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千本桜さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[70774]2009年7月10日
千本桜
[70767]2009年7月9日
千本桜
[70753]2009年7月8日
千本桜
[70746]2009年7月7日
千本桜
[70733]2009年7月6日
千本桜
[70611]2009年6月27日
千本桜
[70593]2009年6月25日
千本桜
[70535]2009年6月18日
千本桜
[70341]2009年5月30日
千本桜
[70235]2009年5月20日
千本桜
[70221]2009年5月19日
千本桜
[69243]2009年4月16日
千本桜
[69171]2009年4月10日
千本桜
[69022]2009年3月26日
千本桜
[68973]2009年3月22日
千本桜
[68954]2009年3月21日
千本桜
[68874]2009年3月19日
千本桜
[68681]2009年2月23日
千本桜
[68664]2009年2月21日
千本桜
[67800]2008年12月31日
千本桜
[67514]2008年12月5日
千本桜
[67497]2008年12月4日
千本桜
[67486]2008年12月3日
千本桜
[67479]2008年12月2日
千本桜
[67442]2008年11月29日
千本桜
[67314]2008年11月21日
千本桜
[67265]2008年11月13日
千本桜
[67208]2008年11月6日
千本桜
[67163]2008年10月30日
千本桜
[67134]2008年10月27日
千本桜

[70774] 2009年 7月 10日(金)08:19:12千本桜 さん
Re:富来町関係レス
[70771] EMM さん
おはようございます。富来に関する考察。私も参加させて下さい。遠く離れた地域ですので、こまやかな住民感情までは理解できませんが、住所の在り方の基本においては共通するものが多いと思います。天保国絵図、国土地理院地形図、新志賀町設立以前の郵便番号簿、ネット上の地図、ネット上の住所一覧などを見ながら「富来」へのイメージを膨らませているのですが、大事な「角川地名大辞典・石川県版」を持ち合わせていません。その辞典を読むことで「富来」へのイメージを一層膨らませることができるはずなのに残念です。EMMさんは「石川県版」をお持ちですよね。そこに、「地頭町と領家町の関係」、「東小室と高田」の関係がどのように記述されているのかご覧になっていただけますか。急がなくても良いことですから、時間に余裕があるときで結構です。謎めいた書き方をしますが、ちょっと複雑な地頭町と領家町の関係が原因して、七海、生神、牛下が引きづりこまれたのではないかと、私は思っているところです。
[70767] 2009年 7月 9日(木)20:05:46【1】千本桜 さん
覚えやすい地理雑学辞典
「スーパーシティはニューヨーク、スーパータウンはオーガワラ」

北海道中標津町、奈良県王寺町、沖縄県北谷町などからクレームがつきそうですが・・・。
[70753] 2009年 7月 8日(水)02:15:45千本桜 さん
石川県志賀町西海風無
[70743] EMM さん
ただ、千本桜さん的には特に「富来町○○」→「志賀町西海○○」は「きわめて喜ばしい事例」かも?
いいえ、喜ばしくありません。同じ運命共同体を辿ってきた地域は、同じ住所形式で新自治体に移行して欲しいというのが基本的な考えです。富来町風無地区が明治22年から昭和29年まで属していた村名「西海」を付して志賀町西海風無になるなら、富来町酒見地区も同じく昭和29年までの所属村名「西増穂」を付して志賀町西増穂酒見とするのが良し。富来町酒見地区が何も付さずに志賀町酒見になるなら、富来町風無地区も何も付さずに志賀町風無になるのが良しと考えます。で、「志賀町富来風無」が良いのか、「志賀町西海風無」が良いのか、それとも「志賀町風無」が良いのかはっきりさせてとEMMさんに迫られたら、ふるえながら(?)「志賀町風無」が良いと答えます。なぜなら、住所は自治体名と大字名と小字名と番地があれば、それで機能するからです。風無って下層に「へ」とか「レ」とかの小字がぶらさがっているのでしょう。「へ1番地」だけでは場所が特定できないけれど、頭に風無が付いて「風無へ1番地」だと特定できますね。明治22年から昭和29年までの村名「西海」は無くてもOK。昭和29年から平成17年までの町名「富来」も無くて0Kでしょう。平成の合併では足並みが揃わずに住所の地名階層がばらばらで新自治体に移行する例が目立ちますね。でも、昭和の大合併でも同様例はありました。宮城県南部ですと名取市です。高舘村、愛島村は村名を生かして名取市高舘熊野堂字飛鳥1番地(新自治体名+旧村名+大字名+小字名+番地)。館腰村は村名を生かさず名取市植松字宮島1番地(新自治体名+大字名+小字名+番地)で旧村名は消えました。増田町、閖上町、下増田村も町村名を生かさないで名取市手倉田字箱塚屋敷1番地(新自治体名+大字名+小字名+番地)としましたが、それぞれに町村名と同名の大字がありましたから、増田、閖上、下増田の名称は残りました。
EMMさんは私が書いた[70733]
美川町は「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かったですね。
を誤解されているのですね。と言うよりも説明不足な書き方をしてしまったようなので、もう一度書きます。「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かった、と書いたのは何故か。美川町は「美川」の領域を知っているから、湊町や長屋町を指して「そこは美川だ」と言わなかった。周辺の大字(町)を侵蝕しなかった。傷つけなかった。相手の存在を無視しなかったからです。もし、「美川」の領域を知らない人が大字をいじると、湊町も長屋町も美川と市街地続きだから、そこも美川だということにしていたかも知れません。「大字大河原」の領域を忘れた大河原町は、周辺の大字大谷、大字金ヶ瀬の区域を指して「そこも大河原だ」と言うのです。合併して自治権を失った大谷、金ヶ瀬は言葉を発することができません。悲鳴を上げるだけです。
[70746] 2009年 7月 7日(火)01:58:08千本桜 さん
宮城県の商圏
宮城県が平成20年に調査した消費購買動向調査が今年4月に公表され、その報告書「宮城県の商圏」が発売されているので購入してきました。この調査は平成の大合併以前の市区町村を単位にしています。それによりますと、前回調査(平成17年)では商圏を形成していた旧南方、角田、亘理が要件を満たせず脱落。代わって旧中新田商圏が復活し、旧志波姫商圏が新参入してきました。現在、宮城県には15商圏が形成されています。この商圏調査は昭和53年から3年毎に実施されていますが、過去に商圏を形成しながら現在は商圏を喪失している都市を挙げると次のようになります。塩釜、旧築館、旧若柳、涌谷、岩沼、柴田、大和、旧栗駒、旧志津川、旧矢本、旧小牛田、旧鹿島台、旧南方、角田、亘理の15都市です。それでは、今回の調査で形成が確認された商圏を吸引人口の多い順に並べてみます。ただし、これは買回品(衣料品・書籍・家具.家電など)を対象にしたもので、最寄品(食料品・日用雑貨品など)は対象外になっています。
順位商圏名吸引人口商圏人口地元購買率
1位仙台青葉348,569人1,622,690人69.7%
2位仙台泉302,526人1,068,498人78.5%
3位旧石巻218,765人364,819人92.1%
4位仙台太白213,420人672,277人67.1%
5位旧古川157,344人311,906人83.2%
6位名取144,085人662,966人59.1%
7位旧気仙沼89,608人177,039人86.5%
8位利府85,504人397,415人63.3%
9位大河原74,807人188,313人67.8%
10位旧迫72,471人170,763人72.6%
11位多賀城71,394人341,578人53.2%
12位富谷41,108人295,090人40.4%
13位白石17,591人54,012人38.5%
14位旧中新田14,272人47,499人35.3%
15位旧志波姫9,593人69,529人31.6%
県は上記15商圏を次のように分類しています。
超広域型:仙台青葉
広域型:仙台泉、仙台太白、名取、旧石巻、旧古川
地域型:利府、多賀城、富谷、大河原、旧気仙沼、旧迫
地区型:旧志波姫、白石、旧中新田

県の分類を自分なりの発想で分類しなおします。
1・仙台市を区単位に分割するのは馴染めないので仙台市を1つの単位とする。
2・仙台市への依存度が高い市町は商圏中心都市から除外する。仙台市への買回品購買依存率が高いのは富谷町56.6%、名取市38.8%、利府町29.7%、多賀城市23.7%です。富谷、名取、利府、多賀城は仙台商圏の一部とみなして振るい落とします。
3・吸引人口2万人以下の市町は商圏中心都市から除外する。これで、白石市、旧中新田町、旧志波姫町が振るい落とされました。
残ったのは6商圏中心都市です。この6つを分類すれば、(超広域型:仙台市)、(広域型:旧石巻市、旧古川市)、(地域型:旧気仙沼市、大河原町、旧迫町)になります。すっきりしましたね。これが私の頭の中にある現時点での宮城県の商業拠点都市です。
[70733] 2009年 7月 6日(月)02:46:15千本桜 さん
七ヶ宿、誉君、白山市、美川町、聖地
[70602] hmt さん
○=漢数字である青森県上北郡六ヶ所村・宮城県刈田郡七ヶ宿町・宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の3町村の「ヶ」は、「が」でなく「か」と読むのでした。
七ヶ宿町の正式読みが「しちかしゅく」だと発覚してからかれこれ10年経つでしょうか(まだ6、7年かも)。それまでは町当局も住民も「しちがしゅく」だと思っていたわけです。今でも住民は「しちがしゅく」で通していますが、テレビは「しちかしゅく」と言うようになりました。ところが、これが私の耳には非常に聞きにくいのです。なんか、顎の辺りがむずがゆくなる感じです。地元民にとって「しちかしゅく」は、言いにくいし、聞きにくいし、正式呼称だなんて言われても困ってしまうのですが、よその地方の人には「しちかしゅく」って、すんなり発音できて、すんなり耳に入る音なのでしょうか。

[70615]Issie さん
お忙しいでしょうに、私の疑問に応えて下さいましてありがとうございました。
[70645]Issie さん
同級生に「誉(ほまれ)」君という子がいて
誉君で思い出したことがあります。あれはもう35年以上も前のこと。羽田空港でアンカレジ行きの飛行機を待っていたときのことです。公衆電話に10円玉を入れても戻ってきます。壊れているんだなと諦めて電話するのを止めました。そこに、あの勝呂誉さんがやってきました。誉さんは何も知らず公衆電話に10円玉を入れました。普段なら「その電話、壊れてますよ」と教えてあげるですが、相手は人気俳優さん。声をかけることもできずに、じっと誉さんのすることを見ていました。私は10円玉が3回落ちたところで諦めましたが、誉さんはなかなか諦めません。落ちてくる10円玉を拾っては入れ、拾っては入れ、何回くりかえしたと思いますか?。それは秘密にしておきますが、どうしても電話したかったんでしょうね。電話先は大空真弓さんだったのだろうか・・・。どうやら、登場人物が古すぎたようですね。

[70634] futsunoおじ さん
だれか不敵な人物が偏見を持って三本松・金沢・両毛を三大聖地としたものが発端のようです。ただ近年強烈なインパクトを持つ大河原を加え両毛を外そうという考えもあるようであり、今後の両毛地域メンバーの動向が注目されます。
身に余るお言葉、ありがとうございます。しかし、○河○は地理の聖地に向かない「いかれぽんち」の世界です。不成立でしたが、合併に向けての字名取り扱いを通じて思い知らされました。でも、桜が咲く季節の一週間だけ聖地と思っていただけたら嬉しいです。

[70685] 星野彼方 さん
河内○○(旧鶴来町や旧美川町はこうですね)
[70693] 癒しの白山麓ファン さん
石川県白山市の住所表記を見ると、松任・美川・鶴来では新町、今町など、同地名の場合など含め鶴来新町、美川今町と旧町名が付いていますナ。
松任と鶴来については詳しく見ていないので分かりませんが、美川について思うことをひとつ。美川○○、美川今町などの「美川」は、白山市に移行して消滅した美川町の「美川」ではなく、別の意味がこもった「美川」だと思うのです。もし、白山市美川今町や白山市美川永代町の「美川」が平成17年まで存在した美川町を意味する「美川」なら、その「美川」は当時の美川町全域に付されて然るべきです。しかし、湊町や長屋町には「美川」が付されず白山市湊町、白山市長屋町になっています。これは、美川町には「美川」と認識される区域と「美川」ではないと認識される区域があったからでしょう。1869年、本吉町と湊村が合併して美川町誕生。1871年、美川町(旧本吉町)と湊村に分離。1889年、美川町は単独で町村制下の美川町になり、湊村も単独で町村制下の湊村になりました。1954年、美川町、湊村、蝶屋村が合併して新・美川町発足。以上が美川町の歴史です。白山市に移行するにあたり、1889年当時の美川町域だけに「美川」を付し、湊村域(現・白山市湊町)と蝶屋村域(現・白山市長屋町・手取町など)には「美川」を付さなかったようです。当たりまえと言えばそれまでですが、美川町は「美川」の地域範囲を忘れないでいて良かったですね。それに対し、大河原町は「大河原」の範囲を忘れてしまった。忘れてはならない立場の人たちまで忘れてしまって反省せず、知らなかったことを正当化するために詭弁を使います。大河原町は新しい住民が多い町だから地域の歴史にはこだわらないんですと!。ワオ~~~、おったまげました。
[70611] 2009年 6月 27日(土)09:55:26千本桜 さん
チンギスハン
[70596]なきら さん
[70598]淡水魚 さん
[70599]右左府 さん
[70600]Issie さん
淡水魚さんは今でも3時のおやつに美味しいお茶とお菓子を戴いているのでしょうか。藪北の深蒸し茶などお召し上がりなのでしょうね。静岡の美味しいお茶を飲みたい!。私は珈琲の味が分からないのにお茶の味にはそれなりに敏感なのです。
皆様から教えていただきましたイムジン河、リムジンガン。大変勉強になりました。つにでにというとなんですが、かねてより疑問に思っていたことをもう1つ質問していいですか。漢江はハンガン、武漢三鎮の漢口はハンカオ。ということは漢(カン)は「ハン」なのね?。そして韓国の韓(カン)も「ハン」。チャガタイ汗国の汗(カン)も「ハン」。そして成吉思汗(チンギスカン)も「チンギスハン」となります。いずれも「カン」であり「ハン」であることで繋がっています。これは偶然の一致なのでしょうか?。偶然にしては地域的に繋がっているようにも思えるし、どちらも「ハン」だからといって韓国とチンギスハンを結び付けるのも飛び過ぎ!という感じがしないでもありません。何と何が繋がっていて何と何が繋がっていないのか。整理して考えれば分かるのでしょうが、すこし苦手な分野です。きょうは朝から暑いですね。庭の草むしりをしなければならないし、お墓の草も生えてるだろうから心配だし。
[70593] 2009年 6月 25日(木)01:16:47千本桜 さん
いろいろ
[70536]なきら さん
詩子さん
詩子さんを忘れていました。昭和は遠くなりにけりと言ったところでしょうか。松島トモ子、松島アキラ、松島詩子と言うことで、千本桜家いとこ会の開催場所は、なきらさんご推察のとおり松島でした。ところで、いとこ会の派手な余興ですが、あれは遠方から集まってくる「いとこ」たちを「おもてなし」するためのもので、本人が楽しむためのものではありません。ほんとは恥ずかしくて嫌々ながらやってるの(笑)。

[70556]リトル さん
画像で見せて頂いて以来、頭から離れません。
リトルさんがご覧になったのは、どのバージョンだったでしょうか。自分で貼っておきながら、どの画像をお見せしたのか忘れてしまいました。今回は、新旧バージョン入り乱れ、50、60のおじさんたちが舞台の上で乱舞してました。恥ずかし。
クイズ関係は苦手なのですが、今回はちゃんと解りました。
リトルさんご正解です。
「A:奥○○」→奥松島
「B:○○○市」→東松島市
「C:○○渓」→嵯峨渓
「D:○○市」→石巻市
「E:○○島」→宮戸島
「F:○○森」→大高森
「G:◎浜」→里浜
海辺の小さな集落は絵になりますね。とくにリアス式海岸の漁村は。丹後あたりにも絵になる漁村がたくさんありそうですね。

[70548]オーナー グリグリ さん
主要地方道と一般地方道
細かいことを突つくようで済みません。東京都には特例都道というものもあって複雑ですが、一般的に都道府県道は主要地方道と一般都道府県道に大別されます。ですから、主要地方道に相対する用語は一般都道府県道でしょうね。一般地方道は聞き慣れない用語です。
「京都府道・兵庫県道2号宮津養父線」の場合だと「県道○○□□線」という言い方ができないですね。それとも「府県道宮津養父線」という言い方をするのかな。
結局、路線名は道路管理者のためにあるのだと思います。管理者間または管理者(都道府県)と国との間で通じればそれで良し、なのではないでしょうか。京都府域では京都府道宮津養父線と呼び、兵庫県域では兵庫県道宮津養父線と呼んでいる。国県にはそれで通じ合えているのだと思います。地理好き人間からすれば、もっと我々のことも考えてよと言いたくなりますが、たぶん考えてはいないでしょう(笑)。たとえば、富岡停車場線という同名の一般県道が2路線あります。1つは福島県道163号富岡停車場線。もう1つは群馬県道206号富岡停車場線です。路線名の前に福島県道、群馬県道を冠することで識別できますから混乱は起きません。白石停車場線も北海道と宮城県の双方にあります。

[70558]じゃごたろ さん
都道府県道の起点・終点には法則があるのでしょうか。例えば、岩手県道沖田渋民線の場合、起点が沖田で終点が渋民ですが、渋民を起点にして沖田を終点にしなかったのは何故か。起点となるか終点となるかには何らかの法則があるのかな?と思いますが、宮城県道を見ている限りでは法則なしに見えます。

[70567]えすあい さん
私は都市や街並みに興味・関心が有り
私も同じです。とくに、市街や集落の核心地点(へそ)を探したりするのが好きですね。

[70576]熊虎 さん
直江兼続は「チクカン・ギョムソク(Jik-gang Gyeom-sok)」となります。
韓国語と言うのか朝鮮語と言うのか、私には分からない世界ですが、「江」は「カン」と発音されるのですね。もしかして「ガン」と濁ることはないでしょうか。私がまだ髪の毛ふさふさだった頃、巷の若人の間では「イムジン河」という歌が流行っていました。「イムジン河 水清く~」と唄い始めます。ところが、別バージョンの歌詞もあって、それは「リムジンガン 水清く~」で始まります。今日まで、リムジンガンの「ガン」は「河」のことだと思っていましたが、ひょっとして「江」のことなのでしょうか。
[70535] 2009年 6月 18日(木)21:23:28千本桜 さん
ここはどこでしょう
今月某日、とある場所で千本桜家いとこ会が開催されました。参加者は、仙台市、名取市、大河原町、白石市、水戸市、栃木市、桐生市、さいたま市、足立区、横浜市、富士市、静岡市、京都市から集まった40名です。江東区、島田市にもいとこがいますが、この方たちは欠席でした。こうしてみると「町」に住んでいるのは本当に少数派になりましたね。この会は2年に一度開かれ、前回は群馬県草津温泉、4年前は茨城県日立、6年前は宮城県遠刈田温泉で開催されました。今年の会場はトモ子やアキラに出逢えそうな有名観光地の大ホテルです。このホテルは当観光ゾーン最大のリゾートホテルで、一度に千人以上の宿泊客を収容できるそうです。宴会は千本桜家いとこ会恒例の派手な余興で盛り上がりましたが、他人様の目には間違いなく異様な光景に映ったことでしょう。
翌日は「A:奥○○」と呼ばれるエリアを観光しました。宿泊したホテルから直線距離で9キロ。車を走らせて15分で小さな船乗場に着きました。行政上は「B:○○○市」に属しています。ここから「C:○○渓」めぐりの小型船に乗り、40分間の海上遊覧に出発です。白い岩肌の断崖や岩礁が織りなす○○渓の景色は、どこか仏ヶ浦や浄土ヶ浜の景色に似ています。東方遠くに立ち上る煙は「D:○○市」にある製紙工場の煙です。船乗場に戻って再び車を走らせます。船乗場前の小さな橋を渡れば、そこは1,100人が暮らす陸繋島の「E:○○島」です。この島で一番の観光スポットは360度の風景を見渡せる「F:○○森」。標高100mほどの山ですが、私は坂道を登ると背中が苦しくなるので残念ながら登れません。○○森展望台までハイキングするいとこたちを見送り、ひとり麓の集落「G:○浜」を散策することにしました。この○浜には国史跡「○浜貝塚」があります。海辺の小さな村は私にとって非日常の世界。潮の匂いがする集落の家並みや細い路地に心が吸い寄せられて行きます。のどかな初夏の、ちょっと幸せなひとときでした。
A~Gに当てはまる文字を入れてください。
[70341] 2009年 5月 30日(土)08:59:31千本桜 さん
鎌倉
[70333]じゃごたろ さん
鎌倉といったら何を真っ先に思い浮かぶんでしょうかね。

「鎌倉」で思い浮かぶ地名、施設名を思いつくまま順位付けすると、こんな感じです。大船地区は除きます。
1.鶴岡八幡宮、2.鎌倉駅、3.由比ガ浜、4.北鎌倉、5.鎌倉大仏、6.建長寺、7.乱橋材木座、8.紫陽花寺、9.縁切寺、10.雪ノ下、11.扇ガ谷、12.朝比奈切通し、13.江の電、14.小町通り、15.化粧坂、16.鎌倉アルプス、17.七里ガ浜、18.長谷観音、19.円覚寺、20.稲村ガ崎

好きな場所は「佐助」、「十二所」などの静かな隠れ里。好きな地名は何と言っても「乱橋材木座」。地名ではありませんが「段葛」も好きな名称です。鎌倉アルプスをもう一度ハイキングしたいのですが、もう体力的に無理でしょう。貸し自転車で鎌倉めぐりをしたことがあります。
[70235] 2009年 5月 20日(水)23:48:42【1】千本桜 さん
初体験
本日、大河原町の某店で商品購入の申込書にサインをしました。住所欄が少々狭かったので、県郡名を省いた住所を書いて渡しました。でも、県郡名も書いて欲しかったようなのです。店員さんは、私が記入した申込書に「宮城県」と追記しはじめました。そして次に、「大河原って柴田郡ですかぁ?」と質問してきたのです。予想外の質問に、私の脳ミソは一時停止してしまったようです。「はい」とか「そうです」と答えたはずなのに、さっぱり憶えていません。どこから通勤してくる店員さんか存じませんが、大河原の商店の店員さんに「大河原って柴田郡ですかぁ?」と質問されたのは初めてなんです。
その足でマクドナルドに向かい、シェイクをすすりながら考えました。これって、「大河原って柴田郡ですかぁ?」と質問してくる店員さんよりも、こんな時代になっても「郡名」を書けという住所の在りかたの方がおかしいのじゃないのか。そして、末端自治体を「市」「町」「村」の3種類の文字で分類することも時代にそぐわないのではないかと。すべての自治体を「市」にすると、誰か困るのでしょうか。
合併破談で「市」になれなかったから言っているのではありません。合併破談には、むしろ胸を撫で下ろしています。合併したなら馬鹿げた字名変更が実施されることになっていたからです。何が馬鹿げているかと言うと、地番と住所の違いも分らずに、住居表示で新町丁を画するがごとき感覚で大字の境界と名称を変更しようとしていることです。はやい話が、金ヶ瀬字○○の一部を土地区画整理して都市化すると、そこは大河原字○○に変化するのだそうです。都市化すると金ヶ瀬から大河原に変わるって何たるこっちゃ。これでは歴史が許しません。金ヶ瀬字○○の金ヶ瀬(旧名・平)は、かつてその区域が金ヶ瀬(旧名・平)村だった証です。それを大河原字○○に変更したなら、そこはかつて大河原村だったことになります。おお、いやだ。何で地域を嘘で塗り替えて次の世代に引き渡そうとするのか。その根底にあるのは無知と無関心です。今回の合併破談の本当の理由は他にあるでしょうが、私個人の胸の中では、大字大河原に呑込まれそうになり、存在した歴史までが消されようとした大字大谷および大字金ヶ瀬のご先祖様たちが許さなかったが故の破談だと思っています。

マクドナルドのシェークをシェイクに訂正しました。ファーストフード店のメニューって、ほんとに分りにくい。大字小字の方がずっと楽。
[70221] 2009年 5月 19日(火)07:43:17千本桜 さん
県道
[70203]ペーロケ さん
主要地方道として呼ぶ場合は「主要地方道佐野古河線」と呼び、路線番号である「9号」の入る余地がありませんが、県道として呼ぶ場合は「栃木県道9号佐野古河線」と、何故か9号が入ってしまいます。
「主要地方道9号佐野古河線」と呼ぶことに違和感を感じておられるのですね。これは、呼び方の「慣れ」のせいだと思います。県道は主要地方道と一般県道に大別され、主要地方道には1桁、2桁番号が付され、一般県道には3桁番号が付されています。中縮尺の路線図(一般の人は目にする機会の少ない役所用の地図です)作成にあたっては、「主要地方道14 一関大東線」、あるいは「(主)14 一関大東線」、または○の中に主を入れて「○主14 一関大東線」のような表わし方で、路線番号と路線名を主要地方道のルートに沿わせて貼り込んだものです。ですから私は、「主要地方道9号佐野古河線」と呼ぶことに違和感を感じません。主要地方道以外の県道は一般県道ですから、「一般県道123 保原伊達崎桑折線」や「(一)123 保原伊達崎桑折線」などと表わします。また、一般的は主要地方道と一般県道に分けずに、「県道14 一関大東線」、「県道123 保原伊達崎桑折線」でも一向に差し支えないと思います。

「県道」となるとせいぜい県単位の話なので「9号」で通るものが、「主要地方道」となると県をまたぐ広域的なものになってしまうため、そのレベルでの路線番号の統一がなされていない、つまり、あちこちに「主要地方道9号」がある、ということなんでしょうかねえ?
宮城県を例にとると、県内で完結せずに他県に跨る県道は、主要地方道が11路線、一般県道が16路線あります。複数県に跨る一般県道は結構多いものなのです。本題の「路線番号の統一がなされていない」については、[70179]でじゃごたろさんが書いておられるように、ほぼ統一されています。例えば、宮城県気仙沼市と岩手県陸前高田市を結ぶ「主要地方道気仙沼陸前高田線」は、宮城県でも県道34号ですし、岩手県でも県道34号です。そして、両県とも他の路線には34号を付さないように調整してあります。たぶん、ペーロケさんはこのことが不思議なんでしょう。私も当初は、どのように調整しているのだろうと不思議でした。宮城岩手両県に跨る路線番号と同じものが、宮城福島両県に跨る路線にも使われているのではないかと心配になったものです。ちなみに、福島県の県道34号は宮城県に跨らないように、県内で完結する「相馬浪江線」に付されています。
[69243] 2009年 4月 16日(木)06:46:20千本桜 さん
お花見の人出ランキング
[69174]リトル さん
[69237]興田小 さん
今年の一目千本桜は、一気に咲いてあっという間に散り始めました。あれ~、という感じ。もう、山田五十鈴さん状態です。2008年、東北地方の桜名所の人出ランキングです。どのようにして人出を確認するのか分りませんので、あまり信用はしていないのですが・・・。なんとなく目安になりそうです。

桜の名所所在地2008年の人出
弘前公園青森県弘前市2,000,000人
角館秋田県仙北市1,160,000人
展勝地公園岩手県北上市550,000人
三春滝桜福島県三春町300,000人
千秋公園秋田県秋田市260,000人
白石川堤一目千本桜宮城県大河原町250,000人
芦野公園青森県五所川原市250,000人
霞城公園山形県山形市219,000人
鶴ヶ城福島県会津若松市200,000人
船岡城址公園宮城県柴田町200,000人
天童公園山形県天童市200,000人
弘前公園、角館、展勝地公園がベスト3です。この三ヶ所は、花見時がゴールデンウィークと重なって人出が多くなるのだとは思いますが、200万人を集める弘前公園はさすがです。
[69171] 2009年 4月 10日(金)12:56:55千本桜 さん
桜情報
ただいま白石川堤の一目千本桜まつり会場から戻ってきました。花見客が結構繰り出していました。3、4日前に蕾がほころんだばかりで堀北真希ちゃんみたいだったのに、今朝は何と沢口靖子さんになっているではありませんか!。今度の日曜(12日)は松坂慶子さんのように満開になるでしょう。次の日曜(19日)には山本富士子さんを通り越して山田五十鈴さんになっている可能性がありますので要注意です。それにしても松坂慶子さんみたいな満開桜が8キロにわたって連なっているなんて、悩ましくて悩ましくて、見に行かずにはいられない。
[69022] 2009年 3月 26日(木)08:58:13千本桜 さん
湊村、大区小区、市坊
[68834]白桃さん
でも、それなら何故「日本地誌提要」の湊村の人口が2,221人になっているのか。(湊村は、明治22年に石巻町と稲井村に分割されていますが、これと関連するのか・・・)
[68874]千本桜
推測するに、湊村の井内・磯田地区は時に、湊村本体とは別の地域として取扱われていた可能性が無きにしも非ずです。すると、「日本地誌提要」の湊村の人口2,221人は、井内・磯田地区を除いた人口ではないかという推測が生まれます。勿論あくまでも推測です。
井内・磯田地区が湊村本体と切り離されて別の地域として扱われていた可能性があると推測したのは、古い地形図の読図を通してのことでした。町場を成す湊村本体と井内集落の間には、人家の無い非居住区間があって隔絶感がありましたからね。どうやら、その推測が当たっている可能性が濃厚になりました。大小区制の資料を見ているうちに、それを決定づけるような記述を目にしました。
明治5年の大小区制では、幾つかの藩政村を併せて1つの小区にしているのが一般的です。しかし、人口の多い村は単独で1つの小区になりました。石巻村、門脇村、湊村は人口の多い村なので、それぞれ単独で1つの小区です。牡鹿郡は第13大区で、その1小区は石巻村。2小区は門脇村。4小区は湊村です。ですから、1小区の欄には石巻村、2小区の欄には門脇村、4小区の欄には湊村と記載すれば済むことなのに、1小区「石巻村、石巻村の内 墨廼江、石巻村の内 袋谷地」、2小区「門脇村、門脇村の内 釜」、4小区「湊村、湊村の内 井内」と書いてあります。このことから、石巻村は石巻本体墨廼江袋谷地に、門脇村は門脇本体に、湊村は湊村本体井内に区分される慣習があったのではないかと推測できます。石巻村の本体は共武政表で言うところの石巻港駅、門脇村の本体は門脇港に当たると考えて良いのではないでしょうか。
井内が湊村と分れて稲井村になったのは明治22年のことですが、湊村はそれ以前から湊本体地区と井内地区(磯田を包含)に分けて扱う慣習もあったということになるでしょう。明治8年共武政表での人口2,599人は井内を含み、日本地誌提要の人口2,221人は井内を含まないものと考えてはいかがでしょう。たまには墨廼江も呑んで下さい。

[68958]YTさん
「市坊を置かず」とは大区小区制が制定されていない地域で、小区に所属する町村の数が確定していなかったのだと理解しています。
でも、東北地方で「市坊を置かず」と記載された名邑は、羽前の長瀞、羽後の大曲および百三段新屋の3名邑ですが、それらは大区小区に組みこまれていたのではないですか?。鹿児島とか仙台のような大城下町以外のありふれた小名邑においては、市坊と大小区制の関連は無いのではないかと感じています。明確な裏づけの無い、ただの勘ですが。長瀞、大曲、百三段新屋を結びつける共通点って何だろう。新たな謎ですね。
[68973] 2009年 3月 22日(日)21:20:31千本桜 さん
Re:日本地誌提要の「名邑」で抜けた名邑中の名邑はどこか?
[68970]白桃さん
さて皆様、予告通りクイズを行いますので、御用とお急ぎでない方はお付き合いください。
今夜もブンブンなんだから
[68954] 2009年 3月 21日(土)16:16:34千本桜 さん
名邑・市坊
[68890]YTさん
YTさんの書込みを引用
名邑市坊戸口人口備考
石巻122,23410,325宮城県支庁
湊村65092,221石巻より北上川を隔つ
教えてください。名邑の人口とは何なのか分らなくなってきました。上記YTさんの書込みからは、湊村には6つの市坊があって、その人口が2,221人とも受取れるのですが、名邑の人口とは市坊だけの人口なのでしょうか?、それとも村落部を含んだ自治村全域のものなのでしょうか。
市坊とは日常的に使われない言葉ですが、私なりに次のように解釈していました。「市坊」とは、多くの人が集まる賑やかな町場で、村落とは異なる場所。つまり、市街地という言葉に置き換えることができる場所で、しかも、「お上」が認定?した町場を指すのかな?と思っていました。上手く伝えられなくて済みません。
そのような考えを基に、幾つかの名邑の市坊を想定してみました。間違っていたらごめんなさい。
名邑 旧国 郡 戸口 人口 市坊・備考
棚倉 磐城 白河郡 476 2,250 市坊4,伊野上・伊野下2村を総称す
角田 磐城 伊具郡 258 1,575 市坊3
桑折 岩代 伊達郡 536 2,333 市坊3
棚倉の市坊は新町古町鉄炮町下町の4町と想定しました。現在の住所は大字名「棚倉」を冠し、棚倉町棚倉字新町、棚倉町棚倉字古町、棚倉町棚倉字鉄炮町、棚倉町棚倉字下町となっています。
角田の市坊は本町仲町天神町の3町と想定しました。現在の住所は大字名「角田」を冠して角田市角田字町となっています。本町、仲町、天神町は正式住所ではありませんが、今でも通称名として頻用されています。
桑折の市坊は西町本町北町の3町と想定しました。現在の住所は大字なしの桑折町字西町、桑折町字本町、桑折町字北町となっています。
勘違いしているかもしれませんが、このようにして市坊を特定してみると、城下の武家屋敷は市坊に含まれないのかな?、武家屋敷の住人は名邑の人口に含まれないのかな?などの疑問が涌いてきました。いずれにしても市坊とは何なのか?。名邑の人口は市坊だけの人口か?。それとも武家町と町人町の双方を含んだ市街地全体の人口か?などなど、思うこと多々あります。ご存知でしたら教えてください。

[68897]白桃さん
井内・磯田地区の人口が2,221人だったという説は成り立たないでしょうか。
一瞬、ドキッとしました。でも、やはり無理だと思うのです。角川地名大辞典によれば石巻市大字井内(旧湊村の井内・磯田地区)の人口は886人です。この人口は、稲井町が石巻市に合併した昭和40年代のものか、辞典が編集された昭和50年代のものか定かではありません。しかし、これから推測すると明治6年頃の人口は200人か300人程度だったと考えられます。

明治22年の人口が6,440人(内務省告示)ですが、これはかなりの人口規模です。もちろん8村プラス井内・磯田ですので、それぐらいは当然と言えば当然かもしれませんが、稲井村の中心は井内(「いうち」ではなく「いない」)ですよね。
稲井村の中心(役場所在地)は井内ですが、井内は井内でも湊村から分かれた井内・磯田地区、つまり大字井内ではなく、大字大瓜の字井内です。昭和20年代に測量された5万分の1地形図を見てみます。この辺りを川が流れています。たぶん、真野川の旧流路だと思います。左岸(地図上では右側)には大字井内の集落、右岸には大字大瓜字井内の集落があります。どちらも町場と言うには寂しすぎる集落で、名邑に値しない村落です。YTさんは、明治6年1月1日調「名邑」の人口 (4)の中で、湊村の市坊が6と書いておられます。井内には市坊らしきものが見当たりませんから、市坊6、人口2,221の湊村は井内・磯田のことではなさそうです。

ところで、日本地誌提要になぜ採用されなかったかわからない「名邑」がいくつかありますが、その最たる名邑だと私が思っているところについて、YTさんの連載が終わりましたらクイズ形式で言及したいと思います。
たぶん、高度なひねりが入ったクイズになりそうですね。クイズには差障りがないと思いますので、深く考えずにパッと見て「何でここが名邑に採用されないの?」と感じたものをいくつか発表します。○河国の○原、同じく○宮(現在名は○○宮)、相○国の○塚、上○国の○原、下○国の○田、美○国の○治○、○野国の○川、越○国の○附など結構ありますね。
[68874] 2009年 3月 19日(木)06:51:09千本桜 さん
湊村
[68834]白桃さん
「日本地誌提要」の湊村と「共武政表」の湊村は同一のものかな・・・???
同一の村ではないかと思います。

でも、それなら何故「日本地誌提要」の湊村の人口が2,221人になっているのか。(湊村は、明治22年に石巻町と稲井村に分割されていますが、これと関連するのか・・・)
関連の有無について確かなことは分りませんが、あれこれ推察してみます。
関連があるとする場合の根拠。明治22年に湊村(井内・磯田地区を除く)は石巻村、門脇村と合併して石巻町になり、石巻町大字湊となりました。同年、湊村の井内・磯田地区は大瓜村、真野村などと合併して稲井村になり、稲井村大字井内となりました。こうしてみると、井内は元々湊村に属していたように見受けられますが、大瓜村にも湊村井内に隣接して井内という字があり、さらに江戸時代には、湊村にも大瓜村にも属さない別個の井内村(湊村井内・磯田と大瓜村井内の区域か?)があったようなのです。推測するに、湊村の井内・磯田地区は時に、湊村本体とは別の地域として取扱われていた可能性が無きにしも非ずです。すると、「日本地誌提要」の湊村の人口2,221人は、井内・磯田地区を除いた人口ではないかという推測が生まれます。勿論あくまでも推測です。
次に、関連がないとする場合の根拠です。もともと「日本地誌提要」の人口は、町場・市街地の人口統計だとします。思うに、井内・磯田地区は明治の始めごろ、町場・市街地を形成していたとは思えない。ですから、はじめから人口集計の対象外区域であったとします。すると、湊村から井内・磯田地区を除外しても人口数値は変わらないことになります。

また、石巻村の「港駅」以外の人口と門脇村の「港」以外の人口はどこに行ってしまったのか・・・???
村落部の人口は最初から問題視されていなかったのではないかと考えます。あくまでも推測ですが・・・。

話は変わります。石巻も門脇も湊も人口が増えて市街化が進み、住居表示実施区域が増えて大字区域が狭まっています。大字石巻の居住区域はすべて住居表示が実施されて、住所の上からは大字石巻が消滅しています。大字湊の居住区域もほとんど住居表示され、牧山一帯の非居住地区この辺りに湊字滝尻などのように大字名+小字名の住所形式が残っているだけです。平成の大合併で石巻市は周辺町と合併し、新しい石巻市になりました。もし、この時、「石巻市」ではなく「東宮城市」という市名になったと仮定します。すると、石巻市湊字滝尻の住所はどのように変わっていたでしょう。下記の中からお好みのものをお選びください。
1・東宮城市石巻町湊字滝尻
2・東宮城市石巻湊字滝尻
3・東宮城市湊字滝尻
4・東宮城市石巻町字滝尻
5・東宮城市石巻字滝尻
6・東宮城市字滝尻
私は1、2、3のいずれかを選びます。特に3が好みです。でも、断じて4、5は選びません。それなのに・・・。
[68681] 2009年 2月 23日(月)22:11:16【1】千本桜 さん
ホテルがない19万人圏域の中心都市
平成18年事業所・企業統計調査結果によると、宮城県で宿泊業の従業者数が最も多いのは仙台市で、その後に鳴子温泉郷を抱える大崎市、名勝「松島」を抱える松島町が続いています。では、従業者数が少ないのはどこか。県内36市町村のうち、下位の10町村を抜き出します。

順位市町村名従業者数事業所数
27位丸森町337
28位富谷町312
29位美里町308
30位涌谷町276
31位山元町274
32位七ヶ宿町126
33位大郷町112
34位大衡村84
35位色麻町42
36位大河原町31
案の定、マイナーな自治体が名を連ねる結果となりましたが、最下位はなんと大河原町。従業者3人の旅館が1軒あるだけ。これで19万人圏域の中核って、♪ほんきかしら。どうしてこの町にホテルが立地しないのか、その原因が今も分らない。

「従業員3人」を「従業者3人」に訂正しました
[68664] 2009年 2月 21日(土)20:20:40千本桜 さん
飲食業の集積
柴田町・村田町・大河原町合併協議会が実施した住民アンケート調査によると、柴田町・村田町では「レストランや喫茶店」の快適性に不満を感じている住民が多く、相対的に大河原町では不満度が低いという結果が出ています。飲食店の数や種類の少なさからくる不満だと思います。そこで、平成18年事業所・企業統計調査から仙南地域2市7町の「一般飲食業+遊興飲食業」の従業者数および事業所数を抜き出し、平成17年国勢調査人口で除して人口千人当たりの飲食業従業者数を算出してみました。

市町名従業者数事業所数人口人口千人当たりの従業者数
大河原町86915123,33537
白石市73918739,49219
柴田町64514139,80916
角田市53313633,19916
蔵王町2716313,31820
川崎町1523610,58314
村田町1473712,74012
丸森町1003716,7926
七ヶ宿町3681,87119
人口では4番目の大河原町が飲食業従業者数ではトップに躍り出ます。圏域における中心性のあらわれだとは思いますが、事業所統計を見るたびに思うのは大河原町の宿泊業の貧弱さです。宿泊業の事業所数1、従業者数3人って、19万人圏域の中心にしてはお粗末で歪な構造。最近、郊外型ホテルチェーンとして成長しているホテルルートインなどが進出してくれると嬉しいのですが・・・。
[67800] 2008年 12月 31日(水)19:48:36千本桜 さん
この一年
2006年の暮れに、「この一年」と題して下記の書き込みをしました。
この一年、私の中で大きな比重を占めていた物の一つに、とある町が合併に向けて決定した町名・字名の取扱問題が有ります。
今年もやっぱり、私の中で大きな比重を占めていたのは この問題です。O町絡みの合併協議会は平成17年に破談解散しましたが、また再び同じ枠組みで再開して協議進行中です。市名は「柴田市」に決定しました。さあ、市名の後に続く住所はどうなるのでしょう。心配です。字名の取扱いについては、先の合併協が結審したものをそのまま生かす考えでいるような空気がひたひたと伝わってきます。もう、タイムリミットです。合併したならO町域の大字は嘘っぱちになってしまいそうで怖い。書込みしないでいようと思いましたが、自分の考えを再確認する意味も含めて、許せないO町の大字改悪というHPを作りました。いま作り終えたばかりの、できたてほやほやです。もう直ぐ今年も終わりですね。では皆様、ほやほやの新年をお迎えください。ほやほや。
[67514] 2008年 12月 5日(金)20:49:38千本桜 さん
分岐の注記
[67502]Issie さん
「ニューエスト」の記載も照らし合わせると,まだ記載されているかもしれませんね。

2万5千の分岐を見つけました。集落は消滅しても「分岐」の名称は残っています。推測ですが、図葉名が「分岐」ですから、集落がなくなっても「分岐」の注記を消すことができない(消せば、図葉名を変更しなければならない)。または、注記密度が疎らですから残しておいても差し支えない。あるいは、場地名としての必要性が高い。そんなこんなの理由があったのかな、と思います。ヤフー地図に記載された「分岐」は、地理院2.5万が基になっていると考えます。
[67497] 2008年 12月 4日(木)21:00:48千本桜 さん
二万五千分の一地形図「分岐」
[67495]ペーロケ さん
その中でも極めつけが「分岐」という図名。ウォッ地図で見る限り、「分岐」という集落が見当たらず、それどころか、集落というものが一つも見当たらないんです。名づけられそうな著名な山岳や名所なども無さそうで、名前に困ったのでしょうか。図の北の方に、どこにでもあるような川の分岐が見られます。本当に「単に川が分岐しているから」という単純な理由で分岐と付けられたんでしょうか?謎です。

川の形状をもって「分岐」という図名にしたのではなく、七ノ沢が武利川に合流する辺りの固有場地名「分岐」をもって図名にしたものと思われます。ウォッ地図には記載されていませんが、市販の二万五千分の一地形図には「分岐」という場地名が記載されている筈です。「筈です」というのは、手元に二万五千分の一地形図「分岐」が無いので確認できないからです。
[67486] 2008年 12月 3日(水)03:27:56【1】千本桜 さん
♪今夜は離さない
♪「今夜は離さない」じゃなくて、♪「今夜は眠れない」の心境です。♪そんな夜もたまにゃなァいいさ・・・よし!イクゾー

[67485]いっちゃん さん
利尻・礼文
自治体名ではないけれど、カップリング率の高さでは「巨釜・半造」、「竜串・見残し」など、♪「離れなれない~」という感じ。

後で気がつきました。「離れなれない~」って変ですね。「離れられない~」に訂正します。
[67479] 2008年 12月 2日(火)21:21:59【1】千本桜 さん
櫻の園
ただいま、ひどく落ち込み中です。行政は字(あざ)の問題を理解していない様子です。いや、逃げているのです。町史なりなんなり読んで勉強し、自信を持って住民への説明説得をすれば済むことなのに、それをしない。行政は説得できるだけの自信を身につけるべきです。勉強すべきです。とても悲しい。一目千本桜の花吹雪を見て気持ちを紛らわせています。映画「櫻の園」のHPに、ちょっとだけ一目千本桜の動画が流れます。

「自身」を「自信」に訂正しました。
[67442] 2008年 11月 29日(土)21:27:26千本桜 さん
意味の無いものをぶら下げるについて考える
モータースポーツが好きな人ならスポーツランドSUGOをご存知だろうと思います。住所は「村田町大字菅生字狢石6-1」です。有名な施設ですから、番地がなくても「宮城県村田町菅生 スポーツランド菅生」で物は配達されるはずです。友人(職業は配達業)の話だとスポーツランド菅生は、住所を「村田町菅生6-1」と書いて良いと言っているそうです。そんな馬鹿なと思いHPを見てみると、やはり「村田町菅生6-1」になっている。あ~ぁ、スポーツランド菅生さんも「わがまま」だな。もちろん、当人は「わがまま」しているつもりはないでしょう。悪意もないでしょう。でも、住所の書き方としては「わがまま&おまぬけ」です。なぜ「わがまま」かというと、大字菅生には字狢石(むじないし)の他に、字町東裏、字宮脇などいくつもの小字があって、それぞれに6番地があるからです。字狢石6番地のスポーツランド菅生さんは、字町東裏6番地の○○さんや字宮脇6番地の○○さんの存在を無視していることになります。それが「わがまま」です。また、なぜ「おまぬけ」なのかというと、6-1という番地は小字に対して振られたものだから字狢石を省略したら6-1も効力を失うはずです。小字起番地帯では大字の菅生に6-1をぶら下げても意味がありません。意味のないものをぶら下げているスポーツランド菅生さんが、私には「おまぬけ」に見えてしょうがない。同じように意味のないものをぶら下げるなら、「ぷらぷら人形」をぶら下げてワンマンショーを演じるほうが害はないと思う。
[67314] 2008年 11月 21日(金)02:53:36千本桜 さん
再び、合併協の「字名取扱い」の何がダメなのかについて。詳細地図付き・その3。
[67265]の続きです。
現行大河原町は6大字(金ヶ瀬、堤、新寺、小山田、福田、大谷)と大字なしの区域から成り立っています。大字なしは、大字大河原の廃止で大字なしになった区域、大谷から分立して大字なしになった区域、金ヶ瀬から分立して大字なしになった区域に分類できます。柴田市に移行する際は、大字大河原の廃止で大字なしになった区域にのみ「大河原」を付せば良いのですが、立案者は大谷地区および金ヶ瀬地区に分布する大字なしにも「大河原」を付してしまいました。その結果、このように大谷字○○と大河原字○○の境界が入組んでしまいました。立案者はこの入組みを解消するために、大谷を大河原に統合して消滅させることにしました。大谷が消えてなくなれば、大谷字○○と大河原字○○の境界入組みも解消するという考えです。

結審事項2-1・「大谷字○○」の名称は「大河原字○○」に変更する。を検証します。
これは、大谷を大河原に統合して消滅させることを意味します。合併協議会は、「大谷字○○」を「大河原字○○」に変更する理由として次の2つを挙げています。
1・大河原と大谷の境界が入組んで、市街地が一体化している。
2・住民から変更要望が出ている。
しかし、2つとも理由になりません。元来、大河原と大谷は白石川で分断されて境界の入組みはありません。入組んでいないものを入組ませておいて、これではだめだから大谷を消しますって、大谷はとんだとばっちりを受けたものです。また、住民は住所から大谷を外して欲しいと要望しても、大谷を大河原に改めてくれと言うはずがありません。大字大河原が廃止されて50年。ほとんどの住民は大字大河原が存在したことを知りません。立案者自身も知らなかった可能性があります。住民には大河原という名の字意識がないのですから、大河原字○○に変えてくれと要望するはずがありません。立案者が勝手に大谷を大河原に変えることにしたのです。住所から大谷を外すことと、大谷を大河原に変えることでは大きな違いがあります。では、立案者は何を根拠に大河原を付すことにしたのか。合併協議会は現行町名が大河原であることを理由に、大字なしの字の前に大河原を付すと説明しています。しかし、大字なしの字の前にだけ付して、6大字(金ヶ瀬、堤、新寺、小山田、福田、大谷)の前には付されない大河原が、現行町名の大河原であるはずがありません。立案者は、「大河原」という名称の確たる定義を持たないまま事を進めたのではないかと思います。では、大谷字○○の名称を大河原字○○に変更するとどうなるのか。文章で伝えるより地図で伝えましょう。地図をご覧下さい。境界の入組みが消えて、すっきりした大字区分になりました。しかし、大谷は大河原に呑込まれて消滅します。藩政村を継承した大字が他の大字に呑込まれて消滅する例は、市制町村制が始まって以来、宮城県では例がありません。

結審事項2-2・「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。を検証します。
合併協議会は「大谷字○○」の名称は「大河原字○○」に変更するとした上で、ただし「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。と決議しました。字の同名を回避するためです。大河原町には大谷字山崎福田字山崎金ヶ瀬字町大字なし字町など16種類の同名小字があります。これらの同名小字は、字の前に付される大字名の違いで場所が特定できる仕組みになっています。下川原という小字は町内に3ヶ所あります。大字なし字下川原、大谷字下川原、金ヶ瀬字下川原の3ヶ所です。
自治体名大字名小字名
A・大河原町字下川原
B・大河原町大谷字下川原
C・大河原町金ヶ瀬字下川原
立案者はまず、「大河原町字○○」は字の前に「大河原」を付すとしました。これによって、Aの大字なし字下川原が「大河原字下川原」になりました。次に、「大谷字○○」は「大河原字○○」に改めるとしました。これによって、Bの大谷字下川原も「大河原字下川原」になりました。AとBは場所が異なるのに同じ住所になりました。これではまずいので、Bの大谷字下川原を「大河原大谷字下川原」にしますよ、ということです。中川原という小字も全く同じ状況に置かれています。大谷を大河原に改めることで、無益な字の変更が誘発されようとしています。それにしても「大河原大谷字下川原」とは、随分ずさんな立案だと思いませんか。「字」の位置が変でしょう。状況から判断すれば「大河原」と「大谷」の間に「字」を置き、「大河原字大谷下川原」にするのが適切でしょう。「大河原大谷」と「下川原」の間に「字」を置くということは、「大河原大谷」なる新たな大字を新設することです。すると、地域区分はどのように変化するのか。文章で伝えるより地図で伝えましょう。地図をご覧下さい。周りを全部「大河原」にしておいて、そこだけぽつんと「大河原大谷」です。字下川原の住民は、この異常事態に気付いていません。実施されて気付いた時には手遅れです。

こうして図形にして見ると、字の区域変更と名称決定がいかにずさんであったかが見えてくるでしょう。ただただ事務的に字(あざ)をいじくっているだけです。区域変更がもたらす地域の変化をイメージしていないのです。想像力の欠如でしょう。合併協議会による字の改悪はさらに続きます。大谷字○○を大河原○○に変えたように、金ヶ瀬字丑越を大河原字丑越に変更する案が提案されたのです。それについては項を改めて後日書き込みます。
[67265] 2008年 11月 13日(木)08:19:50千本桜 さん
再び、合併協の「字名取扱い」の何がダメなのかについて。詳細地図付き・その2。
[67208]の続きです。
大河原町には、このように大字名を付す区域と付さない区域が混在しています。また、昭和31年に大字大河原を廃止したことにより、現在の大河原町には「大河原」という字(あざ)がありません。合併して大河原町が消滅すると、「大河原」という住所地名もなくなります。「大字なし」の区域をどのように整理し、どこに「大河原」の名を残して柴田市に移行するかが課題になります。私は字の履歴を根拠に、次のように変更するのが適切だと考えます。
1・大字大河原の廃止で「大字なし」になった字の前には 「大河原」を付し、「柴田市大河原字○○」とする。
2・大谷から分立して「大字なし」になった字の前には 「大谷」を付し、「柴田市大谷字○○」とする。
3・金ヶ瀬から分立して「大字なし」になった字の前には 「金ヶ瀬」を付し、「柴田市金ヶ瀬字○○」とする。以上で字(あざ)の区域と名称の変更は完結します。何の問題も起きません。この案を図化してみました。地図をご覧下さい

ところが、合併協議会の考えは異なっていました。平成17年に破談解散した柴田町・村田町・大河原町合併協議会は、大河原町に係る字の区域と名称の取扱いを次のように結審しています。
1・「大河原町字○○」の名称は字の前に「大河原」を付す。
2・「大谷字○○」の名称は「大河原字○○」に変更する。ただし、「大谷字下川原」及び「大谷字中川原」は「大河原大谷字下川原」及び「大河原大谷字中川原」に変更する。
3・「金ヶ瀬字丑越」及び「金ヶ瀬字富田」は「大河原字丑越」及び「大河原字富田」に変更する。
4・その他は現行のとおりとする。
これを見て、ある疑念が涌いてきました。これは、地域の大字変遷史を知らない人たち、または意識しない人たちが立案し、審議し、結審に至らしめたものではないかという疑念です。地域の大字変遷史を意識し、字の地理的分布を意識する人なら、1・の「大河原町字○○の名称は字の前に大河原を付す」という案を立てたりしないはずです。歴史的にも地理的にも不具合が生じるのが明白だからです。2・の「大谷字○○の名称は大河原字○○に変更する」や「大谷字下川原は大河原大谷字下川原に変更する」および、3・の「金ヶ瀬字丑越は大河原字丑越に変更する」などは、その不具合を隠すために考え出された無益な字の変更です。

結審事項1・「大河原町字○○」の名称は字の前に「大河原」を付す。を検証します。
まず、ほとんどの住民は「大河原町字○○の名称は字の前に大河原を付す」の意味を理解していません。理解していないのですから、これが実施されると地域がどのように変わるのか想像できません。想像できないのですから、誰も合併協議会の結審に異議を唱えません。「大河原町字○○」の区域には町人口の59%に相当する13,800人が住んでいます。あるとき30名ほどの住民を前に、「大河原町字○○」の区域に住んでいる方はいらっしゃいますか」と質問する機会を得ました。相手はいわゆる地域における知識層の方々です。でも、誰も挙手をしませんでした。「大河原町字○○」の意味が分らないから挙手できないのです。行政は「議会だより」や「広報」で結審事項を住民に知らせていますが、「大河原町字○○」などの字句を用いた文章では伝わらないことを知るべきです。字の区域変更と名称変更を知らせるには、系統図や地図を添付する必要があると私は思います。
「大河原町字○○」とは、「大河原町字町」「大河原町字山崎町」「大河原町字南平」などのように、「字」の前に大字名を付さない字を指します。つまり「大字なし」の区域です。「大字なし」は、大字大河原の廃止で「大字なし」になった区域、大谷から分立して「大字なし」になった区域、金ヶ瀬から分立して「大字なし」になった区域に分類できます。かつては金ヶ瀬字下川原と呼ばれていた区域が「大字なし」の字南平になったのは、たかだか十数年前のことです。まだ金ヶ瀬の記憶を引きずっている区域です。しかし、字名の取扱い立案者はそのような分類をせずに、全部まとめて「大河原」を付すことにしました。歴史と地理の背景を無視したカパカパに乾いた事務的発想による処置だと思います。「大河原町字○○の名称は字の前に大河原を付す」と、どうなるのか。文章で伝えるより地図で伝えましょう。地図をご覧下さい。「大谷字○○」と「大河原字○○」が入乱れてしまいました。このままでは柴田市に引継げません。字名の取扱い立案者はこの不具合をどのような方法で解決しょうとしたのか。それについては項をあらためて後日書き込みます。
[67208] 2008年 11月 6日(木)10:19:55千本桜 さん
再び、合併協の「字名取扱い」の何がダメなのかについて。詳細地図付き・その1。
「柴田町、村田町、大河原町合併協議会」は3年前に破談解散しましたが、また同じ枠組みで協議を再開しています。合併に漕ぎつけるかどうかは、私には分かりません。ただ、合併するとなった場合、協議事項の「字名の取扱い」については慎重に熟慮した上で決議してもらいたいと思っています。3年前に解散した合併協の決議をそのまま引継いではいけません。あんな「いい加減」な「字名の取扱い」を容認することはできません。もう一度、あの「字名の取扱い」の何がいけないのかを振り返ってみましょう。まずは、どのような経緯をたどって現在の大字区分になったのかを検証します。こういうことは文言で伝えるには無理があります。地図を付しますので参照いただければ幸です。

江戸期から明治22年まで、現在の大河原町域は平、堤、新寺、小山田、福田、大河原、大谷の7村に分かれていました。これらの村は藩政村と呼ばれています。このうち、街道沿いの平村には「金ヶ瀬宿」、大河原村には「大河原宿」が設けられて町場を形成していました。現在の地形図に藩政村の境界を描き入れました。地図をご覧下さい

明治22年4月、市制・町村制が施行されて近代的な地方制度が確立します。この時、平、堤、新寺の3村が合併して金ヶ瀬村になり、小山田、福田、大河原、大谷の4村が合併して大河原町になりました。合併して消滅する旧村は大字として新町村に引継がれました。大字とは明治22年まで存続した村のことです。地図に当時の大字区分を描き入れました。地図をご覧下さい

昭和31年、大河原町と金ヶ瀬村が合併して現行の大河原町が成立しました。この時、次の大字改編がありました。
1・大字の名称は「大字」の字句を省いて表記する。
2・大字平を金ヶ瀬に改める。
3・大字大河原を廃止する。
以上の3点です。この中で不可解なのは、大字大河原を廃止してその区域を「大字なし」にしたことです。本来、「大字なし」は藩政村が単独で町村制下の町村に移行した自治体に見られるものでしょう。例えば、亘理郡小堤村が単独で町村制下の町になった亘理町は大字を編成しませんでした。亘理町とは小堤村のことですから大字小堤を置く必要がなかったのです。同例に、藩政村馬場谷地村が単独で町村制の町になった涌谷町や、藩政村不動堂村が単独で町村制の村になった不動堂村などがあります。ですから、いまでも亘理町の旧小堤村、涌谷町の旧馬場谷地村、美里町の旧不動堂村などの区域は「大字なし」になっています。しかし、大河原町は大河原村が単独で町村制下の町になったわけではありません。小山田、福田、大河原、大谷4村の合体ですから、大字小山田、大字福田、大字大谷と共に大字大河原があって当然です。それなのに、昭和の合併時になって大字大河原だけを廃止したのはなぜだろう。町名と大字名が同名なら、大字名を省いても支障がないと思ったからだろうか。しかし、他の自治体では角田市角田村田町村田利府町利府富谷町富谷女川町女川浜のように市町村と同名の大字を廃止しないでいるところをみると、「町名と同名だから」だけでは済まされない何かがありそうです。私はそこに、当時の字取扱い担当者の公平性に欠けた地域観を見る思いがします。大字大河原の区域は大字名を省略して「大河原町字○○」と書いていいですよ。でも、他の大字に属する区域は「大河原町小山田字○○」のように、「町」と「字」の間にちゃんと大字名を付して書きなさいと言うのですから、これは差別でしょう。大河原町と同じように、昭和の合併時に白石市も大字白石本郷を廃止してその区域を「大字なし」にしています。昭和の合併時に特定の大字だけを廃止したのは、宮城県内では大河原町と白石市だけです。地図に当時の大字区分を描き入れました。地図をご覧下さい。そこで皆様にお尋ねします。大河原町と同じように昭和の合併時に特定の大字だけを廃止し、その区域を「大字なし」にした市町村をご存知でしたら教えてください。

大字大河原の廃止で「大字なし」が出現した大河原町では、その後も別の理由で「大字なし」が発生し、大谷、金ヶ瀬地区にも拡散しています。大河原町では土地区画整理事業が済んで地番整理をすると、なぜか大字名を外して「大字なし」にしてしまいます。例えば、大谷字高田と大谷字砂田の区域を地番整理して字高砂町としました。住所は大字名を付さない大河原町字高砂町になりました。でも、地番整理から外れた区域は従前どおり大字名を付して大河原町大谷字西原前と書かなければなりません。金ヶ瀬字板の前などの区域を区画整理して生まれた字緑町は、金ヶ瀬を付さない大河原町字緑町になりました。しかし、隣接する字丑越は大河原町金ヶ瀬字丑越のままです。このような字施策により、大字名を付さない区域は新しくて進んだ地区、大字名を付す区域は古くて遅れた地区というイメージが生まれてきました。西原前や丑越には、住所から大谷、金ヶ瀬を外してくれと要望する住民もいます。本当は住所の表記形式に問題があるのに、いつしか大谷、金ヶ瀬という地名が嫌われ者になってしまいました。他の市町村でも町名地番整理をしていますが、大字名を外すことはしません。例えば、角田市角田字町尻ほかを区画整理して豊町という字にしましたが、住所は角田を付したまま角田市角田字豊町にしています。それなのに、大河原町はどうしてこんな差別的偏見を生む字施策を続けてきたのでしょう。大字区域の中に「大字なし」が散在して非常に複雑です。地図に現況大字区分を描き入れました。地図をご覧下さい。そこで皆様にお尋ねします。大河原町と同じように町名地番整理区域を「大字なし」にしたために、大字区域の中に多数の「大字なし」が虫食い状態に散らばっている市町村をご存知でしたら教えてください。

さて、本題はここからです。大河原町はこのように複雑な大字区分をどのように整理して柴田市に引継ごうとしたでしょうか。このことについては項をあらためて後日書き込みます。
[67163] 2008年 10月 30日(木)08:31:33千本桜 さん
会津大内宿
[67150]hmt さん
本流(阿賀川)と支流(只見川)の関係が理解できました。ありがとうございました。hmtさんの旅行ルートを想像してみました。東北自動車道の白河ICから甲子道路を通って下郷に抜け、塔の弗、大内宿、鶴ヶ城、飯盛山を観光されたのではないでしょうか。お泊りは芦ノ牧温泉か東山温泉のような気がします。土産品を売る商店街と化した大内宿はいかがでしたか?。私は、まだ観光客が入り込まない無名時分の大内集落を見たことがあるのですが、あまりの変貌ぶりに驚いてしまいました。がっかりもしましたが、他に産業のない山間集落の生きる道かと、変に納得したりもしました。
[67134] 2008年 10月 27日(月)06:38:24千本桜 さん
町・字の区域及び名称の取扱い・岩出山町の場合
岩出山町は七つの大字(上山里、下山里、池月、下一栗、上野目、下野目、南沢)と一つの大字なし(旧岩出山村の区域)から成り立っています。大字地区の住所は「岩出山町上山里字○○」のように「町」と「字」の間に大字名を付しますが、大字なし地区は「岩出山町字○○」のように「町」と「字」が直結していて大字名がありません。地元住民が呼びあう「岩出山」とは、この大字なし地区を指します。池月、上山里、下山里などの住民は、この地区に行くことを「岩出山に行く」と言います。しかし、上山里や下山里に行く時に「岩出山に行く」と言う町民はいないでしょう。ところが、岩出山町が大崎市に移行する際に「上山里」と「下山里」が「岩出山」に化けてしまいました。旧来の「岩出山」から離れた場所に、もう一つの「岩出山」が出現してしまったのです。
「大字なし」の地区が「岩出山」になるのは当然として、「上山里」と「下山里」までもが「岩出山」になってしまったのには驚きです。「岩出山上山里」「岩出山下山里」となるところを、「上山里」「下山里」が抹消されてしまったのですね。あくまでも推測ですが、住民が「山里」の地名を嫌って削除を望んだからでしょうか。でも、消しっぱなしは良くないですね。なぜなら、地元住民はその場所を「岩出山」とは呼ばないのですから。
でも、こういうことって文言で伝えるのは難しいですね。イメージが涌かないでしょう。そこで地図に表わしてみましたのでご覧下さい。岩出山町に限らず、合併に伴う全国各地の町・字の区域及び名称の取扱いをみていると、なんだか不安になってくるのです。行政は「住民の意向」を隠れ蓑にしているような気がしてならない。住民の多くは地域の全体像を見ずに、自分に係わる住所だけを気にします。住民の望みを取り入れるのは大事なことでしょう。しかし、それを実施するとどうなるか。「このようになりますよ」ということを住民に説明しているのだろうか。区域変更を伴う字名変更に付いては、地図を通して住民説明しないと文言だけでは伝わらないのだと思います。市町村に対しては、国県がもっと指導すべきではないでしょうか。


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