都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
hiroroじゃけぇさんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[78576]2011年6月17日
hiroroじゃけぇ
[78554]2011年6月13日
hiroroじゃけぇ
[78419]2011年5月23日
hiroroじゃけぇ
[77795]2011年3月15日
hiroroじゃけぇ
[77552]2011年1月29日
hiroroじゃけぇ
[77122]2010年12月27日
hiroroじゃけぇ
[76263]2010年9月28日
hiroroじゃけぇ
[76203]2010年9月17日
hiroroじゃけぇ
[75995]2010年8月14日
hiroroじゃけぇ
[75468]2010年7月10日
hiroroじゃけぇ

[78576] 2011年 6月 17日(金)23:52:06hiroroじゃけぇ さん
意見が主流かどうかは人それぞれ
[78563]hmt さん
2003年に JFEスチールに統合された日本鋼管福山製鉄所と川崎製鉄水島製鉄所。
別々だった2社が選んだ立地は 距離的には近いものの、工業地域のブロック化と言えるのかどうか。

現時点ではまだまだという感も強いのですが、地域戦略の一つとしても一体化しようという意識は強いと思われます。その一例が「国際バルク戦略港湾」としての一体整備なのですが、陸の視点からは「倉敷福山道路」というプロジェクトが進行中です。[78567]で星野彼方 さんが挙げられている「笠岡(の道の駅)」は、この「倉敷福山道路」を構成する「笠岡バイパス」に開業するものです。今後、企業が効率的な生産を目差す上で、原材料の供用や融通は必要不可欠で、「工業地域のブロック化」は各地で進行するものと考えています。また、昨今の生産工程の効率化が、実は以前から存在していた計画を後押ししているようにも思えます。この点においては、国策に先見の明があったのかもしれません。ただ、この両都市(倉敷・福山)間においては、hmt さんのおっしゃるとおり、まだまだ一つの「ブロック」として形成されるに至っていないと捉えるのが自然であるとは思います。

国際バルク戦略港湾選定結果 を見ても、次のように、穀物・鉄鉱石・石炭の「ドライバルク3品種」が、今回の制度の対象となる輸入バルク貨物として挙げられています。
穀物:鹿島港、志布志港、名古屋港、水島港、釧路港
鉄鉱石:木更津港、水島港・福山港[78554]
石炭:徳山下松港・宇部港、小名浜港

新聞でこの概要を確認した時、最初は驚きました。水島港で「穀物」というのは岡山県人の自分でも、すんなりとは飲み込めませんでした。というのも、イメージとして「工業港」である水島港で、「穀物」とはなんともミスマッチであったからです。ただ考えてみれば、岡山県最大の港である(旅客ベースでは「宇野港」ですが)ので当然ではあるのですが・・・。イメージに引っ張られてはいけませんね。

[78568]白桃 さん
ちょっと前、と言っても40年ぐらい前に関西出身の”あのねのね”が歌っていた歌詞にも登場するのですが、やはり西日本では「アブラムシ」が主流なんでしょうか?

自分の年代でも、何度かきいたことがあるあの歌。「アブラムシ」にどうやったらなるのか想像できず、理解できないけど面白い歌詞だとしか認識していませんでした。あの「G」を「アブラムシ」と関西では呼んでいるなんて・・・。いや、自分の経験からはそのようなことは聞いた覚えがないので、年代にもよるのでしょう。ただ、やっと誤解が解け、なるほどと思えたのでした。おっと忘れていましたが、西日本「アブラムシ」主流説には疑問符がつきそうです。岡山ではそのように言う人には出会っていません。「G」は「ゴキブリ」、いや「G」であって、それ以外でもそれ以上でもないので。とりあえず今いる環境下では、皆「ゴキブリ」と言っております。

[78569]Issie さん
「ゴキブリ」と言ってもいくつか種類があるようで,どうも北日本と東日本,西日本ではメジャーな種が違うらしい。基本体型は同じようなものでも,色や大きさなどが違っていて,もしかしたら同じ「ゴキブリ」という語で,違う虫を連想しているかもしれません。

「G」の品評会やレースを開催しているところもありますので、見比べてみるのもいいかもしれません。今年は中止になったとかならなかったとか。
[78554] 2011年 6月 13日(月)23:07:24【1】hiroroじゃけぇ さん
倉敷は女性市長ですが福山は男性です
最近、あれこれ話題となっている女性首長ですが、ご存知の通り倉敷市も女性が市長です。伊東香織さんといいますが、出身は福岡であって岡山県には縁もない人だったとのこと。それが総務省から倉敷市へ出向して関わりができ、果ては倉敷市長になってしまったという経歴の持ち主です。で、最近岡山市の同僚から質問されたのです。

「倉敷は女性の市長さんじゃったなぁ。なんか前とちゃうんか」

ときかれたわけです。勿論、女性だろうが男性だろうが大きな違いはありません。今までよりは多少考え方に柔軟性がでてきたような気がするものの、それは40歳で当選という市長としてはまだ若いことに起因するものとも思えます。要は性差は自治体の長として、差異が少ないということです。実際、市長が交代しても議会には変化がないわけで、大きな違いは見出せないというのが本当のところでしょう。

でも、今までの市長との決定的な違いはその出身地にあります。そう、倉敷市のようなまとまりのない自治体において、その出身地域というのは重要で、それが市内であれば政策に偏りが出かねないわけです。その極めつけがあのメルヘンチックな市庁舎であるのですが、今回の市長においてはそれがないということで、市域での政策は満遍なく行なわれているような印象があります。合併が行なわれた自治体の多くは域内の地域分断が最大の課題のようです。そんな時は、伊東さんのような外様首長がいいのかもと、最近は感じております。

さて、タイトルはなんなんだと言うことですが、コレは「国際バルク港」の話です。ようするに「バラ積み貨物」の拠点港なのですが、水島港と福山港が一体整備となったという話です。以前から、JFEの西日本製鉄所など一体化の兆しがありましたが、ここにきて拠点港として一体化が加速することになったわけです。かなり前から「瀬戸内工業地域」として瀬戸内海沿岸がいわれてきましたが、現在ではそれらの相互都市間において連携が進み、工業地域内でのブロック化が進展しているように思えます。地域でのブロック化が進んだ現在、「瀬戸内」のような大きなくくりではなく、別々の「工業地域」として見直してみるのもいいかもしれないと思っております。

例えば、岡山から三原にかけては「吉備工業地域」でしょうか。それなら、広島から岩国のあたりはどうするんだと思ってもみたり・・・。とにかく、こんなことを考えてみるのも面白いと思います。

*この落書き帳では、度々「工業地帯」と「工業地域」の差が話題となっているものの、「工業地域」の名前自体は大きな話題にはなっていなかったと思われます。ところどころで、岡山に住んでいてはパッとしない工業地域名は検索でヒットはしましたが(笑)
[78419] 2011年 5月 23日(月)18:42:17hiroroじゃけぇ さん
この方も是非~「都道府県を代表する作家」~
「都道府県を代表する作家」にこの方も是非。

出身は違えど、舞台設定として「尾道」をよく利用している

志賀直哉

広島の項に加えたらいかがでしょうか。尾道には「志賀直哉旧宅」があります。自分自身、ブログでも紹介したのですが、かなりすばらしい眺望であると思っています。また、「暗夜行路」や「城崎にて」は学校教育の中でも紹介されているわけで、小学生でも「清兵衛と瓢箪」が教科書に載せられているなど、かなり活躍した方です。是非ご一考を。


また、意外だったのが横溝正史の出身地が兵庫県であるということ。他県から岡山に疎開してきていたのは有名な話ですが、お隣さんだったとは。横溝正史に関しては、その代表作の多くの設定が岡山県であり、真備町では「疎開宅」も公開されています。兵庫県と共に岡山県でも多くの足跡を残しておられるので、重複登録はいかがでしょうか。


香川県の菊池寛には納得しています。高松市には「菊池寛通り」があるほどで、香川県民、特に中讃ではどんな人でも知っていると言ってもいいほど(いや、言い過ぎかも)かという自分も、「菊池寛」=「香川県」となったのは、香川の高校に通学し、この通りの名前を聞いたからでした(笑)

今回きになったのは、他でもない尾道散策の影響がまだ残っているからに他なりません。文学青年でもない自分でも、偉人の足跡を辿ると感化されてしまうものなんですよね。
[77795] 2011年 3月 15日(火)00:03:11hiroroじゃけぇ さん
東日本を拠点とする方々へ
このたびの大地震における被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。また、今後影響の残る地域の方々を応援したいと思っております。

さて、岡山という遠くの地域に住む自分ですが、こちらにも影響はでてきています。部品供給の止まっている工場の操業停止(三菱自動車など)や各スポーツの試合、競馬・競輪・競艇の中止など多数にのぼります。青森から鹿児島まで繋がる予定だった新幹線も、結局繋がることは無く現在に至ります。そして、九州新幹線開業イベントも全面中止。確実に、日本全体に影響がでております。

岡山県は中国電力から電力の供給を受けておりますが、東京電力に最大で10万キロワットを融通しているとのこと。現状では、節電を呼びかけるほどではないとのこと。エコピープルの一人として、以前から節電を心がけておりますが、これからも継続したいと思っております。それにしても、改めて原発の位置を確認してみると、その数がじわりと増えていることに気づきます。青森県の「東通原子力発電所」は、その存在を知らなかったほど。各地で計画段階では大きな話題となり、賛成と反対の各運動をメディアを通じて見るわけですが、その一方で運用開始後は話題にならないことがそうさせているわけです。原子力が身近ではない我々も、その危険性などをしっかりと把握しておかなければとも思わされました。

今回の地震の映像の中で気づいたのは、「仙台空港は海に近い」ということです。時刻表などでは、そこまで海に近いように見えない為ですが、現地をしらないとわからないことだらけですね。

とりあえず、計画停電などで影響が続く地域の皆様。健康には十分注意して下さい。そして、今後も書き込みを続けられるよう願っております。
[77552] 2011年 1月 29日(土)23:28:40hiroroじゃけぇ さん
不思議と近い
タイミングがかみ合わず、書き込みが遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。

[77538]k-ace さん
岡山から出場の2校ですが、広大な岡山市北区の中でもかなり近い場所に存在しています。不思議なものですね。方や常連校、一方は創部1年初出場。近いグラウンドと遠いグラウンド。男子校と元女子高。何から何まで対照的な2校ですが、しっかりと応援したいと思います。

[77526]白桃 さん
競馬の部分に反応しちゃいます。
「京王杯スプリングハンデ」は、現在の「京王杯スプリングカップ」ですね。そして、「京王杯オータムハンデ」は現在の「京成杯オータムハンデ」ですね。「京王杯スプリングカップ」はその名の通り、沿線の東京競馬場(府中)で行なわれるわけです。一方の「京成杯オータムハンデ」は中山競馬場での開催です。「京王杯オータムハンデ」だったころは中山で「京王」だったのです。ところが府中では「京成杯3歳ステークス」が組まれており、社杯を沿線に合わせて交換したという経緯があるようです。つまり、現在の「京王杯2歳ステークス」が「京成杯3歳ステークス」だったわけです。ちなみに、中山では「京成杯」というその名もズバリの重賞も施行されています。
ところで、他の私鉄では社杯がないのかというと、そうではありません。京都での「京阪杯」阪神での「阪急杯」中京での「名鉄杯」が施行されています。小倉は「西鉄杯」がありそうですが、実はありません。よって、社杯を出している大手私鉄は5社(京成・京王・名鉄・京阪・阪急)となります。他の大手私鉄は沿線でないから社杯を出していないのでしょうね。
[77122] 2010年 12月 27日(月)17:00:48hiroroじゃけぇ さん
アーケード+
[77093]千本桜 さん
「引網」は「地引網の衰退」と共に消えていったという説も納得でき、相互に影響していると思われます。ちなみに、ふと思うと母親は昭和31年にはすでに生まれていた(今日になって気づいた)ので、当時のことをきいてみました。でも「わからない」と一言。むしろ、「児島市」と「琴浦町」が合併していたことすら知りませんでした。まぁ、小さいころの記憶なので納得もいきますが。また、伯父や伯母に会った時にきいてみようと思います。

[77120]ペーロケ さん
[77121] Issie さん
都心のアーケード商店街といえば、高松や岡山、倉敷もあてはまります。小さな児島でさえアーケードがあるのですから、当然大都市にはあるものだと思っていました。京都や大阪もしかり、草津もある。徳島や宮崎も記憶に残っています。それでも、全てが中心商店街かと言われると・・・。高松や岡山は問題ないですが、他は微妙なところです。西日本ではメジャーな形態も東に向かえば違うものなんですね。

Nゲージの「ジオコレ」でもアーケードはありますが、東日本では使いにくいのかな?
[76263] 2010年 9月 28日(火)22:09:57hiroroじゃけぇ さん
続 児島のあれこれ
[76196]千本桜 さん

[76203]でのその後です。
残念ながら、どの項目もはっきりとしたことが確認できていないのが本当です。しかし、ちょっとしたヒントらしきものもあったので、そちらを少し。

「引網村」についてですが、由来は「地引網に適している地だから」という他に、「網に地蔵尊がかかったから」という説もありました。このどちらも共通しているのが、「漁師」漁業関係者が当時から減少傾向にあったようです(地下足袋生産に移った?)だから廃れたのか?ここから先は良くわかりません。一方の唐琴は「崇徳天皇」の時代の伝説にまで遡ることができ、こちらの方が由緒正しい地名ともいえるようです。

「大畠」・「菰池」についてもどういった理由なのか分かりません。ただ、驚いたことが一つ。「大畠」は「おばたけ」だと認識していたのですが、「おおばたけ」でしか見つけ出せなかったのです。地元では「おばたけ」と言っているのにどういうわけか分かりませんが、こちらが正式な模様です。

「宇野津」ですが、「目的地」になりえなかったということもあげられそうです。最近でこそ「ナフコ」が立地し、「目的地」ともなりうるようになったのですが・・・。また、玉野市の「宇野」と紛らわしいことも要因の一つのようです。それを避けるために敢えて表さないということもあるようです。それともう一つ、「バスの経由地」表記も参考にできそうです。児島駅~倉敷駅には3つのルートがあり、「天城・上の町経由」「天城・小川経由」「大高・塩生経由」です。お分かりのように、「塩生」が経由地の代表させています。これは、旧来からの慣例であったと考えてもいいということのようです。

以上、ちょっとしたことですが、参考になれば光栄です。お力になれず申し訳ございません。今後も機会があれば調査しますので、その時はまた報告させていただきます。
[76203] 2010年 9月 17日(金)20:27:43hiroroじゃけぇ さん
児島のあれこれと日比
[76196]千本桜 さん
ご質問のこと、自分がお力になれれば幸いです。なお、正確な答えが用意できていない部分もあるので、そのあたりは後日報告させて下さい。

まず1番目。
Q:
琴浦から少し離れた地域の人々、例えば下津井や日比の人は琴浦の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。A・下の町・上の町の区域を琴浦と呼んでいる。B・下の町・上の町・田ノ口・唐琴・由加・白尾の全域を琴浦と呼んでいる。
(中略)
hiroroじゃけぇさん世代の感覚で捉えた琴浦。もう1つは70才以上の高齢者の感覚で捉えた琴浦。二者の立場からの琴浦を解説いただけたなら幸いです。

A:「琴浦」の 範囲ですが、下津井や日比の方々に訊ねたことがないので、詳細は分かりませんが、自分がその人達と話している感覚では、Aに田ノ口の平野部を含めた地域を「琴浦」と呼んでいるようです。つまり「田ノ口の平野部」が児島地域内での感覚とズレている部分となります。では、「田ノ口の平野部」以外はというと、「加茂路(かもじ)峠」あるいは「加茂路池のあたり」と言われることが多く、地名の「田ノ口」と地域内の感覚に整合性がありません。また、「白尾」は地域人口が少ない為、バス停のある「峠」を代表させることが多いようです。

年代による差異はほとんど見られません。というのも、現在でも親の世代からの地理感を引きついている為で、またそのように教えられて育つからです。

2番目
Q:
唐琴は明治22年まで存在した引網村のことではないかと推察します。もし、地理範囲に変わりがないなら、今も引綱と呼ばれて良いはずなのに、どうして唐琴に改称したのでしょうか。

A:地域としてはその通りです。「唐琴」はそもそも「唐琴の浦」(「唐琴乃浦」という記述や石碑もあるので、昔はこちらを使用していたようです)からきており、昔から海岸沿いは引網村の「唐琴」であったと思われます。よって、人口が集中する「唐琴」を採用したのではと推測しています。このことについては、後日改めて調べてみます。

3番目
Q:
塩生(しおなす)・通生(かよう)で1つの区域とした場合、宇野津はどこへ行ってしまうのでしょう。塩生に含まれるのでしょうか。

A:「宇野津」は児島地区にありながら、その立地上水島に近い感覚があります。また、この児島の西側の地域は「塩生」を代表させることが多く、「通生」も含めてしまうことが多いと思われます。

4番目
Q:
旧児島市の区域では、大字に相当する町丁名のほとんどが児島を冠して倉敷市児島○○と表記するのに、郷内村、下津井町および味野町の菰池だけは児島を冠称しません。何故でしょうか。

A:下津井については、児島としている地域からは独立した文化圏を構成しています。特に「方言」においては下津井は少々違った言い回しをする場合もあります。また、このようなことから、児島と下津井との間には軋轢もあったようで、それが原因で下津井は児島を冠さなかったと聞いたことがあります。菰池の詳細は分かりませんが、下津井に含まれる地域も内包しており、その為の処置だと推測しています。こちらも、後日ということにさせて下さい。

5番目
Q:
明治22年以前、下津井町の区域は下津井村、吹上村、田ノ浦村、大畠村に分かれていました。現在の住所表記は、下津井村の区域が倉敷市下津井、吹上村の区域が倉敷市下津井吹上、田ノ浦村の区域が倉敷市下津井田ノ浦なのに、大畠村の区域は下津井を付さずに倉敷市大畠です。大畠村の区域が児島も下津井も冠称しないのはなぜでしょうか。

A:こちらも詳細なことは分かりませんので、後日報告いたします。ただ、この地域は「児島」から「下津井」のアプローチとなる地域で、下津井へはこちらを通るのが一般的なルートであったようです。現在の児島I.C経由には旧ルート(現在でも通行可のトンネルあり)が利用されていたようで、あまり好まれていなかったようです。少し脱線しましたが、これらの経緯により、わざと「児島」も「下津井」も冠さなかったのではないでしょうか。また、大畠も菰池と同様、「下津井」の部分を内包しているのも、理由の一つかもしれません。

日比のこと
Q:
玉野市やその周辺に住む世間の人は、日比の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。
A・日比という地名を耳にすると、藩政期の日比村に相当する区域を思い浮かべる。
B・日比という地名を耳にすると、日比に渋川、和田を加えた区域を思い浮かべる。
C・日比という地名を耳にすると、日比、渋川、和田に玉を加えた区域を思い浮かべる。

A:これは間違いなくAです。日比は「精錬」、玉は「造船」であり、わざわざ日比に「玉」を内包する必要はありません。また、和田はその地域を目的とすることが少なく、日比や玉に含める必要性はありません。ただ、上記のBとCで最も違うと断言できる理由はそこではなく、「渋川」を含んでいることにあります。確かに、日比と渋川の境界はあいまいですが、児島からでも宇野などの玉野市がわからでも中間点となり、多くのバス路線の終点となることから「渋川」は「渋川」として独立しています。なので、玉野市外から渋川にいく場合は「渋川に行く」とするのが一般的で、「玉野に行く」は宇野駅周辺の中心市街地を指してしまいます。そして、「日比」や「和田」、「玉」は「玉野に行く」に包括されてしまいます。なお、玉野市の「荘内」地区は「秀天橋(しゅうてんばし)」といわれることが多いので注意が必要です。この「秀天橋」は国道30号ある橋で、一部のバス路線で経由地などとして記載されています。

以上、現在のところこのようになります。後日また詳細を報告させてもらいます。
[75995] 2010年 8月 14日(土)22:17:29hiroroじゃけぇ さん
政令指定都市の経県値
テコ入れにもならないけど・・・(泣)

◎(居住):京都市、大阪市
○(宿泊):岡山市、広島市
●(訪問):横浜市、神戸市、北九州市、福岡市
△(接地):さいたま市、千葉市、川崎市、静岡市
▲(通過):浜松市、名古屋市、堺市
×(未踏):札幌市、仙台市、相模原市、新潟市

岡山市は居住ではないので・・・。
[75468] 2010年 7月 10日(土)20:25:49hiroroじゃけぇ さん
ようよと気づきました
[75464]般若堂そんぴん さん
[75465]k-ace さん
「ようよと」って方言だったんですね。今まで誰も言ってくれなかったので、方言だとは気づいていませんでした。

で、k-ace さんが調べたように「やっと」という意味で使っています。「ようよう」も使用しますが、「ようよと」の方が「やっと」の意味合いが強いですね。そそれと、「ようよう」が直前の事柄につかうのに対し、「ようよと」はそれよりも以前の事柄につかうことが多い気がします。あくまでも、使用方法は自分の感覚ではあるのですが・・・。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示