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伊豆之国さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[92849]2017年5月9日
伊豆之国
[92830]2017年5月3日
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[92817]2017年4月30日
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[92809]2017年4月28日
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[92806]2017年4月27日
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[92849] 2017年 5月 9日(火)23:58:00【1】伊豆之国 さん
春から夏への北信濃路~花と歌に誘われて~
去る4日から一泊二日で信州への旅をしてきました。今日はその道中記を。

まず横浜線で八王子に出て、またまた「あずさ2号」、いや8時31分発の「スーパーあずさ5号」([92085])で終点・松本まで乗り通し。塩山駅を過ぎた頃から左手の車窓に、やや霞んではいたもののまだ白雪を被った富士山の姿が綺麗に見え、去年の今頃の道中で湖畔の町を歩いた([90510])その諏訪湖を左手に見ながら下諏訪を過ぎると、湖越しに山並みの切れ間から再び富士山の姿が遠くに小さく見えて…。
松本城は過去に3度見てきているので今回はパスして、「街角資料館」をいくつか見ることに。最初に見たのは最初に見たのは「時計博物館」。去年の道中で、諏訪にある同じようなのを時間に追われて駆け足になってしまったので([90510])、今度のは少し小ぢんまりとしたものではあったものの、じっくり見て回ることに。「おじいさんの時計」と説明が書かれていた柱時計を見て思わずあの童謡を思い出し、蓄音機も展示されていてレコードをかける実演も行われていました。次に見たのは「はかり資料館」。蔵作りの商家が立ち並ぶ風情ある町並みの中にある、かつて計量道具を売る商店だった建物を改装して資料館としたもので、館内には曲尺([92728],[92729] hmtさん)や、桝、天秤なども展示され、上皿天秤に大小のおもりを載せて「釣り合い」で重さを量るコーナーでは、小学校時代の実験を思い出して…。
立ち食い蕎麦で空腹を満たし、最後は川沿いにある「日本ラジオ博物館」へ。大袈裟な名前の割には小さな古い街中の店と言った感じの建物でしたが、中には草創期の鉱石ラジオから、昭和の戦前からの真空管式ラジオ、そしてトランジスタラジオと、ラジオの進化の歴史のほか、ラジオと関係深いテレビを初め、昭和の家電製品も所狭しと展示されていて、私が子供の頃に親しんできたスタイルの機器もいくつか見られて、懐かしい気分に…。
松本からは特急「しなの」で。姨捨付近からの絶景に見とれながら、3時少し前に長野駅に到着。さすがに善光寺参りは外せません。迂回運行していたバス(理由はあとでわかったので後ほど書きます)で最寄の「大門」前で下車して参道へ。とにかくこの日は真夏が来たような暑さ、ビルにあった気温表示を見ると27度。上着が要らないどころか長袖では暑過ぎて袖をめくって日陰になる西側を歩くことに。宿坊が立ち並ぶ道筋で、右手を見ると「兄部坊(このこんぼう)」の表札が目に入り、以前にその読み方が話題になったのを思い出して…。
善光寺では、山門が公開されていて、入場券を買って上に登り、参道と門前町の賑わいが一望だったのですが、どうも何だか見たことがあるような感じが…。実はこの道中に旅立った前日に鎌倉を訪れており、「材木座にある『光明寺』の山門が特別公開されている」という情報を得ていたので、江ノ電沿線の混雑を避けてぶらり歩いて、その光明寺の山門の中を見てきていて、しかもどちらも同じように仏像が何体も安置されていた光景を見ていたからだったのでした…。

お参りの帰りは、長野駅まで下り坂が続く参道をぶらり。車道は歩行者天国となって、花のアートが作られて展示された「花回廊」の催しで賑わっていました。それから長野電鉄で終点・湯田中駅へ。夕方の時間帯、なぜか信州中野止まりだった特急電車は、「成田エクスプレス」で使われていた車両。JR時代は全く縁がなかったので、今回が「初乗り」。かつては地方私鉄としては先進的な通勤電車を新造するなど意欲的だったこの私鉄も、長野五輪以降の「負の遺産」を引きずり、閑散支線は廃止([77584] Issieさん、[77586] スナフキんさん)、今走っている車両も、オリジナルのが消えて通勤車両は元日比谷線のに代わって元東急のステンレス車が主力となり、特急は「NEX」に元小田急ロマンスカーと、首都圏から来た電車の寄せ集め。駅の施設も見た目にも老朽化・手入れの悪さが目立ち、地下区間のホームも薄暗い印象で、地方私鉄の置かれた環境の厳しさを身にしみて感じてきたのでした。
新しくなった千曲川の鉄橋を渡ると、のどかな田園風景が。沿線に広がる果樹園には盛りを過ぎた白い林檎の花と、花盛りの濃いピンクの杏の花。まだわずかに残っている桜の花と、まだまだ見頃が終わっていない八重桜、北信濃の里は春爛漫…。
特急の終点・信州中野で、冷房改造されてまだ残っていた元日比谷線の車両だった鈍行に乗り換え、過去2度訪れたときと変わらぬたたずまいの駅舎が残っていた湯田中駅で降りて、送迎バスで10数分の、志賀高原とは逆方向の高原地帯にあるホテルが今宵の宿。連休に入った初日にネットで空きがあることを見つけて、奇跡的?に取れたのですが、「夜景がすばらしい」というネット情報にたがわず、日が暮れると眼下には町の灯りが広がり、夜空を見上げると、満天の星空に半月が浮かんで…。
翌朝はまず湯田中駅に戻って温泉街を少しぶらぶら歩いた後、信州中野駅で降り、大正・昭和の「日本の歌」の世界に偉大な足跡を残した、作曲家中山晋平と文学者高野辰之の2人の記念館を回ることに。交通が不便で、しかもそれぞれだいぶ離れた場所にあるのでタクシーで、まず中山晋平記念館から。歌謡曲のイメージが強い晋平ですが、「シャボン玉」「背比べ」「しょうじょう寺の狸ばやし」などの童謡や、各地の「新民謡」の作曲も多く手がけており、幅広い作曲活動をしていたことを改めて認識したのでした。それから千曲川を渡って反対側の旧豊田村にある高野辰之記念館へ。辰之が学んだ小学校の跡地に建つ素朴な建物で、2階の窓からは代表作「故郷」に歌われる「かの山」も見えて…。懐かしい歌に感慨に浸っているうちに、タクシーを替佐駅で降りたのですが、でも、この2つの記念館、結構な距離があり、しかもどちらも館内での紹介ビデオを見たりしてじっくり時間をかけて回ったことから、同じ中野市内から一歩も出ていないにもかかわらず、タクシー代は5桁の大台に乗ってしまいました…。替佐駅は、辰之が故郷を後にした駅。小ぢんまりとした駅舎で、無人になっていると思いきや、切符を売る駅員の姿が。発車メロディーは、これも辰之の代表作「朧月夜」…。
替佐から飯山に出て、まずバスで「菜の花まつり」の会場へ。それから市街に戻って寺町散策。列車本数の少ない飯山線の制約と、季節はずれの暑さによる疲労感もあり、全部はとても回りきれないので、線路の西側の山裾のこの辺りを中心にいくつかをお参り。飯山市は仏壇作りでも有名らしく、「雁木」のある沿道には仏壇屋さんが立ち並んでいました。線路際に展示されたSL「C56型」を見て、飯山駅に戻ったのですが、北陸新幹線の開業で駅が移転し、中心街から遠くなったようで、元の駅前通りと思われる桜並木の通りは閑散とし、ホームに鐘突き堂があった元の駅は消え、場違いな印象の新幹線の駅舎が周りの雰囲気から浮き上がったように見えて、これでは県内で最も人口が少ない飯山市の将来がますます不安になっていくようにも思えたのでした。
飯山からは再び飯山線で、千曲川の流れに見とれながら、鉄道沿線では積雪日本一の看板が建つ森宮野原駅を過ぎて県境を越えて越後路へ。沿線の民家を見ると、比較的新しいものは1階部分がコンクリート造の倉庫や作業場になっていて、2階以上が住居になっている造りのものが多く見られ、豪雪を考慮した頑丈な造りが、中越地震での被害を少なくしたと言われているようでした。十日町で「ほくほく線」に乗り換えて越後湯沢で小休止。売店でいろいろみやげ物を探し、結局「南魚沼コシヒカリ」5合をGetしたのですが、新幹線のホームに駅弁がなく、結局買えないうちに発車時刻に。しかも列車が車内販売ができない2階建ての「MAX」。「東京駅で…」と思っているうちに、「車内に売店が…」とアナウンスがあり、見ると駅弁がまだかろうじて残っていた…。最後は慌てましたが、今回の道中、天候にも恵まれて、無事に帰還できたのでした。
[92830] 2017年 5月 3日(水)21:20:34伊豆之国 さん
Re:クイズの季節ですが…
白桃さん、何よりもお元気で本当によかったです。あとはオーナーさんが…

いつもならば今頃はクイズも既に終盤、と言った時季なのですが、これがないとなるとやはり寂しい、盛り上がらない…。実は私も半月ほど前にクイズを出していたのですが([92796])、こんな状況のせいなのか、誰からも飯能がない…。

以下の各問に列挙した、現存する「村」にはある共通する特徴があります。それは何でしょうか?
同じ特徴を持つ村をそれぞれ一つだけ挙げてください。
【問X】 山形県大蔵村、福島県中島村、神奈川県清川村、山梨県小菅村、熊本県西原村
【問Y】 岩手県野田村、福島県中島村、富山県舟橋村、岡山県新庄村、大分県姫島村
<第一ヒント>…該当する「市」
 問X :富士見市、多摩市、綾瀬市
 問Y :福島市、我孫子市、阪南市


そこで、今回は第二ヒント(アナグラム)を出すことにします。

 問X :酸に苦汁(さんにくじゅう)
 問Y :お菓子押さない(おかしおさない)

…お暇な方はどうぞ。
[92817] 2017年 4月 30日(日)22:02:34伊豆之国 さん
和歌の浦に潮満ち来れば片男波 & 中津市
一昨日、文化庁は「日本遺産」に新たに17件を認定した、と発表しました(読売新聞より)。
今回新規認定されたものには、「伊賀・甲賀の忍者」「北前船の寄港地」「関門海峡の近代化遺産」などがあります(詳細については後日詳しく発表されると見られますのでここでは割愛することにします)が、この中で気になったものから。

「絶景の宝庫・和歌の浦」とは、おそらく萬葉集にも詠まれている本来の「和歌の浦」(こここちら)の海岸一帯のことでしょう。この辺りの細長い砂州「片男波」の名は、山部赤人の和歌「若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺を指して鶴(たづ)鳴き渡る」の中の「潟を無み」(潟がないので)の意味が後世わからなくなり、「片方しか波が来ない」→「片男波」という地名と解釈されるようになった、言われているようです。大相撲の片男波親方の名跡も、ここから来ているのでしょう。
本来の和歌の浦の西側、雑賀崎にかけての海岸沿いの「新和歌浦」と呼ばれる一帯は、背後の山の中腹に眺望を売り物とした観光旅館が立ち並び、関西の一大観光地として知られていましたが、温泉地でないこともあって、昭和30年代頃をピークに既に減少傾向に入り、平成に入る頃には「水泡経済」崩壊と旅行スタイルの変化により宿泊客も激減し、倒産・廃業に追い込まれた旅館が続出、今なお取り壊しもできず廃墟状態となって無残まな姿をさらけ出したままの旅館や、かろうじて営業は続けていても「開店休業」状態になって荒廃しているところもあって、いまや関東の「鬼怒川」と並ぶ「廃墟旅館巡り」の「聖地」となっているとも呼ばれているようです(レポート例)。

最後のところにある「やばけい遊覧」。「やばけい」がひらがな表記になっているのは、「落書き帳」でもしばしば話題になっている、同じ中津市内になった今もなお書き分けられている(旧)「耶馬溪町」「本耶馬渓町」の字体の違い([83354] hmtさん、他)を無視するわけには行かなくて、同じ大分県内の「くじゅう」の表記の違い-「久住」と「九重」-を考慮して同様にひらがな表記にした「阿蘇くじゅう国立公園」の例[92754] hmtさん)に倣った、と言うことからでしょうか。
[92809] 2017年 4月 28日(金)21:13:07伊豆之国 さん
選挙ネタ2題 & Supertown
[92804] Takashiさん
町議選で新人候補の得票0票
総務省の担当者は「地方選挙の細かいデータを取っているわけではない」と断った上で
選挙で1票も得票できなかった例は聞いたことがない
こんな話、その昔どこかで聞いたことがあったなぁ、と思っていたら、半世紀以上前の栃木県で起きたある出来事([91787] 山野さん)。
現在は小山市に併合されている「旧・桑絹村」
選挙戦の結果です。(分村反対派が当選/得票を得た者は3人)
旧桑村派、旧絹村の分村反対派、旧絹村の結城市合併派の3人のみ
これ以外の199人の立候補者は190人が自分にすら投票しない0票
総務省さん、もう訂正されているのでしょうか?

[92802] BEANさん
東京都が大変なことになっておりまして
[92807] 中島悟さん
これは・・・酷いですねえ・・・
アダムズ式で29区を割り振っても高止まりだというのに、25区しか無いのだからそもそも無茶ですね
この機会に改めて拝見させていただいた、中島悟さんの6年前の力作シリーズ([79645]、他)と見比べてみると、当時とは人口増減など状況・条件も違っているとはいえ、今回の「案」、いかにも「数合わせ」であまり地域の実情も考えずにいかにもただ「継ぎはぎ」した、と言った感じで、何だか選挙民が振り回されていると言う感じ、まさに同感ですねぇ…

ところで、千本桜さんのお膝元・宮城県大河原町の満開の桜並木と、レトロ列車の顔合わせのレポート記事が、こちらにありました。列車に乗り、レポートした日が12日前なので、今はもう葉桜、と言った感じなのでしょうが、なかなか桜の見頃に遠出できなかったこともあり、こんな景色に出会ってみたかったなぁ、と思ったのでした。大河原から船岡駅まで歩いた、昨年秋の「みちのく独り旅」([91505])で見てきた船岡城跡の風景も出ていましたが、線路と並行する道路の大渋滞、毎年こんな様子なのでしょうか?
[92806] 2017年 4月 27日(木)23:21:44伊豆之国 さん
トウカイリン太郎さん
自称「落書き帳の苗字ネタ四天王」(メンバーのうちの2人が入れ替わっているようですが)の一角を占めるこの私、またまた「苗字」ネタです…。

今晩のTV番組で、「世にも不思議な読み方をする苗字」がいくつか紹介されていました。
全国的にもメジャーな苗字である「長谷川」さん、「清水」さんを初め、ゲストに出ていた「仁科」さん、「五月女(そうとめ)」さんなどが出できましたが、この中で「メインテーマ?」になっていたのが、「東海林」さん。
「東海林」さんは、全国に2万人以上いると推定され、全国ランク800位台に位置する、案外多い苗字になっていますが、その大半は東北から北海道で、山形県が最多で全国の約4分の1を占め、次いで秋田、北海道、宮城の順となっています。この「東海林」と言う苗字の読み方、最も多い山形県では字の通り「とうかいりん」とまともに音読みするのが一般的なのですが、世間一般では、文字を見ただけではどこをどうしてそう読むのか見当もつきそうにない「しょうじ」と言う不思議な読み方が広まっています。この「しょうじ」と言う読み方の出どころに関して、レポーターが山形県内の東海林姓の旧家を訪れ、蔵の中に残されている古い文献などに「荘司」「庄司」と言う文字が見えていて、「東海林(とうかいりん)」氏が荘園の管理者を意味する「荘司(庄司)」と言う職に就いて、実際に「荘司(庄司)」氏を名乗ったときもあること、その一族が今の秋田県に移ったとき、「荘司(庄司)の東海林さん」がらいつしか「東海林」と書いて「しょうじ」と読むようになり、今でも秋田県では「東海林」を「しょうじ」と読むのが多い、と言う話が紹介されていました。「しょうじ」と言う難解な読み方が広まったのは、昭和の戦前に東海林太郎氏が一躍人気歌手として全国に知られるようになったことも大きいとされているようです。
「東海林」さんの分布について、「写録宝夢巣Ver10」([92775])により詳しく調べてみると、最多の山形県ではそのほとんどが山形市など村山地域に集中し、天童市で市内12位、東根市・尾花沢市でも20位以内、実数で最多の山形市でも25位に入る一方、南部の米沢・置賜地域や北部の最上・庄内地域ではあまり見られません。また、秋田県では、県南部に集中し、由利本荘市が最多で200件近くあり市内24位、横手市でも30位以内に入っています。
「写録~」を初め、出回っている苗字サイトの多くは、「文字」レベルであり、「読み」まで詳しく調べるには「紙」の電話帳で調べることが一番、と言うことになるのでしょうが、地域的にも近く東北各地から移住者が集まる仙台市にもかなりの「東海林」さんがいるのですが、仙台での読み方は両者が拮抗していると言うようです。また、やはり東北からの移住者が多い北海道では、「しょうじ」が圧倒的に多い、と言うらしく(以前にどこかでネットから見たのですが、どこにあったのか既に失念…)、全国的に見ると、結局「しょうじ」と「とうかいりん」の両者はやはり伯仲している、と言うことになるのでしょうか。
♯「東海林さん」の由来と読み方についての詳しい資料がこちらに出ていました。このサイトの作成者が山形県民のようなので、山形県の苗字に関しては大変詳しいものがあり、大いに参考となるものがあります。

少し横道にそれますが、「しょうじ」と言う読み方の苗字には、この「東海林」や数では最多の「庄司」を初め、いろいろなバリエーションがあり、東北地方に多いものが多く見られます。仙台市には「庄子」と書く「しょうじ」さんが非常に多く、特に青葉区に密集し、700件以上あって区内5位、若林区・太白区でも10~12位に入り、全国の7割近くが仙台市とその周辺に集まり、仙台では大変メジャーな苗字になっています。

それから、「仁科」さん。信濃国安曇郡仁科、現在の大町市付近がルーツとされ、仁科三湖仁科神明宮などがあります。この「仁科」と言う地名の由来は、「に」は「赤土」(=丹)、「しな」は「階段状の地形」と言う説が有力とされるようですが、「仁科」と言う地名はわが親父の田舎・西伊豆にもあります。観光名所「堂ヶ島」を擁し、西伊豆町の中心となっている地域ですが([83026])、信州の仁科とは何か地形的に共通点があるのでしょうか。気になります。


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