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落書き帳

町村制施行時の広島県賀茂郡竹原町の町制施行について

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[67319]2008年11月22日
むっくん
[67518]2008年12月6日
88

[67319] 2008年 11月 22日(土)15:28:43むっくん さん
下市村(広島県賀茂郡)と坂出村(香川県阿野郡)
[67313]hmtさんで面積の「不統一」に疑問を投げかけておられるのを見て、市区町村変遷情報の市制町村制施行時の記載にも「不統一」と思われる箇所があったことを思い出しました。
ここでは市制町村制施行時での下市村(広島県賀茂郡)と坂出村(香川県阿野郡)を具体例として取り上げます。

広島県賀茂郡下市村は広島県の県令甲第22号(M22.3.8)
県令甲第22号
市制町村制施行に付市町村区域名称市役所町村役場市等別表之通相定め本年4月1日より施行す但合併に係る旧町村名は大字として之を存す
明治22年3月8日 広島県知事 千田貞隆
県令甲第22号別表
(中略)
賀茂郡
町村名 区域(旧町村名) 町村役場位置
(中略)
竹原町 下市村
(略)
にて市制町村制を迎えることになりました。ところが明治22年4月1日に竹原町としての実体はなく、竹原町としての実体が備わったのは4月17日でした。
そこで市区町村変遷情報では4月1日に下市村として市制町村制を迎え(現時点では広島県まで辿り付いていませんが、今後記載されるのでしょう)、4月17日に町制を迎えたという実体を重視して、県令記載とは異なる
1 1889.04.17 町制/改称 賀茂郡竹原町 賀茂郡 下市村
という日付を採用しています。
参考:広島県HP広島県統計年鑑第2回(昭和31年)5市町村の変遷(エクセル形式)、角川日本地名大辞典34広島県(編:角川日本地名大辞典編纂委員会、出版:角川書店、1987)

一方香川県阿野郡坂出村は香川県の県令第84号(M22.12.28)
県令第84号 12月28日
来明治23年2月15日より県下に市制町村制を施行するに付町村の区域別冊の通分合改称す
但合併に係る旧町村名は大字として之を存し飛地は各其所在町村の地籍に編入す
(中略)
阿野郡
新町村名 旧町村名
坂出町  坂出村
(略)
にて市制町村制を迎えることになりました。こちらも明治23年2月15日には坂出町としての実体はなく、坂出町としての実体が備わったのは6月1日でした。
広島県賀茂郡下市村の事例を踏まえれば1890.6.1町制と記載されるはずが、市区町村変遷情報では
7 1890.2.15 町制 阿野郡坂出町 阿野郡 坂出村
と記載されています(引用者が坂出町から坂出村へと誤記を修正)。まさしく不一致です。
参考:香川県立図書館HP(香川県史別編II年表近代(編集・発行:香川県、出版:四国新聞社、1991)からの転載)
1890(明治23年)
政治・経済
6・1(略),阿野郡,(略),坂出,(略),那珂郡四条,七箇村役場がそれぞれ開庁(香川県政史年表)

さて、市区町村変遷情報には実体を優先して記載するのが適当なのか、県令を優先して記載するのが適当なのか、判断に迷うところです。

この点、国がどうしていたのかが参考となると考えられます。[65445]拙稿でも以前記載しましたが、国では公文式(明治19年勅令第1号)(M19.2.26)ではこの点につき、
第13条 法律命令の発布の当日より施行せしむることを要し又は特に施行の日を掲げるものは第10条第11条第12条の例に依らず
と定めています。このことより、おそらく施行日があるものは実体によらずに法的には施行日に従うものと考えられます。

となれば、広島県及び香川県においても実体はともあれ、法的には県令の施行日によると考えるのが自然ではないか、と私は考えます。
実際、広島県史・年表(別編1)(編・出版:広島県、1984)においては、1889.4.1に賀茂郡下市村が賀茂郡竹原町となった、と記載されています。

ということで、賀茂郡下市村が竹原町となった記載を
1889.04.01 町制/改称 賀茂郡竹原町 賀茂郡 下市村
と訂正するのが適当であるものと考えられます。

#以上、長々と書きましたが、結局は以前[64782]拙稿で疑問を呈したことを何とか自力で説明しただけ、と相成りました。
[67518] 2008年 12月 6日(土)18:49:03【1】88 さん
市区町村変遷情報小レス その2
[67517]の続きです。

[67216] むっくん さん
■大阪府大鳥郡向井村の一部(大字七道)を堺市へ境界変更する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・記載あり  でした。
ご紹介のM27.2.10付け大阪府告示第30号を拝見しました。また、ご紹介の堺市HP(坂井市合併の歴史)、市制町村制施行時のM22.2.20付け大阪府令第17号も確認しました。これらのことから、M27.2.10付け境界変更を追加しました

■愛媛県温泉郡御幸村の一部を温泉郡道後村に境界変更する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M32(1899)._._(月日不明)でした。
ご紹介の愛媛県例規類纂によると、「明治33年告示第158号」なる告示があるのは間違いないようなのですが、施行日の記載の有無も不明です。もっとも、告示のあったM33より前のM32に施行ということは、他の事例からも考えにくいです。
このため、告示の断片?を尊重し、「M33(月日不明)境界変更」と修正しました。将来、新資料を発見でき次第再修正する可能性はあります。
なお、松山市例規集の松山市変遷一覧(愛媛県HP内「市町村変遷一覧」と同じ)には、記載がありません。

■愛媛県周桑郡小松村の町制施行日について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M34(1901).11.22
「辞典」・・・M31(34).11.22  でした。
ご紹介の愛媛県例規類纂を拝見すると、確かに「明治31年告示第187号」なる告示が存在するようなのですが、施行日の記載の有無も不明です。
もっとも、告示のあったM33より前のM32に施行ということは、他の事例からも考えにくいです。
ご紹介のあった愛媛県HP内市町村変遷(pdfファイル)には、ご指摘のあったように同一告示での町制はすべて他の文献(入力済みでもある)と一致していることから、愛媛県HP内市町村変遷(pdfファイル)を参照とし、ご紹介のとおりM31(1898).11.22付け町制と修正しました。新資料を発見でき次第、再修正する可能性はあります。
それにしても、同じM31年告示第187号で町制施行した北条町、川之江町、小松町の施行日がすべて異なるのは違和感が少しあります。

■温泉郡立岩村の一部を浅海村に境界変更する件について,
境界変更したの「温泉郡立岩村の一部」とは「大字萩原」です。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T3(1914).10.1で、いずれも「大字萩原」でした。
ご紹介いただいた愛媛県統計書のT2.12.31とT3.12.31の記載内容は、ご指摘のとおり、浅海村と立岩村では大字に変更事項はありません。
念のためさらにあとの2年間を同様に調べてみたところ、愛媛県統計書第13冊大正4年第1編29コマの「市町村区画」(明記がないがおそらく大正4.12.31現在)では温泉郡立岩村の大字に「萩原」が、1年後の愛媛県統計書第15冊大正5年第1編25コマの「郡市町村区画」(大正5年末)では、温泉郡浅海村の大字に「萩原」があります。
つまり、はっきりした根拠ではありませんが、2年ずれた、T5(1916).10.1付けが今回の境界変更施行日であると推測し、修正しました

■高知県長岡郡本山村の町制施行年月日について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M42(1909).6.1
「辞典」・・・M42(43).6.1  でした。
過去の例からも信憑性が高いと思われる、ご紹介の郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)から、M43(1910).6.1付け施行であると判断し、修正しました

■大分県大分郡野津原村,今市村→野津原村の変更種別 新設 or 編入
「総覧」「便覧」「辞典」・・・新設  でした。
「幕末以降総覧」・・・不明(区別記載なし)
S30.3.30付け総理府告示第806号を確認しましたが、明確に新設合併でした。よって、そのままとしました
大分市(野津原村)の沿革のページでは、野津原村の名称が存続したこと等から、誤認等をしたのではないでしょうか。

■大分県大野郡大野町の一部(大字沢田?)がS22(1947).3.1野津原村に境界変更した件について
「総覧」「便覧」・・・記載なし
「幕末以降総覧」「辞典」・・・「大字沢田の一部」
また、大分郡大野町が合併して現在の豊後大野市となるときの大野郡5町2村合併協議会の、第6回協議会資料3(pdfファイル)の5/103で、町名・字名の取扱いに関する資料があり、ここに「大野郡大野町大字沢田」があります。つまり、大字沢田の全部が野津原村へ境界変更したのではなく、大野町に残った部分もある(今回そのまま豊後大野市となった)ことが推測されます。
よって、大字未満(=藩政村未満)の境界変更と判断し、掲載は見送らせていただきます。

■大分県鶴崎市の一部,大分郡挟間町の一部を大分市へ境界変更年月日 S31(1956).2.1 or S30(1955).7.1
単なる入力ミスでした。S30.7.1付け総理府告示第1303号も確認しました。よって、修正しました


[67319] むっくん さん
■広島県賀茂郡下市村→竹原町の町制/改称年月日について
施行日の考え方自体は、むっくんさんのご意見どおり、(「役場設置」という実態面に関わらず)告示日=施行日でよいと考えます。
4月17日に町制を迎えたという実体を重視して
という判断をしたのではなく、単に、私の確認がまだ広島県令までたどり着いておらず、「総覧」の記載どおりM22(1889).4.17付けでの「下市村→竹原町」をそものまま転載しただけです。
改めてご紹介の広島県令を確認しましたので、4.17付けの情報は一旦削除しました。将来、広島県の市制町村制施行時の情報に到達したときに、改めて、M22(1889).4.1付けで「下市村→竹原町」での町村制施行の情報を追加したいと思います。
ちなみに、「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」とも、M22.4.17付けでの「下市村→竹原町」でした。

なお、M23.2.15付けの市制町村制時の香川県阿野郡坂出町の発足直前の、誤:坂出町、正:坂出村についても県令のとおり修正しました。ちなみに、
「幕末以降総覧」・・・坂出町
「辞典」・・・坂出村
でした。

[67457] むっくん さん
■M33(1900).7.1付けの吾妻郡草津村→草津町・六合村の 分立 or 分割 について
ご紹介のアーカイブ、特に[32495]くにやすさんご紹介の群馬県告示を拝見しました。
よって、吾妻郡草津村を廃し、分割して吾妻郡草津町吾妻郡六合村を置く、と修正しました。
それにしても、各種文献とも、「分立」「分割」の言葉の使い分けにはこだわりが感じられません。
市区町村変遷情報では、諸文献の言葉遣いに関わらず、従前の法人格の継承の有無の観点から「分立」「分割」を使い分けることを引き続き主眼としたいと思います。

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今回も大変ありがとうございました。また、遅くなって申し訳ありませんでした。


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