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落書き帳

兵庫県と岡山県にまたがる取揚島の福浦地名について

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[95311]2018年1月22日
そらみつ
[95312]2018年1月22日
Takashi
[95314]2018年1月22日
hmt
[95315]2018年1月22日
そらみつ
[95318]2018年1月22日
Takashi
[95324]2018年1月23日
hmt
[95327]2018年1月24日
そらみつ
[95339]2018年1月26日
hmt
[95361]2018年2月1日
そらみつ
[95364]2018年2月2日
Takashi
[95365]2018年2月2日
[95366]2018年2月2日
Takashi
[95367]2018年2月2日
YT
[95369]2018年2月2日
Takashi
[95377]2018年2月3日
YT
[95378]2018年2月3日
Takashi
[95384]2018年2月4日
ekinenpyou
[95386]2018年2月4日
Takashi
[95394]2018年2月5日
ekinenpyou
[95403]2018年2月7日
hmt

[95311] 2018年 1月 22日(月)14:52:49そらみつ さん
自治体越え地名
[95304]の続きです。


福浦……赤穂市福浦/備前市福浦

MapFanには載っていない地名ですが、そもそもMapFanでは当該区域の表示が赤穂市中広になってしまっています。こちらを見ると当時福浦であったことは間違いありませんが、その後なぜほかの地区と同様に寒河や日生に編入されなかったのか(それとも実はされているのか)、ちょっと不思議です。


今日、八王子で初雪が降りました。ぼくは体調が悪いので学校をお休みしていますが、窓越しにもしんしんと降る雪の冷たさが沁みてきます。体がなよくてひ弱なので、これ以上悪くならないよう安静にしていようと思います。
[95312] 2018年 1月 22日(月)18:26:11Takashi さん
Re: 自治体越え地名(福浦
[95311] そらみつさん
福浦……赤穂市福浦/備前市福浦
MapFanには載っていない地名ですが、そもそもMapFanでは当該区域の表示が赤穂市中広になってしまっています。こちらを見ると当時福浦であったことは間違いありませんが、その後なぜほかの地区と同様に寒河や日生に編入されなかったのか(それとも実はされているのか)、ちょっと不思議です。

おそらくかつて取り上げられているはずだと思い記事の検索をかけたところ、[41400]でニジェガロージェッツさんが取り上げていました。

詳細は同記事にありますので省略しますが、島の中に県境があるのは、福浦地区の兵庫県への越境編入を岡山県側が容易には認めなかったため、結果的には陸上部分は渋々兵庫県への移管に同意したものの、漁業権の絡む海上部分の移管は頑として認めず、兵庫県側がそれで妥協したということによるものだそうです。

……これでよろしいでしょうか?
[95314] 2018年 1月 22日(月)19:02:52【1】hmt さん
取揚島の謎
[95311] そらみつ さん
福浦……赤穂市福浦/備前市福浦
こちらを見ると、当時福浦であったことは間違いありませんが、その後なぜほかの地区と同様に寒河や日生に編入されなかったのか(それとも実はされているのか)、ちょっと不思議です。

問題になった岡山県の飛び地は、拡大した地図が示すように、「2県にまたがる島」である取揚島です。

当然、昔の記事を集めた落書き帳アーカイブズに収録されていると思い、開いて見ました。
取揚島の関係記事は、15406. 15470, 41610, 41633, 41649が収録されていました。
編集ミスと思われますが、ニジェさんの[41400] 取揚島の謎 が落ちていました。

これらの過去記事により、今回の疑問は解決すると思います。
参考までに 要点をまとめて記しておきます。

1 取揚島は兵庫県赤穂沖の播磨灘にある無人島であるが、本土の境界は別として、藩政時代から播磨だけでなく備前の住民の漁業権も存在した。廃藩置県で播磨は兵庫県、備前は岡山県の所属となったが、取揚島は2県にまたがる島になった。

2 「福浦」という地名はもともと備前国和気郡の旧村名であり、明治4年岡山県所属、明治22年の町村制では、福浦峠の西側に隣接する寒河(そうご)村との合併により福河村になった。
更に昭和合併で福河村は日生(ひなせ)町の一部となる。

3 昭和38年(1963/9/1)、岡山県日生町のうち、福浦峠の東側を兵庫県赤穂市に境界変更[46914]
この時の境界変更区域を正確に記述した告示文が [95311]で引用されたWikisourceに記されており、変遷情報もこれと同じ。

正確な詳細表記よりも、わかりやすい表記を重視して記せば、[46914]のように「福浦峠の東側(旧・福浦村の地域)という記載になるのです。

詳しい境界変更区域を見れば、確かに「取揚島の区域を除く」と記されており、
岡山県が”漁業権に絡む”領海を守り抜き、赤穂市への編入から除外させた
ことを裏付けている。

まとめ:赤穂市の変遷

[95312] Takashi さんから、既に[41400]の紹介がありました。
この記事も同じ大筋ですが、やや詳しく記してあるので、併せてお読みください。
[95315] 2018年 1月 22日(月)19:40:24【1】そらみつ さん
福浦
[95312]Takashiさん
説明してくださってありがとうございます。
ただ、そこは実はすでに存じているところでした。

疑問に思った点はそこではありませんでした。
例えば同告知で取揚島と同様に日生町側に残された東山𡽶はその後日生町寒河の字となっています(参考)。また同様に残されたとされる鹿久居島は現在日生町日生鹿久居島となっています。
なのに何故、取揚島は鹿久居島と一緒に日生に入らなかったのか、ちょっと気になったということでした。

まぁおそらく忘れられていたとかそんな理由でしょう……。


追記
[95314]hmtさん
丁寧な説明、ありがとうございます。
[95318] 2018年 1月 22日(月)22:00:30【1】Takashi さん
日生町福浦
[95315] そらみつさん
疑問に思った点はそこではありませんでした。
例えば同告知で取揚島と同様に日生町側に残された東山𡽶はその後日生町寒河の字となっています(参考)。また同様に残されたとされる鹿久居島は現在日生町日生鹿久居島となっています。
なのに何故、取揚島は鹿久居島と一緒に日生に入らなかったのか、ちょっと気になったということでした。

あ、そういうことでしたか。

そうなってくると話は変わりますね。

地図を見た限りの印象ですが、
・鹿久居島は日生の対岸にまで広がっており、今では日生の市街地(日生駅周辺といった方がよいか?)あたりまで橋がつながっていて、日生とのつながりも深い。そのため日生の一部となった。
・東山𡽶(がどの辺りかは国土地理院の地図でも特定できなかったのですが)はおそらく寒河と地続きの関係にあり寒河とのつながりも深い。その結果寒河の一部となった。
・取揚島は日生並びに寒河から遠く離れており、また無人島であるため漁業以外でのつながりは基本的にない。もしかしたら福浦がかつて日生町の一部であったという記録を残すことも意図した……かどうかは定かではないが、日生や寒河の一部にはすることはしなかった。
という感じでしょうか?

詳しくは(実は日生あるいは寒河の一部になっているかどうかも含めて)今の備前市に残された記録を調べてみないとどうしようもないのですが、いつ行われたかもわからない大字の変更の記録が残されているかどうかは怪しいですね。

追記:日本郵便の郵便番号検索サイトでは備前市日生町福浦では検索できませんでした。無人島のみの地域だからあえて郵便番号を充ててないのかもしれませんが、もしかしたらすでに日生あるいは寒河の一部になっているのかもしれません。
[95324] 2018年 1月 23日(火)14:33:21hmt さん
備前市福浦の取揚島
[95315] そらみつ さん
疑問に思った点はそこではありませんでした。(中略)
なのに何故、取揚島は鹿久居島と一緒に日生に入らなかったのか、ちょっと気になったということでした。

私も[95311]記載の疑問点を誤解していました。岡山県に福浦の名が残ったわけを改めて記しておきます。

岡山県の中で取揚島だけに残る「福浦」という大字名。
寒河村との明治合併で成立した福河村の大字になり、昭和合併で日生町になるまでの66年間はそのまま。
1963年の境界変更で、福浦峠東側の旧・福浦村が兵庫県赤穂市になり、岡山県日生町に残ったのは、旧・寒河村の区域と、ずっと東の無人島・取揚島だけになりました。

2005年の平成合併で日生町は備前市と合併。
取揚島と同様に【1963年の境界変更では】日生町側に残された東山𡽶は その後【備前市】日生町寒河の字となっています。

日生町時代の大字福浦字東山𡽶は、元々が旧・寒河村でしたから、合併後の備前市の大字が「日生町寒河」に変更されるのは、不自然なことではありません。

現状を見ると、平成合併による日生地区・吉永地区の大字名には旧町名を冠するように変更されています。
しかし、これは住民のいる地域の利便のため、居住集落を対象としたルールでしょう。

取揚島はずっと東の海上にあり、旧・福浦村から見ても「東方にある無人の飛地」です。
大字福浦が取揚島(の一部)という狭い区域だけになったのも 1963年の境界変更以来のことであり、50年以上も大字福浦のままで 不都合はなかったものと思われます。
この無人島を、遥か西の地名である「日生」を冠した大字名に変更すべき理由はないでしょう。

鹿久居島は現在日生町日生鹿久居島となっています。

本題から外れますが、日生諸島の中で約10km2と最大の面積をもつ鹿久居島。
2015年に備前日生大橋で本土結ばれています。この橋は、主として頭島へのルートとして使われているのでしょうか?
それはさておき、鹿久居島が単独では大字ではなく、「備前市日生町日生」の一部であるらしいのは、大字クラスの集落がないため?
無人ながらも大字「福浦」の名を残している取揚島が、特別な存在に思われてきました。
[95327] 2018年 1月 24日(水)18:45:42そらみつ さん
福浦
[95318]Takashiさん
[95324]hmtさん

丁寧な解説ありがとうございます。
確かに、取揚島は鹿久居島からも寒河からも遠く離れていますね。
日生や寒河とする必要がなかったというのも納得です。

ただ、hmtさんの記事の中で少し理解できていないところがあります。
日生町時代の大字福浦字東山𡽶は、元々が旧・寒河村でしたから、
ということなのですが、これは東山𡽶が
寒河村東山𡽶→福河村福浦東山𡽶→日生町福浦東山𡽶→日生町寒河東山𡽶(→備前市日生町寒河東山𡽶?)
と変遷してきたということなのでしょうか?
[95339] 2018年 1月 26日(金)18:31:31hmt さん
Re:福浦
[95327] そらみつさん
岡山・兵庫県境で 1963年に行なわれた境界変更[46914]の対象である「福浦」につき再論。

[46914]の半年前の[41633]で 次のように説明しています。
明治の町村制施行時に寒河(そうご)村と合併して福河村(合成村名)になった岡山県福浦村。
地図で今昔 にも、“兵庫県内に備前福河を名乗る駅があるとは”という記事があり、福浦峠の東側(旧・福浦村の地域)が、昭和合併の機運に乗じて、兵庫県赤穂市に「越県合併」したことが紹介されています。
今尾恵介さんの著書のリンク先を変更してあります。

変遷情報には、境界変更区域を示す根拠資料が「自治省告示S38-106」であることが示されていませんが、[95311]でリンクされた Wikisourceによって、両者の示す区域の同一性を確認することができます。

これによると、岡山県和気郡日生町大字福浦には「赤穂市への境界変更から除外された区域」として、取揚島以外にも東山𡽶など9字(あざ)と鹿久居島とがありました。
明治合併に際し、内務大臣訓令で旧町村の名を大字として残すことが認められました。[37482][48552][66729]
福浦峠の東側(旧・福浦村の地域)」と[41633]で書いたのは、これが頭にあったからです。
しかし 告示文を改めて見ると、境界変更対象から除外された9字2島を無視した大胆すぎる言い方であったようです。

実のところ、hmtもTakashiさんと同様に字(あざ)に関する記録調査や、東山𡽶など境界変更対象区域から除外された字の位置特定ができておらず、「これで間違いない」と胸を張ることなどできません。

自治省告示を根拠に注目したいのは、西方の鹿久居島が(その全部か一部かは不明ながら)大字福浦に含まれていたことぐらいでしょう。現在でも鹿久居島に福浦が残っていると説く人があり、字レベルの真相は不明です。 Bakusai2017/4/8
厳密には岡山県に福浦は無人だが存在する。それは取揚島と鹿久居島の東部だ。

こちらの頁も、鹿久居島と福浦との関係を伝えているようです。

hmtの記事を含めて、他人の説には疑うべき余地があります。本当に確認したいならば、自力でどうぞ。
[95361] 2018年 2月 1日(木)23:34:41そらみつ さん
福浦など
[95339]hmtさん
返信が大変遅れ、申し訳ないです。書き込む暇はあったのですが、文面が思い浮かばず放置してしまっていました。
この間に福浦について調べていた……と言いたいところですが、残念ながらまだ鹿久居島の当時の状況などはよくわかりません。
調べるノウハウがなく近所の図書館で手当たり次第に岡山の地誌などを調べているだけなので、このままで見つかるかどうか。まあいずれは見つかるか。
自分の中で整理ができたらまた落書き帳に報告しようと思います。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


八王子市では天気は晴れでした。しかし途中から皆既月食の存在をすっかり忘れていたので、半分くらい欠けている姿しか見ていません。残念。
[95364] 2018年 2月 2日(金)12:28:37【1】Takashi さん
Re: 日生町誌
[95363] Nさん
岡山まで行かなくても国立国会図書館に行けば読めそうですね。

[95362]の記事を投稿した後「そういえば国立国会図書館に行けば読めるんじゃない?」と思ったのですが検索したキーワードが間違っていたためすぐに見つけられなかったので助かりました。ありがとうございます。

ただ今回の問題を調べる資料としてどの程度使えるかどうかに関わる問題として
・刊行が1972年のためそれ以後の大字などの変遷についての記述は当然ないこと
福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること
・(今回の問題ではそれほど重要ではないかもしれませんが)鹿久居島の状況も記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること
ですかね?

ただ東京でも閲覧することができる資料としては貴重なものでありますので、機会があればどうでしょう?
……と思ったけど国立国会図書館は満18歳未満の人の利用には制限がありますからね……。

追記:国立国会図書館にはデジタル化資料のうち、絶版等の理由で入手が困難な資料を全国の公共図書館、大学図書館等(当館の承認を受けた図書館に限ります。)の館内で利用できるサービスがあるそうです。
ここのサイトにある図書館ではそのサービスを受けられるのでそれを試すのも一つの手ではないのでしょうか?
ちなみに日生町誌もこのサービスで閲覧することができるようです。目次が下にあるのでどのあたりを読めばよいか事前に見当を付けることができるのではないでしょうか?
[95365] 2018年 2月 2日(金)13:01:46N さん
日生町誌の福浦に関する記述
[95364]Takashiさん
福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること
目次を見る限り、福浦の越県合併については章立てもされていて(第四編2章)、10ページほど記述があるようなので、そこそこ詳細に書かれているのでは?と思います。
[95366] 2018年 2月 2日(金)18:23:15Takashi さん
Re:日生町誌の福浦に関する記述
[95365] Nさん
目次を見る限り、福浦の越県合併については章立てもされていて(第四編2章)、10ページほど記述があるようなので、そこそこ詳細に書かれているのでは?と思います。

まあ、町の歴史の中で重要な事柄ではありますから章立てがされていて(第四編2章)、10ページほど記述があっても不思議はないでしょうね。

ただ、この中に記述されていることのほとんどは
福浦が赤穂市への編入を希望した理由
福浦の赤穂市への編入が決まるまでの経過
に重きが置かれており、
福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?

[95364]で述べたとおり、国立国会図書館にはデジタル化資料のうち、絶版等の理由で入手が困難な資料を全国の公共図書館、大学図書館等(当館の承認を受けた図書館に限ります。)の館内で利用できるサービスがあり、そらみつさんがお住まいの八王子市内にもそのサービスを受けられる図書館がありますのでお暇なとき(ですよ、もちろん。無理矢理時間を作らなくていいですからね)にでも使って調べてみたらいかがでしょうか?
[95367] 2018年 2月 2日(金)18:35:23【5】YT さん
大字福浦の所轄について
[95361] そらみつ さん
[95364] Takashi さん
[95365] N さん

横からすみません。そらみつさんが疑問に思われていることは、旧大字福浦の内、どのような経緯で寺山地区(字二本松、東山鼻、入山口、向ヒ、名畑、舟木谷、前、背戸山、田ノ奥)が現在の地図において、大字寒河の所轄となり、鹿久居島の全域が大字日生の所轄となり、取揚島だけが大字福浦に残ったかということだと思います。一連の書き込みを見て、先程『日生町誌』(1972年)を閲覧して来ましたが、

福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


数年にわたる漁業権問題や地域感情の対立など、詳しい編入の経緯についての記述はありますが、肝心の大字の変遷についての記述はありません。

・(今回の問題ではそれほど重要ではないかもしれませんが)鹿久居島の状況も記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


この点も後述するように、余り記載がありません。ただいくつか興味深い点が見つかりましたのでまとめます。

まず明治の大合併において

日生村=大字日生+大字大多府
福河村=大字寒河+大字福浦

となったわけですが、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図を見ればわかる様に、鹿久居島の中に村境があり、島全体の西の一部が日生町で、残りが福河村となっております。具体的には後述するように、島の総面積10 km2弱の内、約4 km2が昭和初期には日生町所轄で、残りの6 km2が福河村所轄です。『日生町誌』16頁の鹿久居島の記述によると

(3) 鹿久居島 日生本土から八百メートルの南にあって周囲二十八キロ、面積九八五・五ヘクタール、世帯数十五、人口六十人、岡山県下では最大の島で、国有林になっている。むかしは無人島で、日生、寒河、福浦の三村に属し鹿の野生地として有名で、旧藩時代の狩猟地であった。


一方25頁以降の「第二編 地誌」の解説では

 日生町は日生、大多府、寒河、福浦(寺山)の四つの大字から成っている。
(1) 大字日生 日生本土ど大多府を除く諸島を合わせた区域を総称して大字日生という。

つまり鹿久居島はもともと日生、寒河、福浦に分割されており、越境合併の1963年当時も鹿久居島の一部に大字福浦が設置されていた。ところが『日生町誌』が書かれた1972年までには鹿久居島の全域が大字日生の所属となっていたということになります。具体的に『昭和十年 全国市町村別面積調』や国勢調査時の面積の時系列をまとめると

西暦1935年1950年1955年1960年1965年1970年
日生町13.2512.8642.4142.4135.0135.01
福河村30.0030.00

日生町と福河村の面積の合計が合併後に0.45 km2ほど減るなど、若干数値が異なりますが、まあその辺は測定誤差の範囲でしょう。1963年に赤穂市へ異動となった土地は7.4 km2で、日生町に留まった旧福河村の土地は22.5 km2前後となります。

ところが『日生町誌』の3~4頁の大字別面積によると

大字面積(km2)
日生17.8
寒河16.1
大多府0.4
福浦(寺山)0.7

日生+大多府が18.2 km2、寒河+福浦が16. 8km2となり、6 km2弱の土地が旧日生町側に異動したことになります。10 km2の広さのある鹿久居島の東部分がいつの間にか大字日生の所轄となったことの証左となります。

次に寺山地区についてですが、『日生町誌』33頁によると

(4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
 戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者あg多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
 昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山鼻 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑


向ヒ田ノ奥が一つの字となっておりますが、昭和38年自治省告示第106号に登場する「字」が総て寺山地区のものだということが分かります。それよりも問題なのは、『日生町誌』は本土の方の字は事細かく書いておりますが、鹿久居島や取揚島に所属する小字についてはなんら記載がありません。

以上をまとめると

1963年以前、日生町大字福浦は取揚島の一部・鹿久居島の一部・本州側の地域を含んでいたが、越境合併の結果、取揚島の一部・鹿久居島の一部・内陸の寺山地区が日生町大字福浦に留まった。
1963年~1972年 いつの間にか、鹿久居島の内の大字福浦、大字寒河の所轄が大字日生の所轄へと変更になる。
1972年~現在 いつの間にか、寺山地区が大字寒河の所轄となるが、取揚島の西南部だけが大字福浦の所轄のまま留まる。

こんな感じでしょうか?

越境合併に関連する漁業権の設置された地域などに関しては『赤穂市史 第三巻』(1985年)の629頁に詳しい地図が掲載されています。

【追記】
[95366] Takashi さん

福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?


これについては具体的な記載がありません。当時の住民、とりわけ漁業関係者の利益面と感情的な対立について詳しいことは書かれていますが、執筆者はある意味土地を赤穂市に奪われた側の住民ですし、越境合併からわずか10年程度に執筆されていますので。

【誤記修正】大字➡寒河
【リンク修正】
[95369] 2018年 2月 2日(金)19:47:07Takashi さん
Re:大字福浦の所轄について
[95367] YTさん

お忙しい中わざわざ調べてくださりありがとうございます。なるほど、そういうことなのですね。

ところで福浦の中で日生町に留まった地域のうち本土側の寺山地区については今も日生町寺山として大字が残されているようですので寺山地区は寒河にはならず寺山という独立した大字になったということなのでしょうね。ここが日生町に留まったのは福浦の大部分が赤穂市側とのつながりが強かったのに対し、寺山地区は日生町とのつながりが強かったことが要因なのではないかと思うのですがどうでしょう?水系としては兵庫県(福浦)側につながっているようですが、道路の方はあまり行き来がないのか整備はされていないように見受けられます(国土地理院地図。もっとも道路の整備自体は県境変更後に行われたものがほとんどでしょうからあまり参考にはならないのでしょうけど)。

あと鹿久居島や取揚島に所属する小字については記載がないのはこれらの島が無人島であった(ある)ことと関係しているのかもしれませんね。

鹿久居島と寺山地区については(いつ頃そうなったかということについての答えはまだ出ていないが)だいたい結論が出たような感じがします。取揚島がどうなったかはその後の変遷も見ないとわからないので正直なんとも言えません。
[95377] 2018年 2月 3日(土)23:18:18【3】YT さん
寺山について追記
[95369] Takashi さん

ところで福浦の中で日生町に留まった地域のうち本土側の寺山地区については今も日生町寺山として大字が残されているようですので寺山地区は寒河にはならず寺山という独立した大字になったということなのでしょうね。


すみません、こちらが勘違いしておりました。寺山に関しては、1995年の国勢調査における岡山県の小地域集計の段階で、既に大字寺山になっていたようです。以下1995年当時の日生町に関して1995年の国勢調査報告書に登録されている町丁字までを示すと(大字大多府・大字寺山には下位区分なし)以下の通りで、取揚島の大字福浦については、人口調査の対象外となっています。【追記:国勢調査報告書では大字寒河の下の町丁も記載数が少ないので、追加で全部示すことにしました。「中日生」という地名が大字寒河と大字日生に跨っていますが、東山ハナという小字は掲載されていません。】

世帯数人口総数1995年当時の日生町の町丁字
2,9979,169総数
1,7044,965大字日生
74231 大字日生峠小路北部
59137 大字日生東小路北部
65197 大字日生四軒屋東部
141431 大字日生日陽奥南東部
152438 大字日生栄町西部
106309 大字日生宮奥北部
3389 大字日生中小路東部
65294 大字日生脇の上北部
78238 大字日生三軒屋東南部
119348 大字日生三軒屋北奥北部
223652 大字日生三軒屋西南東部
65174 大字日生後小路北部
50133 大字日生南の一
127358 大字日生南の二西部
571156 大字日生湾戸北部
102264 大字日生頭島西の谷南部,大西東部
91286 大字日生頭島,外輪,北浦
1545 大字日生鹿久居島
2051 大字日生鴻島
32134 大字日生中西生西部
1,2234,037大字寒河
171553 大字寒河中日生東部
39464 大字寒河梅灘南部
65171 大字寒河梶谷東部
123415 大字寒河西浜山北東部
109404 大字寒河西,西中,川内
99358 大字寒河大西西部
131458 大字寒河中,北,宮の下の一部
159547 大字寒河東,名切,宮の下の一部
73209 大字寒河東奥福浦
154458 大字寒河深谷西北部
62154大字大多府
813大字寺山

実のところ1972年の『日生町誌』は、寺山地区に関して、「大字福浦」と書いている箇所(4,25,33頁)、「大字寺山」と書いている箇所(39頁)が混在しており、もしかしたら1972年の段階で既に大字寺山となっていたのかも知れません。寺山地区が日生町に留まった経緯は『日生町誌』には全く記載がありませんが、おそらく水道事業に関係があると思います。寺山地区は吉井水系の支流金剛川の上流にありますが、一方で赤穂市側の他の福浦地区は分水嶺を挟んでいます。水源保全の観点から、寺山が分けられたのではないでしょうか?『日生町誌』96頁によると。

 この間、昭和三十五年度から同三十七年度にかけて、岡山県および日生町では、福浦地区住民の福祉向上のため、海岸堤防の改良、林道の開設、簡易水道の建設、診療所の新設など約一億三千万円(うち町費五千二百万円)にのぼる諸種の事業を進めて、いわば引きとめ工作を行なった。このため福浦地区の一部住民の間には、「日生町がこんなに力を入れてくれるのに、無理矢理に越県合併しなくてもよいではないのか」との声もあったといわれる。
 しかし、分町派では、消防団、婦人会、青年団などの組織を日生町から分離したり、町が建設した簡易水道に加入せず、私設水道をつくるなどの対抗策をとるなどして、分町実現への根強い運動をつづけた。


現在寺山地区にある寺山大池ダムは越境合併騒動前からあったようですが、備前市のホームページによると、「寺山飲料水供給施設」を通じて寺山地区に水道が供されているようです。

一方鹿久居島の鵜ノ石鼻にある鵜石鼻灯台に関し、ネット上で「岡山県備前市日生町大字福浦字」となっております。少なくとも『日生町誌』が作成された1972年までには鹿久居島の全域が大字日生となってますので、「大字福浦」というのは多分灯台が初点灯された1964年3月30日当時の情報なのでしょう。鹿久居島を分割していた3つの大字が総て日生に統一された時期は、これ以上は絞り込めません。

最後に取揚島の件ですが、例えばwikipediaなんかだと

・1963年(昭和38年)9月1日 - 福浦地区(寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ越県分離となる。
 ・この越県分離に伴って、取揚島(日生諸島に属する無人島)の島内に岡山県・兵庫県の県境が設定された。


とありますが、これに関しては、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図の段階で取揚島の上に県境が描かれているので誤りです。既に過去に紹介されていますが、『日本歴史地名大系』の「日生諸島」の項目によると

古来より好漁場であるばかりでなく、海上交通の風待地にあたる。鹿久居島周辺では、近世初頭から漁業争論が起こっている。大多府島は岡山藩の船番所として島の歴史が始まった。頭島は一九世紀前半から日生村からの移住が進み、現在はくまなく開墾されている。取揚島は「撮要録」の元禄二年(一六八九)の記事によれば、島の西南部が、備前和気郡福浦(ふくうら)村(現赤穂市)構、北東部が播磨赤穂郡真木(まき)村(現同上)構となっていた。笹草が生えていたが、両村とも海上一里も離れていたため、草刈を行っていなかった。「古今見聞雑記」(正宗文庫)によると、正保三年(一六四六)岡山藩と赤穂藩双方の役人の立会いのもとに二分され、慶安二年(一六四九)には岡山藩の郡奉行河村平太兵衛、郡目付永田三郎左衛門が出張して、国境に塚が築造された。


何か肝心のところで『日本歴史地名大系』も、島の西南部を「現赤穂市」と書き間違えておりますが、江戸時代から備前国和気郡と播磨国赤穂郡、岡山藩と赤穂藩、続いて岡山県と兵庫県の県境となったわけです。

【追記】国立公文書館デジタルアーカイブの天保国絵図の備前国や、播磨国を見たところ、見事に「とりあけ嶋」に国境が描かれていますね。
[95378] 2018年 2月 3日(土)23:59:02【2】Takashi さん
寺山
[95377] YTさん

寺山に関しては、1995年の国勢調査における岡山県の小地域集計の段階で、既に大字寺山になっていたようです。

実のところ1972年の『日生町誌』は、寺山地区に関して、「大字福浦」と書いている箇所(4,25,33頁)、「大字寺山」と書いている箇所(39頁)が混在しており、もしかしたら1972年の段階で既に大字寺山となっていたのかも知れません。

なるほど、いつごろか完全に特定はできませんが1972年の『日生町誌』で寺山地区の所属する大字の記述にばらつきがあることを考えると1972年付近で大字の変更があったのかもしれませんね。

寺山地区が日生町に留まった経緯は『日生町誌』には全く記載がありませんが、おそらく水道事業に関係があると思います。寺山地区は吉井水系の支流金剛川の上流にありますが、一方で赤穂市側の他の福浦地区は分水嶺を挟んでいます。水源保全の観点から、寺山が分けられたのではないでしょうか?

現在寺山地区にある寺山大池ダムは越境合併騒動前からあったようですが、備前市のホームページによると、「寺山飲料水供給施設」を通じて寺山地区に水道が供されているようです。

基本的には水源保全の観点から分けられたというのはそういうことなのかなと思います。あと、寺山地区と赤穂市側の他の福浦地区の間に分水嶺があることも寺山地区があえて越境合併に参加しなかった要因なのかなとも思います。

訂正:これまでの記事の内容を確認した上で取揚島に関する書き込みを修正のちに削除
[95384] 2018年 2月 4日(日)10:50:24ekinenpyou さん
日生町大字福浦の境界変更について
[95311]そらみつさん・[95312]Takashiさん・[95314]hmtさん
などから始まった、一連のやり取りにおける当方の推測などをコメントしておきます。

そもそも旧:日生町(福河村)大字福浦の寺山地区にあった字「東山ハナ」が
現在は備前市日生町寒河に存在しているというリンク先記載の典拠は何によっているのでしょう?
ネットの地図サイトなどでは容易に事実確認ができないような気がします。

明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・

という疑問はさておき、取りあえず日生町寒河にあるという前提で考えると、
日生町大字福浦のうち岡山県側へ残った箇所の再編(鹿久居島東部の大字日生への編入や大字寺山の新設?)は
S38の境界変更後、比較的早期に実施されているような気もします。

なお、日生町寒河寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)
再編時に?地番整理なども実施した結果、
寺山地区の大字福浦字「東山ハナ」が大字寒河の字になったのかもしれませんね。

また、この地域の沿革については福河村(Wikipedia)などにも記述がありますが、
若干事実と異なると思われる点もあるので
参考として和気郡誌(M42)での記述箇所について、下記にリンクを示しておきます。

島嶼(日生諸島についての解説・取揚島の分属についても記載あり)
町村沿革(日生村・福河村)
[95386] 2018年 2月 4日(日)15:58:20【1】Takashi さん
日生町寺山の中途半端?な地番
[95384] ekinenpyouさん

なお、日生町寒河・寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)

そういうこともあるのかな……、と思い寒河寺山の住所一覧を眺めてみたのですが、少なくとも寒河680番地寺山680番地の両方が存在し、それぞれ違う地点を指していることがわかります。

一方、赤穂市福浦の住所一覧を眺めてみると、寺山に残った部分がすっぽり抜けているようにも見えます。

(旧福河村福浦の地番の付け方がどうしてこのようになったのかも含めて)真相は不明なのですが、寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部と考えた方が妥当にも思えるのですがいかがでしょう?

寺山の住所一覧に表示される住所が少ないのは
[95367]でYTさんが示されたように現在の寺山自体が狭いこと
[95377]でYTさんが示されたようにもともと住んでいる人が少ないため家屋等の建物が少ないこと
・地番自体は家屋のような建物に限らず田畑のような農地や山林にも付けられていますが、農地や山林に付けられた地番の場合一般の地図サイトでそれを検索するというニーズがあまりないことから一般の地図サイトでは住所一覧に表示されないこと
によるものではないのでしょうか?(といっても本当のことは知りませんが。あくまで想像です(特に3番目)。)

ちなみに私は
明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・
という経緯をたどっているのではないかと思っています。

参考
4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
 戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者が多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
 昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山ハナ 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑
[95367] YTさんで紹介された『日生町誌』33頁より。一部変換ミスなどを修正)
[95394] 2018年 2月 5日(月)21:14:55ekinenpyou さん
岡山県備前市福浦について(補足)
連日投稿になりますが肝心の現:備前市福浦について拙稿[95384]ではあまり書かなかったので補足しておきます。

岡山県では字区域の名称変更について告示を行っているらしく、
同市成立時期のH17年告示214号(2コマ下段)にて備前市(大字)福浦の存在が確認できました、
ただし単なる「福浦」ではなく他と足並みをそろえる形で「日生町福浦」になっています。
(これが正式名称のような気もしますが、公報誤りなどの可能性もあり)
合併時の案内には一切無いので、限られた領域にのみ残る特殊な大字であることは間違いないでしょうか。

したがって、大字福浦の残部再編については岡山県公報に該当する告示があれば詳細がわかるかもしれません、
昭和期など過去のものについては岡山県立図書館に所蔵があるようです。

[95386]Takashiさん
素早いご指摘ありがとうございます、日生町寒河・寺山が異なる地番区域である点、了解しました。
当方の迂闊な推測で誤りを書き込んでしまい申し訳ございません
※地図サイトで地番が網羅されていない点は(サイトに)明記されており当然ながら理解しています。

余談ですが重複地番が例外的に付番されたケースもあるようです。(いわゆる「山地番・耕地番」
近年、不都合が生じるケースが多くなったため(約150年の時を経て?)解消を行っているとのこと
実施地域の詳細はこちらをご覧ください。
[95403] 2018年 2月 7日(水)18:54:04hmt さん
まだ備前市福浦
落書き帳には、2003年の2県にまたがる島で登場した取揚島。
小さな無人島ですが、その南西部が岡山県の飛地とも思われるために[41400]などで話題になりました。

戦後の1955/3/1、国鉄山陽本線のバイパス・赤穂線が播州赤穂から日生(ひなせ)まで延長開業し、「備前福河」駅が開業しました。当時の所在地・岡山県和気郡福河村大字福浦の中で「村名」に由来する駅名ですが、「福河」とは明治合併における「福浦村と寒河(そうご)村」とを組合せた合成地名でした。

実はこの福河という村名、駅が開業した月の末日(1955/3/31)には日生町との昭和合併で消滅します。
行政関係者としては明治以来の村名を駅名に残したかったのかもしれません。しかし、江戸時代の旧村名、そして明治合併以来の大字名として住民が使ってきた「福浦」を駅名にした方がよかったかも?

そんなことを考えたのは、1963/9/1に、本土部分の福浦集落(明治合併前の旧・岡山県和気郡福浦村)ぐるみで、岡山県和気郡日生町から兵庫県赤穂市への境界変更が行なわれたからです。この境界変更の結果、
「備前」なのに兵庫県
という違和感のある状態になりました[46914]
…でも、違和感の由来は「福河駅」ではなくて「備前」を冠したことでした。備前を冠した理由は謎。

それはさておき、変遷情報岡山県では見ることができませんが、変遷情報兵庫県の詳細を見ると、境界変更対象地域は「日生町大字福浦の区域(【中略】を除く。及び福浦地先海面のうち【後略】)」と記されており、昭和38年自治省告示第106号により確認することができます。

実は、私としては【中略】の部分に記された多数の地名に注意を払っておらず、[95311]以降の福浦スレッドから脱落しています。
その後、Nさん、YTさん、ekinenpyouさんからの情報もありました。皆さんの記事により、鹿久居島の一部が福浦に含まれていたことを含め、「備前福浦」の範囲は、私が最初に考えていたような単純なものでないことを認識しました。

そして、最新の記事[95394]に記されていた 下記2件の資料を拝見して、ふと気がついたのは、A「土地に係る字の区域・名称」とB「住所表示」との違いです。
A 岡山県告示H17-214 2コマ【備前市成立時(2005/3/22)】
B 新市の住居表示

前者Aは土地に係るものであり、居住者の有無に関係なく、すべての土地に適用される。
 合併前の字:和気郡吉永町吉永中→【合併日の字】上欄:備前市吉永中→下欄:備前市吉永町吉永中
後者Bは人に係るものであり、居住者の居る土地に限定して適用される。
 合併前の住所表示:和気郡吉永町吉永中→新住所表示:備前市吉永町吉永中

この例示に従って考えると:
無人の取揚島については、A「土地に係る字の区域・名称」のみ存在し、岡山県告示H17-214により「大字」という言葉を使わなくなった 備前市日生町福浦に属する。【住居表示は当然ながら存在せず。】
合併前の字:和気郡日生町大字福浦→【合併日】上欄:備前市大字福浦→備前市日生町福浦

[95394]で存在が確認されたA「字の区域・名称」の第6欄:備前市大字福浦→備前市日生町福浦は、「大字」という言葉を使用しなくなったことの他に、遠く東に離れた取揚島まで含めた旧日生町域全部の土地の字名として「日生町」という言葉を冠するようにしたことを示しているようです。
「備前市日生町福浦」という字に取揚島以外の土地があるか否かは不明です。
しかし、旧日生町の4字名と違ってB住所表記には日生町福浦がありません。
このことは、たとえ取揚島以外にこの字名の土地があっても、居住地ではないことを示しています。


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