だいぶ間が開いてしまいましたが、
区制度の変遷 を続けます。
市の変遷 の出発点は明治22年。
これより前から存在していた「区」は、明治11年郡区町村編制法にもとづく 37「区」(A1)でした。
明治22年以降に府県に施行された市制町村制の下では、4種類の「区」がありました。
A2 三府の 21区は 最初は特例法により“従来の区”として三市域内に移行し
[74335]、1898年まで存続
B1 1898年の三市特例法廃止により、上記のA2は東京・京都・大阪市の中に設置された区になる
[74354]
B2 1900年の市制改正を受けて、1908年には「二十万市」の名古屋に4区を設置
[74354]
B3 金沢・仙台など一般市の区 区長は名誉職 多数の存在可能性はあるものの、その実態は不明
市制町村制が施行されなかった北海道と沖縄県では、同じ時代に別の制度を根拠とする3種類の「区」がありました。
A1 北海道では、1879年に郡区町村編制法で設置された
札幌区・函館区 が 1899年まで存続
C1 1896年の沖縄県区制
[74376] 市よりも制限されているが、自治体への前段階 那覇・首里の2区
C2 1897年公布、1899年施行の 北海道区制
[74376]も同様 札幌・函館はA1からC2へ 他に小樽など合計6区設置
区の制度においても大きな変化のあった明治30年頃は、従来からの行政区画「郡」に自治体的な役割も兼ねさせる「郡制」を施行するための準備として、郡の再編が行なわれるなど、地方制度に動きがあった時代です。
府県制と郡制とは、共に 明治23年の旧法 から 明治32年の改正法 に更新されました。施行日一覧
[62662] 88 さん
この法改正に裏付けされた「府県の性格」の変化。首長はまだ官選でしたが、国の出先機関の行政機構から脱皮して、直接選挙で選ばれた議員による議会と法人格とを具え、「自治体」の性格が強くなりました。
このような地方自治の進展は、自治体としては先輩格の「市町村」にも影響を与えたはずです。
府県制・郡制の改正よりも遅れますが、明治21年の法律「市制町村制」は 全面改正されて、明治44年「市制」と明治44年「町村制」と2つの法律になりました。
明治44年「市制」(法律第68号) で設けられた 3種類の「区」 D1~D3を挙げておきます。
D1 勅令指定都市の区
勅令指定都市とは、“市制第6条の市の区”のことです。市制第6条には次のとおり記されており、その後段は 三市特例法廃止後の(旧)市制改正【明治31年法律第20号
[74320]】により追加された 第3条第2項の後段と同じです。
勅令を以て指定する市の区は之を法人とす 其の財産及営造物に関する事務其他法令に依り区に属する事務を処理す
具体的に 東京市・京都市・大阪市 を指定した
明治44年勅令第239号 は、
[72201] 88 さん にリンクされています。
この明治44年「市制」によって、三大都市の区は名実共に“従来の区”という言葉【上記改正旧法第3条第2項の前段】から開放されました。
実質的には後段により 市に所属する限定的な機関 になっていた B1
[74354] を引き継いだものと言えます。
D2 省令指定都市の区
省令指定都市とは、
市制第82条第3項 の規定により、内務大臣が指定することができる“区長を有給吏員と為すべき市”のことであり、勅令指定都市の区の規定が準用されます。具体的には 旧・市制の時代に既に人口二十万以上ノ市として4区(B2)を設置していた名古屋が、
明治44年内務省令第14号 で指定され、その後昭和2年内務省令第32号による横浜市、昭和6年内務省令第14号による神戸市と続いています。
[56763][72201]
D3 一般の市の区
市制第82条第1項、第2項は、旧・市制第60条(第1項1~2文
[74354])とほぼ同様に、“処務便宜の為”区を画し“名誉職”の区長及其の代理者を置くとしています。
つまり、
[72214] むっくん さんにより金沢市や仙台市の実例が紹介された旧制度の一般の市の区(B3)に対応。
今のところ市についての実例を調べていませんが、たまたま手近にあった資料には 村の「区」 があり、一般の市町村における 同様な区の存在を示す資料 はいくらでもありそうです。
参考:
町村制
第68条 町村は処務便宜の為区を画し区長及其の代理者1人を置くことを得
区長及其の代理者は名誉職とす…
第78条 町村長は郡長の許可を得て其の事務の一部を助役又は区長に分掌せしむることを得…
明治44年5月8日 埼玉県入間郡大井村会議事録(大井町史 資料編III-1, 248頁)
本村に区を設置するの件 本件は異議なく設置することに決議す
そして、大井・苗間・亀久保・鶴ヶ岡の4大字が4区になりました。
隣接する福岡村でも、大正7年3月4日「役場移転に関する区長会議」がありました。上福岡市史資料編3巻453