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[81099] 2012年 7月 14日(土)13:01:20みかちゅう さん
路線バス乗り継ぎ旅
[81087]グリグリさん
路線バスを乗り継いで旅するプランを作る・募集するという企画があると面白そうですね。
路線バスを乗り継ぐのをメインとした番組として古いのは、TBSの「そこが知りたい」でしょうか。一部は書籍化もされて乗車系統・所要時間なども載っていましたが、現在は本を手に入れるのは難しいみたいです。数年前に図書館に予約申し込みをしたところ、横浜市の図書館では所蔵しておらず県内の他の図書館から回ってきた(しかも結構遠いところだったような気がする)ぐらいです。

昭和の終わりごろまでならば主要街道にはほとんど路線が引かれていたでしょうし、途切れるのは県境かよほど人の流動のないところに限られていました。ある程度の都市同士を連絡する路線も多くありましたし。行程を組むのは現在よりもはるかに容易だったと想像できますが、書籍・ネット上ともに実際にやってみた記録というのは見たことがありません。そのころなら国鉄解体・ローカル線の廃止等で、趣味としてみた鉄道に面白みがたくさんあったからなのでしょうか。

現在、東京駅起点で1日でできる範囲で行程を組むとき、ほとんど事前調査なしで駅から駅へ乗り継いで行けるのは、西方面の平塚・八王子ぐらいでしょうか。埼玉方面は大宮ぐらいなら何とかなると思いますが、東武東上線の川越・伊勢崎線の春日部あたりだと鉄道並行では進めません。千葉方面も江戸川を渡るだけなら易しいのですが、その後は鉄道駅から放射状に出る路線をジグザグにたどるしかなくなります。常磐線方面は金町→松戸が進めないので、市川か三郷を経由して松戸市に入り、流山市を経由して柏市に進むことになります。
私が房総半島の乗り継ぎをやった際も、市川→千葉はきちんとたどれていません。歩いてごまかした区間は後日きちんと乗ってつなぎ合わせてはいますが。本数はぐっと減りますが、鉄道並行路線が残っている千葉以降の方が経路選定としては簡単です。
[81098] 2012年 7月 14日(土)11:20:04【1】山野[煮豆] さん
何かの市が開かれたのかと→「てぶくろ市」
動画があるので、偶に視聴しているサイト何ですが、こんな記事がありました。
KSB瀬戸内海放送-地域ニュース
一昨日の記事になり少し古いんですが。
「東かがわ市」にて市の名称を「てぶくろ市」に改名して欲しいと言う要望が商工会等で挙がっているそうです。

「高松うどん駅」みたいな愛称じゃなくて、名称変更の要望なんですね。
ところで下記の…
てぶくろの生産日本一を誇る
そうなんですか?ここ。

(追記)
此方のブログ(個人)にあった記事(少し古い情報)ですが、他の自治体でも同様の動きがあったみたいです。
県内では、丸亀市が「骨付鳥市」としてPR。
観音寺市でも、うどんのだしなどに使われる特産のいりこから、「いりこだ市」に“改名”しようという動きが出てきている。
芳ばしそうで美味しそうな県ですね香川県。
・饂飩+出汁

(以下、妄想になりますが)
長野県なら「御蕎麦県」になるんだろうか。(林檎だと青森だし)、
岐阜県なら差し詰め何だろう「鮎・鵜飼・柿」…やっぱ、岐阜県のままで良いな。(愛称は別として)
[81097] 2012年 7月 14日(土)10:20:11【1】Issie さん
武士の都は土の下
[81095] 白桃 さん
”かがわ”より「な」のある”かながわ”の一部である相模国で、「鎌倉」の名が見当たらないのも不思議ですが、当時は総称としてではなく、区画された街の名称を用いられることが一般的だったのでしょう。

一言でいえば,当時の鎌倉に「町」と呼べる集落など存在しなかったからです。総称されるほどの町でもなかった。
「明治13年共武政表」で鎌倉郡の項目をみると,格段に戸数が多いのは東海道沿いの 戸塚駅 (郡役所所在地)と 腰越村 でそれぞれ400戸あまり。
せまい意味での「鎌倉」にあるのは,表の中では 長谷村・坂ノ下村・雪ノ下村・大町村 がそれに当たります。山ノ内村 は,切通しを越えた現在の北鎌倉付近。いずれも100戸台で,4村を合わせても千戸には満たないですね。
文部省唱歌に「鎌倉」という歌があります。1910(明治43)年の作品ですが,その最初の2節めと3節めは以下の通り。

 極楽寺坂越え行けば/長谷観音の堂近く/露座の大仏おはします
 由比の浜辺を右に見て/雪ノ下村過ぎ行けば/八幡宮の御社

すでに行政上は町村制施行により 西鎌倉村(長谷村・坂ノ下村ほか)・東鎌倉村(雪ノ下村・大町村ほか) を統合して1894(明治27)年に「鎌倉町」となっているのですが,それ以前の状況を知ってこの歌を聞くと,まだ「村」が散在しているような印象を受けます。

鎌倉時代,もちろん鎌倉は「武士の都」で,相模だけでなく関東を代表する“都市”でした。幕府が京都に移った室町時代も,その前半は鎌倉には「鎌倉府」が置かれて引き続き“東の中心都市”としての役割を持ちました。ところがその鎌倉府の主である 鎌倉公方 と 関東管領 との対立,さらに公方の足利氏,関東管領の上杉氏それぞれの分裂と抗争によって関東は一足早く“戦国時代”に入り,戦乱の中で都市・鎌倉は衰退してしまいました。
やがて関東を統一した後北条氏が拠点を置いた 小田原 が相模,そして関東全体の中心都市となります。そしてその後北条氏が滅ぼされると徳川家康が入封した 江戸 が関東の,そして頼朝以来の「武士の都」の地位を獲得するわけです。
江戸に近い相模東部は幕府によって徹底的に支配が細分されたので,相模国全体を代表するような都市は発達せず,西部・小田原藩の城下町の小田原が首位に立つのみでした。幕府は江戸湾入口の 浦賀 に奉行所を置いて,防衛と物流管理の拠点としました。ペリー来航の地を「浦賀沖」と表現するのはこのことによります。
 ※ちなみに,徳川家康は浦賀を長崎に代わる海外貿易の拠点としようとした,という話があります。しかし,これは日本側,そしてスペイン・ポルトガル双方の事情で実現しませんでした。

[81089] hmt さん
讃岐で7つあった「戸数一千以上」の地名は、相模では小田原、横須賀、藤沢駅、浦賀の4つしかありません。

…に浦賀が入っているのも,このことによるのでしょうね。

こうして衰退してしまった鎌倉には江戸時代,鎌倉時代以来の寺院は引き続き散在しても,“都市・鎌倉”は存在しませんでした。松尾芭蕉は平泉を「つはものどもが夢のあと」と詠みましたが,鎌倉も全く同じ状況だったのでしょう。江戸時代後期になり,物見遊山の旅が庶民に広く浸透するようになると,大山詣でや江の島詣でを組み合わせた周遊ルートに鎌倉の古寺も組み込まれ,多くの参詣客を集めるようになります。長谷観音や大仏の前の長谷村や,鶴岡八幡宮前の雪ノ下村は,そのような門前町としての機能を持つ集落ですね。
それでも前述のとおり,1889(明治22)年の町村制施行の段階でも,鎌倉は 西鎌倉村 と 東鎌倉村 のそれぞれにまとめられただけ。「全鎌倉」として統合されるのはそれから5年後のことです。
今,私たちが目にしている“都市・鎌倉”は,明治後半になって保養地として注目されたことと,軍港・横須賀の後背地として海軍の高級将官の邸宅地とされたこと,そして1889(明治22)年に横須賀線が開通して東京および横須賀と直結したこと,…によって成立・発展してできあがった“新しい都市・鎌倉”です。鎌倉町の市制施行は1939(昭和14)年。横浜,横賀,川崎,平塚に続く県内では5番目のことですが,ずいぶんと遅い印象を受けませんか。

つまり,今ある「鎌倉市」と「頼朝の鎌倉」は都市としては連続していません。その点,応仁の乱以降の戦乱で都市構造が根本的に変わっても“千年の都”であり続けた 平安京(京都) や,平城京全体は衰退して消滅しても「南都」興福寺の門前町として生き続けた 奈良 と違うところです。
「明治13年共武政表」に鎌倉が見えないのは,こうした“2つの鎌倉”の間のすき間,ここに“都市”も“町”も存在していなかった時期にちょうどあてはまるものであることによるのだろうと思います。
[81096] 2012年 7月 14日(土)09:55:48オーナー グリグリ
Google Mapの自治体範囲表示
すでに気づいておられた方もいらっしゃると思いますが、グーグルマップの検索で自治体名を指定すると、その自治体の領域が薄赤色で囲まれた状態で表示されます。例えばこんな感じです。この表示は、自治体のさらに下位レベルでも行われます。

石川県加賀市吉崎町
福井県あわら市吉崎

上記は自治体越えの地名からの事例ですが、地名コレクションの地図データリンクに有効に使えるかもしれません。なお、範囲表示が行われるのは、地名検索結果だけでなく、左メニューの住所リンク(例:日本 > 石川県 > 加賀市)から表示する場合にも表示することができます。表示を消したい場合は、右上のプルダウンメニューの住所ラベルを非表示(チェックを外す)にします。もっと言えば、この住所ラベルを追加してチェックを入れれば、何個でも同時表示もできるようになります。

このサービスですが、ネットで調べてみると、今年の1月20日には開始していたようです。

ところで、この範囲表示ですが、左メニューの住所をどんどんドリルダウン(階層を下げていくこと)していくと、最後には番地範囲まで明示してくれます。住所データによってはうまく表示されない場合もあるようですが、私の場合は、丁目、号、番地まできちんと表示され、最後にはしっかりストリートビューまでサイドメニュー欄に表示されました。これはちょっと怖いかもしれません。
[81095] 2012年 7月 14日(土)07:55:47白桃 さん
大内郡の町数は三
[81075]YT さん
人口・町数など
[81086]むっくん さん
町であるか村であるかの判断基準
[81073]で書き込みました私の疑問に対して有益な情報をご教示いただきありがとうございました。
お蔭さまで、ぼんやりながらも先が見えてきたような気がいたします。もっとも、「その先にあるもの自体がはっきりしたものではない」ことが分った、というのが本音です。
以下は、私の頭の中での復習です。
[81066]にてYTさんが記されていますとおり、「日本地誌提要第6冊」(明治8年)には讃岐国大内郡の町数は3とありますが、これは125%、引田、松原(後の白鳥本町)、三本松のことであり、同寒川郡の町数2とは、85%の確率で志度、津田を指している、と考えています。そして、それを明確にしたものを見たいのであるが見当たらない。あったとしても、明治初期においては何らかの統一規準による裏付けのあるものではない。
脱線しますが、大内、寒川両郡の場合は「町」と「村」の区別がわりと分かりやすいのです。しかしながら、両郡が大川郡として編成され、その郡役所が「辺境」の「後進の町」長尾に置かれた、これも良く分かりません。

[81088]千本桜 さん
JR山ノ目駅がある場所は山目村ではなく中里村の領域です。また、また現在の新町、蘭梅町、山目町二丁目、山目町三丁目なども元をたどれば中里村の領域でした。ですから、本来は山目村と中里村の間に不自然な領域の入込みはありませんでした。
有難うございます。これで、すっきりいたしました。
ところで、「磐井」の件ですが、
A.磐井=一関
B.磐井=一関+山目
のどちらかでしょうけど、明治8年の「共武政表」には
一関驛4,365人、山目驛1,251人
となっておりますが、「市街名邑及び町村二百戸以上戸口表」には
(第一表)磐井4,969人、(第三表)赤荻村1,807人
となっており、「山目」の名は出てきません。
以上のことから、私もBではないかと思うのですが、磐井県が出来たときに一関の町を一時的に「磐井」と呼んでいたのではないかという考えも捨てきれません。

[81076]hmt さん
「戸数一千以上地名表」ですが、讃岐だけ「戸数500以上」に緩めて拾い上げてみました。
8位以下は、大内郡三本松村~ (9位以下略)
格段のご配慮有難うございます。(笑)
三本松には「煎鰯 砂糖」と記されていました。
そういえば子供のころ、”だしじゃこ”をおやつ代わりに良く食べていました。でも、あれはお酒の肴にするほうが・・・
[81089]hmt さん
讃岐で7つあった「戸数一千以上」の地名は、相模では小田原、横須賀、藤沢駅、浦賀の4つしかありません。
”かがわ”より「な」のある”かながわ”の一部である相模国で、「鎌倉」の名が見当たらないのも不思議ですが、当時は総称としてではなく、区画された街の名称を用いられることが一般的だったのでしょう。
[81094] 2012年 7月 14日(土)07:24:27オーナー グリグリ
Re:バスターミナルと高速道路
[81091] BEANさん
皆様お久しぶりです。
長い間に住所が東京都豊島区→さいたま市南区→大阪市平野区と変わりました。プロフィールも変更しておきました。
ほんと、お久しぶりです。また、関西に移られたんですね。経県値も少し上がったようですが、オフ会にもまた顔を出してください。お待ちしていますよ。

[81053] にまんさん
つくば便の場合も、途中の並木地区あたりになると、つくば駅まで2~3kmありますから、バスで駅まで出るなら、そのままバスでという需要も十分あると思います。大学が終点になっているのも同様の理由でしょうね。
岩井・水海道便の場合も通勤利用の中心は、絹の台~松前台のニュータウン地区でしょうが、このあたりも少し歩いて小絹駅か新守谷駅に出るか、バスで新守谷駅か守谷駅に出るかですから、乗換えなんかを考えると高速バスは魅力的でしょうね。
つくばの高速路線バスもやはりマイタウンダイレクトバスと同じように、駅までバス便利用客を取りにいってるんですね。実際に利用していると、想像を遥かに超えて非常に魅力的です。確実に座れて快適であること。乗り換えの煩わしさがないこと。車窓からの景色が楽しめること。時間が短縮されること(ドアtoドアまで考えると大幅に短縮される路線や人も多いと考えます)。今後、口コミなどで広がり、確実に発展すると予想しています。

[81051] Issieさん
まずは足元の高速道路(東関道と常磐道)が整備されたことと,それに加えて“首都機能の一部”を分散させた 筑波研究学園都市 と 鹿島臨海工業地域 の存在が大きいのではないかと思います。必然的に東京都心部との頻繁な往復を生み出すという点で。そしてもう1つは,これに対抗する鉄道交通があまりに弱すぎたこと(だから,TXの開通が大きな脅威だったわけですが)。
なるほど、鉄道交通の弱さも理由ですか。確かに私の場合は時間短縮が大きいです。
たとえば南西方面にあたる神奈川県内の場合,東急や相鉄,神奈中がその担い手になるのでしょうが,まだ様子見でしょうかね。田園都市線や小田急の混雑具合を見れば十分に需要はあると思うのですが,問題は「東名+首都高3号線」のみというルートの“細さ”かもしれません。
これは、首都高渋滞以外にも、一般道渋滞も影響すると思います。たまに町田周辺に車で出掛けたりすると、車の多さと渋滞の酷さに辟易します。いくら多摩ブランドが魅力とは言え、住むなら千葉がいいよと、ついつい周りに話してしまいます(話がちょっとそれましたね^^;)。

[81050] むっくんさん
終電が出た後の深夜バスですと、他にもまだまだありそうですが。
深夜バスは新橋駅から出ている便がかなりありますね。終電を逃した時には、私も何回か利用しました。鉄道駅にしか止まらないため、そこからまたタクシーなど利用しなければならず、料金も高いため、非常手段としての利用です。

[81091] BEANさん
首都圏では横浜のYCATは大規模駅に隣接する大規模バスターミナルで、近距離高速バスも湾岸方面やアクアライン方面の路線が多数ありますが、高速道路に近接した立地にもかかわらず直結はしていないのが惜しいですね。
高速道路に直結させる計画はなかったんですかねぇ。惜しいですね。
東名ハイウェイバスの停留所は駅から遠いが周辺人口は多いという場所が多く、東京駅直通でもあるので一種の裏ルートとして人気があるようです。渋滞対策としては東京行は用賀PAで降りて田園都市線に乗り換えられるようになっています。
なるほどね。利用可能客が限られるのと、都心まで到達するにはもうひと手段必要なところが、裏ルート以上でも以下でもないところでしょうか。

これまでの鉄道駅から広がる路線バスルートではなく、高速路線バスルートが本格的に整備され、バス路線を補完する意味で鉄道駅に高速直結のバスターミナルを整備するという考え方が、これからの都市整備のあり方の一つとして出て来てもいいなと、期待も含めて考えています。長距離は高速バス、都心の足回りは電車という構図です。
[81093] 2012年 7月 14日(土)06:49:41オーナー グリグリ
Re:路線図作成の苦労
[81090] みかちゅうさん
路線図というものは「ある一時期の情報を作成すること」よりも、「頻繁にある改正情報を収集し、更新すること」の方が大変です。
その通りですね。相当の覚悟と労力が要求されるでしょう。
ホームページのリンク集ぐらいなら可能かもしれません。事業者は公式サイトのリンクを掲載し、自治体バスはバスの時刻表・路線図などのページをリンクするようにします。
確かにこれくらいのイメージで考えるのが妥当かもしれません。
その点、Bus Service Mapはうまく作成していると感じます。
おっしゃる通り、このサイトの路線図(pdf)はきれいに作られていると思います。リンク集などもありますので、もう少し体系的に整理し、HPとしての完成度を上げれば、さらに使いやすく見栄えのするサイトになるでしょう。ただ、サイトの歴史も古いようですし、一時運営を休止していたりと、かなり苦労されているようです。どのようなスタッフ(複数人?)で運営しているんでしょうね

(利点)
○頻繁な更新・修正が容易
○発行コストが低い
○ホームページ作成程度の技術ならある人も多い
路線図に限らず、地図全般のネットの利点として付け加えるなら、
○拡大・縮小が容易
○継ぎ目がない
は見逃せないでしょう。タブレット端末の普及により、この利点が最大限生かされることになると思います。私自身、決してネットマップ派ではないのですが(紙は紙の良さがある)、他の利点と合わせると、機動性、鮮度、使いやすさなどから、実用的にはネットを利用します。紙はどちらかと言うと資料性や娯楽性を強調して生き残っていくのではないかと考えます。
[81092] 2012年 7月 14日(土)06:20:24オーナー グリグリ
momoe.yamaguchi.jp や ryo.ishikawa.jp は誰の手に?
[80997][81024]で話題にしていた都道府県型JPドメインの申請受付が始まります。詳細は、JPRSのこちらのページをご覧ください。それによると、通常の先着順である「通常登録申請」に先立ち、登録商標の権利者が優先される「優先登録申請」と、抽選による「同時登録申請」が行われます。各々の募集開始は次の通りです。
申請種別募集期間抽選備考
(1)優先登録申請7月16日~8月19日~9月中旬登録商標の権利者優先
(2)同時登録申請9月17日~10月21日~11月上旬抽選方式
(3)通常登録申請11月19日以降随時先着順

(1)は、例えば、TOSHIBAという商標を持っている東芝は、toshiba.tokyo.jp をはじめ、全国47都道府県全部の toshiba.xxxxx.jp (xxxxxは都道府県名)を申請できます。ただし、同じ商標を持っていると競合しますので、申請が重複した場合は抽選となります。(2)は、申請に特別な条件はなく、通常の先着順に先立って混乱を避けるため、申請を溜めて抽選で決めるためのものです。

さて、ここで気になることがあります。山口県(yamaguchi)、石川県(ishikawa)、宮崎県(miyazaki)など、苗字としてもランキング上位のドメインが、本来の都道府県名ではなく、苗字として使われる可能性が非常に高いという点です。都道府県型JPドメインの申請条件に、当該都道府県との関連性が問われていないため、言わば、汎用JPドメインの一種に過ぎないという見方もあるかもしれませんが、やはり好ましくないと感じます。

表題に挙げたような有名人の名前そのままのドメインは、申請が殺到する可能性があります。

momoe.yamaguchi.jp
ryo.ishikawa.jphttp://www.ryo-ishikawa.jp/
sayuri.ishikawa.jphttp://www.ishikawasayuri.com/
aoi.miyazaki.jphttp://www.aoimiyazaki.jp/

上記の有名人のオフィシャルサイトのURLを併記しておきましが(山口百恵さんはない)、これらはちょっと魅力でしょう。(1)の優先登録で取得できる可能性のある(商標登録している)会社もありそうです。ちょっと気になりますね。もし、(1)で上記のような申請がなかったら、(2)で申請してみようかな。

有名人に限らず、個人が自分の名前を申請するのも普通に行われることでしょう。自分の子供や孫の誕生記念に取得するなんてことも。そうするとますます競合が起きて、プレミアムが付く可能性は十分にあります。
[81091] 2012年 7月 14日(土)01:23:30BEAN さん
バスターミナルと高速道路
皆様お久しぶりです。
長い間に住所が東京都豊島区→さいたま市南区→大阪市平野区と変わりました。プロフィールも変更しておきました。

[81049]グリグリさん
首都高を毎日乗車していると、たくさんの高速路線バスが走っているのが分ります。京成系、関鉄系、JR系が中心ですが、都市交通の重要な一翼を担いつつあるんじゃないかなぁと、期待を込めて考えています。東京駅に首都高と直結するバスターミナルを作るなんて考えないですかねぇ。高速道路直結ではありませんが、第4回オフ会の帰路に利用した、西鉄の天神バスターミナルのイメージです。高速に直結するバスターミナルってありましたっけ。また、駅に直結する大規模なバスターミナルってどこかな。名古屋の名鉄バスセンターも規模が大きいかな。私鉄系が多い感じがします。

高速道路直結のバスターミナルというと、大阪には難波のOCATがあります。JR難波駅直結でもあるのですが、地下鉄や近鉄はまだしも南海難波駅からは結構離れています。南海の駅には「なんば高速バスターミナル」があって、OCATと両方で乗降できる路線と片方でしか乗降できない路線があるというのがややこしいところです。

首都圏では横浜のYCATは大規模駅に隣接する大規模バスターミナルで、近距離高速バスも湾岸方面やアクアライン方面の路線が多数ありますが、高速道路に近接した立地にもかかわらず直結はしていないのが惜しいですね。サンシャインシティは高速バス直結のバスターミナルとも言えますが、残念ながら池袋駅からは距離があります。

東京駅には高速道路直結の駐車場があり、送迎用に「八重洲高速降り口」があるものの、首都高速八重洲線の建設が古かったためにバスターミナルは作られていません。今から作るには何年も通行止にして工事をすることになりそうです。

[81051]Issieさん
一般に大規模なバスターミナルが整備されているのは地方中核都市が多く,それが駅のそばにあるのはあまり多くないように思います。恐らくは,
・面的な広がりを持った地域圏内の交通の大部分を民営の長距離路線バスが担ってきたこと
・もともと鉄道は建設当時の既存市街地を避けて敷設されるものであり,必然的に鉄道(特に国鉄・JR)の駅は(その当時の)町外れに設置されること
・既存の道路を利用するバスは市街中心部に乗り入れることが容易であり(これが鉄道に対する優位性でもある),都心部にターミナルを求めたこと
・バス事業者間に,しばしば行政も関わってターミナルが整備される際に,町外れの鉄道駅ではなく都心部に立地を求めることが多かったこと
…などが理由にあるのではないかと思っています。

札幌では札幌駅前と大通地区(中心部とは創成川を隔てた場所)の両方にバスターミナルがあります。そのように複数のバスターミナルができる大都市を除くと、バスターミナルが駅前にできるか旧市街地にできるかはその土地の事業者次第だと思います。中心部の土地を確保するのは(鉄道駅ほどではないにしても)難しいので、鉄道との乗り換えに便利な駅前をバスの発着点とする例も多くあります。

高速バスそのものは東京圏内では東名や中央道方面の路線の開設が早かったわけですが,どれも“都市間交通”の性格が強く,国鉄(JR)の補完的な立場をなかなか脱しきれなかったのに対して,通勤輸送も含めた“都市内交通”としては東関道や常磐道沿いの北東方面が立ち上がりが早かったですね。まずは足元の高速道路(東関道と常磐道)が整備されたことと,それに加えて“首都機能の一部”を分散させた 筑波研究学園都市 と 鹿島臨海工業地域 の存在が大きいのではないかと思います。必然的に東京都心部との頻繁な往復を生み出すという点で。そしてもう1つは,これに対抗する鉄道交通があまりに弱すぎたこと(だから,TXの開通が大きな脅威だったわけですが)。
筑波や鹿島と結ぶ“幹”が太くなれば,そこから“枝”を広げるハードルは比較的に低くなる,という事情もあるのかな,と思います。
ひるがえって,たとえば南西方面にあたる神奈川県内の場合,東急や相鉄,神奈中がその担い手になるのでしょうが,まだ様子見でしょうかね。田園都市線や小田急の混雑具合を見れば十分に需要はあると思うのですが,問題は「東名+首都高3号線」のみというルートの“細さ”かもしれません。
それは,はるか西の山梨県内にまで及ぶ「中央道+首都高4号線」もたぶん同じ。

東名ハイウェイバスの停留所は駅から遠いが周辺人口は多いという場所が多く、東京駅直通でもあるので一種の裏ルートとして人気があるようです。渋滞対策としては東京行は用賀PAで降りて田園都市線に乗り換えられるようになっています。

大阪ではやはり鉄道が優勢で、つくばや鹿島のような穴場も乏しいので近距離高速バスは少ないのですが(梅田~有馬温泉くらい)、神戸からは神姫バスの三田行・西脇行に加えて淡路島方面のバスが充実しています。ただ、ここでも中心的なミント神戸に加えて少し離れた神姫バスのバスターミナルやさらに路上のバス乗り場から出る路線があって複雑になっています。
[81090] 2012年 7月 14日(土)00:36:51みかちゅう さん
路線図作成の苦労
[81084]H2 さん
随時更新してネット上でPDFなりで公開して、必要な人が各自で端末に取り込む、もしくは印刷する
印刷物と比較したときのネット上の利点・欠点を考えると
(利点)
○頻繁な更新・修正が容易
○発行コストが低い
○ホームページ作成程度の技術ならある人も多い
(欠点)
○事前に印刷しないと出先で見られない
○携帯端末で見るには概観がつかみづらい
○家庭用のA4プリンターで出力すると枚数が増える・ページの境界の接合が面倒
…といったことが挙げられます。

普通の道路地図なんてネット上でいくらでもタダで見られる・印刷できるではないかと思われるでしょうが、適当に印刷するとページの境界が微妙にずれたりして分かりづらくなってしまいます。その点、ページの境界が1cmずつ重なっているような道路地図の本や、新聞紙サイズで一望できるようなのは重宝します。
在庫コストとの兼ね合いを考えるならば、一度に数百枚単位で印刷するのではなく、市役所などの大型プリンターで随時出力できるようになればいいんですけど。まぁ、1枚100円ぐらいの有料頒布になってしまうのは仕方ないかもしれませんが。

市内全域の地図を入手するために市役所に行くことがありますが、「有料頒布するならばそれなりに改訂版を作ってほしい」と感じます。少々古くてもタダなら仕方ないと割り切りますが、金を払ってまで買う人はいないでしょう。20年ぐらい寝かしておけば「資料」として価値が出るかもしれませんけど。


[81087]グリグリさん
路線図というものは「ある一時期の情報を作成すること」よりも、「頻繁にある改正情報を収集し、更新すること」の方が大変です。一昔前の地方都市ならば事業者がせいぜい3社程度なので、事業者が現在のように改正情報を発信してくれるのであれば更新作業は容易です。改正の少ない2月や8月あたりに集中的な現地調査をやれば、大都市圏でもなければ相当の範囲を回ることができるでしょう。大学でゼミを立ち上げて、メンバーに車の運転が好きな人がいれば結構できるかも。ところが最近では、市町村営バスに加え、貸切バス・タクシー事業者の参入、地元運営の事実上住民専用バスetcと、運行主体もさまざまで情報も入りづらくなっています。

例えば、横須賀市にハマちゃんバスという自治会が主体で運営しているものがありますが、具体的な経路や時刻がネット上でつかめないのです。Bus Service Map作成要領照らし合わせると、ハマちゃんバスは建前上「料金は取らないが謝金や協賛金は受け付ける」としているので記載対象外としている模様。

他にも数か月~1年以上にわたって行われる「試行運行」も悩ましいところ。旭中央地区コミュニティバス(乗合タクシー型)実証運行は4月~7月の4か月にわたって実証運行が行われていますが、こちらはBus Service Mapの「旭大和地区」の図に掲載されています。

さて、「全国バスデータベース」のデータを元にきれいな路線図が描けるかというと…1系統ごとに線を引くとターミナル駅周辺でごちゃごちゃになってしまうし、単純に路線のあるところに1本引くだけなら従来の道路地図となんら変化がありません。元データの情報更新も年に1度のレベルでしょうし。せいぜい「ある特定の停留所がどこの事業者が運行しているか」が事前に分かれば、ホームページを見る・電話で問い合わせができるというぐらいでしょうか。その点、Bus Service Mapはうまく作成していると感じます。

当サイトで同様のデータを整備する、加えて、時刻表データも集める、てなことが実現できれば、ビジネス展開もできるかもしれませんが、そこまでのサイトパワーが現状ではないのが残念です。
ホームページのリンク集ぐらいなら可能かもしれません。事業者は公式サイトのリンクを掲載し、自治体バスはバスの時刻表・路線図などのページをリンクするようにします。問題は、かつてほどの活気はない「落書き帳」に情報が広く集まるかと、広報誌などをこまめにチェックする協力者が落書き帳内に確保できるかです。
[81089] 2012年 7月 13日(金)23:35:26hmt さん
明治13年共武政表を眺める (3)相模国
讃岐[81076]に次いで、明治13年共武政表の 相模 を眺めます。

明治13年共武政表と、ほぼ同時期である明治14年3月に内務省地理局から出版された『郡区町村一覧』の 神奈川県 もリンクしておきます。こちらは武蔵国に属する1区6郡(現在は横浜市と川崎市になっている久良岐郡・橘樹郡・都筑郡と「三多摩」)が、相模国9郡を併せて管轄していました。

その“神奈川県相”[47125]という地域の前身は、明治9年に分割された足柄県でした。
再編成前の足柄県は、相模国プラス伊豆国(伊豆七島を含む)という、現在の石川県を思わせる南北に長い県でした。

この相模9郡の物産欄を見ると、「米、麦…」で始まる郡が続いています。
唯一の例外は hmtの出身地・津久井郡で、生糸に始まる山村の産物が、平野部を持つ郡との違いを示しています。
車両の数も最小ですが、少数ながら船舶もあり、相模川舟運が存在したようです。

讃岐で7つあった「戸数一千以上」の地名は、相模では小田原、横須賀、藤沢駅、浦賀の4つしかありません。

高座郡藤沢駅を見ると、
大久保町、坂戸町、鎌倉郡西富町、大鋸町 合1262戸 6235人 土俗藤沢駅と唱ふ
とあります。

[81020] 白桃 さん が、讃岐大川郡に記されている“土俗森ト唱フ”について疑問を呈しておられますが、その同類です。

落書き帳過去記事を調べたら、藤沢については [49271] Issieさん による詳しい解説がありました。
藤沢は境川に架かる東海道の藤沢橋をはさんで高座郡と鎌倉郡とにまたがる宿場町で,西から順に高座郡側の「坂戸町(さかどまち)」「大久保町(おおくぼまち)」,鎌倉郡側の「大鋸町(だいぎりまち)」,そして遊行寺の周囲の「西村」の4つの地区を総称して「藤沢宿」と呼んでいました。

その後の改称やら合併やら複雑ですが、明治になってからも引き続いて 藤沢宿>藤沢駅という総称が用いられ、共武政表にも使われているということようです。

このような現地で使われていた総称の扱い。
藤沢のように現在の市名に採用された地名は問題ないのですが、森の場合は、当時の現地の呼び方が記録されないまま失われ、今となっては“そういう呼び方を聞いたことがありません。”ということになるのでしょう
また、総称が どこまで採用されているのかも、曖昧なのかもしれません。例えば三浦郡を見ると、三崎日ノ出町以下三崎を冠する8町が並んでおり、合計807戸になりますが「三崎」という単一の町場の名として扱われてはいません。

浦賀は、現在では横須賀市の一部になっていますから、現在相模にある 17市のうち「戸数一千以上」の地名に記録されたのは、僅かに3市ということになります。
藤沢より先に市になった平塚はと見ると、大住郡平塚駅と須賀村[77631] とを合せても 1000戸になりません。

「戸数一千以上」に達しない 落選市の中の大物は、言うまでもなく相模原市。
「軍都」相模原が誕生するよりも 60年も前の陸軍が作った統計資料ですから、姿が見えないのも当然。
それでも、現在の相模原市域には、高座郡上溝村が 475戸と記録されています。
[81088] 2012年 7月 13日(金)20:05:41千本桜 さん
山目と中里の関係。輻輳地の鹿島台とはどこか。高須賀の輻輳地は荒浜
[81073] 白桃さん
山ノ目駅西側と(一関駅方面から来て)磐井川を渡った一帯の山目は同じ山目(旧村→旧町)なのでしょうか、多分そうなんでしょうけど、だとすると(旧)中里村が入りこんでいて不自然な気がします。
JR山ノ目駅がある場所は山目村ではなく中里村の領域です。また、また現在の新町蘭梅町山目町二丁目山目町三丁目なども元をたどれば中里村の領域でした。ですから、本来は山目村と中里村の間に不自然な領域の入込みはありませんでした。ではなぜ中里村にJR山ノ目駅や山目町があるのかというと、これには宿駅「山目」の存在が絡んでいます。山目宿は山目村と中里村に跨がる宿場で、山目町(現在の山目町一丁目、二丁目)と呼ばれる町場を形成していました。山目村に属す町場は現在の山目町一丁目、中里村に属す町場が現在の山目町二丁目です。中里村の内に山目町という町場があったわけですから、中里地区民はJR山ノ目駅や山目町二丁目の呼称も自然に受け入れていたと思います。

[81048]
明治11~13年当時、一関と山目の町並みは一体化していたのだろうか。
と書きましたが、角川地名大辞典を読んでみると、磐井川で分断されるものの、連続した町並みの様子が見えてきました。

明治11、12、13年の共武政表を見て思うのですが、宮城県の輻輳地のうち、下記の2箇所は場所を勘違いする人がいるかもしれませんね。
輻輳地明治11年の表記明治12年の表記明治13年の表記
鹿島台記載なし鹿島臺126人鹿島臺127人
高須賀高須賀村2,352人高須賀2,301人高須賀1,770人
共武政表は人口120人ほどの小さな輻輳地「鹿島台」を掲出しています。鹿島台とはどこを指すのでしょう。現代の我々が思い浮かべる鹿島台の町並みといえば、平渡地区(藩政村の平渡村)に展開するJR鹿島台駅前の町並みでしょう。でも、江戸~明治初期において平渡村内に鹿島台と呼ばれる集落があった話は聞いたことがありません。しかし、平渡地区に隣接した広長地区(藩政村の広長村)には元鹿島台(通称)という集落があり、2.5万分の1地形図にもその名が記載されています。また、宮城県各村字調書によると広長村に鹿島台(たぶん通称)があり、鹿島台には鹿島、琵琶原という二つの小字が記載されています。鹿島、琵琶原を頼りに場所を探すと、2.5万分の1地形図の元鹿島台と同じ場所に行き着きます。よって、共武政表の鹿島台とは元鹿島台の集落を指していると判断します。
また、共武政表は輻輳地「高須賀」を掲出しています。現代の我々が思い浮かべる高須賀はここ。でも、明治13年共武政表の輻輳地「高須賀」は、高須賀村の端郷で河口港の荒浜を指していると判断します。
[81087] 2012年 7月 13日(金)19:52:52オーナー グリグリ
路線バス活性化
路線バスの話題が続いていますが、私から情報提供2件です。
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一つ目は、全国バスデータベースという情報があります。生活情報を中心にデータベース販売を手掛ける、株式会社ナビットの新しい商品です。「全国バスデータベース」には、停留所名(ふりがな、経緯度)、路線名、バス会社名が含まれていますが、時刻表データはありません(リンクページにサンプルデータがあります)。業者向けの販売なので、全国データの一括買取価格で300万円と高価ですが、自ら調査することを考えれば決して高くはないのかもしれません。仮に、落書き帳有志から寄付金を集めて一括買い取ったとしても、そのまま当サイトに掲載することはできないでしょうね。地図にマッピングするなど何らかの加工を加える必要があるでしょう。こちらの会社は全国に地域特派員(SOHO)を45,200人(2012.3.1現在)抱えており、全国のごみカレンダーやコンビニデータなど、生活密着データを得意としています。

当サイトで同様のデータを整備する、加えて、時刻表データも集める、てなことが実現できれば、ビジネス展開もできるかもしれませんが、そこまでのサイトパワーが現状ではないのが残念です。

[81045] にまんさん
地図形式の路線図だと、Bus Service Mapというところにもあります。公式のものではなくネット上の集合知のようなものですが、更新頻度も高いし、私は重宝してます。
[81057] みかちゅうさん
美祢市内全域のようなある程度広い範囲の路線図を作成する際に参考になる本として、バス路線図を制作している個人・団体などが共同で執筆した『バスマップの底力』(全国バスマップサミット実行委員会 編著)というものがあります。
どちらの情報も興味深いですね。Bus Service Mapは個人サイトで相当の労力を割いているのが分かります。体系的ではありませんが、リンク情報も豊富で鮮度も高いので重宝しそうです。全国バスマップサミット実行委員会は使いやすいバスマップを追求しようとする市民団体のようですが、地域のNPO法人などが幹事団体になって、独自の出版なども手掛けているんですね。みかちゅうさんが紹介されている「バスマップの底力」は手に入れてみたい本です。ブックオフで探すかアマゾンで中古本買おうかな。Bus Service Mapの運営者もこの本の執筆に関わっているんですね。
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二つ目は、日経ビジネスに掲載された最近の記事紹介です。日経ビジネス7月9日号の特集記事「バスの未来」には、斜陽化が進むバス産業の復権に向けて、地方の復活事例を紹介しています。特に興味深かったのは、お客様の路線バスに対する不安や知識不足を徹底的に解消することに努め、利用者を呼び戻し増収につなげた、北海道の十勝バスの事例と、乗車データをきめ細かく分析し、停留所位置やバスルートを柔軟かつダイナミックに変更することにより、利便性を高めて利用者増につなげた、埼玉県川越市に本社のあるイーグルバスの事例です。職場に日経ビジネスがある方もいらっしゃるかと思いますが、一読されてみてはどうでしょうか。

NHK総合で土曜日の夕方「路線バスの旅」という番組がありますが(東海・北陸は別番組みたいです)、路線バスを乗り継いで旅するプランを作る・募集するという企画があると面白そうですね。観光テーマや旅行期間を設定して。
[81086] 2012年 7月 13日(金)18:17:53むっくん さん
町であるか村であるかの判断基準
[81073]白桃さん
2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。
まず、全国的な町村の一覧表というのはおそらく
(1)「各府県村名調査報告」(明治7年現在)([81075]YTさん)
(2)「郡区町村一覧」(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12~13年現在)
(3)「各町村字小名取調調」「各町村字名称調」(明治14年現在)([81075]YTさん)
(4)「地方行政区画便覧」(著・出版:内務省地理局、M20.10)(明治19年1月現在)
の4つだけではないかと思われます。

次はどこが町で、どこが村かという基準についてです。
(1)においては各府県が町村を独自に分けて数えています。種別として出てくるのは基本的には「町」「村」の2つですが、一部の府県では「町」「村」の2つのみならず「駅」と「宿」をも分けて数えているところがあります。
(2)と(4)においては、内務省は町村を「町」「村」に分けて数えています。

各府県が出している統計書では、当初は(1)と同様に基本的には「町」「村」の2つですが、一部の府県では「町」「村」の2つのみならず「駅」と「宿」をも分けて数えているところがありました。その後明治10年代後半になると内務省乙第36号達(府県統計書様式)(M17.9.3)に従い、「町」もしくは「村」の2つのいずれかとして集計しています。
#各府県の統計書は郡区町村編制法が施行された明治11年に政府が様式を定めて各府県に出すことを求めたものです。ただし、当初は統計書を出すこと自体が困難を極めることより、定められた様式を守ることよりも、とりあえず発行することを優先的に政府は求めました。明治10年代後半になると各府県の統計書を見る限り様式は一様であり、その一項目としてすべての自治体・行政区画を郡・区・町・村として集計しています。

郡区町村編制法の時代の各府県が出している統計書(但し内務省乙第36号達(府県統計書様式)(M17.9.3)以降のもの)、(2)、(4)を比較してみます。
神奈川県の統計書(e.g.神奈川県県治一斑(明治21年)(編・出版:神奈川県、M25.3.1)M21.12.31現在)では「宿」を「村」として集計しているのに、埼玉県の統計書(e.g.埼玉県統計書(明治20年)(編:埼玉県第一部庶務課、出版:埼玉県、M23.5.))では「宿」を「町」として集計しています。(2)及び(4)ではいずれの県の「宿」をも「町」として集計しています。
#(2)の例としての神奈川県南多摩郡及び埼玉県北足立郡、(4)の例としての神奈川県南多摩郡及び埼玉県北足立郡
兵庫県の統計書(e.g.兵庫県統計書(明治19_20年)(編・出版:兵庫県、M22.8.28))では武庫郡の西宮鷲林寺新田と西宮柏堂新田を「村」ではなく「町」として集計しているのに対して、(2)及び(4)では「村」として集計しています。

次に(2)郡区町村一覧の例言では
宿 駅 里 郷 荘 組 通 小路 新田 出作 受所 島 浦 浜 等と称する類は其名に拘らず其実に従ふ
とあります。そして(4)地方行政区画便覧の例言では
町村と並立したる地名にして町村と称せず何宿、駅、通、湊、小路、新田、出作、分、受、島、浦、浜、山、里、竈、捌、搦等と称するもの及単に名張(伊賀国名張郡)新鼻、別行(越後国北蒲原郡)等と称するものの如きは町村の文字なきが故に町村の区別判然せず。由て町の性質あるものは特に*を標し村の性質あるものと混淆せさをしむ。但一市街中(三重県伊勢国安濃郡津の内 榎ノ下、新道、丸ノ内の類)にあるもの並宿、駅は之を略す。
とあります。
郡区町村編制法(M11.7.22)でも条文上特に「町」と「村」を分けた規定は見あたりません。

以上から考えられる合理的結論としては、市制町村制以前においては、集計の都合上便宜的に「町」と「村」に分けていたという程度のものであり、“どこが町で、どこが村かという基準”は存在しなかった、というものではないでしょうか。

この点は市制町村制施行以後では異なり、「市」でない各自治体は「町」と「村」のいずれかとなったようです。
以前にも話題となった神奈川県南多摩郡日野宿を一例として見てみることにします。
市制町村制施行以前においては、国の下部組織である神奈川県は日野宿を「村」として、内務省は(2)や(4)において日野宿を「町」として集計していました。
市制町村制施行以後においては、実務を担う神奈川県に合わせたためでしょうか、国の下部組織である県は従前どおり日野宿を「村」として集計し([78794])、国も日野宿を「村」として取り扱ったようです。
明治二十三年 日野宿・桑田村・七生村衆議院選挙人名簿(『日野市史史料集近代2社会・文化編(編・発行:日野市史編さん委員会、S54.3.31)』pp.117-119)では、
神奈川県第三区
 衆議院選挙人名簿 
  南多摩郡 北多摩郡 西多摩郡

日野宿
 村長 中嶋傅之助

伊藤庄七     岩渡吉蔵
(略)
とあり、日野宿の首長の名称は村長とあります。
[81085] 2012年 7月 13日(金)00:28:20H2 さん
路線バスで秋芳洞から別府弁天池に足をのばす
折角なので、路線バスで秋芳洞から別府弁天池に足をのばすバスダイヤを拾ってみました。※印が実際に利用できそうなダイヤです。秋芳洞方面に戻らずに、西の於福の方に向かって、秋吉ファームガーデンでブルーベリー摘みを楽しむとかもありですね。

秋芳洞―流田(区間抜粋)
平日
07:10―07:30
08:30―08:50※
10:20―10:40※
11:45―12:05※
14:20―14:40※
土日祝日
08:20―08:40※
10:30―10:50※
13:30―13:50※

流田―秋芳洞(区間抜粋)
平日
08:50―09:10
10:30―10:50
12:00―12:20※
13:06―13:26※
15:22―15:42※
17:56―18:16※
18:56―19:16
19:56―20:16
土日祝日
08:36―08:56
12:06―12:26※
13:26―13:46※
15:16―15:36※
[81084] 2012年 7月 13日(金)00:13:33H2 さん
美祢市内の路線バス
[81057] みかちゅう さん
ご紹介いただいた本、面白そうですね。路線図とか好きですが、血はそう濃くはないので、ポンと買うには躊躇する値段ですけど、読んでみたいと思います。ありがとうございます。

美祢市内の路線については、幸い、各バス会社からホームページ上にて時刻表データはほぼ提供されています。
山口県バス協会 路線バス案内
秋吉台かるすとタクシー
防長バスのみ、ネットでは主要バス停しか調べることができませんが、以前電話で問い合わせたところ、必要なら市内関係路線の全バス停が載った時刻表をFAXしてくれるとのこと。お盆には帰省するので、その際に各社に紙の時刻表をもらいにいくことも考えています。ちなみにサンデンバスのサイトもちょっとわかりにくいです。宇部市営バス(宇部市交通局)では全バス停の読みが整理・提供されていて、これが本来あるべき姿と思います(美祢市内には1つのバス停しかないのですが)。

運賃情報は網羅しようとすると大変ですね。距離がベースでも直接的には三角表にもとづく必要がありますからね。市のバスブックはA5判36ページですが、さすがに運賃情報は載っていません。間違い等については以前電話で市の担当部署に伝えてありますが、その後もいくつか発見したので、一通りまとめたら再度伝えておこうと思っています。

[81070] にまん さん
下関ご出身なんですね。

そうですね、年間150万人(重複カウントを除くと100万人程度かな)の美祢市への観光客(美祢市総合観光振興計画)のうち、ほとんどはクルマ(レンタカー含む)か貸切バスですよね。ただ以前、某掲示板の関係スレを覗いていて、路線バスで秋芳洞まで行く予定の方がいらしたんですよ。新山口駅などから秋芳洞までは路線バスとは言えど観光客も想定した路線で本数もそこそこありますし。秋吉台・秋芳洞以外のオススメのポイントとして別府弁天池がよく挙がり、そばに複数ある食堂(自分はいつも弁天会館)でのマス定食(1360円)もオススメなんですが、クルマがないとちょっと行きにくい。その時もその方は断念されたのですが、路線図と時刻表を見てみると、事前に上手く計画を立てれば行けなくはないことがわかったんです。

現在は船鉄バスに運行委託されている、あんもないと号という1乗車・定額200円の路線バスが複数路線あるのですが、これで1本で行って、1本で帰って来れるんです(大田・秋芳洞方面から嘉万天神前経由で於福・美祢駅方面を結ぶ路線がある)。流田(ながれだ)もしくはその次の堅田(かたた)が別府弁天池の最寄りのバス停になります。数本ずつしかありませんが(平日ダイヤの方が多い)、事前に計画を立てればダイヤ的にも十分利用できます。しかし市の観光案内サイトでも紹介されていませんし、ましてや地理感がない方が自分で探し出すのはちょっと困難ですね。

そんなわけで、路線バスで秋芳洞まで来る方にもぜひ別府弁天池にも足をのばしてほしいなと思うし、他のちょっとしたスポットも同じことが言えそうだし、そうした利用で少しは閑散バス路線の乗客が増えればいいし、市の観光部署やバス会社も少しはその辺を意識してくれるようになるといいし、なんてことを思っています。とりあえず、某掲示板の関係スレでは、別府弁天池への具体的なダイヤを紹介していくつもりです。観光客の1%(もいないかもしれませんが)が路線バスや高速バスで秋芳洞まで来ると仮定して、その半分でも路線バスで別府弁天池に行くとしたら、閑散バスにとってはインパクトありますよ。

美祢市発行のバスブックについて、来年以降の発行は未定らしいのですが、各社のダイヤ改定時期が微妙に違うので、難しくなってくるかもしれませんね。随時更新してネット上でPDFなりで公開して、必要な人が各自で端末に取り込む、もしくは印刷する、という方法ででも発行が続くといいんですけど。ただし、便利さ・わかりやすさについての問題が別にあって、単純に系統分けしにくい複雑な経路をどこで分けて横に並べるか、(ページ数の節約のために)平日ダイヤと土日祝日ダイヤが混在していてわかりにくいなど、限界もありますね。
[81083] 2012年 7月 12日(木)22:52:29にまん さん
Re:テレビ制作への情報提供をお願いいたします!!
・大田区は七辻に信号を立てようとしてなぜ最終的にはたてなかったのか?
・また交差点に信号機を立てる多叉路のに基準は大田区が定めているのか?
・信号を立てようとしていたのは今から何年前か?
・七叉路になってから死亡事故は一件もおこってないか?
このはじめの4つの質問については、ここで回答を得たとしても、関係当局に確認しなければ番組には使えないと思うので、結局のところ、蒲田警察署と大田区役所(場合によっては警視庁と東京都庁)に聞いてくださいということになると思います。

ちなみに信号の設置は、自治体からの要望、協議はあると思いますが、最終的には警察の管轄になります。
[81082] 2012年 7月 12日(木)22:42:07オーナー グリグリ
公式ツイッター、女性首長など
[81056]煮豆さん、[81074]かすみさん、女性首長と公式ツイッター情報をありがとうございます。他にもメールで情報をいただいていますので、週末にまとめて更新したいと思います。よろしくお願いいたします。そう言えば、自治体越えの地名コレクションの更新も滞っています。何とかしないと....
[81081] 2012年 7月 12日(木)22:29:17オーナー グリグリ
Re:明治5年国郡別石高と人口・町村数
[81059][81068]のYTさんの書き込みですが、落書き帳への大量の連続書き込みであり、気になる方もいらっしゃるかと思います。この件は以前も私の考えを書き込ませていただいたことがありますが、資料として非常に貴重な内容なので、落書き帳の書き込みをすべて保存するという方針からして、十分容認できると考えています。

これらの書き込みの生かし方としては、まず、マガジンの特集に採用してもらい(白桃マガジンが妥当でしょうね)、その後、独立ページとして企画化するのが理想だと思います。hmtマガジン白桃マガジンがそういう道筋を作るきっかけにもなっていただけると、本当に素晴らしいと思います。マガジン編集者の方に過度の負担を与えるつもりは毛頭ありませんが、少しずつ充実していけたらいいですね。

私自身もマガジン創刊を目論んでいます。都道府県市区町村のサイト系譜や企画メニューの歴史などを中心にまとめようかなと考えています。新たなマガジン創刊に名乗りを上げる方、お待ちしていますよ。
[81080] 2012年 7月 12日(木)22:14:30【2】オーナー グリグリ
Re:西の長崎、東の佐倉
[81078] 伊豆之国さん
佐倉市民なら皆知っているというこの合言葉。さて、この両市の共通項とは何でしょうか?
佐倉市民歴12年ですが、知りません。聞いたこともありません。
最近のTVというのは報道も含めて極めていい加減で軽薄な証拠かなと。それとも私が無知?

【追記】
表題で検索してすぐに分りました。佐倉で育って地元の学校に通った人なら聞いたことがあるんでしょうね。それにしても「佐倉市民なら皆知っている合言葉」というTV特有の言い回しは本当に腹が立ちます。放送作家や脚本家、あるいは、ニュースディレクタもそうですが、不勉強で洞察力が足りない風潮は本当に心配です。というか、うけ狙いの脚本しか採用されないんでしょうね。良識と洞察力のある人は排除されてしまうのでしょうか。
[81079] 2012年 7月 12日(木)22:09:24オーナー グリグリ
Re:政令指定都市ラベル
[81058] ゆうさん
厳密に言えば、JPドメインの運用がはじまったのは1986年のことですが、当時はまだ地域型ドメインはありませんでした。地域型ドメインがはじめて登場したのは1993年のことで、その時点で既設の指定都市ラベルが割当てられました。
なるほど、地域型ドメインの導入はJPドメイン運用開始後、1年間の実験期間を経て導入されたんですね。認識不足でした。ご教示ありがとうございます。
地域型ドメイン名の導入実験
このJPNICのレポートは興味深いですね。私もまんざら関係しないとは言えない業界にいますし、JPNICやJPドメイン管理業務を引き継いだJPRSにも知り合いがいますが、これまであまりドメインについては深く認識していませんでした。ところで、上記レポートには、
地域型ドメイン名の割当てを受けられるのは、次のいずれかに該当する組織/個人です。
1.その地域でドメイン名を使用する個人、あるいはその地域在住の個人
2.高等学校以下の学校、その地域所在の学校法人
3.その地域を中心に活動する法人、法人に準ずる組織
4.属性型ドメイン名の属性AC、GO、ORに該当する組織のうち、その地域内に所在するもの
と書かれていますが、自治体以外で地域型ドメインを実際に使っている例というと、例えば、
千葉県警察http://www.police.pref.chiba.jp/
石川県立図書館http://www.library.pref.ishikawa.jp/
金沢市消防局http://fire.city.kanazawa.ishikawa.jp/
小松市民病院http://www.hosp.komatsu.ishikawa.jp/
などが見つかりますが、いずれも公共施設ですね(上記の4.に該当)。上記の1. 2. 3.に該当する例って実際にあるのでしょうか。とくに個人の例って見たことないなぁ。

[81058] ゆうさん
2001年の汎用JPドメイン受け付けをもって、政令指定都市専用ラベルを確実に予約することが不可能になります。
汎用JPドメインの登録開始に関しては、JPRSのこちらの文書に詳しいですが、それによると、
(1) 優先登録申請期間:2001年2月22日(木)正午から3月23日(金)正午まで
すでにJPドメイン名を登録していて同じドメイン名で汎用JPドメイン名を取りたい方は優先されます。たとえば、example.co.jp を登録している方は example.jp のように優先して登録申請することができます。商標や商号を持っている方や個人名をドメイン名として使いたい方、AC.JPドメイン名を登録している大学等の組織は、優先的に汎用JPドメイン名を登録申請することができます
(2) 同時登録申請期間:2001年4月2日(月)正午から4月23日(月)正午まで
先着順による競争を緩和するために、期間中の登録申請をすべて同時に来たものとして扱う期間です。同時登録申請では、汎用JPドメイン名の申請が競合した場合には抽選となります

そこで、[81024]で書いた、
相模原市(sagamihara.jp)、浜松市(hamamatsu.jp)、堺市(sakai.jp)の3市が該当することが分りました。
の登録年月日と登録者名をWhoisで調べたところ、
対象市JPドメイン登録年月日登録者名
相模原市sagamihara.jp2001/05/21(株)つくばマルチメディア デジタルマーケティング部
浜松市hamamatsu.jp2001/03/26株式会社カオス
堺市sakai.jp2011/02/18坂井克己
となっていました。hamamatsu.jp は前述の優先登録申請期間に申請したものと思われます。京都にある会社ですが、hamamatsu との関連がよくわかりません。hamamatsu.co.jp の登録者は現在は別法人ですし、この会社が所有していたとも思えません。sagamihara.jp は同時登録申請期間に申請したのか、その期間終了直後の登録なのか不明ですが、こちらもsagamihara との関連がよくわかりませんね。どちらも、別法人または個人が当初登録していて、その後、買い取りしたのかもしれません。ただ、その場合はWhoisでの登録年月日も更新されるのだとしたら、当初からこの両法人が所有していたことになりますが。

一方、坂井さん個人が所有しているsakai.jpは登録日が2011年です。これ本当に初期登録日でしょうか。それまで、sakai.jpが空いていたとは信じられません。堺市が政令指定都市になったのは2006年ですから、当然その時点でsakai.jpが空いていたはずがありません。おそらくそれまで保有していた個人(法人?)が手放すか更新しなかったために取得できたのではないかと思います。となると、Whoisの登録年月日は現在の登録者の初期登録日ということになりますね。どうもよく分らない、どちらなんでしょうか。

ところで、政令市以外の市のドメインの所有者を調べてみると面白いですね。どうやら、上記のつくばマルチメディアは汎用ドメイン登録開始時に、自治体名ドメインを登録しまくったようです。urayasu.jp ibusuki.jp narita.jp shisui.jp shinagawa.jp fukuchiyama.jp など、ちょっと調べただけでもかなりの数になりそうです。一方、hitachi.jp komatsu.jp は、日立製作所と小松製作所がおそらくco.jpからの優先枠を利用して所有しています。全国の自治体名ドメインの所有者一覧なんて資料も作ってみたいですね。

今はもうありませんが、当時、川崎製鉄所が汎用ドメインとして、kawasaki.jp を取ることができなかった(地域型ドメインとして予約済みだったため)例にもあるように、汎用ドメインの登場により、地域型ドメインとの競合が顕著になり、地域型ドメインの使い勝手の悪さが問題視された上で、都道府県型ドメインへの移行となったのでしょう。
[81078] 2012年 7月 12日(木)21:52:47伊豆之国 さん
西の長崎、東の佐倉
>オーナー グリグリさん

いきなりクイズを出して恐縮ですが、今晩のTV番組より。
佐倉市民なら皆知っているというこの合言葉。さて、この両市の共通項とは何でしょうか?

ヒントはこちらに…。

♯「長崎」「さくら」と聞いて、まず私が思い出してしまったのが、旧式ワープロの有名な?誤変換。
 「桜のは長崎増す」(桜の花が咲きます)[59040]

寝台特急「さくら」の終着駅だった長崎県には「さくら銀行」はありませんでしたが、佐倉市には「さくら銀行佐倉支店」がありました。こちらは「三井住友銀行」となった現在も営業を続けています。
[81077] 2012年 7月 12日(木)20:42:01オーナー グリグリ
Re:テレビ制作への情報提供をお願いいたします!!
dai-oicoさんの[81071]の書き込みですが、元々、私宛にメールで問い合わせがあった件です。そこで落書き帳に書き込んで広く問うてみてくださいとお願いしました。かなり難易度が高そうなご質問ですが、お分りになる方がいらっしゃいましたら、一つでも構いませんので情報を提供してあげていただけませんか。よろしくお願いいたします。
[81076] 2012年 7月 12日(木)19:14:43hmt さん
明治13年共武政表を眺める (2)讃岐の人口輻湊地
[81073] 白桃さん
讃岐には、志度、高松、宇多津、丸亀、多度津、琴平、観音寺と7つも出てきますが、もう一邑出てきてほしい

「戸数一千以上地名表」ですが、讃岐だけ「戸数500以上」に緩めて拾い上げてみました。
8位以下は、大内郡三本松村 香川郡仏生山町 那珂郡榎井村 三野郡仁尾村の内字仁尾ノ町 香川郡中ノ村内字東西中村 阿野郡坂出村の内字通町 小豆郡土庄村 豊田郡和田浜の内字浜 大内郡引田村 香川郡岡村の内字香西。

期待通りの結果になりましたが、人口では三本松が仁尾に負けて9位。

戸数や人口のことはさておき、私が大いに関心をそそられたのが物産欄です。
三本松には「煎鰯 砂糖」と記されていました。
讃岐三白[80930]の一つである砂糖だけでなく、いりこ(煮干)の生産地だったのですね。

三白とその加工品が記されていたのは、木綿が観音寺、砂糖が三本松と坂出。
塩は坂出だけでしたが、加工品の醤油は、高松・仁尾・和田浜・土庄と多くの町が関係していました。

讃岐の人口輻湊地が、「米、麦…」というお定まりの物産でなく、特産物を生かした町づくりをしていた様子に感じ入りました。
[81075] 2012年 7月 12日(木)18:09:14【2】YT さん
人口・町数など
[81073] 白桃さん
1.「市街名邑及び町村二百戸以上戸口表」に記載されている人口の出典元はどこなのか・・・「共武政表」に続く「徴発物件一覧表」なのでしょうか?

明治20年版の『徴発物件一覧表』には名邑毎の人口は掲載されてなく、戸長役場の管轄毎の人口が載っています。『共武政表』を含め、これらの人口の出典元は、内務省が把握しているはずの戸籍人口でしょうが、オリジナルの統計が残っていないために、『共武政表』の方に詳しい情報が残ったというのが実情でしょう。ただ残念なことに『明治八年版の共武政表』は明治5年~明治7年の本籍・現住人口が適当に採用されています。また『徴発物件一覧表』の方は明治16年度から始まりますが、

明治16年度版:明治16年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治17年度版:明治17年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治18年度版:明治18年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治19年度版:明治19年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治20年度版:明治19年12月31日調の、戸長役場所在地別人口を掲載

明治16年~明治19年に関しては、町村レベルでの人口は掲載されていません。また掲載されている人口は現住人口のようなのですが、内務省統計局の戸口表と数字がずれています。明治20年版の徴発物件一覧表は、戸長役場の管轄区毎の人口という点で、内務省の統計である『日本帝国民籍戸口表. 明治19年12月31日調』よりも情報が多いはずなのですが、数字がずれています。詳しい比較を行っていませんが、『地方行政区画便覧』と同じで、まとめた人間はそれほど人口の定点観測には注意を払っておらず、明治20年年末の数字が入手できたらそれで置き換えてしまっていたりしているのでしょう([69010]参照)。

2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。

町村数に関しては、過去にokiさんが[58109]でまとめられています。例えば陸中国磐井郡は、『天保郷帳』では86村、『日本地誌提要』では86村1町となっていますが、内務省地理局編纂物刊行会編『内務省地理局編纂善本叢書:明治前期地誌資料』収録の『明治前期全国村名小字調査書』 (1986-1987年)(むっくんさんの紹介[54378] )収録の「水沢県管下各区並村名調」では全て「村」と称し、西磐井郡(第八大区)、東磐井郡(第九大区)合わせて合計87村となっています。

大区小区村数
第八大区一小区7
第八大区二小区7
第八大区三小区5
第八大区四小区8
第八大区五小区5
第八大区六小区9
第八大区小計41
第九大区一小区8
第九大区二小区3
第九大区三小区11
第九大区四小区6
第九大区五小区2
第九大区六小区4
第九大区七小区5
第九大区六小区3
第九大区九小区4
第九大区小計46
第九大区合計87

このうち第八大区四小区八ヶ村の内訳は、鬼死骸村、一関村、二関村、三関村、下黒沢村、上黒沢村、山目村、赤荻村で、これらは明治7年5月中の状況を記しています。

一、本書は、明治七年五月二十七日、内務省地誌課が各府県に村名の調査を命じ、これを受けて各府県から提出された「各府県村名調査報告」と、明治十四年十一月二十六日、内務省地理局が各県へ宛てて町村の字小名を照合した「各町村字小名取調調」「各町村字名称調」等のうち現存するものを収録するものである。

一、明治七年の達によって提出された調査書は同年五月三十日までの期提出期限を定められたが、二十三県については五月中に提出され、あとはおおむね同年十二月迄に提出を終えている。但し、栃木、三重、宮城の各県は翌年一月、浜田県は翌年二月になって提出している。

ところで町村数を調べていくうち、確か『明治前期全国村名小字調査書』の解説の中で引用されていた亀掛川浩『明治地方自治制度の成立過程』(1955年)を読んだところ、以下の表を見つけました。

(一) 町村編制の変化 大村文書中にある「明治七年―十九年町村合併分離調」によれば、左表に示すごとく、明治八年頃から斬減してきた全国町村数は、十一年頃からほぼ安定していたのが、十九年にいたって多少の減少を示している。

表は左から年次、合併の旧町村数/新町村数/差引減町村数、分離の旧町村数/新町村数/差引増町村数、新設の増町村数、合併・分離・新設を合計した差引増減町村数、年末現在での町村数です。

年次旧町村数新町村数差引減町村数旧町村数新町村数差引増町村数増町村数差引増減年末現在数
明治7年20571134121-13378,280
明治8年3,3479822,3651735189-2,33875,942
明治9年4,2161,5342,6821335225-2,65573,287
明治10年1,9267261,2002257358-1,15772,130
明治11年754270484228765-41971,711
明治12年5272113167533025514-4771,664
明治13年13457774116712625171,715
明治14年27499175106333227146671,781
明治15年152638995337242716071,941
明治16年304882166720714020-5671,885
明治17年5325281542274371,888
明治18年24791156267145111071,888
明治19年1,0291588712469455-82171,067
合計13,1684,3758,7935241,7721,248199-7,346

計算上は、明治6年年末の時点で7万8413の町村が存在したことになります。

残念ながら、大森文書の肝心の原本には目を通せていない状況ですが、明治初期の町村数の変遷を知る上で参考になるでしょうか。

【追記】大森文書について、図書館の検索を中心に以前調べましたが、先ほど
改めてgoogleで検索したところ、

梅村 又次 『松方財政と殖産興業政策』 (1983年)

ところで,明治初期の町村分合に関する全国的統計としては「明治七年――十九年町村合併分離調」(大森文書)が著名だが,「大森文書」による1874(明治7)年の町村合併による町村数の減少134カ町村は井戸の調査による旧筑摩県の243カ町村よりもはるかに少ないことからみてこれは信頼しがたい31).

31) 井戸庄三「明治初期町村分合に関する二,三の問題―長野・山梨両県を中心として」,『人文地理』18巻4号,1966年,28ページ.

井戸庄三, 『明治地方自治制の成立過程と町村合併』(pdf), 人文地理, 21(5), pp. 29-53 (1969年)
その数値にやや疑問があるが,『大森文書』の「明治七年~十九年町村合併分離調」によれば,全国の町村数は明治7年に78,280町村であったのが,明治10年には72,130町村になり,6,150町村の減となっている。

ということで、上の数字は信頼が低いもののようです。
[81074] 2012年 7月 12日(木)13:13:07かすみ さん
公式ツイッター情報
こんにちは。書き込めるネタがありますので参上しました。
過去ログをサラサラと見たところまだ出ていないと思われましたので。
竹田市の公式ツイッター、広報、防災情報の2カウントが存在していました。
市の案内ページを貼っておきますね。
http://www.city.taketa.oita.jp/twitter/

今日の大雨で熊本もですが竹田もかなりの被害が出ているようで心配です。
[81073] 2012年 7月 12日(木)07:50:57【1】白桃 さん
疑問・質問&御礼
ごく最近の記事を見ていて、改めて疑問が湧いてきたことがあります。
1.「市街名邑及び町村二百戸以上戸口表」に記載されている人口の出典元はどこなのか・・・「共武政表」に続く「徴発物件一覧表」なのでしょうか?

2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。
[81059]YTさんの記事関連)

3.山ノ目駅西側と(一関駅方面から来て)磐井川を渡った一帯の山目は同じ山目(旧村→旧町)なのでしょうか、多分そうなんでしょうけど、だとすると(旧)中里村が入りこんでいて不自然な気がします。
[81048]千本桜さんの記事関連)

以上、どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、お教えください。

[81036]グリグリさん
データベースを更新しました。青森県の推計人口が差し引き10人増えたということでよろしいですね。
さようでございます。ありがとうございました。そ、そろそろ「白桃マガジン」の次の特集を組まなければ・・・(汗)

[81072]hmt さん
最初に目に着いたのが、全国戸数一千以上地名表 なのですが、「1880年の全国都市リスト」ともいうべき この地名表 に入る前に、[62939]と同様に各国トップページへの リンクINDEXを作成しておきます。
こうしていただくと、データ入力の際に大変助かります。ありがとうございました。
「全国戸数一千以上地名表」ですが、讃岐には、志度、高松、宇多津、丸亀、多度津、琴平、観音寺と7つも出てきますが、もう一邑出てきてほしい、金毘羅代参三十石船、森の石松の心境です。(笑)
[81072] 2012年 7月 11日(水)16:58:29hmt さん
明治13年共武政表を眺める (1)はじめに
[81018] YT さん
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。

白桃都市人口研究所[26898]は、本業の材料が増えて、“嬉しくもあり、悩ましくもあり”という状況[81020]
私も これに釣られて 明治13年の共武政表 を眺めてみました。
こちらは野次馬ですから、体系的な研究などではなく、気の向くままの雑感を記すつもりです。

最初に目に着いたのが、全国戸数一千以上地名表 なのですが、「1880年の全国都市リスト」ともいうべき この地名表 に入る前に、[62939]と同様に各国トップページへの リンクINDEXを作成しておきます。

直接リンクしている各国毎の記事は、「各郡表」と、それに続く「人口一百以上輻湊地」とから構成されています。
上巻には、五畿・東海道・東山道の合計33ヶ国、それに東海道の「附」として伊豆七島と小笠原島も収録されています。
下巻には、北陸道から西海道までの5道38ヶ国と壱岐・対馬の二島、沖縄県が発足した琉球、北海道11ヶ国を収録。
郡区町村編制法 では島嶼についての例外規定がありますが、「郡」のなかった琉球・小笠原などの島嶼も、共武政表の対象になっています。

上巻又は下巻の中で 各国を渡り歩いて調べる場合は、国名の後に記したコマ番号により移動するのが便利でしょう。

上巻
五畿山城 17大和 22河内 28和泉 32摂津 35
東海道伊賀 44 伊勢 46志摩 53尾張 54三河 60遠江 65駿河 69伊豆 74伊豆七島 76小笠原島 77
甲斐 78相模 83武蔵 88安房 102上総 107下総 115常陸 127
東山道近江 137美濃 148飛騨 156信濃 158上野 168下野 176岩代 181磐城 198
陸前 210陸中 219陸奥 228羽前 276羽後 284
下巻
北陸道若狭 5越前 7加賀 25能登 50越中 59越後 75佐渡 85
山陰道丹波 87丹後 91但馬 96因幡 100伯耆 108出雲 117石見 124隠岐 129
山陽道播磨 130美作 137備前 141備中 147備後 152安芸 157周防 163長門 169
南海道紀伊 175淡路 185阿波 187讃岐 195伊予 201土佐 213
西海道筑前 229筑後 238豊前 243豊後 249肥前 257肥後 257日向 281大隅 287薩摩 290
二島壱岐 294対馬 295
琉球国琉球 297
北海道渡島 301後志 309胆振 315石狩 317天塩 320日高 322十勝 324北見 325釧路 327根室 328千島 330
[81071] 2012年 7月 11日(水)11:41:01dai-oico さん
テレビ制作への情報提供をお願いいたします!!
みなさま

初めて投稿いたします。
私の担当する番組で、東京都大田区の南蒲田にあります七辻(七叉路)の
事を調べておりまして、このサイトのみやこ♂さんの七叉路コレクションを拝見いたしまして、
七辻の事を詳しくお調べしていれば、質問がありますので具体的にお答えいただけると幸いです。

・大田区は七辻に信号を立てようとしてなぜ最終的にはたてなかったのか?
・また交差点に信号機を立てる多叉路のに基準は大田区が定めているのか?
・信号を立てようとしていたのは今から何年前か?
・七叉路になってから死亡事故は一件もおこってないか?
・この辺のデリバリーのお店は七辻を中心として地位図を作りお宅に迷わないようにしているといった
 工夫は聞いたことがあるか?あれば具体的に(これはご存じであればお答えください)
・そのほかこの七辻にしかない売りや特徴があれば

以上6点ほどありますので、ご協力をおねがいいたします。
[81070] 2012年 7月 10日(火)23:32:13にまん さん
美祢市になったんですね
[81054] H2 さん

個人的には、秋吉台・秋芳洞が美祢市というのに、一番違和感をもったのですが、まぁ事実なので仕方ないですね。

そもそも路線バスについて知りたかったのは、路線バスをもっと観光客に利用してもらえないものか、と思ったからです。そうしたら、補助金で成り立っている地方の閑散路線バスも、少しはマシになるでしょうし。
そうなれば、本当に望ましいとは思いますが、難しいでしょうね。鉄道で直接アクセスできない観光地へは、貸切バスか自家用車の使用が一般的で、一般路線バスを利用する観光客そのものが非常に少ないですから。
全国的に見ても観光地から観光地へと一般路線バスで周遊するところってほとんどないのではないでしょうか。私が思いつくのは京都と箱根くらいですね。観光客用に観光地を結ぶ巡回路線を作っているところなら、それなりの数はありますけど、H2さんの意図するところはそうではないんですよね。
観光客の身になって考えると、バス待ちで時間をロスしたり、バスの時間が気になって思うような観光ができないのは嫌ですから、最低でも30分に1本程度の頻度がないと利用されないと思います。ただ、この頻度って路線バスだと幹線というイメージですよね。

いま調べている具体的な場所は、山口県美祢市です。秋吉台・秋芳洞などのある観光地の特性もあって、6社のバス会社が踏み入れています。他に高速バスと観光乗合タクシーとJR鉄道線1路線があります。先頃、これらを1冊にまとめたバスブックが市によって初めて?発行されたのですが(市内世帯配布用)、路線図の間違いや抜けが数カ所あり、バス停も表記間違いや抜けが結構あったので(少なくとも十分に校正作業をしたと言えるレベルではない)、都合上全部チェックしようと思いました。
市が発行するものは、きちんとしていて欲しいですね。あと、やっぱりバスについては路線の変化が激しいので、定期的な更新をして欲しいところです。私が現在住んでいる市も一時期バスマップを作成していたのですが、3か月から半年に一度は市内のどこかで路線の変更がされているような状態ですので、更新が追いつかないのか、現在は、ホームページに各事業者へのリンクを張っているだけになってしまいました。

美祢市内には秋吉台・秋芳洞以外にも小さな観光ポイントがいくつかありますので、秋芳洞までバスで観光に来た方がもう少しほかにも足をのばせるといいなと思っています。別府弁天池とか長登銅山跡とかサファリランドとか。
確かにちょっとしたスポットがありますね。実家が下関だということもあって、帰省したときには、白糸の滝とか別府弁天池にも行きました。車でなんですけどね。弁天池に行ったらやっぱり水を汲んで帰らないといけませんし。。。
[81069] 2012年 7月 10日(火)10:00:10山野[煮豆] さん
「村」も絶滅危惧種らしいです
(前置)
村無し県が13県、唯一の村が12府県、2つしかないのが5県、3つが3県…。
(本題)
各地の村長が集まり地域活性化や過疎化の問題を議論する初の「全国村長サミットが14,15日に長野県木島平村で開かれる。
平成の大合併で全国の村は3分の1に激減しているのを受けてのもののようだ。
[81068] 2012年 7月 10日(火)00:59:34【2】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (10)
旧国郡/島間切数村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要共武政表人口
薩摩国鹿児島郡2525130,085.91174089,374
薩摩国谿山(谷山)郡88112,691.71797021,087
薩摩国給黎郡8129,653.00647021,554
薩摩国頴娃郡71411,060.16994015,676
薩摩国河辺(川辺)郡3538231,056.12876071,277
薩摩国阿多郡202318,390.70511025,207
薩摩国日置郡535546,930.25687069,013
薩摩国薩摩郡2831141,426.71124033,052
薩摩国伊佐郡5046148,225.79866031,720
薩摩国出水郡3939244,959.84667042,735
薩摩国高城郡1011112,866.19167016,912
薩摩国甑島郡14143,580.39394015,172
薩摩国揖宿郡1217212,556.66049023,562
薩摩国十三郡309323,483.00000033311323,483.502510323,483.499530476,341
薩摩国大島1312917,200.065980713417,200.065980
薩摩国喜界島63010,836.61282063010,836.612820
薩摩国徳ノ島(徳之島)64215,820.83065034415,820.830650
薩摩国与論島262,413.485950262,413.485950
薩摩国沖永良(沖永良部)島3386,522.3966203386,522.396620
薩摩国属島(州南諸島)3024552,793.3920202125252,793.392020
薩摩国合計30554376,276.3920202158511376,276.894530323,483.499530476,341
薩摩国不一致000.0000000000.000000-12,856.187670101
薩摩国総計30554376,276.3920202158511376,276.894530310,627.311860476,442
※明治5年~明治8年当時、州南諸島(奄美群島)は薩摩国扱いであった。『共武政表』は州南諸島の統計を欠く。
※『郡村石高帳』の薩摩国十三郡の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の薩摩国石高総数は概数であり、『共武政表』の薩摩国十三郡郡別石高合計32万3483石4斗9升9合5勺3才とほぼ等しく、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の薩摩国十三郡石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の大隅国の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『日本地誌提要』の薩摩国十三郡石高総計は『地理局雑報』の石高と一致するが、『地理局雑報』の奄美群島の石高3万2828石7斗とは異なる。
※『共武政表』の薩摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口58万6324人から州南諸島本籍人口10万8426人を減じた薩摩国十三群本籍人口47万7898人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
壱岐国壱岐郡67117,796.38900017,614
壱岐国石田郡59115,057.49600015,315
壱岐国合計126232,853.88500032,929
壱岐国不一致000.0000000
壱岐国総計2232,853.885000126232,853.88500032,853.88500032,929
※『郡村石高帳』の壱岐国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の壱岐国石高総数は『共武政表』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の壱岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の壱岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
対馬国上県郡529,670
対馬国下県郡62120,080
対馬国合計114129,750
対馬国不一致000
対馬国総計1105,818.116000114129,750
※『郡村石高帳』の対馬国石高総計は麦高。
※『地理局雑報』の対馬国石高総計は空欄で、『日本地誌提要』の石高は不詳とある。
※『共武政表』の対馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口2万9740人とほぼ等しい。

※『共武政表』は琉球国の記載が無い。以下『天保郷帳』の石高を記載する。
旧国郡/島村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要天保郷帳
琉球国沖縄島62,199.000000
琉球国沖縄島 中頭11189
琉球国沖縄島 島尻15162
琉球国沖縄島 国頭9134
琉球国恵原屋(恵平屋)島541.600000
琉球国伊是那島750.200000
琉球国伊恵島3,643.000000
琉球国計羅摩(慶良間)島29203.000000
琉球国戸無島45.100000
琉球国粟島727.400000
琉球国久米島2193,677.700000
琉球国先島1087
琉球国宮古島12,458.792420
琉球国八重山島6,637.321060
琉球国合計4960094,230.700940
琉球国不一致000.000000
琉球国総計94,230.7009404960094,230.70094094,230.700940
※『郡村石高帳』の琉球国の島別村数、島別石高は不明だが、『郡村石高帳』の琉球国石高総数は『日本地誌提要』、『天保郷帳』の石高と一致し、島別石高に関しては『天保郷帳』の島別石高で補間可能である。
※『地理局雑報』の琉球国石高総計9万4230石7斗1合。
※琉球国の明治6年2月1日調本籍人口は16万6789人。

これらの石高の実態について、明治7年の『府県物産表』における米の収穫高、農林水産業・鉱工業生産高や明治9年~15年の『全国農産表』における米の収穫高・農産高との比較を次回まとめようと思います。
[81067] 2012年 7月 10日(火)00:57:37【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (9)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊後国国東郡118181,138.60490088,735
豊後国速見郡59359,139.33096057,774
豊後国大分郡142271,464.15111098,833
豊後国海部郡167360,961.601150146,311
豊後国直入郡68150,357.25907040,150
豊後国玖珠郡26130,201.54883021,891
豊後国日田郡50133,076.88441050,261
豊後国大野郡162172,845.03691061,505
豊後国合計79213459,184.417340565,460
豊後国不一致000.0000000
豊後国総計459,184.41734079213459,184.417340459,184.417340565,460
※『郡村石高帳』の豊後国の国郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の豊後国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の豊後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑前国遠賀郡8554,956.34987094354,956.34987048,326
筑前国宗像郡6256,306.4522406256,306.45224037,411
筑前国鞍手郡6860,628.83284069160,628.83284041,294
筑前国穂波郡6138,103.41077061138,103.41077021,657
筑前国嘉麻郡6346,349.64586064146,349.64586022,264
筑前国上座郡3425,596.6380003425,596.63800025,392
筑前国下座郡4321,436.2826604321,436.28266012,994
筑前国夜須郡5240,286.56963052240,286.56963028,865
筑前国御笠郡5837,512.69700057137,512.69700020,741
筑前国粕屋郡8562,854.03270085162,854.03270036,875
筑前国席田郡99,899.32907099,899.3290702,504
筑前国那珂郡7042,611.35544077142,611.35544061,333
筑前国早良郡5345,153.32008053245,153.32008038,252
筑前国志摩郡4844,058.2706405144,058.27064023,015
筑前国怡土郡6547,651.44860063147,651.44860020,252
筑前国合計856633,404.63540087414633,404.635400441,175
筑前国不一致00.000000000.0000000
筑前国総計856633,404.63540087414633,404.635400633,404.635400441,175
※『共武政表』の筑前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の筑前国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑後国生葉郡5926,882.99000057126,882.99000026,856
筑後国竹野郡8922,875.1200008722,875.12000020,646
筑後国山本郡3016,559.7000003016,559.7000009,512
筑後国御原郡3633,304.90000036133,304.90000014,920
筑後国御井郡7256,528.33000051156,528.33000043,617
筑後国上妻郡11579,479.484000115179,479.48300069,864
筑後国下妻郡3729,921.4740003729,944.90500014,845
筑後国三潴郡164140,130.0630001623140,243.15800089,084
筑後国三池郡7253,071.81265070153,125.28265035,947
筑後国山門郡11577,989.029000110277,958.36800068,365
筑後国合計789536,742.90265075510536,902.236650393,656
筑後国不一致00.000000000.0000000
筑後国総計789536,742.90265075510536,742.902650536,902.236650393,656
※『郡村石高帳』の筑後国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『地理局雑報』の筑後国石高45万9184石4斗1升7合は、豊後国の石高と一致し、明らかに誤写である。
※『共武政表』の筑後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥前国基肄郡2112,776.0996008,422
肥前国養父郡4419,612.69160021,216
肥前国三根郡3412,826.0251009,686
肥前国神崎郡15841,936.35070036,232
肥前国佐嘉(佐賀)郡352485,677.199200100,274
肥前国小城郡138241,137.96660046,512
肥前国松浦郡7997205,741.252250138,093.445000286,301
肥前国杵島郡16967,169.72813072,893
肥前国藤津郡116133,033.06100056,153
肥前国彼杵郡510981,675.622000220,867
肥前国高来郡281667,932.516000216,242
肥前国合計2,62229601,870.7049301,074,798
肥前国不一致0067,647.807250-30,081
肥前国総計1,476365,416.6362702,62229685,117.597620669,518.5121801,044,717
※『郡村石高帳』の肥前国の郡別村数、郡別石高は不明。
※『日本地誌提要』の肥前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の肥前国の石高は地米31万9700石2斗6升1合3勺5才を含まない。地高の郡別内訳も不明である。
旧国地米加算前石高地米地米加算後石高
肥前国総計365,416.636270319,700.261350685,116.897620
※『共武政表』と『旧高旧領取調帳』の石高を比較すると以下の通りである。
旧国共武政表旧高旧領取調帳石高差
肥前国基肄郡12,776.09960012,776.0996000.000000
肥前国養父郡19,612.69160017,901.354600-1,711.337000
肥前国三根郡12,826.02510014,537.3621001,711.337000
肥前国神崎郡41,936.35070041,936.3507000.000000
肥前国佐嘉(佐賀)郡85,677.19920095,677.44020010,000.241000
肥前国小城郡41,137.96660041,137.798600-0.168000
肥前国松浦郡138,093.445000216,163.76264078,070.317640
肥前国杵島郡67,169.72813067,773.728130604.000000
肥前国藤津郡33,033.06100033,033.0610000.000000
肥前国彼杵郡81,675.62200082,565.274930889.652930
肥前国高来郡67,932.51600067,942.4977509.981750
肥前国合計601,870.704930691,444.73025089,574.025320
肥前国不一致67,647.8072500.000000
肥前国総計669,518.512180691,444.73025021,926.218070
※『共武政表』の肥前国養父郡本籍人口1万1216人は明治13年1月1日調本籍人口1万9750人、明治12年1月1日調三養基郡本籍人口4万3009人との比較から2万1216の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国佐賀郡本籍人口9万0274人は明治12年1月1日調本籍人口1万0770人との比較から10万0274人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国松浦郡本籍人口27万6301人は、明治12年1月1日調東西松浦郡本籍人口13万0949人、明治12年1月1日調南北松浦郡本籍人口17万0564人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内佐賀県本籍人口47万6983人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内長崎県本籍人口59万7477人との比較から、28万6301人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国人口総計104万4717人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口107万4460人と比べて約3万人ほど過少であり、107万4717人の可能性が高い(養父郡・佐賀郡・松浦郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥後国天草郡9025,661.051700132425,661.051700163,662
肥後国蘆北郡20421,023.699190261221,023.69919045,398
肥後国球麻(球摩)郡4064,787.232360415164,787.23236053,660
肥後国八代郡9662,985.400160304162,985.40016072,852
肥後国益城郡389193,985.3816501,0152193,985.381650126,401
肥後国上益城郡616198,327.07294064,350
肥後国下益城郡399195,658.30871062,051
肥後国宇土郡6435,794.852370193135,794.85237037,400
肥後国飽田郡18272,409.231830345372,409.231830125,706
肥後国詫摩郡5932,101.57889088132,101.57889031,446
肥後国合志郡10451,839.052030167251,839.05203035,232
肥後国山本郡6326,654.640360123226,654.64036018,170
肥後国玉名郡227110,614.9157205794110,614.915720109,906
肥後国山鹿郡9651,007.204040379251,007.20404042,845
肥後国菊池郡8129,572.275480200129,572.27548025,502
肥後国阿蘇郡21572,800.537130783272,800.53713062,207
肥後国合計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910950,387
肥後国不一致00.000000000.0000002
肥後国総計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910851,237.052910950,389
※『共武政表』の肥後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の肥後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日向国諸県郡140167,956.6653501502167,956.665350116,243
日向国宮崎郡3139,982.61362034139,982.61362026,490
日向国那珂郡80107,588.093980803107,588.09398076,941
日向国児湯郡5259,651.35248053259,651.35248051,413
日向国臼杵郡7342,963.63122077242,963.631220111,023
日向国合計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
日向国不一致00.000000000.0000000
日向国総計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
※『共武政表』の日向国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の日向国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口38万2564人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大隅国菱刈郡151417,083.3335807,687
大隅国桑原郡313322,730.39935013,978
大隅国姶羅郡4139142,141.17108030,967
大隅国囎唹郡3845375,166.08784057,479
大隅国肝属(肝付)郡4043164,787.26608041,302
大隅国大隅郡4647230,075.10589042,093
大隅国熊毛郡18159,810.37889018,949
大隅国馭謨郡13181,569.5479207,107
大隅国合計2422547263,363.290630219,562
大隅国不一致00012,856.187670-101
大隅国総計242261,793.7427102547261,793.742710276,219.478300219,461
※『郡村石高帳』の大隅国の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の大隅国石高総数は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大隅国石高総計から大隅国馭謨郡石高1569石5斗4升7合9勺2才を除した石高とも一致しており、大隅国馭謨郡の石高を含む大隅国石高は『共武政表』の石高であり、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の大隅国石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の薩摩国十三郡の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『共武政表』の大隅国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口22万0578人とほぼ等しい。
[81066] 2012年 7月 10日(火)00:54:55YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (8)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安芸国沼田郡4225,941.93490045125,941.93490098,322
安芸国佐伯郡8539,540.56850086139,540.56850096,337
安芸国豊田郡8858,944.20220090258,944.202200100,034
安芸国山県郡7431,639.6630007431,639.66300054,084
安芸国高宮郡3617,923.64200035117,923.64200032,139
安芸国賀茂郡9057,857.0100009257,857.010000101,376
安芸国安芸郡4838,986.1605005038,986.160500131,797
安芸国高田郡5943,836.30600059143,836.30600059,213
安芸国合計522314,669.4871005316314,669.487100673,302
安芸国不一致00.000000000.0000005
安芸国総計522314,669.4871005316314,669.487100314,669.487100673,307
※『共武政表』の安芸国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安芸国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口67万3301人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
周防国大島郡2235,453.579500332135,453.57950080,429
周防国都濃郡48104,332.3602704853104,332.36207080,762
周防国佐波郡4090,230.635820497290,230.63582066,799
周防国玖珂郡112122,720.1453803442122,720.145380122,543
周防国吉敷郡34111,624.2115004671111,624.21150078,556
周防国熊毛郡4187,799.282710518287,799.28271069,643
周防国合計297552,160.2151802,64311552,160.216980498,732
周防国不一致00.000000000.000000-50,000
周防国総計297552,160.2151802,64311552,160.215180552,160.216980448,732
※『郡村石高帳』の周防国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の周防国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口と一致し、『共武政表』の周防国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
長門国豊浦郡152141,364.9685403103141,364.968540101,206
長門国大津郡2047,734.022000293147,734.02200037,254
長門国美祢郡2467,292.02600042567,292.02600031,307
長門国厚狭郡3195,714.59680024195,714.59680053,076
長門国見島郡21,308.69900031,308.6990001,833
長門国阿武郡59104,729.1775509593104,729.177550106,652
長門国合計288458,143.4898902,2317458,143.489890331,328
長門国不一致00.000000000.0000000
長門国総計288458,143.4898902,2317458,143.489890458,143.489890331,328
※『共武政表』の長門国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の長門国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
紀伊国伊都郡16238,032.878810160138,032.87881052,000
紀伊国那賀郡25791,117.964360256191,117.96436070,302
紀伊国名草郡15088,889.648900157288,889.64890097,444
紀伊国海部郡5926,244.4962006226,244.49620073,761
紀伊国有田(在田)郡13747,333.262600140147,341.44590055,809
紀伊国日高郡15348,760.71350017848,752.53020077,181
紀伊国牟婁郡471103,904.1689804602103,904.168980188,253
紀伊国牟婁郡(和歌山県)33767,851.102980
紀伊国牟婁郡(度会県)13436,053.066000
紀伊国合計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350614,750
紀伊国不一致00.000000000.0000000
紀伊国総計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350444,283.133350614,750
※『共武政表』の紀伊国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の紀伊国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口61万3925人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
淡路国津名郡12477,882.036060134377,882.03606094,681
淡路国三原郡13458,755.945770133158,755.94576070,804
淡路国合計258136,637.9818302674136,637.981820165,485
淡路国不一致00.000000000.0000000
淡路国総計258136,637.9818302674136,642.763130136,637.981820165,485
※『共武政表』の淡路国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の淡路国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
阿波国三好郡3222,947.67124032222,947.67124053,916
阿波国美馬郡2710,737.37813026110,737.37813070,230
阿波国阿波郡3112,665.9657703112,665.96577037,190
阿波国板野郡13561,791.276510135161,791.27651099,568
阿波国麻殖(麻植)郡3216,711.24006031116,711.24006040,252
阿波国名西郡3828,837.0533203828,837.05332041,040
阿波国名東郡5438,749.85310054238,749.853100105,085
阿波国勝浦郡4634,319.18160046134,319.18160030,603
阿波国那賀郡14265,261.020970148165,261.02097076,373
阿波国海部郡5418,463.82404077118,463.82404035,791
阿波国合計591310,484.46474061810310,484.464740590,048
阿波国不一致00.000000000.0000000
阿波国総計591310,484.46474061810310,484.464740310,484.464740590,048
※『郡村石高帳』の阿波国麻殖郡の村数は外町1。
※『共武政表』の阿波国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の阿波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
讃岐国大内郡3416,161.82200034316,161.82200030,147
讃岐国寒川郡2723,248.03000027223,248.03000043,127
讃岐国三木郡2018,151.1230002018,151.12300023,840
讃岐国山田郡3330,807.8950003330,807.89500037,098
讃岐国香川郡4942,131.42400049342,131.42400096,196
讃岐国阿野郡3633,125.38600036133,125.38600049,806
讃岐国鵜足郡3030,424.44800030130,424.44800036,109
讃岐国那珂郡4730,423.99860046230,423.99860057,104
讃岐国多度郡2418,428.66750024118,428.66750023,884
讃岐国三野郡3732,948.06130037132,948.06130059,341
讃岐国豊田郡4622,562.83700045222,562.83700055,355
讃岐国小豆島99,095.629000119,095.62900038,920
讃岐国塩飽島61,519.564400121,519.56440010,689
讃岐国直島3542.02200011785.8680002,709
讃岐国男木島189.046000
讃岐国女木島154.800000
讃岐国合計402309,814.75380041516309,814.753800564,325
讃岐国不一致-70.000000000.0000000
讃岐国総計395309,814.75380041516309,814.753800309,814.753800564,325
※『郡村石高帳』の讃岐国村数合計402と村数総計が一致せず。
※『日本地誌提要』の讃岐国の町村数総計は村数390町数16属島25だが、属島25(小豆島2、直島11、塩飽島12)はすべて村数として計上。
※『共武政表』の讃岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の讃岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万4351人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊予国宇摩郡56122,639.69280056,900
伊予国新井(新居)郡54137,670.72800059,957
伊予国周布(周敷)郡39124,712.78355025,780
伊予国桑村郡3114,675.22200015,509
伊予国越智郡106147,438.92100092,261
伊予国野間郡29116,688.78900022,994
伊予国風早郡84118,590.42100028,359
伊予国和気郡24116,424.22500024,955
伊予国温泉郡34223,204.73700046,568
伊予国久米郡2917,604.90000013,815
伊予国伊予郡38128,098.51766022,233
伊予国浮穴郡103139,219.86200060,348
伊予国喜多郡85234,330.50111067,249
伊予国宇和郡2652102,022.388300241,632
伊予国合計97715443,321.688420778,560
伊予国不一致000.000000-4
伊予国総計968443,321.68842097715475,556.573340443,321.688420778,556
※『郡村石高帳』の伊予国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の伊予国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の伊予国国石高総計は『郡村石高帳』の石高と一致するが、『日本地誌提要』、『地理局雑報』(44万3855石5升8合3勺2才)の石高とは異なる。
※『共武政表』の伊予国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
土佐国安芸郡5054,308.312700129151,557.87300066,394
土佐国香美郡3570,088.289000155270,112.00700071,874
土佐国長岡郡5475,245.48800015474,947.49200060,710
土佐国土佐郡3152,288.859000117151,913.16100075,445
土佐国吾川郡4443,098.130000124143,181.34900052,241
土佐国高岡郡76110,354.0700002263112,556.929000110,003
土佐国幡多郡136105,189.0460002882105,370.18000089,618
土佐国合計426510,572.1947001,19310509,638.991000526,285
土佐国不一致00.000000003,060.0000000
土佐国総計426510,572.1947001,19310512,698.991000512,698.991000526,285
※『共武政表』の土佐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の土佐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊前国企球郡11145,796.075080249245,796.07508045,655
豊前国田川郡7154,787.97600091354,787.97600038,086
豊前国京都郡7134,620.6892007234,620.68920019,413
豊前国中津(仲津)郡7641,694.16660092341,694.16660031,103
豊前国築城郡4123,247.2285008623,247.22850020,422
豊前国上毛郡7838,108.54210081238,108.54210033,693
豊前国下毛郡9849,338.90850098149,338.90850059,181
豊前国宇佐郡22579,354.495400150279,354.49540059,979
豊前国合計771366,948.08138091913366,948.081380307,532
豊前国不一致00.000000000.0000000
豊前国総計771366,948.08138091913366,948.081380366,948.081380307,532
※『共武政表』の豊前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81065] 2012年 7月 10日(火)00:53:17【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (7)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伯耆国河村郡10828,991.95100010728,991.95100023,912
伯耆国久米郡12047,011.309000119147,011.30900027,624
伯耆国八橋郡10836,038.157000108136,038.15700023,109
伯耆国汗入郡7528,737.63800075128,737.63800019,092
伯耆国会見郡18572,603.812000181472,603.81200071,802
伯耆国日野郡18237,686.54000017837,686.54000029,972
伯耆国合計778251,069.4070007687251,069.407000195,511
伯耆国不一致00.000000000.0000004
伯耆国総計778251,069.4070007687251,069.407000251,069.407000195,515
※『共武政表』の伯耆国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伯耆国八橋郡人口3万3109人は明治12年1月1日調本籍人口2万4034人との比較から2万3109人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の伯耆国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
出雲国島根郡5726,358.11000056226,358.11000049,860
出雲国秋鹿郡2411,382.5840002411,382.58400012,646
出雲国楯縫郡3524,216.04500036124,216.04500025,333
出雲国出雲郡3230,323.9720003230,323.97200017,709
出雲国神門郡8360,614.07500085260,614.07500067,106
出雲国飯石郡6131,993.3920006231,993.39200030,014
出雲国仁多郡6921,651.6280007121,651.62800020,582
出雲国大原郡6528,793.6060006528,793.60600027,674
出雲国能義郡9548,057.37600096248,057.37600038,989
出雲国意宇郡4037,319.1230004737,319.12300050,309
出雲国合計561320,709.9110005747320,709.911000340,222
出雲国不一致00.000000000.0000000
出雲国総計561320,709.9110005747320,709.911000320,709.911000340,222
※『共武政表』の出雲国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の出雲国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石見国安濃郡3014,673.39300030114,673.39300022,580
石見国邇摩郡4616,816.38300047216,816.38300032,993
石見国邑知(邑智)郡10636,383.75130010636,383.75130053,871
石見国那賀郡13249,168.939700136149,168.93970083,688
石見国美濃郡11737,439.546700118137,439.54670041,561
石見国鹿足郡11627,654.884800117127,654.88480027,342
石見国合計547182,136.8985005546182,136.898500262,035
石見国不一致00.000000000.0000000
石見国総計547182,136.8985005546182,136.898500182,136.898500262,035
※『共武政表』の石見国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の石見国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
隠岐国海士郡82,465.69700082,465.6970005,566
隠岐国知夫里(知夫)郡53,204.46400053,204.4640007,069
隠岐国越智(穏地)郡162,982.691000162,982.6910005,775
隠岐国周吉郡323,910.0550003213,910.05500010,684
隠岐国合計6112,562.90700061112,562.90700029,094
隠岐国不一致00.000000000.0000000
隠岐国総計6112,562.90700061112,562.90700012,562.90700029,094
※『共武政表』の隠岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の隠岐国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
播磨国明石郡14659,695.993200153159,695.99320054,442
播磨国美嚢郡17144,657.427500149144,657.42750028,344
播磨国加古郡10050,810.996000114250,810.99600047,265
播磨国印南郡11045,737.671800131245,737.67180048,724
播磨国加東郡16255,891.21700015255,891.21700043,162
播磨国加西郡13139,498.47720012839,498.47720035,743
播磨国多可郡12934,356.57000013034,356.57000031,049
播磨国神東郡7828,921.5894007928,921.58940022,764
播磨国神西郡7122,306.1883606922,306.18836018,302
播磨国飾西郡8041,016.26500016141,016.26500031,414
播磨国飾東郡7240,295.80900072240,295.80900067,277
播磨国揖東郡12356,242.67310014456,242.67310051,226
播磨国揖西郡10033,658.234100113233,658.23410039,427
播磨国赤穂郡12844,521.290600127144,521.29060055,910
播磨国佐用郡8824,279.7895008724,279.78950023,990
播磨国宍粟郡15138,667.624500147138,667.62450040,450
播磨国合計1,840660,557.8162601,95612660,557.816260639,489
播磨国不一致70.000000000.00000010,000
播磨国総計1,847660,557.8162601,95612660,557.816250660,557.816260649,489
※『郡村石高帳』の播磨国村数合計1840と村数総計が一致せず。
※『共武政表』の播磨国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の播磨国佐用郡本籍人口3万3990人は明治12年1月1日調本籍人口2万5331人との比較から2万3990人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の播磨国人口総計64万9489人は明治6年1月1日調本籍人口63万9576人と比べて過剰であり、63万9489人の可能性が高い(佐用郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美作国東南条郡2010,892.0700001310,892.07000010,309
美作国東北条郡4015,411.2370003115,411.23700011,325
美作国西々条(西西条)郡6126,805.0210005126,805.0210009,329
美作国久米北条郡5928,871.2330005428,871.23300023,397
美作国久米南条郡7222,988.6730006322,988.67300019,670
美作国勝南郡7824,657.9720006924,657.97200017,745
美作国勝北郡8434,139.4590005534,139.45900023,829
美作国大庭郡5920,836.76900046120,836.76900020,912
美作国真島郡11033,270.80700090133,270.80700029,899
美作国英田郡6513,662.42900056113,662.42900016,591
美作国吉野郡7219,954.2430006019,954.24300014,950
美作国西北条郡3110,843.95100022110,843.95100017,131
美作国合計751262,333.8640006104262,333.864000215,087
美作国不一致00.000000000.00000020,000
美作国総計751262,333.8640006104262,333.864000262,333.864000235,087
※『共武政表』の美作国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美作国西北条郡本籍人口3万7131人は明治12年1月1日調本籍人口1万8550人との比較から1万7131人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の美作国人口総計23万5087人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口21万5602人と比べて過剰であり、21万5087人の可能性が高い(西北条郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備前国御野郡7952,824.75200079152,824.75200058,395
備前国津高郡12647,224.652000126147,224.65200036,849
備前国赤坂郡10243,267.32400010243,267.32400026,484
備前国磐梨郡6526,224.0160006526,224.01600015,711
備前国和気郡9628,871.1320009728,871.13200034,294
備前国邑久郡8670,645.47700086270,645.47700044,022
備前国上道郡11599,660.178000116199,660.17800046,151
備前国児島郡9750,247.00700097250,247.00700071,808
備前国合計766418,964.5380007687418,964.538000333,714
備前国不一致00.000000000.0900000
備前国総計766418,964.5380007687418,964.538000418,964.628000333,714
※『郡村石高帳』の備前国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備中国上房郡3124,702.03280099124,702.03280023,304
備中国阿賀郡4633,207.944000105133,207.94400029,150
備中国哲多郡3322,919.8946008722,919.89460018,523
備中国川上郡5731,196.35400087131,196.35400037,300
備中国小田郡7437,655.852700103137,655.85270064,164
備中国後月郡3918,308.7268005318,308.72680029,290
備中国下道郡2923,622.7056004723,622.70560025,634
備中国賀陽郡8350,416.341230110250,416.34123038,914
備中国都宇郡4835,707.82670012235,707.82670027,185
備中国浅口郡6155,201.1047007255,201.10470074,053
備中国窪屋郡5838,416.39267084138,416.39267032,028
備中国合計559371,355.1758009697371,355.175800399,545
備中国不一致00.00000000-0.0690000
備中国総計559371,355.1758009697371,355.175800371,355.106800399,545
※『郡村石高帳』の備中国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備中国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口39万9467人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備後国御調郡10039,828.25555090239,828.255550101,646
備後国世羅郡5033,650.49000049133,650.49000029,840
備後国三谿郡3819,342.0180003819,342.01800020,225
備後国三上郡1813,693.6710001813,693.67100012,251
備後国奴可郡4019,876.91600039219,876.91600020,684
備後国甲奴郡3215,624.4110003215,624.41100015,972
備後国沼隈郡4326,425.22000044126,425.22000067,176
備後国深津郡2826,851.07300035126,851.07300045,300
備後国安那郡2924,734.7090003024,734.70900024,179
備後国品治郡2111,709.0490002111,709.04900016,341
備後国蘆田郡2817,567.02000028117,567.02000030,783
備後国神石郡4022,345.9400004022,345.94000022,836
備後国三次郡5221,613.53700053121,613.53200030,335
備後国恵蘇郡4522,613.8720004122,613.87200021,708
備後国合計564315,876.1815505589315,876.176550459,276
備後国不一致00.000000000.0860000
備後国総計564315,876.1815505589315,876.181550315,876.262550459,276
※『郡村石高帳』の備後国石高総計は『日本地誌提要』と一致し、『地理局雑報』(35万5704石4斗3升7合1勺)の石高と異なる。
※『共武政表』の備後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万9109人とほぼ等しい。
[81064] 2012年 7月 10日(火)00:51:54YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (6)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
若狭国大飯郡7320,404.61660072120,404.61660016,878
若狭国遠敷郡13544,510.765500144244,510.76550049,130
若狭国三方郡6126,851.6760006226,851.67600019,805
若狭国合計26991,767.058100278391,767.05810085,813
若狭国不一致00.000000000.0000000
若狭国総計26991,767.058100278391,767.05810091,767.05810085,813
※『共武政表』の若狭国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の若狭国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越前国足羽郡15792,917.620000157192,917.62000076,336
越前国吉田郡14680,811.852000127180,811.85200033,608
越前国丹生郡23987,980.05800023687,980.05800060,122
越前国今立郡19886,268.894000202286,268.89400055,367
越前国南条郡9035,770.94860081235,770.94860033,375
越前国坂井郡355185,597.3012003563185,597.30120092,557
越前国大野郡26498,090.417700254298,090.41770076,506
越前国敦賀郡8822,806.52625079122,806.52625026,270
越前国合計1,537690,243.6177501,49212690,243.617750454,141
越前国不一致00.000000000.0000000
越前国総計1,537690,243.6177501,49212690,249.700400690,243.617750454,141
※『共武政表』の越前国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の越前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万4229人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
加賀国河北郡27099,964.761000269299,936.20100074,871
加賀国石川郡332189,919.0220003365189,920.002000186,898
加賀国能美郡278137,775.2763902641137,766.27639087,432
加賀国江沼郡14180,950.068000140280,950.06800054,693
加賀国合計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390403,894
加賀国不一致00.000000000.00000010,000
加賀国総計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390508,572.547390413,894
※『共武政表』の加賀国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の加賀国の国郡別石高は外受高3106石8斗9升1合を含まない。外受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
加賀国総計508,609.1273903,106.891000511,716.018390
※『共武政表』の加賀国河北郡本籍人口8万4871人は明治12年1月1日調本籍人口7万1453人との比較から7万4871人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の加賀国人口総計41万3894人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口40万3357人と比べて過剰であり、40万3894人の可能性が高い(河北郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
能登国羽咋郡23899,726.117500239199,676.18750071,547
能登国鹿島郡20199,962.9786601961100,096.30106069,270
能登国鳳至郡32069,858.027500318269,858.02750081,837
能登国珠洲郡11235,935.52030011235,935.52030041,725
能登国合計871305,482.6439608654305,566.036360264,379
能登国不一致00.000000000.0000000
能登国総計871305,482.6439608654305,666.036340305,566.036360264,379
※『共武政表』の能登国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の能登国の国郡別石高は外受高2120石1斗8升5合を含まない。受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
能登国総計305,482.6439602,120.185000307,602.828960
※『共武政表』の能登国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越中国新川郡1,134295,756.0100001,0414301,417.882690256,817
越中国婦負郡368112,139.5020003652113,216.82800061,434
越中国射水郡331188,681.2370003373172,718.327090136,319
越中国砺波郡740281,187.3580007012275,890.847670169,407
越中国合計2,573877,764.1070002,44411863,243.885450623,977
越中国不一致00.000000000.0000000
越中国総計2,573877,764.1070002,44411877,764.107000863,243.885450623,977
※『郡村石高帳』の越中国の町数総計は外町18。内訳は、新川郡町7、婦負郡町3、射水郡町3、砺波郡町5。
※『郡村石高帳』の越中国の国郡別石高は外受高2万2067石8斗3升2合を含まない。受高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』の石高と一致し、受高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
越中国新川郡295,756.01000020,031.008000315,787.018000
越中国婦負郡112,139.502000390.765000112,530.267000
越中国射水郡188,681.237000697.335000189,378.572000
越中国砺波郡281,187.358000948.724000282,136.082000
越中国総計877,764.10700022,067.832000899,831.939000
※『共武政表』の越中国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越後国頚城郡1,140225,199.7694001,0935225,199.769400281,635
越後国苅羽郡(刈羽郡)20275,890.293960186275,890.293958103,397
越後国魚沼郡422102,282.3181004112102,282.751000158,019
越後国古志郡29269,235.231600348269,234.79860098,559
越後国三島郡25578,509.007200181478,509.00720083,065
越後国岩船郡26861,820.382750249261,820.38275059,748
越後国蒲原郡1,967537,630.5205801,78423537,629.134580599,253
越後国蒲原郡(新潟県)1,897520,242.884580
越後国蒲原郡(若松県)7017,387.636000
越後国合計4,5461,150,567.5235904,252401,150,566.1374881,383,676
越後国不一致00.000000000.00000030,000
越後国総計4,5461,150,567.5235904,252401,150,836.3685801,150,566.1374881,413,676
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(115万0836石3斗2升8合5勺9才)の越後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の越後国人口合計は明治7年1月1日調本籍人口138万3572人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は誤計算と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
佐渡国加茂郡10048,345.14000094348,420.53600031,800
佐渡国雑太郡10164,521.93700089364,694.26900050,673
佐渡国羽茂郡6222,339.04600062122,399.67600021,932
佐渡国合計263135,206.1230002457135,514.481000104,405
佐渡国不一致00.000000000.0000000
佐渡国総計263135,206.1230002457135,206.123000135,514.481000104,405
※『郡村石高帳』の佐渡国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の佐渡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹波国桑田郡23656,252.463400220156,227.72900052,135
丹波国船井郡22652,134.455100200152,134.45510045,723
丹波国何鹿郡11449,525.940800136149,525.94080040,422
丹波国氷上郡22567,462.689600177167,462.68960065,564
丹波国多紀郡11552,076.370600213152,076.37060043,933
丹波国天田郡12452,013.554360113152,013.55436047,904
丹波国合計1,040329,465.4738601,0596329,440.739460295,681
丹波国不一致0-0.000400000.0000000
丹波国総計1,040329,465.4734601,0596329,465.473860329,440.739460295,681
※『郡村石高帳』の丹波国石高合計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の丹波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹後国与佐郡9442,655.44200095142,655.44200048,246
丹後国加佐郡15439,080.008500151139,080.00850054,999
丹後国中郡3521,987.89280034121,987.89280017,037
丹後国熊野郡5619,004.8770005319,004.87700016,073
丹後国竹野郡7325,273.9100007225,273.91000025,693
丹後国合計412148,002.1303004053148,002.130300162,048
丹後国不一致00.000000000.0000000
丹後国総計412148,002.1303004053148,002.130300148,002.130300162,048
※『共武政表』の丹後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の丹後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口16万2084人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
但馬国朝来郡9220,739.21600082120,739.21600026,958
但馬国養父郡11423,942.88400010423,942.88400036,460
但馬国二方郡5410,163.5490005610,163.54900021,390
但馬国七味郡7311,041.53980069111,041.53980015,009
但馬国気多郡8620,049.92030011020,049.92030021,125
但馬国城崎郡8421,758.95017078121,744.74577024,131
但馬国美含郡8311,993.6780007211,993.67800017,259
但馬国出石郡9728,458.01700085128,458.01700025,648
但馬国合計683148,147.7542706564148,133.549870187,980
但馬国不一致00.000000000.0000000
但馬国総計683148,147.7542706564148,147.754270148,133.549870187,980
※『郡村石高帳』の但馬国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の但馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
因幡国岩井郡5122,620.4330005122,620.43300016,193
因幡国法美郡6120,609.60400062120,609.60400014,624
因幡国八東郡8226,144.0320008926,144.03200019,102
因幡国八上郡6223,863.9990006223,863.99900014,675
因幡国知頭(智頭)郡9816,686.2420009916,686.24200015,418
因幡国邑美郡3317,379.60100031417,379.60100040,000
因幡国高草郡8441,187.21800083141,187.21800023,404
因幡国気多郡8327,141.51600083227,141.51600020,835
因幡国合計561195,632.6450005608195,632.645000164,251
因幡国不一致00.000000000.000000-101
因幡国総計561195,632.6450005608195,632.645000195,632.645000164,150
※『共武政表』の因幡国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の因幡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口16万2396人とほぼ等しい。
[81063] 2012年 7月 10日(火)00:49:38YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (5)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽前国置賜郡263337,240.9150002955337,240.915000146,769
羽前国置賜郡(置賜県)223295,671.543000
羽前国置賜郡(山形県)4041,569.372000
羽前国村山郡478365,370.03946043911365,370.039390242,639
羽前国最上郡8684,057.51631085184,057.51631043,483
羽前国田川郡390160,302.8349104205160,302.834910132,399
羽前国合計1,217946,971.3056801,23922946,971.305610565,290
羽前国不一致00.000000000.000000-10
羽前国総計1,217946,971.3056801,23922946,971.304910946,971.305610565,280
※『郡村石高帳』の羽前国の村数総計は外町34。
※『郡村石高帳』の羽前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の羽前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万7361人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽後国飽海郡28474,941.885800284274,941.88590072,099
羽後国秋田郡289116,598.9560002824116,598.956000186,818
羽後国河辺(川辺)郡5927,174.16300059127,174.16300028,006
羽後国仙北郡184110,219.4870001792110,219.48700087,033
羽後国雄勝郡8852,848.28000086352,848.28000050,453
羽後国山本郡7842,231.17400076242,231.17400063,439
羽後国平鹿郡11567,264.044000114267,264.04400066,723
羽後国由利郡24377,196.899550240477,196.89955075,269
羽後国合計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450629,840
羽後国不一致00.00000000-200.0000000
羽後国総計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450568,274.889450629,840
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(56万8760石2斗7升5合4勺5才)の羽後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の羽後国石高合計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の羽後国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口63万0575人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
渡島国亀田郡29136,415
渡島国茅部郡179,680
渡島国上磯郡178,000
渡島国福島郡64,510
渡島国檜山郡21117,352
渡島国津軽郡13120,860
渡島国爾志郡87,011
渡島国合計1113103,828
渡島国不一致000
渡島国総計111354,814.894820103,828
※『日本地誌提要』の渡島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の渡島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口9万4610人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口9万9909人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
後志国久遠郡9854
後志国奥尻郡486
後志国太櫓郡4303
後志国瀬棚郡5531
後志国島牧郡151,039
後志国寿都郡81,583
後志国歌棄郡61,140
後志国磯屋(磯谷)郡41,304
後志国岩内郡613,075
後志国古宇郡62,009
後志国積丹郡81,620
後志国美国郡51,555
後志国古平郡612,663
後志国余市郡812,725
後志国忍路郡41,515
後志国高島郡41,115
後志国小樽郡515,413
後志国合計107428,530
後志国不一致00-5
後志国総計1074265,580.84719028,525
※『日本地誌提要』の後志国石高総計は物産高。
※『共武政表』の後志国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1万9916人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2万8388人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石狩国石狩郡311,828
石狩国札幌郡1718,825
石狩国夕張郡39
石狩国樺戸郡78
石狩国空知郡0
石狩国雨竜郡0
石狩国上川郡0
石狩国厚田郡10708
石狩国浜益郡8577
石狩国合計38212,055
石狩国不一致000
石狩国総計38239,336.06952012,055
※『日本地誌提要』の石狩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の石狩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7591人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1万2123人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
北見国宗谷郡352
北見国利尻郡947
北見国礼文郡376
北見国枝幸郡157
北見国紋別郡10299
北見国常呂郡7140
北見国網走郡8248
北見国斜里郡5252
北見国合計302,771
北見国不一致00
北見国総計3026,977.4206602,771
※『日本地誌提要』の北見国石高総計は物産高。
※『共武政表』の北見国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1647人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2770人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
胆振国山越郡21,002
胆振国虻田郡4574
胆振国有珠郡52,930
胆振国室蘭郡711,020
胆振国幌別郡5442
胆振国白老郡3581
胆振国勇払郡161,476
胆振国千歳郡6297
胆振国合計4818,322
胆振国不一致007
胆振国総計48115,837.5042908,329
※『日本地誌提要』の胆振国石高総計は物産高。
※『共武政表』の胆振国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7462人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口8421人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日高国沙流郡181,895
日高国新冠郡11548
日高国静内郡162,162
日高国三石郡8390
日高国浦河(浦川)郡201,199
日高国様似郡23424
日高国幌泉郡91,531
日高国合計1058,149
日高国不一致00
日高国総計10548,505.6027708,149
※『日本地誌提要』の日高国石高総計は物産高。
※『共武政表』の日高国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7479人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口6137人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
十勝国広尾郡1234
十勝国当縁郡356
十勝国大津(上川)郡2100
十勝国中川郡22539
十勝国河東郡5210
十勝国河西郡12225
十勝国十勝郡6146
十勝国合計511,510
十勝国不一致00
十勝国総計515,280.4400001,510
※『日本地誌提要』の十勝国石高総計は物産高。
※『共武政表』の十勝国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1477人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1505人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
釧路国白糠郡2361
釧路国足寄郡476
釧路国釧路郡81,132
釧路国善報郡
釧路国阿寒郡573
釧路国網尻郡60
釧路国川上(上川)郡5202
釧路国厚岸郡1711,146
釧路国合計4712,990
釧路国不一致000
釧路国総計47148,342.9878302,990
※『郡村石高帳』記載の善報郡は設置されず。
※『日本地誌提要』の釧路国石高総計は物産高。
※『共武政表』の釧路国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口2339人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2994人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
根室国花咲郡70
根室国根室郡611,324
根室国野付郡4513
根室国標津郡2146
根室国目梨(芽梨)郡4187
根室国合計2312,170
根室国不一致000
根室国総計23135,572.8158302,170
※『日本地誌提要』の根室国石高総計は物産高。
※『共武政表』の根室国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1786人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2270人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
千島国国後郡5303
千島国択捉郡287
千島国振別郡2109
千島国紗那郡4204
千島国蘂取郡2223
千島国合計15926
千島国不一致00
千島国総計1511,778.777250926
※『日本地誌提要』の千島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の千島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口438人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口928人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
天塩国増毛郡52,114
天塩国留萌郡5764
天塩国苫前郡5506
天塩国天塩郡118
天塩国中川郡15
天塩国上川郡26
天塩国合計153,543
天塩国不一致00
天塩国総計1598,259.3245603,543
※『日本地誌提要』の天塩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の天塩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1870人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口3543人と一致する。
[81062] 2012年 7月 10日(火)00:48:01YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (4)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
飛騨国大野郡13722,248.657000159122,248.65700039,896
飛騨国吉城郡17824,395.637000229224,395.63700034,126
飛騨国益田郡10010,551.76400012510,551.76400024,800
飛騨国合計41557,196.058000513357,196.05800098,822
飛騨国不一致00.000000000.0000000
飛騨国総計41557,196.058000513357,196.05800057,196.05800098,822
※『共武政表』の飛騨国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(5万7195石9斗9升3合)の石高と異なる。
※『共武政表』の飛騨国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
信濃国佐久郡18897,567.455400273298,061.81940087,374
信濃国諏訪郡15843,787.16120079243,787.16120061,418
信濃国伊那郡298139,051.6748901103139,051.674890171,413
信濃国筑摩郡23884,459.961790103284,459.961790142,170
信濃国小県郡77,138.537700192177,288.58670083,460
信濃国埴科郡24,602.89400049123,650.56160038,407
信濃国更科(更級)郡59,511.92890011359,319.31590059,615
信濃国安曇郡17964,194.082000101164,194.08200080,802
信濃国水内郡110,120.3413003113109,613.469930127,264
信濃国高井郡86,515.963800170186,291.32857078,021
信濃国合計786,950.0009801,50116785,717.961980929,944
信濃国不一致0.000000000.0000000
信濃国総計786,950.0009801,50116786,411.668380785,717.961980929,944
※『日本地誌提要』の信濃国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の国郡別村数は一部不記載。
※『共武政表』の信濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上野国邑楽郡9380,142.04400088180,142.48400056,437
上野国新田郡11766,914.682320100167,151.96532029,735
上野国山田郡6436,657.46000060136,685.48100038,123
上野国佐位郡4721,625.68500038121,625.68500025,611
上野国那波郡6930,102.30629054130,102.30629017,024
上野国群馬郡234120,194.2505801932120,182.250580100,874
上野国勢多郡19277,348.46185017177,348.46185060,519
上野国利根郡14530,912.781000113230,900.90800031,032
上野国吾妻郡9825,126.6940008535,126.57100032,422
上野国碓氷(碓水)郡8541,484.86955074141,275.30155037,004
上野国片岡郡34,267.61400034,267.6140002,431
上野国多胡郡3212,605.1980002812,605.1980009,353
上野国緑埜(緑野)郡6031,438.55875046131,438.55875021,544
上野国甘楽郡17557,030.502000133157,030.50200055,296
上野国合計1,414635,851.1073401,18612645,883.287340517,405
上野国不一致00.00000000-0.000500-110,941
上野国総計1,414635,851.1073401,18612636,116.851340645,883.286840406,464
※『日本地誌提要』の上野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上野国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口52万1603人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下野国河内郡272108,400.0060002031110,733.48976068,743
下野国芳賀郡276133,633.6411102411134,739.52120060,571
下野国塩谷郡15955,250.48721015255,683.46321037,010
下野国那須郡309119,500.0020902663119,959.54615067,159
下野国足利郡4632,474.02730043132,474.02730037,938
下野国梁田(簗田)郡2914,295.1800002714,295.18000010,783
下野国安蘇(安蘓)郡6462,582.97540046162,582.97540051,023
下野国都賀郡387223,551.3846003827223,674.500600161,371
下野国寒川郡138,960.737000138,960.7370003,868
下野国合計1,555758,648.4407101,37314763,103.440620498,466
下野国不一致00.000000000.000000-16,000
下野国総計1,555758,648.4407101,37314762,851.631820763,103.440620482,466
※『共武政表』の下野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の下野国塩谷郡本籍人口3万1010人は明治12年1月1日調本籍人口4万0846人との比較から3万7010人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国足利郡本籍人口2万7938人は明治12年1月1日調本籍人口4万1917人との比較から3万7938人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国人口総計48万2466人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口49万8520人と比べて過少であり、49万8466人の可能性が高い(塩谷郡・足利郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
磐城国白河郡10664,327.583000106164,327.58300029,670
磐城国石川郡8349,061.7550007549,061.75500019,148
磐城国田村郡143113,312.9497001411113,312.94970056,876
磐城国菊多郡6140,561.9409306140,561.94093019,264
磐城国白川郡9343,620.01344092143,620.01344024,785
磐城国磐前郡11355,515.814300112255,515.81430030,091
磐城国磐城郡5131,941.8940005131,941.89400015,070
磐城国楢葉郡4130,754.1850004030,754.18500011,117
磐城国標葉郡6429,437.1370006429,437.13700016,398
磐城国行方郡12166,919.63600012166,919.63600032,496
磐城国宇多郡5036,837.00000050136,837.00400022,879
磐城国宇多郡(磐前県)4129,677.279000
磐城国宇多郡(宮城県)97,159.721000
磐城国伊具郡3639,528.90700036139,528.90700030,550
磐城国亘理郡2624,678.0740002624,678.07400018,162
磐城国刈田郡3323,991.99300033123,991.99300022,768
磐城国合計1,021650,488.8823701,0088650,488.886370349,274
磐城国不一致00.00000000-0.0040000
磐城国総計1,021650,488.8823701,0088650,488.882370650,488.882370349,274
※『共武政表』の磐城国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の磐城国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口34万9594人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
岩代国会津郡30988,224.545500308288,221.33950065,276
岩代国大沼郡16153,035.58400016153,029.61600032,696
岩代国耶麻郡310126,274.5510003112126,244.94100054,035
岩代国河沼郡24876,121.762000245176,212.17100033,884
岩代国岩瀬郡8869,413.31340083169,413.31340031,437
岩代国伊達郡112114,246.0661701094114,255.30117075,614
岩代国安積郡4853,118.39660048153,116.18460028,454
岩代国安積郡(若松県)1112,123.29184012,121.079840
岩代国安積郡(福島県)3740,995.10476040,995.104760
岩代国信夫郡8889,970.11788087289,975.08788048,434
岩代国安達郡7490,519.20936067190,519.20936062,055
岩代国合計1,438760,923.5459101,41914760,987.163910431,885
岩代国不一致00.000030000.0000000
岩代国総計1,438760,923.5459401,41914760,937.750910760,987.163910431,885
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(76万0974石6斗8升9勺1才)の岩代国の石高総計は全て異なるが、国郡別石高の端数の比較から、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の岩代国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口43万0163人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸前国柴田郡3529,531.5940003529,531.59400021,458
陸前国名取郡6164,270.51000059164,270.51000042,922
陸前国宮城郡7975,087.12300078275,087.123000101,785
陸前国黒川郡4943,818.6400004943,818.64000020,399
陸前国賀美(加美)郡3838,913.9710003838,913.97100018,542
陸前国玉造郡2124,499.36000022124,499.36000014,246
陸前国志田郡6456,402.73000064156,402.73000027,820
陸前国遠田郡5962,372.4900005862,372.49000031,582
陸前国栗原郡93136,620.990000961136,620.99000079,711
陸前国登米郡2441,791.37000021141,791.37000031,158
陸前国牡鹿郡6015,514.07000059115,514.07000026,737
陸前国桃生郡6674,015.5200006674,015.52000040,070
陸前国本吉郡3322,184.18000032222,184.18000040,884
陸前国気仙郡2415,626.76000024215,626.76000042,225
陸前国合計706700,649.30800070112700,649.308000539,539
陸前国不一致00.000000000.0000000
陸前国総計706700,649.30800070112700,649.308000700,649.308000539,539
※『共武政表』の陸前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口53万9614人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸中国磐井郡8684,007.06000086184,007.06000089,139
陸中国胆沢郡3775,764.26000037175,764.26000043,172
陸中国江刺郡4138,815.27000041138,815.27000035,544
陸中国和賀郡6953,170.80900069153,170.80900042,051
陸中国稗貫郡6851,689.69000067151,689.69000037,099
陸中国紫波郡7554,630.5110007454,630.51100034,466
陸中国岩手郡8552,333.36200085152,333.36200079,387
陸中国鹿角郡6920,965.04500070220,965.04500024,537
陸中国閉伊郡13828,559.015000138528,559.01500086,573
陸中国九戸郡5911,907.89000059111,907.89000041,155
陸中国合計727471,842.91200072614471,842.912000513,123
陸中国不一致00.0000000042,136.07000040,369
陸中国総計727471,842.91200072614469,073.737000513,978.982000553,492
※『共武政表』の陸中国石高合計は『郡村石高帳』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『日本地誌提要』の陸中国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸中国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口51万3273人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸奥国二戸郡7514,796.27000031914,796.27000029,507
陸奥国三戸郡12043,792.960000595142,952.69800092,896
陸奥国北郡8323,524.559000454223,524.55900059,279
陸奥国津軽郡876340,987.0490001,0074340,986.364000291,635
陸奥国合計1,154423,100.8380002,3757422,259.891000473,317
陸奥国不一致00.00000000-0.0200000
陸奥国総計1,154423,100.8380002,3757423,100.838000422,259.871000473,317
※『郡村石高帳』の陸奥国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸奥国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81061] 2012年 7月 10日(火)00:46:36YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (3)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
武蔵国豊島郡19048,764.867890102348,764.551920739,773
武蔵国荏原郡11033,613.80418092133,613.54918086,654
武蔵国橘樹郡12655,087.514110123355,087.51411065,808
武蔵国多摩郡436139,574.3175803943139,574.317580174,233
武蔵国多摩郡(東京府)5511,777.943980
武蔵国多摩郡(神奈川県)381127,796.373600
武蔵国久良岐郡4416,614.42253053216,614.42253082,114
武蔵国新座郡4714,285.5486403314,190.54864018,387
武蔵国入間郡350100,814.350500250199,144.670500106,698
武蔵国高麗郡20427,574.26490011727,206.89350033,147
武蔵国秩父郡8831,452.17200084131,258.19600059,886
武蔵国男衾郡359,158.394860268,992.93536011,051
武蔵国大里郡4923,657.70592039123,560.70592022,029
武蔵国比企郡26560,968.63117016260,473.96517054,970
武蔵国横見郡4820,496.5910004720,412.25700010,343
武蔵国幡羅郡6439,593.9280005939,165.40800025,694
武蔵国榛沢郡9731,893.4000007431,755.80000034,049
武蔵国那賀(那珂)郡166,944.069000116,903.9830005,801
武蔵国児玉郡7027,606.92000060127,488.12000023,653
武蔵国賀美郡2812,705.8540002712,607.63400010,051
武蔵国埼玉郡466283,160.8416404248283,060.841640227,218
武蔵国足立郡429149,513.16579040510149,513.165790171,649
武蔵国足立郡(東京府)4318,932.878500
武蔵国足立郡(埼玉県)386130,580.287290
武蔵国葛飾郡288120,037.635590288151,767.206330127,904
武蔵国葛飾郡(東京府)12051,767.206330
武蔵国葛飾郡(埼玉県)16868,270.429260
武蔵国都筑郡7028,482.3716007228,482.37160027,744
武蔵国合計3,5201,282,000.7709002,942351,209,639.0577702,118,856
武蔵国不一致00.00000000-0.0016101,414,015
武蔵国総計3,5201,282,000.7709002,942351,282,000.4549301,209,639.0561603,532,871
※『郡村石高帳』の武蔵国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の武蔵国人口合計211万8856人は明治8年1月1日調本籍人口205万7870人と比べて過剰であり、現住人口ベースか。明治6年1月1日調現住人口210万8076人と数字が近く(東京府の現住人口は前後で年間3万~5万人増加)、約1万人ほど過剰となっているが、明治12年1月1日調本籍人口との比較で人口過剰となっている郡を特定できない。
※『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安房国長狭郡6023,011.9270906323,011.92709038,459
安房国朝夷郡6222,641.0188106422,641.01881038,474
安房国平(平群)郡7226,137.34710075126,137.34710040,343
安房国安房郡5323,851.13050090223,851.13050038,055
安房国合計24795,641.423500292395,641.423500155,331
安房国不一致00.000000000.0000000
安房国総計24795,641.423500292395,641.42350095,641.423500155,331
※『共武政表』の安房国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安房国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上総国天羽郡7524,684.4497507624,684.44975026,825
上総国周淮(周准)郡10927,021.502700108127,021.50270031,235
上総国望陀郡19760,127.944430193160,127.94443055,015
上総国市原郡19256,739.004320187256,739.00432060,031
上総国夷隅郡18269,133.876670170269,133.87667078,698
上総国長柄郡13862,336.711210129162,336.71121058,955
上総国埴生郡4818,570.3143504818,570.31435018,111
上総国山辺郡13253,287.677050131153,287.67705053,721
上総国武射郡13255,412.29046013155,412.29046041,005
上総国合計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940423,596
上総国不一致00.000000000.0000000
上総国総計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940427,313.770940423,596
※『共武政表』の上総国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上総国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下総国葛飾郡662123,436.2542103313123,436.254210148,015
下総国猿島郡7945,575.34490080145,575.34490040,908
下総国結城郡9835,313.34240051135,313.34240019,562
下総国豊田郡8039,254.40824079139,254.40824027,179
下総国相馬郡14864,464.05748013464,464.05748060,630
下総国千葉郡13444,420.164890126144,420.16489059,123
下総国埴生郡6425,773.3296206225,773.32962018,542
下総国香取郡306148,826.7925903082148,826.792590103,664
下総国匝瑳郡8437,736.4295808237,736.42958039,301
下総国海上郡7626,713.13449075126,713.13449049,249
下総国岡田郡5623,375.2034405323,375.20344014,966
下総国印旛郡28770,139.536410240170,139.53641069,694
下総国合計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250650,833
下総国不一致00.000000000.0000000
下総国総計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250685,027.998250650,833
※『郡村石高帳』の下総国の国郡別石高は外反高2345石8斗6升2合3勺(千葉郡)を含まない。反高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』、『共武政表』の石高と一致し、反高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国反高加算前石高反高反高加算後石高
下総国千葉郡44,420.1648902,345.86230046,766.027190
下総国総計685,027.9982502,345.862300687,373.860550
※『共武政表』の下総国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(65万0863人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
常陸国茨城郡329151,062.5139003022151,057.762900124,283
常陸国那珂郡12787,229.057000127187,229.05700074,507
常陸国久慈郡14188,328.120000141188,328.12000065,219
常陸国多賀郡9252,235.6834108352,235.68341040,410
常陸国新治郡190116,603.6133001892116,572.04030078,976
常陸国真壁郡306133,448.7918002621133,460.17180069,201
常陸国筑波郡19780,660.073400173180,661.07340048,058
常陸国信太郡9544,798.2413409444,798.24134025,739
常陸国河内郡14463,658.394910144163,658.39491042,272
常陸国行方郡8353,008.44198082153,008.44198038,614
常陸国鹿島郡13150,596.221460130250,596.22146053,074
常陸国合計1,835921,629.1525001,72712921,605.208500660,353
常陸国不一致00.000000000.000000-7
常陸国総計1,835921,629.1525001,72712921,635.781500921,605.208500660,346
※『郡村石高帳』の常陸国の村数総計は外町3。
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(91万2453石5斗4升5勺)の常陸国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の常陸国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(66万1898人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
近江国犬上郡13362,137.207720110162,137.20772069,976
近江国愛知郡12864,802.52880012664,802.52880038,751
近江国神崎郡8648,425.1710008648,425.17100035,678
近江国蒲生郡244139,630.7746502142139,630.77465080,783
近江国甲賀郡13878,654.159160134178,654.15916059,438
近江国野洲郡10168,550.1747007868,550.17470034,117
近江国栗太郡12170,371.93765011070,371.93765041,401
近江国滋賀郡8846,218.55730078346,218.55730055,274
近江国高島郡15274,146.150000129274,146.15000045,335
近江国伊香郡7136,012.0554007736,012.05540020,863
近江国浅井郡14476,841.44180014476,841.44180038,688
近江国坂田(阪田)郡17392,059.367100165192,059.36710057,795
近江国合計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280578,099
近江国不一致00.000000000.0000000
近江国総計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280857,849.525280578,099
※『共武政表』の近江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の近江国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美濃国不破郡4641,418.7413004641,418.74130027,082
美濃国多芸郡6038,422.17360061138,422.17360023,020
美濃国石津郡7928,785.49790073128,785.49790024,044
美濃国安八郡15195,778.626500152295,778.62650068,585
美濃国池田郡6924,479.0349006924,479.03490020,428
美濃国大野郡12454,605.029800118154,605.02980031,687
美濃国本巣郡6840,354.49850067140,354.49850025,622
美濃国席田郡95,731.80490095,731.8049002,963
美濃国方県郡5436,834.8649005336,834.86490023,672
美濃国厚見郡5742,831.33480057242,831.33480047,615
美濃国山県郡4926,395.4800004726,395.48000022,403
美濃国武儀郡8644,210.25680080244,210.25680064,964
美濃国郡上郡16532,071.210700164132,071.21070048,945
美濃国加茂(賀茂)郡10747,329.22974010147,329.22974050,906
美濃国恵那(恵奈)郡8141,919.40963075341,919.40963056,316
美濃国土岐郡4922,597.1085804922,597.10858029,662
美濃国可児郡9434,032.5446007434,032.54460027,150
美濃国各務郡4120,733.4471003820,733.44710016,741
美濃国羽栗郡6324,162.45800062224,162.45800030,895
美濃国中島郡3115,212.2664003115,212.26640018,051
美濃国海西郡2611,749.8650002611,749.8650007,396
美濃国合計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650668,147
美濃国不一致00.000000000.0000001
美濃国総計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650729,654.883650668,148
※『共武政表』の美濃国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81060] 2012年 7月 10日(火)00:43:42YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (2)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊勢国度会郡17755,535.694200198155,535.69420093,959
伊勢国多気郡13048,411.33150013048,411.33150035,267
伊勢国飯野郡4825,854.6120004425,854.61200014,614
伊勢国飯高郡11052,502.233500108152,502.23350045,795
伊勢国一志郡154105,666.9060001301105,666.90600073,216
伊勢国三重郡9167,117.63030090167,117.63030052,830
伊勢国朝明郡6633,811.7460006933,811.74600027,795
伊勢国桑名郡16162,901.355000166162,901.35500052,207
伊勢国員弁郡11050,570.09500011250,570.09500036,720
伊勢国河曲郡3834,176.29800038134,176.29800020,272
伊勢国鈴鹿郡8966,638.94650084266,638.94650041,562
伊勢国安芸(奄芸)郡6247,666.58200056147,666.58200034,634
伊勢国安濃郡8863,522.98500082163,522.98500055,858
伊勢国合計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000584,729
伊勢国不一致00.000000000.0000000
伊勢国総計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000714,376.415000584,729
※『共武政表』の伊勢国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊勢国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口58万5988人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
志摩国答志(荅志)郡3711,564.43100039111,564.43100023,089
志摩国英虞郡197,714.772000197,714.77200023,854
志摩国合計5619,279.20300058119,279.20300046,943
志摩国不一致00.000000000.0000000
志摩国総計5619,279.20300058119,279.20300019,279.20300046,943
※『共武政表』の志摩国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の志摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
尾張国愛智(愛知)郡136124,473.7831001563124,473.783100206,114
尾張国春日井郡202151,462.5660002061151,462.566000110,581
尾張国丹羽郡13173,199.891100131173,199.89110069,453
尾張国葉栗郡4119,070.5140003719,070.51400024,602
尾張国中島郡164124,229.7450001621124,229.74500090,016
尾張国海東郡152127,615.0750001462127,615.07500075,991
尾張国海西郡9844,587.16200010944,587.16200031,328
尾張国知多郡147100,135.4300001482100,135.430000123,890
尾張国合計1,071764,774.1662001,09510764,774.166200731,975
尾張国不一致0.000000000.000000-1
尾張国総計764,774.1662001,09510764,774.166200764,774.166200731,974
※『共武政表』の尾張国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の尾張国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
三河国額田郡20652,555.102000186152,555.10200054,518
三河国碧海郡17897,311.004000179397,311.004000102,382
三河国加茂(賀茂)郡35767,537.997000353267,537.99700059,207
三河国幡豆郡19471,822.187000184171,822.18700073,697
三河国宝飯郡12158,041.91100011858,041.91100055,425
三河国設楽郡22430,171.544000230130,171.54400038,153
三河国八名郡7127,124.4210007427,124.42100023,755
三河国渥美郡13967,809.544000130267,809.54400078,333
三河国合計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000485,470
三河国不一致00.000000000.0000000
三河国総計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000472,373.710000485,470
※『共武政表』の三河国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の三河国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
遠江国榛原郡14050,382.506490140350,382.50649069,249
遠江国城東郡11168,988.173520116168,988.17352052,317
遠江国佐野郡9929,364.46551095129,364.46551030,616
遠江国山名郡11139,956.32453010939,956.32453024,902
遠江国周知(周智)郡9725,173.40110095125,173.40110028,740
遠江国磐田郡11,168.039000111,168.0390004,430
遠江国豊田郡26955,990.899310271355,990.89931066,961
遠江国長上郡12430,573.09936012630,573.09936031,519
遠江国鹿玉(麁玉)郡62,533.27131062,533.2713103,057
遠江国敷智(敷知)郡14249,254.380130146249,254.38013080,761
遠江国浜名郡21,269.52900021,269.5290003,187
遠江国引佐郡4917,892.25975050117,892.25975019,189
遠江国合計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010414,928
遠江国不一致00.000000000.0000000
遠江国総計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010372,546.349010414,928
※『共武政表』の遠江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の遠江国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
駿河国富士郡15751,258.014050153248,772.04610057,975
駿河国駿東郡17353,159.584930165251,960.88200070,608
駿河国安倍郡13021,230.783730125119,427.56985028,308
駿河国有度(有渡)郡11037,548.949050109135,090.98320083,962
駿河国庵原郡8722,275.93270083221,740.18780048,379
駿河国志太郡13654,340.92840012853,141.88600067,851
駿河国益津(益頭)郡3612,139.97200036211,912.90100016,296
駿河国合計829251,954.16486079910242,046.455950373,379
駿河国不一致00.000000000.0000000
駿河国総計829251,954.16486079910251,782.795400242,046.455950373,379
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(25万1918石9斗6升4合4勺5才)の駿河国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の駿河国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口37万2674人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
甲斐国山梨郡14779,555.638700140178,019.23920072,741
甲斐国八代郡18168,037.682750151166,603.55779070,588
甲斐国都留郡10721,637.765500107321,339.52550067,311
甲斐国巨摩郡337142,954.0899002621141,622.011000152,333
甲斐国合計772312,185.1768506606307,584.333490362,973
甲斐国不一致00.000000000.0000000
甲斐国総計772312,185.1768506606307,584.333490307,584.333490362,973
※『郡村石高帳』の甲斐国石高は、外に貫高3貫500文(巨摩郡)。
※『共武政表』の甲斐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の甲斐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊豆国君沢郡7122,970.86769070153.87810022,916.98959030,474
伊豆国田方郡6925,835.4745407046.23700025,789.23754022,272
伊豆国加茂(賀茂)郡12830,642.909130126135.12546030,607.78367067,113
伊豆国那賀郡174,587.957000177.7150004,580.2420009,820
伊豆国合計28584,037.2083602832142.95556083,894.252800129,679
伊豆国不一致00.000000000.0000000
伊豆国総計28584,037.208360283283,894.25280083,894.252800129,679
※『郡村石高帳』と『日本地誌提要』の伊豆国の町村数総計には、郡が設置されていなかった伊豆七島(『日本地誌提要』によると、大島5村、利島1村、新島2村、神津島1村、三宅島5村、御蔵島1村、八丈島5村、小島2村、青島2村、合計24村)、小笠原島(『日本地誌提要』によると、父島3村、母島1村、合計4村)が含まれない。また伊豆七島、小笠原島は一般に無高とされていた。
※『郡村石高帳』の伊豆国の国郡別石高は過高142石9斗5升5合5勺6才を含む。過高加算前の国郡別石高は『郡村石高帳』、『共武政表』、『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
伊豆国君沢郡22,916.98959053.87810022,970.867690
伊豆国田方郡25,789.23754046.23700025,835.474540
伊豆国加茂郡30,607.78367035.12546030,642.909130
伊豆国那賀郡4,580.2420007.7150004,587.957000
伊豆国総計83,894.252800142.95556084,037.208360
※『共武政表』の伊豆国人口総計は、明治7年1月1日調本籍人口15万1774人より明治6年1月1日調の伊豆七島の口2万1791人(『日本地誌提要』によると、大島4460人、利島235人、新島2550人、神津島1445人、三宅島2790人、御蔵島239人、八丈島9423人、小島396人、青島253人)、波津島人口285人(『日本地誌提要』によると賀茂郡に含まれる)、小笠原島人口42人(『日本地誌提要』によると、父島38人、母島4人)を減じた値12万9656人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
相模国足柄上郡9835,074.4482609435,074.44826031,301
相模国足柄下郡9230,561.28810086130,561.28810046,051
相模国大住郡11966,244.425560115266,244.23190055,680
相模国淘綾郡208,108.4166601918,108.41666013,084
相模国愛甲郡4326,265.22507042126,252.01207025,748
相模国津久井郡2912,421.2702503012,421.27025019,881
相模国三浦郡7824,457.49530077324,457.49530062,052
相模国鎌倉郡8931,475.90219085231,475.90219037,985
相模国高座郡11055,168.260580111155,168.26058068,140
相模国合計678289,776.73197065911289,763.325310359,922
相模国不一致00.00000000-60.0000000
相模国総計678289,776.73197065911289,844.162310289,703.325310359,922
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(28万9700石2斗2升5合3勺1才)の相模国の石高総計は全て異なる。
※『郡村石高帳』の相模国の国郡別石高は過高13石4斗6合6勺6才(大住郡、愛甲郡)を含む。過高加算前の国郡別石高は『共武政表』の石高と一致する。また外に永高1122貫371文8分(鎌倉郡)。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
相模国大住郡66,244.2319000.19366066,244.425560
相模国愛甲郡26,252.01207013.21300026,265.225070
相模国総計289,763.32531013.406660289,776.731970
※『共武政表』の相模国石高は、外に永高1322貫371文8分(鎌倉郡)。
※『共武政表』の相模国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口35万9598人とほぼ等しい。
[81059] 2012年 7月 10日(火)00:40:53YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (1)
[[80384]][[80385]]で、明治5年の石高について簡単にまとめましたが、今回『郡村石高帳』記載の郡別石高について一通り纏めることが出来たので、紹介します。

今回紹介する『郡村石高帳』とは、東京大学史料編纂所所蔵の手書きのものです。史料には
明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功
との記載があり、写本が作成されたのが、地租改正の始った年である明治6年の6月。つまり書き記されている石高は、明治5年度終了時点での、地租改正前の最後の地租であると推測されます。

実は全く同じ『郡村石高帳』というものが一橋大学の経済研究所付属社会化学統計情報研究センターにあります。こちらの史料についても内容を確認したところ、一橋大学所蔵のものは、総理府統計局図書館所蔵の『郡村石高帳』のコピーを取った複製品であることが分かりました。そこで東大史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』と一橋大学所蔵の『郡村石高帳』(即ち総理府統計局所蔵のもののコピー)を実際に手にとって比較したところ、東大史料編纂所所蔵のものには朱書きによる修正が沢山入っているのに対し、一橋大学所蔵のものは修正が入っておらず、時系列的には一橋大学所蔵のものに修正を入れたのが東大史料編纂所所蔵のもので、情報量は東大史料編纂所所蔵のものの方が圧倒的にあることが分かりました。

ところで同じような郡別石高が、菊地利夫『続・新田開発―事例編』古今書院(1986年)にも載っています。この石高は、様々な辞書でも引用されているもでもありますが(例えば江戸と座敷鷹のサイトで引用されている石高は、元をただせば菊地氏の著作から)、
この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。
とのことです。しかしながら、東大史料編纂所所蔵の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の原本を私が確認したところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字は不完全で、数字もどちらかといえば『旧高旧領取調帳』ベースのものを持ってきたと思われます([80385])。

木村礎校訂『旧高旧領取調帳』(1969年~1979年)の石高については過去に[76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822][76904]でまとめましたが、これは関東大震災前に芦田伊人が内務省地理局地誌課に存在した原本を書き写したものを校訂したものです。『旧高旧領取調帳』の編纂経過・編纂年は不明ですが、おそらく『皇国地誌』製作事業の過程で製作されたもので、一部内容から明治9年以降に製作されたものとされています。ただ重要なのはその石高が何時のものかということで、旧領時代の史料となると府藩県三治制時代のもので、地租改正直前最後の明治5年の石高よりも数年前の状況を表しているものと推測されます。

[80384][80385]でもまとめましたが、『郡村石高帳』と同系列の石高を記しているものとして、『明治八年共武政表』(1875年)『日本地誌提要』(1875年)「大日本石高反別古今比較表」『地理局雑報』(8号)(1878年)があります。『日本地誌提要』は
戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル
『地理局雑報』は、
石高ハ明治五年郡村地租帳
と記述していることからも、『郡村石高帳』の石高が明治5年調であることが示唆されます。

さて、『明治八年共武政表』は明治一桁代の郡別人口(その多くは明治6年1月1日調本籍人口)を伝える数少ない史料です。一方『日本地誌提要』は明治7年頃の郡別町村数を記載していますが、その数は『郡村石高帳』の村数と大分異なります。『日本地誌提要』によると、
郡数ノ条。村町ヲ挙ゲ。村数ハ本支ヲ合計シ区分ハ之ヲ略ス。
とあるので、枝村や町の数を省略している『天保郷帳』や分類の曖昧な『旧高旧領取調帳』のものよりは、『日本地誌提要』の町村数の方がより正確とは思われます。

というわけで今回まとめるのは、『郡村石高帳』記載の村数と石高、『日本地誌提要』記載の村数、町数と石高、『共武政表』記載の石高と人口です。

以下、旧国毎に集計します。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
山城国葛野郡8535,655.4545108035,655.45451027,315
山城国愛宕郡9227,161.2737006127,161.273700257,835
山城国宇治郡4615,432.0524303915,432.05243011,330
山城国乙訓郡5225,792.7496005025,792.74960015,537
山城国紀伊郡3327,676.88837024127,676.88837037,421
山城国久世郡4028,420.10236037228,420.10236021,203
山城国綴喜郡6024,963.43900055124,963.43900027,075
山城国相楽郡7937,266.7452008837,266.74520033,730
山城国合計487222,368.7051704344222,368.705170431,446
山城国不一致00.00000000-9,999.999540-10,000
山城国総計487222,368.7051704344222,368.705170212,368.705630421,446
※『共武政表』の山城国石高合計は『郡村石高帳』、『日本地誌提出要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の山城国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口(皇族を除く)と一致し、『共武政表』の山城国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大和国添上郡15658,233.123980140158,233.12398053,256
大和国添下郡7140,513.95040074140,513.95040038,176
大和国平群郡9031,797.7692008331,797.76920024,419
大和国山辺郡16149,131.41075014849,131.41075033,763
大和国宇陀郡11833,947.189100139133,947.18910025,794
大和国式上(城上)郡5722,711.8037005622,711.80370019,653
大和国式下(城下)郡4827,171.3380005327,171.33800014,410
大和国十市郡7042,455.3966308542,455.39663025,022
大和国広瀬郡3718,518.1890003418,518.18900013,368
大和国葛上郡7124,570.80800062124,570.80800019,740
大和国葛下郡8842,328.2830008642,328.28300033,920
大和国高市郡12841,756.66520012141,756.66520033,734
大和国忍海郡225,577.459000205,577.4590002,811
大和国宇智郡6918,388.7831006318,388.78310017,109
大和国吉野郡24646,584.067700325145,584.06770067,780
大和国合計1,432503,686.2367601,4895502,686.236760422,955
大和国不一致00.000000000.000000-20,000
大和国総数1,432503,686.2367601,4895502,686.236760502,686.236760402,955
※『郡村石高帳』の大和国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大和国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『共武政表』の大和国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口42万3004人とほぼ等しく、『共武政表』の大和国総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
河内国茨田郡9738,222.96400069238,222.96400030,295
河内国交野郡6223,620.9025003923,120.90250021,092
河内国讃良郡4115,369.09000034115,369.90000013,910
河内国河内郡4216,095.4927002816,095.49270016,499
河内国若江郡7140,188.64330064140,188.55330027,873
河内国高安郡235,973.110000145,973.1200006,147
河内国渋川郡4223,134.19730033123,134.19730012,978
河内国大県郡184,717.102000114,717.1020004,647
河内国志紀郡2713,113.2693002213,113.26930010,323
河内国丹北郡5323,820.7770004523,820.77700020,154
河内国石川郡5425,140.21400046125,161.70100022,662
河内国錦部郡7118,204.8831004918,205.38310015,471
河内国安宿部(安宿)郡42,584.850000412,585.0500002,585
河内国丹南郡5122,573.2708005222,173.27080020,009
河内国八上郡1513,078.5500001113,078.5500006,117
河内国古市郡177,281.2712001317,281.7202006,910
河内国合計688293,118.5872005348292,241.953200237,672
河内国不一致00.00000000903.531000906
河内国総計688293,118.5872005348293,118.587200293,145.484200238,578
※『郡村石高帳』の河内国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の郡別石高には様々な誤写があると推測される。
※『共武政表』の河内国人口合計23万7672人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口23万7678人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
和泉国大鳥郡15451,548.055000103251,491.34600081,089
和泉国泉(和泉)郡10431,037.62190082130,958.60190030,665
和泉国南(泉南)郡7636,833.14580073236,828.75080043,622
和泉国日根郡8256,771.95340075256,356.46740054,202
和泉国合計416176,190.7761003337175,635.166100209,578
和泉国不一致00.000000000.00000090,000
和泉国総計416176,190.7761003337176,190.776100175,635.166100299,578
※『郡村石高帳』の和泉国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の和泉国人口合計20万9578人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口20万9174人とほぼ等しく、『共武政表』の和泉国人口総計は誤写と推測される。

村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
摂津国島上郡9332,603.95120060232,597.73020024,685
摂津国島下郡14357,338.492300103257,399.66630035,350
摂津国豊島郡16231,656.67270087131,656.67270029,136
摂津国有馬郡11545,986.91140094245,986.91140032,010
摂津国八部郡5319,658.07840038219,658.07840050,455
摂津国兎原(菟原)郡6113,970.2940005113,970.29400024,538
摂津国武庫郡6023,759.55620056123,759.55620028,777
摂津国川辺(河辺)郡21767,186.241800178267,186.24180064,278
摂津国西成郡18154,054.030000124253,969.238000343,227
摂津国東成郡7736,744.27500058136,699.12500061,916
摂津国住吉郡6920,821.24280056220,761.91680025,147
摂津国能勢郡5412,742.1900004012,742.19000011,424
摂津国合計1,285416,521.93580094517416,387.620800730,943
摂津国不一致00.00000000416,387.6208000.0000000
摂津国総計1,285416,521.93580094517416,387.620800416,387.620800730,943
※『共武政表』の摂津国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の摂津国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊賀国阿拝郡6945,304.53500068145,304.53500049,839
伊賀国山田郡2517,775.1898002617,775.1898009,807
伊賀国伊賀郡5030,298.5674005130,298.56740021,639
伊賀国名張郡3817,539.67420043117,539.67420015,905
伊賀国合計182110,917.9664001882110,917.96640097,190
伊賀国不一致00.000000000.0000000
伊賀国総計182110,917.9664001882110,917.966400110,917.96640097,190
※『共武政表』の伊賀国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊賀国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81058] 2012年 7月 9日(月)21:52:59ゆう さん
政令指定都市ラベル
[81024]グリグリさん
札幌市、仙台市、横浜市、川崎市、名古屋市、神戸市、北九州市の都道府県名とは異なる政令指定都市のドメインは、JPドメイン開設と同時に都道府県名ドメイン同様、地域型JPドメインとして確保されていたと考えられます。
厳密に言えば、JPドメインの運用がはじまったのは1986年のことですが、当時はまだ地域型ドメインはありませんでした。地域型ドメインがはじめて登場したのは1993年のことで、その時点で既設の指定都市ラベルが割当てられました。 地域型ドメイン名の導入実験


当時のJPドメインの枠組みであれば新たに指定都市に移行する市があれば新たなラベルを割当て可能だったのですが、2001年の汎用JPドメイン受け付けをもって、政令指定都市専用ラベルを確実に予約することが不可能になります。結果的に、この1993年から2001年の間には指定都市の移行は1件もありませんでした。

www.city.sakai.jp は使えない
屁理屈を言えば、もし堺市が"SAKAI.JP"の所有者たる坂井さんから、そのサブドメインの1つ"CITY.SAKAI.JP"の委譲を受けることができれば、堺市はそれを使うことが可能になります。地域型ドメインでもなく、独自ドメインでもないということになります…。
[81057] 2012年 7月 9日(月)19:35:00みかちゅう さん
バス路線図の制作
[81054]H2さん
いま調べている具体的な場所は、山口県美祢市です。
美祢市内全域のようなある程度広い範囲の路線図を作成する際に参考になる本として、バス路線図を制作している個人・団体などが共同で執筆した『バスマップの底力』(全国バスマップサミット実行委員会 編著)というものがあります。詳しいことはこちらの本をお読みになるのがいいと思います。

行政や市民団体であれば詳細な路線図(区間距離などが分かる運賃計算の元になるもの)・系統一覧・停留所ごとの時刻表を事業者が提供してくれるかもしれませんが、個人ではなかなか難しいことが多いです。結局は停留所を回って情報収集→(車で)現地調査というのは必須です。大手事業者は路線図や時刻表をホームページで積極的に公開するようになってきましたが、地元の貸切バス業者が運行しているような路線はネット上では存在すらつかめないものもあります。

いままであれこれ見てはきましたが、「趣味で調査・制作をやっている」のが便利な路線図のようです。企業や役所だとどうしても予算上の制約が出てくるからでしょう。
[81056] 2012年 7月 9日(月)07:10:18山野[煮豆] さん
女性首長1人減
グリグリさん(宛で良いのかな?)へ
昨日行われた常総市長選挙にて、現職が落選しました。
という事で女性首長一覧表の修正お願いします。
[81055] 2012年 7月 9日(月)06:55:19山野[煮豆] さん
「県税」ではなく「犬税」
-大阪府泉佐野市-
市の命名権(ネーミングライツ売却を打ち出した同市にて、今度は「犬税」の導入を検討しているとか。
記事中(一部抜粋)
総務省によると、犬税は昭和30年には2686自治体が実施していたが徐々に減少し、
57年3月末に長野県四賀(しが)村(現松本市)が条例を廃止したのを最後になくなっていた。
現在では既に無い条例という事だが、気になるのが1点。
→四賀村以外で導入されていた自治体って何処なんでしょうか。

というか、「ペット税」ってあったんですね。実際に。
[81054] 2012年 7月 9日(月)01:21:37H2 さん
バス路線の調査
[81029] みかちゅうさん、レスありがとうございます。

そもそも路線バスについて知りたかったのは、路線バスをもっと観光客に利用してもらえないものか、と思ったからです。そうしたら、補助金で成り立っている地方の閑散路線バスも、少しはマシになるでしょうし。

で、昭文社の『都市地図シリーズ』の該当都市分をネット購入しました。ご紹介いただいた『県別マップル』だと、手元にある今は廃番の『ニューエスト』シリーズ同様に、周辺部が広域図のみで路線表示が省略されているかもしれないこと、差し当たっては県レベル全体は不要&価格が高い、という点から。なお、ルートが線で示されているのは昭文社だけかもしれませんね。

現物が届いて内容をチェックしてから昭文社にも問い合わせをしたのですが、バス停名称やバス停の場所・ルートなど、厳密な正確性は指向していないようです。ざっくりという印象です。一定の法則にもとづく省略表記はあっていいと思いますが、この手の地図としてざっくりなのはいただけないなと正直思います。地元民で普段から利用している人以外は、バス停や乗り場を間違う可能性がありますからね。

いま調べている具体的な場所は、山口県美祢市です。秋吉台・秋芳洞などのある観光地の特性もあって、6社のバス会社が踏み入れています。他に高速バスと観光乗合タクシーとJR鉄道線1路線があります。先頃、これらを1冊にまとめたバスブックが市によって初めて?発行されたのですが(市内世帯配布用)、路線図の間違いや抜けが数カ所あり、バス停も表記間違いや抜けが結構あったので(少なくとも十分に校正作業をしたと言えるレベルではない)、都合上全部チェックしようと思いました。出身地なのでバス停名の読みはある程度わかる&ほぼ調べられたのですが、もしバス会社の方で厳密に定義せず(省略以外で)複数の名称が混在している場合があると困りものですね。

なお、唯一まだ読みがわからないのは、「東畑」というバス停です。豊田前町麻生下にあるブルーライン交通の路線のバス停です。ひがしばた?/ひがしはた?/あずまばた?あたりが考えられますが、まぁ残り1つまでに絞れたので、他の確認点をまとめたのちにバス会社に問い合わせればわかりますね。残る大きな課題は、バス停の正式名称ですね。きっちり詰めた上で、問い合わせて確認してそこでいったんOKするかたちでしょうかね。

美祢市内には秋吉台・秋芳洞以外にも小さな観光ポイントがいくつかありますので、秋芳洞までバスで観光に来た方がもう少しほかにも足をのばせるといいなと思っています。別府弁天池とか長登銅山跡とかサファリランドとか。
[81053] 2012年 7月 8日(日)22:53:10にまん さん
常磐高速バス
[81049] オーナー グリグリさん
つくば方面はTXが開通してからもそれなりに利用されているのでしょうか。所要時間は微妙ですが、私のようにバス停が近くて便利な人にはバスが優位だと思います。
TXの影響はかなりあると思いますが、現在でもこれだけの本数が維持されているということは、利用されているんでしょうね。
つくば便の場合も、途中の並木地区あたりになると、つくば駅まで2~3kmありますから、バスで駅まで出るなら、そのままバスでという需要も十分あると思います。大学が終点になっているのも同様の理由でしょうね。
岩井・水海道便の場合も通勤利用の中心は、絹の台~松前台のニュータウン地区でしょうが、このあたりも少し歩いて小絹駅か新守谷駅に出るか、バスで新守谷駅か守谷駅に出るかですから、乗換えなんかを考えると高速バスは魅力的でしょうね。

あと、[81045]で書いたTXへの乗り換え割引ですが、直接競合するつくば線の方は適用はなく、水海道方面だけが対象でした。(水戸線も対象ですが、こちらは通勤利用はほぼないでしょうね)
[81052] 2012年 7月 8日(日)22:40:57hmt さん
町裏とは町の内側か
[81047] 千本桜 さん
もしかすると、町裏=外側、背後、陰などを連想するからいけないので、裏=内側と解釈すれば良いのかなと考えたりもします。

私も同じ解釈です。典型的な使用例として、天皇の宮殿に使われた「内裏」(だいり)があります。
地名の用例では「裏海」(りかい)。
カスピ海のことですが、「内海」を意味します[44042]
[81051] 2012年 7月 8日(日)19:04:09【2】Issie さん
バスターミナル
いつの間にかもう30年近く前になりますが,学生時代に当時まだ軍事政権下にあった韓国に行ったことがありました。何しろ初めての海外旅行ですから,いろいろ印象に残ったことが多かったのですが,韓国ではずいぶんと高速バス交通網が発達しているんだな,というのもその1つでした。
某団体関係の日韓学生交流行事なので集団行動でプサン→チョナン→ソウル→キョンジュ→テグ→プサンという移動のほとんどを高速バスで行いました。「鉄」としては最後のテグ→プサン間の移動だけが鉄道だったのがとても残念だったのですが(就活の関係で途中で帰った先輩はソウルからプサンへ「セマウル」に乗れると喜んでいました),バスターミナルや高速バス網の充実ぶりに驚いたものです。30年前の,特に東京周辺と比較して。
たとえば,高速バスのターミナルは基本,高速道路のIC近くにありました。だからたとえば,キョンジュでは郊外にある歴史遺跡をまわったのですが,結局キョンジュの中心市街は見ずじまいでした。

[81049] グリグリ さん
駅に直結する大規模なバスターミナルってどこかな。

形としては 高山駅 なんかが当たりそうですが,地方都市相応の大きさですね。あるいは,伊予鉄の 松山市駅。
一般に大規模なバスターミナルが整備されているのは地方中核都市が多く,それが駅のそばにあるのはあまり多くないように思います。恐らくは,
・面的な広がりを持った地域圏内の交通の大部分を民営の長距離路線バスが担ってきたこと
・もともと鉄道は建設当時の既存市街地を避けて敷設されるものであり,必然的に鉄道(特に国鉄・JR)の駅は(その当時の)町外れに設置されること
・既存の道路を利用するバスは市街中心部に乗り入れることが容易であり(これが鉄道に対する優位性でもある),都心部にターミナルを求めたこと
・バス事業者間に,しばしば行政も関わってターミナルが整備される際に,町外れの鉄道駅ではなく都心部に立地を求めることが多かったこと
…などが理由にあるのではないかと思っています。
広島のバスセンターなどが,その典型的な例ではないか,と。
高速バスは結局,既存のバスターミナルに乗り入れてくることが多いですね。長野のように,バスターミナルがバスターミナルとして利用されず,ただの一般停留所に過ぎない例もありますが(長野バスターミナルは,“バスターミナルの失敗例”ではないかと思っています)。

東京の場合,まずは都市の規模が巨大すぎて都心をターミナルとした“長距離郊外路線”が発達する条件がなかったこと(むしろ,戦後10年ほどの間に発達した都心発着の長距離路線が,その後の渋滞の深刻化で衰退してしまった)から,1ヵ所に集中したバスターミナルが整備される条件がなく,各方面に高速道路が整備されて高速バスが運行されるようになっても,それぞれの事業者が個別にターミナルを設けて現在のように分散した状態のまま,ということになっているのでしょう。その中では,東京駅八重洲口と新宿駅西口(ヨドバシカメラ前)が比較的に路線の集中するターミナルになっているわけですね。

京成系、関鉄系、JR系が中心ですが、都市交通の重要な一翼を担いつつあるんじゃないかなぁと、期待を込めて考えています。

高速バスそのものは東京圏内では東名や中央道方面の路線の開設が早かったわけですが,どれも“都市間交通”の性格が強く,国鉄(JR)の補完的な立場をなかなか脱しきれなかったのに対して,通勤輸送も含めた“都市内交通”としては東関道や常磐道沿いの北東方面が立ち上がりが早かったですね。まずは足元の高速道路(東関道と常磐道)が整備されたことと,それに加えて“首都機能の一部”を分散させた 筑波研究学園都市 と 鹿島臨海工業地域 の存在が大きいのではないかと思います。必然的に東京都心部との頻繁な往復を生み出すという点で。そしてもう1つは,これに対抗する鉄道交通があまりに弱すぎたこと(だから,TXの開通が大きな脅威だったわけですが)。
筑波や鹿島と結ぶ“幹”が太くなれば,そこから“枝”を広げるハードルは比較的に低くなる,という事情もあるのかな,と思います。
ひるがえって,たとえば南西方面にあたる神奈川県内の場合,東急や相鉄,神奈中がその担い手になるのでしょうが,まだ様子見でしょうかね。田園都市線や小田急の混雑具合を見れば十分に需要はあると思うのですが,問題は「東名+首都高3号線」のみというルートの“細さ”かもしれません。
それは,はるか西の山梨県内にまで及ぶ「中央道+首都高4号線」もたぶん同じ。

東京駅に首都高と直結するバスターミナルを作るなんて考えないですかねぇ。

とりあえずは今,新宿駅南口の甲州街道の反対側で整備中の新南口がそれに近いですかね。ここでも首都高には直結できませんが。
[81050] 2012年 7月 8日(日)15:13:42【1】むっくん さん
Re^2:通勤高速バス
[81040]オーナーグリグリさん
[81045]にまんさん
関西ですと、他にも京阪バスの
京都駅(八条口)-なんば(OCAT)
京都駅(八条口)-松井山手駅
中書島駅-立命館大学(びわこ・くさつキャンパス)
京都駅(八条口)-醍醐寺・京都橘大学
も通勤・通学高速バスですね。

終電が出た後の深夜バスですと、他にもまだまだありそうですが。
[81049] 2012年 7月 8日(日)12:44:28オーナー グリグリ
Re:通勤高速バス
[81045] にまんさん
まだまだ、大所が残ってますよ。
関東鉄道・JRバス関東 つくば-東京駅
関東鉄道・関鉄パープル 猿島・岩井・水海道-東京駅
なんかは、通勤・通学利用を想定していると思います。(猿島は少し遠すぎますが)
確かに大物の関東鉄道など茨城方面の高速バスが抜けていました。つくば方面はTXが開通してからもそれなりに利用されているのでしょうか。所要時間は微妙ですが、私のようにバス停が近くて便利な人にはバスが優位だと思います。上記以外にも鹿島方面は通勤時間帯も10分間隔で運行されていますから、通勤利用もかなり多いのでしょうね。東京駅八重洲南口乗り場はいつも混雑しています。降り場は東京駅日本橋口と乗降を分けていたんですね。マイタウン・ダイレクトバスの乗り場は外堀通りを渡った場所2ヶ所に設置されていますが、東京駅乗り換えに若干時間が掛かります。後発だからしょうがないんでしょうが。

首都高を毎日乗車していると、たくさんの高速路線バスが走っているのが分ります。京成系、関鉄系、JR系が中心ですが、都市交通の重要な一翼を担いつつあるんじゃないかなぁと、期待を込めて考えています。東京駅に首都高と直結するバスターミナルを作るなんて考えないですかねぇ。高速道路直結ではありませんが、第4回オフ会の帰路に利用した、西鉄の天神バスターミナルのイメージです。高速に直結するバスターミナルってありましたっけ。また、駅に直結する大規模なバスターミナルってどこかな。名古屋の名鉄バスセンターも規模が大きいかな。私鉄系が多い感じがします。
[81048] 2012年 7月 8日(日)11:33:58千本桜 さん
岩手県の輻輳地「磐井」とは。宮城県の茶屋町ってどこでしょう。
共武政表の岩手県西磐井郡に「磐井」と言う名の輻輳地が記載されていますが、そのことでお尋ねします。磐井の人口は明治11年共武政表で4,561人、明治12年4,293人、明治13年4,310人となっています。人口規模からして磐井とは一関のことだと推測しますが、なにゆえ「一関」と表記しないで「磐井」と表記するのか、その理由が分かりません。一関城下は藩政期の一関、二関、三関の3村に跨がっていますが、3村は明治8年に合併して一関村を名乗っています。古来より城下町としての名称は一関、宿駅名も一関、村名も一関。ならば輻輳地の名称も一関で良いはずなのに、「一関」と表記できない何かがあるのでしょう。つらつら思うに、この「磐井」は一関以外のどこかを含んでいるのではないだろうか。そんな考えに至りました。一関宿の2キロほど北に山目宿があります。普通に考えれば山目は人口100人以上の輻輳地に該当するはずです。ところが共武政表には「山目」の記載がありません。そのことから、一関と山目を併せて1個の輻輳地とし、便宜上の名称を「磐井」としたのではないだろうかと考えるようになりました。明治11~13年当時、一関と山目の町並みは一体化していたのだろうか。いろいろ調べましたが定かなことは分かりませんでした。よって「磐井は一関と山目を併せた便宜上の名称」というのも、私個人の発想の域を脱していません。どなたか、共武政表に記載された「磐井」の正体をご存知の方はおられませんか。

共武政表の宮城県宮城郡に茶屋町という輻輳地が記載されています。初めて見る地名です。これは二軒茶屋のことなのでしょうか。それしか思い浮かびません。でもマピオンを見て、あれ!と思いました。本来の二軒茶屋はこのへんではなかったでしょうか。だって昔、新寺小路から延びてきた道路のこのへんに二軒茶屋南というバス停があったのですから。二軒茶屋は二軒茶屋南バス停より北にあったはずだと思うのですが、みんな遠い過去の思い出。
[81047] 2012年 7月 8日(日)10:45:29【1】千本桜 さん
町裏とは町の外側か、内側か
[81018] YTさん
これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
拝見いたしました。予想以上に小規模な集落まで掲出していますね。宮城県柴田郡菅生村(現・村田町)に造営された宿場町菅生驛や名取郡坪沼村(現・仙台市)に造営された宿場町赤石驛、宮城郡竹谷村(現・松島町)に形成された新田町などまで輻輳地として取り上げられているのには感動しました。
ところで、宮城県内には「町」と言う名の字(あざ)があちこちにあります。角田市角田字町、村田町大字村田字町、蔵王町宮字町、大河原町金ヶ瀬字町などです。みな町の中心部にあたります。少し詳しく見ると、金ヶ瀬の字町は奥州街道に沿った宿場町の区域であることが分かります。字町の裏側(外、陰、後、そんなイメージ)には字町裏があります。メイン道路に沿って字町が区割りされ、字町の背後には字町裏が区割りされる。それが一般的だと自分は思っているのですが、菅生(現・村田町大字菅生)の場合は様子が異なります。字町という区域がなくて、宿場の街道沿いに、いきなり字町裏が区割りされています。どう見ても町裏ではなく町そのものに見える区域です。街道を挟んで東側に連なる家並が字町東裏、西側に連なる家並が字町西裏です。主体となるはずの字町はどこにあるの?という感じです。
もしかすると、町裏=外側、背後、陰などを連想するからいけないので、裏=内側と解釈すれば良いのかなと考えたりもします。洋服の裏地は内側にありますからね。すると町裏は町の内側を指す地名、つまり町そのものになります。でも、このような考えは成立するのでしょうか?。実は竹谷村(現・松島町)の新田町にも字町裏があり、これまた街道に面した町並みの一角ですから町裏とは思えない区域です。どなたか、裏事情に詳しい方、字町裏の解釈の仕方を教えてください。
注:菅生でリンクしたマピオン地図に「町」という地名が記載されていますが、あれは字名ではありません。菅生宿の町並みの区域を指して通称「町」と呼ぶ慣わしがある。その意味での「町」です。

脱字1文字追加修正しました。
[81046] 2012年 7月 7日(土)23:48:25hmt さん
hmtマガジン 特集:「県境」の変更
hmtマガジン の テーマ:境界 に、特集:「県境」の変更 をアップしました。
[81045] 2012年 7月 7日(土)22:36:00にまん さん
通勤高速バス
[81040] オーナー グリグリさん

まだまだ、大所が残ってますよ。
関東鉄道・JRバス関東 つくば-東京駅
関東鉄道・関鉄パープル 猿島・岩井・水海道-東京駅
なんかは、通勤・通学利用を想定していると思います。(猿島は少し遠すぎますが)
埼玉など北方面からも首都高の慢性的な渋滞が気になるかもしれません。
については、上りのみですが、八潮からのTX乗り継ぎ割引があります。

あと、関東だと少し前までは
東京駅-江戸川台とか、東京駅-吉川、松伏とかもあったんですが、廃止されてしまいました。

関西方面だと
大阪バス 布施-京都駅
も、通勤通学客を想定しているんでしょうね。妙な区間設定のような気もしますが、一応定期券もあるようですし。。

ただ、都市間の高速バスでも比較的近距離だと通勤・通学利用「も」想定しているところは多いと思います。西鉄バスは高速バスにも通勤通学定期があります。

話題は少し変わりますが、地図形式の路線図だと、Bus Service Mapというところにもあります。公式のものではなくネット上の集合知のようなものですが、更新頻度も高いし、私は重宝してます。
[81044] 2012年 7月 7日(土)21:22:56【1】Issie さん
Re:船橋橋
[81034] 白桃 さん
見ていない方は全くわからない一番勝負

見てないので全くわかりません。
でもきっと人名なのだろうな,というのは何となく。
「神戸」は普通,人名では特に「かんべ」と読んで,「こうべ」と読むのは極めてイレギュラーですから(でも,実際に「こうべさん」と読む人に会ったこともありますよ)。
何も知識がないと,小野田さん…って,やっぱり「少尉」が後ろに続いちゃいます。

[81041] 白桃 さん
船橋橋

たぶん地デジになって地域外にはますます視にくくなったローカルUHF局ですが,tvk(テレビ神奈川)で人気があるらしい「saku saku」という番組があります。
たまたま「ようつべ」をさまよっていて遭遇したのですが,この番組に「みんなでうた」というコーナーがあって(時期によってタイトルが少しずつ変わる),その人気シリーズにそれぞれの土地を歌った「○○のうた」というのがあります。当然,神奈川ローカルの番組ですから,まずは(津久井郡編入以前の)県内全市町村+横浜・川崎両市の全区(相模原市は区制実施前)のうたがそろっているわけですが,さらに県外の歌もいくつか作られています。その一つが「船橋のうた」で,そこにしっかり歌われています。なぜに「船橋橋」という橋があるのか,という主旨で。
いや,“船橋の歌”といえば,関東ローカルですがビンちゃん(楠トシエさん)の歌う船橋ヘルスセンターの歌(長生きチョンパ)以上のものはないんですけどね。

[81037] グリグリ さん
通勤高速バス

ああ,京葉道路経由ではないんだ。
花輪とか,首都高7号線で渋滞していそうだから当然ですが,
何分,私は東関道は宮野木から,という感覚でいるもので…。
[81043] 2012年 7月 7日(土)21:20:01般若堂そんぴん さん
次のシリーズは誰が?
[81034] 白桃さん
おかげで私の母はRSさんのファンになってしまいました.
[81042] 2012年 7月 7日(土)17:29:58hmt さん
閑散とした貯木場
[81040] オーナー グリグリ さん
辰巳JCTのこのあたりは、湾岸線から9号線への上りルートは非常に高い位置でカーブしており、左手には豊洲方面の高層マンション群、右手にはWOWOW放送センターのパラボラアンテナや辰巳の森海浜公園の美しい木々が眺められ、ちょっとした未来都市の雰囲気が楽しめます。

少し広範囲を表示するために 縮尺を変更した写真 を用いました。

私が何を示したかったのかというと、閑散とした貯木場の風景です。
新木場の 14号埋立地に囲まれた2つの貯木場は ほとんど空。
西側にある十二号地貯木場【注】、北にある辰巳の森海浜公園東側の貯木場も閑散とした姿でした。
【注】
十二号地貯木場という地名は、[17247] ken さんに出てくるのですが、どこを指しているのか不明でした。
私は、東京港の変遷 によって初めて知ったのですが、ウオッちず にも掲載されていました。

江戸時代、度重なる大火から市街地を復興するのに欠かせない木材ですが、貯木場は火事の原因にもなりかねません。
永代島にあった木場は、明暦大火(1657)から だいぶ後の 元禄14年(1701)に 深川の埋立地に新たに指定されました。
江東区の地名由来 参照。この時代の深川については、[75315][75329]あたりで記しました。

その「木場」が、東西線木場駅付近から 14号埋立地の「新木場」に移転したのが 1970年代です。
ところが、流通革命によって産地直送体制が整備され、日本の建築に使われる外材についても、現地での加工や機械乾燥が普及するようになりました。木場を本拠地とする中間業者は 排除される傾向になってきたのです。
住宅の木材離れも、木場の衰退に追い打ちをかけました。
かくして、新木場や十二号地の 広い貯木場が 満杯になることはなかったのでした。

木の家を建てたい。そう思っている方も多いと思います。
しかし、未来都市の現実は、「新木場」の厳しい現実を写していたのでした。
[81041] 2012年 7月 7日(土)16:32:11白桃 さん
船橋橋
[81035]なきらさん
三浦市、小松市、消滅した小野田市も該当しますね。
他にも、瀬戸内市(津川・・・へんな政治家)、 三好市(蟹江・・・バーテンダー)など、監督さんが和泉市だったり・・・。
本日は津田沼駅集合、船橋橋(船橋市内で渡りました)、松戸経由、北安曇郡白馬村に来ています。
「相棒」だけではなく、全部で6名で来ております。
その中の1名が「明日は『あざみ野』に行こう」って仰っております。
やれやれ、明日は大糸線ではなく田園都市線かい?
[81040] 2012年 7月 7日(土)13:36:45【3】オーナー グリグリ
都心への通勤高速バス
[81039] みかちゅうさん
○楽々エクスプレス(西東京バス・河辺→拝島→新宿→新橋)
○横浜~横須賀西地区線・葉山線(京急バス・横浜~横須賀市西部・葉山町)
さっそくの反応をありがとうございます。
上記の路線バスを見ましたが、西東京バスは1便1方向のみなんですね。東急バスと同じように、定常的な通期利用ではなく、時々東京方面に通勤する人向けという感じです。

京急バスの方は両方向で本数もそこそこありますので、横浜方面への通勤には定常的に使えそうです。高速の渋滞もあまり影響がないのかな。後は、高速の出入りまでの一般道での渋滞ですが、こちらもアクセスは悪くなさそうですね。

定常的な通勤利用を目指しているのは、今のところ、アクアライン経由の高速路線バス、マイタウン・ダイレクトバス、京急バスの横浜~横須賀西地区線・葉山線というところでしょうか。
・東名高速~首都高が渋滞しがちである
京急バスが横浜までとしている点も同じ理由でしょうし、都心から西方面では現実的には難しい理由としては、これが一番でしょうね。埼玉など北方面からも首都高の慢性的な渋滞が気になるかもしれません。

私が利用している千葉方面は、葛西・新木場周辺と箱崎周辺が渋滞リスクが高いのですが、これまでの乗車実績からは、葛西・新木場での事故渋滞が一番影響が大きいです。箱崎周辺は距離が短いので慢性的に渋滞していますが、時間的ロスは少ないです。高速出入り口までの一般道での渋滞については、自宅側はほとんど(まったく)ありませんし、東京側については、行きが呉服橋で降りるので八重洲北口はすぐ目の前、帰りは宝町で乗るので少し距離がありますが大したことはありません。今後、千葉方面の通勤高速バスは需要が伸びるのではないかと考えます。望みと言えば、東京駅八重洲口改良工事で、八重洲口直結のバスターミナルができるといいんですが。

毎日スカイツリーを眺めている理由は以上の通りですが、他にもいろいろ目を楽しませてくれます。hmtさんが[80265][81008]で話題にされたゲートブリッジも眺められますし、ヴィクトリア調のディズニーホテルのすぐ脇も通ります。辰巳JCTのこのあたりは、湾岸線から9号線への上りルートは非常に高い位置でカーブしており、左手には豊洲方面の高層マンション群、右手にはWOWOW放送センターのパラボラアンテナや辰巳の森海浜公園の美しい木々が眺められ、ちょっとした未来都市の雰囲気が楽しめます。
[81039] 2012年 7月 7日(土)12:28:36みかちゅう さん
都心への通勤路線
通勤高速バスですが、こんなものもあります。

楽々エクスプレス(西東京バス・河辺→拝島→新宿→新橋)
横浜~横須賀西地区線・葉山線(京急バス・横浜~横須賀市西部・葉山町)

あとは厚木・海老名市あたりから都心方面は、小田急線の混雑がひどいこと・相鉄は都心へ行くなら横浜で混雑の中を乗り換えなければならない、ということを考えれば需要はありそうですが、
・東名高速~首都高が渋滞しがちである
・沿線の相鉄バスも神奈中バスも昼間の高速バスの経験が(ほとんど)ない
ことを考えると望み薄でしょうか。
[81038] 2012年 7月 7日(土)11:51:29千本桜 さん
見ていないので難問でした
[81034] 白桃さん
次の市に共通する事柄は?
角田市 米沢市 亀山市 神戸市 伊丹市
どうでもいいけど、戸田、松本、蟹江、小野、長門、阿南に共通する事柄は?
付け加えると、平成の合併時期に惜しまれながらお亡くなりになられた前沢、石橋、津川、萩原、山崎も由紀恵ちゃんです。
[81037] 2012年 7月 7日(土)11:02:29【3】オーナー グリグリ
通勤高速バス
[81005]で、
ちなみに私は毎日通勤途上で首都高からスカイツリーを間近に眺めています。(この話はまた別途)
と書いた件です。昨年から通勤にバスを使い始めました。約1年が経過しましたが非常に快適です。もう電車通勤には戻れません(まだ山手線を一部利用していますが)。通勤時間も30分近く短縮されました。

種明かしは、こちらのマイタウン・ダイレクトバスです。京成グループのバス会社の共同運行による、東京駅と千葉方面を結ぶ高速路線バスです。東京駅八重洲口と千葉北ICや四街道IC周辺の住宅地区を結んでいます。本数もそこそこあり、通勤での利用客が拡大しているようです。

私の場合、自宅から徒歩30秒のバス停から乗車します。午前6時○分に乗車し、東京駅八重洲北口に約1時間で到着します。時刻表は1時間ですが、状況により早く着いたり遅れたりします。首都高を利用するので渋滞が気になりますが、この一年間の実績では、事故による大遅延が2回(1.5時間遅延と0.5時間遅延)でした。10分程度の遅延は時々ありますが、最近はむしろ早着の方が多いです。早ければ50分で到着します。不況かETC普及効果かよくわかりませんが、首都高はこのところ渋滞が少なくなっているようです。この1年間の利用から判断しても、遅延リスクは電事故が多発する電車の方が大きく、このバスルートは時間的にも安定していると言えそうです。

帰りはもっと快適です。遅れることはほぼありません。大概50分で到着します。しかもバス停は自宅前。これはいいですね。東京駅でバスに乗ったらあとは自宅に到着という安心感。しかも、必ず座れますし(座れなければ乗車できません)。本数も午後11時台まで1時間に1本以上ありますから、時間を計って職場を出ています。東京駅から山手線で数駅利用しますが、混雑するルートではないこともあり、トータルとしては十分快適です。職場が東京駅周辺であれば最高ですけどね。

混雑状況ですが、だんだん知られて来たこともあり、通勤客と買い物などの一時利用客で乗車率はかなり高いです。それでも乗車できなくなるところまで混雑はしません。時々補助席を利用するケースがある程度。昨年11月に一度増便していますので、利用状況によってはさらに増便される期待もあります。買い物客利用も増えているようで、昼間もそこそこ乗車しているようです。

運賃ですが、片道大人1,100円で、Suica/Pasmo利用だと1,050円(バス得で実質もっと安くなる)。電車通勤と比較して月額で数千円自己負担が増えますが、十二分に価値ある負担です。定期券はありません。昨年、利用客アンケートがあり、定期券希望の項目もありましたが、導入されていないところを見ると、希望が少なかったのかもしれません。実際のところ、利用回数との比較でみて十分価値がなければ定期券はかえって負担になるかもしれません。

この高速路線バスができたのは一昨年だったのですが、当初は利用料から通勤に利用できるという考えが頭からありませんでした。しかし、一度休日に利用してみたところ、非常に快適であることや、通勤利用客もそこそこいることが分り、電車通勤との比較をしてみたところ、想定していたほどの差ではないことから利用を始めました。大正解です。

このスタイルの高速路線バスは京成バスグループ以外に他にもあるでしょうか。少し調べてみたところ、

TOKYU E-Liner
アクアライン利用高速バス(木更津市HP)

アクアラインを使った路線は多数ありますね。東京駅、新宿駅、品川駅、川崎駅、横浜駅方面とルートも多彩です。一方、前者の東急の通勤高速バスは早朝のみで、川崎市麻生区虹ヶ丘や横浜市青葉区すすき野から渋谷駅への一方通行です。何故帰りの便がないんでしょうね。これでは定常的な通勤利用はできないと思うのですが。

ところで、[81017][81029]で議論されているバス路線の調べ方ですが、このマイタウン・ダイレクトバスの路線は今のところどんな地図にも書かれていないでしょうね。京成バス自身のページにも路線図はありません。時刻表から類推する必要があります。紙のパンフレットは停留所やバス車内で配布されていますが、地図形式の路線図はありません。バス停から類推するか実際に乗車して確かめるしかないでしょう。

【追記】
京成バスグループ各社のページも調べてみましたが、地図形式の路線図はこれだけでした。
ちばグリーンバス:マイタウンダイレクトバス・佐倉地区(ユーカリが丘・国立歴史民俗博物館)~東京駅・東雲
路線図をクリックするとルートが分る地図が拡大表示されます。ちなみに、紙のパンフレットはこちらです。
千葉内陸バス:高速バスのご案内 東京線
その他の京成グループ各社の時刻表などの案内ページはこちらです。
東京ベイシティバス:秋葉原駅・東京駅~東京ディズニーリゾート・新浦安線
ちばフラワーバス:シーサイドライナー
千葉海浜交通:東京・千葉市ベイエリア線
[81036] 2012年 7月 7日(土)09:53:58【2】オーナー グリグリ
Re:事務連絡(推計人口2011青森県関係)ほか
[81032] 白桃さん
昨日(7月4日)付けで青森県から以下の町村について推計人口の訂正が発表になりました。
オーナーにおかれましてはお忙しいところ恐れ入りますが、2011年10月1日現在の関係個所(四町村、上北郡、三戸郡、南津軽郡、青森県)推計人口を訂正お願いいたします。
ご連絡ありがとうございました。データベースを更新しました。青森県の推計人口が差し引き10人増えたということでよろしいですね。

[81033] hmtさん
3月の連載直後に オーナー グリグリさん から言われていた[80446]にもかかわらず、国勢調査データ、電子地図、沖縄など 他のテーマに関心が移り、まとめるのが 3ヶ月も遅れました。お詫びします。
6番目の特集「戦時合併 と その解体」のアップをありがとうございました。関連記事をまとめて読み返してみると、頭の中が整理されます。ところで、[80446]は期待を軽く言っただけなので、お詫びされることではありません。お気になされないでください。かえって申し訳ありませんでした。

[81034] 白桃さん
次の市に共通する事柄は?
角田市 米沢市 亀山市 神戸市 伊丹市
すぐには分らなかったのですが、なきらさんの[81035]で見当がつき、検索で分りました。私は見ていないのですが、相棒がいつも見ています。

[81025] オーナー グリグリ
【業務連絡】>hmtさん、白桃さん
落書き帳記事リンクの更新は、「マガジンページ更新」時に同時に行うようにしました。同じ記事が、複数のマガジンやアーカイブに設定される場合には、他のマガジン・アーカイブについても再作成が必要ですが、まだ未対処です。
この件、対処しました。再作成が必要なマガジン・アーカイブも同時に再作成します。例えば、hmtマガジンのある特集に採用されている記事を、白桃マガジンの特集でも引用追加した場合、hmtマガジンの特集も再作成する必要がありますが(白桃マガジンの特集へのリンクを追加するため)、これを自動判別して再作成するようにしました。
[81035] 2012年 7月 7日(土)08:12:49なきら さん
パートナー
[81034]白桃さん 見ていない方は全くわからない一番勝負
私は見ている方ではなく、少々見ていた奴ですが。
三浦市、小松市、消滅した小野田市なども該当しますね。
ご旅行はパートナーとご一緒ですか?楽しんでおいでください。
[81034] 2012年 7月 7日(土)06:10:32白桃 さん
見ていない方は全くわからない一番勝負
今から3泊4日の旅に出ますので、(関係ないけれど)クイズを

次の市に共通する事柄は?
角田市 米沢市 亀山市 神戸市 伊丹市

注:角田は「かくた」、神戸は「かんべ」と読みます。
中心は京都市の「区」です。
見ている方はスグわかるでしょう。
[81033] 2012年 7月 5日(木)19:05:06hmt さん
hmtマガジン「戦時合併 と その解体」
hmtマガジンのテーマ「市町村と区」に、6番目の特集 「戦時合併 と その解体」 をアップしました。

3月の連載直後に オーナー グリグリさん から言われていた[80446]にもかかわらず、国勢調査データ、電子地図、沖縄など 他のテーマに関心が移り、まとめるのが 3ヶ月も遅れました。お詫びします。
[81032] 2012年 7月 5日(木)17:00:06白桃 さん
事務連絡(推計人口2011青森県関係)
昨日(7月4日)付けで青森県から以下の町村について推計人口の訂正が発表になりました。
オーナーにおかれましてはお忙しいところ恐れ入りますが、2011年10月1日現在の関係個所(四町村、上北郡、三戸郡、南津軽郡、青森県)推計人口を訂正お願いいたします。

町村名(誤)(正)
上北郡七戸町16,538人16,539人
三戸郡階上町14,614人14,608人
上北郡六戸町10,153人10,162人
南津軽郡田舎館村8,076人8,082人

♪間違いはあの時生まれた 私は我慢できない~
[81031] 2012年 7月 5日(木)11:44:58白桃 さん
佐野をしろう
[81018]にてYTさんに紹介していただいた「明治十三年共武政表」で人口をチェックしていましたら、どうやら和泉国日根郡が漏れているようです。
当時、人口6000人ぐらいはあったはずの佐野(現:泉佐野市)が出てこないので気がつきました。
念のため「明治十二年共武政表」を見ましたが、そこには尾崎村、深日村などとともに間違いなく登場しております。
人口統計にだけは、細かいことにもウルサイ白桃でした。
[81030] 2012年 7月 4日(水)20:04:18hmt さん
秋田県と岩手県の八幡平
[81026] 88 さん
湯瀬オフ会と直接の関係はないのですが、会場の所在地として使われた「八幡平」という地名が少し気になりました。

現在「八幡平市」を名乗っている市は岩手県にありますが、これは 2005年にできた ごく歴史の浅い地名です。

湯瀬ホテルは「秋田県鹿角市八幡平字湯瀬湯端」で、もちろん 1972年に現在の住所になる前の「鹿角郡八幡平村」由来です。
しかし、これも 1956年に誕生し、16年後に消滅した短命の村名でした。
昭和合併前には、湯瀬のある東部が宮川村【町村制施行前:宮麓村, 長谷川村】、西部が曙村【長井田村, 松谷村】で、八幡平という村名はありません。

坂上田村麻呂の伝説はともかくとしても、自然地名としての「八幡平」は ずっと古い歴史があります。
湯瀬オフ会2008で紹介したように、明治22~23年の輯製20万分1図[67641]では、秋田県陸中国鹿角郡と岩手県陸中国北岩手郡とが長い境界(図上の距離8cm、つまり約16km)で隣接していたのですが、その境界線上の 西側部分には「八幡平」の文字があります。

現代の 20万分1地勢図「秋田」の北東部を見ると、秋田岩手県境=陸中陸奥国境に「八幡平」の文字があります。
そのすぐ南を見てゆくと、北西から羽後陸中国境が合流し【藤助森】、県境=羽後陸奥国境と変った先に 1613mの三角点があります。国境線は入っていませんが、地形の詳細は、ウオッちず で見ることができます。
東にある八幡沼【20万図では地名の注記なし】の先には見返峠と記され、県境=羽後陸中国境は南下するが、ここから北東方向に陸奥陸中国境が記されています。

2004年に太白 さん により、鹿角郡と陸中国本体(岩手郡)との点接触疑惑[24028]が提出されました。
しかし、これに対する [24052]ペーロケさんのレスにあるように、当時の安代町(陸奥国)と田沢湖町(羽後国)とは接しており、鹿角郡と陸中本体とは離れていたのでした。
今回リンクしたウオッちずで、問題の部分が藤助森-見返峠間であることが確認できます。

日本の山岳標高一覧 で岩手県を見れば、ここにある 1613mの三角点名は「八幡平」であることがわかります。
あまりに平らで山頂らしくないということで、1962年に岩手県によって土盛りが行われた。
というエピソード(Wikipedia)が伝えられる「八幡平山頂」はこの地であると考えられます。

それにしても、山の名に付ける接尾語に「平(たい)」とは。
確かに 希少地名 ですね。
そう言えば、「森」コレクション に多数の山が収録されていますが、上記の藤助森が見当らないようです。

なお、「八幡平<茶臼岳>」(1578m岩手県)、「八幡平<畚(もっこ)岳>」(1578m秋田県)という三角点もあります。

「八幡平」の名が、全国区の観光地として知られるようになったきっかけは、1956年に行なわれた十和田国立公園(1936)への追加指定でしょう。「十和田八幡平国立公園」という名により、「…たい」という読みも同時に全国に知られることになりました。

輯製図では陸中国内の北岩手・鹿角郡境に描かれていた八幡平。明治時代の安比川上流地域は地図から脱落するほどの秘境だったのでしょうか。その安代町は2002年に二戸郡から岩手郡へと移り、更に2005年、松尾村・西根町との合併で「八幡平」の市名を名乗ることにしました。
既に秋田県八幡平村が消滅した後で、自治体名として競合せず。

花輪線の駅名は秋田県の「八幡平駅」(1957改称)に対して、1988年に岩手松尾駅から改称した「松尾八幡平駅」が後発。但し駅の開業自体は、岩手松尾が1926年と先輩。
[81029] 2012年 7月 4日(水)00:29:10みかちゅう さん
バス路線の調べ方
[81017]H2さん
地方の路線バスは10年前に比べると事業者のホームページが充実したので調べやすくなったとは思いますが、小規模の事業者ともなるとお手上げのことも多いです。地元民以外が乗るとは考えにくいようなところだと、路線の存在自体がつかめないこともあります。

(1) 地図上のルート
紙媒体の欠点として「更新頻度が低い」ということを念頭に置いた上で、だいたいのルートでよければ昭文社の『県別マップル』シリーズが使えます。自治体バスのように集落を複雑に回るような経路だと細かい部分が分かりにくいです。

(2) 地図上のバス停の場所
正確な位置が知りたいのであれば、該当する自治体の住宅地図を見るのがいいと思います。住宅地図なら10m単位で設置場所が分かるでしょう。これも最近の変更は地図に反映されていないので注意が必要です。

(3) 正式なバス停名称とその正確な読み方
バス停名称は停留所ポール・路線図・車内の運賃表示機・車内アナウンスで食い違っていることも珍しいことではありません。監督官庁(国土交通省や運輸局)あたりで資料はあるかもしれませんが、一般に公開されるかはわかりません。不定期で県のバス協会が発行している路線図もありますが、正確性が道路地図を上回るともいえず…
また「読み方」に関しては過疎地などで車内アナウンスもないところがあるので、実際に乗っても分からないこともあります。


いろいろと書いてきましたが、自社のホームページを公開していない事業者の情報を仕入れるのは困難です。どうせ限られた地元民しか乗らないので、停留所にお知らせを掲示すれば十分ですし。
具体的にどこの都市について調べているのかを書き込んでくだされば、もう少し反応があるかも。今のところはこの程度のことしか書けずすみません。
[81028] 2012年 7月 3日(火)23:02:16hmt さん
落書き帳の財産を活用するのに役立つ リンクシステム
前回[81013]では、落書き帳記事を生み出す過程を「醸造桶」にたとえて語りました。
今回は、その続編として、記事を活用する 検索とリンク に少々言及したいと思います。

この落書き帳の 8万以上に及ぶ過去記事は、完全な形で保存されており、市区町村変遷情報など、他の資料と共にユニークな知的財産として蓄積されています。
これは、もちろん蓄積自体が目的ではなく、活用されてこその財産です。
活用する手段としては、検索とリンクのシステムが提供されています。ガイドライン (9) 過去記事を探してみる


私が記事を書く際に、なるべく過去記事を参照し、その記事へのリンクを付けるように心がけているのも、データの蓄積が新たな情報価値を生むものと考えているからです。
まあ、現実には、過去記事の存在に気が付かない事例も 多々あるのですが…

記事検索の中心になるのは、やはりキーワードです。
しかし、自分の設定したキーワードでは、思うように探し出せないこともあります。
そんな時に、何か関連する記事集に行き当っていれば、それが新たなキーワードを探しだす手掛りとなることがあります。
記事集は、このように それを媒介として、芋づる式に記事を拾い出すのに役立ちます。

[81025] オーナー グリグリ さん
hmtマガジン白桃マガジン の特集に採用された落書き帳記事に、その特集へのリンクを表示するようにしました。落書き帳アーカイブと同様です。

先日の要望[80996]に、早速応じていただき、ありがとうございます。
みなさんも、記事検索能力強化に役立ててください。
[81027] 2012年 7月 3日(火)09:21:20白桃 さん
平成22年国勢調査昼夜間人口比率
常住人口(夜間人口)に対する昼間人口の割合が高い市町村(120%以上)は以下の通り
1.飛島村愛知県290.9%---13.昭和町山梨県130.9%
2.芳賀町栃木県180.1%14.聖籠町新潟県129.2%
3.久御山町京都府174.8%15.中井町神奈川県127.8% 
4.泊村北海道158.3%16.竜王町滋賀県127.5%
5.箱根町神奈川県149.0%17.久山町福岡県127.5%
6.芝山町千葉県146.8%18.成田市千葉県126.7%
7.大口町愛知県143.7%19.磐梯町福島県123.4%
8.六ヶ所村青森県143.5%20.豊山町愛知県122.4%
9.大衡村宮城県139.4%21.留寿都村北海道121.4%
10.大熊町福島県137.4%22.宮若市福岡県121.0%
11.大阪市大阪府132.8%23.刈谷市愛知県120.9%
12.五霞町茨城県131.5%24.恩納村沖縄県120.0%
※東京特別区は130.9%
こうみると、成田、宮若以外は合併しなかった市町村です。
因みに、平成17年国勢調査時の(旧)成田市は141.2%、(旧)宮田町は124.0%です。

逆に低い町トップ(ワースト?)3はというと、
七ヶ浜町(宮城)65.0%、豊能町(大阪)65.8%、栄町(千葉)69.2%
になります。
当然ながら、「平成の大合併」によって昼夜間人口比率が極端に低い市町村数は、絶対数はもちろん比率的にも減少していると考えられます。
しかしながら、昼夜間人口比率が80%を下回っている市町村の数は85(も)あります。
昼間人口の割合が低いからって、ケチをつけるつもりではありませんが、昼間は1/5以上の人がその市町村から消えるわけですから、街が静かになるのは間違いないでしょう。
85も挙げるのは疲れますので、市だけ、その名前を。
鴻巣市、富士見市、鶴ヶ島市、志木市、北本市、鳩ヶ谷市(消滅)、流山市、鎌ヶ谷市、四街道市、八街市、稲城市、東大和市、狛江市、茅ヶ崎市、甲斐市、知多市、愛西市、岩倉市、木津川市、向日市、交野市、阪南市、川西市、生駒市、春日市(以上25市)
[81026] 2012年 7月 3日(火)00:12:4688 さん
湯瀬オフ会
投稿したいことはたくさんあり、順次執筆中ですが、たまにはこんな書き込みを。


第5回落書き帳公式オフ会は、初めての一泊型オフ会でした。会場は、秋田県鹿角市の湯瀬ホテル
実は、先日読んだ本の中に、この市の湯瀬ホテルがモデルではないかと思われる記述があり、懐かしく感じ、筆を執った次第です。

木山捷平の「ななかまど」。講談社の講談社文芸文庫井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまどに収録されています。
巻末の年譜によれば、木山捷平が昭和41年9月に八幡平へ取材旅行を行っており、「ななかまど」は、昭和43年3月に「別冊文芸春秋103号」に発表されたものです。
木山捷平「ななかまど」は、取材旅行を元に書き起こした小説で、著者木山捷平は「木井」として出てきます。主人公木井が、東北へ出かけた際に「ななかまど」を一枝取って帰るのですが、旅先やその往復の旅程での出来事が書かれ、また、同時期に発生した羽田沖墜落事故(昭和41年2月)も話題として触れられています。
木の「ナナカマド」は、鹿角市の市の木にも指定されており、同地を含め東北地方ではよく見られる木のようです。

小説「ななかまど」中、オフ会会場である湯瀬ホテルを思わせる記述を、以下に抜粋します(前述の講談社文芸文庫より引用)。
・・自動車は八幡平駅から米代川の流れに沿って東へ向かった。・・宿に着いたとき、木井は何となく失望感を覚えたのは、宿が何階建てかのビルになっていたからであった。・・ビルの廊下を百歩ほど歩いて、奇妙な橋に出た。その橋はその宿屋専用の橋で、新館と旧館をつないでいる橋だった。新館がビルで、旧館は日本式の宿屋だった。・・木井は橋を渡って新館の大風呂へ出かけた。・・宿が出してくれた車で、木井は湯瀬駅へ向った。乗車時間は二分くらいのものだった。・・
湯瀬ホテルの建物の改築の経緯や、木山捷平が宿泊した由縁云々は存じませんが、地図で見た感じからも、他に該当しそうな宿泊施設は見当たらず、ほぼ、同ホテルが題材として間違いないと思われます。

ほんの3年半前のオフ会なのですが、もう、懐かしく感じます。
[81025] 2012年 7月 2日(月)22:54:15オーナー グリグリ
マガジン特集へのリンクを落書き帳記事に付けました
hmtマガジン白桃マガジンの特集に採用された落書き帳記事に、その特集へのリンクを表示するようにしました。落書き帳アーカイブと同様です。例えば、[48994][80936]の記事です。

【業務連絡】>hmtさん、白桃さん
落書き帳記事リンクの更新は、「マガジンページ更新」時に同時に行うようにしました。同じ記事が、複数のマガジンやアーカイブに設定される場合には、他のマガジン・アーカイブについても再作成が必要ですが、まだ未対処です。今後対応する予定です。それまでは、私が時々手動で一括再作成で対応します。
[81024] 2012年 7月 2日(月)21:58:30オーナー グリグリ
www.city.sakai.jp は使えない
[80997] futsunoおじさん
以下が新URLになります。
新潟市トップページhttp://www.city.niigata.lg.jp/
ご連絡ありがとうございます。私の方で公式ホームページ(新潟県)データベース検索(サンプル)など、当サイトのデータを更新しました。

>Hiro_as_Fillerさん
[80997]の書き込みから少し時間が経過していましたので、私の方で更新させていただきました。ご了承ください。

※ 追記 (都道府県型JPドメイン名について)に説明がありますね。
都道府県型JPドメイン名については、futsunoおじさんが紹介された上記のjprsのページに分り易く解説されています。都道府県型JPドメイン名が新設された件については、同じjprsのこちらのページで昨年の9月に発表されています。同時に、地域型JPドメイン名を今年の3月31日で終了する旨も発表されています。

地域型JPドメイン名の使い勝手が悪くなったことから、2010年5月10日にjprsが地域型JPドメイン名再構築検討部会を立ち上げて検討部会を重ね(計5回)、その結果、都道府県型JPドメイン名が新設されました。地域型JPドメイン名の使い勝手が悪い点は、第1回検討部会資料に詳しく書かれています。ちょっと長くなりますが全文引用します。
1. ドメイン名が長くて使いづらい
2. 1組織1ドメイン名の制約ため、属性型JPドメイン名を登録すると地域型JPドメイン名が登録できない(逆も同様に登録できない)
3. 県名直下の登録ができない(市区町村以下への登録となる)
4. 現在のニーズに合わなくなっており、新規登録数や累計登録数が減少している
5. 組織や個人に対して割り当てられる地域型JPドメイン名の第3レベルドメイン名は、登録時の住所表記に基づいて定められるため、市町村合併などで住所表記が変更になり、存在しなくなった市町村区名も利用者からの変更申請がされなければ、そのまま使い続けられる
6. 汎用 JPドメイン名の導入に伴い、新たに指定された政令指定都市名を第2レベルドメイン名に使用できない事例が発生している。このため、「city.<政令都市名>.jp」や「example.<区名>.<政令都市名>.jp」等が汎用JPドメイン名で利用されているか 地域型JPドメイン名で利用されているかを判別することができない
7. 地方公共団体のWeb ページが、地域型JPドメイン名とLG.JPドメイン名で混在しており判りづらい
8. 地域型 JPドメイン名は、登録者の住所に基づいたドメイン名しか割り当てられることはなく、想定利用者に向けた住所に基づいたドメイン名の割り当てを受けることはできない
いくつか興味ある項目があります。1と3はドメイン名が長くなる点、2と8は利用上の制約、5は合併進行による不備ですが、当サイトにも関係するのが、6と7です。

まず、7ですが、当サイトの公式ホームページでも地域型JPドメイン名と属性型JPドメイン(lg.jp)を自治体の公式HPの「定形URL」と定義し、都道府県別公式ホームページURL分析で都道府県の市町村での採用比率を分析表示しています。興味深いのは、jprsの第1回検討部会の資料に、都道府県の利用状況調査政令指定都市の利用状況調査のページがあることです。どちらのページも、都道府県と政令指定都市の公式HP(Web)とメールで地域型とLG.JPの利用状況を一覧しています。今回お知らせいただいた新潟市は、Webは地域型、メールはLG.JP型と整合取れていませんでしたが、WebもLG.JP型に統一したと言うことでしょう。

Webの利用状況については、4種類に分類しています。すなわち、アクセスできない(N)、移転のアナウンス(A)、リダイレクト(R)、代表窓口に使っている(U)です。当サイトでは(U)だけを明示していることになりますが、ここまで掘り下げてみるのも面白そうですね。また、すべての都道府県と政令指定都市は、地域型とLG.JPのどちらかを必ず使っています。さらに、多くの都道府県では地域型とLG.JPの両方が(U)になっています。当サイトではどちらかに決めているので確認してみる必要がありそうです。

次に、6ですが、「新たに指定された政令指定都市名を第2レベルドメイン名に使用できない事例が発生している」に該当する可能性のあるのは、「<政令都市名>.jp」のドメインが汎用JPドメインとして、すでに他の個人・団体に取得されてしまっているケースだと思います。ドメイン情報を検索できるWhoisを使って調査したところ、相模原市(sagamihara.jp)、浜松市(hamamatsu.jp)、堺市(sakai.jp)の3市が該当することが分りました。sagamihara.jpとhamamatsu.jpは法人ですが、sakai.jpは個人(坂井さん)が取得しているようです。札幌市、仙台市、横浜市、川崎市、名古屋市、神戸市、北九州市の都道府県名とは異なる政令指定都市のドメインは、JPドメイン開設と同時に都道府県名ドメイン同様、地域型JPドメインとして確保されていたと考えられます。なお、熊本市(http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/)については単にURLの移行が遅れているだけだと考えられます。

※「地域型JPドメイン名」は、2012年3月31日をもって新規登録受け付けを終了いたしました
これは LG.JP ドメイン名の普及を受けてのものなのでしょうか。
そうですね。少なくとも自治体のWebやメールは、LG.JPドメイン名に統一して行く方向だと思われます。都道府県型JPドメイン名は一般に開放されるので、自治体は使わない(使えない?)のではないかと思います。
[81023] 2012年 7月 2日(月)14:31:44白桃 さん
昼夜間人口比率が上昇した東かがわ市
[81019]千本桜 さん
常住人口が減少したために起こる昼夜間人口比率の上昇って、あまり喜べないと思うのです。
あまりどころか、全然喜んでいない白桃です。
東讃の二大?都市を比較したとき、東かがわ市がさぬき市より昼夜間人口比率が高いのは、三本松のほうが志度や長尾より高松に遠いからでしょう。

市名H22比率H17比率比率の増減H22昼間人口H17昼間人口昼間人口減少数昼間人口減少率
東かがわ95.2%94.3%0.9ポイント31,996人33,891人1,895人5.6%
さぬき93.7%93.5%0.2ポイント49,656人52,104人2,448人4.7%
[81022] 2012年 7月 2日(月)08:30:25【1】オーナー グリグリ
今朝のスカイツリー
今朝もバスの中からスカイツリーを見ましたが、厚い雲に隠れています。地上150m位から上は雲上ですね。いっちゃんさん、10時頃までに晴れるといいのですが。それとも天望回廊からは雲海が眺められるかもしれません。写真はツイッターに載せました。車窓からなのでぶれてますが。撮影地点は、隅田川大橋の上の首都高9号線からです。手前に見えるのは清洲橋。
https://twitter.com/todofuken/status/219571956800946176
[81021] 2012年 7月 2日(月)03:50:28いっちゃん さん
スカイツリー行きます!
先ほど仕事から帰宅しこれから寝るのですが、今日は会社の研修でウワサの展望(天望?)台に行きます。ただ、予約が10:30で集合が10:00。子供の学校の関係で13:00には帰宅しなければなりません。ウチからスカイツリーまでは片道1時間弱。ゆっくりとソラマチ探検するヒマはなさそうです。と言うより睡眠時間が・・・。
個人的な関心度はさておき(私自身が高所恐怖症なのは内緒)、仕事では非常に重要なので仕方ありません。
[81020] 2012年 7月 1日(日)21:47:32白桃 さん
土俗森ト唱フ
[81018]YT さん
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。
素晴らしい情報ありがとうございました。
また、やるべきことが増えて嬉しくもあり、悩ましくもある白桃です。

これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
仰る通り、なかなか詳しいし、分かりやすいです。すぐに、「明治十三年共武政表 下」の讃岐国大内郡の箇所を覗いたところ、
三本松村 3,056人→(白桃注:当時としては大都会である。)
引田村 2,611人
に続いて、
森 776人
とあったので、「ハテ、森とはどこのことだろう?」と怪訝に思ったのですが、直後に
「但 松原村715人湊村61人合土俗森ト唱フ」と記載されておりました。
・・・多分、「松原村(後の白鳥本町)と湊村(三本松のすぐ東)を合わせて、地元では森と呼んでいる」という意味でしょう・・・
分かりやすいのは良いとして、そういう呼び方を聞いたことがありません。
こういうことは、88さんにお伺いしてみよう。^i^)~~)
[81019] 2012年 7月 1日(日)21:18:51千本桜 さん
昼夜間人口比率
[80994] 白桃さん
総務省から「従業地・通学地による○○・産業等集計」が公表になります。これで、昼間○○、昼夜間○○比率が明らかになります。
地域における中心性が高まる一方で、それに背を向けるように昼夜間人口比率が低下していく大河原町。おそるおそる平成22年国勢調査の昼間人口を閲覧すると案の定、昼夜間人口比率の下落は止まらず、前回調査の95.9%から1.6ポイント下がって94.3%まで落ち込んでいました。あーぁ、ひよわな中心都市。県は仙南圏を白石市、角田市、大河原町、柴田町を中心とする地域としていますが、力が分散して強力な中心都市が育たない地域です。大局的に見れば、昼夜間人口比率が高ければ吸引力が強く、中心性の高い自治体ということになるのでしょう。それを否定するつもりはありませんが、仙南圏の様子からは昼夜間人口比率と中心性の関連が見えてこないのです。

平成22年の昼夜間人口比率の高い順に仙南圏の自治体を並べてみます。

自治体名H22比率H17比率比率の増減H22昼間人口H17昼間人口昼間人口減少数昼間人口減少率
角田市102.5%100.8%1.7ポイント31,336人33,453人2,117人6.3%
七ヶ宿町101.6%101.9%-0.3ポイント1,721人1,907人186人9.8%
村田町101.1%98.7%2.4ポイント12,121人12,574人453人3.6%
白石市98.6%98.7%-0.1ポイント36,894人38,971人2,077人5.3%
蔵王町96.7%96.4%0.3ポイント12,463人12,838人375人2.9%
大河原町94.3%95.9%-1.6ポイント22,195人22,370人175人0.8%
柴田町92.1%91.8%0.3ポイント36,217人36,542人325人0.9%
川崎町89.8%89.0%0.8ポイント8,961人9,416人455人4.8%
丸森町86.5%87.3%-0.8ポイント13,402人14,653人1,251人8.5%

昼夜間人口比率が100%を超えるのは角田市、七ヶ宿町、村田町の3自治体。しかも前回調査(H17)に比べて角田市は1.7ポイント上昇して102.5%、村田町は2.4ポイント上昇して101.1%になっています。対して大河原町は1.6ポイントも低下して94.3%に下落しています。この数字だけから判断すると、中心性を高める角田市と村田町。中心性を喪失した大河原町になります。でも、実態は大きく異なります。

角田市、村田町の昼夜間人口比率が上昇した原因は常住人口が減少したため。大河原町の昼夜間人口比率が低下した原因は常住人口が増加したためと考えられます。常住人口が減少したために起こる昼夜間人口比率の上昇って、あまり喜べないと思うのです。

ここで、昼夜間比率ではなく昼間人口そのものの増減率を見てみます。経済活動が冷えている仙南圏では全ての自治体が昼間人口を減少させています。仙南圏の中心都市と目される白石市、角田市、大河原町、柴田町の昼間人口減少率を比較します。減少率が少ない順に大河原町0.8%減、柴田町0.9%減、白石市5.3%減、角田市6.3%減となっていて、大河原、柴田両町が何とか現状維持ぷらぷら。白石、角田両市が明らかに衰退。不思議なのは、新幹線の駅があり、高速道路のICがあり、国道4号が縦貫し、国道113号が横断し、国道457号が接続する白石市が、なにゆえ衰退状況に陥っているのかです。
[81018] 2012年 7月 1日(日)18:35:57【1】YT さん
明治8年、明治11年、明治12年、明治13年共武政表
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。

『明治八年共武政表 上』

『明治八年共武政表 下』

『明治十一年共武政表 全』

『明治十二年共武政表 上』

『明治十二年共武政表 下』

『明治十三年共武政表 上』

『明治十三年共武政表 下』

明治11年、明治12年、明治13年の『共武政表』に記載されている本籍人口は、実際にはそれぞれ明治12年1月1日調、明治13年1月1日調、明治14年1月1日調です。

以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
[81017] 2012年 7月 1日(日)16:28:51H2 さん
路線バスの詳細について調べたい
かなり久しぶりの書き込みになります。(調べたら8年ぶりでした)

詳しい方がいらしたらお知恵を借りたいのですが、
いま地方の路線バスについてちょっと調べ物をしています。(まずは1市)
で、具体的に、
(1) 地図上のルート
(2) 地図上のバス停の場所
(3) 正式なバス停名称とその正確な読み方
を確認したいのですが、適した資料をご存じないですか?
できれば紙の地図を1冊入手したいと思っています。

(1)は、かつて昭文社の都市地図シリーズ(廃盤?)には赤い点線で載っていました。
ただし、広域図でしか捕捉されていない周辺部については載っていませんでした。
ほとんどは想像がつきますが、稀に複雑なルートをとる部分があって確認したいのです。

(2)は、ゼンリンのMapionのサイトでそれなりに確認できました。
ただし、バス停名が書かれていない箇所も結構あるようです。
同じ場所でもバス会社や系統によってバス停名違うこともあり、同じでも結構離れている場合もあるので。

(3)は、地方のバス会社だとサイトで公開されている情報が十分でなく、
変換ミスや表記の揺らぎ、勝手な省略、が結構見られ、
ネット上の他の情報や前述の地図上の情報などもそれをベースにして間違ったものが多いです。
結構な間違いをみつけて電話で伝えたりもしていますが、なかなかすぐには修正されないですね。
「の,ノ,之」や「が,ヶ,ケ」「つ,ツ,ッ」など、あえて地域名とは違う表記が正式なことも多いのが厄介です。

また、読みについては公式な記述がまったく無いことが多いです。読みが想像できないものが多いのに。
検索して集落名や小字名などから確認できることも多いですが、
稀にどうしても検索だけでは探し当てられないものがあります。
こういう掲示板で具体的に書いてみて、地元の方がいらしたら、というのも期待しますが。

残ったところは最終的には直接問い合わせて確認することになりそうですが、
できるところまでは調べ上げたく、適した資料があればと思っています。
[81016] 2012年 7月 1日(日)10:50:02【1】白桃 さん
「従業地・通学地による人口・産業等集計」の疑問
百足を見張りながら、「従業地・通学地による人口・産業等集計」を眺めていたら、おかしい点に気がつきました。
[81015]で記した「その市」とは、東かがわ市のことなのですが、東かがわ市に常住し、東かがわ市内で従業または通学している者は12,039人です。
その市に常住する就業者・通学者は17,057人(A)で、その市で従業、通学する者は15,451人(B)です。
(A)のうち、他市町村で従業・通学する者は5,018人で
これから、12,039+5,018=17,057で計算があっているように見えますが、5,018人の中には「従業地・通学地不詳」220人が含まれているのです。
(B)のうち、他市町村に常住している者は3,192人で
ですから、12,039+3,192=15,231となり、15,451人(B)と220人合わなくなるのです。
そもそも、「そこに常住する就業者・通学者(A)」のうちの「従業地・通学地不詳者」の数を、「そこで従業・通学する者(B)」に含めること自体に問題があるのでは、と百足が言ってます。
[81015] 2012年 7月 1日(日)03:08:14白桃 さん
出題者も答えを出せない問題
DIDに関する新しい重要な記事がありましたので、マガジンを更新編集しなければ、と思っているのですが、26日に公表された平成22年国勢調査「従業地・通学地による人口・産業等集計」から昼間人口比率などを算出する作業に時間をとられています。

で、いきなりですが問題です。
その市に常住する就業者・通学者は17,057人(A)で、その市で従業、通学する者は15,451人(B)です。
(A)のうち、他市町村で従業・通学する者は5,018人で、多い順に並べると
1.さぬき市、2.高松市、3.三木町、4.鳴門市、5.徳島市
(B)のうち、他市町村に常住している者は3,192人で、多い順に並べると
1.さぬき市、2.高松市、3.三木町、4.鳴門市、5.阿波市
であるが、その市から青森市に通っている者が1名、石巻市からその市に通っている者が1名います。
彼(彼女)達はいったいぜんたいどうやって通っているのでしょう。教えてください。

私が住んでいる築35年?の高級???マンションに百本足の生物が出現し、今、どこかに隠れています。出てくるまで、「寝ずの番」です。
[81014] 2012年 6月 30日(土)21:56:19にまん さん
展望台関心度
[81005] オーナー グリグリ

すみません、まだ行ってません、というか予定もないです(笑)

うちの場合スカイツリーが身近かどうかというと、それなりに身近だと思います。
さすがに自宅からは見えませんが、近所の公園からは見えますし、子供の学校(教室)からはかなりいい感じで見えます。ちなみに、私の職場の自席からも見えます。
ただ、家族の関心はきわめて低いです。スカイツリーに上りたいかと聞いても、「どっちでも」という感じですね。ただ、これは、スカイツリーに関心がないというよりも、そもそも展望台一般に関心が低いのが原因で、ソラマチの方には、どんな施設があるか聞いてきて、「水族館行きたい」だの、「プラネタリウム行きたい」だの言っております。

ここに出入りしている人なら、展望台に上って、[81012]でIssieさんが言われている
それでもこの高さからの眺望はとても印象的でした。地上における地理感覚がすべてリセットされてしまうという点で。高い所から見下ろすと,地上での距離感が全く利かなくなるのですね。地上の感覚で頭の中に描いている地図とズレが生じて混乱する。…そんな感覚を覚えました。
という感覚に共感できるのでしょうが、うちの家族のようにそもそも頭の中に地図がない人々にとっては、せっかくの高い展望台からの眺望も、関心が得られないようです。
過去、家族を都庁、ランドマークタワー、江ノ島のタワーetcに連れて行ったときの経験で言えば
「わ~、高い。よく見えるねー。。。。。。。で?」
と、1分程度で飽きてしまってました。そうすると、やっぱり

(1) いつでも行ける
(2) 開業直後で混んでいるだろう
(3) ネット予約は2,500円と当日券より500円高い
(4) 天望回廊まで登ると合計3,500円は高い(当日券でも3,000円)
(5) スカイツリーを身近に感じない
のうちの、(3)(4)は大きいです。

あと、個人的には、お天気の関係があるので、この時期予約していくのは躊躇しますね。オーナーグリグリさんは幸い曇り空でも眺望が楽しめたようですが、下から見ている限りでは、高い分だけ雲に隠れていることも多いように感じます。やっぱり行くとしても冬まで待とうかと考えてしまいますね。
[81013] 2012年 6月 30日(土)14:07:14hmt さん
落書き帳を「醸造桶」に たとえてみる
この記事で、落書き帳での hmt記事数が 1500になります。
2000年に 会社というコミュニティーを離れ、「ご隠居」という身分になってから、社会との新しい接点を探っていました。
2003年に たまたま知った「都道府県市区町村落書き帳」。

時代は 平成の大合併 が進行中で、私の地元でも 2市2町合併協議 が行なわれており、この落書き帳では その話題と共に、上福岡市の「上」の由来についての議論が行なわれていました。
私の最初の記事[19388]上福岡は、この流れに乗ったものでした。アーカイブズ

3年余で記事数は 500。その頃の記事 兵庫・神戸と神奈川・横浜

1001番記事[71808]「ミレニアム」と「世紀」 は、初書き込みから6年後で、1000という数字と 地理ネタとをからめたものでした。

今回は落書き帳そのものを題材にします。
8年10ヶ月の間に投稿した記事 1500件は、hmtが発言の場を提供していただき、この場に生きた証拠の「代謝生成物」です。

ところで、微生物の代謝生成物。それは、有用性の有無により、「発酵」・「腐敗」と別の名で呼び分けられます。

煮豆についた微生物により、異臭がして糸を引いてきたら、「腐敗した」と思います。
ところが、勇気のある人が食べてみて、「旨い!」と価値を発見すれば、これは 納豆という「発酵製品」になります。
発酵と腐敗とは、代謝生成物の評価次第、いわば紙一重の差です。

落書き帳という場には、いろいろな人が 書き込みを通じて 材料や意見を出し合います。
これは、発酵の形としては、単一微生物の「純粋培養」でなく、コウジカビによる糖化と 酒蔵の中に住みついた酵母とが協力して 白桃さんの好物を醸し出す 「醸造桶」のようなものだと思っています。

落書き帳は、都道府県市区町村という切り口を中心にして“地理を語ること”が主題であると考えます。
書き込みの中には、「地理」を語る際の材料ではあっても,それだけでは「地理」ではないものも多数あります。
でも、地理を語る“材料”は,いろいろな側面から さまざまな切り口のものがあった方が その組み立ても豊かになる。[78512]

一見すると見過ごしそうな情報でも、落書き帳という「醸造桶」に投入すれば、“地理を語る材料”として役立つ場合もある。
だから“材料”段階であっても、多様な視点の記事を歓迎。
そのような趣旨を[78525]で記し、実例を挙げてみたこともあります。。

もちろん、時には話題が偏り、本筋の地理から離れて批判を受けることもあります。[68938]
書き込みが途切れて、うまく発酵が進まないこともあります。でも、そのうちに回復します。
最も危険なのは、「荒らし」に襲われて、一気に外来菌株が大増殖してしまうこと。
蔵元は、有害な菌が混入しないように、日夜怠らぬ監視をしてくれています。[70170]

蔵元は、主役の「醸造桶」を補助し、発酵環境を整えるための仕掛けを設けています。
十番勝負も、地名コレクションも、オフ会も その一環でしょう。
市区町村変遷情報に集められた膨大なデータは、検索機能が加わることにより、一段と有用性を増しました。

2年前に発足した hmtマガジン も、落書き帳での発酵を うまく進める一助になればと思っています。
幸い、白桃マガジン という仲間もできました。
[81012] 2012年 6月 30日(土)11:18:42Issie さん
Re:スカイツリー関心度
ずっと以前に話題になった「国一/一国」ネタでも触れましたが,私の職場は「二国」(第二京浜=国道1号)を見下ろす位置にあります。
そこでも触れられたかどうか,その「二国」に架かる橋に「響橋」(横浜市鶴見区東寺尾)という橋があります。第二京浜国道が整備されたのと同じ頃に“1940年の東京オリンピック”の準備が進められていて,マラソンコースに予定されていたのが第二京浜でした(ご存知の通り,1964年のオリンピックでは甲州街道がコースとなったわけですが)。その折り返し地点に予定されていたのが鶴見区の東寺尾付近で,響橋はそのランドマークとして優美なアーチ橋とされた,といわれています。
前置きが長くなりましたが,毎日の通勤で利用するバスで渡るその響橋からスカイツリーが見えるそうなのです。いや,そもそもウチの職場からも見えるらしいのですが,まだ確認はしていません。
以前に武蔵小杉にあるNECの超高層オフィス(玉川ルネッサンスタワー)を見学したときにその屋上に上げていただいたことがるのですが,そこからは建設中のスカイツリーがよく見えました。
地上156mというのは文字通り,スカイツリーの足元にも及ばない高さですが,それでもこの高さからの眺望はとても印象的でした。地上における地理感覚がすべてリセットされてしまうという点で。高い所から見下ろすと,地上での距離感が全く利かなくなるのですね。地上の感覚で頭の中に描いている地図とズレが生じて混乱する。…そんな感覚を覚えました。
スカイツリーの高さであれば,その混乱はもっと大きなものになるでしょうか。

で,実は昨日,午後の仕事をサボって(ちゃんと有休とりましたよ),ふと思い立って足元のソラマチまでは行ってきました。京急に乗れば押上まで乗り換えなしで行けますからね。実際は京急内で乗り換えましたが。時間の関係もあってタワーに昇るまではしなかったのですが。
それにしてもソラマチ,人が一杯です。平日の午後なのにね。公務員には期末手当支給日の金曜日ですが,まだお仕事中だろうし。

そのスカイツリーのロケーションですが,東京の西側から見るとやはり,

・感覚的に遠い

というのが正直なところです。“こちら側”からだと「やまて線の向こう側」は遠いのですね。まして“隅田川の向こう”なら,なおさら。
 …※ずっと以前に開かれた「御徒町の会合」も,まあ,そういうことです。
習志野や市川に住んでいた頃はこの辺りは普通に行動するエリアだったし,特に市川からなら少しその気になれば自転車で楽に行ける所ですから何も思わないのですが,その頃は逆に新宿や渋谷が遠く感じました(池袋には行ったこともありません)。今はちょうど,その裏返しなわけで。
最近は“秋葉原より東”に行くことがほとんどありません(厳密な経緯度ではなくて,メンタルマップ上の東,ね)。

同じようにそういう感覚を持っている人も少なからずいるんじゃないだろうか,と思っています。
[81011] 2012年 6月 30日(土)01:05:50【1】YT さん
「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」と「地方港湾」
[81010] hmtさん
田尻町の本土側と 関空島との間の海域。ここには水上生活者は居ないと思います。
つまり、[81009]に引用された省令第一条第4項各号に該当せず、水面調査区ではないということです。

自分はずっと関西国際空港の陸側に向けて作られた泉州港は

一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域

に相当するため、水上生活者の有無に関わらず自働的に水面調査区が設置されるものと思ってました。ところがhmtさんの書き込みを読み、改めて大阪府の港湾を調べたところ、どうも泉州港は「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」の何れにも相当しない「地方港湾」だったようです。

大阪府の港湾港湾法の規定市町村
大阪港国際戦略港湾大阪市
堺泉北港国際拠点港湾堺市・泉大津市・高石市
阪南港重要港湾泉北郡忠岡町・岸和田市・貝塚市
二色港地方港湾貝塚市・泉佐野市
泉佐野港地方港湾泉佐野市
尾崎港地方港湾阪南市
淡輪港地方港湾泉佐野市・泉南郡田尻町・泉南市
深日港地方港湾泉南郡岬町
泉州港地方港湾泉南郡岬町

そうなってくると・・・関空と陸側の一部工場地帯を一個の特別調査区としたとかでしょうか?調査区地図の方は、統計図書館に出向かない限り確認しようがないので、ハードルが高いようです。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/micro.htm
[81010] 2012年 6月 29日(金)22:39:35hmt さん
「隣接」の意味と水面調査区
[81009] YT さん
この問題の本質は、「水面調査区」が地図上に図示されてないことによると思います。

田尻町の本土側と 関空島との間の海域。ここには水上生活者は居ないと思います。
つまり、[81009]に引用された省令第一条第4項各号に該当せず、水面調査区ではないということです。

洞海湾の事例はいさ知らず、少なくとも関空のケースにおいて、本土側と関空島とが「隣接」とみなされたのは、「図示されていない水面調査区による隣接」とは無関係であると考えます。
[81009] 2012年 6月 29日(金)17:06:03【2】YT さん
水面調査区
[81008] hmtさん

関西国際空港連絡橋を経由しないと往来できない 田尻町や泉南市でも 「隣接」扱いですから、既存の2トンネルに加えて東京ゲートブリッジ[80265] が開通した中央防波堤埋立地も、当然に 23区と隣接した 人口集中地区ということになります。

同じように、1975年、1980年、1985年の北九州市若松区DIDは、八幡西区DIDや戸畑区DIDと隣接してません。それにもかかわらず「北九州連合集中地区」として同一の人口集中地区とされています。

この問題の本質は、「水面調査区」が地図上に図示されてないことによると思います。

昭和45年度版の『わが国の人口集中地区』の「利用上の注意」によると、人口と面積に関して:

(1) 人口集中地区に含まれる水面調査区の人口は,原則として人口集中地区の人口のなかに参入されていない。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,水面調査区の人口も当該人口集中地区の人口に含めた。

(中略)

(2) 人口集中地区に含まれる水面調査区の面積は,原則として人口集中地区の面積のなかに含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。

つまり地図上では空白となっているが、その部分には「港湾に設定された水面調査区」が存在していることになります。

現在の国勢調査の調査区の設定の基準等に関する省令によると、

第一条  国勢調査令 (以下「令」という。)第八条第一項 の規定による調査区の設定は、市町村の区域を一般調査区、特別調査区又は水面調査区のいずれかに区分して行うものとする。

4  水面調査区は、総務大臣の定める方法により、次に掲げる区域を区分して設定するものとする。
一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域
二  港湾法第二条第二項 に規定する地方港湾の同条第三項 に規定する港湾区域又は漁港漁場整備法 (昭和二十五年法律第百三十七号)第二条 に規定する漁港の水域(前号の国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾に指定されている漁港の水域にあつては港湾区域に該当する水域を除いた水域)で居住者の存するもの
三  河川又は運河の河口及びその周辺水域で居住者の存するもの(前二号に該当するものを除く。)

ともかく「港湾に設定された水面調査区」と「準人口集中地区」に関する地図が入手できれば、[80928]で示したようにDIDを拡張し、人口集中地区・準人口集中地区が港湾に設定された水面調査区をはさんだ分を含めてひたすら隣接した地域の人口・面積の計算も出来るのですけど・・・

【追記】 そういえば[271]で、個々の人口集中地区,準人口集中地区について昭和35年から平成17年までの変遷をまとめて下さったsatoさんは、今どうしていらっしゃるのでしょう?そもそもsatoさんはどうやって準人口集中地区の情報を得たのでしょうか?

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

とあるのですが、この所定の手続きは楽なんでしょうかね?

あと、改めてDIDの定義の文([81006])を見返すと、どこにも水面調査区への言及がないですね。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
港湾施設を形成する特別調査区・水面調査区の内、特別調査区のみをDIDに加えるというのは、定義として間違ってないんでしょうけど、「利用上の注意」まで読み進めて初めて「水面調査区」の言及がある。どうも定義の文に不備がある感じがします。
[81008] 2012年 6月 29日(金)15:06:19hmt さん
人口集中基本単位区に「隣接」した都市的地域施設
[81004] 白桃 さん
[81006] YT さん
統計局の解説を紹介していただき、ありがとうございました。

要するに、次のような理屈を付けて、住民はゼロに近くても、人口集中地区に含めるものと 理解しました。

皇居、神社仏閣、飛行場、港湾施設などは、広大な面積を占める人口過疎地域ではあるが、山林や農地とは性格の異なる「都市的」施設であるから、これらが人口集中基本単位(人口密度4000人/km2以上)と「隣接」している場合は、人口集中地区に含める。

落書き帳でもたびたび使われる「隣接」という言葉ですが、DIDの判定で使われているのは、十番勝負など一般的に使われている「陸上の隣接」とは違うようです。

DID境界図大阪府 を見ると、関西空港が DIDに含まれていることがわかります。
そして、泉佐野市、田尻町、泉南市の DIDは、それぞれ単一のDIDとして取扱われています。
つまり、本土の人口集中地区「地先」にある空港島は、本土と「隣接し」、一体化しているものと「みなされた」わけです。

[81003] hmt
それどころか、所属する区が未定の中央防波堤埋立地までもピンクに着色されています。

関西国際空港連絡橋を経由しないと往来できない 田尻町や泉南市でも 「隣接」扱いですから、既存の2トンネルに加えて東京ゲートブリッジ[80265] が開通した中央防波堤埋立地も、当然に 23区と隣接した 人口集中地区ということになります。
この地を、「人口集中地区」と呼ぶのは、どうも抵抗を感じるのですが…
所属未定ですから、江東区、大田区いずれの DID面積にも算入されていないはずです。

中央防波堤埋立地にある都市的施設とは何か? 
現在のところ 確実に稼働中なのは、内側埋立地にある不燃ごみ処理センターくらいでしょうか。中央防波堤埋立処分場案内図

計画中の大規模緑地や海上コンテンターミナルができて、(居住しなくても)人々が集まるようになれば、都市的施設と実感できるようになるでしょう。
[81007] 2012年 6月 29日(金)07:30:04オーナー グリグリ
Re:微妙な書き込みに関しまして
[80999] MapGo!さん
まだ、公開も浅く、ユーザー数も少なく、目標地点到達数も少ないのですが、沢山の方がこのアプリにより、全国を廻って新しい発見をしてくれたらと思っています。
さっそくのふぉろ~書き込みをありがとうございました。

[80993]でご紹介されたアプリ、なかなか凝っているようですね。まだDLしてないので、今度DLして使ってみますね。まずは山手線あたりからかな。ところで、MapGo!さんはアプリ開発などお得意のようですが、当サイトの企画「経県&経県値マップ」はご存知でしょうか。結構世間に知られていて評判も良いので、企画を膨らませたいなと以前から考えています。何かご一緒にできることがあると思います。よかったらMapGo!さんのプロフィールをもう少し詳しく教えていただけると嬉しいです。メール(ページ最下段)でも構いません。
[81006] 2012年 6月 29日(金)02:14:42【1】YT さん
DIDの定義 再び
[80994] 白桃さん
それではと、7割1分3厘というYTさんの驚異的な数字を見て、やっとヒト安心。
人口の話題ばっかり書き込んでいるYTです。最近は過去の市町村別人口のまとめをそっちのけにして、正保郷帳、明治初期の石高にばかり気を取られていて、近い将来にそっちの投稿をする予定です。それはさておき・・・

[81003] hmtさん

東京の中心部にある千代田城一帯は、人口が極めて少ない地区だと思うのですが、なぜ DIDに含まれているのでしょうか?

羽田空港も巨大な人口希薄地帯の筈ですが、これもDID。
それどころか、所属する区が未定の中央防波堤埋立地までもピンクに着色されています。

この辺の例外については、総務省統計局が毎回出版している『我が国の人口集中地区』の方で詳しい解説があります。総ての回の定義部分をコピーして自分の手元に所持しているわけではないので、正確なことは書けませんが、以下は昭和45年版でのDIDの定義です。

2 設定の基準

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。
 また,これら人口密度の高い調査区につぎのような調査区が隣接している場合には,人口密度に関係なく,これを人口密度の高い調査区が集まっている地域に含めた。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
(2) 学校・研究所・都市公園・神社・仏閣・運動場等の文教レクリェーション施設,工場・倉庫・事務所・鉄道用地等の産業施設または官公庁・病院・療養所等の公共および社会福祉施設のある地域が,原則として調査区の3分の1以上の面積を占めている調査区。 なお,同一市区町村内に2か所以上の人口集中地区が存在する場合は,人口の多い順に,I,II,III……の符号でそれぞれの人口集中地区を表した。

この頃は、まだ「基本調査区」が導入される前で、一般調査区、特別調査区、水面調査区などの「国勢調査調査区」が基本単位でした。そのため例外(2)では、調査区の3分の1以上の面積が例外施設で占められている調査区がDIDに含まれていましたが、1995年以降の「基本調査区」の設置で基本単位が狭くなり、そのために2分の1に基準がゆるくなったのでしょう。また昭和45年の定義だと皇居は例外(1)に相当する「社会施設など特殊な施設のある特別調査区」となります。現在の定義では例外(1)が残ってるのかは分かりませんが、ウェブ上ではなくて実際に最新の『我が国の人口集中地区』をチェックした方が確実でしょう。

都内であれば、『我が国/わが国の人口集中地区』シリーズは港区にある都立中央図書館で閲覧可能です。ただ書庫内から取り寄せないといけないので、そこよりも東京大学弥生キャンパスの農学生命科学図書館を薦めます。館内の2階には日本帝国統計年鑑の初巻や、一連の国勢調査報告書が揃っており、一度入館すれば煩雑な手続きなしに膨大な数の統計書を閲覧できます。
[81005] 2012年 6月 28日(木)19:56:26オーナー グリグリ
スカイツリー関心度
開業前はあんなに大騒ぎしていたスカイツリーですが、[80998]に書きましたように、予約チケットのキャンセル分の先着受付チケットもまだまだ購入ができます。また、[81000]でJOUTOUさんが書かれているように、駐車場もいつも余裕があるようです。ソラマチはあんなに混雑しているのにです。私の周りにも、スカイツリーは素晴らしいよ、早く行くべきだよ、と奨めるのですが、今一つ乗りが悪いというか、関心が低いように感じます。

何故だろうと考えました。

(1) いつでも行ける
(2) 開業直後で混んでいるだろう
(3) ネット予約は2,500円と当日券より500円高い
(4) 天望回廊まで登ると合計3,500円は高い(当日券でも3,000円)

あたりが関心がまだ低い理由かなと考えたのですが、もう一つ考えました。それは、

(5) スカイツリーを身近に感じない

横浜・川崎など神奈川方面や東京多摩地区など、都心から見て西側から通勤している人は、通勤途上などでスカイツリーを見ることはないため、スカイツリーを身近に感じていないようです。職場の何人かに実際に聞いてみると、確かに身近に感じていないことがわかりました。東京タワーのように都心の真ん中にあると、もう少し目にする機会もあるとは思いますが、スカイツリーは都心からは意外に見えません。山手線で言うと、上野駅と御徒町駅の間でかろうじて見えるくらいでしょう。浅草まで行けばもちろん十分間近に見えるのですが、山手線内側やその周辺地域になると、スカイツリーを目にするのは極めて限られた範囲になるようです。

ちなみに私は毎日通勤途上で首都高からスカイツリーを間近に眺めています。(この話はまた別途)

もちろん、(5)は都心を生活やビジネス圏にする人だけの理由かもしれませんが、潜在利用客としての大きなパイを持っているわけですから、この理由は無視できません。私の中のスカイツリーの存在感との比較から言っても、この理由はかなり当たっていると思います。

身近に感じていない方、しつこいですが行くなら今のうちですよ。ピッカピッカのスカイツリー。
[81004] 2012年 6月 28日(木)19:44:15白桃 さん
DIDの不可思議
[81003]hmt さん
東京の中心部にある千代田城一帯は、人口が極めて少ない地区だと思うのですが、なぜ DIDに含まれているのでしょうか?
マガジンデビューにお祝いの言葉をいただきありがとうございます。
また、マガジン作成にあたって私の幼稚な質問にも親切に教えて戴きましたこと改めて御礼申し上げます。

さて、お問い合わせの件ですが、特別区23区につきましては
国勢調査人口(夜間人口)=DID人口
となっております。
私も、どうしてそうなるのか詳しいことは分かりませんが、総務省統計局のHPの「人口集中地区」(2)設定の基準の「なお書き」には以下のように書かれております。
なお、人口集中地区は「都市的地域」を表す観点から、学校・研究所・神社・仏閣・運動場等の文教レクリエーション施設、工場・倉庫・事務所等の産業施設、官公庁・病院・療養所等の公共及び社会福祉施設のある基本単位区等で、それらの施設の面積を除いた残りの区域に人口が密集している基本単位区等又はそれらの施設の面積が2分の1以上占める基本単位区等が上記1)の基本単位区等に隣接している場合には、上記1)を構成する地域に含めた。
DIDの人口密度を見てますと、5,000人を切っているところが沢山あります。上記の理由によるものでしょうか?
いい加減な白桃が言うと笑われるかもしれませんが、DIDの設定は周りが思っているほど厳密ではないのでは・・・。

ついでですが、東京都特別区の6月1日の推計人口、900万人を突破しました。
[81003] 2012年 6月 28日(木)18:39:32hmt さん
祝・白桃マガジン デビュー
おめでとうございます。

グリグリさんによるお誘い[80946]と、それに応じたレス
[80951] 白桃 さん 「都市を感じる」には
この言葉をおききするのがコワかった^x^)、しかし、見て見ぬフリはできません。
から 僅かの日数で、颯爽とデビューしましたね。

さて、最初のテーマとして取り上げられた「DID(人口集中地区)」についての、ごく初歩的な質問。

東京の中心部にある千代田城一帯は、人口が極めて少ない地区だと思うのですが、なぜ DIDに含まれているのでしょうか?

統計表で用いられる地域区分の解説 によると
人口集中地区は,(中略)平成7年国勢調査からは基本単位区(「基本単位区」の項参照)を基にしています。
とあり、その少し下にある「基本単位区」の項には次のように説明されています。

基本単位区は,学校区,町丁・字など,市区町村を細分した地域についての結果を利用できるようにするために,平成2年国勢調査の際に導入された地域単位です。街区方式による住居表示を実施している地域では,原則として一つの街区を基本単位区の区画としています。それ以外の地域では,街区方式の場合に準じ,道路,河川,鉄道,水路など地理的に明瞭で恒久的な施設等によって区分けされた区域を基本単位区の区画としています。

この説明によると、皇居、皇居前広場、北の丸公園等は、それぞれが「基本単位区」を構成すると思われます。
これら人口の少ない地域は、人口の集中した神田・九段・麹町などの地域とは区別される「DIDの空白地帯」として地図上に現れるものと予測しました。

しかし 平成22年国勢調査人口集中地区境界図 に明示されているように、千代田区の真ん中に「DIDの空白地帯」は存在しません。
統計表でも千代田区のDIDは単一で、面積11.64km2となっています。これは千代田区全体の面積と同じです。

羽田空港も巨大な人口希薄地帯の筈ですが、これもDID。
それどころか、所属する区が未定の中央防波堤埋立地までもピンクに着色されています。

同じ東京都でも、三多摩に行けば、ルール通りの「基本単位区」が使われているようです。
例えば国立市の谷保付近にある「DIDの空白地帯」を見ても、このことがわかります。

東京都23区は、 DIDについても「特別区」なのでしょうか?
[81002] 2012年 6月 27日(水)22:29:06オーナー グリグリ
白桃マガジンオープン♪
[81001]で白桃さんがご紹介されていますが、本日正式に白桃マガジンをオープンいたしました。

白桃マガジン

白桃さんの人柄が思う存分発揮されるのではないかと大いに期待しています。皆さんどうぞよろしくお願いいたします。
白桃さん、よろしくお願いいたします。
[81001] 2012年 6月 27日(水)12:52:53白桃 さん
おしらせ
なんか恥ずかしいのですが、早ければ本日にでも「白桃マガジン」が立ち上がります。
テーマは言わずともお分かりのように、「入口」いや「人口」です。
とりあえず第一弾として「DID」に関する特集を3つ組んでおります。

なお、白桃マガジンには開くとバックミュージックが流れており、その曲名は次のうちいずれかです。
「6番のロック」「回転禁止の青春さ」「赤いヘルメット」「俺の涙は俺がふく」

あ、失礼いたしました。志木、新座、朝霞、和光の4市と同じくらい、どれがどれだか分からないということで、今回は断念、流れないようです。
[81000] 2012年 6月 27日(水)09:23:03JOUTOU さん
東京Solamachi
最近のマイブームはショッピングモールなど見て廻り、新たな発見(=散財)を楽しんでいるJOUTOUです。

と、いうことで[80917]でも少し触れましたが、東京スカイツリーに併設している商業施設ソラマチは私の自宅から車ならば5分程度の距離にあり、目新しい物を発見できる格好のターゲットであるため、暇さえあればちょくちょく足を運んでは散策しています。土日などは酔うほどの人でごった返しているのが難点ではありますが。もちろんスカイツリーにも近日中に登ってみたいです。

落書き帳でこんな情報は無用とは思いますが、アクセスについてはみなさんご存知の東武伊勢崎線(今はスカイツリーラインって名前らしいです)の他に、押上駅(東京メトロ・都営地下鉄・京成など)が直結してます。羽田空港からお越しの方は、京浜急行から都営地下鉄への直通電車だと30分~45分程度で行けます。JRを利用される方は錦糸町駅から都営バス(10分程度)が本数も多く比較的便利です。その他料金や会社は様々ですが東京・上野・日暮里・両国・亀戸・平井・新小岩などから路線バスが運行しています。最後に自家用車を利用される方は周辺の駐車場もそれなりに高いので、スカイツリー内の地下駐車場を利用しても大して変わらないと思います。料金は30分350円で、ソラマチなどで1店舗3000円以上の買物で1時間割引になります。収容台数が多いためか、はたまた利用者が少ないためか、過去に満車状態を見たことないのですんなり入れるとのではないでしょうか。

ちなみに魚介類や肉が安くてお得ですよ^^。


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