[3199]豊真線に続き、樺太東線について落書きします。
樺太東線は日露戦争終結直後の明治39(1906)年12月1日に樺太臨時派遣隊鉄道班がコルサコフ(楠渓町)―ウラジミロフカ(豊原)間に開通させた600ミリ軌間の軍用軽便鉄道を起源とします。
当時、鉄道班が随所に掲げた標札には
「十二月一日ヨリ便乗ヲ許可ス、但生命財産ハ官其ノ責ニ任ゼズ 明治三十九年十一月 樺太軍用鉄道班」
と、恐ろしいことを書いていたそうです。
その後、軍政廃止・樺太庁設置に伴い、樺太庁鉄道となり、明治43年11月3日に軌間1067ミリとして再開通させ、明治44年12月17日には豊原以北、栄浜まで開通しました。また、大泊においては築港工事がなされ、昭和3年12月5日に大泊港を起点とし、これが樺太庁鉄道東海岸線(当初は泊栄線)95.1キロです。
大正時代に入り、樺太にパルプ工業が誕生し、奥地に製紙工場が建設され、工場のある落合、知取、敷香を鉄道で結ぶ必要が生じたのに応じ、「樺太鉄道株式会社」を設立して樺太庁鉄道東海岸線落合駅を起点に「樺太鉄道線(樺鉄)」として逐次、北へ北へと建設し、昭和11年8月30日、落合―敷香間の245.5キロが全通しました。
昭和16年3月31日付で樺太庁は樺太鉄道を買収し、樺鉄線は樺太庁鉄道東海岸線の一部として経営、さらに北の上敷香まで延伸しました。
昭和18年4月1日、鉄道省に移管となり樺太鉄道局が豊原に設置され、従来の「東海岸線」は「樺太東線」と改称されました。
鉄道局に移管後、戦争の激化に対応して日ソ国境近くまで樺太東線をさらに延伸することになり、昭和19年10月15日、古屯まで開通し、これで大泊港―古屯間414.4キロの全線が開通するに至りました。
樺太東線の停車場は次の通りです。
*印は信号場、またロシアの現況のついては極東鉄道サハリン支局の路線図SKHEMA(作図年不明)を参照しましたが、キロ程の記していないものはその路線図に載っていないもので、別の資料「鉄道地図帳 ATLAS Zheleznykh Dorog 1993年」に記されている駅を追加したものです。
駅名 累計キロ程 開業年月日 ロシアにおける累計キロ程および駅名
大泊港 0.0 昭和3年12月5日 0.000 ポルト
栄 町 1.4 昭和6年4月1日
大 泊 2.6 明治41年6月1日 2.600 コルサコフ
楠渓町 3.9 明治40年8月1日
一ノ沢 7.4 明治42年8月16日 7.262 ピェルヴァヤ パーチ
三ノ沢 10.7 明治40年8月1日 トゥレーチャヤ パーチ
貝 塚 14.3 明治40年8月1日 ソロヴィヨフカ
新 場 17.7 大正15年10月1日 17.398 ダチノエ-サハリンスコエ
中 里 23.4 明治40年8月1日 マツリョフカ
豊 南 31.5 大正11年9月16日 31.142 フリストフォロフカ
大 沢 37.5 明治44年1月1日 37.119 ボリシャヤ エラニ
豊 原 41.6 明治40年8月1日 41.150 ユジノサハリンスク
北豊原 43.8 大正12年10月30日 43.314 ヴラジミロフカ
豊 北 47.5 明治44年7月20日 ルゴヴォエ
南小沼 50.3 昭和11年2月11日
小 沼 52.5 明治44年7月20日 51.877 ノヴォアレクサンドロフカ
富 岡 61.4 明治44年9月10日 60.763 ベレズニャキ
深 雪 66.7 明治44年12月2日 スタロルースコエ サハリンスコエ
大 谷 73.8 明治44年12月2日 73.158 ソコル
小 谷 78.7 明治44年12月2日 77.929 タコエ
落 合 84.8 明治44年12月17日 83.996 ドリンスク
新栄浜 94.0 昭和3年9月11日 93.168 ルチイ
白鳥湖 100.9 昭和5年11月16日
相 浜 107.5 昭和2年11月20日 106.760 ソヴィエツコエ サハリンスコエ
富 浜 111.7 昭和11年9月11日 ポドレスナヤ
白 浜 114.8 昭和2年11月20日
小田寒 126.9 昭和2年11月20日 126.149 フィルソヴォ
真 苫 132.4 昭和4年8月27日
保 呂 138.8 昭和2年11月20日 139.061 ドゥジノ
白 浦 149.4 昭和2年11月20日 148.615 ヴズモーリエ
真 縫 159.1 昭和2年11月20日 158.337 アルセンチエフカ
三浦峠* 166.6 昭和20年1月15日 ポヤソク サハリンスキー
近 幌 174.2 昭和2年11月20日 173.389 チーハヤ
蛯 毛* 184.4 昭和20年1月15日 183.579 ツァプコ
白石沢 192.4 昭和2年11月20日
馬群潭 199.2 昭和2年11月20日 198.476 プガチョーヴォ
帆矢向* 203.7 昭和20年1月15日
南 沢* 210.5 昭和20年1月15日
元 泊 214.4 昭和2年11月20日 213.582 ヴォストーチヌイ サハリンスキー
樫 保 224.7 昭和2年11月20日 224.056 ザオジョールノエ サハリンスコエ
北樫保 227.9 昭和5年11月14日 ウグレダルスク
幌内保 232.0 昭和11年9月11日
東礼文 239.7 昭和2年11月20日 238.954 グレベンスカヤ
遠古丹 249.7 昭和2年11月20日 248.881 ポレーチエ サハリンスコエ
知 取 255.3 昭和2年11月20日 254.481 マカロフ
柵 丹 267.6 昭和5年11月3日 266.811 トゥマノヴォ サハリンスコエ
大鵜取 277.0 昭和5年11月3日 276.230 マルコヴォ サハリンスコエ
茂 受 282.3 昭和5年11月3日
新 問 287.3 昭和11年8月30日 286.472 ノーヴォエ
泊 岸 299.8 昭和11年8月30日 299.000 ヴァフルシェフ サハリンスキー
内 路 312.4 昭和11年8月30日 312.938 ガスチェーロ
床 佐 321.1 昭和11年8月30日
敷 香 330.3 昭和11年8月30日 329.026 ポロナイスク
中敷香 338.4 昭和16年12月1日 337.258 ゴンチャロヴォ サハリンスコエ
江 須 350.4 昭和16年12月1日 349.309 オレーニ サハリンスキー
上敷香 352.0 昭和16年12月1日 レオニードヴォ サハリンスコエ
大 木 360.5 昭和18年11月16日 361.812 ヴォズヴラシェーニエ
初 問 371.3 昭和18年11月16日 370.120 マトロソヴォ
保 恵 381.1 昭和18年11月16日 379.950 ブユークルィ
千 輪 388.1 昭和18年11月16日 386.867 コシェヴォイ
亜 屯 396.5 昭和18年11月16日 395.259 エリニキ サハリンスキエ
気 屯 403.7 昭和18年11月16日 402.356 スミルヌィフ サハリンスキー
古 屯 414.4 昭和19年10月15日 412.999 ポベージノ サハリンスコエ
落 合 0.0 明治44年12月17日 0.00 ドリンスク
栄 浜 10.3 明治44年12月17日 10.88 スタロドゥープスコエ サハリンスコエ
(貨物専用線)
栄 浜 0.0 明治44年12月17日
栄浜海岸 1.8 大正3年4月10日
以上です。
戦後1946年4月1日、樺太の全ての鉄道はソ連国鉄に編入され、樺太東線(東部縦貫線)では古屯(ポベージノ サハリンスコエ)以北に日本国鉄の標準軌間1067ミリのままノグリキまで延長し現在に至っています。
古屯(ポベージノ サハリンスコエ)以北にソ連が延伸した東部縦貫線の停車場は次の通りです。
累計キロ程(ポルトより)および駅名
412.999 ポベージノ サハリンスコエ
428.280 ユージナヤ ハンダサ
438.330 スリーヴBR>
452.420 オノール
465.880 セーヴェルナヤ ハンダサ
479.240 タウラン
493.550 ロンガリ
507.120 パーレヴォ
519.410 キーロフスキー
531.680 トゥイモフスク
542.770 ウスコヴォ
553.850 スラヴBR>
565.250 アド トィモヴォ
575.820 ラズイェスト イルキル
588.370 アリバ
610.000 ヌィシ
653.073 ノグリキ
大変長くなりましたが、以上です。