[24699] みやこ さん
万葉集
手許にある旺文社文庫「現代語訳対照 万葉集」(桜井満訳注)をひっくり返して探してみました。
巻八に収録されている「東歌」の中に当該の歌があるのですね。
3404 上野(かみつけの)安蘇の真麻群(まそむら) かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽かぬを あどか吾(あ)がせむ
*現代語訳:上野の安蘇の麻の束をかき抱くように,あの子をかき抱いて寝ても満ち足りないのに,これ以上どうしたらよいであろうか。
他の歌にも上野の地名が入っています。
3402:碓氷の山
3403:多胡の入野(いりの)
3411:多胡の嶺(ね)
3405:乎度(をど)の多杼里(たどり)が川路 (或る本:小野の多杼里が安波路[あはぢ])
3406,3420:佐野
3418:佐野田(=佐野の田)
3408:新田山(にひたやま)
3409,3410,3414,3415,3419,3422,3423:伊香保
3421:伊香保嶺(=榛名山?)
3412:久路保(くろほ)
3413:利根川
3416:可保夜(かほや)が沼
3417:伊奈良(いなら)の沼
3407:麻具波思麻度(マグハシマド:比定地不詳)
伊香保が人気ありますねえ。
佐野も意外に,…って後には安蘇郡ともども「下野」ですね。
「黒保根」の元になったとも思える地名も登場しています。
続いて下野国の歌が2首収録されています。
3424:下野(しもつけの)“みかも”の山の小楢のす まぐはし子ろは誰(た)が笥(け)か持たむ
*現代語訳:下野の“みかも”の山の小楢のように,美しいあの子は,いったい誰の食事の世話をするのであろうか。(※文庫では“みかも”は漢字表記)
3425:下野(しもつけの)安蘇の河原よ 石踏まず空ゆと来(き)ぬよ 汝(な)が心告(の)れ
*現代語訳:下野の安蘇の河原を,石を踏まずに宙を飛ぶようにやって来たよ。さあ,お前さんの本心を言っておくれ。
「安蘇」や「佐野」の帰属をめぐる考察は私にはできないのですが,1つ気になるのは,この歌集に収録された歌は必ずしも「同時代」のものとは限らなくて,その時代から見た「昔」から歌い継がれてきた“古典”も含まれているのではないかなあ,ということ。
「万葉集」が編纂にかかわったのは橘諸兄や大伴家持たちで,律令国家最盛期の奈良時代後期。
でも一方で,地方の行政区画は少なからず変更が続いていたのですよね。
それぞれの領域がおおよそ固定されて詳細に記録されるのは,平安時代になってからのことです。
まして,家持の時代から百年前には国・郡の制度の形成期で大いに流動的でした。