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伊豆之国さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[91911]2016年11月5日
伊豆之国
[91879]2016年10月29日
伊豆之国
[91824]2016年10月23日
伊豆之国
[91752]2016年10月16日
伊豆之国
[91738]2016年10月15日
伊豆之国
[91683]2016年10月12日
伊豆之国
[91654]2016年10月10日
伊豆之国
[91627]2016年10月10日
伊豆之国
[91620]2016年10月10日
伊豆之国
[91516]2016年9月26日
伊豆之国

[91911] 2016年 11月 5日(土)14:59:40伊豆之国 さん
都道府県市郡区町村の施行日 & 守口市
[91902] オーナー グリグリさん
市の施行日については、市が実質的に誕生した日という考え方をとり、新設合併による市制施行日のリセットを必ずしも適用していませんでしたが、今回、町村の施行日を記載するにあたって、市制、町制、村制、分立、分割の施行日、あるいは、その後の新設合併の日にすべて統一して記載することにしました
ですが、これに対する山野さん([91907])のご意見
メンバーならば、此処見てあっちを確認となるでしょうが、それ以外の一般者の中には、検索等で直接あちらの頁に飛んだ場合、合併した事を知らない人は、「何故「此の市」の発足日が「此の日付」なん?」となる可能性も有り得るので
栃木県で言えば「日光市」。 新設合併で旧制の方は消滅したので、2006年発足で合ってるが、知らん人が見たら「もっと前からあるだろ」と
合併知ってても「新設」だろうが「編入」だろうが、傍から見たら「吸収」だよねとなりますし
これは、私もまさにごもっともにことだと思います。「市区町村プロフィール」を見ると、これまでは「コード順」の配列がほぼ「市の(実質)誕生日」順に並んでいたのが、「新設合併で『同一名称で生まれ変わり』」が増えてあちこちで順序が狂ってくると、やはり見た目にも見苦しいし、「素人」が見ると山野さんがおっしゃるとおり、不自然で奇妙に見えそうです。静岡県の例だと、施行日がばらばらになって順序が乱れて見た目が見苦しいだけでなく、静岡市の施行日が清水市と新設合併した「2003年4月1日」になっていて、「それ以前に『静岡市』がなかった」と捉えられてしまうことになってしまいます。ただ、町村との兼ね合いから見ると、前に戻すのではなく、ここは「市名の誕生日」をメインとし、必要ならば「同一名称で新設合併」した期日を記載したほうが「素人」にもわかりやすいのではないかと思いますが。あくまで「法律上の(再)施行日」をメインにするのであれば、「最初の施行日」あるいは「市名誕生日」を併記すべきでしょう。逆に、「形式上では、企業で言う『吸収合併』(編入)だか、『本体』の名称が全く別の名に変わった」場合(例:常総市、妙高市)は、「素人」から見ると「『対等合併』(新設合併)で新規に発足した」と思う人が多いのではないでしょうか。「日光市」の場合は、「日光市・今市市と3町村の対等合併」で、旧・今市市役所が新・日光市役所になり、かつ旧今市市のほうが旧日光市よりもずっと人口が多かったので、企業にたとえるならば「今市市を存続会社とし、今市市を商号変更して日光市とした」([72163] 白桃さん)と言うことになるのでしょうか。「完全対等合併」の形で発足し、元の市名のいずれも継承しなかった北九州市やさいたま市のような場合は、それぞれ「門司市」「浦和市」の発足日まで遡らず、新設合併で発足(市制施行)した期日を「市の誕生日」としてよいと思います。
町村の場合は、やはり「その町村名の誕生日」にそろえ、名称を継承した旧町村が現在の町村の中心でないことが明白で、役場の所在地でもない場合(例:箱根町)などの特殊なケースは個別に対応を考慮すべきでしょうか。

[91909] オーナー グリグリさん
都道府県と郡の施行日をどう扱うかが悩ましいかなと思っています
都道府県については、最終的に現在の県名が誕生した日とし、いったん他の県に合併されたあと名称が復活して再発足した場合(例:香川県)は、その再発足した日を「県の施行日」とするのがよいでしょう。郡については、明治29年からの「郡制」に基づく郡の再編により、そのときの合併の有無にかかわらず現在まで続いている「○○郡」が発足した日とし、その後に合併・分割・新設・改称が行われた場合は、その郡名が生まれた日をもって「郡の誕生日」とするのがよいでしょうか。

[91900] 菊人形さん
新庁舎情報(2016年)
10月 大阪府守口市 国道1沿い (南西へ約200m)
元「S電機」の本社ビルだったのを改装したものですね。
そのS電機がお隣の市の「幸之助さん」の電器屋さんに「身売り」して子会社になったので「余剰」になったのを、市が買い取ったらしいです。でも、その幸之助さんち、確かに本社工場の住所は「門真市門真」だけれども、その敷地は守口市にまたがっていて、しかも守口市側のほうが広く、本社の中枢になっている事務所も守口市域にあるようなのです。…この地図を見ると、その工場敷地の守口市域に「門真」の文字が見えているのですが、果たしてこれは「地図上に表記されない飛び地」なのでしょうか?それとも「地籍は守口市だけれども、建物は門真市にあるものとして扱っている」のでしょうか?謎です…。
♯名古屋名物として知られる「守口大根(守口漬)」、てっきり名古屋発祥だと思っていたら、ルーツはこの守口市にあったのですね…(こちら)
[91879] 2016年 10月 29日(土)20:20:10【1】伊豆之国 さん
Re:消え行く富士見坂 & ふじみ野市
[91824]
この問四についての考察を、後ほど書き込みたいと思っています
と書き込んでいたのですが、デスクトップ鉄さんに先を越されたので、少し視点を変えて、「消滅した(富士山が見えなくなった)富士見坂」「新しく誕生した富士見坂」の話をしたいと思います。
今回の五番勝負・問四の共通項がわかったとき、真っ先に浮かんできたのが、「近年まで『山手線内で最後の、富士山の姿を綺麗に望むことができた富士見坂』として写真撮影の名所になっていた」西日暮里の富士見坂([83670],こちら)でした。その西日暮里の富士見坂から富士の姿が視界から消え、最後の1ヶ所となった護国寺の富士見坂も、既にだいぶ前からご覧の通りと言った感じで、おそらくよほど空気が澄んで、そして注意深く見ていないと、「富士山が見えている」と言うことを確認できないような状況ではないかと思われます。都心方面にあった富士見坂から富士山が見えなくなった時期について、田代博氏のHPの中にこのような記事(まだ作成途中のようですが)があり、その中で目白台の富士見坂([91632] Nさん)は、昭和の終わり頃まで富士山が見えたようで、横関英一氏の「江戸の坂 東京の坂」には載せられていないのは、このHPで
明治100年(=昭和43年)を記念して富士見坂と改名されるまでは、坂上からY字に分かれる隣の階段坂とともに日無(ひなし)坂と呼ばれていました
と書かれていて、横関氏が「江戸の坂~」を執筆していた頃(昭和45年出版)には、まだ「富士見坂」の名が知られていなかったのではないかと思われます。

その一方で、新たに生まれた富士見坂や、今まで無名だったり別の名で呼ばれていた「富士山の姿を綺麗に眺められる坂道」が、いつしか「富士見坂」と呼ばれるようになった坂もあります。足立区内の、隅田川と荒川の間の「中洲」のような場所に10年余り前に造成された団地の中にできた「ふじみ坂」は前者の例で、写真で見た限り「いかにも人工的に作られた坂」と言った感じで、「低地帯で富士山が見えにくい足立区にあって、たまたま富士山が見える場所だったからその愛称が生まれた」のではないでしょうか。
後者の例としては、既に富士山が見えなくなった前出の目白台の富士見坂もその一つですが、現在でも富士山の姿を綺麗に眺められる坂道の例として、世田谷区岡本にあるこの坂があります。武蔵野台地の南東にあたる「国分寺崖線」の高台から多摩川沿いの低地に降りる急坂で、元々「岡本三丁目の坂」という「名前のない坂」だったのが、坂上からの富士山の眺めが絶景であることからいつしか「富士見坂」の「俗称」が自然発生的に付けられたのでしょう。
デスクトップ鉄さんが[91839]で引用されている「平成『富士見坂』事情」を見ると、「(東京23区内で)『富士見坂』と言う名こそ持たないが、現在(といっても既にもう9年も前ですが)でも富士山の姿を望むことができる坂道」が、大田区・世田谷区など、中心に50余り挙げられています。こうした「富士山が見えるのに『富士見坂』と呼ばれていない」坂道が多いのは、その多くが「岡本三丁目」と同様に武蔵野台地の高台から多摩川沿いの低地に降りる位置にあること、またこの方面がかつては一面の田園地帯であって視界が開けていて、富士山が見える場所がいくらでもあったことによると思われます。[83670]でリンクした、山手線の内側からわずかに外れているものの、今でも綺麗な富士山の姿を望むことができる上目黒の「目切坂」も、「かつてこの坂上に富士山を模した『ミニ富士』(「富士塚」…[83655] hmtさん)があった」とあり、「本物」と「ミニ」の両方の富士が見られるという「贅沢」を味わえる場所であったにもかかわらず、「富士見坂」と呼ばれたことはなかったようなのです。この「平成~」の記事を執筆した井手のり子氏によると
「富士見坂」とはこのようにどこからも見えている時代には富士見坂としての固有名詞にはなりにくい。その意味でこれらを現在「富士見坂」と名付けるにはこれからかなり時間が必要であろう。富士山が見える坂であることがその坂の特徴となって初めて名付けられてくるのであり
また、都心方面の富士見坂についても
江戸の町の市街化が進んで、坂がランドマークとしての機能を持つようになるが、どこからも富士山が見えた頃には坂名とは成り得ず、意外に後発の新規参入となったと思われる
と書かれています。西日暮里の富士見坂も、実はその「後発組」に入るようなのです。同じく「坂学会」の中のページにある「富士見坂考」(松本崇男氏)を見ると
坂の名は、花見寺の一つ妙隆寺にちなんで妙隆寺坂、あるいは花見坂とよばれた。(中略)この坂が富士見坂と呼ばれるようになったのは昭和5年頃のことで、坂上から富士山がよく見えるところからから富士見坂と呼ばれるようになったという。日暮里の富士見坂は昭和の命名なのだ
とあり、どうやら都心方面の富士見坂の大半から既に富士山が見えなくなっていた時期になってきて、この坂から「富士山の姿が綺麗に見える」と言うことから新たに「富士見坂」の名が自然に生まれたのではないでしょうか。
「富士山が見えなくなった」ことからいつしか「富士見坂」の名が廃れ、別の名に代わったり「本名」に戻ったりした坂もあります。渋谷の宮益坂([91641],[91820] k_itoさん)や、南麻布の青木坂などはその例でしょうか。

…「富士見坂」の話題はこれで一区切りとして、これも今回の五番勝負でちょっとした議論になっている「問二」ですが(「美学論争」はひとまず横に置くとして)、
[91868] ぺとぺとさん
[91869] 白桃さん
共通項:「自治体で唯一の駅」
地図が指し示すポイント:平塚駅、大磯駅、二宮駅、真鶴駅
かつて十番勝負でも類題が出たこの問ですが、これを例えば

【問X】:山形県尾花沢市、栃木県大田原市、埼玉県ふじみ野市、大阪府四條畷市、奈良県斑鳩町
     (地図が指し示すポイント…それぞれ芦沢駅、野崎駅(東北本線)、上福岡駅、忍ヶ丘駅、法隆寺駅)

とでもすると、結構難度が上がるのではないかと思うのですが。「まとも」なのは、最後の「柿食えば鐘が鳴るなり~」…最近デビューした若手メンバーのお膝元だけで、最初の2つは「自治体内で唯一の駅が、その自治体の玄関にもなっていない小駅」で、「かつては隣接自治体内の駅からその自治体の中心部(同名の駅もあった)まで鉄道が通っていた」、次の2つは「自治体と同名の駅がその域内になく、違う名の駅がその自治体内で唯一の駅である」ケースであって、共にそのことを知らないと「引っ掛け」られる恐れがありそうだと思うからです…。

♯今朝のTVで、「東武東上線」が放映されていて、ふじみ野市の「新(珍)名所」?も出てきました…。

ところで、先日、赤坂の「三分坂」界隈に社用で行ってきたことを書き込んでいましたが([91683])、その翌日には青山界隈に足を運んでいます。社用なので引き返してきたのですが、道筋にあった「あるもの」が気になって、我が家に戻って"Street View"で「その先」をたどって行くと、ある「仲間内」ではもしかしたら「聖地」になるかもしれないものがこの場所に…(駅名につられて降りてしまうと道に迷って日暮里、いや日が暮れてしまいそうですね(笑)…)。

…私事ですが、いよいよ「赤い服」を着る日が近づいてきました。その歳のせいなのか、このところつまらない書き込みミスが目立ってきました…。「クイ図五番勝負」と書くべきところ、5問中3問が変換忘れで「クイズ…」になっていたり、[91824]
渥美半島一蹴の観光バス
(もちろん「一周」ですね)と誤変換していたのに気づかなかったり…。

【1】リンク漏れ修正、「富士が見える坂」の地形の共通点について追記
[91824] 2016年 10月 23日(日)22:10:24伊豆之国 さん
第5回クイ図五番勝負を振り返って~越すに越されぬ大井川~
今回も五番勝負の感想文を書かせていただきます。

問二~広瀬川流れる岸辺~(銀メダル)
真っ先にわかったのがこの問二でした。お題の並びと想定解数から「女城主」に結びつくまでには時間がかかりませんでした。1ヶ月前の「みちのく独り旅」で訪れた伊達62万石の青葉城、今の当主は「恵美姫」(?)殿。「(十番勝負での)初代青葉城主盗り」を宣言した([91505])手前、その伊達氏の城下町を盗ることにしたのは必然の流れ。慣れない操作と「ピント合わせ」に手間取っている間に、本拠地・加賀はもとより全国各地に持つ領国から350万石余りを得ている北陸道の大大名に先を越され、惜しくも「銀賞」ということになりましたが、それでもこの結果にはまず満足です…。
[91711] 白桃さん
問二:静岡県伊豆の国市
伊豆之国さんがなぜココを答えなかったのでしょう。
もちろん「韮山城主」がご婦人であることは承知していましたが、それよりもまず「戦国市盗り合戦」の「予行演習」([91287])を優先したという次第です…。

問五~走る、走る、俺達~
お題の場所のリンクを開くと航空写真が見え、それを地図に切り替えると、いずれも「○○五差路」の文字が。NGの場所を見るとその「五差路」表示がないので、「交差点名称になっている五差路」だと。Wikiを見ると、圧倒的に多くの数がヒットしたのが、[91607]で鳴子こけしさんが答えた相模原市の「橋本五差路」。そのWikiでヒットした中から、都内とその近辺のをいくつか当たっているうちに、"Sun Plaza"と"Broadway"で知られた街に見つかった。

問四~夕焼け小焼けで日が暮れて~
これまで出てきた答えを見ると、いずれもある一定の方向に集まっているような気がすることを薄々感じていたところ、北陸道の大大名の北杜市([91637])の地図を拡大すると、「富士見坂」の文字が…。mizutohさんの護国寺の富士見坂([91640])は、山手線の内側で最後に残った「富士山が見える正真正銘の富士見坂」。k_itoさんの渋谷の宮益坂([91641])はその昔「富士見坂」とも呼ばれていたこと…。「富士見坂」というと、かつて山手線内随一の富士の眺望を誇っていた西日暮里の富士見坂。でも、坂下方向の高層マンションの林立で、3年余り前についに名ばかりとなってしまいました([83670],HP)。
[91654]
これはNGなのでしょうか?
と言うのは、「今は富士山が見えなくなった」と言うことでこのように書き込んだのですが、とうの昔に見えなくなっていた「宮益坂」とかお題の赤坂見附のがOKならこちらも大丈夫だろう、と思ったからなのでした。
この問四についての考察を、後ほど書き込みたいと思っています。

…残りの2問は、ヒントが出てからとなりました。

問三~名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ~
既出の答えから、高層ビルの上階とか小高い山の上とか、ともかく「展望台」関係か、と方向性が見えたものの、細部が詰めきれず。ヒントにリンクされた画像を見ると、しょっちゅうバスで通り過ぎているところ([91738])…。その映像、バスの上に見えているのは「百選印刷」。大笑いしましたが、「百選」だと…。早速「展望台 百選」でWeb検索すると、その中に「夜景百選」があった。そしてそのHPを見ると、既出解とぴったり合う。「十番勝負の過去問だ」!…。先月の道中で宮城県蔵王町に投宿した([91505])ので、「蔵王」つながりで、愛知県では数少ない富士見スポット([83722])、渥美半島の蔵王山(私は18年前に渥美半島一蹴の観光バスで立ち寄っています)を。
ところで、この田原市は、渡邊崋山ゆかりの町(田原市博物館HPより)。その昔、十番勝負でアナグラムを解き違え、崋山ゆかりの市を必死になって探して誤答になったあのメンバー(このところまたもご無沙汰されているようですが)を思い出してしまいました…。

問一~越すに越されぬ大井川~
やはりと言うか、「鬼門」の高速道路問題のこの問一が最後まで残りました。お題の富谷市で矢印の位置がICからも道路上からも大きく外れ、他にもピントがずれていたものがあったこともあり、最初は「何かの標識とか看板がある」とか「交わっているものがある」とかと思ったものの、それから"Street View"との照らし合わせもしたものの全く手がかりなし。第一ヒントが出て、リンクの画像を拡大すると山頂の表示に「400」の数字が見えて、「出口まで400mの標識」とか「料金に400円の表示がある」とか、ますます迷路にはまり込んでしまいました([91752]) 。それからふとお題と既出解を眺めていると、「最後の読みが『や』」だと…。k_itoさんの「芦谷」([91622])を「あしたに」だと思い込んでいたことも、共通項に気づくのが遅れた理由の一つ。「単純な読み問題だった」のを、十番勝負でもさんざん苦しめられている「鬼門」の方向だったことも、共通項読み違え→出遅れ→焦り→迷走、を招いたのでした。
選んだ場所は、開通してまだ日が浅い「第二東名」から、「越すに越されぬ大井川」のすぐ西側に。私には、すぐ近くで乗り越す大井川鉄道の「陸蒸気」のほうが気にかかりますが…。

♭今回の選曲は…
問二:仙台駅では、このメロディがあちこちで流れています。
問五:この区を象徴する建物に引っ掛け、「甲子園」の応援でも定番のあの曲…。
問四:この童謡の舞台とされている、k-aceさんの地元・八王子駅の発車メロディにもなっている曲。「日暮里」の地名に引っ掛けて選んだのですが、実は日暮里にもゆかりがあるそうです(こちらより)。
問三:渥美半島にゆかりのこの唱歌ですが、作詞した島崎藤村はこの地を訪れたことはなかったそうです([72181])。
問一:このところご無沙汰されているようですが、淡水魚さん、お元気ですか?…。
[91752] 2016年 10月 16日(日)15:12:37伊豆之国 さん
クイズ五番勝負
問一:静岡県島田市

難しく考えすぎ、気がついたらどんどんとんでもない方向に迷い込んでいました。
ヒントの画像をUPすると見えた「あるもの」にも惑わされました。
言われてみれば「な~んだ」と…
[91738] 2016年 10月 15日(土)23:23:33伊豆之国 さん
クイズ五番勝負
問三:愛知県田原市

問一は依然として手がかりがつかめません…。
ヒントのあの場所、さっき小田急デパートの「九州・沖縄物産展」にバスで行って帰ったルートでしたが…
[91683] 2016年 10月 12日(水)21:40:33伊豆之国 さん
Break Time~Re:三分坂 &朝霞市
「クイ図」の問一と問三、いずれも近くまでは来ているのですが詰めきれず、しかも答えの出が早いので結構焦っていますが、結局ヒント待ちということになりそうです…。

さて、ちょうど1年前に話題にした、東京・赤坂の「三分坂」([88891])。今日は社用でその「三分坂」の近くまで行ってきたので、再びこの坂にまつわる話をすることとします。
この「三分坂」、実際のこの地に足を運んで、下のほうから見上げると、やはりかなりな急坂であることが実感でき、逆に上のほうから見ると、見るからに足がすくんでしまいそうになってしまいました。坂の南側(坂下から見て右側)には、現在「一ツ木公園」となっている高台の石垣があって、生い茂る公園の樹木が、急坂感を増幅させていたように見えました。ところで、今の「三分坂」の周辺の地図を見ると、寺院が立ち並んでちょっとした「寺町」になっているのですが、その寺院などへ行く袋小路状の狭い道が目立ち、またTBSや「赤坂BLITZ」「赤坂サカス」など広大な敷地を持つ多くの大型ビルも立ち並び、もちろん江戸の昔とは周辺の状況も大きく変わってはいるのでしょうが、それでもお互いの場所の関係によってはこの坂を上り下りしないとかなりな遠回りを強いられて、「どうしても近道をしなければならないので、この坂で『通行税』として『銀三分』(=約20文)を支払わざるを得なかった」という状況になっていた、というのも頷けるような気もします。いわば、街道における「関所」のような役割を果たしていたのでしょうか。

この「三分坂」のある界隈から南西方向に行くと、「乃木坂」があります。近年ではアイドルグループの名に使われていることもあって知名度も大きく上昇しているこの坂ですが、この「乃木坂」の由来について、「東京23区の坂道」と言うサイトによると
坂の半ばの北側(赤坂8丁目11番)に乃木神社があります。かつてここには、乃木希典大将夫妻が住んでいましたが、明治天皇崩御に殉じて自刃した後、大正12年(1923年)に夫妻を祀る乃木神社がこの乃木邸があった地に創立されました。
乃木坂と命名される前から、この坂は、幽霊坂、行合坂、なだれ坂、膝折坂と呼ばれていました。岡崎清記『今昔東京の坂』は、これら名称の由来について、以下のとおり説明しています。
坂上で、竜土町(いまの六本木七丁目)へ行く道、すなわち外苑東通りに出会うことから行合坂と呼ばれた。
なだれ坂、膝折坂は、傾斜の急なこと、また傾斜が急でガクンと膝が折れるという意味で、この坂が急坂であったことを語っている。しかし、現在は、外苑東通りへカーブして上る道が坂になっているが、急坂というほどではない。
幽霊坂の暗さはいまはないが、『江戸切絵図』(近江屋版)を見ると、丹波山藩主谷播磨守中屋敷と鉄砲場(射撃訓練)に囲まれて「△ユキアヒサカ」とあり、外苑東通りを「リウドトイフ」としてある。人の気のない淋しい道であったことが分かる。
しかし、幽霊坂という懐しい名は、大正元年(千九一二)九月十九日、乃木将軍の葬儀と同時に廃され、乃木坂に改めたという。坂の北側に乃木神社がある
また、このサイトでも引用されている、横関英一氏著「江戸の坂 東京の坂」と言う本([88891])の中でも
ここで老馬が倒れたのは膝を折ったからで、それでこのところの坂を膝折坂と言ったのである
と書かれています。その「江戸の坂…」では、埼玉県朝霞市の「膝折」と言う地名についても触れ、やはり「馬が膝を折って死んだ」という地名の由来伝説が書かれています。朝霞市も、昭和7年に「朝霞町」になるまでは「膝折村」で([75907] hmtさん)、東上線の駅名も「膝折」と名乗っていました。
朝霞と言えば、ここも 話のタネ になる自治体名です。
元々は「膝折村」。しかし、戦前に誘致したゴルフ場にとり「膝折」とは縁起でもない。
そこで、ゴルフ倶楽部の名誉総裁だった朝香宮にちなんで「朝霞」と命名。[9697] [19684]
ゴルフ倶楽部キャプテンが出した 膝折村長あての 「改称許可書」 がありました
(朝霞市HP参照)

♭「乃木坂」の名が生まれるまでの秘められた暗~い過去、果たしてどれだけの人が知っているのでしょうか?
[91654] 2016年 10月 10日(月)22:47:58伊豆之国 さん
クイ図五番勝負
問四:東京都荒川区

…これはNGなのでしょうか?
[91627] 2016年 10月 10日(月)01:27:20伊豆之国 さん
クイズ五番勝負
[91620] 2016年 10月 10日(月)00:48:13伊豆之国 さん
クイ図五番勝負
[91516] 2016年 9月 26日(月)20:09:20伊豆之国 さん
駅名関係レス諸々
[91500] 白桃さん
[91506] mizutohさん
[91511] デスクトップ鉄さん
旧国名以外が駅名の接頭に用いられる例は?
会津、伊那、知多、木曽、郡上、碧海
何か「大物」が抜けているようですね…それは「津軽」。
「津軽」を冠する駅は、JRに5駅(津軽新城・津軽浜名・津軽二股・津軽宮田・津軽湯の沢…この春までは「津軽今別」も仲間だったのですが<現・奥津軽いまべつ>)、私鉄の津軽鉄道に3駅(津軽五所川原・津軽飯詰・津軽中里)、弘南鉄道に2駅(津軽大沢・津軽尾上)、計10駅あり、旧国名以外の地名では「会津」につぐ大所帯になっています。
このほかで、旧国名・県名以外の地名(郡・市区町村名、旧地名、その他広域地名等)を冠する駅には、郡名に基づくものとしては、複数の駅がある「安曇」「魚沼」「佐久」と言ったところがありますが、それ以外では90年も昔に消えた旧村名をいまだに冠し続けている「千歳烏山」「千歳船橋」([90451])などは、稀有な例と言えるのでしょうか。

次に、デスクトップ鉄さんの「オフ会クイズ」(想定解:[91466]) ですが、その問三
読みがすべてア段の駅
JR以外ではいくつあるのか、調べてみようとしたのですが、全部調べ尽くすのにはよほど根気が要りそうなので、まず東京近辺だけでも、と…。「読み」は共通項が見えやすいよう、ローマ字で示しました。

駅名読み路線所在地
多摩川Tamagawa東急東横線東京都大田区
田奈Tana東急田園都市線横浜市青葉区
長原Nagahara東急池上線東京都大田区
座間Zama小田急小田原線神奈川県座間市
栢山Kayama同上神奈川県小田原市
幡ヶ谷Hatagaya京王本線東京都渋谷区
中河原Nakagawara同上東京都府中市
山田Yamada京王高尾線東京都八王子市
浜田山Hamadayama京王井の頭線東京都杉並区
神奈川Kanagawa京急本線横浜市神奈川区
八坂Yasaka西武多摩湖線東京都東村山市
多磨Tama西武多摩川線東京都府中市
朝霞Asaka東武東上線埼玉県朝霞市
若葉Wakaba同上埼玉県坂戸市
高坂Takasaka同上埼玉県東松山市
多々良Tatara東武伊勢崎線群馬県館林市
Agata同上栃木県足利市
鎌ケ谷Kamagaya東武野田線千葉県鎌ケ谷市
赤坂Akasaka東京メトロ千代田線東京都港区
上毛電鉄群馬県前橋市
富士急山梨県都留市
中川Nakagawa横浜市地下鉄ブルーライン横浜市都筑区
中田Nakada同上横浜市泉区
高田Takata横浜市地下鉄グリーンライン横浜市都筑区
和田河原Wadagawara伊豆箱根鉄道大雄山線神奈川県南足柄市
穴川Anagawa千葉都市モノレール千葉市稲毛区
永田Nagata秩父鉄道埼玉県深谷市
山名Yamana上信電鉄群馬県高崎市
花輪Hanawaわたらせ渓谷鉄道群馬県みどり市
多田羅Tatara真岡鉄道栃木県市貝町
笹原田Sasaharada同上同上
川奈Kawana伊豆急静岡県伊東市
…ざっとここまで調べ上げましたが、まだあるかも知れません…。

「八田」とか「神田」がNGだとすれば、「っ」とか「ん」とかはそれだけで1音に発音されるから、と理解できるのですが、微妙だと思うのが「高茶屋(Takachaya)」(JR紀勢本線・三重県)。拗音(小文字の「ゃ・ゅ・ょ」)を含む場合、前のカナと一緒に1音に発音されるので、「た・か・ちゃ・や」と4音ということになり、ローマ字で書くとわかるように母音は全て”a”。こういう場合の扱いはどうなるのでしょうか?

それから、問一のほうですが、
大河原 JR東日本 宮城
松島 JR東日本 宮城
失礼ながら、今までどちらも「~ちょう」だと思い込んでいました…。宮城の松島町は「ちょう」で、熊本県にあった松島町(現・上天草市)は「まち」だと覚えていました…。迂闊ながら今ここで宮城のほうも「まち」だと知ったのでした。宮城県の「町」の読みに「まち」「ちょう」が混在していることは以前から知ってはいたのですが、震災報道で「南三陸チョウ」「女川チョウ」が連日のように報道されていたので、それで宮城県は圧倒的に「チョウ」だと染み付いていたのでした…。先日投宿した蔵王町(まち…こちらも「ちょう」だと思い込んでいた)の遠刈田温泉のリゾートホテル([91505])、パンフレットにあった住所の英語表記を見ると"Zao-cho"となっていました。地元でも「ざおうちょう」だと思っている人もいるのでしょうか?


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