[15889]両毛人さん
両調査のタイムラグ17年の間に、群馬県ではめまぐるしい買物動向の分散化(多様化)が進んでいることが見て取れ
1977年というと、商業の郊外立地化が現われ始めた頃でしょうか? 両毛地域で最初の郊外型大規模店舗はどこでしたか? 宮城県南部では、昭和55年に売場面積約1万平方メートルの大型店サンコアが柴田町の郊外にオープン。それが現代型商業の本格的な幕開けだったような気がします。サンコアの出現は仙南地域の商業を、あっという間に変えました。店員に気兼ねすることなく自由に商品を選べるようになりました。サンコアに行くということは物品を購入するだけでなく、レジャー的要素も兼ねていたようです。
サンコアの出現は買物客の心理だけでなく、商業面での都市の序列をも変えました。当時、工場誘致と住宅団地建設で元気あふれる新興都市「ヤングチュウトンチ柴田」は、大型店サンコアを武器に、仙南の行政中心都市「アダルトヤクショ大河原」を1撃! あっ、たった1撃で大河原がぐらつき始めました。なんという弱体、なんという無策! 大河原は無抵抗のまま商圏を柴田に譲り渡すのでしょうか。
あれあれ、誇りというものがないのでしょうか?、柴田郡一の商都を誇った大河原の商店主たちが、車に乗ってサンコアへ買物に行きます。おばさんも中学生も自転車に乗ってサンコアへ行きます。大河原の中心街からサンコアまで自転車で10分です。中年夫婦はウォーキングがてら、歩いてサンコアに行きます。みんな大河原町から柴田町に流れ出しているのですが、おばさんも中学生も中年夫婦も、そんなことを気にしません。彼らには市町村界など有って無きがごとしです。こうして昭和50年代~60年代の大河原町は、柴田町の商圏に組込まれて行きました。
さらに柴田商圏は、角田商圏、白石商圏も飲み込んで行きます。いまだ中心街の商店街形成もままならない新興の柴田町が、地域初の郊外型大型店を武器に、アーケード付き商店街を形成する白石市を飲み込んで行きます。江戸時代からずっと首位都市として君臨してきた「オールドジョウカマチ白石」の商勢圏にかげりが見え始めます。
だが、皮肉です。柴田町の人口増加や商工業の集積は、仙南地域の重心点を水面下でジリジリと大河原盆地に引き寄せています。仙南は、そのような地理関係にあります。大河原は漁夫の利か。そして昭和が平成に変わるころ、大河原盆地の水田を埋め立てて国道4号バイパスが開通しました。時あたかもバブル期、地域行政の中心地にして人口重心点の大河原バイパスに郊外型店舗の波が押し寄せます。月に1度は新店オープンのアドバルーンが揺らめいて、大河原バイパス沿道は瞬く間に仙南一の商業ゾーンに変貌しました。
さらに平成6年。当時としては東北最大級の郊外型ショッピングセンターフォルテが開店。これによって大河原商圏は完全復活をみたのです。こうして柴田町と大河原町はシーソーゲームみたいに商圏トレードをしながら、いつしか仙南一の商業ゾーンに発展しました。この2町、明らかにライバルだけど、もちつもたれつ助け合っているようにも見えます。例えば、柴田町の人は家電など買回品を大河原町に依存し、大河原町の人は食品など最寄品を柴田町に依存したりします。大きな目で見れば、大河原町と柴田町は2つで1つなのですよ。ちょっと苦しい所があるけれど・・・。
まあ、別々の市街地である東舞鶴と西舞鶴が行政面では1つの市ですし、岩村田と中込、野沢が一緒になって佐久市を名乗り、宮内と赤湯も仲良く南陽市になったのですから、大河原町と柴田町が1つになっても、なんら差し障り無いと思うのですが、いかがでしょうか。