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[109347] 2023年 12月 4日(月)18:35:08【2】訂正年月日
【1】2023年 12月 5日(火)18:13:11
【2】2023年 12月 5日(火)18:59:06
むっくん さん
若年で当選した首長PART24(東日本編)
>グリグリさん
若年で当選した首長への情報提供です。

まずは新規情報です。敬称略で記します。

田村 一郎(秋田県山本郡峰浜村)
生年月日1931(S6).7.24
1971(S46).4.25初当選
1983(S58).4.24に元職で2回目の当選。
1971(S46).4.30?-1975(S50).4. 1期 39歳9ヶ月
1983(S58).4.30?-1955(H7) 3期 51歳9ヶ月
参考:選挙の記録(昭和50年)(編・出版:秋田県選挙管理委員会、1975.12.)、秋田魁年鑑昭和59年版(編・出版:秋田魁新報社、1983.10.)、北羽新報

木村 米松(きむら よねまつ)(秋田県鹿角郡尾去沢町)
生年月日1911(M44).9.12
1949(S24).6.町長ではない。1951(S26).6.30以前に町長。1955(S30).4.30立候補せず。
おそらく1951(S26).4.23の統一地方選挙に立候補して当選と推測。
1951(S26).4.- 1期。
就任日年齢は39歳7ヶ月
参考:秋田県綜合職員録昭和24年版(編・出版:秋田魁新報社、1949)、秋田県綜合職員録昭和26年版(編・出版:秋田魁新報社、1951.7.1)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:秋田県選挙管理委員会、1975.12.)

伊藤 徳次(秋田県由利郡岩谷村/秋田県由利郡大内村)
生年月日1909(M42).4.27
由利郡岩谷村
1956(S31).5.11に3回目の当選。
1948(S23).5.-1956(S31).9. 3期
就任日年齢は39歳0-1ヶ月
由利郡大内村
1956(S31).11.10当選。1960(S35).9.25落選。
1956(S31).11.10-1960(S35).9. 1期
就任日年齢は47歳6ヶ月
参考:秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)、秋田魁年鑑1957年版(編・出版:秋田魁新報社、1957)、秋田魁年鑑1958年版(編・出版:秋田魁新報社、1958)、秋田魁年鑑 1961年版(編・出版:秋田魁新報社、1960.9.5)、秋田魁年鑑 1962年版(編・出版:秋田魁新報社、1961.10.1)、大内村郷土誌(編:郷土誌編さん委員会、出版:大内村、1968)
#秋田魁年鑑1957年版(編・出版:秋田魁新報社、1957)では
S31.5.11由利郡岩谷村長選挙で伊藤 徳治当選
S31.11.10由利郡大内村長選挙で伊藤 徳治(73)当選
とありましたが、大内村郷土誌(編:郷土誌編さん委員会、出版:大内村、1968)の記述を優先しています。

東海林 正吉(秋田県由利郡大内村)
生年月日1923(T12).4.14
1960(S35).9.25初当選時37歳。1964(S39).9.12当選。1967(S42).10.1落選。
1960(S35).9.-1967(S42).8. 2期
就任日年齢は37歳5ヶ月
参考:秋田魁年鑑 1962年版(編・出版:秋田魁新報社、1961.10.1)、秋田魁年鑑1965年版(編・出版:秋田魁新報社、1964)、秋田魁年鑑1966年版(編・出版:秋田魁新報社、1965)、秋田魁年鑑1969年版(編・出版:秋田魁新報社、1968)、大内村郷土誌(編:郷土誌編さん委員会、出版:大内村、1968)

進藤 正夫(しんどう まさお)(秋田県仙北郡峰吉川村/秋田県仙北郡協和村(町))
生年月日1908(M41).2.23
仙北郡峰吉川村
1947(S22).4.-1951(S26).3. 2期
就任日年齢は39歳1-2ヶ月
仙北郡協和村/協和町
1955(S30).5.1以降の初代協和村長選挙で落選。1963(S38).4.30元職で当選。1967(S42).4.28、1971(S46).4.25、1975(S50).4.27は当選。
1955(S30).12.-1959(S34).3. 1期
1963(S38).4.30- 4期以上
就任日年齢は47歳9-10ヶ月/55歳2ヶ月
参考:協和村郷土誌(編:協和村郷土誌編纂委員会、出版:協和村教育委員会、1968)、秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:秋田県選挙管理委員会、1975.12.)

小原 鉄之助(おばら てつのすけ)(秋田県仙北郡大川西根村)
生年月日1915(T4).4.25
1947(S22).4.6-1954(S29).5.2 2期
就任日年齢は31歳11ヶ月
参考:大曲市史 第1巻 (資料編)(編:大曲市、出版:大曲市史頒布会、1984.5)902頁、秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)

戸沢 貞之助(秋田県仙北郡千屋村/秋田県仙北郡千畑村)
生年月日1908(M41).4.11
仙北郡千屋村
1947(S22).12.1、1948(S23).9.5以前、1951(S26).6.30以前といずれも村長より、1947(S22).4.の統一地方選挙で当選。
1947(S22).4.-1955(S30).3. 2期
就任日年齢は38歳11ヶ月-39歳0ヶ月
仙北郡千畑村
1955(S30).5.1以降の初代千畑村長選挙で当選。1959(S34).4.30、1963(S38).4.30当選。1968(S43)別の方が村長。
1955(S30).5.-1967(S42) 3期
と推測。
就任日年齢は47歳0-1ヶ月
参考:秋田県綜合職員録昭和22年版(編・出版:秋田魁新報社、1947)、秋田県綜合職員録昭和23年版(編・出版:秋田魁新報社、1948)、秋田県綜合職員録昭和26年版(編・出版:秋田魁新報社、1951.7.1)、秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:秋田県選挙管理委員会、1975.12.)、Wikipedia千屋村 (秋田県)、秋田魁年鑑1969年版(編・出版:秋田魁新報社、1968)

斎藤 誠(秋田県雄勝郡稲庭川連町/稲川町)
生年月日1921(T10).11.29
1956(S31).11.9-1969(S44).11.8 4期
就任日年齢は34歳11ヶ月
参考:秋田魁年鑑1957年版(編・出版:秋田魁新報社、1957)、秋田魁年鑑1966年版(編・出版:秋田魁新報社、1966)、稲川町史(編・出版:稲川町教育委員会、1984.3)

小山 禧一(群馬県碓氷郡松井田町)
1960(S35).5.10当選時34歳
1960(S35).5.18-1964(S39).5.17 1期
生年月日は1925(T14).5.11-1926(T15).5.10
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1963)、松井田町誌(編・出版:松井田誌編さん委員会、1985.12.)

横内 甲子吉(群馬県北群馬郡伊香保町)
1960(S35).9.13無投票当選時36歳
1952(S27).10.8-1971(S46).10.22 5期
就任日年齢は28-29歳
生年月日は1923(T12).9.14-1924(T13).9.13
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1963)、群馬県選挙管理委員会市町村選挙データ集(令和5年1月1日現在)(PDF)42コマ

山本 譲(群馬県吾妻郡草津町)
1962(S37).1.26当選時36歳(前町長1962(S37).1.29任期満了)
1962(S37).1.30-1966(S41).1. 1期
生年月日は1925(T14).1.27-1926(T15).1.26
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1963)、群馬県選挙管理委員会市町村選挙データ集(令和5年1月1日現在)(PDF)15コマ(1966(S41).1.27任期満了に伴う選挙では別の方が町長)

金子 裕(群馬県勢多郡粕川村)
生年月日1926(T15).11.13
1963(S38).5.1-1971(S46).4.30 2期
就任日年齢は36歳5ヶ月。
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1967)、粕川村誌(編:粕川村誌編纂委員会、出版:粕川村、1972)。

山本 薫(群馬県多野郡新町)
生年月日1927(S2).2.10
1963(S38).4.30-1983(S58).4.29 5期。
就任日年齢は36歳2ヶ月
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1967)、群馬県選挙管理委員会市町村選挙データ集(令和5年1月1日現在)(PDF)42コマ

武田 金處(たけだ かねみつ)(群馬県北甘楽郡吉田村/群馬県富岡市)
生年月日1907(M40).10.21
北甘楽郡吉田村
富岡市史近代・現代資料編 下(編:富岡市市史編さん委員会、出版:富岡市、1989.3)では吉田村の村長として武田 金處(昭和26.5.~昭和30.3.)とあります。しかしながら、日本の歴代市長(第一巻)では
昭和二十二年、北甘楽郡吉田村長に当選
とあるので、これは武田 金處(昭和22.5.~昭和30.3.)の誤りと判断しました。
1947(S22).5.-1955(S30).3. 2期
就任日年齢は39歳5-6ヶ月。
富岡市
1955(S30).5.2-1965(S40).4.10 2期
就任日年齢は47歳5-6ヶ月。
参考:群馬年鑑昭和35年版(編:群馬公論社、出版:群馬公論社出版部、1959)、日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58.11.)、富岡市史近代・現代資料編(下)(編:富岡市市史編さん委員会、出版:富岡市、1989.3)

植松 六郎(東京都若郷村)
生年月日1908(M41).1.28
1947(S22).4.7-1948(S23).1.8 1期
就任日年齢は39歳2ヶ月
参考:伊豆諸島東京移管百年史別刷(新島編)(編:伊豆諸島東京移管百年史編さん委員会、出版:東京都島嶼町村会、1981.3.)

小泉 充(こいずみ みのる)(新潟県西蒲原郡潟東村)
生年月日1924(T13).7.11
1963(S38).4.30初当選時38歳、1967(S42).4.28無投票当選、1971(S46).4.25村長で無投票当選。1975(S50).4.27の統一地方選挙には出馬していない。
1963(S38).4.- 3期
就任日年齢は38歳8ヶ月
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1964)、新潟県年鑑1968年版(編・出版:新潟日報社、1967)、新潟県年鑑1972年版(編・出版:新潟日報社、1971)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1976)

村松 千秋(むらまつ ちあき)(新潟県東頸城郡大島村)
生年月日1918(T7).8.3
1952(S27)は村長ではなくて1956(S31)は村長。1959(S34).4.30現職で当選。1963(S38).4.30当選、1967(S42).4.28無投票当選。1975(S50).4.27の統一地方選挙には出馬していない。
仮に1955(S30).4.30の統一地方選挙で初当選をしたと仮定して次の通り推定。
1955(S30).4.30- 4-5期
就任日年齢は37歳8ヶ月
参考:新潟県年鑑昭和28年版(編・出版:新潟日報社、1952)、新潟県年鑑1957年版(編・出版:新潟日報社、1956)、新潟県年鑑1960年版(編・出版:新潟日報社、1959)、選挙の記録(昭和38年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1964)、新潟県年鑑1968年版(編・出版:新潟日報社、1967)、新潟県年鑑1972年版(編・出版:新潟日報社、1971)

佐藤 稔(新潟県北魚沼郡入広瀬村)
1947(S22).4.5の統一地方選挙で村長となる。1959(S34).4.30元職で落選時51歳
1947(S22).4.- 1期
就任日年齢は39歳
参考:新潟縣年鑑昭和22年版(著:堀内悦夫、出版:新潟日報社、1947)、新潟県年鑑1960年版(編・出版:新潟日報社、1959)

佐藤 宏(さとう ひろし)(新潟県北魚沼郡入広瀬村)
生年月日1917(T6).2.5
1952(S27)と1956(S31)は村長。1959(S34).4.30現職で当選時42歳。1963(S38).4.30当選、1967(S42).4.28無投票当選、1971(S46).4.25村長で無投票当選。1975(S50).4.27の統一地方選挙には出馬していない。
おそらく、1951(S26).4.23の統一地方選挙で佐藤稔前村長の後を受けて当選したものと考えられる。
1951(S26).4.- 6期
就任日年齢は34歳2-3ヶ月
参考:新潟県年鑑昭和28年版(編・出版:新潟日報社、1952)、新潟県年鑑1957年版(編・出版:新潟日報社、1956)、新潟県年鑑1960年版(編・出版:新潟日報社、1959)、選挙の記録(昭和38年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1964)、新潟県年鑑1968年版(編・出版:新潟日報社、1967)、新潟県年鑑1972年版(編・出版:新潟日報社、1971)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1976)

佐藤 功一(新潟県北魚沼郡須原村/新潟県北魚沼郡守門村)
生年月日1915(T4).12.28
北魚沼郡須原村
守門村史(編・出版:穴沢吉太郎、出版:守門村、1961)では前村長の任期はS25.4.23-S29.4.21となっているのに、佐藤 功一村長の任期がS39.4.21-S31.9.29と明らかに誤記があります。後には
昭和二十九年(一九五四)須原村長に当選
とありますので任期は次の通り推定。
1954(S29).4.22?-1956(S31).9.29 1期
就任日年齢は38歳4ヶ月
北魚沼郡守門村
1956(S31).11.- 4期以上
就任日年齢は40歳10-11ヶ月。
#1967(S42).5.1現在、1972(S47).3.1現在は村長
参考:新潟県年鑑1957年版(編・出版:新潟日報社、1956)、守門村史(編・出版:穴沢吉太郎、出版:守門村、1961)、全国町村長名簿昭和42年5月1日(編・出版:全国町村会、1967)、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)

森田 重治(石川県能美郡川北村)
1959(S34).4.30初当選時35歳
1959(S34).4.30-1975(S50).3.31 4期
生年月日は1923(T12).5.1-1924(T13).4.30
参考:選挙の記録(第11集)(昭和34年)(編・出版:石川県選挙管理委員会、1959)、選挙の記録(第20集)(昭和46年)(編・出版:石川県選挙管理委員会、1971)、Wikipedia(川北町)

飯田 彦太郎(福井県今立郡上池田村)
生年月日1921(T10).6.13
1947(S22).4.-1951(S26).4. 1期
就任日年齢は35歳9-10ヶ月
参考:福井年鑑1963年版(編・出版:福井新聞社、1962)

福島 伊平(福井県南条郡今庄村(旧)鹿蒜村組合/福井県南条郡今庄町)
生年月日1910(M43).10.19
今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合
1947(S22).4.- 1期
就任日年齢は34歳9-10ヶ月
南条郡今庄町
1956(S31)、1957(S32).4.11、1962(S37)、1964(S39).5.、1965(S40).3.10、1967(S42)は町長、1971(S43).2.12は前町長。
おそらく初代今庄町長に1955(S30).5.1の統一地方選挙で当選され、任期は次のように推測します。
1955(S30)-1967(S42) 3期
就任日年齢は42歳10ヶ月
#今庄村(旧)と鹿蒜村が合併して1951(S26).4.1に成立した今庄村の村長の可能性があります。(確認できず)
参考:福井年鑑1963年版(編・出版:福井新聞社、1962)、福井県町村会六十年史(上巻)(編・出版:福井県町村会、1982)、職員録昭和31年(編・出版:大蔵省印刷局、1956)、職員録昭和43年(編・出版:大蔵省印刷局、1967)、第26回衆議院運輸委員会第21号昭和32年4月11日(PDF)1コマ三段目、質問主意書質問主意書(PDF)

伊部 吉右衛門(福井県丹生郡織田村(旧)萩野村常磐村組合/福井県丹生郡織田町)
生年月日1910(M43).3.29
丹生郡織田村(旧)萩野村常磐村役場事務組合
1948(S23)-1951(S26) 1期
就任日年齢は37歳9ヶ月-38歳9ヶ月
丹生郡織田町
1959(S34)-1963(S38) 1期
就任日年齢は47歳9ヶ月-48歳9ヶ月
参考:福井年鑑1963年版(編・出版:福井新聞社、1962)、織田町史(編・出版:織田町史編集委員会、1971)


追加情報です。

船木 長一郎(北海道常呂郡佐呂間町 (旧)/北海道常呂郡佐呂間町)
常呂郡佐呂間町 (旧)の就任年月日は1954(S29).8.7ではなくて1954(S29).8.8
参考:昭和32年佐呂間町勢要覧(その1)(PDF)28コマ

泉 重(いずみ しげる)(北海道釧路郡釧路村 (旧)/北海道釧路郡釧路村)
生年月日1915(T4).7.25
就任日年齢は31歳8ヶ月/39歳6ヶ月。
参考:秋田魁年鑑1966年版(編・出版:秋田魁新報社、1966)

佐藤 誠治(青森県南津軽郡田舎館村(旧)/青森県南津軽郡田舎館村)
現在記載している青森県南津軽郡田舎館村に(旧)を付けた上で、それとは別に
南津軽郡田舎館村
1955(S30).5.2-1959(S34).4.2 1期
就任日年齢は39歳7ヶ月。
参考:2017田舎館村勢要覧(後編)資料編(PDF)17コマ

高屋敷 英志(岩手県九戸郡山形村)
生年月日1926(S1).12.29
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:岩手県選挙管理委員会、1963)

小田島 勇三(岩手県二戸郡浄法寺町)
生年月日1911(M44).4.6
1955(S30).4.30の統一地方選挙で当選。1963(S38).4.30の統一地方選挙で現職で再選。1971(S46).4.25の統一地方選挙で現職で落選。1979(S54).4.22の統一地方選挙で現職で落選。
これより1975(S50).4.27の統一地方選挙で元職で当選したと推測。
就任日年齢は35歳11ヶ月-36歳0ヶ月 6期
1975(S50).4.27の統一地方選挙の任期の初日は1975(S50).4.30又は1975(S50).5.1と推測でき、就任日年齢は64歳0ヶ月 1期
参考:選挙の記録(昭和30年)(編・出版:岩手県選挙管理委員会、1955)、選挙の記録(昭和38年)(編・出版:岩手県選挙管理委員会、1963)、選挙の記録(昭和46年)(編・出版:岩手県選挙管理委員会、1972)、河北年鑑昭和55年版(編・出版:河北新報社、1979.12.)

佐藤 徳右衛門(岩手県稗貫郡八重畑村/岩手県稗貫郡石鳥谷町)
生年月日1912(M45).1.2
1963(S38).4.30の統一地方選挙で新人で当選。
就任日年齢(八重畑村)は35歳3ヶ月。
就任日年齢(石鳥谷町)は51歳3ヶ月。
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:岩手県選挙管理委員会、1963)

久保 利七(岩手県下閉伊郡田老町)
生年月日1909(M42).9.15
就任日年齢は37歳6ヶ月
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:岩手県選挙管理委員会、1963)

八重樫 長兵衛(岩手県和賀郡飯豊村/岩手県北上市 (旧))
北上市 (旧)
1962(S37).4.19-1966(S41).4.18
参考:Wikipedia(北上市)

鈴木 孝治(秋田県仙北郡長信田村/秋田県仙北郡太田村/太田町)
生年月日1920(T9).8.25
就任日年齢は30歳7ヶ月/34歳8-9ヶ月
参考:秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)

斎藤 正作(秋田県南秋田郡上井河村)
生年月日1913(T2).4.17
就任日年齢は38歳0ヶ月
参考:秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)

柴田 久郎(秋田県平鹿郡醍醐村)
生年月日1910(M43).3.29
就任日年齢は37歳0ヶ月
参考:秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)

高橋 信雄(秋田県平鹿郡阿気村/秋田県平鹿郡大雄村)
生年月日1914(T3).11.10
平鹿郡阿気村
1949(S24).6.は村長ではなく、1951(S26).6.30以前には村長。おそらく1951(S26).4.23に初当選したと推測される。
1951(S26).4.- 1期
就任日年齢は36歳5ヶ月
平鹿郡大雄村
1955(S30).4.1成立の初代村長に1955(S30).4.30以降に当選、1963(S38).4.30現職で当選、1967(S42).4.28無投票当選、1975(S50).4.27現職で当選、1977(S52)の時点では別の方。
1955(S30).5.- 6期
就任日年齢は41歳5-6ヶ月
参考:秋田県綜合職員録昭和24年版(編・出版:秋田魁新報社、1949)、秋田県綜合職員録昭和26年版(編・出版:秋田魁新報社、1951.7.1)、秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:秋田県選挙管理委員会、1975.12.)、秋田魁年鑑昭和53年版(編・出版:秋田魁新報社、1977.10.)

小林 大二郎(秋田県北秋田郡上小阿仁村)
生年月日1909(M42).12.22
1947(S22).12.1現在も1951(S26)年も村長。1955(S30).4.30当選、1959(S34).4.30立候補せず、1967(S42).4.28元職で当選、1975(S50).4.27現職で当選、1979(S54).4.22現職で無投票当選、1983(S58).4.24には立候補されず。
[103920]Nさんとあわせると
1947(S22).4.-1959(S34).4. 3期
1967(S42).4.30-1983(S58) 5期
就任日年齢は37歳3ヶ月/57歳4ヶ月
秋田魁年鑑昭和59年版では1979(S54).4.22現職で無投票当選の際に、
上小阿仁村長は、途中辞任と直後の再選なども含め、今回が八回目の当選
と記載されています。
参考:選挙の記録(昭和50年)(編・出版:秋田県選挙管理委員会、1975.12.)、秋田県綜合職員録昭和22年版(編・出版:秋田魁新報社、1947)S22.12.1現在、秋田県綜合職員録昭和26年版(編・出版:秋田魁新報社、1951.7.1)、秋田魁年鑑1956年版(編・出版:秋田魁新報社、1956)、秋田魁年鑑昭和55年版(編・出版:秋田魁新報社、1979.10.)、秋田魁年鑑昭和59年版(編・出版:秋田魁新報社、1983.10.)

工藤 清一郎(秋田県河辺郡雄和村/雄和町)
初代河辺郡雄和村長選挙で1956(S31).11.8当選
参考:秋田魁年鑑1957年版(編・出版:秋田魁新報社、1957)

淡路 龍(秋田県南秋田郡飯田川町)
1961(S36).2.11初当選
参考:秋田魁年鑑 1962年版(編・出版:秋田魁新報社、1961.10.1)

蝦原 忠太郎(栃木県上那賀郡粟野町 (旧)/栃木県上那賀郡粟野町)
上那賀郡粟野町 (旧)
1948(S23).9.-
任期はおそらく2期。
#粟野町 (旧)と粟野町 の町長を続けてされておられるため。
参考:栃木県市町村誌(編・発行:栃木県町村会、S30.8.20)

加藤 源治(群馬県群馬郡古巻村/渋川市)
群馬郡古巻村
1949(S24).2.-1951(S26) 1期
参考:日本の歴代市長(第一巻)(編・発行:歴代知事編纂会、S58.11.)

飯塚 馨(群馬県多野郡三波川村/群馬県多野郡鬼石町)
生年月日1913(T2).12.24
多野郡鬼石町
1966(S41).10.25当選(前町長1966(S41).11.4任期満了)
1947(S22)-1954(S29)と1954(S29)-1970(S45).11.4の6期。
以上から、鬼石町は1954(S29).10.1新設合併で成立と併せて考えますと、鬼石町長はおそらく1954(S29).11.5-1970(S45).11.4の4期と推測します。
就任日年齢(三波川村)は33歳3ヶ月-34歳。
就任日年齢(鬼石町)は40歳10ヶ月。
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1967)、群馬県選挙管理委員会市町村選挙データ集(令和5年1月1日現在)(PDF)42コマ

柳沢 本次(群馬県群馬郡箕郷町)
41歳で現職(1967(S42).5.6任期満了)で1967(S42).4.28無投票当選
生年月日は[94761]とは異なり1925(T14).6.11とありました。
[94761]とあわせると、1963(S38).5.7-1975(S50)
就任日年齢は37歳10ヶ月。
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1967)

島村 平市郎(埼玉県南埼玉郡大袋村/埼玉県越谷市)
越谷市史二(通史)(下)(PDF)1124コマ(p.1101)では1951(S26).4.22-1954(S29).11.2とありますが、統一地方選挙は1951(S26).4.23なので、就任日は1951(S26).4.23と考えられます。

山本 力蔵(千葉県香取郡小見川町(旧)/千葉県香取郡小見川町)
香取郡小見川町
1951(S26).4.23-1966(S41).8.8
参考:小見川町史通史編(編:小見川町史編さん委員会、出版:小見川町、1991.3.)

前田 紋三郎(東京都若郷村)
生年月日1921(T10).10.2
1950(S25).2.20-1954(S29).9.30 2期
就任日年齢は28歳4ヶ月
参考:伊豆諸島東京移管百年史別刷(新島編)(編:伊豆諸島東京移管百年史編さん委員会、出版:東京都島嶼町村会、1981.3.)

板垣 直樹(いたがき なおき)(新潟県岩船郡山北町)
参考:選挙の記録(昭和50年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1976)

木村 博保(きむら ひろやす)(新潟県刈羽郡刈羽村)
1963(S38).4.30初当選時35歳、1967(S42).4.28無投票当選。1972(S47).3.1現在は村長ではない。このことより任期は2期と推測。
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:新潟県選挙管理委員会、1964)、新潟県年鑑1968年版(編・出版:新潟日報社、1967)、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)

塚田 彦平(新潟県西頸城郡磯部村)
岩野 正雄(新潟県東頸城郡保倉村)
玉谷 秀雄(新潟県西頸城郡歌外波村)
この御三方はいずれも1947(S22).4.5の統一地方選挙で当選していますので、いずれも1947(S22).4.-となるため注は不要となります。
参考:新潟縣年鑑昭和22年版(著:堀内悦夫、出版:新潟日報社、1947)

炭谷 外治郎(富山県射水郡櫛田村/富山県射水郡大門町)
射水郡櫛田村
大門町史(編:大門町教育委員会、出版:大門町、1981.11.)では1951(S26).4.22-1954(S29).2.28とありますが、統一地方選挙は1951(S26).4.23なので、就任日は1951(S26).4.23と考えられます。1期。

荻野 幸作(富山県下新川郡桜井町/富山県黒部市)
下新川郡桜井町
1947(S22).4.-
参考:黒部市誌(編:黒部市誌編纂委員会、出版:黒部市、1964)

山本 治(福井県今立郡神明町/鯖江市)
生年月日1916(T5).1.26
就任日年齢は35歳2-3ヶ月/61歳11ヶ月
参考:福井年鑑1963年版(編・出版:福井新聞社、1962)

中川 恭爾(福井県大飯郡佐分利村)
生年月日1909(M42).2.19
就任日年齢は38歳1-2ヶ月
参考:福井年鑑1963年版(編・出版:福井新聞社、1962)

北井 三子夫(静岡県磐田郡佐久間村/磐田郡佐久間町)
生年月日1911(M44).6.1
参考:静岡年鑑昭和58年度版静岡県人名録(編・出版:静岡新聞社、1983)

次稿へ続きます。


訂正【1】
伊藤 徳次さん(秋田県由利郡岩谷村/秋田県由利郡大内村)の#以下の箇所を追記。
小田島 勇三(岩手県二戸郡浄法寺町)の任期の変更。
訂正【2】
[109353]Nさんの指摘による明確な誤記を修正
[109405] 2023年 12月 19日(火)20:07:27むっくん さん
若年で当選した首長の一覧PART24の補足・訂正&Re:変遷情報の分類について(その2)の補足・訂正
[109398]グリグリさん
2.若年で当選した首長の一覧の更新
[109347]拙稿の補足及び訂正です。

柳沢 本次(群馬県群馬郡箕郷町)
選挙の記録(昭和42年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1967)だけではなくて、選挙の記録(昭和38年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1963)でも生年月日は1925(T14).6.11とありました。

横内 甲子吉(よこうち かねきち)(群馬県北群馬郡伊香保町)
生年月日1924(T13).6.5
就任日年齢は28歳4ヶ月
参考:群馬県人名大事典(編・出版:上毛新聞社、1982.11)

福島 伊平(福井県南条郡今庄村(旧)鹿蒜村組合/福井県南条郡今庄村/福井県南条郡今庄町)
今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合
1947(S22).4.- 1期
就任日年齢は34歳9-10ヶ月
南条郡今庄町
1955(S30)-1967(S42) 3期
就任日年齢は42歳10ヶ月
#今庄村(旧)と鹿蒜村が合併して1951(S26).4.1に成立した今庄村の村長の可能性があります。(確認できず)
1952(S27).10.10も首長より、おそらく1951(S26).4.1に新設合併で成立した今庄村の村長に就任したと考えられます。また、南条郡今庄町では1955(S30).4.20当選でした。さらには、今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合での就任日年齢も間違っていました。よって正しくは
今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合
1947(S22).4.- 1期 36歳5-6ヶ月
南条郡今庄村
1951(S26).4.- 1期 40歳5-6ヶ月
南条郡今庄町
1955(S30).4.20-1967(S42) 3期 44歳6ヶ月
となります。
参考:北国年鑑昭和31年版(編・出版:北国新聞社、1955)、北国年鑑昭和28年版(編・出版:北国新聞社、1952)

4.市区町村変遷情報の懸案項目(小笠原関連等)の整備
[109212]拙稿の補足及び訂正です。

(5)東京府/東京都
19460228 東京都 伊豆諸島は日本国のままとなる 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村
は誤りでした。以前の[24274]Issieさんにあるように、SCAPIN841(1946.3.22付)で伊豆諸島と孀婦岩から北の島嶼は、日本政府の権力行使を停止させた島嶼から外されました。正しくは
19460322 東京都 伊豆諸島は日本国のままとなる 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村
となります。

続いて(6)鹿児島県です。
最初にSCAPIN-677(S21.1.29)と奄美市HPにある「連合国覚書宣言」(2・2宣言)(S21.2.2)との関係についてです。

1946年1月29日に米軍海軍沖縄地区司令長官から大島支庁長に
1 二月初め琉球軍政府から宣言をなすにつき、その旨を支庁長に伝えたい。
2 大島は鹿児島県から切り離す。
3 交通は従前通り。
4 食糧は軍政府が補給する。
5 俸給給料は軍政府から支給する。
6 支庁長の上に知事を置かない。
7 種々の願いは、知事にではなく、沖縄軍政府に願いでること。
8 法律・命令等は宣言後決定する。
9 日本の法律・旧慣を適用する。
10 宣言後は、日本政府から切り離す。
11 政治方針は、軍政部から指示する。
12 軍政部に対する犯罪は軍政部で、他の犯罪は、軍政部が指揮して日本の裁判にさせる。
13 通貨は日本貨と軍用を使用する。たりない通貨はもってくる。
14 大島は沖縄の支配下にあるのではない。大島郡人が政治をする。ただし監督は海軍々政部がする。
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)84頁
との旨の口頭指令があらかじめあったうえで、1946年2月2日に連合国最高司令部が、SCAPIN677(S21.1.29)を日本政府に対して命令しました。この結果、大島郡は日本政府の施政権が及ばなくなり、鹿児島県大島郡では2・2宣言と言われるようになりました。
この後、3月13日に軍政長官一行が上陸、翌3月14日に軍政布告ならびに命令を公布して米国海軍軍政府(6月には米国陸軍軍政府へと移譲)による統治が始まりました。
[109212]では
19460129 鹿児島県 大島郡が事実上日本国領土外になる 米国軍政府下での市制町村制 大島郡5町16村
と書きましたが、法律上の年月日は
19460202 鹿児島県 大島郡が事実上日本国領土外になる 米国軍政府下での市制町村制 大島郡5町16村
とする方が適切です。

#同時に東京都と沖縄県の
19460129 東京都 伊豆諸島及び小笠原諸島が事実上日本国領土外になる(注3) 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村,小笠原諸島5村
19460129 沖縄県 沖縄県が事実上日本国管轄外になる 3市5町50村
も19460129ではなくて19460202としておいた方が良いことになります。

余談ですが、奄美地方で行われた
米国軍政府下での市制町村制
についてです。奄美地方で行われた最初の選挙は1946年7月1日でした。その選挙法令は
北部南西諸島米軍海軍々政本部命令第四号
北部南西諸島住民に告ぐ
命令
第一 一九四六年七月一日を以て、選挙日と定む。
第二 大島郡内の有権者は、町会議員又は村会議員を選挙すべし。
第三 村長及び町長は、人民の直接投票により選挙すべし。
第四 満二〇歳に達したる男女は、悉く参政権を与えられる。
第五 投票権を有する男女は、何人も被選挙権を有す。
一九四六年六月四日
北部南西諸島米軍海軍々政府長官
海軍少佐 ジョン・エ・ポーター
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)93頁
でした。
被選挙権が20歳以上となっていたことから、地方自治法下では存在することのない、25歳未満の市町村の首長が出ることができました。[87778][99782]
重村 一郎 1922(T11).11.6 鹿児島県大島郡東天城村 24歳7ヶ月 1947(S22).7.3
若年で当選した首長において、地方自治法の被選挙権は25歳以上とは異なり、米国軍政府下の奄美地方での市町村長選挙については被選挙権が20歳以上であった旨の注釈が必要かもしれません。>グリグリさん

さらに余談となりますが、米国軍政府下での市町村長及び市町村議員の選挙日である1946年7月1日は名瀬市が誕生した日でもあります。
こちらは、1946年6月7日に名瀬町から名瀬市に名称変更することを大島支庁長から軍政長官宛で許可申請を出し、
名瀬町の名称変更
1946年7月1日を期し名瀬町の名称を名瀬市に、名瀬町会議員の名称を名瀬市会議員に改称す。
1946年6月7日許可
北部南西諸島軍政府官
米軍海軍少佐
ジョン・A・ポーター
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)92頁
と同日付で軍政府から許可をされました。
名瀬町が、大島郡の首都として、政治・行政・教育・通信・運輸及び商取引その他の中心地として、将来又最近における軍政府の所在地として愈々殷賑を極め、本町の将来における市名は益々重要性を加重せらるるを以て、茲に本町を「市」に名称変更し一般の品格を加うる事とし、今回本郡一斉に行わるる町村会議員選挙に際し、市会議員の選挙を行うは最も機宜を得たる措置と認む。これ即ち、復興途上にある本町民の心機を一転し、将来の発展に一層の拍車を掛くるものと信ずる所以なり。
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)91頁
という理由で、1946年6月10日名瀬町会満場一致で可決、翌日大島支庁より許可通知を受け、1946年7月1日に名瀬市という名称になりました。
しかしながら、名瀬町は「名瀬市」という名称になりましたが、町村制を適用して実施し、実際に市制が適用されたのは日本国に復帰した昭和28(1953)年12月25日になってからです。
参照:名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)91-92頁

とするならば市区町村変遷情報(鹿児島県)
112 1946(S21).7.1 市制 名瀬市 大島郡 名瀬町

112 1946(S21).7.1 改称 名瀬市 大島郡 名瀬町
141 1953(S28).12.25 市制 名瀬市 名瀬市
とする方が適切かもしれません。

(7)沖縄県
19530112 沖縄県 米国軍政府下市町村自治法 5市9町52村
1950.12.5琉球列島米国民政府に関する指令(FEC指令(スキャップ(SCAP)指令とも言う))により、1950.12.15に米国軍政府(MG)から米国民政府(USCAR)へと変わりました。その後、米国民政府は1952.4.1に成立する琉球政府へと変わります。
参考:沖縄県公文書館1950年(昭和25)12月15日付で琉球列島米国民政府(USCAR)を設立

また、市町村選挙の法的根拠は米軍政府回状第208号(地方行政緊急措置要綱)(1945.9.12)、米軍政府指令第26号(市町村制)(1948.7.21)、琉球政府立法第1号(市町村自治法)(1953.1.12)と変化しています。
参考:那覇市議会史第2巻資料編1議会の法規・組織(PDF)
#沖縄本島の場合に限ります。八重山諸島では違うかもしれません。

とするならば、
19530112 沖縄県 米国軍政府下市町村自治法 5市9町52村

19530112 沖縄県 琉球政府市町村自治法 5市9町52村
とする方が適切かもしれません。


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