[52166] BEAN さん
1932年→1937年ですね。
ああ,これはウッカリ…。
[52167] EMM さん
韓国語でも韓国では「ノ」、北朝鮮では「ロ」と発音が違うようです。
そう言えば,今の大統領も「ノ」さんでしたね。“前のノ大統領”,その前任者のチョン将軍が「ぜん・とかん」と読まれていた頃は,「ろ・たいぐ」将軍という読み方で日本の音声マスコミに登場していましたよね。
もし戦前から「芦」を使った表記が行われていたのであれば古くより「蘆」「葦」「芦」の表記が入り乱れていた可能性があるのではないでしょうか。
さて,戦後間もない頃の総理大臣に「あしだ・ひとし」という人がいます。
ある意味ライバルであった 吉田茂 と同じ外交官出身の政治家ですが,“元外交官”からいきなり政治家になり,戦後1947年の総選挙で“初めて”国会議員になった吉田(1947年施行の現行憲法では,国会議員でないと総理大臣になれない。もっとも,この選挙に負けて,吉田は総理大臣ではなくなるけれども)とは違って,「あしだ」は1932年の総選挙において政友会の候補として京都府第3区で当選して以来,政党政治家としての経験も積んだ人でした。
で,この「あしだ」さん,1932年の初当選を伝える 東京朝日新聞 では「蘆田均」と表記されています。ところが,2回目当選の1936年総選挙以降,少なくと 東朝 では戦後までずっと「芦田均」の表記が使用されています。
「あしだ」さんが「芦田」表記になった1936年,三重県第2区では「はまだ・くにまつ」という政友会の政党政治家として有名な人が当選していますが,この人は「濱田國松」と表記しています(ついでに,この総選挙でこの選挙区のトップ当選者は 尾崎行雄 でした)。
東京朝日新聞では,1936年総選挙と1937年総選挙の2回分は,当選者一覧の中に各選挙区の所属市郡区が表示されていないのですが,その前後の総選挙では表示されています。
これによると,「あしだ」さんが「蘆田」と表記されていた1932年総選挙では,広島県の「あしな郡」は「蘆品郡」,熊本県の「あしきた郡」は「葦北郡」です。
「芦田」表記が行われている1942年総選挙(いわゆる翼賛選挙)でも「蘆品郡」「葦北郡」ですが,この間に発足した「あしや市」は「芦屋市」。
府県名に関しては,いずれの総選挙についても,「かごしま県」は「鹿兒島県」,「おきなわ県」はもちろん“俗字”の「縄」ではなく,“正字”で「沖×県」(←“正字”を書こうとしたけれど,もしかしてすぐには出てこない字なのか…)と表記しています。「しずおか県」も「靜岡県」ですね。
※なお,新聞紙面上で「けん」は当然に当時の一般的な字体である「縣」が使用されています。が,ここではこの漢字について問題にしているわけではないので,“例の方針”にしたがって,現在の字体である「県」にどんどん書き換えてしまいます。以下,同じ。
そんなわけで,当時の新聞紙上では,いわゆる「新字体」と「旧字体」(←というのは,あくまでも戦後の表現なのですが)が入り乱れて使用されるような場面があったようです。
ついでに別件ですが,この戦前・戦中期の当選者一覧で 東京朝日新聞 は現在の私達の感覚からすると少し面白い地方区分をしています。
・関東1府7県: 東京府,神奈川県,埼玉県,千葉県,茨城県,山梨県,群馬県,栃木県
・東北1道6県: 北海道,青森県,秋田県,山形県,岩手県,宮城県,福島県
・東海4県: 静岡県,愛知県,三重県,岐阜県
・北信地方5県: 長野県,新潟県,富山県,石川県,福井県
・近畿2府3県: 大阪府,京都府,滋賀県,奈良県,和歌山県
・中国地方6県: 兵庫県,岡山県,広島県,山口県,鳥取県,島根県
・四国4県: 香川県,愛媛県,徳島県,高知県
・九州地方8県: 福岡県,熊本県,佐賀県,長崎県,大分県,宮崎県,鹿児島県,沖縄県
これは,当時の政府の公式な府県の配列ではありません。公式の配列は,
東京府→京都府→大阪府→神奈川県→兵庫県→長崎県→新潟県→埼玉県→…
と続く
明治4年の太政官布告 による配列であり,当時の衆議院議員選挙について規定していた「衆議院議員選挙法」でも選挙区はこの布告の配列にしたがって列挙されていました。その配列は,戦後,1950年の「公職選挙法」に切り替わるまで続きます。
この地方区分が東京朝日新聞独自のものなのか,それとも当時一般に行われていたのか,興味のあるところです(なお,北海道が「東北地方」に含まれるのが,当時の行政上はよく行われていたことであるのは確かです)。
前任の 片山哲内閣 から続く中間・左派連立内閣であった 芦田均内閣 が1948年の昭電事件で短命に終わった後,本格的に登場したのが保守単独の長期政権となる 吉田茂内閣(第2次~第5次)なわけですが,「あしだ Ashida 」と「よしだ Yoshida 」というほんのわずかの違いしかない2人のライバルの名前,日本人の名前に慣れていない占領軍には戸惑いがあったのではないかと思ったりもするのですけどね。
そして偶然に 吉田茂→片山哲→芦田均→吉田茂 と,2字姓1字名の総理大臣が8年間にわたって続いたのでした。