[9290] utt さん
[9295] YSK さん
1890年に公布され,準備の整った府県から順次施行された「郡制」の下では,「郡」は“府県の下位行政官庁”としての側面と“地方自治体”としての側面の両面がありました。
「自治体」としての側面を代表するのが「郡会」の存在です。当時は国会(帝国議会)以下,制限選挙が採用されていた時代ですから,当然に選挙権・被選挙権を持っていたのは限られた“地方名望家”に属する人々(もちろん男性だけ)ですが,郡会は(法律としての「郡制」に列挙されたものに限るが)郡内の行政に関しての意思を決定する権限を持っていました。また,郡には課税権は与えられませんでしたが郡内の町村が分担して拠出するお金の使い道を決定する権限,つまり財政上の自治権も持っていました。「郡立学校」の設置・運営が,その代表例ですね。
ただし,“執行機関”たる「郡長」を選任する権限は持たず,これは府県知事や北海道庁長官と同様に“官選”の官吏でした。そして郡会の決定事項を執行する一方で,上部機関たる府県および国の監督下で一般行政を行いました。これが「府県の下位行政官庁」としての側面。実は「府県」と全く同じです。
1923年にまず,この「自治体としての郡」が廃止されました。議決機関たる郡会が廃止され,郡財政に関する自治権が消滅した,というものです。郡立学校などは多くの場合,府県に移管されました。
次に1926年には「郡長」および「郡役所」が廃止されて,「行政官庁としての郡」も消滅しました。以後,「郡」は単なる地域呼称となって現在に至ります。
ただし,戦時中の1947年に1~2郡ごとに設置された「地方事務所」は,このときに廃止された「行政官庁としての郡」の部分復活と考えられています。
ちなみに「郡」を廃止したのは大正デモクラシー終盤の政党内閣でした。「地方事務所」を設置したのは,もちろん軍部が主役となった官僚内閣です。
地方事務所は,戦後の地方自治法の下で都道府県ごとにそれぞれ違った道筋をたどることになります。
なお,「市制・町村制」下では市長・町村長の選挙権を持っていたのは市会・町村会でした(議会が選出した市長・町村長“候補者”が実際に市長・町村長になるまでは何段階かの手続きがありました)。住民が直接選出したわけではありません。
首長(都道府県知事・市町村長)が等しく住民から直接選出されるようになるのは,1947年の地方自治法施行に先立って行われた「統一地方選」以後のことです。