[67517]の続きです。
[67216] むっくん さん
■大阪府大鳥郡向井村の一部(大字七道)を堺市へ境界変更する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・記載あり でした。
ご紹介の
M27.2.10付け大阪府告示第30号を拝見しました。また、ご紹介の
堺市HP(坂井市合併の歴史)、市制町村制施行時の
M22.2.20付け大阪府令第17号も確認しました。これらのことから、M27.2.10付け境界変更を
追加しました。
■愛媛県温泉郡御幸村の一部を温泉郡道後村に境界変更する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M32(1899)._._(月日不明)でした。
ご紹介の愛媛県例規類纂によると、「明治33年告示第158号」なる告示があるのは間違いないようなのですが、施行日の記載の有無も不明です。もっとも、告示のあったM33より前のM32に施行ということは、他の事例からも考えにくいです。
このため、告示の断片?を尊重し、「M33(月日不明)境界変更」と
修正しました。将来、新資料を発見でき次第再修正する可能性はあります。
なお、松山市例規集の
松山市変遷一覧(
愛媛県HP内「市町村変遷一覧」と同じ)には、記載がありません。
■愛媛県周桑郡小松村の町制施行日について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M34(1901).11.22
「辞典」・・・M31(34).11.22 でした。
ご紹介の愛媛県例規類纂を拝見すると、確かに「明治31年告示第187号」なる告示が存在するようなのですが、施行日の記載の有無も不明です。
もっとも、告示のあったM33より前のM32に施行ということは、他の事例からも考えにくいです。
ご紹介のあった愛媛県HP内
市町村変遷(pdfファイル)には、ご指摘のあったように同一告示での町制はすべて他の文献(入力済みでもある)と一致していることから、愛媛県HP内
市町村変遷(pdfファイル)を参照とし、ご紹介のとおりM31(1898).11.22付け町制と
修正しました。新資料を発見でき次第、再修正する可能性はあります。
それにしても、同じM31年告示第187号で町制施行した北条町、川之江町、小松町の施行日がすべて異なるのは違和感が少しあります。
■温泉郡立岩村の一部を浅海村に境界変更する件について,
境界変更したの「温泉郡立岩村の一部」とは「大字萩原」です。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T3(1914).10.1で、いずれも「大字萩原」でした。
ご紹介いただいた愛媛県統計書のT2.12.31とT3.12.31の記載内容は、ご指摘のとおり、浅海村と立岩村では大字に変更事項はありません。
念のためさらにあとの2年間を同様に調べてみたところ、
愛媛県統計書第13冊大正4年第1編29コマの「市町村区画」(明記がないがおそらく大正4.12.31現在)では温泉郡立岩村の大字に「萩原」が、1年後の
愛媛県統計書第15冊大正5年第1編25コマの「郡市町村区画」(大正5年末)では、温泉郡浅海村の大字に「萩原」があります。
つまり、はっきりした根拠ではありませんが、2年ずれた、T5(1916).10.1付けが今回の境界変更施行日であると推測し、
修正しました。
■高知県長岡郡本山村の町制施行年月日について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M42(1909).6.1
「辞典」・・・M42(43).6.1 でした。
過去の例からも信憑性が高いと思われる、ご紹介の
郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)から、M43(1910).6.1付け施行であると判断し、
修正しました。
■大分県大分郡野津原村,今市村→野津原村の変更種別 新設 or 編入
「総覧」「便覧」「辞典」・・・新設 でした。
「幕末以降総覧」・・・不明(区別記載なし)
S30.3.30付け総理府告示第806号を確認しましたが、明確に新設合併でした。よって、
そのままとしました。
大分市(野津原村)の沿革のページでは、野津原村の名称が存続したこと等から、誤認等をしたのではないでしょうか。
■大分県大野郡大野町の一部(大字沢田?)がS22(1947).3.1野津原村に境界変更した件について
「総覧」「便覧」・・・記載なし
「幕末以降総覧」「辞典」・・・「大字沢田の一部」
また、大分郡大野町が合併して現在の豊後大野市となるときの
大野郡5町2村合併協議会の、
第6回協議会資料3(pdfファイル)の5/103で、町名・字名の取扱いに関する資料があり、ここに「大野郡大野町大字沢田」があります。つまり、大字沢田の全部が野津原村へ境界変更したのではなく、大野町に残った部分もある(今回そのまま豊後大野市となった)ことが推測されます。
よって、大字未満(=藩政村未満)の境界変更と判断し、掲載は見送らせていただきます。
■大分県鶴崎市の一部,大分郡挟間町の一部を大分市へ境界変更年月日 S31(1956).2.1 or S30(1955).7.1
単なる入力ミスでした。S30.7.1付け総理府告示第1303号も確認しました。よって、
修正しました。
[67319] むっくん さん
■広島県賀茂郡下市村→竹原町の町制/改称年月日について
施行日の考え方自体は、むっくんさんのご意見どおり、(「役場設置」という実態面に関わらず)告示日=施行日でよいと考えます。
4月17日に町制を迎えたという実体を重視して
という判断をしたのではなく、単に、私の確認がまだ広島県令までたどり着いておらず、「総覧」の記載どおりM22(1889).4.17付けでの「下市村→竹原町」をそものまま転載しただけです。
改めてご紹介の広島県令を確認しましたので、4.17付けの情報は一旦削除しました。将来、広島県の市制町村制施行時の情報に到達したときに、改めて、M22(1889).4.1付けで「下市村→竹原町」での町村制施行の情報を追加したいと思います。
ちなみに、「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」とも、M22.4.17付けでの「下市村→竹原町」でした。
なお、M23.2.15付けの市制町村制時の香川県阿野郡坂出町の発足直前の、誤:坂出町、正:坂出村についても県令のとおり
修正しました。ちなみに、
「幕末以降総覧」・・・坂出町
「辞典」・・・坂出村
でした。
[67457] むっくん さん
■M33(1900).7.1付けの吾妻郡草津村→草津町・六合村の 分立 or 分割 について
ご紹介のアーカイブ、特に
[32495]くにやすさんご紹介の群馬県告示を拝見しました。
よって、吾妻郡草津村を廃し、分割して
吾妻郡草津町、
吾妻郡六合村を置く、と修正しました。
それにしても、各種文献とも、「分立」「分割」の言葉の使い分けにはこだわりが感じられません。
当
市区町村変遷情報では、諸文献の言葉遣いに関わらず、従前の法人格の継承の有無の観点から「分立」「分割」を使い分けることを引き続き主眼としたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――
今回も大変ありがとうございました。また、遅くなって申し訳ありませんでした。