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[97499] 2019年 1月 25日(金)23:31:52【3】YT さん
初期の人口集中地区のデータの疑問点
[97021] 他 白桃さん
[97025] 他 千本桜さん
[97032] 他 ekinenpyou さん

数か月前から人口集中地区について話題になっていましたが、[97021][97032]で白桃さんやekinenpyouさんに国土数値情報ダウンロードサービスを紹介して頂いたことにより、自分は総ての人口集中地区のシェープファイルを入手することができました。ただ、シェープファイルを地図上に表示する方法が分からず、とりあえずフリーのSuperMap Viewer2008やQGIS3.44を導入しましたが、まだ使いこなすには至っていません。

それはさておき折角なので、改めて過去に調べた人口集中地区の連担について、人口・面積と変遷の情報をエクセルファイルにまとめ直すことにしました。とはいえ、過去の国勢調査のデータ自体は総務庁のサイトからダウンロードできますが、昭和や平成初期の報告書はpdf化された画像ファイルのままですので、数値を改めて入力し直す必要があります。現在、人口密度の計算で数値をチェックしながら1960年~1975年までの4回分を入力し終えましたが、結婚して子供が生まれてからというもの、深夜に作業するだけの気力が残らず、入力作業も相当時間がかかりそうです。今回は、[97037]でも指摘しました、

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。


について、昭和35年と昭和40年のケースで、問題点を指摘した地図画像ファイルを作成しましたので、それについて投稿します。また昭和45年以前のケースで国勢調査報告書自体に誤りがるという事例が複数見つかりましたので、それについてもまとめます。なお今日になってQGIS3.44で地図上にシェープファイルを表示させる方法が分かりましたが…SuperMap Viewerで作成したシェープファイル由来のみの画像を今回は用います。

昭和35年(1960年)の国勢調査で初めて人口集中地区が設置されましたが、同一自治体内で連続しているようにしか見えないのに、わざわざ別個の人口集中地区とされてしまっている例が全国で多数散見します。例えば『わが国の人口集中地区』収録の地図では、広島市Iと広島市IIはどうみても同一自治体内で連担してますが、人口集中地区としては別にされています。その同じ広島県の呉市Iと呉市IIまわりのシェープファイルをこちら(外部アップローダ)に示しますが、『わが国の人口集中地区』に表示された地図にせよ、今回のシェープファイルにせよ、一点で接しているように見えます。同様のことが福岡市Iと福岡市IIIの連担(外部アップローダ)でも言えます。

一方、昭和40年の松原市Iと羽曳野市IIIの方に関しては、『わが国の人口集中地区』収録の地図では、羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)に示すように、それぞれが一点で接しているようにみえます。ところがシェープファイルの方では、こちら(外部アップローダ)に示すように、接していません。(なお某所に投稿した昭和40年の阪神地区に取り込まれている「松原市I(河内天美)」は、「松原市II」の間違いであることが判明しました。)

『わが国の人口集中地区』収録の地図では、分かりにくいのですが、該当箇所は日本で5番目に大きい古墳である大塚山古墳(雄略天皇陵墓参考地)の北側で、近鉄南大阪線の北側の道路で接しているように見えます。先程地図を読み込ませることに成功したQGIS3.44で、該当する昭和40年の大阪府のファイルを読み込んだところ、どうも松原市Iのシェープファイルの座標が西方向にずれているのではないかという気がします。

【追記:QGIS3.44の使い方が分かって来たので、現在の地図に昭和40年の大阪府松原市I~羽曳野市III周辺の人口集中地区のシェープファイルを載せた画像を作成してみました(外部アップローダ)。『わが国の人口集中地区』収録の地図の羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)が正しいとすると、松原市Iから大塚山古墳の北側の方まで伸びているはずの人口集中地区が、シェープファイルを作成した際に誤ってカットされてしまったことになります。】

以上のほか、昭和40年の『国勢調査報告 第1巻 人口総数』では、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市I、昭和35年の北海道の美唄市I→昭和40年の美唄市II、となっているのに対し、昭和40年の『わが国の人口集中地区』では美唄市I→昭和40年の美唄市I、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市IIとなっています。地図等との比較から美唄市の人口集中地区は番号が入れ替わっていたとするのが正しいことが分かります。ならば『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』の方が正しいのかといえば、そんなことはなく、『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』では昭和35年の京都府宇治市II→昭和40根の宇治市II、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIIとなっているのに対し、『我が国の人口集中地区』の方では、昭和35年の宇治市II→昭和40年の宇治市III、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIとなっており、こちらに関しては『我が国の人口集中地区』の情報の方が正そうです。複数の図書館で昭和40年の『我が国の人口集中地区』の中身を確認しましたが、残念ながら正誤表の存在が確認できませんでした。

さらに昭和40年の『わが国の人口集中地区』では、関西のデータを中心に、昭和35年の人口集中地区が昭和40年になって分割されたのか、昭和35年の人口集中地区が昭和40年の人口集中地区Iに成長し、一方で別に昭和40年の人口集中地区IIが形成されたのか、表記法の統一が中途半端が故の曖昧表記が生じており、人口集中地区の地図の情報からの再チェックが必用そうです。

次の昭和45年の『わが国の人口集中地区』からは正誤表が存在し、割と重要な訂正がなされております。人口密度の訂正や面積・人口の割合と増加率の訂正を除くと、重要な訂正は以下の点です。

表側表頭
209 相模原市I面積 (km2) 昭和45年19.213.2
209 相模原市I面積 (km2) 昭和40年16) 8.317) 5.1
209 相模原市II面積 (km2) 昭和45年13.219.2
209 相模原市II面積 (km2) 昭和40年17) 5.116) 8.3
222 羽曳野市I人口 昭和40年12) 882114) 6823
222 羽曳野市I面積 (km2) 昭和40年12) 1.114) 0.7
222 羽曳野市II人口 昭和40年13) 337812) 8821
222 羽曳野市II面積 (km2) 昭和40年13) 0.712) 1.1
222 羽曳野市III人口 昭和40年14) 682313) 3378
222 羽曳野市III面積 (km2) 昭和40年14) 0.713) 0.7

また

東京都青梅市の人口集中地区面積および神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積は、再測定の結果、つぎのように訂正する。
・東京都青梅市の人口集中地区面積 ― (旧) 3.8 km2 (新) 5.8 km2
・神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積 ― (旧) 10.0 km2 (新) 15.3 km2

昭和45年の[『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の人口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。

なお昭和55年以降、全域が人口集中地区となった自治体に関しては小数点以下第2位までの面積(km2)が使われるようになりますし、平成17年以降だと、小数点以下第2位までの面積の数字を足しても合計が合わない(小数点以下第2位よりも細かい数字を用いている?)という状況となっています。

初期の連合人口集中地区の数値に関しては別の機会にまとめます。

【訂正1:後半の丸め誤差の説明を訂正】
【訂正2:松原市I~羽曳野市IIIの人口集中地区の分布示す画像ファイルを追加でアップロード】
【訂正3:その他誤字訂正】
[97046] 2018年 11月 28日(水)23:46:19【1】YT さん
DID上の隠れ大都市:明石と川越
すみません。[97027]で、

(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)
と書きましたが、リンク先に示すように2015年現在も、柳瀬川を境とするDIDの途切れは健在で、富士見市~ふじみ野市~川越市~狭山市~入間市~飯能市と続く、DID上の隠れ大都市川越は今なお健在のようでした。

明石~垂水と阪神を結ぶラインも、山の方の妙法寺付近で分離したままのようです。

【地理院地図へのリンクの方法を修正】
[97037] 2018年 11月 26日(月)18:18:24【1】YT さん
DIDが点で接している場合の判断
[97019] 白桃さん
[97025] 千本桜さん
[97032] ekinenpyou さん

国土地理院の地図は、国道を赤色で表示し、人口集中地区の境界線も赤色で表示しています。そのため、判読しにくい個所が生じています。地図をどんどん拡大してみましょう。すると、鎌倉市の稲村ガ崎と坂ノ下の間は境界線が途切れずに連担していることが判読できます。なので、連担する大船、腰越、鎌倉は3地区あわせて1つの鎌倉市人口集中地区になり、それに連担する逗子市、葉山町の人口集中地区も大東京DIDに組み込まれます

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

先程図書館で歴代の「我が国の人口集中地区」収録の地図を閲覧してようやく意味がわかりました。平成27年度版の収録の地図の方では「鎌倉海浜公園」という文字の上の方にDIDが設置されているようですが、該当する箇所には公園はなく、道路そのものがDIDとして設置されているようですね。

ekinenpyou さんも分析されていますが、1960年(S35),1965年(S40)には、該当する道路周辺にはDIDはなく、1970年(S45)には腰越方面に向けて太い帯状のDIDが設置され、1975年(S50)~1990年(H2)は腰越と鎌倉中心部が太いDIDで接続されていたが、1995年(H7)から突然、鎌倉市内のDIDの設置が地形にそったきめ細かなものに変更となり、それと同時に坂ノ下は一本の道だけでDIDが繋がる状態となり、現在に至るようです。まあ理不尽といえば理不尽ですが、国勢調査の地区ごとの担当の裁量によるところが大きいのか、あるいは市街化調整区域の設置が絡んでいるのか、その辺の事情は分かりません。

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。単に地図の解像度が悪いだけで、別のローマ数字が降られているは、「本当は両者は接していないから」という解釈も成立しますが、そうなってくると、異なるDIDについて地図から「接している」と判断して加算した場合、それが本当に接しているの?という疑問も生じ得ることになります。手元にDIDのチェックをした時のメモがないので記憶が曖昧ですが、確か1960年~2005年までの間で、10箇所近く悩むようなシチュエーションがあったように記憶しています。

【追記】あと、「我が国の人口集中地区」付録の地図では、それぞれの地図でタイトルに示されるメインとなる市区町村について、DIDが実線と実線内の赤枠で囲われて示され、周辺のDIDは斜線の赤枠で示されることで、複数のDIDが接していたり、近くに存在することを察することができるのですが、確か周辺のDIDの記入漏れがそこそこあったと思います。
[97027] 2018年 11月 24日(土)17:51:15YT さん
DID人口の合算について
最近仕事と私生活がリアルに忙しくて、余りこちらに書き込む余裕がなかったのですが、DID人口の話題が出ているのでひさびさに書き込みます。

[97019]白桃 さん

[69204][80928]にも書きましたけど、その昔1960年~2000年の間について、地図の上で連続したDIDを足した人口を算出し、某所に投稿したことがあります。その後の2005年分を含め、図書館で『我が国の人口集中地区』の地図を確認しながら国勢調査報告書のコピーに連続の有無を総てメモっておりましたが。それらのメモは実家に置いて来てしまっており、現在すぐに確認はできません。今日白桃さんの投稿に気付き、そういえば『我が国の人口集中地区』では鎌倉周辺はどういう変遷となっているのかしらん?と思って昼間に仕事場から数分の距離にある某図書館に行きましたが、今日は休館日で確認できませんでした。

なお鎌倉に関して言えば、1970年以前は藤沢I~茅ヶ崎I~鎌倉II(腰越)と、鎌倉I~逗子~戸塚区II(笠間)~葉山が独立しており、藤沢や鎌倉まで京浜に飲み込まれたのは1975年以後のようです。その一方で、2000年の段階では阪神と京都、阪神と明石~垂水、京浜と川越などが分離するなど、色々合算に悩むところもあります(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)。2000年の例だと、定規を使って地図を測った結果、以下のDIDが分離しているとする自作のテキストファイルメモが手元に残っていました。

我孫子市I(京浜地区)~取手市I 約1.2 km (利根川対岸)
志木市(京浜地区)~富士見市I(富士見地区) 約50 m (接するのは時間の問題?)
大井町I(川越地区)~大井町II(富士見地区) 約30 m (接するのは時間の問題?)
鶴ヶ島市II(川越地区)~鶴ヶ島市I(坂戸地区) 約50 m (過去に接しているケースあり)
所沢市I(京浜地区)~所沢市II(川越地区) 約500 m
上尾市(京浜地区)~蓮田市 約300 m
袖ヶ浦市I(京浜地区)~木更津市I 約920 m
大磯町I(京浜地区)~大磯町II(小田原地区) 約80 m (接するのは時間の問題?)
岩倉市(名古屋地区)~一宮市I(岐阜地区) 約2.3 km
岩倉市(名古屋地区)~江南市 約860 m
扶桑町(犬山地区)~江南市 約110 m
春日井市I(名古屋地区)~春日井市II(高蔵寺地区) 約170 m
東海市(名古屋地区)~大府市I 約740 m
刈谷市I(刈谷地区)~大府市I 約900 m
安城市(安城地区)~知立市I(刈谷地区) 約120 m
大津市I~大津市II(草津地区) 約160 m (瀬田川対岸; 過去に接しているケースあり)
大津市VII(京都地区)~大津市I 約1.7 km
八幡市(阪神地区)~島本町(京都地区) 約640 m (淀川対岸)
高槻市I(阪神地区)~高槻市II(京都地区) 約280 m
堺市I(阪神地区)~堺市II(光明池地区) 約100 m (接するのは時間の問題?)
神戸市須磨区II(阪神地区)~神戸市垂水区I(明石地区) 約1.2 km
神戸市須磨区II(阪神地区)~須磨区I(妙法寺桃山台地区) 約50 m (崖あり)
神戸市垂水区I(明石地区)~垂水区II(妙法寺桃山台地区) 約60 m (第二神明道越し)
北九州市門司区~下関市I 約400 m (門司区側は関門橋の中途までDID設定)
北九州市小倉南区I(北九州地区)~北九州市小倉南区II 約30 m (過去に接しているケースあり)
北九州市小倉南区II~北九州市小倉南区III 約400 m
苅田町~北九州市小倉南区III 約50 m (過去に接しているケースあり)

[81009]にも書きましたが、一番の問題点は水面調査区を介して隣接している場合、その水面調査区の設置場所を調べる術が自分にはわからない点です。

例えば北九州市の場合、1960年と1965年は、若松地区と他の北九州市の諸地区は分離していましたが、1970年には橋を介して一個の巨大なDIDとなります。ところが1975年~1985年には橋の上のDIDの設置がなくなり、両者は再び分離します・・・が、「連合人口集中地区」として連結する扱いとなっています。

1960年
696,134人/66.8km2八幡市I/小倉市/門司市/戸畑市 (全国5位)
75,721人/7.5km2若松市I

1965年
787,849人/84.2km2北九州市[八幡区I/小倉区/門司区/戸畑区] (全国5位)
80,038人/11.4km2北九州市若松区

1970年
857,409人/110.1km2北九州市[八幡区I/小倉区I/門司区/戸畑区/若松区] (全国5位)

1975年
922,081人/134.3km2北九州地区 [福岡県] (全国7位)
【1】843,382人/121.5km2北九州市[小倉北区/八幡西区/門司区/八幡東区/戸畑区/小倉南区I]
/中間市/水巻町 [福岡県]
【2】78,699人/12.8km2北九州市若松区 [福岡県]

水面調査区や準人口集中地区を含め、その詳細を調べる方法が分からないのがもどかしいです。
[95701] 2018年 4月 20日(金)01:21:54【4】YT さん
明治19年末の都市人口について(2)
[95699]の続きです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
大津滋賀18,95023,16723,1679118,95023,167
彦根滋賀20,01018,57718,5779220,01018,577
岐阜岐阜1618,87523,37723,3775518,87523,377
大垣岐阜14,72516,33916,3394914,72516,339
高山岐阜15,53415,26715,267115,53415,267
船津岐阜110,19010,166
上田長野1414,17315,17215,172314,17315,172
飯田長野10,79611,67211,672210,79611,672
松本長野1114,53817,47817,478214,53817,478
長野長野1316,23818,22218,222416,23818,222
仙台宮城58,50362,1963258,47161,70961,70930258,47191,709
石巻宮城15,93216,61816,618415,93216,618
若松福島22,17718,00418,0048222,17718,004
盛岡岩手329,75130,16630,166629,75130,166
青森青森115,00714,92014,9201815,00714,920
弘前青森130,00028,17028,1708930,00028,170
八戸青森110,57610,52010,5204010,57610,520
山形山形725,49526,97126,9713125,49526,971
新庄山形10,73810,54610,546510,73810,546
酒田山形20,32621,00421,0046020,32621,004
鶴岡山形20,13219,66619,6664020,13219,666
米沢山形29,63829,20329,20312929,63829,203
秋田秋田829,29129,22529,22516329,29129,225
能代秋田10,81610,73710,7372510,81610,737
福井福井138,84037,37637,3768638,84037,376
武生福井12,31013,07413,0742512,31013,074
敦賀福井11,52011,87811,8782411,52011,878
金沢石川102,28196,727102,28197,65397,653535102,28197,653
小松石川811,45011,72111,7213111,45011,721
金石石川10,0529,1104110,0529,110
富山富山453,45153,55653,5569653,45153,556
魚津富山11,44511,54011,5403011,44511,540
高岡富山17,47417,97417,9747917,47417,974
氷見富山2310,65610,595
新湊富山15,77815,76215,762815,77815,762
鳥取鳥取1729,94128,27528,2757029,94128,275
米子鳥取911,61011,86011,8603311,61011,860
松江島根233,33633,38133,3813333,33633,381
岡山岡山33,11837,8541533,10332,98932,9898333,10332,989
玉島岡山414,25616,325
津山岡山314,32914,58214,5824214,32914,582
広島広島78,92986,4051278,91781,91481,91411178,91781,914
蒲刈広島111,21611,253
倉橋広島113,19312,781
瀬戸広島110,36410,271
広島310,67511,160
広島113,34713,377
仁保島広島114,64314,766
尾道広島16,16217,30717,307416,16217,307
福山広島15,67814,66314,6632915,67814,663
徳山山口111,56511,511
山口山口1810,97311,44711,4474110,97311,447
山口23,87721,20621,2063823,87721,206
赤間関山口29,10533,448529,10030,82530,8252629,10030,825
和歌山和歌山55,56256,490455,55854,86854,86840055,55854,868
徳島徳島1458,85357,45657,4563858,85357,456
撫養徳島17,64517,07517,0751117,64517,075
高松愛媛38,41437,69837,6986438,41437,698
松山愛媛1828,67529,48729,48710028,67529,487
宇和島愛媛112,10011,70511,7053312,10011,705
丸亀愛媛15,32416,14916,1492515,32416,149
観音寺愛媛10,84610,68510,685110,84610,685
今治愛媛13,13513,10113,101913,13513,101
高知高知1426,85030,98730,9874926,85030,987
福岡区福岡45,82148,4862243,11842,61742,61715543,11842,617
福岡福岡5419,60619,663
博多福岡10123,51222,954
久留米福岡320,61120,90720,9072920,61120,907
柳川福岡12,71412,35012,3502512,71411,594
小倉福岡710,17311,59411,5944510,17312,350
大分大分512,32114,31514,315412,32114,315
臼杵大分11,88711,37011,370511,88711,370
中津大分315,52615,51815,5186615,52615,518
佐賀佐賀724,28024,65724,6572424,28024,657
熊本熊本41,19746,6413841,15944,38444,38413841,15944,384
八代熊本419,72410,069
都城宮崎69,56410,118
延岡宮崎914,14613,578
鹿児島鹿児島548,77845,09745,0974848,77845,097
那覇沖縄35,63439,03123,79827,19327,193623,79827,193
首里沖縄25,75225,58725,75225,58725,5871525,75225,587
札幌北海道6,86016,4336,86015,04115,0411486,86015,041
小樽北海道15,882338,03415,807
函館北海道29,60943,55029,60945,47745,4774429,60945,477
江差北海道9,53711,61511,615269,53711,615
福山北海道11,06510,18710,1873411,06510,187

※資料1における東京十五区、京都二区、大阪四区の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における福岡区(福岡+博多)の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における高岡(本文で17,464)と佐賀(本文で24,180)の本籍人口に関しては巻末に数値の訂正あり。

本籍人口に関しては、資料2と資料4は全くの同一ですが、資料1とは微妙に異なります。これは資料1においては無籍在監人の人数を本籍人口に加えているのに対し、資料2と資料4は加えていないことによります。本籍人口の全国集計値としては、無籍在監人を在監の地にて有籍の本籍人口に加えるのが正しいはずですが、資料2・資料4の都市人口資料では加えていないことになります。

無籍在監人の補正を考慮しなくても、福岡区と那覇の本籍人口は、資料1と資料2・資料4では異なります。この内那覇に関しては明白な理由があり、資料1の那覇には、泊村を含む那覇のほか、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島が含まれるのに対し、資料2・資料4の那覇は、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島の本籍人口が除外されているせいで間違いないと思われます。一方で福岡に関しては、無籍在監人22人を考慮したとしても、資料1の福岡区の本籍人口は資料2・資料4の本籍人口よりも2681人、現住人口で5847人も多いと言う結果となっています。ここからは想像なのですが、現住人口はさておいて本籍人口の違いについては、おそらく行政上の「福岡区」に含まれる福岡荒戸村、福岡伊崎浦などの「村」の人口が、都市人口としての福岡の人口から除外されてしまったためと考えております。【と1時間前に投稿した時には考えましたが、以下徴発物件一覧表などとの比較により、単に福岡区の本籍・現住人口の算出に誤りが生じただけではないかと考えを改めました。】

【【以下追加情報】なお『明治二十年 徴発物件一覧表』では福岡区は154町1村で構成されているとあり、資料4の公称町村数155と比較するとこの解釈は微妙ではあります。

戸長役場所在地町数村数現住人口
天神町236,592
本町136,435
南湊町714,752
西町104,289
川口町275,839
櫛田前町277,013
下対馬小路246,651
大浜町二丁目236,153
福岡区全域154147,724
福岡地区53122,068
博多地区10125,656

『日本帝国民籍戸口表』の「第十四 各地方本籍現住人口郡区役所戸長役場及町村比例」では、区部人口を見る限り「各地方一万人以上市街戸口」に相当する本籍人口(つまり無籍在監人を本籍人口に含まない)・現住人口が採用されていますが、福岡県内の区としては町村数155、本籍人口45,799人、現住人口45,298人が採用されています。本籍人口・現住人口ともに「各地方一万人以上市街戸口」採用の人口よりも2681人多い数字となってるのに対し、町村数は同じままです。どうも「各地方一万人以上市街戸口」や『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』では、福岡地区に関し誤った集計をしてしまい、一部本籍人口を欠落させてしまった状態で寄留人口の加除を行ったのではないかと思われます。】

次に現住人口に関してですが、資料2・資料3・資料4ではほぼ同じ数字であり、同じ基準で現住人口が算出されたと考えられます。一方で資料1の現住人口とは大分数字が異なります。『自明治十七年至明治三十六年 道府県現住人口』の解説によると、明治18年1月1日調~明治19年12月31日調の現住人口は
但此の現住人口は道府県の本籍人口を本とし、之に出入寄留者を加除せしのみならず、更に逃亡失踪者を除きて算出したるものなり。
とあり、明治20年12月31日調以降は
道府県の本籍人人口に出入寄留者及逃亡失踪者を加除せしのみならず、陸外軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者及外国行の者を加除して算出したるものなり。
とありますが、これは道府県の現住人口算出に関する部分です。無籍在監人の件でもそうですが、資料1の方がより詳しく数字の訂正が行われているはずですが、その割には現住人口は資料1>資料2の傾向があります。これも自分の想像ですが、おそらく資料1の郡区レベルでは、無籍在監人の加算と逃亡失踪者の除外のほか、有籍在監人や兵員などの加除まで行っているため、都市部では人口が増える傾向にあるのに対し、資料2・資料3・資料4では、無籍有籍在監人を含め、これらの加除を行わず、出入寄留者の補正のみを行っているためではないかと考えております。

『明治二十年徴発物件一覧表』による戸長役場連合管轄域の人口との比較に関しては、時間がある時に改めてまとめたいと思います。


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