地方自治の制を立てんとするは目下の急務なり。地方の制度整備せすして独先中央の組織を完備せんことを求むるは、決して順序を得たるものに非ざるなり。故に国家の基礎を鞏固にせんと欲せは、必先町村自治の組織を立てさるを得す。之を喩へは町村は基礎にして国家は猶家屋の如し。基礎鞏固ならす、家屋独能く堅牢なるの理ある可からす。且今憲法を制定せられ、国会を開設せらるヽも僅々一両年を出てさるの秋に方りたれは、益々地方制度の確立は一日も猶予す可からさるを見るなり」(亀卦川浩「明治地方制度成立史」)
★その3 文献(2)より
これも、カタカナをひらがなに引用者(88)が置き換えました。
M21.6.13各地方長官あて内務大臣訓令
町村制を施行するに付ては、町村は各独立して従前の区域を存するを原則となすと雖とも、其独立自治の目的を達するには、各町村に於て相当の資力を有すること又肝要なり。故に町村の区域狭小若くは戸口僅少にして、独立自治に耐ゆるの資力なきものは、之を合併して有力の町村たらしめさるへからす。
★その4 文献(1)より
「自治制定の顛末」大森鐘一述、内務省書記官 大森鐘一の回顧談
「・・・一面より見ると、廃藩置県よりは寧ろ此の二二年の町村合併こそ明治政府の英断といふことができるであろうと思ふ。・・・往昔から自然に存在して居った天然の部落を適宜に分合するといふことは、是れ亦容易ならぬことである。・・・調査の時日が少なく、実施の日が切迫して居って、今日より回想すると、俗にいふ盆と正月が一緒に来たような有様であった。」
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さて、時系列的に触れます。参考文献は冒頭のとおりです。
| 年月日 | 事項 | 香川県の例 |
(25) | M21(1888).4.17 | 市制・町村制公布(官報は4.25付け) |
(26) | M21(1888).12.3 | | 第三次香川県設置 |
(27) | M22(1889).4.1 | 市制・町村制施行(35府県) |
| | ----26府県(31市)、9県(市なし) |
| M22(1889).5.1 | 市制・町村制施行(2府県) |
| | ----東京府(東京市)、宮崎県(市なし) |
| M22(1889).6.1 | 市制・町村制施行(1県) |
| | ----岡山県(岡山市) |
| M22(1889).7.1 | 市制・町村制施行(2県) |
| | ----山梨県(甲府市)、岐阜県(岐阜市) |
| M22(1889).10.1 | 市制・町村制施行(3県) |
| | ----愛知県(名古屋市)、鳥取県(鳥取市)、徳島県(徳島市) |
| M22(1889).12.15 | 市制・町村制施行(1県) |
| | ----愛媛県(松山市) |
| M23(1890).2.15 | 市制・町村制施行(1県) | 香川県市制・町村制施行 |
| | ----香川県(高松市) |
郡区町村編制法の後、戸長役場管轄区域の拡大や戸長官選制などは、官治的統制の強化という色彩の強いものでした。しかし、これは財政面など町村情勢の緊迫化に対する応急処置的な性格を多分にもっているもので、憲法を頂点とする国会体制の整備の中において、永続性をもつ体系的な地方制度がいずれは必要という認識は政府にもありました。
M15には憲法調査のためにプロイセン帝国に派遣された伊藤博文の取調項目の中に「地方制度ノ事」が含まれ、また、内務大書記官村田保による町村法草案(M17.5)、政府雇ルードルフによる町村法草案(M18~19頃)、内閣雇ドイツ人顧問ロェスレルの意見書(M19.10.23)、内閣雇ドイツ人顧問モッセの意見書(M19.7.22)など、さまざまな検討がなされてきました。M20.1.24付けで政府は「地方制度編纂委員」を任命し、山縣有朋内務大臣が委員長に就任しました。そして何度も案を作成し、修正を重ねた上で、M21.4.17に市制・町村制が公布されました。
市制・町村制を導入した理由は、冒頭の各引用でも触れたように、明治政府の方針としての、国家の基礎の創造というのが主たるものでした。
市制は、M22.4.1より、地方の情況を裁酌し、府県知事の具申によって内務大臣が指定する地に施行することに附則で定められていました。内務大臣は、M22.2.2内務省告示第1号で36箇所を指定したのを初め、同年中に数回に分け計40箇所を市制施行地に指定しました(このあたりの詳細は
IssieさんのHPを参照してください)。
町村制は、M22.4.1より、地方の情況を裁酌し、府県知事の具申によって、内務大臣の指揮をもって施行すべきこと、また特別の事情がある地方では、勅令をもってこの上記を中止することがあること、北海道、沖縄県その他勅令をもって指定する島嶼には施行しないことが附則で定められていました。
これらの規定により、市制施行と同時に町村制が施行され、市制施行地を持たない県では町村制のみが順次施行され、M23.2.15の香川県で予定された全土の市制・町村制の施行が終わりました。
(最初の「市制」に関しては、落書き帳創成期(記事番号二桁時代!)に
こんな議論もありました。)
「独立自治に耐ゆるの資力なき」町村は、合併によりその資力をつくり出すことが要求され、その規模は「大凡三百戸乃至五百戸を標準」とする基準が示されました。独立自治の目的を達しうる町村は分合を必要とせず、またM17年改正による「現今の戸長所轄区域にして、地形民情に於て故障なきもの」は戸長役場管轄区域のまま町村合併を進めるよう指示されました。
なお、合併された旧町村は新町村の大字となり、その大字の名称のまま現在に至っているものが数多くあるのは、既にご承知のとおりです。