都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
hmtさんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …



[97794] 2019年 5月 21日(火)16:17:28【1】hmt さん
海と島(35)島が消えた? 北海道 猿払村沖
北海道北部の猿払村の沖合にあるはずの小島が見当たらなくなったとの情報が寄せられたことを受け、海上保安本部が 2019/5/20から 現地調査を始めました。

私が知ったのは 昨夜のテレビニュースですが、北海道北部・宗谷総合振興局管内の猿払村の沖合 約500mにあるはずの「エサンベ鼻北小島」の消失 が話題になったのは昨年秋で、各紙が一斉に報道しており、その一つを引用します。

第1管区海上保安本部(小樽)は、1987年の測量では 島の高さは平均海面から 1.4mあったが、「雨風や流氷の浸食で消失した可能性がある」と説明。
猿払村漁協によると、現在は海岸、海上のいずれからも目視で確認できない。

地元民にとっては船の通行障害物という認識で、積極的な利用価値のある島ではなかったようです。
三、四十年前の記憶では、数個の岩の列の先にあり、3人程度が上陸できた小さな陸地とか。

この「陸地の消失?」がニュースになるのは、領海やEEZに関係するからですが、領海問題がらみで「島」と評価されるようになって、地元では かえってビックリという印象。

政府は平成26年(2014)、領海の範囲を明確にしようと、名称のない 158の無人島に名前を付けました。
エサンベ鼻北小島はその一つでした。

昨年明らかにされた消失問題につき、1管の担当者は「測量の時期や手法を検討する」としていました。
昨夜のテレビニュースの内容は、これを受けた 海保の 新年度調査開始を伝えるものでした。

それで思い出したのが、[85734]海と島(6)で記した「名称不明離島の名称決定・地図等への記載」でした。
上記158離島は、同様な政策を拡張したものと思われ、内閣府のページ 領海の外縁を根拠付ける離島の地図及び海図に記載する名称の決定には、158離島のリストが示されていました。エサンベ鼻北小島は No.13。

別件:海と島(32)馬毛島買収問題[97420] その後

160億円で仮契約が結ばれ、馬毛島買収問題決着へ と書いたのですが、情勢が変りました。
2019/4/8東京地裁の仮処分決定により、島を所有するタストン社の実権が父親の 立石勲 氏に戻り、防衛省に対して交渉打ち切りを 2019/5/7付文書で通告したそうです。出典
[97698] 2019年 5月 14日(火)16:45:48hmt さん
「百舌鳥・古市古墳群」 満点評価でユネスコ世界遺産へ
文化庁の報道発表
ユネスコ世界遺産センターからの通知があり、諮問機関 ICOMOS から、日本が推薦した「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産一覧表に記載するのが適当との評価を得た。
6月末から開かれる第43回世界遺産委員会で世界文化遺産登録が決定する。

ICOMOSは、歴史的価値について満点に近い評価をしていたとのこと。産経

「百舌鳥(もず)・古市古墳群」について
5世紀頃、大陸航路が発着する大阪湾。平野上に築造された、巨大な前方後円墳を含む古墳群。
百舌鳥エリアは、大阪府堺市にあり、仁徳天皇陵古墳など23基。
古市エリアは、大阪府羽曳野市・藤井寺市にあり、応神天皇陵古墳など26基。

落書き帳記事を「古墳 世界遺産」で検索したがヒットせず、改めて「陵 世界 遺産」で検索。
違う場所の首里の玉陵[65905]も出ましたが、[61395]むっくんさん 文化庁公募の世界文化遺産候補に13件。
その中に「○百舌鳥・古市古墳群~仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群(大阪府)」がありました。
[83679]hmt 世界文化遺産登録を目指す 古市古墳群

「堺の三国ヶ丘」[47313]も百舌鳥古墳群付近ですが、世界遺産には言及していませんでした。最近[97671]で言及。
[64972]に登場した垂仁天皇陵は、古市古墳群の一つです。橘の話題。
[97694] 2019年 5月 12日(日)14:47:52hmt さん
Re:アルファベット入り町名登場
[97691] 油天神山さん
外来語由来町名コレクション…アルファベット入りの町名はこれまで収録されておらず、今回の高岡市ICパークが初

「IC」の説明文には ”団地の名称を「ICパーク高岡」とした”とありました。
しかし、3月市議会の議案
戸出支所の所管区域…内の字の変更に伴い、…ICパークを追加するもの
とあり、「市町村」の一部である「町丁字」の名称が 正式に変更されたものと理解します。

日常生活の中では溢れかえっているアルファベット略号。これが、町名に初登場とは予想外でした。
考えてみれば、公式地名は「日本語であること」を前提とするので「漢字【+かな】表記になる」のが原則なのでしょう。

文化審議会国語分科会の漢字小委員会(第8回)で参考配布された 市町村の名称について という資料がありました。
日付記載はないが、平成合併時代 2006/6/13 の会議です。

基本的な考え方は、自治省行政局長通知(1958/4/21)
地名の書き表し方は、さしつかえのない限り当用漢字字体表を用いる。

2001年『ぎょうせい』で紹介された質問2 
外国語を日本語(カタカナ, ひらがな等)で表記した場合を「理由が明確であればよい」と是認した回答がありました。
アルファベット略号には触れていません。
裏返せば 当時は考慮外の表記であったのかもしれません。

アルファベットを使った別の事例。
大阪市の住所表記になぜ「ABC」 という 2014年の日経記事がありました。
これは、「街区符号」として「ABC」が使われている例であり、地名とは言い難いようです。

総務省住民制度課や地図製作会社の昭文社にも確認したが「アルファベットを街区符号に使うところは、他に聞いたことがない」そうです。
1989年に大阪市南区と東区とが統合して中央区になった影響による措置で、遡れば更に10年前からの「上町1丁目」隣接に由来する本家争いとか。
[97690] 2019年 5月 11日(土)18:39:10hmt さん
白桃さんへのお願い
「都会」人口素描のシリーズを拝見しています。

都会の四条件を点数化した企画。単なる人口やDIDの比較だけでなく、昼間人口や商品販売額、それに「親父の遺言」までも加味した独自の採点による「白桃市町村人口研究所認定」の番付、全国版の完成を期待しています。

この番付の特徴は、白桃さん独自の採点基準にあり、四条件【プラスアルファ】に基づいて、数値評価がなされる点にあると思います。

そこで最初にお願いしたいのは、総合点だけでなく、配点基準とそれに基づくポイントの内訳を示していただきたいことです。

次に、こまかくなりますが、都会度を評価する基礎となる4つの数値の出所について。

DID人口と人口の昼夜比率は最新の【2015年】国勢調査データに頼らざるを得ないと思われます。
商品販売額の出典は 2016年。1年違いなので特に問題ないと思います。

過去記事によると、常住人口には 2019年3月1日現在の推計人口が用いられています。
しかし、この日付は全国の市のランキングデータで選ぶことができず、例えば[97675]に記された推計人口を確認することができません。

なお、このランキングデータでは、「2019/04/01の自治体構成で再表示」を選ぶことができます。
しかし、その結果は さいたま市 1,295,607、狭山市 150,355 であり、下記[97679]に示された推計人口とは異なる数値でした。
さいたま市が2019年4月1日現在推計人口が1,301,861人となり、
(中略)(狭山は4月1日現在推計で15万人を割り込んでいる)
この食い違いについては理解不能です。使い方が悪いのでしょうか? 教えてください。

推計人口は、国勢調査人口に住民台帳データによる短期的な人口増減を補正した値と理解しております。
都会度の評価は、やや長期的な視野によるものと考えます。
他の2つは国勢調査を利用しているのに、常住人口についてだけ、わざわざ推計人口という補正値を使う必要性があるのでしょうか? お知らせください
[97671] 2019年 5月 1日(水)16:20:28hmt さん
筑前・対馬?・筑後の三国境
[97665] かぱぷうさん
当該地域は筑紫野市の旧筑紫村・小郡市の旧三国村にまたがり…

福岡県小郡市三国が丘のことは全く知りませんでした。地名コレクション『三国』からも落ちているようです。

今更ながら…ですが この場合の「三国」の名は?

マピオンにも地理院地図にも「国界」表示はありませんが、三国境所在地は、現在の行政境界により知ることができます。

筑前国>福岡県筑紫野市大字原田【筑豊本線の終点駅で、読みの はるだ を知っていました】
筑後国>福岡県小郡市希みが丘
肥前国>佐賀県三養基郡基山町大字小倉

国道3号筑紫野バイパス沿い。筑紫野温泉アマンディ付近で 九州自動車道の下を通過するあたりのようです。
しかし、地理院地図の15スケール以上では 筑紫野市と小郡市との境界線が見当たりません。

筑紫野市教育委員会:ちくしの散歩 原田宿(3)国境の碑 では、江戸時代に建てられた国境石が解説されています。

そのひとつ「三国境石」は、当時の三国坂(現在は消滅)の峠付近に当たる険しい山の上にあり、この場所が筑前・筑後・肥前の境となっていました。
三国坂を原田側へ下ったところに「従是北筑前国」と刻まれた威風堂々たる国境石があります。
黒田藩の書家 二川相近の書。薩摩街道が通る市内馬市にもあるが、その先の国道3号左側の公園内には、東15mから移設された筑前肥前国境石があるとのこと。

これらの国境石は 別のページでも紹介されていましたが、古いページなので温泉施設は旧名のアクアフォーレとなっていました。背中合わせの国境石の背景に コンテナ列車が写っています。

そして、更に別のページには、驚きの記載。
国道三号線の原田と 基山の中間に 「三国」と言う地名があります。読んで字の如く、筑前、対馬、筑後 が一点に交わっていますが、此処が現在も 福岡県と佐賀県の県境です。

筑前・筑後と境を接する三国の一角として記された地名は、なんと長崎県の離島である「対馬」でした。
これを見た私が最初に感じたのは、「肥前」の単純誤記の疑いでした。
しかし、読み返したら、背中あわせ石碑裏面の写真はないものの、九州地方整備局の設置した説明文「国境石」があり、「従是西肥前国対州領」を根拠とした記載「対馬」であることが判明しました。

前記筑紫野市のページにも「対馬領」の記載があり、「交渉難航をうかがわせる」と記された当事者の肥前側は、佐賀藩ではなく対馬藩だったのでした。

律令制時代に設けられた地理的名称「対馬国」は離島です。
しかし、江戸時代の人が付き合わねばならない 九州本土の隣国は、地理的には肥前国の一部であるが 行政的には「対馬領」であったのでした。

堺の「三国ヶ丘」[47313] を思い出し、九州の「三国が丘」を調べていたら、意外な隣国の登場に驚いた。
お粗末の一席でした。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示