都道府県市区町村
白桃研究所長による人口テーマ専門誌

名邑談義

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記事数=15件/登録日:2014年6月13日

生まれてから18年間は「町民」だった私も、「市民」となって45年目を迎えております。でも、私自身は「町民」のほうが似つかわしいと思っておりますし、今でも、「市」より「町」を愛しております。それに、今(2014年6月13日現在)は、市の数790に対して、町の数745と、町が貴重な時代でもあります。
そこで、今でも「町」のままのところは勿論、今は市になってしまったが、若かりし遠い昔は町であったところ、その中でも“名邑”に言及した記事を特集しました。理想から言えば、「名邑の人口地誌」としたかったのですが、所詮実力不足のコノ私、とりあえず「名邑談義」としておきます。
なお、“名邑”という言葉ですが、私の知る限りでは「日本地誌提要」や明治19年に調査された「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に出てきます。[76584]で「明治の名邑」を私なりに定義?しておりますが、その言葉自体に「感情移入」があり、人口面からだけでは定義できないことは合点承知のうえ、敢えて強行したものです。
最後になりますが、この特集に関係する貴重な人口データとして、以下にYTさんの記事を紹介しておきます。
[68751][68752][68793][68794][68845][68846][68962][68963][68964][68965]

★推奨します★(元祖いいね)


[62822] 2007年 12月 12日(水)21:47:10白桃 さん
大変失礼いたしました
長い引用になりますが、お許しください。
[62817]hmt さん
既に同じ明治19年に調査された人口表:「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に言及した記事[61293] がありました。(中略)対象とされた町村は、3ランクに分けられています。(甲表=集計表、乙表=類別表のコマ番号を記す)
第一表は市街及び市街の体裁をなしたる名邑を記載す(甲表2、乙表5)
第二表は市街の体裁をなさざる名邑を記載す(甲表23、乙表25)
第三表はそれ以外で200戸以上の町村(甲表33、乙表34)
ありゃ、[61293]は私なんですが、第一表しか見てませんでした。そこで、大問題になるのが次の記事
[61345]白桃
そこで、当時、「現住人員」が3000人を超えていたのはどこでしょう?。次のうちからコッソリ一つだけ選んでください。
ア.岩手県二戸・福岡村(現:二戸市)
イ.宮城県柴田・大河原村(現:大河原スーパータウン)
ウ.栃木県下都賀・小山宿(現:小山市)
エ.群馬県新田・太田町(現:太田市)
オ.愛媛県大内・三本松村(現:香川県東かがわ市)
福岡村、小山宿、三本松村は第一表にあるのですが、大河原村と太田町は第二表なんですね。しかも、太田は3,769人ですから、三本松とともに該当市が二つとなり、これは明らかな出題ミスです。関係者の皆様には深くお詫び申し上げます。
しかし、大河原や太田が「市街の体裁をなさざる名邑」とありますが、誰が判断したのでしょう?

いずれにしろ、hmt さん、第二、第三表の存在を教えていただき、大変ありがとうございました。でもまた、私の仕事?が増えちゃいました。(笑)
[68576] 2009年 2月 9日(月)01:58:17白桃 さん
19世紀後半の名邑(茨城県の巻)
白桃市町村人口研究所では、19世紀後半の名邑シリーズを刊行?する予定ですが、油天神山さんが、つくば市にお越しになられたのを記念し、予告編として茨城県をとりあげました。
19世紀後半の名邑としましたが、要は明治の大合併前後の頃の名邑を選んでみました。
名邑の選抜とランキングにあたっては、詳しいことは申せませんが、「白桃の独断と偏見」だけによるものではありません。(笑)
なお、市町名は市町村制実施当時のもので、人口は「1889年内務省告示による現住人口」です。


1水戸市25,088---9下館町6,074---17谷田部町4,037
2湊町11,24110水海道町5,17918境町4,030
3土浦町10,61011潮来町4,71319宍戸町3,988
4石岡町10,49812 下妻町4,05120大津町3,572
5結城町10,28313真壁町6,15321小川町3,430
6古河町9,83814磯浜町8,86822取手町3,192
7太田町7,23815平磯町5,82823麻生町3,172
8笠間町6,84616龍ヶ崎町5,241
[68631] 2009年 2月 17日(火)00:33:53白桃 さん
♪鞆よ & 名が長~い市
40年以上前の「あの歌」ではありません。
広島県福山市の鞆地区が、埋め立てと架橋問題で揺れているようです。その関係で新聞に出てました福山市長さんの次の言葉(争点の本質とはほとんど関係ない)が気になりました。
全盛時12000人いた人口が、5000人をきってしまった
白桃が選ぶ「19世紀後半の名邑」では、鞆は広島県においては広島、尾道、福山に続きNo.4なんですね。もっとも、国勢調査史上は1942年合併前の全盛時人口は10500人程度だと思いますが、いずれにしろ、そんな街が5千人をきるとは!・・・・・・三本松もか???

上の話とは全く関係ないのですが、東金市、大網白里町、九十九里町の間で合併話が持ち上がっているようです。万が一合併したら、はたしてどんな市名になるのやら・・・
まさか、漢字十文字にならないでしょうけどネ。(因みに、中央競馬会では競走馬の名前はカナ9文字まで、と決められています)

蛇足:ときどき、いや頻繁に、後から読むと、いったい何を書きこみたかったのか、本人さえ理解に苦しむことがありますので、「那珂川町長」さんには同情します。でもお互いお酒で失敗せぬように気をつけましょう・・・
[68954] 2009年 3月 21日(土)16:16:34千本桜 さん
名邑・市坊
[68890]YTさん
YTさんの書込みを引用
名邑市坊戸口人口備考
石巻122,23410,325宮城県支庁
湊村65092,221石巻より北上川を隔つ
教えてください。名邑の人口とは何なのか分らなくなってきました。上記YTさんの書込みからは、湊村には6つの市坊があって、その人口が2,221人とも受取れるのですが、名邑の人口とは市坊だけの人口なのでしょうか?、それとも村落部を含んだ自治村全域のものなのでしょうか。
市坊とは日常的に使われない言葉ですが、私なりに次のように解釈していました。「市坊」とは、多くの人が集まる賑やかな町場で、村落とは異なる場所。つまり、市街地という言葉に置き換えることができる場所で、しかも、「お上」が認定?した町場を指すのかな?と思っていました。上手く伝えられなくて済みません。
そのような考えを基に、幾つかの名邑の市坊を想定してみました。間違っていたらごめんなさい。
名邑 旧国 郡 戸口 人口 市坊・備考
棚倉 磐城 白河郡 476 2,250 市坊4,伊野上・伊野下2村を総称す
角田 磐城 伊具郡 258 1,575 市坊3
桑折 岩代 伊達郡 536 2,333 市坊3
棚倉の市坊は新町古町鉄炮町下町の4町と想定しました。現在の住所は大字名「棚倉」を冠し、棚倉町棚倉字新町、棚倉町棚倉字古町、棚倉町棚倉字鉄炮町、棚倉町棚倉字下町となっています。
角田の市坊は本町仲町天神町の3町と想定しました。現在の住所は大字名「角田」を冠して角田市角田字町となっています。本町、仲町、天神町は正式住所ではありませんが、今でも通称名として頻用されています。
桑折の市坊は西町本町北町の3町と想定しました。現在の住所は大字なしの桑折町字西町、桑折町字本町、桑折町字北町となっています。
勘違いしているかもしれませんが、このようにして市坊を特定してみると、城下の武家屋敷は市坊に含まれないのかな?、武家屋敷の住人は名邑の人口に含まれないのかな?などの疑問が涌いてきました。いずれにしても市坊とは何なのか?。名邑の人口は市坊だけの人口か?。それとも武家町と町人町の双方を含んだ市街地全体の人口か?などなど、思うこと多々あります。ご存知でしたら教えてください。

[68897]白桃さん
井内・磯田地区の人口が2,221人だったという説は成り立たないでしょうか。
一瞬、ドキッとしました。でも、やはり無理だと思うのです。角川地名大辞典によれば石巻市大字井内(旧湊村の井内・磯田地区)の人口は886人です。この人口は、稲井町が石巻市に合併した昭和40年代のものか、辞典が編集された昭和50年代のものか定かではありません。しかし、これから推測すると明治6年頃の人口は200人か300人程度だったと考えられます。

明治22年の人口が6,440人(内務省告示)ですが、これはかなりの人口規模です。もちろん8村プラス井内・磯田ですので、それぐらいは当然と言えば当然かもしれませんが、稲井村の中心は井内(「いうち」ではなく「いない」)ですよね。
稲井村の中心(役場所在地)は井内ですが、井内は井内でも湊村から分かれた井内・磯田地区、つまり大字井内ではなく、大字大瓜の字井内です。昭和20年代に測量された5万分の1地形図を見てみます。この辺りを川が流れています。たぶん、真野川の旧流路だと思います。左岸(地図上では右側)には大字井内の集落、右岸には大字大瓜字井内の集落があります。どちらも町場と言うには寂しすぎる集落で、名邑に値しない村落です。YTさんは、明治6年1月1日調「名邑」の人口 (4)の中で、湊村の市坊が6と書いておられます。井内には市坊らしきものが見当たりませんから、市坊6、人口2,221の湊村は井内・磯田のことではなさそうです。

ところで、日本地誌提要になぜ採用されなかったかわからない「名邑」がいくつかありますが、その最たる名邑だと私が思っているところについて、YTさんの連載が終わりましたらクイズ形式で言及したいと思います。
たぶん、高度なひねりが入ったクイズになりそうですね。クイズには差障りがないと思いますので、深く考えずにパッと見て「何でここが名邑に採用されないの?」と感じたものをいくつか発表します。○河国の○原、同じく○宮(現在名は○○宮)、相○国の○塚、上○国の○原、下○国の○田、美○国の○治○、○野国の○川、越○国の○附など結構ありますね。
[75064] 2010年 5月 4日(火)22:06:27白桃 さん
平成に残る「明治の名邑」
「名邑」の定義は一筋縄ではいかないのですが、イメージとしては、「大都市ではないけれど、小地域の中心として確固たる地位にある街区」といたします。
この仮定にたって、明治時代は結構繁華な街であったのに、未だに市になれず「町」に甘んじている所はどれぐらいあるか調べてみました。

「明治19年調査市街名邑及町村二百戸以上戸口表」の現住人口によりますと、明治末時点での町又は市(北海道と沖縄は区)で、明治19年の人口が三千人を超えていた所は六百と少々あります。ちゃんと数えていたのですが、記憶力が悪く正確な数を思い出せませんが、現在の市の数よりも随分少ないことは間違いありません。
注:明治19年は市町村制施行前ですから、明治末時点での町(市)域総人口ではなく、一地域単位の人口が三千人超が条件です。例えば山形県長井町=現:長井市は、小出村と宮村を合計すれば三千人を超えますが、単独ではどちらも超えていないのでアウトです。)

その中には、三本松(3,190人)のようにやっとこさ市になった邑、和歌山県加太(3,340人)のように編入合併で市域に含まれるようになった邑、などがありますので、これらを除いて未だに町にとどまっているのは以下の74町です。(名称は明治末時点での町名)
北海道・東北:24
江差、福山、寿都、古平(北海道)、七戸、鯵ヶ沢、野辺地、三戸(青森)、山田(岩手)、涌谷、丸森、志津川、亘理、中新田(宮城)、六郷、五城目(秋田)、谷地、山辺、長崎、小松(山形)、三春、川俣、坂下、桑折 (福島)
関東:6
磯浜、境(茨城)、壬生(栃木)、小川(埼玉)、一宮(千葉)、大磯(神奈川)
中部:19
出雲崎(新潟)、泊、上市(富山)、宇出津、津幡(石川)、高浜(福井)、市川大門、鰍沢(山梨)、坂城、福島(長野)、笠松、八百津、北方、御嵩(岐阜)、森(静岡)、蟹江、内海、豊浜、武豊(愛知)
近畿:5
長島(三重)、日野(滋賀)、浜坂(兵庫)、下市(奈良)、湯浅(和歌山)
中国・四国:14
赤碕(鳥取)、津和野(島根)、早島、矢掛(岡山)、加計(広島)、久賀(山口)、貞光(徳島)、琴平、多度津、土庄、宇多津(香川)、佐川、伊野、久礼(高知)
九州・沖縄:6
芦屋(福岡)、有田(佐賀)、長洲、富岡(熊本)、日出(大分)、高鍋(宮崎)

以上挙げたうち、訪問したことがあるのはごく僅かです。
地元の方には申し訳ありませんが、白桃が訪れるまで町のままでいて欲しい・・・
[75090] 2010年 5月 9日(日)06:48:00白桃 さん
ビューティフルサンデー・モーニング
休日の都市より、いや年寄りの朝は早い。(涙)

[75083]グリグリさん
小学校に上がる前まで過ごした野々市町にもロバのパン屋が来ていました。野々市は都会だったんでしょうか、田舎だったんでしょうか?(笑
「明治19年調査市街名邑及町村二百戸以上戸口表」によりますと
第一表:市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑
第二表:市街ノ体裁ヲ為サゝル名邑
第三表:(その他)二百戸以上ノ町村
となっておりますが、
アノあたりでいうと、松任、金石、美川、鶴来が第一表で野々市は第三表に記載されております。
因みにコノあたりでは、引田、松原(白鳥本町)、三本松、長尾、志度、津田が第一表、ソノあたりでは、千葉町、浜野村、曽我野村(蘇我)、検見川村、大和田村が第一表に記載されております。(幕張は「馬加村」の名で、津田沼は「久々田村」、「鷺沼村」の名で第三表に記載)
野々市について言いますと、「ロバのパン屋」の時代には町制施行はされておりましたが、やっと金沢郊外の宅地化が進み始めた頃で、まだまだ田舎町であったというべきでしょう。
幕張については、「ロバのパン屋」の頃は野々市よりは都会だったと推測しますが、「馬加」の名に惹かれてロバがやってきたのでしょう。

(ご参考)
白桃が選ぶ明治の名邑(千葉、石川、香川編)
明治末の自治体名M19年当時の人口集中地区名その人口
本銚子町 銚子25,766
千葉町千葉町18,204
船橋町船橋10,419
佐原町佐原9,138
大原町中魚落郷5,759
木更津町木更津村5,625
佐倉町佐倉5,593
関宿町関宿4,966
福岡町八日市場村4,824
天津町天津村4,670
一宮町一宮本郷村4,541
五井町五井村3,304
検見川町検見川村3,226
松戸町松戸駅3,063
金沢市金沢97,653
小松町小松11,721
輪島町輪島9,840
上金石町金石9,110
七尾町七尾8,965
大聖寺町大聖寺8,944
美川町美川5,524
松任町松任5,154
鶴来町鶴来3,590
高松市高松37,698
丸亀市丸亀16,149
観音寺町観音寺10,685
琴平町琴平6,342
多度津町多度津6,198
坂出町坂出5,425
志度町志度3,674
津田町津田3,559
引田町引田3,267
三本松町 三本松3,190
注)上記以外に、「準名邑」として船形町、富津町(以上千葉県)、宇出津町、津幡町、羽咋町(以上石川県)、土庄町、宇多津町(以上香川県)を選んでいる
[75167] 2010年 5月 22日(土)19:26:46白桃 さん
町村も入ります
[75165]オーナー グリグリさん
お付き合いいただき有難うございます。
せっかくですけど、私の問題は町村も含めるのです。

ということで、正解は山形、茨城、群馬、千葉、長野、三重、佐賀の七県でした。
東京都の場合、23区をどうするかは別として、神津島村とその次の差が激しいので、いずれにしろアウトです。

銚子に乗って、もう一問だけ。
[75133]白桃
Q:1920年に1万人を超え、1960年に2万人を超え、2010年に確実に3万人を越えているだろうところの北海道の「町」は???
♪アカサカの夜も、オトフケ~~
これの正解はもちろん音更町なんですが、実は、全国でいうと、もうひとつだけあるのです。
♪ウミはステキだな~byザ・リガニーズ
[75169] 2010年 5月 22日(土)20:59:20千本桜 さん
大忙し
[75167] 白桃 さん
これの正解はもちろん音更町なんですが、実は、全国でいうと、もうひとつだけあるのです。
昭和35年には既に人口集中地区を形成していた あの町だと思いますが確認できません。なぜなら、私はいま大忙しだから。
[75176] 2010年 5月 23日(日)08:07:24千本桜 さん
♪ウミはステキだな~
大磯がハズレだとすると、あとはアソコしかないと思うのですが、人口資料を持ち合わせていないので確認できません。そこで推測ですが、1920年当時に人口1万超の町になっていた要因は炭坑にあり、1960年当時2万人超の町になっていた要因は母都市Fの膨張によるベッドタウン化にあると考えてよろしいでしょうか。すると答えはウミ。
[75177] 2010年 5月 23日(日)09:03:35白桃 さん
えっさ、えっさ、えっさ
♪宇美はよ~、宇美はよ~
[75176]千本桜さん
すると答えはウミ。
そうです。三好市青海町(字)入道 →意味不明。正解は小千谷の、もとい「おやじの宇美町」でした。
[75175]で、ごちゃごちゃ書きこみましたが、悩ましいのが霧島市です。
国分ラインでは1920年がアウトですけど、隼人ラインだと
(1920)西国分12,634-(1960)隼人26,657-でOKなのです。でも1960年の箇所に、市である国分を差し置いて隼人町にかえるのは、阪神:金本のところに桧山を代打で使うようなもので、熟考の末、霧島市は×としております。
東北で○なのは、青森、八戸、弘前、盛岡、釜石、仙台、石巻、大崎、塩竃、白石、秋田、横手、由利本荘、大館、能代、山形、
鶴岡、酒田、米沢、新庄、いわき、郡山、福島、会津若松、須賀川、白河の26市です。
[75178] 2010年 5月 23日(日)17:45:19白桃 さん
霧島市をOKに変更
[75175]白桃
1920年に1万人を超えていた都市は、合併で他都市に吸収されて消滅しない限り、昭和の合併が終わる1960年には2万を、平成の合併が終わる2010年には3万を超えていてしかるべきと思い数えてみたのですが、この条件をクリアするのは東京を入れて264でした。
[75177]白桃
でも1960年の箇所に、市である国分を差し置いて隼人町にかえるのは、阪神:金本のところに桧山を代打で使うようなもので、熟考の末、霧島市は×としております。
引用が長くてすみません。
隼人は霧島市になる前にすでに3万人を超えていたということもあり、霧島市は隼人ラインでつなぐことでOKとします。よって総計265になります。265のうち、東北地方は既に[75177]で記載。あと残りを書くのも能生がないので、1つだけ条件を満たしていない惜しい町村は

A:1920年に1万人に達していない・・・実力派19町
紫波(岩手)柴田、亘理(宮城)阿見、茨城(茨城)壬生、高根沢(栃木)寄居、小川(埼玉)大網白里(千葉)大磯(神奈川)
津幡(石川)養老(岐阜)東浦(愛知)菰野(三重)松前(愛媛)苅田(福岡)益城、大津(熊本)
B:1960年に2万人に達していない・・・不運?の4町村
吉田(静岡)志免(福岡)読谷、西原(沖縄)
C:2010年に3万人に達していない・・・ちょっと落ち目の21町
余市、美幌、八雲、岩内、栗山、美瑛、厚岸、森(北海道)河北(山形)大洗(茨城)那須(栃木)下諏訪(長野)小山(静岡)
一色(愛知)川崎、添田、桂川(福岡)さつま、大崎、瀬戸内、肝付(鹿児島)
注:2010年はもちろん推計であります。特に静岡県吉田町が3万人を超えるかどうかについては微妙な状況であります。
[76584] 2010年 11月 1日(月)20:10:29白桃 さん
明治の名邑(茨城編)
大分前に明治の名邑について書き込みましたが、自分自身で頭の那珂を整理しましたので、改めて述べます。

白桃選「明治の名邑」とは、明治末における市町(村)であって、以下の3つの条件すべてをクリアする。
1.「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の第一表(市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑)に記載されている都邑を含む
2.1の戸口表に記載された1個の都邑・町村の現住人員が三千人以上である
3.明治期に町制または市制施行
ただし、上記3つの条件のうち、2つまでクリアする場合を「準・明治の名邑」とする。

で、今回は、オフ会の地、筑波山のある茨城県の都邑を例示しますと、
「明治の名邑」
水戸市、土浦町、湊町、石岡町、古河町、結城町、太田町、笠間町、下館町、水海道町、潮来町、下妻町(以上12)

「準・明治の名邑」(上記条件の2と3をクリア)
磯浜町、平磯町、龍ヶ崎町、境町、大津町(以上5)

「準・明治の名邑」(上記条件の1と2をクリア)
常磐村(以上1)

「準・明治の名邑」(上記条件の1と3をクリア)
北條町、真壁町、平潟町、鹿島町、守谷町、鉾田町、筑波町、高浜町、大子町(以上9)

以上合計27を、現在の32市と比べてみるのも一興?です。(市町村名は明治末期時点)

オフ会のついでに真壁に行こうと思うのですが、アクセスが良くないですね。同じ桜川市内の岩瀬から真壁に行く公共交通機関がないとは・・・。岩瀬がクローザーだからか???
[77089] 2010年 12月 23日(木)11:41:07白桃 さん
白桃選「明治の名邑」に19世紀枠34を追加
[76584]
白桃選「明治の名邑」とは、明治末における市町(村)であって、以下の3つの条件すべてをクリアする。
1.「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の第一表(市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑)に記載されている都邑を含む
2.1の戸口表に記載された1個の都邑・町村の現住人員が三千人以上である
3.明治期に町制または市制施行
勝手に定義しておりますが、その数は537ですから現在の市数より、ずっと少ないのですね。
そういうこともありまして、新たに19世紀枠を設定し、運悪く名邑の条件をクリアできなかったけれども、なんら遜色のない34市町村を追加することになりました。
なお、選考にあたっては、私情をはさまず厳正な審査が行われたことを申し添えます。
で、その34市町村(明治末)とは
余市町、釧路町、岩内町、石狩町、室蘭町、増毛町、厚岸町(以上、北海道)、横手町、花輪町(以上、秋田)、磯浜町(茨城)、足尾町(栃木)、沼田町(群馬)、忍町(埼玉)、鎌倉町(神奈川)、鳴海町、常滑町、大浜町、瀬戸町(以上、愛知)、天王寺村、吹田町(以上、大阪)、門司市(福岡)、福江村、富江村、茂木村(以上、長崎)佐土原町(宮崎)、東南方村、指宿村、鹿屋村、垂水村、志布志村、加世田村、阿久根村、加治木町(以上、鹿児島)、糸満町(沖縄)
以上です。

[77082]千本桜 さん
そのバス停は大内バスストップのことだと推察しますが、そこで下車した人の数が気になりました。
バスはほぼ満席だったと思いますが、下車したのは私ともう一人、どっかのオバちゃんの二人きりだった、なんて、とても恥ずかしくて言えません。ちなみに、手前の引田は誰も降りませんでした。大内バスストップから三本松まで歩くとかなりありますので、車の送迎がないと困ります。
そんなことはともかく、何故、通過するようになったのですかね?
お金の問題でもなさそうだし・・・
長距離バスの問題とは殆ど関係ありませんが、宮城と香川の白桃選「明治の名邑」です。
アレ?どっかの町が入ってない!!!
1仙台市---1高松市
2石巻町2丸亀市
3涌谷町3観音寺町
4古川町4琴平町
5佐沼町5多度津町
6若柳町6坂出町
7登米町7志度町
8白石町8津田町
9気仙沼町9引田町
10岩沼町10三本松町
11角田町
12塩竃町
13岩出山町
14志津川町
[81311] 2012年 8月 13日(月)08:03:11白桃 さん
陰に隠れてしまった明治の名邑
hmtさんの「都市圏の一部になった地名」を眺めていると、平成の合併によってその市の一部になってしまったが、本を正せば・・・腕は自慢の千葉仕込み、的なかつての名邑がいくつか浮かんできます。
その第3位(順位は白桃が適当につけてます。)
村松・・・明治初期には五泉の人口が五千に達していなかったとき、村松が五千以上あった(時期もある。)
第2位は
杵築(大社)・・・明治8年の共武政表によると杵築駅は、今市駅(現、出雲市の中心)の4.5倍の人口があった。それにしても、杵築と今市だけじゃ、大分県か栃木県の話になってしまいますね。
第1位は何と言っても
出石。・・・明治8年の共武政表によると、豊岡:4,926人、出石:6,796人となっています。出石は明治9年に大火に襲われましたが、明治12年の共武政表でも5,797人となっており、豊岡(5,287人)を上回っています。
出石は出石郡、豊岡は城崎郡と郡も違いますから、当時の但馬地方の中心は出石であったなどと軽々しくは言えませんが、出石の蕎麦はおいしい、これは断言できます。
[85378] 2014年 4月 21日(月)10:08:08白桃 さん
柴田郡・伊達郡都邑の人口推移(「昭和の大合併」以前)
七番勝負が行き詰っております。
だからと言うわけではありませんが、先だっての“観桜の旅”(決してカラオケ紀行ではありません)も含め、ある方にご案内いただいた宮城県柴田郡及び福島県伊達郡にある(あった)街々の「昭和の大合併」以前の人口推移を見てみました。

1889年人口////1920年人口////1950年人口////増加度---現在の自治体名
船岡村3,269船岡村3,337船岡町11,1103.40宮城県柴田町
大河原町4,297大河原町6,113大河原町11,6272.71宮城県大河原町
飯坂町3,408飯坂町5,068飯坂町8,7452.57福島県福島市
長岡村1,866長岡村2,822伊達町4,1642.23福島県伊達市
村田村4,639村田町6,973村田町10,2642.21宮城県村田町
保原町4,376保原町5,718保原町8,7011.99福島県伊達市
藤田村2,664藤田町3,517藤田町5,1161.92福島県国見町
湯野村3,767湯野村3,953湯野町5,8921.91福島県福島市
槻木村6,540槻木町7,759槻木町11,5721.77宮城県柴田町
金ヶ瀬村2,366金ヶ瀬村2,423金ヶ瀬村4,0291.70宮城県大河原町
梁川町5,169梁川町5,691梁川町8,4991.64福島県伊達市
桑折町3,696桑折町3,733桑折町5,2831.43福島県桑折町

注1)飯坂町は信夫郡です
注2)増加度は1950年人口を1889年人口で除したもの(ただし、1889年の湯野村の人口は後に分離する東湯野村の人口を含んでいます。よって、増加度は1950年の湯野町及び東湯野村の人口を合算した数を1889年人口で除しています。)
注3)1889年は内務省告示の現住人口、1920年・1950年は国勢調査人口

まず、現在は同一自治体となっている、船岡と槻木、大河原と金ヶ瀬、保原と梁川、この3組の人口推移に目がいきますが、特に前の2組の人口推移は対照的です。
名湯・飯坂も人口増加が目立ちますが、反対に、郡役所があった「明治の名邑」桑折の人口停滞も目に付きます。
地方でも古くから都市間競争ってあったのですね。

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