[44907] 北広島調査の続き
広島町で出している資料をいくつか調べた所、’84年広島町勢要覧に
『国鉄の駅や道営団地などの名称として用いられている「北広島」は、広島町の俗称として使われており、本来は広島県と北海道の広島町を区別する意味から、そう呼ばれ始まったものです』
との記述を見つけました。ただ、広島村時代のを含め、他の年度の要覧を5、6冊見ましたが、このように記載されているのはこの年度だけでした。’84年は昭和59年であり、北海道大百科事典(昭和56年)の影響を受けているかもしれません。
「広島町を北広島市とする事についての申請書」(市制施行の前年度に作成されたと思われます)に、市名選定の理由が次のように載ってます。
『「広島」という名称は、明治26年12月月寒村から分離独立するに当たり、村の中心である東部地区へ入植し、開拓に功労のあった和田郁次郎ら団体移住者の出身地である広島県の名を採り、新村名として「広島村」と名付けられたことによります。その後、昭和43年の町制施行により、「広島町」として継承されてきました。
このように「広島」の名称は、歴史的にも極めて意義深いものがあります。このことから、まず「広島」を選定することにしました。
次に、他市の名称との混乱を避けるため、北海道の「北」を「広島」の上に冠し、「北広島」としました。
現在のJR駅は、大正15年8月に北海道旅客鉄道株式会社が札幌-沼の端を開通させるに当たり、広島県の「広島駅」と区別するため「北広島駅」とした経緯があり、又、北海道立高校の校名や各企業、事業所の本支店名に「北広島」という名称が広く使用され定着していると言えます。』
この文の冒頭にあるように、村の中心(字広島)は「東部地区」と呼ばれています。広島村は南北で分けるのではなく、東西で分けるのがいくつかの資料を読んだ上での印象です。この点からも、入植地の北部を北広島と呼んだのかが疑問となるわけです。
「北広島」の地名、おそらく、道立北広島団地ができ流入する人口が増え、特に広島町以外の人との会話の中で一般化されたのではないでしょうか。
他にも資料文献ありましたので、多分、調査はまだ続きます。余談ですが、現在の「北広島インター」は、開設当時は「大曲インター」と呼ばれていました。