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[102404] 2021年 9月 19日(日)08:14:53白桃 さん
十番勝負
問九:志布志市
[102402] 2021年 9月 19日(日)07:26:31白桃 さん
十番勝負
問八:那珂川市
かぱぷうさん、お早うございます。
それにしても、気が付くのが遅すぎます。
[102390] 2021年 9月 18日(土)23:31:59白桃 さん
十番勝負
問十:東御市
[102375] 2021年 9月 18日(土)22:29:24白桃 さん
ちょっとブレイク
あ~驚いた。
こんなことってあるんだ!!!
[102373] 2021年 9月 18日(土)22:24:01白桃 さん
十番勝負
問七:宇部市
[102341] 2021年 9月 18日(土)11:03:41白桃 さん
国勢調査人口上位4町今昔ものがたり
先生との進路相談を受けてないのか、台風14号クンの進路はメチャクチャですね。今夜始まる十番勝負における白桃の迷走ぶりを暗示しているのでしょうか?
さて、100年前(正確には、101年前)の第一回国勢調査の話になりますが、人口順位(町のみ)4位までの町の人口を合算してみました。なぜ、4位までにしたかと言うと、都道府県対抗リレーあるいは駅伝でもさせようと思ったからです。適当なバトン、たすき類が見つからず、また、沖縄県には糸満しか町がないので、リレーはあきらめ、単純に4町の合計人口比べに変更しました。
上位8都道府県(大会で言えば、8位入賞)は下の通りです。
道府県Total人口一位二位三位四位
1位東京府224,541渋谷西巣鴨南千住日暮里
2位大阪府179,958豊崎今宮鷺洲鶴橋
3位北海道132,441夕張野付牛網走岩見沢
4位福岡県119,588戸畑飯塚添田後藤寺
5位栃木県109,108足利足尾栃木鹿沼
6位愛知県102,139愛知一宮瀬戸呼続
7位神奈川県86,208小田原保土ケ谷川崎浦賀
8位山口県81.623山口防府徳山小野田
私には栃木県の5位が印象的でした。因みに2020年国勢調査(速報値)では、1位が愛知、2位が福岡、3位が埼玉となっており、大阪府は16位。東京都は38位にまで順位を落としています。なお、1920年第一回の最下位(46位)は山梨県(谷村、市川大門、上野原、鰍沢)で、2020年(第21回)は島根県が最下位(3町しかない大分県が欠場しているので46位)となっています。
Total人口の大会記録は、1930年に東京府チーム(荏原、西巣鴨、渋谷、滝野川)が作った450,564で、この記録は未来永劫、絶対破られないでしょう。
1920年において上位4位に入っているところの殆んどは、後に自ら市になったり、他市に吸収されたりしていますが、以下の16は今もなお町として存続しています。
1920年町名順位人口2020年町名順位人口
青森県野辺地210,240野辺地912,389
岩手県大槌39,254大槌911,013
秋田県小坂314,681小坂74,780
山形県谷地411,000河北317,649
山梨県市川大門26,047市川三郷314,710
山梨県鰍沢44,708富士川※414,225
長野県下諏訪315,608下諏訪319,171
静岡県小山417,563小山518,585
奈良県下市49,475下市155,042
和歌山県湯浅49,470湯浅811,117
鳥取県若桜36,236若桜132,868
徳島県牟岐47,774牟岐143,747
香川県多度津47,444多度津322,459
高知県伊野37,644いの121,394
福岡県添田328,569添田248,805
鹿児島県宮之城314,699さつま120,272
名前も変えず、上位に留まっている下諏訪、多度津は、”いとあはれ”であるが、大きく順位を下げた下市、若桜、牟岐、添田あたりは非常にあわれである。
※富士川の「前身因子町」は増穂であって、鰍沢ではありません。
[102327] 2021年 9月 10日(金)07:15:50【1】白桃 さん
地理の真髄は地誌にあり
小学校一年のとき、彼女(家は酒屋さん)から誕生日プレゼントで貰ったのが「地図帳」で、大学二年のときに地域調査に行った先が「智頭町」。大学で地理を学び、卒業後も学び足りなくて?専攻科(「なにもせんこうか」とも言われる)で一年間地理を探求???、旅行会社に入社(インチキ・クイズキャンペーンに応募してきたハガキを市区町村別に仕分けするのが誰よりも早く、そのことで入社以来はじめて「人間、何か取り柄があるものだ!」と上司に褒められた?)、旅行業協会(出向→移籍)では「四国は国であるから観光客から入国税を取れば良い。」と発言する会長サマの御供で各地の観光資源・地域伝統芸能を視察、そして2002年からは仕事そっちのけで「都道府県市区町村・落書き帳」という本格的?地理?に没頭している私。ですから、「地理」と関わっている時間は相当長い(少なくともお酒を飲んでいる時間よりは)と思います。
ですが、「地理」を「地理学」だと思ったことは一度もありません。
書いているうちに「学」という字にイライラしてきました。
[102325]千本桜さんがそうなるのも当然でしょう。私は、いわゆる「語学」というものは学問では無いのだから、学校教育で学ぶもの、学ばせるものではなく、「ソロバン塾」や「パソコン教室」同様、専門学校などでやれば良いと考えております。(この考えには誰も賛同してくれません('◇')ゞ)。一方、「地理学」は学問として成り立っていない、成り立つものではないのですが、「地理」は学校教育のみならず、一生気軽に学び続けた方が良いモノだと考えています。
では、私の高邁な?思想はこれぐらいにして、
スカンデルベクの鷲さんからご紹介のあった立正大学のHPでは「観光地理学」について
観光地理学は地理学のなかでは比較的新しい研究分野で、地域における観光関連産業の発達、観光地化にともなう生活や文化の変容、観光活動が地域に与える影響などについて研究します。究極的には観光地の地域性を明らかにすることが目的です。近年では、地域活性化の一手段として観光が脚光を浴びていますが、観光地理学では地域資源を活用した地域振興についても考えていきます。
とありますが、これによると、私の卒業論文「蒜山原の観光開発と地域の変容」はまさに「観光地理学」の範疇ですね。しかし、私自身、これを「観光地理(学)」と思ったことは一度もなく、下手な「蒜山地誌」だと今でも思っています。
「観光地理学」は確かに比較的新しい分野には違いないのですが、私の学生時代(50年前)から「温泉地の成立過程」に触れた書物・論文があり、このようなものを系統地理学のなかで「観光地理学」とされていました。近年、「観光学部」「環境ツーリズム学部」等と観光分野に焦点をあてた大学の学部・学科が急増していますが、このような所では、ホスピタリティ関係のカリキュラム以外に「観光地理」が教えられています。その殆どは、各観光地の説明程度に留まっているのではないでしょうか。
一方、上記(立正大学HP)で「地誌学」について
自然と人文の諸事象の相互関係を総合的に考察し、地域的性格を究明する学問です。
地誌とは何か。日本各地について記述した風土誌、あるいは特定の地域の地形や気候、名所旧跡、物産など、自然・人文の諸事象を記述した百科事典的なものというイメージがあります。しかし、学問としての地誌学は、特定地域における自然(地形・気候・水文など)と人文(都市・経済・歴史・交通など)の諸事象の相互関係を総合的に考察し、地域的性格を究明することにあります。この点で、自然や人文のテーマごとに地域を分析する系統地理学とは異なります。ただし、地誌学と系統地理学は補完関係にあります。
とありますが、これは伝統的(悪く言えば保守的)な説明です。私は地誌とは「人間集団が社会経済的活動を展開する場(地域)の性格を考察し地域像を記述する」ものだと考えています。「自然と人文の諸事象の相互関係を総合的に考察」と言うのが諸悪の根源であります。自然環境、例えば、その地域の地形・気候などは「銭湯の壁のペンキ絵」「舞台の書き割り」に過ぎないとは言いませんが、地誌においては、あくまでも人間集団を主体に置かなければならないと考えます。極論すれば、地誌は「地域における人間集団の生態」を記述するものではないでしょうか。
系統地理学の中には、経済地理学(「産業地理学」と言ったほうが適切?)、歴史地理学、交通地理学、文化地理学、集落地理学、人口地理学、政治地理学、疾病地理学…等々ありますが、どれもこれも、地理「学者」の業績は薄く、それぞれの分野の学者の成果にはとてもかなわないと思います。ましてや、地形学、気候学、水文学という「自然地理学」の分野は、地質学、地球物理学、気象学に太刀打ちできるはずも無く、「今は名のみ」残っているのではないでしょうか。
「地理の真髄は地誌にあり」とタイトルに書きましたが、系統地理学では何にもできないので、残っているのは「地誌」だけ、そういう意味ではありません。「地理」の原点は「地誌」であり、その有効性は「地誌」にしか認められないと思うからです。ただ、「地誌こそ地理の命」と言った地理学者が何人かいましたが、私の勉強不足のためでしょうが、残念ながら本格的な「地誌」にお目にかかったことはありません。現在は情報技術の進歩によって、「地誌を読む」事は殆ど無くなりましたが、死ぬまでに、地域に刻まれた歴史を踏まえた読み応えのある「地誌」にお目にかかりたいものです。
最後に、千本桜さんの質問にお答えします。
添乗員にとって、行く先々の地誌の知識が必要かどうかです。
添乗員のメインの仕事は旅程管理ですが、かつて、私も「旅程管理試験」に関わっていて、「観光地理」的というか「地誌」的問題は、試験に出題されていました。例えば、
白石市の名物は次のうちどれか
A.あーめん  B.いけめん C.うーめん
に毛が生えた程度の問題です。
パッケージツアーの場合はガイドがついていますので、添乗員は必ずしも地誌の知識は必要ありません。と言っても、国内旅行の場合なんか、バスガイドの地誌的説明には、20年前の人口が飛び出してきますので、添乗員は寝ててはいけません。そして、旅程管理上、計画通りにツアーを進行するため、A→Bまでの所要時間とか、イベント(祇園祭など)見学にかかる時間なんかは十分承知していないと時として困ったことになります。(旅程を計画した者が必ずしも「地誌」に円熟している者ではないからです。)

以上、長々と述べましたが、あくまでも白桃の「個人的所感」です。
※途中誤って記事終了ボタンを押してしまいました。
[102322] 2021年 9月 8日(水)07:42:21白桃 さん
名邑三世代.その71(石川県・後編)
現在はどうか知りませんが、「旅行業務取扱管理者」(私が関わっていた頃は「旅行業務取扱主任者」)の試験に、著名な観光地・温泉地が何県にあるか、という問題がやたら多く出されていたのですが、旅行会社の人間はともかく、旅行者は足利が栃木であろうが群馬であろうが、津和野が島根だろうが山口だろうが、そんなことは、あんまり気にしていないと思うのです。ましてや、温泉につかりながら、山中温泉のこの宿は何という市にあるのだろう、と考えている人はマズ、いないと思います。そんな事を考えていたら、お風呂から戻らないのを心配した添乗員によって発見されます。(もちろん、死体となって)
私も、温泉の大浴場でそんなことを考えることは全くありません。たとえ、ソコが杖立温泉であったとしても。というのは、温泉地に泊っても温泉に入らないことがあるし、入ったとしても、ウルトラマン同様5分以内に出なければいけないからです。
では、ソロソロ行かなくっちゃんは北海道。
[102299]の続きになります。
石川県の「準名邑」は以下の三つです。
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
宇出津能登町宇出津第二表4,401宇出津町5,877
津幡津幡町津幡第二表3,146津幡町3,540
羽咋羽咋市羽咋第二表3,137羽咋町3,950
参考としては以下の通りです。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
安宅(小松市)安宅第二表2,081安宅町2,126
飯田(珠洲市)飯田第二表1,847飯田町2,498
高浜(志賀町)大念寺新第二表1,743高浜町2,378
穴水穴水町穴水第二表1,573穴水町6,660
高松(かほく市)高松第二表3,623高松村7,192
山中(加賀市)山中第二表2,393山中村3,617
小木(能登町)小木第二表1,679小木村5,412
富来(志賀町)富来第二表1,669富来村2,402
山代(加賀市)山代第二表1,622山代村2,373
木郎(能登町)松波第二表1,464木郎村7,040
田鶴浜(七尾市)田鶴浜第二表1,329田鶴浜村1,286
志雄(宝達志水町)子浦第二表1,290志雄村1,562
寺井野(能美市)寺井第二表1,230寺井野村5,818
櫛比(輪島市)門前第二表461櫛比村3,737
野々市野々市市野々市村第三表2,002野々市村2,051
上記うち、「準名邑」の宇出津、津幡、羽咋と、(参考)に記した安宅、飯田、高浜は”生まれながらの町”です。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「秀邑」の前にブレイク…小木ですが、その変遷がややこしいので注目しています。
1921年:小木町→1955年3月宇出津町などと合併し能都町に→1955年10月に小木地区が松波町に組み込まれる→1958年松波町が内浦町に改称→2005年能都町・柳田村と新設合併により能登町に
小木には悪いですけど、なんか、主体性なくウロウロしていた感ありです。
さて、大浴場から出てきたところで、この有名な温泉は何市にあるのかジックリ考えてみましょう。(笑)
一番単純温泉は
粟津温泉・・・粟津村→1940年小松町、安宅町ほかと合併して小松市に
次に
山代温泉・・・山代村→1913年山代町→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
山中温泉・・・山中村→1913年山中町→2005年加賀市と新設合併で加賀市に
少しややこしいのが、
片山津温泉・・・1942年作見村・塩津村が合併し片山津町に(温泉は両村にまたがっていた)→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
そして
和倉温泉・・・1889年端村→1934年田鶴浜村ほかと合併して和倉町に→1939年和倉地区が七尾町ほかと合併して七尾市に
※1934年の合併の際に端村の一部にすぎなかった和倉が、中心だと思われる田鶴浜を差し置いて、なぜ町名となったのか不思議です。なお、和倉地区が抜けた後の和倉町は田鶴浜町となりますが、これは単なる「改称」としてはいけないと考えます。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
ですが、残念ながら「秀邑」も「準秀邑」もありません。
わずかに参考として
名称現自治体---920年 (人口)---1950年(人口)
七塚(かほく市)七塚村6,692七塚町9,990
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
石川県の「卓邑」は、この期に市となった珠洲、羽咋と二種二級の津幡(実質的には卓邑トップ)、四種の山中、野々市、内灘、根上(明徳に五連続敬遠された方や不適切発言の多い元首相の出身地)、能都の八つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種三級珠洲(3)珠洲市珠洲市35,827珠洲市19,852
一種三級羽咋(9)羽咋市羽咋市29,556羽咋市25,541
二種二級津幡(5)津幡町津幡町21,836津幡町34,304
四種山中(8)(加賀市)山中町13,650山中町10,195
四種野々市(6)野々市市野々市町8,758野々市町45,581
四種内灘(6)内灘町内灘村7,290内灘町26,560
四種根上(5)能美市根上町10,470根上町15,426
四種能都(5)能登町能都町19,348能都町11,433

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
高松(2)(かほく市)高松町10,639高松町10,826
現在のかほく市においては、高松も七塚も「秀邑」「卓邑」ともに逸しています。なお、かほく市の「前身因子町」は宇ノ気です。
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102316] 2021年 9月 2日(木)05:12:30白桃 さん
♪湊町十八番地?
[102312]ピーくん さん
[102314]ぺとぺと さん
「ナゾナゾ」にお付き合い頂きありがとうございます。
私の想定解は、ぺとぺとさんがお考えになっていた通り、(A)が「港」で、(B)が「湊」です。
合併して「市」や新しい「町」になるときに、元の自治体名にくっつけたり、元の自治体名からとりはずした事例
能代港町→能代市
境町→境港町
もっとも、「湊」は小湊、湊、というのが多く、「湊」をくっつけることはあっても、「湊」をとりはずすことは難しいです。
国語的には「港」も「湊」も殆ど同じように用いられていますが、「湊」のほうが古めかしいばかりではなく、「港」はもともと、「船が進む水路」を表すのに対し、「湊」は「船が集まる場所」の意であるそうです。(※ただ、違うというか、殆ど真反対な説明をしているものもあり、「個人の感想」に留めて置きましょう。)(笑)
以下は参考のために接尾に「湊」「港」が付く「町」を挙げました。
町名現在の自治体町(名)になった年「町」時代の最高人口(調査年)
青森県(八戸市)1924年12,587(1925年)
小湊青森県平内町1928年9,790(1950年)
大湊青森県(むつ市)1928年14,861(1955年)
茨城県(ひたちなか市)1889年14,723(1935年)
那珂湊茨城県(ひたちなか市)1939年20,274(1950年)
千葉県(富津市)1889年5,197(1947年)
小湊千葉県(鴨川市)1928年4,237(1950年)
天津小湊千葉県(鴨川市)1955年12,591(1955年)
新潟県佐渡市1889年2,131(1898年)
新湊富山県射水市1889年24,330(1940年)
大湊三重県(伊勢市)1889年2,662(1940年)
2,768(1918年)
大阪府(堺市)1915年6,442(1918年)
兵庫県(南あわじ市)1927年3,195(1950年)
神湊福岡県(宗像市)1906年2,571(1950年)
長崎県島原市1889年6,355(1920年)
7,167(1913年)
土崎港秋田県(秋田市)1889年18,047(1940年)
能代港秋田県能代市1889年25,756(1935年)
船川港秋田県男鹿市1894年16,865(1950年)
境港鳥取県境港市1954年33,256(1955年)
※上表の最高人口(調査年)について
1901年に夷町と合併して両津町となった新潟県の「湊町」は、1898年「日本帝国人口統計」です。
1920年4月1日に堺市に編入された大阪府の「湊町」は1918年「日本帝国人口静態統計」です。
三重県の「大湊町」と長崎県の「湊町」は、国勢調査開始以前に最高人口を記録した可能性があり、「日本帝国人口静態統計」の現住人口を併記しました。
※現在の自治体の市部が( )となっているのは、当該市の「前身町」ではないことを示しています。
・茨城県「湊町」が改称した「那珂湊町」は、「那珂湊市」の前身町ではありますが、「ひたちなか市」の前身町ではありません。ただし、「湊町」は「ひたちなか市」の「本源因子町」かつ「最古因子町」となります。ややこしい白桃ルール、ドーモすみません。
・その白桃ルールに従いますと、「島原市」の「前身因子町」・「本源因子町」・「最古因子町」(「三冠因子町」)は、「島原町」ではなく「湊町」になります。

以下は、ピーくんさんへのメッセージです。
早くから、私のことを心配していただいたこと大変恐縮しております。下馬評ではそんなに評価が高くなかったにもかかわらず、ベスト4になった西条農業、お見事でした。私の母校もクジ運よくベスト4に残りましたが、予定通り準決勝で敗退。西条農業の場合は、広島新庄相手に本当に惜しかったですね。つい最近のことですが、かつて西条農業で教えていた友人(校長か教頭だったかも?)に、祇園北のことも教えてもらいました。ただ、綾瀬はるかの名はでなかったですね。(笑)
[102309] 2021年 9月 1日(水)07:58:19【1】白桃 さん
朝からナゾナゾなどどうでしょう?
合併して「市」や新しい「町」になるときに、元の自治体名にくっつけたり、元の自治体名からとりはずした事例がある漢字一字(A)があります。いっぽう、(A)と「訓読み」では同じ読み方の漢字一字(B)は、私の知る限り、合併して「市」や新しい「町」になっても元の自治体名からとりはずした事例はありません。(三本松町→大内町、三本木市→十和田市のように、名称自体がまるっきり変わるケースは除外します。)
さて、(A)と(B)はどういう漢字でしょう???
ヒント:
ヘンな話ですけど(A)と(B)は同じヘンです。This is 3 WATER HEN.
[102299] 2021年 8月 30日(月)08:34:12白桃 さん
名邑三世代.その70(石川県・前編)
何回か経験したことなんですが・・・
「香川県の出身です。」と言うと、「県庁は松山でしたか?」 と香川県民や高松市民がガックリくるような質問を受けるのです。では、その香川県民百万人(昔はイタんだよ)のウチの百人に「金沢は何県の県庁所在地か」と尋ねてみたら、どうでしょう。多分、正確に答えられるのは10人いるかいないか、だと思います。「北陸県」という珍答もあるカポネ。ま、それぐらい金沢は誰でも知っていると思いますが、石川県の知名度は香川県と同等クラスではないでしょうか。そして、「金沢があって、ちょっと先の方へ行くと加賀屋のある温泉地がある。」ってなるぐらい能登は忘れ去られています。ま、「♪能登はいらんかいね」と坂本冬美によって売りにだされているのも致し方ないでしょう。
与太話はさて置き、石川県は当落書き帳にとって「最重要県」でありますから、前・後編なしの一編で終わらすことは出来ません。よってムダ話を続けます。('◇')ゞ
47~48年ぐらい前の話です。西洋史研究室にいた者が彼女とこっそり飛騨高山への旅行を計画していたのですが、彼女の親にバレて行けなくなってしまい「もう宿のキャンセル出来ないんで、白桃、かわりにオレの名前で行ってくれないか?」と頼まれました。「エッ、一人でか?!」となにか違和感を感じつつも承諾したのですが、案の定、高山の宿では「お一人ですか?」とヘンな目でみられました。で、せっかくだからその帰りに寄ってみよう、ということで訪れたのが私の金沢初参上です。なぜか兼六園を見物してまして、歩き回っているうちに”つっかけ”の鼻緒が切れてしまい、真夏の暑い最中、ハダシで金沢の街をウロウロしてました。で、どういうわけか、スリッパを求めに金沢大学の地理学教室に向かったのです。偶然、そこには大学の先輩で助手?をやっている先生がいて、私以上にラフな恰好(ステテコ???)のソノ先生と、いろいろ地理学方法論のハナシで盛り上がり…いやいや、そういうことは全くなく、しばし世間話をしてたような記憶が残っています。その先生は、ずっと後に岡山に教授として戻ってくるのですが、五年ほど前に岡山で再会しました。アレ、金沢の話がいつの間にか岡山のはなしに…になってはいけません。
ではアラタメまして。金沢はわが国では数少ない「都市観光に耐えうる」美しい都会だと思います。私は、上に書いた学生時代も含めて少なくとも5回は訪れているのですが、そのたびに新しい感動を覚えます。と、お世辞はこのあたりに本題に入りましょう。
【明治の名邑】
簡単に言えば、石川県は【特選市街】金沢と8つの【名邑】ということになります。
札幌、仙台や福岡が「別格市街」にとどまっているのに対して金沢は堂々の「特選市街」。ま、加賀百万石の威力はたいしたものです。名邑筆頭は「市街」になりそこねた小松。これに輪島、七尾と能登勢が続きますが、その後はすべて加賀の街。大聖寺はその名からして門前町と間違えられそうですが、城下町、宿場町として栄えていました。「城下町」と言っても「一国一城令」によって「城」を構えることは無く、陣屋があるのみ。幕末には10万石になったから、「日本最大の陣屋町」と言った方が格好いいかも。次の「名邑」の名称は「上金石」としていますが、これは、上金石町が金石町となるのが1920年(大正9年)なので仕方ありません。なお、「戸口表」時の「金石」が1889年の町村制施行時に「上金石町」と「下金石町」に分離し、「大野町」はその「下金石町」が改称したものです。美川、松任、鶴来と現在の白山市にある街が三つ入りますが、名邑代表は、当時は松任を凌いだらしい美川にしときましょう。余談ですが、アノ看板(「美川県一」)はもう無くなっていますね。鶴来は松本清張の「ゼロの焦点」に登場します。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街金沢金沢市金沢97,653金沢市110,994
名邑小松小松市小松11,721小松町14,505
名邑輪島輪島市輪島9,840輪島町11,376
名邑七尾七尾市七尾8,965七尾町11,382
名邑大聖寺加賀市大聖寺8,944大聖寺町8,920
名邑上金石(金沢市)金石9,110上金石町7,282
大野(金沢市)(金石)大野町2,222
名邑美川(白山市)美川5,524美川町5,753
名邑松任白山市松任5,154松任町6,873
名邑鶴来(白山市)鶴来3,590鶴来町4,488
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「準名邑」からは後編に・・・
[102280] 2021年 8月 27日(金)15:20:44【1】白桃 さん
ヤーレン・ソーメン・ウーメンと白石
[102273]千本桜 さん
クイズ ここはどこでしょう
は、別解が無いか、台湾までにも思いをはせたのですが、やはり、全世界中を探しても白石以外は該当しませんネ。(笑)
[102279]千本桜 さん
白石うーめんは短いのはわかりますが、私は味音痴で「三輪そうめん」と「白石うーめん」の味の違いが、よくわからないのです。白石うーめんを食べたことのある白桃さんに解説をお願いしたのですが、いかがでしょうか。
初めて千本桜を見に行ったとき、車で送って頂いた白石蔵王駅で買った記憶があるのですが、私も味音痴でして、「三輪そうめん」との味の違いどころか、「うーめん」の味自体も殆ど記憶にありません。※「一ノ蔵」と「浦霞」の味の違いは分かります…('◇')ゞ
それに、香川県育ちの私は三大素麺の筆頭?「三輪そうめん」を食べたことが無いかもしれません。「揖保乃糸」でおなじみの「播州素麺」、地元の「小豆島素麺」、それから(島原の乱後、荒廃した島原半島に移民した小豆島の人たちによって広まったといわれる?)「島原素麺」は良く食べますが、どれも美味しいです。もっとも、私のお気に入りは隣県徳島は半田の「半田素麺」です。スダチをかけるとなお美味しい。

ところで、白石は千本桜さんが仰る通り、こじんまりした上品な「城下町」ですが、他の城下町とは大きく異なる点があります。それは、「一国一城令」が出された後も明治維新まで存続することによって城下が整備されたということと、その領主(正確には「領主」と言えないかも)は伊達の「家臣」である片倉家であったことです。このことは、徳川幕府の伊達家に対する特別な扱いを意味するとともに、陪臣でありながらも片倉家の唯一無二とも言える存在感を示しているのではないでしょうか。
徳川幕府は「一国一条令」後もいくつかの大大名に対して例外処置を行っていますが、特に伊達家に対しては、「白石城」ばかりではなく、伊達領内に実質上は城砦に等しい「要害」を残すことを黙認しているのです。(「要害」より規模が小さいものに「所」があります)
参考として以下に、仙台藩の21の要害とその所在地及び、明治19年調「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」における現住人口を記しておきます。「城下町」とは言えないまでも、「要害」の所在地は後に地域の中心地となったところが多いです。
---明治19年名称戸口表記載現住人口町村制施行後の変遷
白石城白石第一表5,251白石町→白石市
要害
岩谷堂岩谷堂第一表3,341岩谷堂町→江刺町→江刺市→(奥州市)
人首人首村第三表2,911米里村→(江刺町)
上口内福岡村第三表2,346福岡村→(北上市)
金ヶ崎西根村第三表4,172金ヶ崎村→金ヶ崎町
水沢水沢第一表5,408水沢町→水沢市→奥州市
高清水高清水第二表2,269高清水村→高清水町→(栗原市)
宮沢記載なし宮沢村→(古川市)
佐沼佐沼第一表5,820佐沼町→迫町→登米市
岩出山岩出山第一表4,017岩出山町→(大崎市)
登米登米第一表5,408登米町→(登米市)
涌谷涌谷第一表7,793涌谷町
不動堂不動堂村第三表1,321不動堂村→不動堂町→小牛田町→美里町
岩沼岩沼第一表5,040岩沼町→岩沼市
船岡舟岡第二表1,784船岡村→船岡町→柴田町
川崎前川村第三表1,394川崎村→川崎町
角田角田第一表4,197角田町→角田町
金山金山第二表1,782金山村→金山町→(丸森町)
平沢記載なし円田村→蔵王町
亘理亘理第二表3,447亘理町
坂元坂元村第三表2,674坂元村→(山元町)
新地谷地小屋村第三表1,466新地村→新地町
【訂正1】片桐家→片倉家(だいぶ前の大河ドラマ「独眼竜政宗」では西郷輝彦が片倉小十郎役を演じていました。因みに、政宗(渡辺謙の正室・愛姫はナントカ教会合同カントカで世間を騒がせた桜田淳子ちゃん…もう60歳すぎてます。でした。)
【訂正2】「要害」を残すことを認めていました。→「要害」を残すことを黙認しているのです。
[102269] 2021年 8月 24日(火)04:55:02白桃 さん
名邑三世代.その69(秋田県・後編)
[102255]にて、
秋田県については、オフ会で湯瀬温泉に一泊する前、鷹巣、大館を歩いたぐらい、あとは角館を観光しただけなので、白桃にとってはもう殆ど知らない土地なのであります。
と書きましたが、白桃にとって秋田(県)はまったく縁もゆかりもないわけではありません。まず、義理の姉(兄嫁)は能代出身です。それから、学生時代四畳半の下宿の壁には、後にナントカ協会の合同カントカで世間を騒がせた秋田出身のアイドルのポスターを貼っていました。そして、リハビリでお世話になった女性インストラクターは、(別にこちらから聞いたわけでは無いのですが)秋田大学を卒業したとか仰ってました。この方は多分、医学部保健学科だと思うのですが、秋田大学と言えばかつて鉱山学部がありました・・・とムリヤリ、鉱山の話にもってきました。
そうなんです。秋田県の市町村人口の推移を語るとき、鉱山を忘れてはならないのです。
以下は、「準名邑」にもなれない秋田県の街々です。
現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
岩崎(湯沢市)岩崎第一表1,215岩崎町2,370
矢島(由利本荘市)矢嶋第一表1,184矢島町6,253
毛馬内(鹿角市)毛馬内第二表2,680毛馬内町4,909
扇田(大館市)扇田第二表2,662扇田町4,029
象潟にかほ市塩越第二表2,409象潟町3,578
十二所(大館市)十二處第二表2,312十二所町4,258
檜山(能代市)檜山第二表1,764檜山町3,142
鷹巣北秋田市鷹巣第二表1,500鷹巣町2,501
大森(横手市)大森第二表1,500大森町2,481
西馬音内羽後町西馬音内第二表1,392西馬音内町4,161
牛島(秋田市)牛島第二表1,206牛島町2,094
院内(湯沢市)院内銀山町第三表3,039院内町11,185
神宮寺(大仙市)神宮寺村第三表2,792神宮寺町3,546
刈和野(大仙市)刈和野村第三表2,031刈和野町2,269
阿仁合(北秋田市)小沢鉱山第三表2,021阿仁合町9,206
船越(男鹿市)船越村第三表2,007船越町2,677
金沢(横手市)金沢村第三表1,729金沢町6,265
平沢(にかほ市)平沢村第三表1,669平沢町3,570
稲庭(湯沢市)稲庭村第三表1,617稲庭町2,313
米内沢(北秋田市)米内沢村第三表1,443米内沢町4,241
北浦(男鹿市)北浦村第三表1,286北浦町7,061
金浦(にかほ市)金浦村第三表1,271金浦町3,194
沼舘(横手市)沼舘村第三表1,175沼舘町4,511
天王潟上市典農村第三表3,558天王村5,788
鹿渡(三種町)鹿渡村第三表3,184鹿渡村6,010
八森八峰町八森村第三表3,127八森村7,924
尾去沢(鹿角市)尾去沢鉱山第三表2,836尾去沢村4,444
大湯(鹿角市)大湯村第三表2,146大湯村5,104
小坂小坂町小坂村第三表1,939小坂村14,975
花岡(大館市)花岡村第三表1,485花岡村2,069
船川港男鹿市記載なし船川港町5,128
横堀(湯沢市)記載なし横堀町2,294
二ツ井(能代市)記載なし二ツ井町1,803
上の表で1908年(明治41年)の人口をみますと、鉱山のあった院内(銀山)、小坂、阿仁合は驚くほどの数字を示しています。鉱山のあるマチの人口統計は、(労働を強いられた)外国人労働者が多いことや短期間にヒトが入れ替わるなどの理由であまり正確でないかもしれませんが、とにかく人口が急増、激減するのが鉱山の街の人口推移の特徴と言えるでしょう。
上記の表で、岩崎、矢島、毛馬内、十二所、檜山は「生まれながら町」ですが、ちょっとソレにしては…と言う感じです。♪秋田名物八森ハタハタ~で有名な八森にも複数の鉱山が存在しており、それなりに賑わっていたようですが、八森が町制施行となるのはズウーと後のことです。話は逸れますが、西馬音内の盆踊りはナカナカのものです。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
秋田県の「秀邑」は以下の五つです。小坂は勿論、尾去沢、花岡も「鉱山の街」として有名です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級小坂小坂町小坂町14,681小坂町13,109
二種三級矢島(由利本荘市)矢島町6,867矢島町10,139
二種三級船川港男鹿市船川港町6,739船川港町16,865
二種三級尾去沢(鹿角市)尾去沢村5,690尾去沢町10,322
二種三級花岡(大館市)花岡村5,668花岡町10,523
以下は参考です。増田も𠮷乃鉱山によって繁栄しました。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
六郷(美郷町)六郷町6,986六郷町9,374
増田(横手市)増田町6,726増田町9,666
天王潟上市天王村6,558天王村11,385
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
秋田県の「卓邑」は、後に市となる三つの【前身因子町】です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
二種三級鷹巣(9)北秋田市鷹巣町27,240鷹巣町21,818
二種三級天王(0)潟上市天王町11,847天王町21,687
四種象潟(9)にかほ市象潟町14,966象潟町13,288
象潟や 雨に西施が ねぶの花(芭蕉)
「北秋田」 大館の酒 ねぶたいな(白桃駄句)
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
羽後(0)羽後町羽後町27,716羽後町19,485
平鹿(0)(横手市)平鹿町20,850平鹿町14,941
五城目(0)五城目町五城目町20,025五城目町12,372
比内(2)(大館市)比内町18,350比内町12,095
さーびす問題:メンナイチドリとヒナイジドリ、食べられるのはどっち???
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102265] 2021年 8月 23日(月)16:09:03白桃 さん
Re:はりぼて準名邑
[102260]千本桜 さん
準名邑に選ばれた宮城県丸森は、農山村集落を多く含んでいるため、面積が広くて人口も多い。しかし、町場の規模は、同じ凖名邑の亘理・中新田などに比して小規模である。それに対し、凖名邑に選出されなかった宮城県吉岡は、周辺集落を少ししか含まず、面積が狭く人口数も多くない。しかし、町場の規模は丸森より大きい。そのような訳で、私は丸森を「はりぼて凖名邑」または「上げ底凖名邑」・「粉飾凖名邑」と呼び、吉岡を「実質凖名邑」と呼びたいのですが、いかがでしょうか。
いつもお世話になっております。仰っていることは良く理解できますし、ご提案のようなことを考えたこともないわけでは無いのです。ただ、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(以下、「戸口表」)を全面的に信頼しているわけではありませんが、「戸口表」以上に町場の規模を正確に伝える資料・データが見当たらない(正直、今から探す気が無い。)ので、もう一歩前に踏み出すことを躊躇しているのです。
「名邑」(「明治の名邑」)の定義は[99245]にても公表しておりますが、「準名邑」については、ぼやかしています。ただ、非公開文書(笑)には、以下の要件を備えたところと書かれています。
1.「明治期」に「町」となる。(ただし、他地域と比較して、当該地域・当該都邑が特に配慮すべき状況下にある場合などは、昭和初期までに町制施行している場合でも可とする、ことがある。)
2.「戸口表」第一表に記載され、その現住人口が2,500人以上、もしくは、「戸口表」第二表に記載され、その現住人口が3,000人以上となっている。(お酒がはいって気分がよいと、アバウト2,500人となる。)

以下に示した仙南地方に焦点を合わせると、白桃の内規ではご案内の通り丸森と亘理が「準名邑」になるのですが、どちらも町村制が施行された直後の明治22年末の内務省告示による現住人口(もちろん、町場の人口ではない)と「戸口表」現住人口(町場の人口であるはず)が大差がないことから、仰る通り丸森や亘理の「戸口表」現住人口は町場の人口ではないのでは、と言う気持ちが強まっています。(◎は第一表、○は第二表、△は第三表、に記載されたところです。)
明治22年内務省告示-----明治19年戸口表---明治12年共武政表---明治8年共武政表
白石町6,886白石◎5,251白石4,508白石驛3,313
七ヶ宿村2,512
小原村2,283小原村△2,070
越河村2,612
齋川村1,900齋川村△1,736
大平村1,689
大鷹澤村2,147
白川村2,305
福岡村3,891
宮村2,972宮村○2,716
圓田村4,130
大河原町4,297大河原○2,489大河原驛2,030大河原驛1,447
村田村4,639村田○1,758村田驛1,631村田村1,200
槻木村6,540入間野村△1,290
金ヶ瀬村2,366平村△1,492金ケ瀬驛1,411金ケ瀬驛1,063
船岡村3,269舟岡○1,784舩岡村1,181
沼邊村2,597
富岡村2,457
川崎村3,845前川村△1,394
角田町6,044角田◎4197角田3,829角田本郷3,105
丸森村4,852丸森○4,404丸森4,070
金山村2,062金山○1,782
筆甫村1,089
大内村3,144大内村△1,415
小齋村1,761小齋村△1,575
枝野村2,168
藤尾村3,417藤田村△1,530
尾山村△1,213
櫻村2,233佐倉村△1,550
東根村2,045
北郷村3,044
西根村3,265
舘矢間村3,390舘山村△1,169
大張村1,595
耕野村1,464
亘理町3,614亘理○3,447小堤2,847亘理驛1,712
坂元村3,357坂元村△2,674
山下村5,028山寺村△1,687
吉田村2,674吉田村△1,488
逢隈村5,650
荒濱村3,135荒濱○2,692高須賀2,301荒濱港1,555
[102255] 2021年 8月 21日(土)12:11:14白桃 さん
名邑三世代.その68(秋田県・前編)
「もう勉強はアキタ・ケン」と言いますが、飽きるほど勉強をしたことがない白桃です。でも、地図や人口統計は一日中眺めていても飽きることがありません。
秋田県については、オフ会で湯瀬温泉に一泊する前、鷹巣、大館を歩いたぐらい、あとは角館を観光しただけなので、白桃にとってはもう殆ど知らない土地なのであります。そこで、”行稼ぎ”にムダ話です。日本文理と敦賀気比の対戦を見てたオバさんが、「新潟と福井、となり同士なんだ。」と言ったので、「隣じゃないよ。」と教育的指導をしました。すると、「間に富山があるか?」と石川県民が聞いたら怒りそうなセリフ。ま、「都道府県をまたがない移動は良いのよ。」と大きな勘違いをしているヒトなので仕方ありません。
【明治の名邑】
秋田以外に能代港が「市街」になります。そして、惜しくも「市街」を逸したもう一つの「港」・土崎港が名邑筆頭で、大舘、本庄、湯沢、大曲と「戦後生まれの市」が続きます。角館が「名邑」に入るのは当然として、「戸口表」ではナント横手は「第二表」掲載となっているのです。これはイクラナンでもオカシイ。その代わりと言って良いのかどうか、「第一表」に横手前郷が名を連ねているのです。イクラちゃんもおかしい。当然、オフ会でお世話になった鹿角の本源因子町である花輪ととともに横手を、強権発動を行使して「拾玖世紀枠」として「名邑」に追加しました。名邑代表は地味ながら岩城氏の城下町・亀田にお願いしましょう。
亀田に着いたのは、十時近かった。駅は寂しかった。だが、その前の町並みは家の構造がしっかりしていた。古い家ばかりである。想像していたより、ずっと奥ゆかしい町だった。
と、松本清張が「砂の器」で書いていますが、当時は駅前にも家並みがあったのでしょうか???
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
市街秋田秋田市秋田29,225秋田市36,294
市街能代港能代市能代10,737能代港町17,826
名邑土崎港(秋田市)土崎9,274土崎港町15,176
名邑大舘大館市大舘7,165大舘町9,685
名邑本荘由利本荘市本庄7,080本荘町10,617
名邑湯沢湯沢市湯沢6,567湯沢町8,983
名邑大曲大仙市大曲5,131大曲町8,218
名邑角館仙北市角館3,839角館町5,886
名邑亀田(由利本荘市)亀田3,028亀田町4,450
拾玖世紀枠横手横手市横手8,111横手町14,329
(横手市)横手前郷2,375(横手町)
拾玖世紀枠花輪鹿角市花輪5,780花輪町7,749
続いて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
六郷(美郷町)六郷第二表4,388六郷町7,580
浅舞(横手市)浅舞第二表4,166浅舞町6,841
新屋(秋田市)百三段新屋第二表4,022新屋町4,556
増田(横手市)増田第二表3,884増田町6,517
五城目五城目町五十目第二表3,874五城目町5,301
角間川(大仙市)角間川第二表3,371角間川町4,008
その他、(参考)として忘れてはならない所が多いのですが、後編にまわします。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102249] 2021年 8月 18日(水)13:42:03白桃 さん
大三沢町
[102101]白桃
他の自治体の一部と一緒になって「市」になったのが、多分、以下の三例しかないと思います。
市名変更年月日変更種別変更対象自治体名/変更内容
習志野市1954.08.01境界変更/改称/市制千葉郡 津田沼町, 千葉市の一部
西尾市1953.12.15境界変更/市制幡豆郡 西尾町, 平坂町の一部
尼崎市1916.04.01新設/市制川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部
[102145]白桃
今もって「自治体の一部」が絡む廃置分合・境界変更の扱い、というか、それがどう扱われてきたのか良く分かりません。
等、尼崎市の成立が特殊例なのか?と疑問を投げかけていましたが、そう言えば、市制ではありませんが、1948年(昭和23年)2月11日に、三沢村、六戸村の一部、下田村の一部、浦野舘村の一部でもって大三沢町が成立しています。
詳しくは調べてないのですが、このときの官報公示は
青森県上北郡三沢村を廃し同郡大三沢町を置く
となっているようです。また、当落書き帳では「新設/町制」となっていますが、私には「三沢村が3つの村と境界変更を行い、町制施行」と思えるのですが、どうなんでしょう。「三沢村が廃されて」なので、廃置分合(合体)になるのでしょうか。
コロナと雨に呪われた今夏の高校野球のようにすっきりしません。
[102244] 2021年 8月 15日(日)19:13:14白桃 さん
「白」の読み方・「条」と「條」
「しろもも」か「はくとう」かではありません。
「しろ」かしら、「しら」かしら、という話です。

白石・白鳥
苗字では「シライシ」「シラトリ」さんがいますが、白石区、白石市、白石町(佐賀県)は「シロイシ」で、岐阜県にあった白鳥町、香川県にあった白鳥町は「シロトリ」で自治体名では「シロ」が優勢です。

白子・白根
千葉県の白子町は「シラコ」ですが、三重県にあった白子町(現:鈴鹿市)は「シロコ」です。また、白根市(現:新潟市)は「シロネ」ですが、山梨県にあった白根町(現:南アルプス市)は「シラネ」でやぎろしい。
※「やぎろしい 」は讃岐や播磨の方言で、「むさ苦しい」という意味なのでしょうが、白桃は「グチャグチャしてて、面倒だ」という感覚で使用していました。

自治体の表記でいつも悩むのが、「条」と「條」です。 「三条市」を「三條市」で答えたり、「五條市」を「五条市」で答えたりすると、十番勝負では誤答になりますから、氣をつけましょう。

とにかく、日本語はムズイというかウザイというか・・・
[102241] 2021年 8月 13日(金)13:11:43白桃 さん
「高校野球拳庁」所在地(甲子園出場回数と人口)
「夏の甲子園」が開幕しましたが、雨のため開会式は一日遅れて、今日も2日連続で順延しています。

市町村域にある高校(注1)の春の選抜・夏の全国選手権大会に出場した回数を調べ、その「のべ回数」によって都道府県ごとに順位をつけてみました。
順位の付け方:
のべ出場回数が同じ→出場高校数が多いほうを優先
出場高校数が同じ→春(選抜大会)の出場回数が多いほうを優先
春の出場回数が同じ→出場が新しいほうを優先
注1:甲子園に出場したときは他所にあった高校の場合でも、現在の所在地でカウント。また、閉校となり後身となる高校もない場合は閉校時の所在地でカウント。
多賀城※・・・仙台育英硬式野球部は多賀城キャンパスにあるので、仙台市ではなく多賀城市でカウント
注2:人口は2020年国勢調査速報値の千人の位を四捨五入
★は「町」
金メダル(回数)(万人)-----銀メダル(回数)(万人)---銅メダル(回数)(万人)
札幌86198旭川3233函館2325
八戸3422青森2328弘前1717
盛岡3629花巻179一関1411
仙台54110多賀城※426気仙沼36
秋田8131能代75由利本荘57
山形4625酒田1310鶴岡1212
伊達226福島1428郡山1333
土浦3414水戸2227取手1610
宇都宮5952佐野1112足利1014
桐生4811前橋3533高崎3337
さいたま40132加須1211熊谷919
銚子226千葉2098木更津2014
特別区129974国分寺5013町田4743
横浜109378相模原2373川崎16154
新潟3679長岡2027新発田79
高岡2917富山2841射水79
金沢8046小松711輪島42
福井5626敦賀396小浜103
甲府5319甲斐78市川三郷★51
松本6124長野2437上田1715
岐阜7740瑞浪124大垣1216
静岡8169浜松2779島田1210
名古屋188233岡崎738大府79
松阪3116四日市2231伊勢1512
大津3235彦根2611近江八幡158
京都162146宇治918長岡京88
大阪81275富田林3811熊取★324
神戸103153西宮6649姫路2653
天理536五條343大和郡山128
和歌山12736海南215有田173
鳥取3919米子3315倉吉135
松江3020浜田175出雲1517
岡山7473倉敷3947玉野56
広島1171201521三原109
下関3826宇部2516岩国1813
徳島4425鳴門375三好172
高松6542丸亀1911善通寺183
松山6251今治3115西条1410
高知8233須崎412四万十23
北九州8294福岡39161柳川166
佐賀5023唐津1012鳥栖57
長崎4441諫早2113佐世保1324
熊本9174八代1112山鹿75
大分3448別府1912津久見182
宮崎2440延岡2012日南185
鹿児島9459いちき串木野103日置15
那覇4132糸満146豊見城76
上表の通り、八戸、伊達、土浦、桐生、銚子、高岡、松本、松阪、天理、下関、北九州の11市は「県庁所在市」を押さえ、「野球拳庁所在市」となっています。また、三重県の津市、奈良県の奈良市、山口県の山口市は県庁所在地でありながらメダルを逸しています。(津市:5位、奈良市:6位、山口市:7位、オマケで東広島市と東かがわ市は7位です。)

「人口」(p)に比べて「出場回数」(n)が多いところ:
上表で「出場回数」10回以上でn≧3pとなっているのは、
多賀城(仙台育英)、伊達(聖光学園ほか)、桐生(桐生ほか)、銚子(銚子商ほか)、国分寺(早実)、敦賀(敦賀・敦賀気比)、小浜(若狭)、瑞浪(中京)、富田林(PL学園ほか)、熊取(大体大浪商)、天理(天理)、五條(智辯学園)、和歌山(智辯和歌山ほか)、海南(海南)、有田(箕島)、浜田(浜田ほか)、鳴門(鳴門ほか)、三好(池田)、善通寺(♪尽誠はワン・ツゥ・パンチ)、須崎(明徳)、津久見(津久見)、日南(日南学園ほか)、いちき串木野(神村学園)ですが、
メダル獲得市町以外でも
(回数)(万人)---回数内訳
山口県柳井市153柳井(11),柳井商工(3),柳井学園(1)
島根県江津市142石見智翠館(12),江津工(2)
福島県石川町121学法石川(12)
和歌山県新宮市103新宮(10)
宮崎県高鍋町102高鍋(10)
岩手県二戸市103福岡(10)
となっています。”かつて”を含め「常連校」が目につきます。
[102236] 2021年 8月 9日(月)03:02:09白桃 さん
名邑三世代.その67(青森県・後編)
青森県は一編で終わらせるつもりでしたが、このシリーズ、一年半近く惰性的に続けているうちに、(参考)として取り上げたいところが段々多くなって、原稿が長くなってきました。ですから逆に、初めのほうで書いたワ行やヤ行の県に対しては、一編で終わらせたことを申し訳なく思っています。
さて、地図や地理に疎い人でも、県の形を見れば県名が口に出てくる青森県の続きです。
【大・昭の名邑】=【秀邑】
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級三本木十和田市三本木町7,861三本木町20,352
二種三級五戸五戸町五戸町6,497五戸町11,157
二種三級大畑(むつ市)大畑村6,570大畑町12,448
二種三級大鰐 大鰐町大鰐村5,875大鰐町11,315
二種三級大湊(むつ市)大湊村5,735大湊町14,424
三本木はもちろん、五戸、大畑、大鰐、大湊。ま、順当なところでしょう。
余談ですが、大鰐は白桃にとって青森県唯一の宿泊経験地です。

準秀邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大三沢三沢市三沢村7,015大三沢町24,790
大三沢(三沢)は町制施行が遅いばかりに、白桃ルールによって「秀邑」を逸しました。

参考名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
川内(むつ市)川内町10,236川内町9,391
小湊平内町中平内村5,370小湊町9,790
東通東通村東通村7,387東通村10,761
天間林(七戸町)天間林村6,644天間林村13,829
十和田(十和田市)法奥沢村6,141十和田村10,034
浦野舘(東北町)浦野舘村5,993浦野舘村10,464
甲地 東北町甲地村5,840甲地村11,564
六ヶ所六ヶ所村六ヶ所村5,802六ヶ所村10,702
川内は、大正初期には銅山によって栄え、1920年国勢調査では田名部や大湊の人口を上回っていました。
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

~よりみち:♪「みちのく風雪みちくさ旅」~
その昔、白桃は超有名な歌手が事実上の代表を務める音楽事務所に出入りをして(別に歌手になりたいわけでは無かった)いました。その歌手、~仮にキタサン(喜多さん?)としときましょう~は、数多くのGIレースを勝った馬を持っていましたが、なぜだか、私はいつもその馬の馬券を買っていません。それで、文句を言いたいわけではありませんが、キタサンが紅白歌合戦のトリで歌った曲の歌詞に文句をつけたいのです。2番の終わりが「小樽、函館、苫小牧」で、3番の終わりが「留萌、滝川、稚内」となっており、これも気になるところがあるのですが、問題は1番の終わり。「津軽、八戸、大湊」。これは千本桜さんも仰っているのですが、ここの「津軽」はつがる市のことではなく、「津軽地方」の意で広域名称です。そして八戸という都市名がきて、シメが旧町名の大湊。みもじ、よもじ、ごもじ、にしたいのはわかりますが、ものずごくアンバランス。私は、こう提案します。現在のむつ市で小回りにするなら、「田名部・川内・大湊」。もっと広くして、下北半島周遊コースにすれば、「大間・大畑・大湊」→これがイイなおすけ。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
寄り道したので早く帰りましょう。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級三沢(9)三沢市三沢市36,570三沢市42,495
二種三級平賀(4)平川市平賀町25,574平賀町22,861
二種三級浪岡(2)(青森市)浪岡町24,233浪岡町20,873

準卓邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
木造つがる市木造町29,105木造町19,988
木造は、本来なら(参考)程度にとどめておくべきなのですが、あまりにも可哀想なので「準卓邑」にしました。

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
板柳(3)板柳町板柳町21,860板柳町16,840
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102235] 2021年 8月 8日(日)23:35:03白桃 さん
名邑三世代.その66(青森県・前編)
♪「津軽海峡冬景色」のせいか、白桃の青森県に対するイメージは暗くサビシイと言う感じがどこかにあるのですが、都市に関しては、人口下降一直線とはいえ、まだまだ捨てがたいものがあります。
【明治の名邑】
「市街」は「生まれながらの市」弘前、明治期に市制施行の青森に加え、八戸が入っています。県庁となった青森の人口は1908年には弘前を約1万人上回っています。「名邑」は、黒石を筆頭に七戸、鯵ヶ沢、野辺地、三戸、五所川原、田名部と続くのですが、着目したいのは1886年時の名称です。これは、1988年(明治21年)に作成された「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」をそのまま。転載しているのですが、黒石・鯵ヶ沢・三戸がそのままになっているのに対し、七戸・野辺地・五所川原・田名部は「村」が付いているのです。これは単なる偶然や気まぐれ?ではないと思っています。というのは、翌年1989年に施行された町村制において、青森と八戸に加え、黒石・鯵ヶ沢・三戸が「町」となり、七戸・野辺地・五所川原・田名部は「村」のままであったのです。白桃は、鯵ヶ沢と野辺地を同格にしておりますが、当時は格差があったのでしょうか。気になっているからというわけではないのですが、名邑代表はへのへの野辺地にしております。('◇')ゞ
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
市街弘前弘前市弘前28,170弘前市37,487
市街青森青森市青森14,920青森市47,206
市街八戸八戸市八戸10,520八戸町16,109
名邑黒石黒石市黒石6,197黒石町7,423
名邑七戸七戸町七戸村4,997七戸町7,029
名邑鯵ヶ沢鯵ヶ沢町鯵ヶ沢4,806鯵ヶ沢町5,038
名邑野辺地野辺地町 野辺地村4,506野辺地町8,486
名邑三戸三戸町三戸3,590三戸町4,934
名邑五所川原五所川原市五所川原村3,290五所川原町5,346
名邑田名部むつ市田名部村3,216田名部町6,987
続いて「準名邑」
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
木造つがる市木造村第一表2,651木造町3,831
五戸五戸町五戸村第一表4,846五戸村6,328
川内(むつ市)川内村第一表3,236川内村5,067
藤崎藤崎町藤崎村第一表3,021藤崎村4,504
以下は(参考)です。
三本木村※は、1910年に三本木町となっています。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
三本木十和田市三本木村第一表2,101三本木村※6,567
(八戸市)濱通村湊第一表2,622湊村7,868
大畑(むつ市)大畑村第一表2,412大畑村4,328
深浦深浦町深浦村第一表2,377深浦村3,741
金木(五所川原市)金木村第一表2,359金木村4,939
油川(青森市)油川村第一表2,296油川村3,709
小中野(八戸市)小中野村第一表2,064小中野村3,741
板柳板柳町板屋ノ木村第一表2,042板柳村4,825
鶴田鶴田町鶴田村第一表1,996鶴田村5,007
十三(五所川原市)十三村第一表1,444十三村1,489
浪岡(青森市)浪岡村第一表1,139浪岡村2,506
尾上(平川市)尾上村第一表899尾上村3,165
大鰐大鰐町大鰐第二表722大鰐村4,015
柏木町(平川市)柏木町第二表716柏木町村3,977
甲地東北町甲地村第三表3,774甲地村5,287
大湊(むつ市)大湊村第三表1,393大湊村5,240
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。


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