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雪の字さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[65768]2008年7月15日
雪の字
[65748]2008年7月13日
雪の字
[65742]2008年7月12日
雪の字
[65607]2008年6月25日
雪の字
[62665]2007年11月25日
雪の字
[62392]2007年11月5日
雪の字
[62373]2007年11月4日
雪の字
[59383]2007年6月23日
雪の字
[59382]2007年6月23日
雪の字
[54210]2006年9月27日
雪の字

[65768] 2008年 7月 15日(火)22:10:23雪の字 さん
栄養が足りないと様々なことがおこります
[65761] ペーロケさん
ご指摘いただき、恐れ入ります。
確かに、私の発言は、誤解を与えかねないものでした。

けれど、先の書き込みは、決して「若い方には理解力がない」という意図のものではありません。
落書き帳にいらっしゃる若い方々について、私は、知的な刺激に対して非常に敏感である、と感じています。そのような方々が、「水たまり」という、刺激は強いけれど内容のない言葉に引きずられてしまうこと、それを残念に思ったのです。事実、ウェブ上では、「水たまり」という言葉だけが一人歩きしている場合が屡々見受けられます。
そして、先の北戸さんへの発言については、私の最低限の意図(=「水たまり」という言葉にたいした意味はない)が伝わればよい、それ以上の興味を広げてゆかれるのは北戸さん次第、と考えてのものであった、ということです。
相手に理解力がない、ということではなく、自分の意図を他人に伝えるのは必ずしも容易ではない(少なくとも、私にとっては)、ということを前提にしての発言です。

けれど、本当に問題であったのは、先の書き込みを、多分に狎れ狎れしい口調で書いてしまったことかもしれません。このことが、「上から目線」と捉えられる原因であったかとも思います。
ペーロケさん、北戸さん、お二人のご気分を害してしまったこと、お詫び申し上げます。
先の書き込みは「子供を馬鹿にする」といったものではなく、まして、お二人を軽んじてのものではない、という点は、ご理解頂きたいと思います。

言い訳めいてしまい恐縮ですけれど、自分の発言によって徒に不快な思いをさせるのは私としても本意ではありませんので、敢えて一言申し上げさせていただきました。

[65755] 北戸さん
おっしゃる通り、本栖湖と摩周湖は、いずれも極貧栄養湖に分類されます。
では、何故、同じ地域にあり、同じ水源を持つ富士五湖のうち、本栖湖だけが極貧栄養湖なのでしょう?

プランクトンと透明度の関係については、お気付きの通り、湖でも成立します。バイカル湖での例を[65746]でペーロケさんが書いておられますね。(私が「答えを教えちゃった」と書いたのは、このためです)
ですから、
「極貧栄養湖」の条件は栄養塩類濃度と透明度の二つの条件
と言うよりは、栄養塩類濃度と透明度はワンセットである、と考えた方がよいのではないでしょうか。
[65748] 2008年 7月 13日(日)16:07:36【1】雪の字 さん
バイカル湖と摩周湖と本栖湖の共通点は?
[65746] ペーロケさん
フォローをいただき、ありがとうございます。
正直に言って、そこまでの理解は期待していませんでいた。

と申しますのは、ご存じの通り、この落書き帳は、大変若い方も見ておられます。
そのような若い方々が、「ただの水たまり」と言う、いわば、センセーショナルな表現に接したらどうなるだろうか?表面的なインパクトに引きずられてしまって、それ以上の楽しみを見つける機会を失ってしまうのではないか。だとしたら、それは、とても残念なことではないだろうか……
という思いが、(些かお節介ではありますけれど)先の書き込みの動機でした。
ですから、とりあえず、「水たまり」という言葉自体に意味はないんですよ、と理解して頂ければ、それで十分、程度に考えておりました。

「もう、ペーロケさんは優しいなぁ!答えまで教えちゃって」
……私がイジワルなだけかもしれません。

[65744][65747] 北戸さん
おっしゃる通り、湧き水は透明度が高いというイメージがありますね。

個人的な話題で恐縮ですが、以前、富士山麓に住んでいたことがあります。
近所に何か所もの湧き水がありましたが、それらは皆、非常に澄んでいて、そして冷たかったことが印象に残っています。
なお、付け加えますと、これらの水、とてもおいしいです。

さて、富士山麓と言えば、ご存じの通り、富士五湖と呼ばれる湖沼群がありますね。
この水源が、(勿論、多少の雨水もあるでしょうけれど)富士山によって濾過された湧水であることは、想像に難くないと思います。
では、富士五湖は、すべて透明度の高い、澄み切った湖なのでしょうか?

少し、調べて、そして考えてみてください。
北戸さんの着目には、とても重要な点が潜んでいますよ。
[65742] 2008年 7月 12日(土)16:14:11【1】雪の字 さん
摩周湖は「水たまり」に非ず
[65741] 北戸さん
本気になさるといけないので、一言。
摩周湖が「水たまり」と言うのは、一種の冗談で、法的な定義でも学術的な定義でもありませんよ。

以前、この落書き帳でも取り上げられていますが、この話、出所は朝日新聞の記事です。
[57433]でhmtさんが原文を引用していらっしゃいますが、事実は単に、
流出河川がない摩周湖は、河川の水源としての国土交通省の名義による登記ができない。
というだけのこと。
「水たまり」という言葉は、国土交通省のお役人が定義したのものではなく、朝日新聞記者が書いた言葉のアヤに過ぎません。
多分、この文章を書いた記者は、人目を引く記事にするために、インパクトのある言葉を選んだのでしょうね。

実際には、湖でも沼でもないものを指すためには、「池」という便利な言葉がありますよね。
[65607] 2008年 6月 25日(水)01:37:44雪の字 さん
連区?
ご無沙汰しております、雪の字です。

[65596] EMMさん
通学区域の呼び方、興味深く拝見しています。

「連区」という言葉は、少なくとも名古屋市内では死語です。
これは国民学校以前の制度に基づいた名称で、使われていたとしても、戦後しばらくの間ではないでしょうか。
実際には、日常の会話でも、公刊物でも、「学区」が使われています。
引用先の物件も、名古屋市内ではなく一宮市のものですね。一宮市では、何らかの理由で、連区という言葉が現在まで残ったのでしょうか。

なお、「校下」は、岐阜市でも使われています。市の公刊物でも使用されていましたので、ある程度「公式」の名称と思います。

ご参考までに。
[62665] 2007年 11月 25日(日)19:42:31【1】雪の字 さん
樺太と都道府県と「JR北海」
[62394][62539] hmtさん
ありがとうございます。
夏目漱石のエピソードと、そこから見えてくる東京の姿も、大変興味深く拝見いたしました。

「都費府県」について、樺太庁をカウントされなかったのは、無理からぬことと思います。仰る通り、戦前の樺太は内地ではありませんでしたし、自治体でもありませんでしたから。
ただ、蛇足である上に、想像に過ぎないことなのですけれど、いわゆる内地編入以前の樺太庁を「庁府県」に含めている例も、どこかに存在しているのではないでしょうか。
[62501]で北の住人さんが指摘された「地方行政協議会令」と「地方総監府官制」は、残念ながら、いずれも内地編入後の法令ですけれど、これらの他にも、大正7年の「共通法」(法律第39号)の様に、樺太を内地扱いとする法令が存在していますから。
勿論、この様な例をもって「樺太は内地である」とするのは無理であると思います。何よりも、当時の行政自体がそれを否定しています。
内外地行政の一元化を図る為昭和十八年四月一日より樺太は内地行政に編入せらるることと為りたる…
(「樺太内地編入ニ伴フ行政財政措置要綱ヲ定ム」国立公文書館蔵。請求番号:本館-2A-012-00・類02719100。)
やはり、樺太が内地となったのは、「樺太に施行すべき法令に関する法律」(明治40年法律第25号)が廃止された昭和18年以降とするべきであろう、と思います。

なお、私のサイトで「地方行政協議会令」「地方総監府官制」による地方区分を地図にしております。
日本広域行政区分地図
宣伝めいてしまい恐縮ですけれど、話題の一助となりましたら幸いです。

では、樺太はいつまで内地であったのでしょうか。
まだ満足に調べられたとは言えない状態ですけれど、これまでにいくつか気づいたことをご紹介してみたいと思います。
なお、ここで述べたのはあくまでも日本国内での法的な扱いであって、いわゆるGHQやソ連側の動きについては言及していません。

まず、昭和21年1月21日の閣議決定「外地(含樺太)官庁職員等の措置に関する件」で、樺太は外地扱いとなります。
続いて、同月31日の「内務省官制中改正等の件」(勅令第55号)で、内務省から樺太庁長官の名前が消え、樺太という地域は外務省の管轄へと移されます。
日本法令索引で探し当てられませんでしたので、樺太に関係する部分を抜粋します。
(第一条)
内務省官制中左の通改正す
第一条第一項中の「、樺太庁長官」を削る
(付則)
従前内務大臣の所管に属したる樺太、朝鮮及台湾に関する事務並に東洋拓殖株式会社及台湾拓殖株式会社に関する事務は当分の内外務大臣之を管理す
さらに、
国の行政機関の組織は、この法律でこれを定めるものとする
としている昭和23年の「国家行政組織法」(法律第120号)には、樺太庁についての言及はありません。
そして、昭和24年の「外務省設置法」(法律第135号)には、樺太が外務省の管轄下に入ったことが記されています。
その後、昭和27年の「日本国との平和条約」によって樺太が失なわれたことは、[62559]でIssieさんが仰っている通りです。

「樺太は『都費府県市区町村』、或いは『都道府県市区町村』のどこに含まれるの?」と言う問いの答えは、「樺太は含まれない」となりそうです。

けれど、もしも樺太が「都道府県市区町村」に含まれていたなら、どう呼ばれていたでしょうか。
[62392]にも書いた通り、あれこれ頭を捻ってみても、どうも座りの良い呼び方を思い付くことができません。

ただ、そうなっていれば、JRグループの一つは「JR北海」になっていたかもしれませんね。
そして「敷香行き特急寝台列車」の車内には「今日も、JR北海をご利用くださいまして、ありがとうございます…」という放送が流れていたのではないでしょうか。カーブや勾配の多い樺太では、「走行中やむを得ず」列車が揺れることもさぞ多かったことでしょう。そうなると表定速度は… と「鉄分」の少ない私ですけれど、つい、想像(妄想?)をふくらませてしまうのです。
[62392] 2007年 11月 5日(月)00:43:46雪の字 さん
都庁府県と都道府県
[53090]で、三文字県名は無い、などと書いてしまった雪の字です。またやってしまいました…

既に[62385]hmtさんがご指摘下さいました通り、勅令第347号「師範学校生徒定員」(前の書き込みでは、法令名を「師範学校生徒定員ニ関スル件」としましたけれど、日本法令索引に従います)の年代は、明治40年ではなく、明治30年でした。
図書館で条文を筆写した際に誤記したものと思います。最近はできるだけコピーを取らせて頂くようにしているのですけれど。とにかく、誤った内容を書き込んでしまい、申し訳ありませんでした。
なお、[62373]の誤記につきましては、敢えて訂正せず、そのまま残したいと思います。紛らわしい内容が残るのは好ましくないと思いますけれど、頂いたレスとの整合性を保つため、そして自戒の意味を込めてのことです。どうか悪しからずご理解下さい。

では本題です。
[62375]Issieさん
ここで使われる「道」が“地方官庁としての「北海道庁」”を意味するのか,“地方区分としての「北海道」”を意味するのか(中略)後者の意味として「北海道」を「道」と称することはあると思います。
[62385]hmtさん
“地方官庁としての「北海道庁」管内”を意味しているようですね。
ここで思い出したものがあります。
内務省警保局が作成したある史料(戦前期であることは間違いないと思いますけれど、正確な年代は不詳。国立公文書館蔵。請求番号:分館-06-031-00・平13警察00045100。国立公文書館デジタルアーカイブで画像を閲覧できます)の中では、北海道および他の府県に並ぶ「庁府県」として、東京府(或いは東京都?)ではなく「警視庁」が挙げられているのです。「庁府県」と「道府県」の意味の違いを示す、一つの例のように思われます。
「都庁府県」は、地方官庁の略称、そして「都道府県」は、その管轄区域を指す略称、と理解して良いのではないでしょうか。

[62386]北の住人さんの書き込みは、上の解釈を補強しているようです。また(少し話題とは外れますけれど)、松浦武四郎から「地方自治法」に至るまで、北海道の「道」とは、「五畿七道」と言う場合のような「道」である、という感覚が(制度上の実態とは関わりなく)働いていたことを示している様にも思われます。
ちなみに、このあたりの話題は、アーカイブスの北海道はなぜ「北海」と略さないの?などでも詳しく触れられておりますね。興味深く拝見致しました。

余談ですけれど、
[62377]htmさん
[53577]の「都費府県市区町村」は衝撃的で、良く記憶に残っております。樺太はどうなるの?と頭を捻ってみたものです。答えは出ませんでしたけれど。

それに致しましても、[62373]で書き込みさせて頂いた後、[62375]で早速Issieさんのレスを頂き、さらに[62377]ではhmtさんのご教示で「都道府県」の起源が(しかも「日本法令索引」と言うページの存在を知ることができたというプラス・アルファまで付いて)判明するまで、経過時間は6時間足らず、レス数にして僅か4つ!
改めて、「落書き帳」の凄さを感じました。
[62373] 2007年 11月 4日(日)05:49:40【1】雪の字 さん
「都道府県」の起源
ご無沙汰しております、雪の字です。

[62368] グリグリ さん
「都道府県」と言う言葉がいつから使われるようになったのかは、私もずっと気になっていました。樺太の地方制度について調べていくうちに、ふと気になったのがきっかけでした。
「落書き帳」の過去ログを検索してみたりしましたけれど、本格的に「都道府県の起源はいつなのか?」と調べるまでには至っておらず、残念ながら、はっきり「これだ!」と申しあげる根拠は、未だ発見できておりません。
ご参考までに、これまで気づいたことをご紹介したいと思います。

なお、以下は「都道府県」と言う「言葉」の起源について考えてみたものです。制度上の「都道府県」については、これまで幾人もの方が詳しく書いておられますので、そちらをご覧下さい。
「地域」と「自治体」を混同なさらないよう、お願いいたします(グリグリさんをはじめ、ほとんどの方には申し上げるまでも無いことですけれど)

まず、既に[62370]でIssieさんも書いておられる通り、「都」の出現が昭和18年です。
このとき、従来の「庁府県」と合わせて「都庁府県」という言葉が現れます。例としては、昭和18年勅令第548号「地方行政協議会令」などがあります。
そして、この時点で、「道府県」と言う言葉は既に存在していました。
北海道を「道」と略すことは、意外ですけれど、「北海道庁」時代にも行われていました。いくつかの法令などでも、「道府県」という言葉が使用されています。起源はかなり古いようで、私がこれまで目にした中で最も古いものは、明治40年の「師範学校生徒定員ニ関スル件」(勅令第347号)です。
(これ以前の使用例をご存じの方がおられましたら、ご教示頂ければ幸いです。なお、明治19年の「師範学校令」(勅令第13号)では、「府県」という言葉が使われています)
このように、昭和18年には、「庁府県」と同時に「道府県」と言う言葉が存在しており、前者については「都」と合わせて使われています。
このことから考えると、「都道府県」という言葉も、昭和18年に使われ始めた可能性がきわめて高い、と思います。

とはいえ、実際の使用例は未確認ですから、現実の起源は、やはり制度と同じ「地方自治法」以降かもしれません。曖昧なことしか申し上げられず、恐縮ですけれど、この一文がさらなる話題の呼び水となればと思い、あえて書き込みさせて頂きました。


[59383]以降にレスを下さったみなさん
時機を逸してしまい、反応することができず、失礼しました。
いろいろご教示くださり、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
[59383] 2007年 6月 23日(土)22:40:14【2】雪の字 さん
言葉と風景
[59129] 中島悟 さん
[59263] YASU さん
[59157] EMM さん
[59182][59260] inakanomozart さん
私が生まれ育った名古屋(敢えて限定する理由は後ほど)でも、黄色であることを「きぃない」と言います。実際には年輩の方がほとんどで、若い人はあまり使いませんけれど。幼い頃には、大人たちが口にするのを、良く耳にしたものです。
この言葉、越すに越されぬ大井川をも越えて分布していることになりますね。

とは言え、[59228] 淡水魚 さん が仰るように、浜松が分布域から外れるとなると、三河地方ではどうなのか、が気になります。三河地方の方言は、名古屋よりもむしろ浜松に近いですから(上で「名古屋」と限定したのはこのためです)三河出身、あるいは在住の方のご教示を頂ければ興味深いです。

[59204] むっくん さん
名古屋では白壁に住む名古屋セレブと呼ばれるお金持ちの奥様方のことを「シラカベーゼ」、八事に住むお金持ちの奥様方のことを「ヤゴトジェンヌ」と呼びます。
地下鉄久屋大通駅周辺を「キタ」、同じく矢場町駅周辺を「ミナミ」と呼ぶ、と言うのもあります。カタカナで書くところがミソです。どうやら出所は、同じファッション雑誌のようですね。
生活の中から自然に生まれたものならばともかく、安易に他の土地を真似ただけの言葉を造り出すのは、個人的にはやめて欲しいと思っています。

[59372] リトル さん
僕のお薦めは「まず家の近所の撮影」です。
晴れた日に色々写真を撮って周るだけですが…。
田畑がマンションになったり、陸橋、映画館・銭湯が消えたり、川が護岸工事で変わったり、駅が改装、古い店や商店街が…
当たり前の景色が数年で無くなります。
コレクション的ではないですが、1~2日かけて一通り撮っておくだけで、後で効いてきますよ。

本当にそう思います。
そのとき、その場所にいた人にとって、それは当たり前の、珍しくもない風景でしょう。
けれど、それに少しでも近づきたい、と思い焦がれている誰かが、どこかに、いるかもしれません。

【追記】
愚痴を追記してしまいました。
[59382] 2007年 6月 23日(土)22:26:22雪の字 さん
神戸と名古屋と食文化
ご無沙汰しております、雪の字です。
生活の変化で、なかなか書き込みができませんでした。すっかり時機を逸してしまったレスですけれど……

[54211] じゃごたろ さん
早速レスをいただきましたのに、反応が遅くなってしまい、申し訳ありません。
[44809]からの書き込みを拝見して、「神戸」という地名の由来を、単純に「神社の封戸である」としてしまって良いのだろうか? と考えさせられました。
改めて「神戸」という言葉について調べてみますと、神戸という言葉自体は、中世どころか
(『日本書紀』の記述を文字通りに受け取るならば、ですけれど)紀元前にその起源を持つもののようです。紀元前というのはともかく、神戸という言葉の起源が、律令制以前に遡るという事は信じてもよいように思います。
それなら、神戸という地名の由来も、律令制以降に出現した神社の封戸、あるいは荘園に限定する必要はまったくなくなります。神社に関係しているにしても、所領というだけでなく、より広い意味で捉える方が適切ではないかと考えるようになりました。
大学時代に聞かされた「地名は中世最末期の状態を残しているに過ぎない」と言う言葉が頭にこびりついていて、なんとなく、地名の起源すら中世に限定されるかのような感覚を持ってしまっていたところがありました。じゃごたろさんのおかげで、一つ世界が広がった気持ちです。ありがとうございました。

以下は余談です。
岐阜県神戸町からほど遠からぬところ、岐阜市内に、やはり「ごうど」という地名が存在します。けれど、こちらは神戸ではなく「河渡」と書きます。あくまで想像に過ぎませんけれど、もし、この近くに神社があったら…… 地名本来の意味とは関係なく、単に「神社が近くにある」というイメージで「神」という字を含む「神戸」という表記をあてられたかもしれません。
なかには神社と何の関連もなく、単なるあて字で「神戸」と書かれてしまった地名も存在するのではないだろうか? そんな事も考えてしまいました。
あるいは、尾張熱田の神戸町もその例なのかもしれません……

[54219]で触れておられる「ミシャグジ」はこちら愛知でも方々に鎮座坐しております。昔、興味を持って少し調べたことがあり、懐かしいです。

[54254] ニジェガロージェッツ さん
[54256] むっくん さん
以前、買い物のついでに近所のうどん屋を覗いてみたのですけれど…… ありました!「志の田うどん」が。それとは別に「きつねうどん」もありました。
残念ながら、実際に食べてはいないので、その内容はわかりませんけれど、「きつね」と「しのだ」は、別物のようです。私が「きつね」を知ったのはカップうどんと東京でのことでしたから、「東京では『しのだ』を『きつね』というんだな」程度に考えていました。どうやら、これが勘違いだったのですね。
なお、「しのだどんぶり」なる物は、文字通りご飯の上に「しのだ」の具、つまり切った揚げとネギが乗っている物で、名古屋のうどん屋さんでは比較的メジャーなメニューのようです。分布域は岐阜市まで広がっているらしく、岐阜出身の友人も好物だと言っていました(なお、友人の実家近くにあったお店では、揚げ玉と蒲鉾も入っていたらしいです)

上記の友人(大のうどん好きです)曰く、「このあたりは東西の中間という感じだから、店によっても差が激しいよ。二、三件のお店を見て、わかったような事を書いちゃダメだよ」と釘を刺されてしまいました。
ですから、上で書いた事も、あくまでこんな例もある、程度に考えて頂ければ、と思います。

[54263] 油天神山 さん
[54267] かすみ さん
やはり、関西でも濃口醤油を使う方が普通なのですね。勉強になりました。

 なぜ家庭に二種類も醤油を置くのか、と問われれば、淡口はやはり煮物の色がきれいに仕上がるから。食卓のかけ醤油を淡口にすると、色が付きにくいのでついかけ過ぎてしまうから、とお答えすることになりましょうか。

わたしも同じような感じですね。
濃口と淡口は別の調味料という感覚で使っています。

私が幼いころ、当家では台所に四種類の醤油が置かれていました。濃口、淡口、溜、そして白醤油の四つです。自分が使いこなす自信は、とてもありませんけれど。
レスを拝見し、懐かしい気持ちがいたしました。

 醤油の地域性は面白そう、と思って過去ログに当たってみたら、一昨年の五月頃、記事番号28300番台あたりに集中的に出ていました。もうこれ以上付け加えようがないほどに書き込まれていて、ちょっとがっくり。
 でもじっくり読んでみると凄く面白いんだな、これが。
ご紹介ありがとうございます。興味深く拝見しました。けれど、白醤油の話はないようでした…… 白醤油はマイナーなのですね。

[54854] hiroroじゃけぇ さん
ご存知かも知れませんけれど、「なめらかプリン」は愛知発なんです。パステルは北名古屋市の会社で、名古屋市内にもたくさん店舗があります。残念ながら、(販売元も含めて)これを言ってくれる人は少ないですけれど。
東京にいたとき、百貨店の地下街で行列を見て、なんでパステルに行列しているんだ?と思ったものです。名古屋ではいつでもどこでも買える物でしたから(もちろん、行列する事自体が悪いわけではありませんよ!)
hiroroじゃけぇさんには、郷土に深い愛をそそいでおられるあたり、常々非常に好感を覚えておりましたけれど、甘党でいらっしゃるとのことで、さらに親しみを増した思いがいたしました。
[54210] 2006年 9月 27日(水)06:24:47雪の字 さん
神戸と私?
[54201] 小松原ラガー さん
恐れ入ります。
私の方は、じゃごたろ さんの書き込みを見落としておりました(じゃごたろ さん、失礼いたしました) 神主の住居を表す、という説も、寡聞にして存じませんでしたので、一つ勉強になりました。ありがとうございました。
東松山市の神戸の由来、わかりましたら、ぜひ、ご教示下さい。

[54202] 揖斐の山 さん
神戸町つながりですね。よろしくお願いいたします。
そちらの「神戸」は、やはり、日枝神社に由来するものでしょうか?

[54207] ニジェガロージェッツ さん
時期を逸した書き込みに温かいレスを頂き、ありがとうございます。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

特に饂飩については、神戸や大阪といったところでは、関東風を出すお店など全く聞きません。
こちらにも関東出身者も多いと思うのですが、関東風をリクエストする客が少なく、商売にならないのかも知れないですね。
うどんに限らず、いわゆる関西(ここには、神戸も大阪も一緒くたで、おそらく、西日本すべてが含まれています)で関東風を頼むことは、相手を挑発する極めて危険な行為と考えられているのかもしれません!
と、言うのはもちろん冗談ですけれど、東日本の方にも「やっぱ、関西に来たら関西風だよな!」と言うか、郷に入れば郷に従え的なイメージを持っている方が多いのではないか、と想像します。

また「きつねうどん」を「しのだ」と呼ぶのについては、小生の地元、神戸旧市街地西部(←敢えて限定しておきます)だけではないと知り、何だか嬉しくなってきました。実際、こちらでも最近は「きつねうどん」派が幅を利かせ、メニューにも「しのだ」と書いている店が少ないのが現状です。
申し訳ありません。私の言葉が足りず、誤解を与えてしまいました。
[53088]にも少し書いたのですけれど、私の祖母は兵庫県出身で、少女時代から結婚までを須磨で過ごしています。そして、家はうどん屋でした。ですから、「しのだ」という呼び方は、まさにニジェガロージェッツ さんの地元から持ち込まれた、当家だけのものである可能性も高いのです。

醤油については、こちらは兵庫県内に淡口醤油の本場・龍野が控えているので、淡口のイメージがあるかも知れませんが、実際にはどちらかといえば濃口醤油の方よく売られているのではないかと思います。
ご教示ありがとうございます。本当に意外でした。
とすれば、うどんのつゆにだけは淡口醤油を使う、というのは、例のない事とは言えませんね。
無知を曝け出してしまい、お恥ずかしい限りです。

ここまで書いて、幼いころの記憶を辿りますと、「きつねうどん」というのはカップの「あれ」であって、「本物のうどん」は「しのだ」または「しのだうどん」と呼ぶ、というイメージが強く甦ってきます。ですから、名古屋にも、少なくともかつては「きつね」ではなく「しのだ」と呼ぶうどん屋があったのではないか、と思います。そして、あの淡い色のだしを使った「しのだ」も、当家だけのものではなかったのかもしれません。

なお、余談になってしまいますけれど、うどんには「しのだ」の他に、いろいろな具の入った「おかめ」と呼ばれるものがあったような気がいたします。確か、あんかけつゆを使っていたと記憶しています。
この辺り、ぜひ、他の愛知・岐阜在住の方々のご教示を頂きたいです。


最後になってしまいましたけれど、
ところで読み方は「ユキノジ」さんで良かったですか? ここの住人は「字」を「アザ」と読みたがる人が結構多いような気がしますが、念のため。
フォローありがとうございます。おっしゃる通り、このサイトで「字」と書けば、読みは当然「アザ」ですよね。では、私もここでは「ユキノアザ」と名乗ることに…
皆様、やはり「ユキノジ」でお願いいたします。


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