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白桃さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[99882]2020年6月5日
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[99881]2020年6月5日
白桃
[99877]2020年6月3日
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[99865]2020年5月29日
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[99737]2020年5月13日
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[99731]2020年5月13日
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[99722]2020年5月12日
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[99708]2020年5月11日
白桃
[99678]2020年5月10日
白桃
[99589]2020年5月7日
白桃

[99882] 2020年 6月 5日(金)11:31:53白桃 さん
「前身町」「本源因子町」「最古因子町」
♪「港町・涙町・別れ町」のようなタイトルになりましたが、最近「前身自治体」とか「前身町」とか白桃は自分の造語を多用していますので、以前記事にした「本源因子町」等との違いについて改めて説明させていただきます。
まず、「前身町」。
[89946]では、
「市の前身自治体」とは、既存の市を含まない市制施行時に関係した自治体のうち、
市制施行前国勢調査時に一番人口の多かった「町」を指します。(町優先ルール)
と定義していますが、「市の前身自治体」を「市の前身町」に置き換えてもOKです。で、この「前身町」を遡っていくことにします。具体例を出しますと、大内、白鳥、引田の3町で成立した東かがわ市の「前身町」は「大内町(おおちちょう)」となるのですが、この大内町は、三本松町と大内町(おおうちちょう=丹生・誉水の2村が合併)の合併によって出来た町なので、その「前身町」は三本松町になります。その理由は、大内(オオチ)町成立前の1950年国勢調査時には大内(オオウチ)町は存在していなかったからです。そして、この三本松町を遡ると村になってしまいますので、三本松を取りあえず、東かがわ市の「初代前身町」と呼ぶことにしましょう。
次に本源因子町(かなり長くなりますが[89946]を再掲します。)
「因子町」とは
現行の市を構成する旧町で、
(1)町村制施行と同時に誕生した町(の名称)・・・(例)香川県丸亀町
(2)一つの村が単独で、あるいは複数の村の合併により町制施行となった町(の名称)
・・・(例)香川県三本松町、香川県大内(おおうち)町(※三本松町と大内(おおうち)町が合併して成立した大内(おおち)町は因子町ではない。)
(3)村が町を編入合併して成立した町(の名称)・・・(例)静岡県引佐町
(※「因子市」も「因子町」に準拠)
「直系」と「傍系」
・「市と市」あるいは「町と町」が新設合併した場合は、いずれの旧市(旧町)も直系。
編入合併の場合は、編入した旧市(旧町)が「直系」で、編入された旧市(旧町)は「傍系」となる。
・「市」と「町」の合併においては、「新設」「編入」の如何を問わず、旧市が「直系」で、旧町が「傍系」となる。
「本源因子町」とは
直系の「因子町」のうち、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子町。(ただし、「本源因子市」が所謂「生まれながらの市」である場合は「本源因子町」はない。)
次に最古因子町
最古(最多人口)因子町
現行の市を構成する因子町で、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子町。
今、見返せば、(最多人口)は誤解を生じるので外した方が良いですね。「本源因子町」と「最古因子町」が違う例として、小松島市があります。本源因子町=小松島、最古因子町=立江
因みに「初代前身町」・「本源因子町」・「最古因子町」三つが異なるのが、湖西市です。
初代前身町=鷲津、本源因子町=白須賀、最古因子町=新居
~~つづく
[99881] 2020年 6月 5日(金)00:00:42【3】白桃 さん
名邑三世代.その27(長崎県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
長崎県の【秀邑】は、炭鉱の街として賑わった崎戸を筆頭に、南高来からは西有家、口之津、加津佐、小浜、南有馬、上五島の有川(第50代横綱・佐田の山の出身地)、東彼杵の上波佐見、川棚に北松浦の生月と計十の街であります。
注目されるのは、「平成の大合併」の中でも「多数町合併」によって誕生した西海市、雲仙市、南島原市の【前身町】は、どこも「秀邑」となっていないのであります。とりわけ、南島原に至っては、西有家、口之津、加津佐、南有馬と四つの街が「秀邑」となっているのにもかかわらず、【前身】の有家※(ありえ)の名が見当たらない。そんなことは有家ない、と冗談を言っている場合ではありません。そして、長崎県10の「秀邑」の中で、「卓邑」の要件を満たしているのは川棚だけであることからも、長崎の「秀邑」の殆んどは、全盛期の人口はそれなりのものがありましたが、恒久的な市街地を形成することもなく、後に衰退していく運命にあるのです。特に現在の南島原市には旧8町のどこもが、これと言った市街地を形成していないのですが、このことは、「島原の乱」後、無人の荒野と化したこの地へ、幕府領小豆島や各藩からの強制移住があったことと関係しているのではないかと白桃は邪推しています。
※有家の名誉の為に言っておきますが、南島原市旧8町の中で、町制施行が一番早かったのは有家です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)-----1950年(人口)
二種二級崎戸(西海市)崎戸村12,825崎戸町22,723
二種三級西有家(南島原市)西有家村10,528西有家町14,071
二種三級口之津(南島原市)口之津村9,198口之津町10,614
二種三級加津佐(南島原市)加津佐村9,093加津佐町12,349
二種三級有川新上五島町有川村8,596有川町12,208
二種三級小浜(雲仙市)小浜村8,580小浜町13,172
二種三級南有馬(南島原市)南有馬村8,345南有馬町10,824
二種三級生月(平戸市)生月村7,752生月町10,718
二種三級上波佐見波佐見町上波佐見村7,180上波佐見町10,420
二種三級川棚川棚町川棚村6,934川棚町15,936
準秀邑
高島(長崎市)高島村8,907高島町10,400
岐宿(五島市)岐宿村7,584岐宿町10,021
佐々佐々町佐々村5,978佐々町20,166
鹿町(佐世保市)鹿町村5,966鹿町町20,405
小佐々(佐世保市)小佐々村5,932小佐々町15,275
(参考)
世知原(佐世保市)世知原村4,796世知原町10,222
江迎(佐世保市)江迎村4,706江迎町16,894
奈良尾(新上五島町)奈良尾村4,615奈良尾町10,790
小値賀小値賀町笛吹村4,462小値賀町10,968
新御厨松浦市御厨村4,236新御厨町10,594
大島(西海市)黒瀬村3,695大島町15,095
福島(松浦市)福島村5,997福島村11,094
長与長与町長與村5,370長与村10,979

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
長崎県の【卓邑】は、(炭鉱の街)であった・松浦、と長崎市近郊の長与、時津と現在は長崎市となった高島、外海、の五つです。別に強調したくないのですが、松浦のDIDが0回は何とも言えません。「軍艦島」のある高島も、「卓邑」とは言え、長崎市に吸収される前に事実上の「廃村」となっていました。なお、外海にあったDIDを、白桃は「神浦池島」と名付けていますが、千本桜さんの「池島」の方が的確ですね。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級松浦(0)松浦市松浦市44,057松浦市22,082
二種三級長与(5)長与町長与村11,500長与町40,356
四種高島(6)(長崎市)高島町20,938高島町900
四種時津(5)時津町 時津町8,768時津町28,065
四種外海(5)(長崎市)外海町12,600外海町7,405
(参考)
多良見(3)(諫早市)多良見村9,324多良見町17,056
大島(2) (西海市)大島町18,373大島町6,055

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99877] 2020年 6月 3日(水)08:34:46白桃 さん
名邑三世代.その26(長崎県・前編)
【明治の名邑】
長崎県を料理に例えるなら、一種独特の風味があって、ほとんどの方はその美味しさをわからないまま食している、実は白桃もよく分かっていないのですが、それでもいきますよ。
長崎は文句なしの「別格市街」。人口急増で村から(町を飛び越えて)市となった軍港・佐世保は「市街」。名邑筆頭は厳原、続いて、白桃ルールによって島原市の【前身】となる湊と【前身】とならなかった島原。名邑代表は湊に委嘱。諫早→平戸→大村の序列は平戸→大村→諫早でも良いかも。そして19世紀枠で福江、富江、茂木を追加した長崎県の【明治の名邑】は計11。茂木びわ食べたい。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街長崎長崎市長崎38,229長崎市176,480
市街佐世保佐世保市佐世保4,844佐世保市93,051
名邑厳原対馬市厳原7,562厳原町12,587
名邑島原市嶋原※17,593湊町6,746
名邑島原(島原市)島原町5,469
名邑諫早諫早市諫早※4,865諫早町4,051
名邑平戸平戸市平戸※10,775平戸町3,215
名邑大村大村市大村※9,814大村町2,549
19世紀福江五島市福江 8,976福江村9,848
19世紀富江(五島市)富江8,917富江村11,265
19世紀茂木(長崎市)茂木8,653茂木村10,809
嶋原※・・・町村制施行後の島原町、湊町、島原村の境域にあたると思われる。
諫早※・・・町村制施行後の諫早町、諫早村の境域にあたると思われる。
平戸※・・・町村制施行後の平戸町、平戸村の境域にあたると思われる。
大村※・・・町村制施行後の大村町、大村、西大村にあたると思われる。

つづいて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
小浜(雲仙市)小浜第一表6,614小浜村8,690
口之津(南島原市)口之津第一表6,498口之津村11,602
川棚川棚町川棚第一表6,136川棚村7,076
人口的には「名邑」の要件を備えている街が非常に多い長崎県の「準名邑」選びは、難航の末、戸口表第一表に記載され、その人口が5千人以上で、戦前に町制施行の上記三つの街となりました。
以下、「準名邑」に近い街を参考として列挙します。
(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
時津時津町時津第一表5,407時津村5,307
矢上(長崎市)矢上第一表5,309矢上村6,111
瀬戸(西海市)瀬戸第一表4,978瀬戸村6,511
山口(佐世保市)山口第一表4,940山口村8,505
彼杵東彼杵町彼杵第一表4,676彼杵5,348
有川新上五島町有川第一表4,606有川村7,864
佐々佐々町佐々第一表3,404佐々村5,745
神代(雲仙市)神代第一表3,254神代村3,663
深堀(長崎市)深堀第一表3,167深堀村3,490
早岐(佐世保市)早岐第一表3,046早岐村4,709
西有家(南島原市)西有家村第三表10,012西有家村11,714
南有馬(南島原市)南有馬村第三表8,900南有馬村8,557
加津佐(南島原市)加津佐村第三表7,828加津佐村10,391
深江(南島原市)深江村第三表7,122深江村8,147
千々和(雲仙市)千々石村第三表6,904千々石村8,745
北有馬(南島原市)北有馬村第三表6,662北有馬村7,508
高島(長崎市)高島村第三表6,415高島村3,688
東有家南島原市東有家村第三表6,272東有家村7,462
岐宿(五島市)岐宿村第三表6,123岐宿村8,198
三重(長崎市)三重村第三表6,018三重村7,096
布津(南島原市)布津村第三表5,924布津村6,688
神浦(長崎市)神浦村第三表5,756神浦村6,696
上波佐見波佐見町上波佐見村第三表5,727上波佐見村6,835
南串山(雲仙市)南串山村第三表5,513南串山村6,221
式見(長崎市)式見村第三表5,433式見村6,684
黒崎(長崎市)黒崎村第三表5,424黒崎村6,456
江ノ浦(諫早市)江ノ浦村第三表5,323江ノ浦村5,723
長与長与町長與村第三表5,242長與村5,600

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99870] 2020年 6月 1日(月)09:08:38【1】白桃 さん
名邑三世代.その25(長野県)
【明治の名邑】
現在は佐久市が飯田市より人口が多くなっていますが、長野県の大きい市を四つ選べと言われたら、大抵の人は、長野、松本、上田、飯田を挙げるのではないでしょうか。その四つが「市街」となっています。名邑筆頭は「大本営」松代、これに上諏訪、飯山が続きますが、名邑代表はコヒガンザクラの高遠に。以下、中野、岩村田、大町、須坂、最後は唯一の「現役町」である福島で計13となります。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
市街長野長野市長野18,222長野市39,242
市街松本松本市松本17,478松本市35,011
市街上田上田市上田15,172上田町23,838
市街飯田飯田市飯田11,672飯田町17,098
名邑松代(長野市)松代7,404松代町8,438
名邑上諏訪諏訪市高島7,204上諏訪町13,405
名邑飯山飯山市飯山6,175飯山町7,462
名邑高遠(伊那市)高遠3,948高遠町4,124
名邑中野中野市中野3,859中野町7,735
名邑岩村田佐久市岩村田3,662岩村田町7,330
名邑大町大町市大町3,515大町5,776
名邑須坂須坂市須坂3,489須坂町7,860
名邑福島木曽町福島3,243福島町4,907

つづいて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
小諸小諸市小諸第一表2,991小諸町8,483
屋代千曲市屋代第一表2,795屋代町3,977
あと9人で小諸が「名邑」を逸したことについて、シマザキさんもフジムラ?さんも至極残念でしょうが、小諸には47~48年前、ああしていれば、ひょっとして???白桃、ほろ苦い、いや、メチャメチャ苦い想い出があります。

(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
下諏訪下諏訪町下諏訪第一表1,814下諏訪町6,630
塩崎(長野市)塩崎第一表4,539塩崎村5,520
八幡(千曲市)八幡第一表3,850八幡村5,323
小布施小布施町小布施第一表3,224小布施村5,644
赤穂駒ヶ根市赤穂村第一表1,748赤穂村9,660
塩尻塩尻市塩尻第一表1,325塩尻村6,706
伊那伊那市伊那村第三表2,537伊那町※10,498
坂城坂城町坂城村第三表4,015坂城町5,599
喬木喬木村喬木村 第三表5,849喬木村7,552
平野岡谷市平野村第三表5,324平野村12,255
長野県は一筋縄ではいかないところがあって、名邑を「吟味」しきれていません。例えば、伊那町※は、戸口表第一表に記載された坂下(656人)、第二表に記載された西町(519人)、第三表に記載された伊那部村(2,446人)も含まれており、当時の伊那という地の実像を把握できてはいません。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
惜しくも「名邑」になれなかった小諸、(参考)に挙げた岡谷、伊那、下諏訪、赤穂、塩尻が順当に「秀邑」になりましたが、見逃せないのは大正期に製糸業が全盛を迎えた丸子の進出です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級岡谷岡谷市平野村44,278岡谷市35,520
二種二級伊那伊那市伊那町14,018伊那町23,273
二種三級下諏訪下諏訪町下諏訪町15,608下諏訪町18,798
二種三級丸子(上田市)丸子町12,196丸子町 11,700
二種三級小諸小諸市小諸町11,095小諸町17,039
二種三級赤穂駒ヶ根市赤穂村12,346赤穂町 19,250
二種三級塩尻塩尻市塩尻村7,861塩尻町13,955
準秀邑
辰野辰野町伊那富村10,479辰野町11,679
中箕輪箕輪町中箕輪村9,426中箕輪町12,825
(参考)
篠ノ井 (長野市)篠ノ井町3,409篠ノ井町16,587
軽井沢 軽井沢町東長倉村4,798軽井沢町13,676

注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
屋代が更埴と名を変え、晴れて「卓邑」となったほか、茅野、穂高、東部、辰野、箕輪、戸倉といった比較的若い街や、ちょっと渋めの豊科、坂城が長野県の「卓邑」です。安曇野市の【前身】にDIDのない穂高がなっていることに異論を唱える方もいるでしょうけど、あの、まさに「田園都市」的雰囲気、嫌いではありません。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級茅野(7)茅野市茅野市35,220茅野市54,841
一種二級更埴(8)千曲市更埴市32,807更埴市39,402
二種二級穂高(0)安曇野市穂高町19,711穂高町30,966
二種三級東部(7)東御市東部町19,533東部町25,437
二種三級辰野(8)辰野町辰野町19,228辰野町22,407
二種三級豊科(5)(安曇野市)豊科町18,629豊科町27,079
二種三級箕輪(8)箕輪町箕輪町17,495箕輪町25,661
四級坂城(7)坂城町坂城町14,430坂城町16,830
四級戸倉(7)(千曲市)戸倉町13,372戸倉町18,326
(参考)
臼田(4) (佐久市)臼田町15,972臼田町15,962
山ノ内(4)山ノ内町山ノ内町19,645山ノ内町15,900

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99865] 2020年 5月 29日(金)08:12:07【3】白桃 さん
名邑三世代.その24(奈良県)
【明治の名邑】
奈良県は非常に簡単に説明できます。「市街」は奈良のみですが、名邑筆頭の郡山も他の名邑を大きく引き離して存在感を示しています。五條、御所、高田は予想通りといったところですが、現在奈良県下最少人口町の下市の「名邑」に驚かれる方もいるでしょう。もちろん、下市に名邑代表になってもらいましょう。話は全く飛んでイスタンブールになってしまいますが、奈良県の野球の強豪高校、天理は天理市、智弁学園は五條市、郡山は大和郡山市、御所実は御所市、高田商は大和高田市…県都奈良市はパット思いつかない。ならしの高校は、奈良市の高校ではありません。(笑)
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
市街奈良奈良市奈良22,666奈良市32,732
名邑郡山大和郡山市郡山12,834郡山町13,517
名邑五條五條市五條4,576五條町7,812
名邑御所御所市御所4,244御所町5,280
名邑下市下市町下市4,113下市町9,235
名邑高田大和高田市高田3,834高田町7,787

つづいて「準名邑」
「準名邑」は寺内町として有名な今井と田原本の二つ。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
今井(橿原市)今井第一表2,677今井町3,432
田原本田原本町田原本第一表2,661田原本町3,204

(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
初瀬(桜井市)初瀬第一表2,466初瀬町4,050
櫟本(天理市)櫟本第一表2,454櫟本町5,137
三輪(桜井市)三輪第一表2,453三輪町3,978
桜井桜井市桜井第一表2197桜井町5201
龍田斑鳩町龍田第一表2,158龍田町4,060
上市(吉野町)上市第一表2,105上市町2,797
松山(宇陀市)松山第一表1,905松山町2,217
榛原宇陀市萩原第一表1,733榛原町5,023
八木(橿原市)八木第一表1,553八木町4,042
丹波市天理市丹波市第一表1,414丹波市町9,992
高取高取町土佐第一表545高取町3,557
龍田がでたところで・・・
ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
・・・の歌や落語、竜田揚げで有名な竜田川ですが、当時の竜田川は王寺より下流の大和川本流を指していたらしい。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
奈良県の【秀邑】は丹波市、桜井、大淀、畝傍の四つですが、橿原市の【前身町】を畝傍とすることに大いなる違和感を覚える方も多いでしょうね。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)-----1950年(人口)
二種三級丹波市天理市丹波市町10,302丹波市町19,046
二種三級桜井桜井市桜井町6,390桜井町16,659
二種三級大淀大淀町大淀村9,217大淀町13,932
二種三級畝傍橿原市白橿村7,098畝傍町11,290
(参考)
大宇陀 (宇陀市)松山町1,898大宇陀町12,347
十津川十津川村十津川村13,157 十津川村12,145
斑鳩斑鳩町龍田町3,694斑鳩町10,589
二階堂 (天理市)二階堂村7,423二階堂村10,031
丹波市が「秀邑」になったことを記念して作られた歌が「丹波市の男」。
♪タンバイッチまん、タンバイッチまん、おいらは街のお道化者~~→かなり苦しいウソ('◇')ゞ
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
ようやく、生駒と香芝が出てきます。
「アンナ、オカンが言うには、奈良県には秀邑にも卓邑にもなっていないけど、あと二つ、新しく出来た市があるって言うやけど、どうも名前を思い出せないって。ひとつは、阪神にそんな名前の選手がいて、タイマがとなりにあったけど、何の問題にもならんかったらしい。ナンデモ、新しい市の名前と読み方が同じ『ひらがな町』が和歌山県にあるらしい。もうひとつは、四国の大都会にある駅と同名の駅があって、新しい市名が山本リンダの♪狙い撃ち、の中でやたらと連呼されるらしい。」----そういうお母さんをお持ちの方は(参考)をご覧あれ。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級生駒(8)生駒市生駒町23,138生駒市112,830
一種二級香芝(7)香芝市香芝町15,009香芝市63,487
二種二級田原本(8) 田原本町田原本町19,769田原本町32,934
二種二級広陵(7)広陵町広陵町15,598広陵町31,444
二種三級斑鳩(7)斑鳩町斑鳩町10,657斑鳩町28,566
四種王寺(9)王寺町王寺町9,507王寺町23,782
四種三郷(7)三郷町三郷村6,723三郷町23,977
四種上牧(6)上牧町上牧村4,134上牧町24,005
(参考)
平群(3)平群町平群村6,141平群町20,497
河合(4)河合町河合村6,546河合町20,126
新庄(2)葛城市新庄町10,049新庄町19,454
榛原(3) 宇陀市榛原町12,934榛原町19,438
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99840] 2020年 5月 25日(月)23:18:11【1】白桃 さん
2020年国勢調査
本題前に:
グリグリさん、メンテナンス作業お疲れ様でした。正直言って、文字が陽炎の如く感じますが、そのうち慣れるでしょう。
[99838]サヌカイト さん
投稿の時刻の横にある【1】【3】はどういった意味でしょうか。
これは、書き込みの訂正回数です。訂正が多い白桃が言うのも気が引けるのですが、なるべく訂正しないようにしましょう。※と言っているにもかかわらず、下の文章の中で西予市を東温市に訂正しました。恥ずかしい…
ここから本題
総務相が「2020年国勢調査の延期は考えていない。」と発言しているので、予定通り行われるものと思います。欲を言えば、遅くとも半年後には確定値を公表してもらいたいものです。
さて、100年の節目を迎える国勢調査、[99834]では都道府県内「最少人口記録市」についても触れましたが、「ことば足らず」等のところがあり追補しておきます。
2015年に最少人口を記録した道府県は、2020年に記録更新があるのは確実です。また、2020年に最下位が交替するかもしれないのは、記録更新の期待?がかかる青森、山梨以外に、茨城があります。
茨城県も、最下位交替だけではなく、県の記録も50年ぶりに更新されそうです。

県記録:下妻市・・・27,699(1970年)
5月1日現在推計人口前回国調からの減少数
潮来市(前回最下位)27,603-1,508
高萩市27,593-2,045

この他に県記録の更新が確定的なのが、富山県(1970年滑川市→小矢部市)と大分県(2000年竹田市→津久見市)で、更新が微妙なのが、福島県(1940年平市vs本宮市)、鳥取県(1960年境港市vs境港市)、広島県(2000年庄原市vs江田島市)、長崎県(2005年松浦市vs松浦市)です。

「最下位が交替するかもしれない」のは、上述の茨城県と青森県【平川市(前回最下位)vsつがる市】、山梨県【上野原市(前回最下位)vs大月市】ですが、「最下位が交替するかもしれない」ではなく、「ほぼ間違いなく最下位が交替する」のが、埼玉県(白岡市→幸手市)と愛媛県(東温市→八幡浜市)です。

さて、香川県の最下位獲得最多記録は善通寺市の11回ですが、順当にいけば2065年に東かがわ市が破ることになります。今から45年も先のことなので、白桃はこの世にいないでしょうが、丸亀市が1920年に作った香川県記録24,480人を、10年後の2030年に東かがわ市が110年ぶりに破るのをこの目で確認するかもしれません。('◇')ゞ
[99834] 2020年 5月 24日(日)10:25:01白桃 さん
都道府県内最下位最多獲得市と最少人口記録市
[99815][99828]の記事に関するデータを以下に掲載します。新設合併前の記録は法人格が違うので、現行の市とは別の市とする、という杓子定規的な考えにたって、[99828]では「現役」の市とその記録(回数)を書き込みましたが、「【前身市】の罪?(記録)は、現行の市に帰する」という考えに基づき、(私見ですが)事実上の記録となっています。なお、表中に市名※とあるのは、新設合併前の【前身市】の記録です。また、(市名×)は消滅市です。
また、ここでは、都道府県内での最少人口記録市も掲載しました。2015年に最少人口を記録した道府県は、2020年に記録更新があるのは確実です。また、2020年に最下位が交替するかもしれないのは、記録更新の期待?がかかる青森、山梨以外に、茨城があります。

都道府県最下位最多獲得市(回数)------最少人口記録市(人口)(調査年)
北海道歌志内11歌志内3,5852015年
青森県弘前※7平川32,1062015年2020年に最下位交替の可能性
岩手県陸前高田13陸前高田19,7582015年
宮城県角田11角田30,1802015年
秋田県由利本荘※(本荘)4にかほ25,3242015年
男鹿※4
山形県尾花沢12尾花沢16,9532015年
福島県二本松※1030,1261940年
茨城県下妻5下妻27,6991970年
笠間※5
栃木県(日光×)8日光16,3792005年
群馬県安中※8高崎36,7921920年
埼玉県川越3狭山31,3411955年
鴻巣3
日高3
千葉県勝浦12勝浦19,2482015年
東京都羽村5福生37,9381970年
神奈川県南足柄9三浦36,3581955年
新潟県佐渡※(両津)10両津17,3942000年
富山県滑川10滑川30,0391970年
石川県珠洲9珠洲14,6252015年
福井県勝山12勝山24,1252015年
山梨県甲州※(塩山)10上野原24,8052015年2020年に最下位交替の可能性
長野県飯山8飯山21,4382015年
岐阜県美濃12美濃20,7602015年
静岡県(天竜×)8下田22,9162015年
愛知県高浜6津島30,6081950年
三重県熊野(注)11熊野17,3222015年
滋賀県東近江※(八日市)10八日市29,4371965年
京都府宮津13宮津18,4262015年
大阪府四條畷7富田林30,3991950年
兵庫県相生5養父24,2882015年
三田5
奈良県五條8御所26,8682015年
和歌山県御坊12御坊24,8012015年
鳥取県境港12境港32,7141960年
島根県江津11江津24,4682015年
岡山県高梁※7新見24,5762000年
広島県庄原※9庄原21,3702000年
山口県美祢(注)10美祢17,7542005年
徳島県小松島10三好26,8362015年
香川県善通寺11丸亀24,4801920年
愛媛県伊予※5北條27,7361965年
高知県土佐清水8室戸13,5242015年
福岡県嘉麻※(山田)11山田11,0342005年
佐賀県多久11多久19,7492015年
長崎県松浦※9松浦21,2212005年
熊本県(牛深×)10牛深16,6092015年
大分県豊後高田※6竹田17,4892000年
宮崎県串間8串間18,7792015年
鹿児島県西之表8垂水15,5202015年
沖縄県(石川×)11石川15,7611970年
(注):
熊野は、「前身」の熊野市時代に9回、現行の熊野市で2回記録しています。
美祢は、「前身」の美祢市時代に8回、現行の美祢市で2回記録しています。
[99828] 2020年 5月 22日(金)13:08:20白桃 さん
白桃の各回国勢調査都道府県内最少人口罪最多獲得市捕物控(第二話)
[99815]のつづきです。
白桃親分の取り調べを受けた会津の若松。最初のうちは、「それは、若松と名乗っていたころの話で、今の私には関係ありません。」とか、「その罰を受けるなら、二本松の菊次郎じゃございませんか。」などとグジグジ言っていたが、もともと生真面目で、会津の「什の掟」~ならぬことはならぬものです~を心得ている若松は、「正直に言えば、『起き上がれない小法師』程度のごくごく軽い刑で終わらせてやろう。」という親分の甘い言葉、・・・これを「司法取引」というのだろうか?・・・もあって陸前高田一味の全貌を白日の下に晒したのでした。
以下に、一味全員の名と、主だったものに与えられた刑の名称を記す。
13犯陸前高田お咎めなし
宮津天橋立又覘きの刑
12犯尾花沢スイカ割りの刑
勝浦おせんころがしの刑
勝山アチャコ恐竜の刑
美濃ミノ虫の刑
御坊ごぼう抜きの刑
境港ヌリカベの刑
11犯歌志内歌しないの刑
角田ロケット打ち上げ失敗の刑
江津江戸から一番遠いの刑
善通寺お咎めなし(寺社奉行管轄)
多久青しまうり漬けの刑
10犯滑川滑り止めの刑
小松島お咎めなし
9犯: 南足柄、珠洲
8犯: 飯山、五條、土佐清水、串間、西之表
7犯: 四條畷
6犯: 高浜
5犯: 三沢&黒石、下妻 、羽村、相生&三田
4犯: 尾道、佐世保
3犯: にかほ、足利、沼田、川越&鴻巣&日高、 沼津&下田、米原 、美作、東温、水俣、中津&津久見
2犯: 福島&会津若松&本宮、新発田&加茂、上野原、熊野&四日市&鳥羽、美祢、豊前、南城
浦安の安「ねぇ、親分、いまだに良く分かんねぇんですが、こいつら、いったい何をやらかしたんで?」
白桃「ま、安がわかんねぇのも無理はない。住んでいる世界が違うから。安の知らない世界では、別の「縄張り」ができていて、それぞれのシマを国とか藩というかわりに県とか府とかと言っている。で、同じシマの中にいくつかの派手で目立った街、があると思いねぇ。それを市、と呼ぶのだが、五年おきにある、でっけぇ人別改めで、そのシマの市の中で一番少なかったところに、人別改めごとにバツを付ける。そのバツが同じシマの中で一番多いのを書き留めたのが、上の「鳴門きんとき秘帳」というわけだ。」(い、いつの間に「鳴門きんとき秘帳」なる名が付いた???)
安「まだ、わかんねぇが、それは置いとくとして、その人別改めで、ケツを食らうっていうのは悪いことですかい。別に他人様に迷惑をかけるようなことじゃ、ないのでは?」
白桃「オメェの言うとおりだが、バツが付いたら、みっともないことは違ぇねぇ。そのバツの数を数えるスキ者がいて、そいつが事件に仕立て上げるのさ。」
安「それにしても、一番罪が重そうな陸前高田はお咎めなしで、他も、あんまりキツそうな刑じゃなさそうですね。」
白桃「そりゃそうさ。こいつらの中で、ちょいワルは、熊野と美祢ぐらいで、会津の若松にしたって名前を変更しただけで正体までは変えていない。こいつらは、みんな正直者なのさ。陸前高田なんざ、あまりにも可哀想で同情するぜ。本当のワルは、佐渡や甲州のように、名前も正体も変えて、昔のことをかくしているのとか、二本松の菊次郎のように「代替わり」を装っていやがるヤツさ。それと、名跡を譲る代わりに今市にかくまわれている日光とか、バツ8の天竜を隠している浜松なんか許せねぇ。日光なんぞ、『三猿の刑』をくらわしたい、浜松は隠蔽の咎で『うなぎ蒲焼の刑』にしたいよ、まったく・・・」
と、憤懣やるかたない様子の白桃親分。が、お話はココまで。~おわり
[99815] 2020年 5月 20日(水)19:24:14【1】白桃 さん
白桃の各回国勢調査都道府県内最少人口罪最多獲得市捕物控(第一話)
ここんとこ、十番勝負感想の中に過去を振り返るものが散見されます。十番勝負においては、殆ど予習・復習をしない白桃なんで、あまり過去を振り返ることもないのですが、
[99803]勿来丸 さん
#各参加者が初めてメダルを取った市、初めて手に入れた領地、なんてものも知りたいです。
これだけは忘れておりません。
第一回の問一で
お題が
沼田市、日高市、美濃市、養父市、境港市
で想定解数が47とくれば、もうあれしかない。当然共通項は「都道府県内で人口の最も少ない市」なので、善通寺で答え、金メダルを頂きました。ただ、幸いなことに、当時は善通寺より東かがわの人口が多かったので即答しましたが、もし、現在の状態ならば、「東かがわ」で答えるのを躊躇したのでは、と思います。また、当時の白桃は今ほど十番勝負に関心を持っておらず、一瞥してわからなければ、それ以上問題を考えるなんてことはしませんでしたので、第一回で答えたのは、もう一つ(観音寺でこれも金)だけでした。

~~ここから妄想が広がります~~

浦安の安(五郎)「白桃親分、テェヘンダ、グリグリの旦那が、こいつらの一味を大至急しょっぴいて来いって。」
見ると、書きつけには
陸前高田、川越、鴻巣、三田、小松島
と書いてある。
白桃「安よぉ、グリグリの旦那は、佐渡や甲州のことは何にも言ってなかったか?」
安「へぇ、それがねぇ、あいつらには、現場不在の証があるので手出しできない、とか、法人格がどうのこうのと口ごもっていました。」
白桃「わかった。安、ちょいと善通寺を連れてきな。」
善通寺「親分、ご無沙汰しております。何かご用で。」
白桃「久しぶりだな。ちょっと昔のことをほじくりかえしてすまねぇが、おめぇ、こいつらの仲間じゃないか?」
善通寺「・・・親分もうご勘弁を。讃岐の国で11回もケツをくらったことが今でも響いてるんですか。今は、改心しておりますですが・・・。そりゃぁ、東かがわの若造にはアタマにきて、ガツンとやって、ついでに、和三盆をちょっくらかっぱらってきましたが、それが何か。ああ、そうや、東かがわのヤツこそ、こいつらの仲間じゃないんナ?・・・(ところどころ讃岐弁)。アイツはあれからおとなしくなって、ふうが悪いけん、三本松の街も歩けん、とかなんとか言ってましたが。」
白桃「東かがわは、今のところ、この一件にはかかわっていない。それより、アンマリ無茶をするとお大師サンにも申し開きができないのではないか。もう少し、東かがわのこともいたわってやれ。誠を尽くせ、尽誠は学園ダ。」
安「親分、何を言ってるのか良くわからねぇが、善通寺は帰していいんですか?」
白桃「いいよ。アイツは一味には違ぇないが、今回ばかりは見逃してやろう。それより、安!次は、会津の若松を連れてきな。」~~つづく
[99800] 2020年 5月 19日(火)15:34:50白桃 さん
名邑三世代.その23(新潟県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
新潟県の「秀邑」は、「準名邑」であった葛塚(豊栄市の前身)に、[99788]千本桜さんの、
「荒い(新井)海を六日(六日)も漕いで(小出)」
プラス堀之内の五つで、佐渡の両津は「準秀邑」にもなっていません。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級新井妙高市新井町7,050新井町11,884
二種三級葛塚(新潟市)葛塚町7,034葛塚町10,293
二種三級六日南魚沼市六日町 6,824六日町10,361
二種三級小出魚沼市小出町5,998小出町10,267
二種三級堀之内(魚沼市)堀之内村7,539堀之内町12,667
準秀邑
宮内(長岡市)上組村7,837 宮内町12,784
(参考)
両津佐渡市両津町6,507両津町9,402
内野(新潟市)内野村4,958内野町10,274
青海(糸魚川市)青海村3,686青海町12,208
中之島(長岡市)中之島村11,349中之島村14,056
板倉(上越市)板倉村10,172板倉村11,838
黒埼(新潟市)黒埼村9,410黒埼村13,440
安田(阿賀野市)安田村7,357安田村10,648
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
「昭・平の名邑」、すなわち「卓邑」になってやっと両津が登場します。もっとも、2000年国調時の時点で市になっていれば自動的に「卓邑」となりますので、あまり威張れたものではありません。もし、両津が市になっていなければ、2000年国調人口が2万人をきっているので、二種ではなく四種の「卓邑」だったのです。青海は企業城下町、分水の分身、いや、【前身】は地蔵堂、西川の【前身】は曽根ですから、新潟の主要な街は、大体、落ち着くところに落ち着いた、という感じですかね…
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種三級両津(9)佐渡市両津市28,892両津市17,394
二種三級塩沢(0)(南魚沼市)塩沢町24,827塩沢町20,561
二種三級吉田(9)(燕市)吉田町18,782吉田町25,136
二種三級黒埼(7)(新潟市)黒埼村14,174黒埼町25,893
四種青海(9)(糸魚川市)青海町17,221青海町10,160
四種分水(9)(燕市)分水町16,285分水町15,681
四種西川(7)(新潟市)西川町8,474西川町12,365
(参考)
津南(0) 津南町津南町20,072津南町12,389
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99786] 2020年 5月 18日(月)11:51:03白桃 さん
名邑三世代.その22(新潟県・中編)
31もある新潟県の【明治の名邑】を現在の自治体ごとに整理すると以下のようになります。これを見て、アソコが入ってない、どうして?と思われる方がいれば私は嬉しいのです。
市町名---名邑
新潟市新潟、沼垂、白根、巻、亀田、小須戸、新津
長岡市長岡、与板、寺泊、栃尾
上越市高田、直江津
新発田市新発田
三条市三条
柏崎市柏崎
燕市
村上市村上
南魚沼市
佐渡市相川、小木
十日町市十日
五泉市村松、五泉
糸魚川市糸魚川
阿賀野市水原
見附市見附、今
魚沼市
小千谷市小千谷
妙高市
胎内市中条
加茂市加茂
出雲崎町出雲崎

入ってないところは、はたして「準名邑」となっているのでしょうか?
準名邑現自治体-----1886年戸口表 人口---1908年人口
地蔵堂(燕市)地蔵堂町第一表2,832地蔵堂町4,011
岩船(村上市)岩船町第一表2,824岩船町3,636
両津佐渡市湊町第一表1,924両津町※5,512
第一表1,497(両津町)
葛塚(新潟市)葛塚村第一表2,750葛塚町8,128
片貝(小千谷市)片貝村第一表4,953片貝村6,638
吉田(燕市)吉田村第一表4,039吉田村 7,556
柿崎(上越市)柿崎村第一表3,580柿崎村8,294
曽根(新潟市)曽根村第一表3,006曽根村3,850
両津町※---1901年に湊町、夷町と加茂歌代村の一部で新設

「準名邑」にも入っていなければ、多分以下にあるでしょう。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
津川阿賀町津川町第一表2,321津川町3,250
河原田(佐渡市)川原田第一表2,235河原田町2,320
塩沢(南魚沼市)塩沢村第一表1,990塩沢町6,794
小出魚沼市小出島村第一表1,885小出町5,227
六日南魚沼市六日町村第一表1,831六日町6,813
名立(上越市)名立大町村第一表1,147名立町2,124
瀬波(村上市)瀬波町第一表1,117瀬波町1,885
内野(新潟市)内野村第一表2,837内野村6,049
黒埼(新潟市)金巻村第一表2,501黒埼村10,129
真野(佐渡市)新町第一表1,293真野村7,295
新井妙高市新井村第三表2,684新井町7,250
石地(柏崎市)石地村第三表2,079石地町3,944
能生(糸魚川市)能生町村第三表1,895能生町3,884
沢根(佐渡市)五十里村第三表1,352沢根町3,751
高浜(柏崎市)宮川村第三表1,423高浜町※3,126
椎谷町第一表1,098(高浜町)
仙田(十日町市)仙田村第三表5,741仙田村5,410
中條(十日町市)中條村第三表3,967中條村7,355
横越(新潟市)横越村第三表3,401横越村8,000
高浜町※---1901年椎谷町と宮川町で新設

注1:表中1886年の人口は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の人口は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99780] 2020年 5月 17日(日)16:03:03白桃 さん
スワ!白桃、十番勝負から引退か?
細菌はウイルスと違って、
もとい。最近は昔と違って、得意の左四つに組めても技が出てこなくなった、と関脇・長谷川が引退会見で語ったかどうか知りませんが、今の白桃がまさにそれであります。もともと、出足も悪く、詰めも甘かったのですが、それにしても今回、それほど難しい問題が無かったのに反応があまりにも鈍かった。
一日目
十番勝負開始から五時間たって、ようやく問五【動物名(鹿)の市および町村があった市】を解答。さて、問五ですが、答える際に「数があわない」とほざきました。数があわなかった理由は菊池市を抜かしていたからですが、菊池町時代に菊鹿村(当時)と境界変更があっただけなのですね。その菊池市を該当市とすることについて、全面的に賛同しかねますが、菊池市を解答したさざ波さんには敬意を表します。

問四【市制施行日が1954年の市】
1954年は「昭和の大合併」の真っ盛り、と言っても、第54回十番勝負に出題されるとは予測していませんでした。リセット鹿沼に引っ掛かりました。

問二【二つの町からなる市(市制施行時およびその後の合併を含め2町が合体)】
問題番号が大きなヒントになっていたのだと思いますが、グリグリさんも「共通項の説明表現が難しい」と仰っているように、解けてもあんまりスッキリした気分になれませんでした。

二日目
問一【市役所の住所に「中央」の文字がある市】
ウラのウラのウラのウラをかかれた問題でした。几帳面で慎重かつ繊細な白桃→(多分ウソ)には、誰か数人が正解をした後でなければ解けるものではありませんでした。('◇')ゞ

問八【一文字の市に隣接する市】
初歩的隣接問題に苦戦するとは。

問九【隣接する市区町村の中で最も人口の少ない市】→これは勿来丸さんの【自市より人口の多い市区町村とのみ隣接する市】の方がわかりやすい。
今回メダルを獲れたとすれば、この問題でした。言い訳ですが、お題の淡路市は現在、洲本市より多くなっています。ついつい、10月1日推計人口のことを忘れていました。

問十【同一都道府県内の市と町と村にのみ隣接する市】
お題と非該当にあった高知県の市を見ているうち、ようやく分かりました。

問六【都道府県の中で東端西端の経度差が一番大きい市】を誤答
当初、「都道府県の中で市役所から市内最高点までの距離が一番長い市」を考えていました。誤答は致し方ありませんが、高松での誤答は痛い。あゝ痛い。
※二日目は頑張るもここまで
※三日目:沈黙のパレード
四日目
問六を解く。「日本の東西南北端点の経度緯度(都道府県、市区町村別を含む)【国土地理院】」見ても、60進法の引き算が面倒でした。そこで、今回初めて「一目瞭然」「簡単明瞭」「唯一無二」「超超安易」「県内四市」「市盗無視」の忍法トットリの術を使いました。(笑)

五日目
問三【今年、市長選挙が行われた市(無投票を含む)】
朝、目覚めて、アレでないか!と気が付き、あわててパソコンを開けました。確証を得て口ずさんだのが、なぜか伊東ゆかりさんの♪「朝のくちづけ」。選挙問題には毎度苦戦します。
※ヒントが出ます。
ヒント直後、
問七【美しい日本のむら景観百選のある市】にやっとたどりつく。
ぺとぺとさんが「数はぴったり合いました。」って仰っていたので、「赤穂47士(市)」ではなく、スタンダードな問題とは分かっていたのですが、念のため、都道府県庁所在市に、○○が一番近い市、を探すこと数十回の時間浪費。でも、町村ヒントで美瑛が出ていなければ、あだまだ解けていなかったでしょう。

最近は、これはアノ手の問題、それはソノ手の問題という、問題を見極める力というか勘が衰えています。今回、完答順位が4位と言っても、ヒント後の完答ですから上位3名とは大きな開きがあります。唯一の救いは念願の総社を盗れたことです。
で、ソロソロ引退かって?
とんでもありません。今回の敗因は次の通りはっきりしています。
1.ステイ・ホームの追風は私には殆ど関係なかった事。(バイト中でも、家にいるのと同じ環境下にあります。→マル秘)
2.期間中、一切お酒を飲まなかったこと。(別に体調が悪かったワケではありません。通院日の2週間前からは飲まないようにしています。→極秘)

最後になりましたが、グリグリさんには今回も苦しめさせていただきましたこと、御礼申し上げます。次回もお手柔らかにお願いします。
[99762] 2020年 5月 16日(土)13:20:13【1】白桃 さん
名邑三世代.その21(新潟県・前編)
【明治の名邑】
明治期の新潟県の人口の多さについては今さら言及するまでもありませんが、「明治の名邑」の数31は、他府県を圧倒して文句なしの全国一位です。
新潟は「別格市街」、高田、長岡に加え新発田も「市街」。新発田が「市街」なら三条もか、と予測していましたが、そうではありませんでした。その三条を押さえて、「名邑」筆頭はなんと相川。村上、小千谷、柏崎と続く名邑で異彩を放つのが沼垂。沼垂(渟足)の柵というのが日本史の教科書に出ていたような気もしますが、古くは、新潟と喧嘩、反目するほどの相当な湊町であったようです。直江津、村松、十日(町)と続いて、次に入るのが与板。直江家に養子に入った(樋口)兼続はここに住んでいたのだろうか?あまり知られていない与板の次は、お節料理買い出しツアー
で名高い寺泊。糸魚川、「越後の小京都」の加茂、そして、♪えち~ごのエキでいずもざき?、数ある名邑の中で現在も自治体名として残る最も寂れたマチ、出雲崎に名邑代表を。出雲崎には「明日がなかったさ」かも。白根、五泉、水原、見附、燕、そう言えば、♪越冬つばめ、は越後の燕で冬を越す???、消滅した一文字町・巻、あられの亀田、とまだまだ続きます。相川に次ぐ佐渡の名邑は小木。栃尾、小須戸、新津、中条、最後が今。だらだら書いているだけで疲れます。よせば良かった?('◇')ゞ
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
別格市街新潟新潟市新潟40,778新潟市61,616
市街高田上越市高田24,511高田町◎28,021
市街長岡長岡市長岡16,152長岡市35,376
市街新発田新発田市新発田10,527新発田町18,307
名邑相川(佐渡市)相川10,704相川町10,849
名邑三条三条市三條町8,953三條町※14,777
(三条市)一ノ木戸村3,609(三條町)
名邑村上村上市村上※10,805村上町8,234
名邑柏崎柏崎市柏崎町8,345柏崎町9,383
名邑沼垂(新潟市)沼垂8,774沼垂町11,869
名邑直江津(上越市)直江津町7,353直江津町12,686
名邑村松(五泉市)村松町7,190村松町8,963
名邑十日十日町市十日町村5,531十日町7,249
名邑与板(長岡市)与板5,442与板町6,107
名邑寺泊(長岡市)寺泊町5,420寺泊町11,644
名邑糸魚川糸魚川市糸魚川5,275糸魚川町8,085
名邑加茂加茂市加茂町5,109加茂町※14,836
(加茂市)上條村3,714(加茂市)
名邑出雲崎出雲崎町出雲崎5,093出雲崎町※10,135
(出雲崎町)尼瀬2,785(出雲崎町)
名邑白根(新潟市)白根町4,908白根町7,511
名邑五泉五泉市五泉町4,834五泉町11,230
名邑水原阿賀野市水原町4,128水原町8,371
名邑見附見附市見附4,066見附町8,205
名邑燕市燕町3,980燕町4,518
名邑(新潟市)巻村3,975巻町6,138
名邑亀田(新潟市)亀田町3,876亀田町8,716
名邑小木(佐渡市)小木町3,819小木町6,338
名邑栃尾(長岡市)栃尾町村3,721橡尾町〇6,203
名邑小須戸(新潟市)小須戸町3,451小須戸町8,643
名邑新津(新潟市)新津村3,446新津町10,232
名邑中条胎内市中條町3,137中條町8,749
名邑(見附市)今町新田3,107今町3,845
高田町◎:1911年に高田市に
橡尾町〇:1911年に栃尾町に改称
村上※10,805人:町村制施行後の村上町と村上本町の区域を併せた人口
三條町※、加茂町※、出雲崎町※は、それぞれ「戸口表」第一表に記載されている一ノ木戸村、上條村、尼瀬を併合しています。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99748] 2020年 5月 15日(金)09:50:01白桃 さん
名邑三世代.その20(兵庫県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
兵庫県の「秀邑」は、この期に市制施行した相生、芦屋、加古川に、後に市となる小野、川西、「昭和の合併」で明石に吸収される大久保、二見、現在なお「町」のままの中、「村」でありながら名を連ねる鳴尾と、結構バライティに富んだ九つの街。相生は1920年当時は「おお(あう)」であり、広島の因島同様、人口変動が激しいのです。因島との共通点は「造船の町」。芦屋は「町」を飛び越えて市制施行。ついに「町」にもならず西宮に吸収された鳴尾は、甲子園が出来る前には高校野球のメッカでありました。
一種二級相生相生市相生町15,408相生市27,528
一種二級芦屋芦屋市精道村11,151芦屋市42,951
一種三級加古川加古川市加古川町7,483加古川市49,832
二種三級小野小野市小野町5,805小野町10,326
二種三級川西川西市川西村8,053川西町24,146
二種三級大久保(明石市)大久保村7,880大久保町24,713
二種三級多可町中村7,510中町11,613
二種三級二見(明石市)二見村5,050二見町10,683
三種三級鳴尾(西宮市)鳴尾村7,190鳴尾村33,812

参考として、「準秀邑」にもなれなかったのは以下の通り。生野はあと521人いたら、小浜はもう半年前に「町」となっていれば・・・タラ・レバの話。
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
生野(朝来市)生野町8,069生野町9,489
西脇西脇市西脇町4,603西脇町15,066
本庄(神戸市)本庄村6,140本庄村13,538
魚住(明石市)魚住村5,727魚住村10,973
小浜宝塚市小浜村5,513小浜村15,090
良元(宝塚市)良元村4,640良元村21,687

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
兵庫県の「卓邑」は以下の12。(参考)に掲げた氷上は、2000年に2万人をキープしていれば「卓邑」になれたのに、猪名川は同年の人口が3万人にのっていたら「準卓邑」でした。これは、レバ・タラの話。
卓邑名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級宝塚(9)宝塚市宝塚市66,491宝塚市213,037
一種一級三田(9)三田市三田市32,528三田市111,737
一種二級西脇(9)西脇市西脇市42,238西脇市37,768
一種二級加西(7)加西市北條町23,294加西市51,104
二種二級稲美(0)稲美町稲美町18,525稲美町32,054
二種三級山崎(9)宍粟市山崎町27,243山崎町25,971
二種三級社(0)加東市社町17,966社町21,545
二種三級太子(6)太子町太子町14,296太子町31,960
二種三級夢前(0)(姫路市)夢前町13,649夢前町21,952
四種香住(7)香美町 香住町17,369香住町13,998
四種日高(7)(豊岡市)日高町21,685日高町18,410
四種播磨(6)播磨町阿閇村8,814播磨町33,766
(参考)
猪名川(4)猪名川町猪名川町7,178 猪名川町29,094
氷上(0) 丹波市氷上町20,802氷上町19,299

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99737] 2020年 5月 13日(水)23:35:38白桃 さん
Re:速報が出た
[99735]ピーくん さん
ようやく広島県から推計人口が発表されました。37年ぶりに280万人割れました。
一昨日だか昨日だか、広島県の担当部署に訊いたら「今週の木曜日に公表予定」と仰っていたのですが、一日早まったようですね。
例年、地方の県庁所在都市や大学の多い都市においては、四月一日現在推計人口がかなり落ち込み、五月一日現在推計人口である程度復原するのですが、本年は新型コロナの影響を受けて様相が異なるかもしれません。

日野市が19万人に仲間入り流山市が東広島市抜き去る。
流山の人口増加が飛びぬけているだけで、東広島も順調に人口を伸ばしています。五年後の国勢調査の頃はどうなっているのか予測はできませんが、当分の間は安泰でしょう。
[99731] 2020年 5月 13日(水)12:41:56白桃 さん
名邑三世代.その19(兵庫県・前編)
このシリーズ、都道府県を逆五十音順に吟味しているのですが、47都道府県を逆五十音順にスラスラ言える方がいたら、私は尊敬します。それはともかく、このシリーズ次回十番勝負までに終わるのかどうか・・・。
【明治の名邑】
兵庫県の「明治の名邑」は二十二もあります。神~戸、♪そして神戸はもちろん「特選市街」。「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(以下「戸口表」)には「神戸」と「葺合」が第一表に掲載されています。「市街」は姫路、明石、尼ヶ崎、西宮の四都市。明石ですが、「戸口表」には「明石」以外に「大蔵谷」「王子」が第一表に出てきます。名邑筆頭は洲本。続いて二枚目は同じ淡路勢の由良。♪由良由良ゆれる初恋のもどかしさ~、「わたしの城下町」ではありませんが、洲本にお城が戻るまで、いっとき城下町だったそうな。地味ながらお目出度そうな高砂、柳行李の豊岡、♪赤とんぼの龍野、黒田官兵衛が閉じ込められた伊丹、また淡路の福良が続き、兵庫の名邑代表出石。伊豆市ではありません。脱線しますが、「名邑代表」って意味あるのか、選出規準はあるのか、って訊かれたら、こう答えます。「何もありま温せん。ただ、私好みの今はショボクレタ街を選んでいます。行き当たりばったりに決めていますが、香川県だけは既に決まっております(笑)」。続いて渋めの網干。私、小さい頃「あぼし」って、煮干か梅干の親戚かと思ってました。そして、今は橋下の街となった岩屋、デカンショ篠山、メガネのミキじゃなくて金物の三木、♪恋のしずく…恋のしづき(志筑)、個人的には忘れることが出来ない飾磨、浪士協調の赤穂(「戸口表」第一表には「加里屋」の他に「上仮谷」と「中村」も記載されている)、御影石より御影郷(美酒)の御影、シンガリはホタルイカ浜坂。名邑ザックザクの兵庫です。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街神戸神戸市神戸80,446神戸市378,197
葺合5,418(神戸市)
市街姫路姫路市姫路22,677姫路市41,028
市街明石明石市明石18,587明石町25,951
大蔵谷3,013(明石町)
市街尼ヶ崎尼崎市尼ヶ崎12,742尼ヶ崎町19,888
市街西宮西宮市西ノ宮11,932西宮町18,396
名邑洲本洲本市洲本8,948洲本町9,302
名邑由良(洲本市)由良7,069由良町10,146
名邑高砂高砂市高砂6,519高砂町7,679
名邑豊岡豊岡市豊岡6,325豊岡町7,774
名邑龍野たつの市龍野5,840龍野町6,952
名邑伊丹伊丹市伊丹5,816伊丹町9,641
名邑福良南あわじ市福良5,771福良町6,848
名邑出石(豊岡市)出石5,253出石町5,264
名邑網干(姫路市)網干5,170網干町8,429
名邑岩屋(淡路市)岩屋4,886岩屋町6,870
名邑篠山丹波篠山市篠山4,884篠山町7,390
名邑三木三木市三木4,877三木町5,643
名邑志筑淡路市志筑4,548志筑町5,420
名邑飾磨(姫路市)飾萬津4,327飾磨町6,222
名邑赤穂※赤穂市加里屋3,865赤穂町6,793
名邑御影(神戸市)御影3,664御影町7,467
名邑浜坂新温泉町浜阪3,496浜坂町6,420

続いて「準名邑」
「戸口表」人口が三千人に僅かながら届かなかったのが、柏原(かいばら)、三田(さんだ)、生野(いくの)。なお、三田市の前身は三田ではなく三輪です。明治期に町になれなかった(ならなかった)のが曽根と今津。惜しいかな曽根の町制施行は1913年(大正2年)。
名称現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
柏原(丹波市)柏原第一表2,982柏原町5,105
三田(三田市)三田第一表2,976三田町3,781
生野(朝来市)生野第一表2,903生野町9,487
曽根(高砂市)曾根第一表3,075曾根村3,489
今津(西宮市)今津第一表3,703今津村4,000

ここに書き留めておきたい街がまだまだありますが、キリがなく、参考列挙は少な目に。
加古川※については「戸口表」第一表に「寺家」の他に「加古川」が記載されていますが、その現住人口は822人となっており、いずれにしろ当時の加古川は取り立てて言うほどの街でもなかったようです。尾崎、沼島は、ついに「町」になることはなかったのですが、白桃が関心を持っているところです。淡路島南方沖合にある沼島は、「国産み」伝承があることで有名です。今の人口は10分の1に近いのかな?
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
加古川※加古川市 寺家第一表1,644加古川町4,118
尾崎(赤穂市)尾崎第一表4,586尾崎村 4,924
沼島(南あわじ市)沼嶋第二表 3,812沼島村3,679
相生相生市相生村第三表4,077相生村5,381

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99722] 2020年 5月 12日(火)07:50:06白桃 さん
名邑三世代.その18(広島県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
広島県の【秀邑】は後に市となる土生(因島市の前身町)、大竹と現在は江田島市の一部になっている大柿の三つです。なお、下の表からは土生町の人口が横ばいのように見えますが、1925年には7,709人となっており、何故このような急減をみたのか、類推は出来ますが確かなことは言えません。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級土生(尾道市)土生町13,315土生町13,488
二種三級大竹大竹市大竹町6,375大竹町14,448
二種三級大柿(江田島市)大柿村9,574大柿町13,233
続いて
◎準秀邑
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
向島(尾道市)向島西村9,814向島町13,571
坂町坂村6,934坂町14,089
大野(廿日市市)大野村6,008大野町10,848
(参考)
1920年の人口が5,000人未満で「準秀邑」にも成れなかったところや、人口面では「秀邑」の要件は満たしていたが、この期に町制施行が行われなかったところです。(細かい話で恐縮ですが、安浦の「前身町」は、「準名邑」の内海ではなく、三津口になっております。)
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
十日市三次市十日市町4,410十日市町11,181
五日市(広島市)五日市町3,409五日市町10,319
西条東広島市西条町2,645西条町10,751
瀬戸田(尾道市)瀬戸田町2,286瀬戸田町10,707
府中町府中町府中村3,526府中町11,408
船越(広島市)船越村2,883船越町10,652
安浦(呉市)三津口村2,665安浦町※11,043
祇園(広島市)祇園村2,215祇園町12,841
倉橋島(呉市)倉橋島村14,051倉橋島村20,018
江田島江田島市江田島村13,945江田島村21,043

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
以下、13の【卓邑】と、1960年の人口が1万人に届かなかったため、「卓邑」を逸した「筆の街・熊野」です。なお、「卓邑」の名称が「三次市」となっているのは、【前身】ではない「三次」が「明治の名邑」として既に存在していることによります(三次市の前身は十日市)。このように、このシリーズ、あまりにもマニアックで、いろいろ勝手な
ルールを作っているので、関心を持っておられる方は殆どいないと思います。ましてや、向島・坂・大野が、「明治の名邑の(参考)」→「準秀邑」→「卓邑」と一歩ずつ階段を上がっているのに気が付いた方は、まさかいないでしょうね。('◇')ゞ
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級三次市(9) 三次市三次市42,163三次市39,503
一種二級庄原(8)庄原市庄原市30,663庄原市21,370
一種二級東広島(6) 東広島市西条町21,952東広島市123,423
一種二級廿日市(9) 廿日市市廿日市町20,933廿日市市73,587
二種二級神辺(5)(福山市)神辺町24,249神辺町40,361
二種二級府中町(8) 府中町府中町17,104府中町50,673
二種三級新市(7)(福山市)新市町20,911新市町21,695
二種三級大野(3)(廿日市市)大野町11,088大野町25,727
二種三級黒瀬(0)(東広島市)黒瀬町10,107黒瀬町25,351
四種坂(9)坂町坂町13,713坂町12,276
四種向島(8)(尾道市)向島町17,045向島町16,710
四種川尻(5)(呉市) 川尻町8,365川尻町10,380
四種江田島(5)江田島市江田島町19,185江田島町12,824
(参考 )
熊野(3) 熊野町熊野町9,324熊野町25,392
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99708] 2020年 5月 11日(月)14:51:51【1】白桃 さん
名邑三世代.その17(広島県・前編)
【明治の名邑】
広島県の「明治の名邑」は、現在の状況から連想することが難しいというか、整理しずらい、収拾がつかないほど混沌としています。その原因として挙げられるのが、「軍港呉」の存在と、瀬戸内島嶼部の異常なほどの人口稠密であります。これを理解するには、地域の歴史を振り返って資料を詳細に検証しなければいけないのですが、それは真の歴史地理学者にお任せするとして・・・
18の「明治の名邑」の中で、広島はこのシリーズ初めて登場する「特選市街」。呉は、1886年の人口は「市街レベル」なのですが、1908年には10万を超えていることで「別格市街」となっています。ここで注目されるのが、町村制施行時(1889年)に行政区画の名称としては無かった「呉」が、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(1888年「内務省総務局」に記載されていることです。大関クラス「市街」に尾道と福山が名を連ねるのは順当として、名邑筆頭が音戸と言うのは少々意外。「酔心」三原に続く阿賀は歴史も古いようですがどうもつかみどころがない。竹原、忠海と続くのも意外で、竹鶴のウィスキーでも飲んで気持ちを落ち着かせよう。三次は本来の?三次であるが、現在の三次市の前身ではありません。♪鞆よ~夜明け前の闇の中で~鞆よ~名邑代表をお願いします。府中は当然、備後の府中。仁方は古い時刻表にある仁堀航路がなつかしい。三津は安芸津と言った方がわかりやすい?。後は、毛利氏ゆかりの吉田、広島の西の草津(※町制施行は1909年)、東の海田市、下駄の音が聞こえそうな松永が続きます。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街広島広島市広島81,914 広島市142,763
別格市街呉市11,160呉市100,679
市街尾道尾道市尾道17,307尾道市30,367
市街福山福山市福山14,663福山町18,081
名邑音戸(呉市)瀬戸10,271音戸町12,643
名邑三原三原市三原8,265三原町11,229
名邑阿賀(呉市)阿賀7,980阿賀町11,058
名邑竹原竹原市下市7,241竹原町8,187
名邑忠海(竹原市)忠海6,253忠海町7,745
名邑三次(三次市)三次5,522三次町5,731
名邑(福山市)5,065鞆町10,534
名邑府中府中市府中市4,736府中町6,372
名邑仁方(呉市)仁方4,424仁方町4,997
名邑三津(東広島市)三津4,122三津町5,398
名邑吉田安芸高田市吉田3,780吉田町3,933
名邑草津(広島市)草津3,761草津村※5,083
名邑海田市海田町海田3,705海田市町3,981
名邑松永(福山市)松永3,388松永町4,109

◎「準名邑」
「準名邑」は瀬戸内の厳島(宮島)、内海(安浦)、廿日市、川尻と内陸の可部、加計(学園とは無関係)の六つ。
準名邑現自治体---1886年戸口表人口---1908年人口
厳島(廿日市市)厳島第一表2,953厳島町3,725
内海(呉市)内海第一表 2,743内海町3,193
可部(広島市)可部第一表2,655可部町3,011
廿日市廿日市市廿日市第一表2,655廿日市町2,649
川尻(呉市)川尻第一表 3,374川尻村4,723
加計安芸太田町加計第二表3,510加計町5,211

この他にも、人口的には「名邑」も顔負けするほどの街(とは言えないところも)が並んでいます。特に、広は村のまま呉と一緒になったので、「準名邑」にもしていませんが、戦前には3万人を超えており、市制施行していても不思議はないところです。(※貢村が糸崎町になったのは1912年2月11日でまだ明治、大竹の町制施行は1911年。)
(参考)現自治体---1886年戸口表人口---1908年人口
糸崎(三原市)東野第一表2,490貢村※5,744
庄原庄原市庄原第一表2,489庄原町4,489
瀬戸田(尾道市)瀬戸田第一表2,427瀬戸田町2,667
(呉市)第一表13,377広村14,780
倉橋島(呉市)倉橋第一表12,781倉橋島村16,145
下蒲刈島(呉市)蒲刈第一表11,253下蒲刈島村7,290
上蒲刈島(呉市)上蒲刈島村5,326
戸河内(安芸太田町)戸河内第二表5,896戸河内村7,685
大竹大竹市大竹村第三表5,524大竹村※6,549
仁保島(広島市)仁保島第三表14,766仁保島村13,221
江田島江田島市江田島第三表9,562江田島村13,683
向島西(尾道市)向島西村第三表7,693向島西村8,522
坂町坂村第三表6,724坂村7,975
吉浦(呉市)吉浦第三表6,210吉浦村6,616
熊野熊野町熊野村第三表5,764熊野村6,897
向島東(尾道市)向島東村第三表5,253向島東村6,488
大野(廿日市市)大野村第三表5,146大野村5,770
東野(大崎上島町)東野村第三表5,026東野村6,326

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99678] 2020年 5月 10日(日)00:40:59白桃 さん
須賀ストーリー
ハマと言えばヨコハマ、スカと言えばヨコスカ。
その横須賀にある百貨店、さいか屋が来年二月に閉店になるとのこと。2015年国勢調査から16,037人もの人口減少を示している(2020年4月1日現在:減少数全国6位)横須賀、いよいよ寂しくなってしまいます。もっとも、今どき百貨店の存在を都会の指標にしている白桃のほうが時代遅れなんでしょうけど。
ところで、横須賀と言う地名はあちこちに結構ありますが、ちょっとややこしいのが、今は掛川市となっている横須賀というか、大須賀。
1889年の町村制が施行されたときに横須賀町が中心となって「大須賀村」が出来ましたが、その前身となる横須賀町は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」では第一表に記載され、現住人口も3,377人と、本来なら「明治の名邑」となるところだったのですが、大須賀村の町制施行が大正に入ってからだったことで「準名邑」に甘んじています。ややこしいのは、大須賀村は町制施行に際し「横須賀町」と改称しているのです。さらに、その横須賀町は、「昭和の大合併期」に大淵村と合併で「大須賀町」となるややこしさ。この名称変更は、元の名前に戻したのか、それとも大淵の「大」を入れたのか、私は知りません。
さて、ここから白桃の懐古と妄想の世界に入ります。
大須賀、横須賀の「須賀」は“砂地の土地”の意もあるようで、砂地ということは当然、水はけも良いので、何もたまってはいない。例えば、「新型コロナの影響か、電車がスカスカだった。」と聞いたりしますが、この“スカスカ”は、「須賀」と関係あるのかしら?
「久慈(籤)を引いたらスカだった。」の“スカ”や、スカタン(南海ホークスに居たのはスタンカ)の“スカ”は「須賀」とはあんまり関係なさそうでありますが・・・。
白桃は、三本松のこのアタリに住んでいたことがあります。現在、帝国製薬がある場所に東洋紡績三本松工場があったのですが、その敷地は三本松ではなく白鳥です。住んでいた社宅の住所もギリギリ三本松ですが、10m行けば、いや道の向こうは白鳥、その地名(字?)が須賀(大字は湊)でした。今から思えば、このアタリ、スカでなくて良かった・・・なんのこっちゃ。(‘◇’)ゞ
[99589] 2020年 5月 7日(木)21:05:09白桃 さん
十番勝負
問七:総社市


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