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落書き帳

地域に根付いた地名−谷津−

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[2532]2002年8月12日
深海魚
[2533]2002年8月12日
Issie
[10500]2003年3月6日
ken
[25672]2004年3月3日
KMKZ
[25715]2004年3月4日
烏川碧碧
[25723]2004年3月4日
KMKZ
[25772]2004年3月5日
KMKZ
[60585]2007年8月12日
スピカ

[2532] 2002年 8月 12日(月)15:04:48深海魚[雑魚] さん
谷津田
全く関連の無い話題での連続書込みで恐縮ですが。

本日昼のNHKニュースの関東版によると、千葉市では減少しつつある谷津田の保全に
乗り出したそうですね。谷津田とは、丘陵が複雑に絡み合った地形の低地部分に広がる
田圃の事を意味するそうですが、習志野市の谷津とは何か関係あるのかな。
[2533] 2002年 8月 12日(月)18:02:34Issie さん
Re:谷津田
>習志野市の谷津とは何か関係あるのかな。

恐らくそうだと思います。
千葉県北部の下総台地には習志野市の「谷津」(旧町名「津田沼」の「津」)を初めとして「○○谷津」という地名が多く分布します。

>丘陵が複雑に絡み合った地形の低地部分に広がる田圃

大抵がこういう地形です。
習志野市の「谷津」もかつての谷津遊園のネームバリューのせいか,千葉街道(国道14号)沿いの海岸集落(今は内陸になってしまいましたけどね)が中心と思ってしまうのですが,古くからの集落は少し内陸に入った京成線沿いにあります。

千葉県側で「ヤツ(谷津)」と呼ばれるのと同じような地形を武蔵(埼玉県・東京都)南西部では「ヤト(谷戸)」と呼び,「○○谷戸」という地名が多く分布します。
鎌倉周辺では「谷」と書いて「やつ」と読んでいますね。
以前に話題になった関東の「谷:や」もこの系列に入る地名だと考えています。

グリグリさん
>Issieさん、勝手に紹介させていただき URL もトップ以外を出しました。まずければご指摘下さい。

いいえ,全然問題ないですよ。
[10500] 2003年 3月 6日(木)00:17:28ken さん
下総台地と谷津田
[10455] N-H さん
千葉県の北部って、細長く境界が入り組んだ自治体が多いですね。おそらく台地に谷が食い込んだようなところで、小川沿いの田んぼの領域がそのまま境界に反映されていたりするのでしょうか。
いわゆる谷津田ですね。
下総台地は、谷津田地形が多く、台地の上段と谷津の部分は、結構な落差があって、その境は、急斜面の崖になっていて、物理的に往来が途絶している格好になっているところが多いですから、昔から所有者も別でしょうし、それが所領も、村も、字も別れる格好になり、現在の自治体も別、という風になっているところが多いのだと思います。

鎌ケ谷市の馬込沢、船橋市丸山は見事ですね。
東金市上布田と、山武町下布田は、地形だけではちょっと説明つかないですね。
先日、千葉東金道路ですぐそばを通ったのですが、さすがに見に行こうとは思わなかったですね。
[25672] 2004年 3月 3日(水)13:10:16【2】KMKZ さん
板橋にも谷津がある。
ご無沙汰しております。KMKZです。


「○○谷津(やつ)」とは、下総台地に広く分布する地名で、以下のような地形を表すそうです。
[2533]Issieさん
>丘陵が複雑に絡み合った地形の低地部分に広がる田圃

大抵がこういう地形です。

同様の地形を武蔵野台地東端では、「谷(や)」、西部では「谷戸(やと)」と呼ぶようですが、武蔵野台地東端の東京都板橋区の公園/緑地に、谷津を含むものがあることに、最近、気が付きました。

http://koueninfo.fc2web.com/koueninfo-parksouran/souran-itabashi3.html 東京23区公園評価総覧
前谷津川緑地 赤塚6.7丁目地区
上谷津公園 赤塚6丁目

なぜ、下総台地から離れた板橋区赤塚の地に下総台地の地形の呼称「谷津」があるのでしょうか?
「谷津、下総台地、赤塚」のキーワードから、思いついたことがあります。

板橋区赤塚には、中世の城跡が公園化された赤塚城址公園があるのですが、以前、この公園を訪れた時に、公園内に立てられていた説明板には赤塚城に下総から千葉氏がやってきて居住していたことがあると書かれていました。

板橋区のHPで調べたところ、
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/icief/ku/ku-rekishi.htm
 鎌倉時代から室町時代にかけては豊島氏がこの地方の主権者として、威を振るい、その繁栄は文明9年(1477年)に豊島氏が長尾景春の反乱に加担したため、上杉家の家臣、太田道灌によって石神井川城・平家城をおとされるまで、続きました。
 この後、千葉市川城にあった千葉自胤が古河方によって城をおとされ、太田道灌に守られて赤塚に移り、赤塚城を居城として勢力をもりかえし、豊島氏が滅びると、板橋地方はもちろん葛西地方から下総国臼井城までもその傘下におさめました。しかし、管領上杉家が勢力を失った後は、北条氏にしたがってその勢力を維持させたもののながくは続かず、ついに天正18年(1590年)、小田原城が落城するにおよんで、千葉氏もまた滅び、赤塚城は廃城となりました

戦国時代に下総からやって来た千葉氏が下総の谷津と同様の赤塚の地形に谷津と命名し、その名残が、上記の公園名なのではないか、と思います。

なお、東京大仏のある乗蓮寺は赤塚城の三の丸跡であり、その近くの古刹松月院は赤塚の地に移ってからの千葉氏の菩提寺だそうです。

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.46.41.709&el=139.38.51.605&la=1&sc=3&CE.x=227&CE.y=163 赤塚城付近の地図
[25715] 2004年 3月 4日(木)12:36:29烏川碧碧 さん
谷に思う
[25672] KMKZ さん
なぜ、下総台地から離れた板橋区赤塚の地に下総台地の地形の呼称「谷津」があるのでしょうか?

戦国時代に下総からからやって来た千葉氏が下総の谷津と同様の赤塚の地形に谷津と命名し、その名残が、上記の公園名なのではないか、と思います。

下総の谷津と同様の赤塚の地形は、千葉氏以前にも、
同様の地形を武蔵野台地東端では、「谷(や)」、西部では「谷戸(やと)」と呼ぶようですが
というように、古くは武蔵野台地の言葉に従って「ヤ」あるいは「ヤト」と呼ばれていたのではないでしょうか。それを千葉氏が下総の言葉に従って「谷津」と写した(発音への影響もあったかもしれません)ということはあっても、「命名」というほどのことは無いように思います。

「谷」の字を、通常、西では「タニ」、東では「ヤ」「ヤツ(谷津)」「ヤト(谷戸)」等と読むことが知られています(鎌倉にはヤツ…谷が多いですね)。もちろん、厳密に検証すれば、それぞれの語が意味するところは時代・地域によって異なるのでしょうが、同じ「谷」の字を当てていることからも、だいたい似たような地形を指すものと考えて構わないかと思います。甲斐や人名の熊谷に通ずる「カイ(峡)」系もあるようですね。

むしろ西方におけるヤ系の方が、後の歴史の影響があるようで興味深く思われます。

ついでながら、東京の「タニ」地名について、少し調べてみました。

【茗荷谷(みょうがだに)】
一般に、茗荷が多く生えていたところから「茗荷谷」と呼ばれたという説が行われていますが、一説によれば、江戸時代、鉄砲を撃って良く的に中る冥加(神仏の守護のこと)があるという稲荷が同所にあり、そこから「冥加稲荷」「冥加谷」の名が生じ、後、「茗荷谷」の字が用いられるようになったといいます。
後者であれば、「タニ」地域出身の武家の関係者が命名に関与したとものと思われます。

【鶯谷(うぐいすだに)】
一帯に多くのウグイスがいたことから「鶯谷」と呼ばれたようですが、そのウグイスの主たるものは、寛永寺(上野)の主・輪王寺宮に従った陶芸家・尾形乾山が京都から取り寄せて放ったものといいます。やはり江戸時代のことです。

とりえず上記2例だけ思いついたのですが、どちらも諸国の人間が関東に流入した江戸時代に起源を有するということになりそうです。少なくとも東京の場合は同様のケースが多いのではないのでしょうか。

現在、通常「谷」は「タニ」と読まれていますし、江戸時代以前も、歴史的に西の「タニ」系の人間が東国の地名に影響を与えたケースは多いと想像しています。

逆に東国から京都に人が動いた例としては、足利氏による室町幕府の成立の頃くらいしか思いつかないのですが、地名等に与えた影響はあるのでしょうか?


[25709] 愛比売命 さん
あえて地形的制約があるところに作った都市について
はじめから「都市を作ろう」と計画していたのであれば、あえて地形的制約があるところを選択せずに、平野部での都市建設も検討できたことでしょう。個人的な想像の域を出ないのですが、狭いところに人が集まったからこそ、人間の存在によるエネルギーが高まるとともに交流が活発になり、結果として、都市としての発展を見せることになったのではないでしょうか。また、平地は農地としての利用が優先されていたとも思います。

ところで、一説に、狭いところに人口が集中した結果として、古代のギリシャ人は海に活路を求めて数多くの植民地を築いたのに対し、ローマ人は土木技術を駆使して都市を拡大し、ついには大帝国を築いたとか。

無数の台地と谷の上に広がる東京圏は後者でしょうか?


[25684] KMKZ さん
[25682] miki さん
埼玉に限る話ではないのですが、「県」漫画といえば、どうしても吉田戦車「ぷりぷり県」が思い出されます。人に教えられて読んで、思うところ多でした。
[25723] 2004年 3月 4日(木)17:27:41【2】KMKZ さん
RE:谷に思う
[25715] 烏川碧碧 さん
下総の谷津と同様の赤塚の地形は、千葉氏以前にも、
同様の地形を武蔵野台地東端では、「谷(や)」、西部では「谷戸(やと)」と呼ぶようですが
というように、古くは武蔵野台地の言葉に従って「ヤ」あるいは「ヤト」と呼ばれていたのではないでしょうか。それを千葉氏が下総の言葉に従って「谷津」と写した(発音への影響もあったかもしれません)ということはあっても、「命名」というほどのことは無いように思います
お説ごもっともです。千葉氏は赤塚城を新規に築城したのではなくて元々あった赤塚城に入城したのですから、それ以前から付近の谷状の地形に「○○ヤ」あるいは「○○ヤト」と呼ばれる地名があり、それを下総風に「○○ヤツ」と呼ぶようした可能性は高いと思います。一方、新たな支配者がやって来たことを強調する為に、福岡のように、元の地名を否定して自分の出身地に由来する地名を新たにつけた可能性も否定できないわけで、文献に記録が残っていなければどちらが正しいかは判断はできないかと思います。
私としては「○○ヤツ」の「○○」の部分が元々あった地名由来か、千葉氏が赤塚城入城時に新たにつけたかのかどうかよりは、「ヤツ」が千葉氏が下総から武蔵野の赤塚の地に伝えた地名であるかどうかに興味があります。

東京の「タニ」地名
確かに、東京でも茗荷谷、鶯谷は「タニ」と西日本的な呼び方をしますね。
東京の地名で「谷」を「タニ」と呼ぶ場合は、江戸時代以降の比較的新しい地名の可能性が高そうですね。

東国から京都に人が動いた例としては、足利氏による室町幕府の成立の頃くらいしか思いつかない
東国から京に上り、全国的な支配を行った例としては足利氏だけかもしれませんが、鎌倉幕府の成立以降、関東から守護/地頭等で西国に行き大名として一定の勢力を築きあげた一族は多い筈です。

例えば、島津氏、毛利氏、大友氏は皆、相模出身だったのでは。
この他にも、この掲示板では、下野から伊予に行った宇都宮氏、仙波氏、武蔵から丹波に行った足立氏などが話題になっています。
こうした一族の支配地の中には、西日本にあっても谷状の地形を東日本風に「ヤ」、「ヤツ」、「ヤト」と呼ぶ地名があっても不思議ではないとおもいます。果たして、実際に存在するのか興味深いですね。
[25772] 2004年 3月 5日(金)17:17:00【4】KMKZ さん
ヤ系地名
[25732]じゃごたろ さん
引用して頂いた部分に誤りがありました。
連絡が遅くなりましたが、修正してあります。


[25749]烏川碧碧 さん
新たにヤ系の命名が行われることは(すでにあるヤ系地名にちなんだりしたケースを除いて)極めて稀であったのではないでしょうか。
東日本にはタニ系地名も結構ありますが、西日本にはヤ系が殆どないので、お説の通りなのでしょうか。
ところで、引用して頂いた部分に誤字があることに「気付き」ました。恥ずかしいので元の文章を修正してしまいました。


[25753]EMM さん
石川にも「ヤツ」「ヤト」「ヤチ」系の地名があります。
こっちは「谷内(やち)」になります。
「谷内(やち)」は古代の越の国の地を中心に分布しているようですね。
北陸地方には、東日本的な地名が多く残っているのでしょうか?


[25757]キュッキュ さん
山口県の「谷津」は「ヤツ」ですが,島根県の「谷戸」は「タンド」と読むようです。
やっと一例が、見つかりましたか。「谷」を「ヤ」と発音するのは明らかに東日本的だと思います。
山口と言えば毛利氏ですが、「谷津」も毛利領だったのでしょうか。毛利氏発祥の地は現在の神奈川県厚木市(青山学院大学厚木キャンパスがあった付近)だそうですね。しかし、毛利氏が「谷津」を関東から山口に伝えたのならば、「谷津」は山口(あるいは中国地方)一円にもっと分布してもよさそうですし、少なくとも毛利が大大名となる前の領地、広島県吉田町付近にも「谷津」がないと不自然かと思います。
山口県の「谷津」は、毛利氏以前に、別の小領主が東日本(下総?)からやって来て付けた地名なのかもしれません。文献上、山口県の「谷津」がどの時代まで遡れるのか興味がありますね。

毛利氏発祥の地 厚木市毛利台、森の里(=毛利の里?)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.26.22.145&el=139.20.00.635&la=1&fi=1&pref=%bf%c0%c6%e0%c0%ee&skey=%cc%d3%cd%f8&sc=4
[60585] 2007年 8月 12日(日)23:59:20スピカ さん
地名コレクション奮闘記
本日、およそ一か月振りの新規地名コレクションとして「谷戸・谷津 コレクション」をリリースいたします。EMMさんをはじめとした落書き帳の皆さんのおかげです。
最初は神奈川県だけですが、徐々に広めていく予定です。この書き込みをしている時点で、三多摩地区の大半の調査を終えています。
今のところ、定義が不十分なので分かりにくい思いをさせてしまいます。また、地図のリンクを順次張っていきます。募集はリリースしている範囲で、落書き帳内で行います。皆様のご協力をお待ちしております。

実は一番苦労したのが「RGB値」でした。未だに苦労してます。

[60550]EMM さん
確かに、「ヤチ・ヤト」系の地名の中でも「谷戸」と「谷津」は関東を中心に分布していると言う共通点がありますし、一緒にコレクションしても良いのかな、と思います。
一方で「私だったら分けて集めるかな…」というのも心の隅っこにあります。
と言うことで、「数が多くなりそうだったら分割をお願いする可能性がある」という条件付きで「谷戸・谷津」コレクションに変更します。
(いくつぐらいで分割をお願いするかは様子を見てと言うことで、特に数は決めないでおきます)
よろしくお願い致します。
「広範囲での分布を知りたい」という気持ちが大きかったので、行政区画を基準に分ける形をとりました。今後、地域が増えてきた時に再度検討し、一コレクション内で「ヤト」「ヤツ」を分けるか、別コレクションにするかを決めてもらいたいと思います。現在神奈川県内の調査で
ヤト52
ヤツ8
「ヶ谷戸」6「ガイト」地名の可能性がある
谷(読み不明)60
となっています。読み方が分からない「谷」の存在が大きいです。元々「ヤト」と読んでいたのが分かっても今現在がどうなっているのか、難しいところなのです。

同じような「ヤチ・ヤト」系の地名でも、関東の「谷戸」「谷津」と東北の「谷地」「萢」はちょっと地形が違うんですよね。
どちらも「湿地」に近いぬかるんだ土地なのですが、「谷戸」「谷津」は山の間、「谷地」は平地なんですね。平地なのに「谷」の字を当てちゃいましたが。いずれにしても水田が出来る、素敵なところだったのでしょう。そんでもって、「谷田」は谷に作った田の意味です。「ヤテ」はないのかな…。
[25715]烏川碧碧さん
下総の谷津と同様の赤塚の地形は、千葉氏以前にも、
同様の地形を武蔵野台地東端では、「谷(や)」、西部では「谷戸(やと)」と呼ぶようですが
というように、古くは武蔵野台地の言葉に従って「ヤ」あるいは「ヤト」と呼ばれていたのではないでしょうか。それを千葉氏が下総の言葉に従って「谷津」と写した(発音への影響もあったかもしれません)ということはあっても、「命名」というほどのことは無いように思います。
[25723]KMKZさん
千葉氏は赤塚城を新規に築城したのではなくて元々あった赤塚城に入城したのですから、それ以前から付近の谷状の地形に「○○ヤ」あるいは「○○ヤト」と呼ばれる地名があり、それを下総風に「○○ヤツ」と呼ぶようした可能性は高いと思います。一方、新たな支配者がやって来たことを強調する為に、福岡のように、元の地名を否定して自分の出身地に由来する地名を新たにつけた可能性も否定できないわけで、文献に記録が残っていなければどちらが正しいかは判断はできないかと思います。
[25740]KMKZさん
山口県玖珂郡玖珂町谷津
※引用にあったって当時は無かったと思われるURLのリンクの機能を使い、リンクをはる形にいたしました。
[25757]キュッキュさん
山口県の「谷津」は「ヤツ」ですが,島根県の「谷戸」は「タンド」と読むようです。
[25772]KMKZさん
やっと一例が、見つかりましたか。「谷」を「ヤ」と発音するのは明らかに東日本的だと思います。
山口と言えば毛利氏ですが、「谷津」も毛利領だったのでしょうか。毛利氏発祥の地は現在の神奈川県厚木市(青山学院大学厚木キャンパスがあった付近)だそうですね。しかし、毛利氏が「谷津」を関東から山口に伝えたのならば、「谷津」は山口(あるいは中国地方)一円にもっと分布してもよさそうですし、少なくとも毛利が大大名となる前の領地、広島県吉田町付近にも「谷津」がないと不自然かと思います。
山口県の「谷津」は、毛利氏以前に、別の小領主が東日本(下総?)からやって来て付けた地名なのかもしれません。文献上、山口県の「谷津」がどの時代まで遡れるのか興味がありますね。

を(他にもあるかもしれません)みるとかなりの移動をして関東から全国に広まったことがわかります。石川県に「谷戸」か「谷津」があるというEMMさんかオーナーさんの書き込みがあった筈ですが、見つからない…;

「ヶ谷戸」で「がいと」もしくは「げーと」と読む「谷戸」地名があったら外しますので、その辺りのレスもよろしくお願います!



[60535]日本人さん
スピカさん5万文字おめでとうございます。
そうでしたか。ありがとうございます。書き込み数と文字数のランキングが大分離れてきています。


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