都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

銀行は都市商業の象徴 

トップ > 落書き帳アーカイブズ > 銀行は都市商業の象徴 
記事数=21件/更新日:2006年2月5日/編集者:special-week

明治期に銀行が設立されて以来、銀行は都市の商業の中枢機関となり、存在力を大きくしていった。銀行名もいろいろなものが登場しているが、地域や都市名を冠する銀行名も多く、地元に親しまれている。

… スポンサーリンク …

★推奨します★(元祖いいね) 林檎侍


[4114] 2002年 10月 23日(水)14:58:20G[わたらせG] さん
都市と銀行
ふと、街を車で走っていて思ったのですが、昨今の銀行合併により、銀行の支店統合が進み、昔あったはずの銀行がなくなっている。または、ATM設置のみになっている。私の住んでいる街は人口減少が著しく、産業の基盤もないので、いたしかたないことですが・・・。こんな観点から都市の盛衰を見るのもおもしろいのではないかと・・・。みなさんのお住まいの街はどのような状況でしょうか?
[4129] 2002年 10月 24日(木)23:46:44黒髪 さん
Re:都市と銀行
[4114]わたらせGさん
>みなさんのお住まいの街はどのような状況でしょうか?

ある銀行の両隣が「みずほ銀行」(旧第一勧業銀行と旧富士銀行)である以外はいたって平和です。みずほ銀行の二つの支店が、いつになったら統廃合されるのか(どちらが無くなるのか)楽しみにしています。
[5003] 2002年 11月 17日(日)23:59:36いな さん
年度替わり、4月1日の危険
[4628] まがみさんの調査で、新市のスタート時期は4月1日が多いと言うことが明らかになりました。
[4681] にて、その理由として、気分一新・負債精算論を屁理屈としてこじつけておきました<私
[4683] にて、YSK さんから、そりゃもっともだ・・・と、ご理解を表明していただきました(笑)

ところがこの4月1日の誕生日は、そうも簡単に決めるべきじゃないぞと、私としては警鐘を発しておきたいと
思うのであります。

●4月1日合併の事例
 2002/04/01(月) みずほ銀行=第一勧業銀行+富士銀行+日本興業銀行
  皆さんまだ覚えています?ことしの4月のこと・・・あの大混乱を
  新電算システムの確認不十分なまま、当初の予定どおり4月1日の月曜日からスタートさせたために、
  システムトラブルが多発し、社会問題にまでなったこと。
  引き落とし洩れなど、その収束にゴールデンウイーク明けまでかかったこと・・・
  電算システムの事前チェックの時間が十分に取れず、問題点がわかっていたにもかかわらず、
  見切り発車の決断をしたことで、経営責任として問われているわけですが・・・
  (まあ、新社長の初期の情報把握が悪く、インタビューで不評を買ったのが最悪なんだけど)
  あれで、このままではお客様に迷惑がかかるから、しっかりシステムを止めてチェックができる
  ゴールデンウイーク明けまで待って、5月7日の火曜日までスタートを遅らせる(少なくともシステム面は)
  というふうに、すべきだったのでしょう・・・
  これは、年度切替えの時期(お金の移動・人の移動・組織の移動などとの重なり)に合わせたことによる
  失敗事例であります。

●なんの脈絡もない日の合併事例
 2002/01/15(火) UFJ銀行=三和銀行+東海銀行
  ここでも、システム統合が行なわれておりますが、そのチェックを徹底的にやったと思われます。
  年末年始の連休を使ってシステムを止めてチェック(~1/6まで)したうえで、さらにその1週間後の
  成人の日をはさんだ3連休(1/12,13,14)で最終確認し、翌日からのスタートとしております。
  この時期、年始早々につき、お金の出し入れ・人の移動もいちばん少ない時期であり、実際には
  立上がり直後にいくぶんのトラブルはあったものの、大問題として顕在化するには至らなかった。
  成功例とは言い切れないようなのですが、それなりに最大限の手を打って最小限の問題にとどめた
  危機管理の事例だと思います。

そこで・・・
合併のスタート時期の決定に当っては、作戦も戦略もなく、ただ単に年度切替えでキリが良いから、
などという、安易な考えはやめたが良いと思います。 <各合併協議会関係者各位
(システム確認は最終チェック含めて2月中に全て終えていて、3月はバッファと言うんだったら、いいけど)
ちなみに、2003/4/1は火曜日ですが、いまんとこ12もの市町のスタート予定だけど、しんぱいだなあ・・・
[9374] 2003年 2月 17日(月)16:49:48special-week さん
金融の地、日本橋・丸の内を歩く
 本日、日本橋および丸の内界隈を歩いてきたんですが、この界隈には銀行、信用金庫がうじゃうじゃあります。本当にこんな名前の銀行があったのか!?と思うぐらいありますね。にぎやかなまちだと4大メガバンクばかりでつまらないのですが、この界隈は地方銀行も東京支店という形で立地しているので、各地方の銀行や信用金庫が見れます。そういえば、群馬に行ったときに吾妻信用金庫なるものを見た気がするなあ。今日は武蔵野信用金庫を見ましたよ。こうなると三鷹信用金庫とかもないと不平等?(笑)
 ほかにも銀座などを歩くといろいろな銀行&信用金庫をみることができますね。
[9497] 2003年 2月 20日(木)09:22:41【2】YSK さん
足利は、両毛の雄
[9481]雑魚さん
足利学校に象徴される街のステイタスが作用したか、あるいは足利自体の地勢的な要衝性が高かったか、いずれにせよ後発の足利中改め足利高の拠点性が長らく高かった様で、
やはり、両毛地域で都市といえば足利、といったステイタスだと思います。今でこそどんぐりの背比べ的な同じような規模の都市の乱立状態となっておりますが、高度経済成長期の中頃(1960年代後半から1970年代の前半くらいまで)までは、足利は両毛の中では卓越した中心性を持つ都市だったと思います。 国勢調査ベースで太田市の人口が10万人を越えたのは1975年になってからのことで、対する足利市の場合、1950年代には既に人口は10万人を越えていたようです。また、人口規模の観点でも、現在でも足利市は両毛地域では最も多い人口を擁していますからね。

太田市でも、名家の多くの子ども達は、足利高校に通ったのだそうです。また、工業高校や商業高校などが各都市に設立される前までは、足利や桐生にしかこういった高校はなく、そういった面でも多くの通学者を集めていたようですね。

また、足利の中心性を象徴する存在が、「足利銀行」ですよね。不良債権を抱えてその存立が危惧されているとはいいながらも、栃木県最大の地方銀行です。これは、戦中の統制経済下における、いわゆる「一県一行政策」により県単位に銀行が統合された結果ですが、栃木県の場合県都宇都宮ではなく、足利市を基盤とした銀行がその座についたことは、足利市の往時の繁栄ぶりが伺えますね。現在でこそ同行の本店は宇都宮市の所在ですが、1965年までは本店は足利市に立地しました。

以上のようなことを考えますと、やはり、「足利は両毛の雄」なのだと思います。
[11208] 2003年 3月 14日(金)12:21:43N-H さん
合体企業名
[11203] special-week さん
ちなみに前述の燕三条駅。高速道路のインターチェンジ名は、三条燕。
自治体としては、こうやって中和しているんだろけど
この例にならったのが三井住友銀行です。
意味がわからない方は三井住友銀行のページをごらんになって発見してください。
http://www.smbc.co.jp/
[11214] 2003年 3月 14日(金)12:57:17ペーロケ[utt] さん
Sumitomo Mitsui Banking Corporation
[11208]N-Hさま
この例にならったのが三井住友銀行です。
有名な例ですね。英語で書くと逆です。
しかし、太陽神戸三井銀行時代はどうやってバランスを取っていたのでしょうか??
[11228] 2003年 3月 14日(金)16:23:30まがみ さん
Re: 合体企業名
[11208]N-H さん

[11208]N-H さん
この例にならったのが三井住友銀行です。
銀行名って、多くは合併したときにそれぞれの名称をつなげたものが多いんじゃないでしょうか。三井住友銀行、東京三菱銀行、(旧)太陽神戸銀行、(旧)太陽神戸三井銀行、(旧)第一勧業銀行、中央三井信託銀行、近畿大阪銀行…

八十二銀行(長野市)は第十九銀行と第六十三銀行が合併してできた銀行だし、三和銀行も第三十四銀行・第十三銀行(のち鴻池銀行)・第百四十八銀行の3つの銀行が合併したので「三和」(この命名法、全国各地の「三和町」などと同じ)

民間企業にしても、石川島播磨重工業、(旧)日石三菱、吉野家ディーアンドシーなど、合併前の企業の名称をつなげたものが散見されます。
[11229] 2003年 3月 14日(金)16:58:54N-H さん
Re:合併企業名
[11228] まがみ さん
銀行名って、多くは合併したときにそれぞれの名称をつなげたものが多いんじゃないでしょうか。
いや、そういうことが言いたいわけではなくてですねえ、[11214]でuttさんがおっしゃっていることを言いたかったわけです。
どちらからも異論がでないように、順番をひっくり返したものを英文名称にしたと。
ところで太陽神戸三井が一旦はさくらになったものの結局三井住友となって三井が復活したわけですが、やはりさくら側としてみれば、旧財閥の名を出すことで自分側のインパクトを少しでも強くしたかったということなのでしょう。
そしてこの合併は旧財閥同士といえども垣根を越えて連携せざるを得ない時代が来たという象徴でもあった。
そうなると、住友が先か、三井が先かではどうしてももめますね。で、燕三条と三条燕のような例にならったわけです。
しかし、合併時の列挙をそのまま引きずると大変なことになるなあ。
太陽神戸三井住友銀行、第一勧業富士興業銀行、協和埼玉大和銀行……
[11244] 2003年 3月 15日(土)00:37:53【2】まがみ さん
Re: Re: 合併企業名
[11229]N-H さん
いや、そういうことが言いたいわけではなくてですねえ、[11214]でuttさんがおっしゃっていることを言いたかったわけです。
どちらからも異論がでないように、順番をひっくり返したものを英文名称にしたと。
そうでしたか。勘違いしてました。
というのは、私は、三井住友銀行の場合、合併したときの存続会社が住友銀行、さくら銀行は法律上(=合併手続き上)は解散ということになっていたので、

日本語の名称…
 日本語は末尾が大事(「ワニバナナ」はバナナを指し、「バナナワニ」といったらワニのこと)
  →いちおう、存続会社が住友銀行なので、住友の方を最後に付けた
英語の名称…
 英語は最初に結論を持ってくる(三井住友銀は違うが、東京三菱銀はThe bank of Tokyo-Mitsubishiで、
                bankだということを最初に言っている)
  →いちおう、存続会社が住友銀行なので、住友の方を最初に持ってきた

ということかな~と勘繰っていたので、日本語と英語のときに順番がひっくり返っているのも当然なのかと思っていたからなのです。

[11236]TKS-H さん
合併の母体銀行の一つは山口銀行ではありませんでしたか?
おっと失礼しました、注釈の付け忘れです。第百四十八銀行がのちの山口銀行です。ですから合併時には「三十四」「鴻池」「山口」の3行が合併したことになります。
[13623] 2003年 4月 21日(月)13:52:27【3】太白 さん
明治期に設立されたナンバー銀行(その1:北海道・東北・関東編)
 明治初頭の1872年、実業家として有名な渋沢栄一らの働きかけにより、「国立銀行条例」が出され、「国立銀行」が設立されました。実際には、国が設立した銀行ではなく、兌換紙幣(実物の金(gold)との交換を保証する紙幣)を発行することが許された民間銀行でした。当時は金本位制であり、戊辰戦争後の戦費などで明治政府の財政は厳しい状況にあったため(三井などの政商からの借金もあり、地租改正の前後で収入も不安定)、民間に「国立銀行」を作らせました。で、できたのが(東京)第一国立銀行(現みずほ銀行の一部)・(横浜)第二国立銀行(現横浜銀行)・(東京)第三国立銀行(現みずほ銀の一部)・(新潟)第四国立銀行(現第四銀行)です。
 しかし、「金」という裏づけを持っていないと紙幣が発行できないため、資産家でないと「国立」銀行を開設できず、それ以上の銀行はできませんでした。そこで、1876年の国立銀行条例改正で不換紙幣(金との交換を保証しない、銀行の信用に基づく紙幣)も発行できるようにしました。すると、雨後のタケノコのように銀行が設立され、第百五十三銀行まで設立されました。
 これらは、江戸時代からの「両替商」から発展した銀行とは別です。現在は、多くの銀行は地方銀行になっており、中には都市銀行と合併、またはその母体となったものもあります。

 …と、ここは地理サイトですので、このとき設立された銀行の一覧をまとめました。
 「地名+第○○銀行」となっているので、当時どの都市が地域の商業の中心地であったかがうかがえます。

153もあるので分割して、まずは関東以北をまとめました。

番号ナンバー銀行名継承銀行現在
113函館第百十三銀行北海道拓殖銀行北洋
149函館第百四十九銀行三菱銀行東京三菱
59弘前第五十九銀行青森銀行
150八戸第百五十銀行--
88一ノ関第八十八銀行岩手銀行
90盛岡第九十銀行岩手銀行
77仙台第七十七銀行七十七銀行
48秋田第四十八銀行秋田銀行
72酒田第七十二銀行--
81山形第八十一銀行両羽銀行山形
125米沢第百二十五銀行--
140山形第百四十銀行荘内銀行
93三春第九十三銀行三春→東邦銀行
93梁川第百一銀行第百一銀行-
107福島第百七銀行第百七銀行-
108須賀川第百八銀行--
50土浦第五十銀行常陽銀行
62水戸第六十二銀行常陽銀行
104水戸第百四銀行常陽銀行
120古河第百二十銀行--
41栃木第四十一銀行第一銀行第一勧業→みずほ
39前橋第三十九銀行群馬銀行
40館林第四十銀行第一銀行第一勧業→みずほ
85川越第八十五銀行埼玉銀行あさひ→りそな
98千葉第九十八銀行千葉銀行
142銚子第百四十二銀行三井銀行さくら→三井住友
143八街第百四十三銀行--
1東京第一銀行第一銀行第一勧業→みずほ
3東京第三銀行富士銀行みずほ
5東京第五銀行三井銀行さくら→三井住友
15東京第十五銀行三井銀行さくら→三井住友
20東京第二十銀行第一銀行第一勧業→みずほ
27東京第二十七銀行--
30東京第三十銀行三和銀行UFJ
33東京第三十三銀行--
36八王子第三十六銀行富士銀行みずほ
44東京第四十四銀行富士銀行みずほ
45東京第四十五銀行--
60東京第六十銀行--
95東京第九十五銀行--
100東京第百銀行三菱銀行東京三菱
112東京第百十二銀行--
118東京第百十八銀行富士銀行みずほ
119東京第百十九銀行三菱銀行東京三菱
2横浜第二銀行横浜興信銀行横浜
74横浜第七十四銀行横浜興信銀行横浜
132保土ヶ谷第百三十二銀行--

まだ明治初期だからか、旧城下町での設立が意外と目立ちます。開拓初期の北海道の銀行は函館だけです。
東北では、「新興」の青森にないのと、福島で梁川町と城下町三春に設立されたのが目につきます。
栃木は宇都宮(一応城下町なんですよね…)や足利にありません。群馬では高崎にはなく館林にあります。
埼玉では、市制の一番早い川越(これも城下町)にだけ設置されており、これは順当な気がします。

 多数の銀行が設立された東京は、東日本では圧倒的に商業・金融が盛んだったといえますが、「国立系」以外にも、その後の財閥へと成長する銀行がありますので、国立銀行の数だけが絶対的な指標ではないかと思います。
 また、設立された銀行が1つの都市と2つの都市(函館、水戸、横浜)を比べて、多い方が商業が盛んだとは当然にはいえないと考えます。地元の有力者が強い影響力を及ぼして2つめが設立できなかった、などの可能性も考えられますので。

 関東以北で現在まで「ナンバー」が残っているのは「七十七銀行」だけです。
東京の栄えある「第一銀行」の名は、みずほ銀行設立により消滅してしまいました。

 なお、第五銀行以降は短期間に一気に設立されているので、銀行の数字の大小と設立された都市との関係(山形より酒田が数字が小さい、など)を論じることは意味がないかと思います。

※一部、銀行の名称だけでは設立地が不明なケースがあり、現在の銀行名等から推定しておりますので、情報が不正確な可能性があります。
[13636] 2003年 4月 21日(月)16:29:08f さん
Re: ナンバー銀行
[13623]
で、できたの が(東京)第一国立銀行(現みずほ銀行の一部)・(横浜)第二国立銀行(現横
浜銀行)・(東京)第三国立銀行(現みずほ銀 の一部)・(新潟)第四国立銀行(現第四銀
行)です。
これは誤りで、第三国立銀行は国立銀行条例改正後にできました。したがってそれ以前に設立
済みの国立銀行は3つかというとやっぱり4つでして、大阪第五国立銀行が加わります。
もともと第三国立銀行は東京でなく大阪に鴻池が作る予定だったんですが、営業開始前に解散
してしまい、後にその免許を譲り受けた安田が1876年年にようやく設立したという歴史があり
ます。
1873. 7.20 (東京)第一国立銀行開業。
1873.12.10 (大阪)第五国立銀行開業。
1874. 3. 1 (新潟)第四国立銀行開業。
1874. 8.15 (横浜)第二国立銀行開業。
1876    (東京)第三国立銀行開業。
[13648] 2003年 4月 21日(月)19:23:22【1】三丁目 さん
小樽の無念
今回の無念のテーマは、日本銀行小樽支店が閉鎖されたことについて、です。というのも、日本銀行は、日本の経済・金融活動の拡大に伴って、各地に支店、又は事務所を配置してきました。これまでは、事務所から支店へ移行したことはありましたが、支店から事務所への移行はありません。そういう点で、支店、又は事務所を廃止したのは、日銀史上、初めてのことなのです。私が北海道にいた頃から、支店廃止反対運動がありましたので、気になってはいたのですが、ついに、2002年9月16日に廃止されました。

もともと、日本銀行小樽支店は、1893年(明治26年)に日本銀行派出所として設置されました。その4年後には出張所となり、1906年(明治39年)に支店になりました。現在は、2003年5月14日に「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として開館すべく、準備が進められているところです。皆さんも、小樽観光の際には、ぜひお立ち寄りください。いかにも明治の建物らしい、重厚感がドッシリときます。

小樽市HPによると、小樽は、1865年(元治2年)に「幕府は「オタルナイ」を村並とする。」とあり、1965年に開基100年式典を実施したとあります。道内でも最も早い時期から入植が進んだ地域です。また、北海道最初の鉄道が、手宮(小樽)~札幌間に開通したところでもあります。

簡単に小樽市の歩みをご紹介しますと、開拓の本府が札幌に置かれると、北海道開拓の最も重要な港湾として位置づけられて、商業港湾都市として急速に発展しました。やがて、中央の金融機関が多数進出してきて、通称「北のウォール街」と呼ばれた銀行街を形成するようになります。これらの建物が、現在、市内で歴史的建造物としての街並みになっています。

以前、拙稿[13312]にて道内の都市(札幌、函館、小樽、旭川、室蘭、釧路)に区制が施行された順、また[11539]ではその6市の国勢調査による人口推移をご紹介しておりますので、ご興味をお持ちになられた方は、併せてご参照くださいませ。

最後に、日本銀行の支店、事務所所在地をオマケに載せておきます。先般は、ナマモノの「血」にかかる血液センター所在地をご紹介しましたが、今度は経済の「血」ということで。カッコ内は、日本銀行が所在する都市名です。事務所の記載順は、日銀のHPのとおりですが、地域・管轄別という形には分かれていませんので、私が見やすいように、勝手に改行しました。

本店(東京都中央区)

札幌支店(札幌市中央区)、函館支店(函館市)、釧路支店(釧路市)

青森支店(青森市)、秋田支店(秋田市)、仙台支店(仙台市青葉区)、福島支店(福島市)

前橋支店(前橋市)、横浜支店(横浜市中区)、新潟支店(新潟市)、金沢支店(金沢市)、甲府支店(甲府市)、松本支店(松本市)、静岡支店(静岡市)、名古屋支店(名古屋市中区)

京都支店(京都市中京区)、大阪支店(大阪市北区)、神戸支店(神戸市中央区)

岡山支店(岡山市)、広島支店(広島市中区)、松江支店(松江市)、下関支店(下関市)

高松支店(高松市)、松山支店(松山市)、高知支店(高知市)

北九州支店(北九州市小倉北区)、福岡支店(福岡市中央区)、大分支店(大分市)、長崎支店(長崎市)、熊本支店(熊本市)、鹿児島支店(鹿児島市)、那覇支店(那覇市)

水戸事務所(水戸市、常陽銀行本店別館内)
帯広事務所(帯広市、帯広北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
旭川事務所(旭川市、旭川北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
盛岡事務所(盛岡市、岩手銀行本店内)
山形事務所(山形市、山形銀行本店内)
富山事務所(富山市、北陸銀行本店内)
福井事務所(福井市、福井銀行本店内)
長野事務所(長野市、八十二銀行本店内)
鳥取事務所(鳥取市、山陰合同銀行鳥取営業部内)
徳島事務所(徳島市、阿波銀行本店内)
佐賀事務所(佐賀市、佐賀銀行本店内)
宮崎事務所(宮崎市、宮崎銀行本店内)

ニューヨーク事務所、ワシントン事務所、ロンドン事務所、パリ事務所、フランクフルト事務所、香港事務所

日本銀行は、日銀短観を発表しているわけですから(役割はそれだけではありませんが)、経済活動の拠点地域から、直接現場で情報を収集するためもあるのだろう、と思っています。もしかしたら、支店や事務所の設置基準があるのかもしれませんが、それは確認しませんでした。

ちなみに、地図上で見ると「日銀」と表示されていますから、私が知っている限りでは、全て独立した建物だろうとは思っていたのですが、念のため一般広報部とやらに、電話して聞いてしまいました。支店は、それぞれ1つの独立した建物だそうです。サスガは、日本銀行ですね。

長野県が、長野「事務所」と松本「支店」に分かれているところは、興味深いものを感じました。また、面積が圧倒的に広い北海道を除くと、2つあるのは、長野県と福岡県だけですからね。北九州市には、小倉市の時代(明治時代)から支店があったことと、福岡都市圏からは距離も離れているし、独立した経済圏であることから、そうだろうな、と思いました。

このお話。先週からのんびりと調査していたのですが、ちょうど本日書き込もうと思っていたら、太白さん[13623]から銀行のお話が。。。おぉっ、とあまりのタイミングの良さに驚いてしまいました。
[13701] 2003年 4月 22日(火)11:33:24【3】太白 さん
明治期に設立されたナンバー銀行(その2:中部・近畿編)
ナンバー銀行シリーズ第2弾、甲信越・東海・近畿地方です。

番号ナンバー銀行名継承銀行現在
4新潟第四銀行新潟→第四銀行
69長岡第六十九銀行北越銀行
71村上第七十一銀行村上→第四銀行
116新発田第百十六銀行第四銀行
124見附第百二十四銀行静岡銀行
139高田第百三十九銀行第四銀行
47八幡第四十七銀行(富山)北陸銀行
123富山第百二十三銀行北陸銀行
12金沢第十二銀行北陸銀行
75金沢第七十五銀行--
84大聖寺第八十四銀行富士銀行みずほ
25小浜第二十五銀行福井銀行、三和銀行福井、UFJ
57武生第五十七銀行北陸銀行
91福井第九十一銀行北陸銀行
92福井第九十二銀行--
10山梨第十銀行山梨中央銀行
14松本第十四銀行--
19上田第十九銀行八十二銀行
24飯山第二十四銀行--
63松代第六十三銀行八十二銀行
117飯田第百十七銀行八十二銀行
16岐阜第十六銀行十六銀行
46多治見第四十六銀行愛知実業銀行-
76高須第七十六銀行大垣共立銀行
128八幡第百二十八銀行(岐阜)十六銀行
129大垣第百二十九銀行大垣共立銀行
28浜松第二十八銀行静岡銀行
35静岡第三十五銀行静岡銀行
54沼津第五十四銀行静岡銀行
67静岡第六十七銀行荘内銀行
138二俣第百三十八銀行静岡銀行
8豊橋第八銀行東海銀行UFJ
11名古屋第十一銀行東海銀行東海→UFJ
134名古屋第百三十四銀行東海銀行東海→UFJ
136半田第百三十六銀行富士銀行みずほ
83伊賀上野第八十三銀行百五銀行
105津第百五銀行百五銀行
115亀山第百十五銀行--
122桑名第百二十二銀行--
21長浜第二十一銀行滋賀銀行
64大津第六十四銀行大津銀行-
131大庭第百三十一銀行(長浜?)三井銀行さくら→三井住友
133彦根第百三十三銀行滋賀銀行
49京都第四十九銀行第一銀行第一勧業→みずほ
70淀第七十銀行--
111京都第百十一銀行--
153京都第百五十三銀行--
13大阪第十三銀行鴻池→三和銀行UFJ
26大阪第二十六銀行--
32大阪第三十二銀行浪速→三井銀行さくら→三井住友
34大阪第三十四銀行三和銀行UFJ
42大阪第四十二銀行北浜→三和銀行UFJ
51岸和田第五十一銀行住友銀行三井住友
58大阪第五十八銀行富士銀行みずほ
121大阪第百二十一銀行三和銀行UFJ
126大阪第百二十六銀行--
130大阪第百三十銀行富士銀行みずほ
148大阪第百四十八銀行山口→三和銀行UFJ
38姫路第三十八銀行神戸銀行太陽神戸→さくら→三井住友
55出石第五十五銀行神戸銀行太陽神戸→さくら→三井住友
56明石第五十六銀行神戸銀行太陽神戸→さくら→三井住友
73神戸第七十三銀行--
94竜野第九十四銀行神戸銀行太陽神戸→さくら→三井住友
137篠山第百三十七銀行神戸銀行太陽神戸→さくら→三井住友
68郡山第六十八銀行南都銀行
43和歌山第四十三銀行南都、紀陽、三和南都、紀陽、UFJ

 この地域では、今日の大都市・地方都市には概ねナンバー銀行が設置されていますが、長野中心部と奈良にはありません。
 やはり、旧城下町が目立ちます。高田、大聖寺、二俣、亀山、桑名、彦根、淀、篠山、竜野といったラインナップです。というか、神戸以外全て城下町といっても過言でないような…。
 (今日、出石町に地域の金融中核機能はあるのだろうか…。)

 大阪に設立されたナンバー銀行は、岸和田を含め12と、東京よりかなり少なくなっています。あるいは大阪では、国のお墨付きをもらって紙幣を発行するよりも、自由に通常の融資で儲けようとする傾向が強かったのでしょうか。堺の名を冠した銀行も設置されていません。

 この地域で今日まで続くナンバー銀行は、(新潟)第四銀行、(岐阜)十六銀行、(津)百五銀行です。

 八十二銀行については、[11228] まがみさんの記事にもあるとおり、19+63です。
 また、第三銀行(三重県松阪市)については、大正元年に設立された熊野共融合資会社が、戦後第三相互銀行となり、平成の時代になって普通銀行への転換に伴い第三銀行となったもので、沿革が異なります。
[13744] 2003年 4月 22日(火)20:32:13【1】三丁目 さん
お礼、と日本銀行をちょびっと、とレス
[13563]紅葉橋瑤知朗さん
三丁目さんだけひいきしているわけではなくて、
ご贔屓ありがとうございます\(^O^)/。というか、そちらのお礼ではなくて、「福島県双葉郡久之浜村は、明治35年6月1日に町制施行しています。」と補足して頂き、ありがとうございました。書きこむときには、資料をちゃんと手元に持ってきとかなきゃ、と反省した矢先、昨日も資料を忘れたために、日銀の支店の順を間違えてしまいました。
釧路支店を2回表記したことに気づき、慌てて1つを削除したのですが、道内での正しい日銀上の組織順は、釧路支店、札幌支店、函館支店でした。

[13670]uttさん
北のウォール街、小樽は北緯43度付近、本場のウォール街(ニューヨーク)は北緯41度で「北」と称しながら、緯度はそれほど差がないような気がする
ぃきた~のお~、ぇさかばどおりにぃわ~♪。ここでいう「北」とは北海道を表していて「北海道のウォール街」と、私は思っていましたけれど。あ。。。歌は、直接は関係ありませんかね。失礼しました。

[13666]雑魚さん
札幌の玄関口、ないしは開拓政策上の重要な港湾としての小樽の拠点性は、私なんぞが想像するより遥かに大きいのですね。
「大きかった」と過去形になるかとは、思いますけどね。だって、小樽支店が閉鎖されてしまったくらいですから。
ちなみに、道内での日本銀行の支店・事務所開設順は、以下のとおりです。
1888年(明治21年)函館出張所
1893年(明治26年)小樽派出所
1897年(明治30年)小樽出張所
1906年(明治39年)小樽支店
1911年(明治44年)函館支店
1942年(昭和17年)札幌支店
1946年(昭和21年)帯広事務所
同年旭川事務所
1952年(昭和27年)釧路支店

なお、日本銀行の支店、事務所所在地一覧で、私が興味深く思ったのは、下関支店です。山口県下随一の人口を誇り、県内で最も古くから市制施行されたところ。福島県での支店所在地が郡山市ではなく、県都福島市内にありますが、下関市が山口県の中では、県都山口市も足元にも及ばない(とまで言って良いのかしら?)他を凌駕する、抜きんでた存在であることを、改めて認識しました。

[13706]雑魚さん
私が当選した暁には、以下の公約を実施致すべく、御誓いを申し上げます。
(中略)○ 街の中心となる鉄道駅名は、無理矢理自治体名に合わせる。
あぁ、こ~れ~はっ♪、、、私は対立候補に投票しま~す(^o^)/~~~~~私の無念シリーズをご覧になってらっしゃらないのでしょうか(笑)。ね、雑魚さんのこの公約は、落書き帳仲間といえども、投票できませんよね、Issieさん。

[13742]月の和熊さん
>トルコには、トーゴー通り、トーゴー公園や、ノギ通りもあるようですが。
これはロシアに負けたトルコが、日露戦争で戦功を立てた両名をたたえたものでしょうか。
トルコの事情に詳しくはありませんが、日露戦争で大国ロシアを破った日本に対して、トルコ国民は親日的、と、どこかで読みましたから、まぁ、そのような経緯で名づけられたものと思われます。当時、生まれた子供に「トーゴー」「ノギ」と名づける人がいた、とも、どこかで読みました。もしかしたら、フィンランドの話と混ざっているかもしれません。それであればゴメンナサイ(..)ペコリ。

[13695]オーナーグリグリさん
生まれた場所:東京都(両親の出身は山形県ですが、私自身は住んだことがありません。)、居住地:東京都、又は埼玉県。現在は、主な生息地を首都圏に構えていますが、転勤族として育ち、北海道の会社に就職したものの転職した私は、フクザツな心境なのでありました。説明するのが、メンドくさいからなのですけれど、ね。
[13782] 2003年 4月 23日(水)07:33:28【1】太白 さん
明治期に設立されたナンバー銀行(その3:中国・四国・九州編)
ナンバー銀行シリーズ最後は、中国・四国・九州地方です。

番号ナンバー銀行名継承銀行現在
65鳥取第六十五銀行神戸銀行太陽神戸→さくら→三井住友
82鳥取第八十二銀行富士銀行みずほ
79松江第七十九銀行--
22岡山第二十二銀行富士銀行みずほ
86高梁第八十六銀行中国銀行
66尾道第六十六銀行広島銀行
141西条第百四十一銀行西条→広島銀行
146広島第百四十六銀行広島銀行広島
53津和野第五十三銀行山陰合同銀行
103岩国第百三銀行富士銀行みずほ
110山口第百十銀行山口銀行
89徳島第八十九銀行--
114高松第百十四銀行百十四銀行
127丸亀第百二十七銀行四国銀行
29川之石第二十九銀行伊予銀行
52松山第五十二銀行伊予銀行
7高知第七銀行四国銀行
37高知第三十七銀行高知→四国銀行
80高知第八十銀行四国銀行
17福岡第十七銀行福岡銀行
61久留米第六十一銀行住友銀行三井住友
87大橋第八十七銀行(門司)富士銀行みずほ
96柳河第九十六銀行福岡銀行
97小城第九十七銀行--
106佐賀第百六銀行佐賀銀行、住友銀行佐賀、三井住友
18長崎第十八銀行十八銀行
99平戸第九十九銀行親和銀行
102厳原第百二銀行--
6福島第六銀行肥後→富士銀行みずほ
9熊本第九銀行富士銀行みずほ
135宇土第百三十五銀行九州商業→肥後銀行
23大分第二十三銀行大分銀行
78中津第七十八銀行--
151熊本第百五十一銀行--
109佐伯第百九銀行大分銀行
144飫肥第百四十四銀行飫肥銀行-
145延岡第百四十五銀行延岡→日向興業銀行宮崎
147鹿児島第百四十七銀行鹿児島銀行鹿児島
152沖縄第百五十二銀行--

kenさんのHPで対照しましたが、ここでもやはり、城下町中心の銀行開設です。
ただし、対馬にまで国立銀行があるなか、萩にないのが目立ちます。
愛媛の川之石というのは、明治初期に重要な拠点だったのでしょうか。福島県の梁川と並んで謎です…。
 他方、当時は農村地帯だった宮崎に銀行が(当然のごとく)ないのが印象的です。

 なお、沖縄第百五十二銀行の設置は、明治12年のいわゆる琉球処分・沖縄県設置よりも前の話です。

 この地域で現存するナンバー銀行は、十八銀行(長崎)、百十四銀行(香川)です。
[13789] 2003年 4月 23日(水)11:33:06ken さん
RE:ナンバーバンク
[13782] 太白 さん
kenさんのHPで対照しましたが、
ご訪問ありがとうございます。<m(_ _)m>。何だか緊張しますね。
ここでもやはり、城下町中心の銀行開設です。
ただし、対馬にまで国立銀行があるなか、萩にないのが目立ちます。
萩は、明治政府の長州閥にとっては、むしろ歴史から抹消したい城下町だったかもしれません。
萩は、徳川幕府に強制された藩庁所在地で、幕末には山口に藩庁を移しちゃってますからね。
とはいえ、萩にも、長府にも、下関にも、三田尻にも全部作れ、とプレッシャー掛かっても不思議ではなかったですけれど。
徳川慶喜の(一橋家時代の)家臣だった渋沢栄一は薩長閥の専横を苦々しく思いつつも、実業の世界では、利用できる権力は利用する、というスタンスで、井上馨卿などとは、懇意でしたからねえ。

官軍側という意味では宇和島にもないのは不思議ですね。

城下町という視点で、(その1)から振り返らせていただくと、確かにその傾向はあるものの、
鶴岡では無く酒田に設置されている点、
会津若松に設置されていない点、
などは、意図的な、いぢわる、かも知れませんが、結構大きな城下町だったところで、設置されなかったところを拾って見ると、
宇都宮、佐倉、小田原、岡崎、福山、小倉、唐津、などでしょうか。
概ね、賊軍側いは薄い傾向はありますが。

福島県の分布は、太白さんご指摘のように謎ですね。
三春、須賀川、梁川にあって、若松、二本松、白河、平or相馬中村にない、というのは。
須賀川は単に白河藩領の宿場町で、特筆するような場所ではなかったとは思いますが。
梁川も謎ですね。梁川藩というのは、幕末に蝦夷地警備強化のために、松前家が蝦夷地全島を幕府に取り上げられ、代地を陸奥梁川にもらってますが、わすが14年で、やはり幕府は蝦夷地統治を上手くできず、松前家の帰還運動もあり、蝦夷地に戻ってます。
それだけの場所としての認識しかなかったですね。
三春も、確かに奥羽列藩同盟軍と薩長新政府軍の対峙が、三春藩の寝返りがきっかけで、戦局が一気に動いたという功績?はあるのですが、奥羽街道からも外れてますし、当時も今も小さな町だったと思いますが。

第六銀行の「福島」というのも、ちょっとよくわかりません。確かに第六銀行の継承銀行は確かに肥後銀行のようですが、肥後銀行は、現存していますよね。
ですが、第六銀行の継承はその後、富士銀行→みずほとなっており・・・。
肥後銀行のプロフィールを見ても、第六銀行のことに言及してませんし。
あまりにも番号が若い。
第六銀行の継承銀行である肥後銀行と、熊本にある地銀の肥後銀行は同じものなのか?
第六銀行の「福島」は福島県の「福島」ではないのか?
熊本県に福島というところはあったのか?
など。

川之石、は、紡績の町として栄えた、四国で最初に電灯が灯った、四国で最初に銀行が出来た、などの記述もありますね。
第二十九銀行の事務所だった宇都宮邸は現存しているようですよ。
http://plaza22.mbn.or.jp/~kotaro_mil/iyosumi/towninfo/honai.htm
と、言っても、川之石が紡績の町として栄えたと言っても、四国最初の紡績工場、宇和紡績が川之石にできたのは明治22年で、明治11年の国立銀行とは、辻褄が合いません。
この宇和紡績は、渋沢栄一の作った東洋紡に継承されては行くのですが。
渋沢栄一の場合、日本のほとんどの産業界の創設に携わってますから、国立ナンバー銀行・渋沢栄一と川之石を結ぶのに、東洋紡を持ってくるのは、無理があり、川之石は依然として謎です。

でも、ちょっと訪ねてみたい町になりました。川之石。

とはいえ、あくまで官立の銀行ではないわけで、進取の気風に富む新出来成金が、ある程度の資金と背景を持って、設立を申し出れば、認可されたのかもしれませんし、分布については、そもそも計画的なものにはなり得ないのかもしれませんね。
[13911] 2003年 4月 24日(木)08:47:03太白 さん
福島第六銀行?
[13789] ken さん
レスありがとうございます。kenさんの「江戸三百藩HTML便覧」のページは都道府県市町村のHPよりもヒット件数が多いんですね。これはちょっとすごいかも…。
萩や梁川、三春など、幕末・明治期の城下町についてのコメント、勉強になりました。

第六銀行の「福島」というのも、ちょっとよくわかりません。
これは、正直申し上げて、分類を非常に悩んだものの1つです。記事をアップするにあたって、web上で検索した結果を一部修正しています。例えば、八戸第百五十銀行の承継銀行として、東邦銀行(福島県)を挙げる表がありましたが、根拠が薄いため、削除しています。
 で、この「福島第六銀行」も、kenさん御指摘のとおり、現「肥後銀行」との承継が不明な上、所在地についてのウラも取れないのです…。
熊本県に福島というところはあったのか?
福島といえば、福島県のほか、宮崎の串間、大阪市内、木曽などが思い浮かびましたが、どれもちょっと違うようですし…。個人的には、原典からwebに写す際に(銀行名か承継銀行いずれかの)入力ミスがあった可能性も否定できないと思っています。
[15601] 2003年 5月 20日(火)19:53:10【2】三丁目 さん
北九州市よりも金沢市の方が?
先日、北陸経済特集をしていた新聞記事の中で、「日銀金沢支店長に聞く」というコーナーがあり、その中で現支店長の経歴が簡単に紹介されていました。本店課長~北九州支店長~本店参事役~金沢支店長、でした。記事では、もうちょっと詳しい経歴が紹介されていましたが、これを見る限りでは、ご栄転されているようでして、えっ?北九州市より金沢市の方が日銀にとって格が上なの?と一瞬思いましたが、

[14440]TKS-Hさん
小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません。
を覚えていましたから、納得しました。一般事業会社の人事異動でのご栄転ルートは、たしかに、その都市の経済規模に見合った事業所があることが多いとは思いますが、その会社にとって、その都市がどれだけ大事か(あるいは管轄地域)ということも反映していることを考慮すると、日銀の支店長の人事異動=「支店の格」は、(経済規模的に)比較的ニュートラルな判断で行われているのではないか、と私は思っています。

そういう点で、日銀支店長の人事異動ウォッチャーも、面白いのではないかと思ったのですが、私自身が日銀に勤めているわけではありませんから(苦笑)、全体を見るのは困難なのです。また、何かの機会で目にとまり、面白そうだったら、ご紹介したいと思いました。
ちなみに、経歴を見ると2年に1度異動されているようですから、ちょうど、今年でまる2年の任期を迎えるため、金沢支店長の次はどちらへ異動されるのかなぁと、勝手に興味を持ってしまいました。
[47302] 2005年 12月 10日(土)17:03:20実那川蒼[紫魔法師] さん
民間金融機関の数の比較
銀行の話を持ち出したのでもう1つネタを。
静岡朝日テレビ(現地での愛称はあさひテレビ)で平日の午後6時57分に、静岡県の信用金庫をPRするCMがあります。
そのCM内では
伊豆駿河三島沼津富士富士宮 静清(せいしん)しずおか 焼津島田掛川 磐田遠州 浜松
と歌われており、静岡県内に本店のある信用金庫が14もあることがわかります。

信用金庫だけが多いのではありません。静岡県に本店のある銀行は静岡銀行(静岡市葵区)、清水銀行(静岡市清水区)、スルガ銀行静岡中央銀行(いずれも沼津市)と地銀、第二地銀をあわせて4つあります。でも、遠州に本店がある銀行がないのはちょっと不思議です(経営破綻した中部銀行も本店は静岡市)。
ただし、信用組合はというと、意外にも静岡県医師信用組合の1つしかありません。静岡県の民間金融機関の数は合わせて19ということになります。

話を静岡県の隣の山梨県に移します。山梨県は民間金融機関の数が極端に少なく、銀行は山梨中央銀行の1つだけ(第二地銀は中部銀行のように破綻したのではなく、もともと相互銀行の時代からなかった)、信用金庫も甲府信用金庫山梨信用金庫2つだけ。さりとて信用組合が多いかというとそうでもなく、これも山梨県民信用組合と都留信用組合の2つだけなのです。山梨県の民間金融機関の数は合わせて5つ。

人口差を考慮すると(山梨県の人口は静岡県の4分の1以下)このくらいに落ち着くのかもしれませんが、山梨県と人口が同じくらいの福井県は地銀(福井銀行)・第二地銀(福邦銀行)が合わせて2つ、信用金庫が5つ、信用組合が3つの合計10です。それを考慮すると、やはり山梨県は民間金融機関の数が少なすぎるような…
[47311] 2005年 12月 11日(日)00:44:56逆太郎 さん
山梨県の信用組合
[47302] 紫魔法師 さん

確かに現在山梨県には信用組合は2つしかありませんが、1998年9月までは9つも存在していました。金融機関コード順に
 2375 甲斐信用組合
 2376 山梨県信用組合
 2377 甲府中央信用組合
 2378 都留信用組合
 2379 峡東信用組合
 2380 谷村信用組合
 2382 武田信用組合
 2383 峡南信用組合
 2384 巨摩信用組合
です。この中にはいわゆる民族系や職域系のものは1つも含まれず、県の人口の割にはかなり多かったことがわかります。「無尽会」の伝統と関係あるのかどうかは知りませんが・・・

しかし、1998年10月1日にこのうち5つが合併により2つに統合されました。
 山梨県信用組合+甲斐信用組合+峡東信用組合→やまなみ信用組合
 武田信用組合+巨摩信用組合→美駒信用組合
次いで2003年1月14日に峡南信用組合が甲府中央信用組合と合併し、さらに2004年2月16日に
 甲府中央信用組合+谷村信用組合+美駒信用組合+やまなみ信用組合→山梨県民信用組合
という大同合併が行われ、僅か5年半で9つから2つにまで統合されたわけですね。

なお、信用金庫のほうももともと3つありましたが、2002年7月15日に甲府商工信用金庫が大月信用金庫と合併して山梨信用金庫となっています。

この特集記事はあなたのお気に召しましたか。よろしければ推奨してください。→ ★推奨します★(元祖いいね)
推奨するためには、メンバー登録が必要です。→ メンバー登録のご案内

… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

パソコン表示スマホ表示